太陽の日差しが木々の間から差し込む中、リィンとレイカは長い階段を一歩一歩、踏みしめるように登っていた。

「はぁ……はぁ……結構、きついわね」

 慣れない草履と浴衣姿のせいか、レイカの息はすっかり上がっていた。
 階段を上りきると、そこには彼女が想像していたのとは少し違う光景が広がっていた。
 社の代わりにあったのは、巨大なしめ縄が張られた洞窟の入り口。
 その前には古びた賽銭箱が置かれ、左右には狐の石像が、まるで番人のように静かに佇んでいた。

「何かの神様を奉っているのかしら? 随分と古い史跡みたいだけど……」
「狐の像を奉っているところからも、稲荷信仰みたいだな」

 リィンは石像を観察しながら、この土地で古くから信仰されてきた土着の神だろうと考察を述べる。
 その淀みない口ぶりに、レイカは感心した様子を見せた。

「博識なのね。こういうのに興味があったりするの?」
「いや、そうでもない。ただ、この手の古い遺跡には、縁があるだけだ」

 そう言って、リィンは洞窟の暗がりを見つめた。
 だが、その瞳の奥には、レイカには窺い知れない深い警戒の色が滲んでいた。
 洞窟の奥から発せられる異質な気配を感じ取っていたのだ。

「……帰るか」
「え? もう?」
「目的は蜂の巣の駆除だしな。あまり遅くなると、暗い山道を歩くことになるぞ」
「う……それは嫌ね」

 真っ暗な山道を一人で歩くことを想像したのだろう。
 レイカは名残惜しそうに洞窟を一瞥すると、リィンの後を追うのだった。


  ◆


 その夜の夕食は、広々とした宴会場で振る舞われた。
 畳の上に並べられた豪華な会席料理を前に、若者たちの楽しげな声が響き渡る。
 それぞれの席では、学校や仕事の垣根を越えた交流が生まれていた。
 リョウタが、隣に座るコウとジュンに向かって得意げに話をする。

「いやマジで、凄いんだって。一回聴いてみれば、言ってることが分かるから。俺のオススメは――」

 話の内容は、先日の〈SPiKA〉の記念ライブに関することのようだ。
 アイドルオタク特有の知識を披露し、うんちくを語るリョウタの姿は生き生きとしている。
 中央の畳を挟んで向かいの席に座るアスカとミツキは、そんな三人の会話を聞きながら呆れた様子で、黙々と食事を続けていた。
 少し離れた角の席ではシオとユウキが、すっかりと意気投合した様子で、旅館のゲームコーナーに置かれていた古い格闘ゲームについて話していた。

「まさか、僕とゲームで張り合える奴がいるなんてね」
「昔、少しかじったことがあるだけだ。あのゲームは、ダチが好きでな」
「ああ、それって例の人? まだ入院してるんだっけ」
「は……遠慮がないな」
「気を遣って欲しいわけ? そういうタイプじゃないでしょ」

 ユウキの遠慮の無い言葉に、シオは違いないとぶっきら棒に答えるも、その表情はどこか和らいでいた。
 そんな少年少女たちの会話を、トワは微笑ましげに見守っている。
 一方で、大人の女性陣の席では――

「アオイさんって、綺麗ですよね。大人の女性って感じで、包容力があるというか」
「え? どうしたの? 急に……」
「今度、出演するドラマで若い母親役を演じるんですが、自信がなくて……」
「ああ、そういうことね。でも、演技とかしたことないから、適切なアドバイスは出来そうにないわね」
「そういうことでしたら、御力になれるかもしれません」

 ドラマの役について悩むハルナに、アオイが相談に乗っていた。
 二人の話を聞いたキョウカが、的確なアドバイスをしている。
 そんな中、シズナがふと、隣に座るリィンに問いかけた。

