狼姫<ROKI>
大河


同時刻、永劫の闇。
孤独と絶望だけが支配する、真の魔境。
人の邪心が流れ着く最果て。人の悪性が辿り着く奈落。

そこに、言峰綺礼はいた。

「―――ここは……?私は、なぜ……?」

切嗣との勝負の際、突然、何者かの声が聞こえてきたかと思えば、気づかぬ内に一瞬でこのような魔窟に転移させられていた。

只管に灰色の空、乾ききった大地、聳え立つ巨岩。そして、空気のように流れていく魔界文字。

「まさか…………魔界―――ッ!?」

魔獣ホラーたちの生まれ、育ち、そして蠢く世界。
今まで人間というカテゴリーにおいて魔を戒める者しか入ったことのない世界に、神秘と教義の恩恵を持つ男が意図せず訪れたのだ。

「どうして、私が……?」

立ち上がる綺礼。
左右、前後、天地の全てを見渡し、自分の置かれた状況を確認する。

いや、確認などして何になるのか。

ここは魔界。帰り道など分かるわけがない。
仮にわかったとしても、自分には出ていく手段がない。

「……く……ッ」

代わりに出てくるのは悔恨の声だけ。

何故こうなった?どうして自分一人が?衛宮切嗣はどこへ?

この異常事態による心労を少しでも紛らわせるように、綺礼はさきほどまで取り組んでいたことを思い出した。
衛宮切嗣という男との闘いを。
そして、謎の声が聞こえてきたと思えば、何時の間にかこの魔窟へと連れ込まれていたのだ。

漸く此方に来させられたか(ヲルハスソキマイソタテマメカサ)言峰綺礼(ソコニエシメリ)
「―――ッ!」

そして、彼の背後から聞こえてきたその声は―――――

『ククク……貴様の真実を教えてやろう(シタナオチユヂクヨロチレケワモル)






*****

冬木市、深山町。

――ドサッ――

「ぐ……ッ!?」

その住宅街の中にある古びた武家屋敷じみた平屋。
その敷地の中の広い庭に、誰かが落下してきた。

「ん……此処は、確か買い取った拠点……」

落ちてきた男の名は衛宮切嗣。
言峰との闘いの最中で何物かの介入をあい、ここへと転移させられてきていた。

「あの声……いや、言葉は現世のものではなかった……」

そう。奴が述べていたのは魔界語。
魔術師でもそう滅多に耳にしない魔界特有の言語といえる。

(奴が一体……何が目的で……)

立ち上がり、腕を組んで考えてみる切嗣。
しかし、そこでふと思い出したことがあった。

「言峰は……、奴はどこへ……!?」

先程まで戦っていた宿敵の姿が見えない。
もしかしたら別の場所に飛ばされた可能性もあったが、念には念を押して、切嗣は周囲を見渡した。
安全を確認すると、切嗣は大きく息を吸い込み、そして吐き出すことで冷静さを取り戻そうと努める。

そうして、意識を鎮めたところで、懐に手を入れてケータイを取り出した。
機械的なまでに無機質ん動きで番号を押していき、受話器を耳にあてる。

「―――舞弥、僕だ。今すぐ状況を確認したい」






*****

未遠川の河口。
そこではセイバーがアイリスフィールに、先程輪廻と話したことを報告していた。
聖杯を破壊するという目論見とそれについて会談したいという二点を。

「……まさか……そんな……」
「信じられないお気持ちは解ります。しかし、彼女らは何かを知っています」

そう。この戦争の根幹に関わる一大事に。

「そうね、わかったわ。……明日、キャスター陣営と接触して少しでも情報を得て頂戴」
「承知しました」

アインツベルンのホムンクルスとして、切嗣の願いに賛同する者として、一刻も早く事態の全貌を掴まねばならない。
その為にも、セイバーを介してキャスター陣営のことを探る必要がある。
だが、

