短編『次元震パニック』
(ドラえもん×多重クロス)



――次元震パニックの調査どころか、映画撮影に駆り出されてしまったなのはとフェイト。なのはは撮影の為、ドラえもんに頼み込んで、フェイト共々、子供時代の姿へ若返っていた。前史での記憶も蘇った二人は、管理局のプロパガンダに協力的な姿勢は見せるものの、内心では管理局への忠誠よりも、地球への帰属意識のほうが強かった。そのため、管理局を地球連邦の影響下に置くように画策し、裏で実行するなどの行為をハラオウン親子の了承を得て行っていた。管理局の外郭は無傷だが、本国の一部を奪取されたままで国境が確定したという事実は、管理局の権威を傷つけるのには充分である――




撮影にあたり、服などは外見年齢に合わせたものを揃え、バリアジャケットは仕事の都合上、撮影用のそれのままで対処する。そのため、撮影が一段落した後、フェイトに至っては、解除が面倒なのか、撮影用の白マントを纏った『ブレイズフォーム』のままで過ごしている(隠しているモードとして、そこからシンフォギアの天羽々斬を起動させ、バリアジャケットの効果とシンフォギアを重ねがけするモードもある)。

――なのは宅――

「フェイトママ、バリアジャケット姿で仕事の用意?」

「ドラえもんから依頼が来てるからな。撮影用とは言え、性能は10年前のそれより上がっている。今の私なら、普段着と変わらん」

「今の管理局の魔導師が聞いたら泣くよ、それ〜」

「仕方ないだろ?私は黄金聖闘士だ。はっきり言って、人間超えてるんだから」

ヴィヴィオもなのはとフェイトの常識超えの世界に生きると、それに染まるのが分かる。調と友人兼臣下の関係も築いたのもあり、すっかりこの調子である。この頃になると、スバル・ナカジマはウィッチ世界に滞在しており、G機関幹部をしているし、ティアナ・ランスターは64Fの維新隊の分隊長として、少尉に任官されている。従って、ミッドチルダに滞在している元・機動六課隊員はヴォルケンリッターとなのはを始めとする三人娘のみになる。ちなみに、はやてはGウィッチ覚醒後は某あかいあくま宜しく、腹黒い性格となり、なのはから『弓兵呼びそう』とネタにされているとか。

「ママ、道歩いてても喧嘩売られるから……」
「まー、10代の頃にヤンチャしたしな。この姿なら分かるまい。私の分の撮影は一段落ついたから、ここの時間で三日は休暇取れた。なのはは撮影場行ったから、お前も学校だな」

「うん。調によろしく」

「分かってる」

フェイトはブレイズフォーム姿でそのまま現地に駐留している地球連邦軍の定期便に乗り込み、ウィッチ世界へ赴いた。ミッドチルダの24時間はウィッチA世界でのおおよそ1ヶ月に相当するほどの時差があるため、3日は三ヶ月となる。これはミッドチルダとウィッチ世界とはお互いに『遠い』事に由来する時差で、直接転移では、フェイトの実感時間で六時間ほどとなる。地球連邦軍の定期便の補給船が南洋島についたのは、現地時間の夕暮れ時で、そのまま基地からホテルに飛び、ドラえもんの宿泊しているスイートルームを訪れた。

「やあ、いらっしゃい。急に呼び出して、ごめん」

「こっちも撮影が一段落ついて、都合取れたんだ。なのはは取れなかったよ」

「そりゃまた、なんで」

「細かいシーンの撮影が終わんないそうだよ」

「そりゃ可哀想に。嫌がってたよね」

「プロパガンダ丸出しの映画で、元提督の暗躍要素全カットだしね」

「あー、なるほど」

なのはは二本目の撮影に入ったため、休暇が取れずじまいだった。フェイトは幸運にも、二本目での出番が割と遅いので、休暇が取れたらしい。プロパガンダなので、当時の実情から排除する要素が多いためでもある。(提督の暗躍の要素を削り、ハラオウン親子の描写が増えたため)

「なのはちゃんも大変だなあ。23で9歳の役なんて」

「一昔前の大河ドラマみたいとかって自嘲してたよ」

ドラえもんはのび太が家で宿題にヒーヒー言ってるのをよそに、スイートルームでフェイトと話していた。フェイトはブレイズフォームを維持しているので、腕には篭手がつき、背中にはマントがついている。そんな事を感じさせないほど、リラックスしている。外見は9歳だが、中身は23歳であるためだ。