「そういえば、リィン。レイカと、どこに行ってたの? 旅館の中にいなかったでしょ?」

 その唐突な質問に、お刺身に箸を伸ばしていたレイカの動きがぴたりと止まる。
 だが、リィンは表情一つ変えず、冷静に答えた。

「蜂の巣の駆除だ」
「蜂の巣?」
「ああ、スズメバチがでてな」

 リィンがそう口にした瞬間、それまで和やかだった宴会場の空気が一瞬で凍りついた。

「た、大変じゃねえか!」
「そうだよ! 二人とも、大丈夫だったの!?」

 真っ先に声を上げたのは、トワとリョウタだった。
 その声には、本気で心配している色が浮かんでいる。

「スズメバチか。刺されると危険だな……」
「うん、安全が確認されるまで、山の方には近付かない方がいいかな」

 コウとジュンが冷静に分析するのを聞いて、リョウタがピシリと固まった。

「え? じゃあ、明日の川遊びは……?」
「残念だけど、中止じゃないかな? まあ、旅館の中でも十分――」

 ジュンが「旅行気分を満喫できる」と言い終わる前に、リョウタがガタリと席を立った。

「全然、満喫できねえよ! 〈SPiKA〉の水着姿を生で拝めると楽しみにしてたのに!?」

 煩悩のままに叫び、ジュンの肩を掴んで揺さぶる。
 そんなリョウタの姿に、ワカバとアキラはそっと胸元を隠し、軽蔑するような視線を向けた。
 その時、ぬらりとジュンの背後から影が伸びる。
 ガシリと彼の肩を掴んだのは、笑顔だが目の笑っていないトワだった。

「伊吹くん……」
「ひ……トワちゃん」
「トワちゃんじゃない、九重先生でしょ! もう、今日こそは許さないんだから! 説教します。心を入れ替えるまで許しませんから!」

 トワはリョウタの首根っこを掴むと、ズルズルと宴会場の外へと引き摺っていく。
 助けを求める親友の悲痛な叫びを、コウとジュンは静かに合掌して見送った。
 なにをやってるんだと、リィンが呆れた様子で溜め息を吐く。

「人の話はちゃんと最後まで聞け……」
「あの、それじゃあ、蜂の巣は……」

 おずおずと尋ねるアキラに、リィンは頷き返した。

「ああ、もう駆除済みだ。周辺の安全も確認しておいたから問題ない」

 その言葉に、「わあ!」と一番嬉しそうな歓声を上げたのはワカバだった。
 リィンの実力を知るシオやユウキは「そりゃそうだろう」と納得の表情。
 だが、ミツキは少し呆れたように口を挟んだ。

「あの、リィンさん……そういうのは、こちらで処理しますので、出来れば先に相談して頂ければと……」

 ホストとしての立場と、少しは自重して欲しいという思いが、彼女にそう言わせたのだろう。
 心配するミツキに「悪かった」と、リィンは素直に謝罪する。
 一件落着かと思われたその時、シズナが「うーん」と何かを考え込みながら、核心を突いた。

「蜂の巣の駆除に、二人で行ったの?」

 その問いに、宴会場の空気が再び静まり返る。
 確かに、駆除だけならリィン一人で十分なはずだ。むしろ、レイカは足手纏いでしかない。
 それに、二人が戻ってくるまでには、かなりの時間が経っていた。
 レイカと二人きりで、山の中で何をしていたのか?
 アキラとワカバの探るような視線がレイカに突き刺さる。
 ハルナは楽しげに微笑み、アスカはそっと溜め息を吐いた。
 アオイは「あらあら」と優雅にお茶を啜っている。
 不幸中の幸いは、トワが席を外していたことだろう。
 だが、彼女の代わりに声を張り上げたのは、リオンだった。

「まさか! レイカ、最後までやっちゃったの!?」

 アイドルにあるまじき、あまりに直接的な物言いに、レイカは飲んでいたお茶を盛大に噴き出した。

「ま、まだリィンとは、そこまでの関係じゃ――」
「そこまで?」
「これは、いろいろと聞くことがありそうね」

 墓穴を掘ったことに気づいたレイカは、リオンとハルナに詰め寄られ、助けを求めるように仲間たちを見回す。

「ちょっと、二人とも目が怖いわよ。そうだ! アキラ、ワカバ! あなたたちなら分かってくれるでしょ。この二人に誤解だと説明して――」

 だが、その願いは無情にも裏切られた。

「あ、私も気になります」
「わ、私も! レイカ先輩、リィンさんと何があったんですか!?」

 味方がいないことを悟ったレイカは、リョウタと同様、仲間たちによって宴会場の外へと連れ出されていくのだった。


  ◆


 嵐のような喧騒が去り、ようやく静かになったところで、シズナが改めてリィンに尋ねた。

「それで、何してたの?」
「山の中に遺跡があって、少し立ち寄っていただけだ」
「遺跡?」
「ああ、妙な気配を感じてな」

 リィンの言葉に、シズナの瞳が興味深そうに細められる。
 ミツキとアスカも、その会話に鋭く反応した。
 リィンの勘が良く当たることを、二人も知っているからだ。

「危険はない感じ?」
「いまのところはな。まあ、しばらく様子を見るさ」

 そう話すリィンに、シズナは「そっか」とだけ頷いた。
 リィンがそう言うのなら、いまは深追いするべきではないと判断したのだろう。
 だが、この温泉旅行がただでは終わらないであろうことを、彼女の勘が告げていた。



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