旅館の本館二階。広々とした宴会場とは別の階にある広間に、〈X.R.C〉の主要メンバーが集められていた。
上座にはリィンとシズナ。その横にミツキとアスカが並び、対面する下座にはコウ、リオン、レイカ、シオ、ユウキが緊張した面持ちで正座している。温泉旅行の和やかな雰囲気とはかけ離れた、重苦しい空気が室内を支配していた。
「高幡志緒だ。よろしく頼む」
「四宮祐騎。ま、よろしく」
沈黙の中、まず口火を切ったのは新しく加わった二人だった。
ぶっきらぼうに告げるシオと、気だるげに言うユウキ。その対照的な自己紹介に、コウとリオンは戸惑った表情を浮かべる。
そんな二人の様子を察し、ミツキが咳払いを一つして説明を始めた。
「時坂くんと玖我山さんには、まだ詳しい事情をお話ししていませんでしたね。まずは情報の共有を――」
ミツキは、〈BLAZE〉と〈ケイオス〉の抗争から始まった一連の事件について、順を追って説明していく。その裏で暗躍していた教会の司祭ヨアヒム・ギュンターの存在。人間を異形へと変貌させる悪魔の薬〈グノーシス〉のこと。
そして、囚われた人々を救出する作戦の最中、シオとユウキもまた〈ソウルデヴァイス〉の適格者として覚醒し、共に戦ったこと。
最後に、聖霊教会の刻印騎士の正体が、コウの親友である小日向純であったことなどを説明した。
にわかには信じがたい話の連続にリオンは息を呑み、コウは呆然と畳を見つめていた。
やがて、絞り出すような声でコウが口を開いた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! どうしてジュンが――」
その声は、驚愕と戸惑いに震えていた。
「お話ししたとおりです。教会から異界の調査のために派遣されてきた刻印騎士……それが彼の本当の姿です」
ミツキが、有無を言わさぬ事実として告げる。
ミツキが嘘を言っているとは思えない。アスカや、ここにいるシオ、ユウキも目撃者なのだ。見間違いである可能性は限りなく低い。
それでも、コウは信じたくなかった。嘘であって欲しいという願いを込めて、食い下がる。
「だけど、ジュンは一年生の時から一緒のクラスなんだ! 時期が合わないだろう?」
異界の事件が目に見えて頻発し始めたのは、ここ半年ほど前からだ。それは、リィンたちがこちらの世界にやってきた時期と奇しくも重なる。
だが、ジュンは一年以上も前から杜宮市で学生として生活していた。コウが時系列の矛盾を指摘するのも当然だろう。
しかし、その淡い期待を打ち砕いたのは、アスカだった。
彼女は静かに首を横に振る。
「残念だけど、二年前から既に兆しはあったのよ。いえ、十年前の東亰冥災以降、この街は不安定になっていたと言った方が正しいでしょうね」
アスカは、ネメシスが掴んでいた情報を開示する。
杜宮市は他の地域と比べても、以前から明らかに異界が出現する頻度が高い傾向にあったこと。それが急速に増え始めたのが二年ほど前。そして、ピークに達したのが、ヨアヒムが暗躍を始めた半年前というのが実情だった。
「それじゃあ、本当に……」
ガクリ、とコウは肩を落とした。
隣でリオンが心配そうに彼の腕に手を添える。親友だと思っていた人物が、ずっと素性を隠していた教会の工作員だった。その事実は、コウの心を深く抉るには十分すぎた。
ショックを受けるコウを前に、ミツキはいよいよ本題に入る。その声には、先程よりも強い緊張が滲んでいた。
「皆様にお話しておきたいことは、これからのことについてです」
敢えて強調された言葉に、リオンが顔を上げた。
「さっきの話を聞く限り、もう事件は終わったんじゃないんですか?」
ヨアヒム・ギュンターは倒され、〈グノーシス〉の問題も解決した。
彼が黒幕だったのなら、これで騒動も鎮静化に向かうのではないか。
リオンはそう考えたのだろう。
だが、ミツキは重い表情で首を横に振った。
「確かに、ヨアヒムは〈グノーシス〉の一件に限っていえば、黒幕でした。ですが、この街で異界化が頻発していることとは、無関係であると推察されます」
「そんな……」
リオンの顔から血の気が引いた。
具体的な数字をミツキは伏せたが、話を聞く限り、相当数の犠牲者がでていることはリオンにも察せられた。
なのに、まだ何も解決していないと言われれば、ショックを受けるのも無理はない。
しかし、ミツキは淡々と非情な現実を突きつける。
「ヨアヒムが教会からこの街に赴任してきたのは、半年前。先程、柊さんからも話があったように、二年前から既に異界化の予兆があったことを考えれば、計算が合いません。異界化が頻発するようになった原因の一端を担っている可能性はありますが、どちらかといえば、彼はその状況を利用しただけと考える方が自然です」
杜宮市を狙ったのは、この街で異界化が多発していたから。
グノーシスを研究し、実験を行うのに、これほど最適な環境はなかったからだと考える方が自然であった。
失踪者が出たとしても、すべて異界の所為にしてしまえば言い訳ができる。