「ソニックフォームやったら、『ウィザードリィのニンジャじゃないんだからやめてくれ』と…」

「君も大変だねぇ」

「笑わないでよ〜。自衛隊連中には、子供時代のほうが可愛いとか言われたし」

むくれるフェイト。

「自称『変態と言う名の紳士』の集団だから気にしちゃダメだよ」

「うぅ。今度行ったらザンバーで斬ってやろうか」

「君のその声的に罵詈雑言しながら、砲撃魔法撃つほうが」

「どこのクロ○アンジュ!?そりゃ、なのはが見てたけど!」

フェイトはツッコミがだいぶ上手くなっていた。しかしながら、子供の姿に戻っているため、いまいち締まらない。

「取り合えず非殺傷モードでぶっぱなしても御褒美だのなんだの叫んで感謝されるだけだよ」

「何それぇ〜!」

「まっ、シンフォギアは大人の姿で起動させた方が良いと思うよ」

「うーん…」

「まっ、今回は次元震の原因も根源も分かってるから、ゆっくりしよう。創世王がどうしたところで、RXさんに勝てるわけがないしね」

「あれは反則だって」

「曰く、『この世に心の光がある限り、俺はいつでも蘇る!!』そうな」

「宇宙の摂理超えてるね…」

苦笑いするフェイト。RXはクライシスがとうとう打倒を諦め、皇帝が一騎打ちしても勝てず、怪魔界は予め地球に逃げていた国民の良識派以外は滅び去った。一部の残党はバダンに吸収された。ダイ・アナザー・デイからそれほど経たない内に13人ライダー対クライシスの最終決戦が行われ、凱歌を高らかに歌い上げた13人の仮面ライダー。だが、それはバダンの行動のお膳立て、本格的な戦いの幕明けでしかなかった。そして、シャドームーンの復活と呼応して蘇ったゴルゴム創世王。それが次元震パニックの黒幕である。

「黒幕のゴルゴム創世王が何を考えてるかは分からないけど、僕たちも力をつけてる。君だって、前史より早く黄金聖闘士になってるし、エイトセンシズに届きかけてるでしょ?」

「綾香さんや貞子先生はナインで、神域だよ。あー、私もインフィニティ・ブレイクをモノにしないとなー」

「その姿でライトニングプラズマ撃てるでしょうに」

「ヴィータが後で『あたしを殺す気か、テメー!!』って泣きついてきたし、この間話した、平行時空の私自身なんて、目が虚ろでさ…」

「やりすぎ」

ドラえもんも呆れたが、フェイトは聖闘士としての礼儀からか、ついつい本気でライトニングプラズマを撃ってしまう癖があり、ヴィータには抗議され、フェイト自身の同位体は完全に茫然自失となって、うわ言を言うほどのショックを受けている。

「赤松さんに絢翼天舞翔を食らわせられるよ?事故起こしかねないし」

「うぅ。気をつけてはいるんだけど」

なのは/フェイトをして恐ろしいと言わしめるのが、赤松の必殺技の一つ『絢翼天舞翔』である。ビジュアル的にも、原理も鳳翼天翔と同じ種の技だが、基礎的な威力はこちらのほうが上回る。

「ミッドやベルカの魔法でも無いかぎり、全力は相手が死ぬと思っておいた方が良いよ、一般人なら」

「う〜ん、回りにいるの逸般人ばかりなんだよね」

「なんか違うこと言ってない?」

「まぁ、ねぇ」

「別の君だって、もしソニックフォームでライトニングプラズマが直撃したら死ぬし、ギャラクシアンエクスプロージョンなら、消し炭一つ残らないよ」

「ライトニングプラズマならソニックムーブでなんとか避けられるはず…」

「聖闘士になれる段階ならね」

「あっ!そういう事か…。そういえば、向こうの世界で、試しに撃ったら、ナンバーズが戦意喪失してさ……。魅せ技だったんだけど、ギャラクシアンエクスプロージョン」

「当たり前だって、銀河爆砕のエネルギーをぶつけりゃ、戦闘機人なんてチリ一つ残らないって。シンフォギア装者でも、死を覚悟するレベルだよ。それに、かすっても大ダメージだよ、主に社会的に」

「向こうのはやては喜んでたけどなぁ」

「あの子はオタクだからね。どこの世界でも」

はやてはオタクの素養があり、よほどの事がなければ、少女期の反動でオタクになる。ドラえもんが知るはやては、黒江や秋雲とサークルを組んでいて、売り子にアルトリアを動員したり、一番最近はアストルフォも動員しているなど、意外にがっぽり儲けている。自身もその気になれば、『あかいあくま』の口調を演じられるのもあり、はやては秋雲の親友であると同時に、麻雀でプロ級の腕前である。(次回のコ○ケはジャンヌも動員する計画らしい)

「英霊をコ○ケに動員するの、はやてと綾香さんくらいなもんだってば」

「いいじゃん。君だって、僕たちの世界の2012年位の時、白衣姿とかで献血の……」

「あ――!!恥ずかしい〜!」

「確か、その頃に大学4年ののび太くんがポスターもらって、押し入れに貼ったとか」

「……分かるよ?分かるけど!当人居るんだから、当人と写真撮ろうよ!?」

「のび太くん、環境省の試験控えてたから、切羽詰まってたみたいでね。あとで『本人と写真取ったほうが良かった』とか言ってた」

「怒るべきか、黙るべきか……」

「しずかちゃんとの婚約がなるかならないかの瀬戸際だったし、許してあげなよ。のび太くんが人生で一番苦労したの、高校卒業から大学までの期間なんだし」

のび太は老年期の彼自身いわく、青年期の高校卒業から大学卒業〜就職&結婚までの時期が人生で一番に苦労したとのことで、老年期は悠々自適の生活を送っているが、青年期のある時期はドラえもんとの別れも経験するため、のび太にとっては苦難の時代である。調はその時期も野比家を訪れ、ドラえもんと別れた後ののび太を支えた事から、のび太の子『ノビスケ』からは『調ねーちゃん』と呼ばれ、すっかり親戚扱いである。これはのび太の妹扱いが定着していたからで、しずかとの関係も良好であるので、野比家に滞在する機会はのび太が青年期を迎え、経験を経験しても減ることはない。調はのび太青年期以後は、かつてのドラえもんの役目を所々で受け継いだ事になる。これはなのはやフェイトも同様だ。

「うーん。ドラえもんが帰ると、私達が役目を引き継ぐからねぇ。しゃーないか」

フェイトは自分を納得させた。のび太の家にドラえもんがいるのは、大学を卒業する2012年までである。その後にのび太を見守る役目を自分達が引き継ぐことになるのは分かっている。のび太が過去(1997年頃)、ウソ800を使って引き伸ばしたドラえもんの滞在期間はそこまでだったということになる。後の野比家の記録によれば、ドラえもんがのび太のもとに来たのは『1997年の新春』。別れたのが『2012年の春』とされる。のび太の結婚式はその年のジューンブライドであった。なのは/フェイト/調の三者はもちろん、のび太の結婚式、就職祝い、しずかの出産にも立ち会っている。また、任務で多忙な黒江も、統括官就任のタイミングがのび太の結婚式に重なり、ブルーインパルスを自分の権限で動員している。その一番機は在籍経験と地位を使い、自分で動かすなど、粋な計らいを見せている。(当初は当時の在籍者に任すつもりだったが、自分で乗ることになった)