グノーシスの栽培にも、この街の淀んだ環境が最適だったのだろう。
そう考えれば、すべての辻褄が合う。
「原因は別にあるってことか。それで、察しはついているのか?」
それまで黙って話を聞いていたシオが、鋭い視線でミツキに問う。
ミツキが困ったように視線を泳がせ、どう答えるべきか迷った、その時だった。
「その問いには、僕が答えるよ」
凛とした声が、広間の入り口から響いた。
いつからそこにいたのか。部屋の入り口に純白の法衣を纏った人影が立っていた。
その人物がゆっくりとフードを脱ぐと、見知った穏やかな顔が現れる。
「ジュン……」
コウが、絞り出すように親友の名を呼んだ。
「ごめん、コウ。ずっと黙ってて。後でいくらでも罵ってくれて構わない。だから、いまは僕の話を聞いてくれるかな?」
ジュンは何か言いたげなコウを静かに制止すると、ミツキの説明を引き継ぐように重い口を開いた。
「教会が僕をこの街に送り込んだ本当の理由。それは、十年前の東亰冥災が、まだ終わっていないからなんだ」
それは、あまりにも衝撃的な告白だった。
十年前、東亰を襲ったとされる未曾有の大災害――東亰震災。
表向きは、東京全域で発生したM7クラスの首都直下型地震が原因とされ、死者一万人、行事不明者三千人余りを出す大惨事となった。
だが、それは表向きの顔。裏の世界に住まう者たちは、その真実を知っていた。
あれは地震などではなく、〈異界化〉が引き起こした霊災だと――
裏の世界では、戒めを込めてこう呼ばれている。
――東亰冥災。
2005年3月15日。あの日、東亰は大規模な異界化に見舞われたが、ネメシスやゾディアックといった裏の組織の決死の活躍によって、街の壊滅だけは免れた。
しかし、災厄はそれで終わりではなかった。
「杜宮市で頻発している異変の原因……災厄の落とし子とも言うべき存在が、霊災の後、この杜宮に潜伏していることが判明したんだ」
そのことをいち早く察知した国防軍は、東亰冥災の教訓を元に組織した異界対策部隊〈イージス〉を投入。同時に、聖霊教会の武装騎士団〈クロノス=オルデン〉にも協力を要請し、原因を排除しようと試みたのだと、ジュンは説明した。
「災厄の落とし子……そんなのが、この街に……」
想像を遥かに超えたスケールの話に、コウは戸惑いを隠せない。
それは、他の面々も同じだった。ミツキとアスカは既知の事実として冷静に受け止めているが、シオ、ユウキ、レイカ、リオンの四人は、コウと同じく動揺を隠せないでいる。
この中で平然としているのは、リィンとシズナの二人くらいのものだった。
そのリィンの落ち着き払った態度に、レイカが怪訝な表情で彼を問い詰めた。
「随分と落ち着いているわね。もしかして、リィンはこの話も知ってたの?」
「察しは付いていたというだけの話だ。十年前、その災厄の元凶にトドメを刺したのは俺だしな」
さらりと口にされたリィンの爆弾発言に、彼が十年前の災厄を解決した真の英雄だと知らなかった面々は、
「「「「「はあ!?」」」」」
と、揃って素っ頓狂な声を上げた。
知っていたのは、X.R.Cのメンバーではミツキ、アスカ、コウの三人だけ。
他の五人にとっては初耳だった。
「ん? 言ってなかったか?」
「聞いてないわよ!」
レイカまでが目を丸くして驚いていることに、リィンは僅かに首を傾げたが、「そういえば、そうか」と納得する。
自分たちが異世界人だということは話したが、確かにそれ以上の詳細――自分たちが十年前の杜宮市に召喚され、災厄を解決した張本人であるとは言っていなかったように思う。
「なに? それじゃあ、リィンがトドメを刺し損ねたから、その『落とし子』というのが出現したってこと?」
レイカが、どこか非難めいた視線で問いかける。
「……随分とはっきり言うな。まあ、心当たりがない訳でもない。最後に聖杯を破壊しきれず、何者かに核だけを掠め取られたからな」
「……聖杯?」
リィンは十年前の最後の戦いを思い出しながら、レイカの問いに答える。
「分かり易くいうのなら、十年前の災厄を引き起こした元凶だ」
あの時の一件は、リィンにとっても忌々しい記憶として残っていた。
最後の最後で、正体の分からない何者かに出し抜かれ、災厄の元凶となった聖杯の核を奪われたのだ。
邪悪な気配は感じなかったため、あの時は深追いせずに元の世界に戻ったのだが、まさかそれがこんな風に尾を引くとは、さすがのリィンも予想していなかった。
それだけに、少なからず責任を感じているのだろう。
「あの、リィンさん……そのお話は、私も初耳なのですが……」
それまで黙っていたミツキが、恐る恐る手を挙げた。
「私もよ……ママは知っていたのかしら? だから、私を日本に……?」
アスカもまた、疑念の眼差しをリィンに向ける。
この後、他に隠していることはないかと、レイカ、ミツキ、アスカの三人から質問攻めにあうことになるのだが、それはリィンの自業自得と言ってもよかった。
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