「まー、綾香さんもブルーインパルス飛ばしたそうじゃない。のび太くんの結婚式」

「ああ、あれ。自分で編隊指揮したみたい。当時の現役の幹部が反対したみたいで、自分で飛んだとか」

「それ言ったら?」

「綾香さん、11年まで本当にいたから大丈夫だったみたい。教導群がそれで招聘したとか」

「なるほど」

黒江は教導群在籍と統括官就任は重なっており、統括官の任務が定まるまでは、教導群の度重なる招聘に応じ、教導群に在籍していた。これは統括官の任務が正式に定まるまでの期間限定という名目だが、なんだかんだで教導群が手放さず、統括官として始動した後も教導群にいた時間があるほどの在籍期間だった。元の世界では、所属が64Fに固定されているための措置であったとも言える。また、統括官のポストができるまでは、『第1航空団』司令に推されていた。しかし統括官ポストが出来、その就任が内定すると消えてしまった。正式にポストが作られる数年前の話だ。それが2010年。就任そのものは2012年とされるが、実際はウィッチ用のポストの新設で、それも兼ねるとされたため、書類上はその4年後からの任期になっている。そのため、扶桑に通達されたのがダイ・アナザー・デイ作戦の最中となり、タイミング的には日本連邦の始動時となった。黒江は12年当時は統括運用準備室の室長と教導官を兼任しており、ブルーインパルスをのび太の結婚式に飛ばせる権限を持っていたが、現場の幹部から『無茶だ!』と反対されたので、自分が一番機に乗り、のび太の結婚式場の上空で曲技飛行を行った。黒江は前年の春頃まで本当にブルーインパルスに在籍していたため、曲技は楽勝であった。のび太の門出を祝うため、黒江が見せた曲技飛行はアメリカのブルーエンジェルスやサンダーバーズも驚く場所で行われたため、全世界の曲技飛行関係者のど肝を抜いたという。当初、航空自衛隊は処分も検討したが、祝った相手が、当時に扶桑で英雄視された日本の少年が成長した姿と分かり、取りやめたという記事が2013年に載せられた。黒江は国交省などに根回しは済ませていたので、法的には問題ないが、当時の野党が問題視した。しかし、当時は扶桑での日本人観光客の粗相が問題視されていたため、すぐに萎んだのである。黒江が動員したのは、ブルーインパルス在籍経験があるウィッチ達。しかも、使用機は扶桑で用途廃止になっていた『キ43-U』ストライカーと零式ストライカーである。ウルトラライトプレーンに等しい同機の飛行は、日本で消えようとしていた『霊力部隊』の元隊員に存在の公表を決意させたとされる。また、黒江がウィッチとしての自分を見せた事も元隊員達に勇気を与えた。また、その少し前、その少し前に愛宕山の放送博物館の倉庫から朽ち果てたレテ-1型試験機(ストライカー)が発見され、扶桑側の調査でストライカーの試作機であると判明、日本政府が調査に乗り出し、黒江がその運用予定部隊の生き残りと面会が叶ったのは、のび太の結婚式の数週間後の梅雨の日であった。その生き残りの一人であった人物は元・分隊長であった少尉で、2012年当時は90を超えている老婆であった。家柄は戦後に没落した旧華族であった。年の割には若々しく、当時、黒江が扶桑陸軍在籍経験者である事は有名になっていることもあり、黒江へ陸軍式の敬礼をしてみせた。黒江も答礼し、老婆の子や孫、曾孫はここで自分達の親(祖母)が軍隊経験者であると分かり、腰を抜かした。東條英機が作らせた部隊なので、当然、陸軍所属の部隊であるのだが、東條が戦犯になったこともあり、当時の人間は東條が関わっていた計画であるレ計画と、霊力部隊を葬り去り、箝口令も出していた。その事もあり、彼女らの『日本軍初にして、唯一無二の女性軍人』という経歴はこの時を以て、日の目を見た事になる。


――2012年 日本 ――

「君は秘匿名『零』部隊の元分隊長で、階級は少尉。間違いないか」

「ハッ、大佐殿。認識番号は……」

面会した黒江に認識番号を言う老婆。家族の間で『華族だった頃が忘れられない』とさえ揶揄されていた彼女にとって、70年早く出会っていれば、轡を並べたかも知れない(老婆の生年月日は1922年で、実際は黒江の年下に当たる)人間。若かりし頃は美貌で鳴らし、現在の曾孫と瓜二つの容貌であった身としては、長年秘匿し続けた経歴である『陸軍少尉』に立ち戻っていた。

「それじゃ、タンスに仕舞われていたあの軍服はお父さんのじゃ……」

「私のよ。お父さんは軍隊に行ったけれど、海軍だったもの」

60代後半の娘の絞り出すような声に頷く彼女。彼女は40年代の日本女性としては長身に入る身長165cmで、男性に見劣りしない。家が没落する前は男爵の家柄だったため、もし、華族が存続していれば、華族に嫁ぐ予定だった。亡くなった夫と戦後の見合い結婚で結婚したのもあるが、彼女は家が没落した後も華族気分が抜けないため、子からは疎まれていた。彼女は4人の子を儲けたが、自らが若かりし頃に有していた素養は受け継がれなかったので、素養を有している孫と曾孫を溺愛していたが、子が長じると疎んじられ、腫れ物扱いだった。しかし、彼女が有していた素養は日本連邦の時代を迎えたこの時代に見直されたわけだ。『華族』として教育され、軍隊で愛国ヘ育を受けたため、『家の恥と成るような事は〜』と始まるお説教が子に嫌われたが、自らは親と祖母にそうやって育てられ、職業軍人だった入婿の父親からも『お国のため』とヘ育されたため、アナーキズムに傾倒し、奔放に生きる子供達の姿を嫌ったためである。孫や曾孫の事は溺愛していたものの、滅多に会えない日々だった。曾孫は彼女の生き写しと言えるほど、隔世遺伝でよく似ており、自衛官志望であると聞いた時は喜んだものである。

「君は戦後、家が没落した事を受け入れたのか?」

「それは天命と思っております。華族でも、高位の方々は地位を保てましたが、我が家は所詮は男爵家に過ぎません。父も公職追放されておりましたし、受け入れています」

「君が有していた素養は、東條英機大将閣下が見出されたと聞いたが」

「ええ。戦中の頃にお会いした閣下は戦後の評判と違って、人当たりのよい方でした。閣下は自ら、サイパン陥落の責任を取り、戦局を覆すため、禁を犯すとも言っておりました」

東條は石原莞爾と違い、帝国が持つ力だけで米国を打倒せんとしたが、マリアナ沖海戦の連合艦隊の大敗北で考えを変え、オーバーテクノロジーの解禁や、戦国時代以前の文献から掴んだ『姫武者』伝説の真相にたどり着き、魔力を霊力と解釈し、その素養がある者を集めた。その内の一つが零部隊であった。東條は『手遅れ』である事は悟っていたが、本土決戦で一矢を報い、皇国を120万の敵兵諸共に散華させるという思想のもと、研究や編成を行わせた。それは彼の後任者らも続けさせ、坊ノ岬沖海戦寸前に『まほろば会』がまほろばを完成させた。しかし、それらが具現化してきた段階では連合艦隊は崩壊し、沖縄も落ちるのが時間の問題とされるほどに戦局が悪化。まほろばが坊ノ岬沖海戦に参戦したが、大和の沈没で艦隊が反転、失敗に終わった(まほろばの事を知らされた水雷戦隊は怒り狂ったとも言われる。その反省でラ號が完成の暁には、連合艦隊旗艦となるとされた)。それに至り、終戦を決意した首脳部の良識派にとっては、主戦派の心の拠り所となるラ級とまほろばを終戦までに葬り去る決意をした。それが坊ノ岬沖海戦がもたらした、大日本帝国の奉送と言える選択だった。それは成功したが、沖縄の人々に『見捨てた』とする認識を植え付けた。実際はまほろばと大和という貴重な稼動状態の二隻を送っているのだ。戦後の軍事評論家の間では、いくら大和とまほろばが共同で動いても、1000隻近い連合軍に打ち砕かれるのがオチとされるが、まほろばの力であれば、単艦でアイオワ型戦艦の全てを返り討ちにできるとされると試算されており、実際、まほろばの砲弾は一発でアイオワのあらゆる箇所の装甲を一撃で貫く。当初の目論見では、大和を後衛にまほろばが突っ込み、戦艦と重巡をまほろばが排除し、大和が50万の敵兵を吹き飛ばす算段だったが、51cm砲弾の製造が遅延し、坊ノ岬沖海戦当時の製造数はわずか四斉発分。戦後に神宮寺大佐が46cm砲にラ號の主砲をダウングレードさせたのは、砲弾の数が揃えられるからだった。

「東條閣下は官僚でありすぎたかもしれん。あの方は官僚軍人でしかないからな。君を見出したのも、帝国のためだろうしな」

「君の力だが、日本連邦のために使える用意があるのなら、我が日本連邦軍が全てを整えよう」

「しかし大佐殿。こんな老婆に……」

「ある方法を使えば、君の体を絶頂の頃に若返らせる事ができる。例えるなら、曾孫さんと同程度まで。家族のことは心配しなくて良い。この書類にサインさえしてくれれば、君の昔年の地位と軍人としての名誉も元に戻そう」

黒江はこうして、かつての帝国陸軍の『零部隊』の隊員を発掘しては、自軍の戦力に加えていく。書類は正式な日本連邦軍への入隊(扶桑軍)書類であるので、問題はない。扶桑で手柄を立てれば、家の再興に繋がり、孫や曾孫に迷惑がかからない。そう考えた彼女は書類にサインし、そのまま黒江に同行、10代後半にまで若返り、扶桑軍の少尉になって、64Fの『若手』となるのだった。(華族の地位も、扶桑で改めて得れば公的に名乗れるが、それはどうでもよく、どちらかと言うと、戦後に堕ちた家の評判を戦前の状態に戻し、軍人として金鵄勲章を得たいというのが目的だったが。家は子や孫が切り盛りするだろうと考え、彼女は扶桑で軍人として生きる事を選択し、古ぼけた陸軍軍服を持参して措置を受けた。これは本来、軍人として国に尽くせるはずが、敗戦で記録が闇に葬られ、軍人恩給ももらえない(吉田茂が配慮し、遺族年金という形で部隊員には与えられていたが、恩給ではない)状況に陥り、軍人であったことも話せない、信じてもらえないという戦後世界に嫌気が指していたのもあった。彼女が扶桑に赴いたのを期に、元・零部隊員が次々と扶桑行きを志願する事となる。これは日本側を驚かせた。旧軍が一時期でも、女性を雇用していたという事実は世の旧軍へのイメージに打撃を与えるには充分だった。しかもかなりの高待遇であった事は、戦後日本には衝撃である。(奇しくも、扶桑のウィッチと同様の階級に遇され、異例の高待遇だった)日本での吉田茂の新発見の文章、東條の遺書にはっきりと『零部隊員は我らが戦後のために殺したも同然』(吉田)、『私の都合で集め、葬る事になった者に手厚い手向けを…』(東條)と記されていた事から、零部隊は素養がある女性ならば、身分も学歴も不問であり、戦後自衛隊よりも解放的であった事になる。これが判明した後、日本では賛否両論を呼んだ。零部隊は東條が部隊員選抜に深く関わっていた事から、『東條の私兵』、『武装SSだ!』というトンチンカンな主張も飛び出したが、実際には零部隊の編成は東條の失脚後のことだ。しかも、決号作戦の決戦師団に組み込まれていたことも判明し、零部隊は本土決戦の暁には100万の敵兵を葬るため、超人機と共に投入される予定であったが、神社などの巫女の跡継ぎも相当数選抜されていた事から、その戦死によるお家断絶を昭和天皇が恐れたからという記録も発見された。昭和天皇が遺族年金を予定より増額させたと伝わるのは、自らの家族への配慮が零部隊の死に場所を奪ったという責任を感じ、それを吉田に漏らしたともされる。零部隊はこうして、解散から70年もの月日を経て、『国家に翻弄された女性達』というタイトルでの番組が作られた。当時の部隊付将校だった男性らのインタビューも交えたその番組は、零部隊という『死に場所も無くし、名誉すら葬られた悲劇の部隊』があったという事を知らしめた。元・宮内省関係者もインタビューで『陛下は巫女達が死ぬことでの儀式のノウハウ喪失を非常に恐れておいでだった。退位すると、マック元帥に漏らしたのも、彼女達への償いのつもりだったのでしょう』と述べた。番組はドキュメンタリー番組としては異例の高視聴率をマークし、彼女達へ瑞宝章を与えるという話も出るほどに世論を盛り上げた。昭和天皇にとっては、226事件に次ぐトラウマとなったようで、歴代の防衛庁長官に『女性自衛官を増やせ』と言っていたのも番組で判明した。昭和天皇は零部隊の事を死ぬ間際まで気に病んでいたのだ。そして、『東條が……せめて話してくれていれば、私が直接、部隊に命じていたのに…』と今際の際に呟いたのも分かった事で、昭和天皇が事の全てを知ったのは敗戦後の吉田との話し合いでの事だった事、自分が何をしでかしたかを悟り、深く後悔した事も分かった。全ては『軍機』がもたらした悲劇だった。零部隊という歴史の闇に葬られたウィッチ部隊に、扶桑皇国という国の存在が再び、彼女らに光をもたらしたのだろう。彼女らは太平洋戦争に扶桑軍人として従軍、日本の旧華族であった者は扶桑皇国の華族として、結果として、かつての地位と立場を取り戻した。中には現存しているが、人手に渡った旧邸を買い戻す者も出たという。この時を以て、日本連邦は扶桑皇国の華族の存在を事実上容認したと言われる。華族や旧皇族が現在進行系で過去の地位を保持する『皇国』の存在は、日本左派から敵視されていたが、左派にもはや力は無かった。連邦化したと言っても、国家運営は別々であるし、扶桑は明確に立憲君主制となった他、戦前日本が理想的に民主主義国家になれたらこうなるという結果そのものである。(戦前日本もビスマルク帝国ベースの立憲君主制だったが、第二帝政の欠点が太平洋戦争で裏目に出たため、戦後はアメリカになろうとしたが、結果としてイギリス風に落ち着いた)扶桑の昭和天皇はなるべく権限を使わないようにしてきたが、連邦結成後、同位体の事で日本から文句が出まくったことや、度重なる軍部のクーデターにより、とうとう自分で動く羽目になった事が幾度もあったため、レイブンズを忠臣と高く評価し、重宝している。(それに仕える黒田もお気に入りらしく、黒田家お家騒動に介入するほどであるが、これは華族の醜聞が報じられ、日本の左派に華族の解体という大義名分を与えないようにするためであった。黒田家は日本では円滑に当主がこの時代は継承されたが、扶桑では、当主の孫であり、ゆくゆくは後継ぎと言われた黒田風子にウィッチの才覚が無かった事が全ての発端であり、分家筋の邦佳がレイブンズに仕え、自らも扶桑切っての撃墜王として名を馳せている事が黒田家に亀裂を走らせた。黒田は今回は吉田茂と昭和天皇という、扶桑の最高権力者の介在を早期に行った事、前史よりも自分の武功がある事を活用した。黒田は『私を風子の養子にすれば?当代は風子で良いじゃない?次代は風子の子供次第とかで』、『それにふだんから家の事に手をつけられない人間が当主である意味は無いと考えるけど?』とドライな対応を取ったが、風子が事の次第を知ると、父に激昂し、相続権を放棄すると言い出し、遂には責任を取ると自殺未遂をしたため、結局は邦佳が当主の座につくことと相成った。黒田は不本意ながら、今回も黒田家の当主に就任したというわけだ。(風子がそのまま相続権を放棄してしまい、嫡男も廃嫡されたため、邦佳しか継承権がなかった)



――話は戻って、ドラえもんとフェイトの泊まっているスイートルーム――

「あー、そりゃご愁傷様。今回も当主に?」

「そーなんだよ。逃げを打ったら、ふーちゃんが腫れ物扱いにしてきた親父に復讐し始めちゃって、じっちゃんは廃嫡を宣言して、もう大パニック。それで仕方がなく」

ドラえもんと電話で話すのは、当の黒田だ。今回もてんやわんやで当主を継承しており、風子は肺結核にはかからなかったが、今度は自分を政治的に利用する駒としか見ていなかった父親への長年の復讐心に火がつき、自傷行為、相続権放棄、自殺未遂のコンボを叩きつけ、父親も廃嫡という最悪の事態となり、黒田家は大パニックとなった。パニックは黒田が風子を養子にする事で収めたが、この事は黒田家に大きな政治的ダメージを与え、伯爵への降格すら検討された。黒田はこうした状況から、家を立て直す事が当主としての使命となり、自らの武功で降格の話をまずは打ち消した。慈善事業の推進、百貨店やコンビニエンスストア事業、通信事業への出資は黒田自らが推進させた事業だ。

「まー、川滝はウチの影響下だから、そこそこは収入あるんだけど、政治的に大ダメージ受けたから、慈善事業でイメージ回復図らないと。日本の同位家からも文句きてるからさー」

「ん?川滝って、日本でいう川崎重工業ですよね?」

「それさ、先輩に言われたばっかだよ」

「あ、やっぱり」

黒田は黒江から、オートバイ事業を始めろと言われたばかりだと、ドラえもんにいう。川崎重工業は戦後、オートバイ産業でかなり儲けており、黒田もいずれは黒江のために、手を広げるつもりだったが、黒江当人から発破をかけられたらしい。日本の軍需産業が進出してくるため、軍需産業は今までの寡占状態では無くなる事から、オートバイ事業は影響下の川滝を生き延びさせるための切り札であった。

「先輩が『モトキチ』だから、それは前々から考えてたんだけど、予想以上に日本の軍需産業の進出が早いから、交渉を急いでるよ」

この頃、日本の軍需産業が自衛隊の使用機の再生産のため、南洋島に進出してきており、扶桑の軍需産業よりも高い製造精度を売りに、利益を上げていた。これで長島飛行機が窮地に陥った。せっかく戦略爆撃機の製造で持ち直していたのを、日本が21世紀の基準で航空機を製造してきたため、打つ手がなかった。それを日本のスバルが救うという展開もあり、長島はスバルとの業務提携後に、軍から委託された『F-14改』の製造に取り掛かる。これはトムキャットの単座型で、ノースロップ・グラマンも驚きの代物だった。扶桑海軍はF-4EJ改艦載型が生粋の戦闘機乗り達に不評な事から、事大の艦上機に単座型を要望した。しかし、内定していたトムキャットは単座ではない。前線のパイロットは複座戦闘機に戦前期のような『偏見』があり、F-14が敏捷性を見せつけても、複座を理由に嫌がった。しょうがないので、長島は日本で戦闘機の設計ノウハウを有する三菱重工業に援助を依頼、こうしてた、トムキャットはノースロップ・グラマンとの三者の共同作業となった。作業は現存するD型をベースに進められ、64Fが独自に用意したものを除いたそれの試作機の初飛行は47年の秋となり、48年度に生産開始、部隊配備はその年の夏と、異例のハイペースだった。これは扶桑軍が質的優勢を保ちたいがために生産を急がせたからだが、艦上機乗り達はありがた迷惑とも噂した。艦上機が数年で何世代も代わるのはパイロットとしては困るからだ。日本側がこれについては主導権を握っており、艦上機の世代交代はトムキャットで落ち着くとは言え、数十年分の進歩を数年で行ったわけだから、パイロットの苦労は大きい。これについては、練度低下した扶桑海軍を機体の質で補うという思惑もあってのことだが、いかんせんハイペースだった。根底にあるのが、日本の軍事関係者に植え付けられている、史実の米国の開発能力と、烈風が完成した頃には、紫電改や烈風でも太刀打ちできない『F8F』の配備段階に来ていたという開発能力の差というトラウマである。実際のリベリオンはそのF8Fの配備が先延ばしされ、実際はF6F/F4U初期型がやっと行き渡り始めた所であるため、杞憂にすぎた。烈風や紫電改であと数年は大丈夫だが、ダイ・アナザー・デイで試作機が動員されたのを鑑み、絶対的優勢の確立のため、第4世代にまで更新しておこうというのが日本のアイデアだった。

「海軍なんて、艦上機がもうトムキャットだよ?オーバーだと思うんだよね。ウィッチ閥いるから、史実のスピードで造れるわけがないと思うんだ」

「どういうことです?」

「先輩が元テスト畑だから聞いたんだけど、ウチの世界は『ストライカーで開発して通常の戦闘機になる開発』だったんだ。今は逆だけど。九六式が九九式になってたのがその証明なんだ。で、零戦がその後すぐに制式採用されてる」

「なるほど」

「更新の必要が薄かったから、戦闘機はそこで実質止まってたんだ。だから、五式の対抗馬があんな新機軸満載の仮想戦記臭のになったわけ」

クーデター事件で使用されたキ99は仮想戦記ならば量産されていたであろうレシプロ機最強の機体だった。18気筒2列空冷星型エンジンをタンデム2基搭載、4翅の二重反転プロペラ、推力式単排気管、排気タービンと、どこかぶっ飛んでいる機体であった。しかし、ジェットまでの繋ぎの立ち位置に、整備に熟練者が必須の機体を採用するはずはなかった。コンペに納得しない設計主務者とテストパイロットの台場大尉がクーデター軍に与し、烈風/紫電改を圧倒したが、VF-19に追従せんとして、急降下で空中分解を起こした『衝撃降下90°』はその場に居合わせたため、黒田にも忘れられない出来事となった。確かに、同機はジェット戦闘機を除くなら、P-51Hよりも優速と、日本機特有の高機動力で最強に君臨できたかもしれず、空中で散華する寸前、台場大尉は黒江に敬礼をしながら死んでいった。その時の勇気と、笑顔で死んでいった姿は、黒江と黒田に多大な影響を与えることとなり、戦後に空中分解した場所の下に二人の手で、台場大尉の慰霊碑が建立されたという。

「いずれ、あの大尉の慰霊碑作ろうと思うんだ。レシプロで音速に挑んで死んでいったから……」

「ザ・コクピット思い出すなぁ。僕も協力しますよ」

ドラえもんは黒田がどこから電話をかけてきているかは気にも留めなかったが、実は補給の合間に空母からかけていた。黒田は意外な事にマルチスキルの持ち主であり、VF乗り、MS乗りなどを兼任しており、被弾率は64Fきっての低さを誇っている。その事から、補給の手間が64で一、二番にかからない。黒江がシールドや装甲の取っ替えで、再出撃の頻度が低くなっているのは対照的だ。黒江がAVFを好むのは、17よりも装甲強度があるのと、整備時間が短縮されているという、運用上の利点もあるだろう。最も、黒江は19を整備に回したら、25/29で再出撃したり、31も最近は使用し始めている。したがって、回転率そのものは黒田とそれほど違いはない。

「あ、そろそろ再出撃だから切るね」

「どこからかけてるんですか?」

「欧州にいるマクロスツーサード級の空母から」

「流石」

「あ、そこにフェイトいる?」

「映画撮影の合間に呼び出したんで、今は昼寝してます。バリアジャケット姿で」

「そっかー」

「起こしましょうか?」

「いや、預かってた22のオーバーホールが終わってるって言えばいいよ。寝てるのを起こしちゃ悪いし」

「あ、予備機に武子さんが買っといた171EXを予備に回します?」

「それだ!隊長に後で意見具申しておく。フェイトに言っといて」

「わかりました〜」

「それじゃ」

電話が切られる。ドラえもんの横には、ベットで横になっている、ブレイズフォーム姿のフェイトの姿があった。9歳当時の容姿に戻っているので、外見だけ見れば、子供そのものである。寝息を立て、寝言をムニャムニャ言っている辺り、心が肉体に引っ張られている証拠だろう。バリアジャケットを解除しないのは一時期の調と同様の理由だ。しかしながら、ミッドチルダでは、映画用のエクセリオンフォームのなのはが、休暇が取れなかった事を青年期以降の荒い口調で愚痴っていたりするが、口調が荒いので、ヴィータが窘めるという光景が繰り広げられていた。

「なんで休暇とれねぇんだぁ〜〜!!」

「落ち着け馬鹿!」

荒れに荒れ、若返っているのにやけ酒を煽るので、あのヴィータが窘めるほどだったという。未来世界行き後のなのはは口調や生活態度が荒くなったため、幼少期を演ずるのに恥ずかしさがあるのは、なのはのほうであった。当人曰く、23歳で『リリカルマジカル』と言わなくてはならない事から、撮影で苦労していると愚痴る。これはなのはが良くも悪くも成人している表れだった。そんな苦労をよそに、フェイトはドラえもんの横のベットで可愛い寝息を立てていた。



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.