「……ねえセイバー。今夜はもう休みましょう?色々なことがあって、少し疲れちゃったわ」
「わかりました。ではすぐに車を出します」

セイバーは銀の鎧姿から黒のスーツ姿となり、河口の向こう側にある道路に停めてあるメルセデスに向かって走っていった。
しかし、

「―――――――」

―バタ……ン――

「ッ、アイリスフィール!どうなさったのですか!?確りしてください!」

突如としてアイリスフィールが糸の切れたマリオネットの如く倒れ伏す
セイバーは車に向かっていた足を素早く180度回転させた。

かけよる騎士。介抱される姫君。
それはまさに、伝説の中に登場する騎士と王女の物語とよく似ているように見えた。

尤も、言葉にするほど小奇麗なものではなく、これがセイバー達に襲い掛かる衝撃の前兆とは、今この場にいる者は知る由さえなかった。





*****

そして、キャスター陣営―――聖輪廻は。

「これから忙しくなるわね」
『うむ。セイバーとの一件は勿論の事、その後に控えた問題……やるべきことは山積しているな』
「ああ。毎度毎度、我がマスターの豪胆さには恐れ入る」

毎度のことながら、拠点たる龍洞へと帰還し、今後の事について話し合っていた。
当然、あれだけ前振りをしたのだから、聖杯に起こっている異常事態の全てを話すべきだろう。
尤も、受け入れてもらえるかどうかは別だが。

「可能なら、このままセイバーを味方にしたいんだけど……」
『真のマスターの方がな……』
「確かに、あの男と接触して説得するのは骨が折れるぞ」

切嗣の存在が三人の頭を悩ませていた。
あの現実主義と理想主義を混ぜたような男に、真実を聞いて耐えられる度量があるかどうかだ。
キャスターから聞いた話からして、意外にメンタルが脆そうだし。

「―――ま、とにかく明日、セイバーに会って全てを打ち明けるわ」
「……それしかないのか」
『場所は、確か穂群原学園の近辺だったな』
「えぇ。学校みたいに人の多いところなら、しかも昼ごろなら、ホラーも魔術師もバカ騒ぎは遠慮するだろうしね」

腕を組んでそう答えた輪廻。
夜は更け、朝が来る。
新たな騎士伝説の、夜明けが来た。





*****

日が昇り、地上を光が照らしだす。
その静かな空気からは、昨夜の事件のことなど幻想のようにさえ思えた。
しかしながら、

「―――はぁ……」

その静けさを今になって漸く得た者がいた。
彼の名は言峰璃正。
綺礼の実父にして此度の聖杯戦争の監督役をしている老神父だ。

彼はヘカトンケイルの一件で、協会と教会が総出で隠蔽工作を行う中、その仲介役となるべく絶えず鳴り響く受話器を取って指図をしていたのだ。
そして、日の出が見えた今になり、工場から流れ出た薬品の影響で多くの人々が幻覚を見た、病院に行くことを薦め、その病院には組織の人間をスタンバイさせる。
そうして一般人らの記憶に手を加えて、神秘の漏えいを最小限に抑えたのだ。

現役時代ならまだしも、今の自分は還暦をとうの昔に越えている身だ。
電話でのやりとりさえも、ここまで長時間になればそれ相応の疲れを伴う。

璃正は礼拝堂にある椅子に座り、ゆっくりと深く腰掛けた。
ここにきて身体はやっと疲労から解放され、力を抜いて休むよう意識に呼びかける。
自然と落ち行く瞼。狭く、暗くなっていく視界を下がりゆく瞼が狭めていく。

「―――――」

一時間、一時間だけだ。
必ず一時間後には起床する。

仕事面の効率を考え、そう自分自身に言いつけると、そのまま落ちかけた瞼は一気に下がりきり、彼を夢幻の世界に導いた。
だが、

――トスッ――

何かが首筋に当たったかと思えば、次の瞬間には二重の睡魔に襲われ、璃正は声すら出せずに目を閉じた。
この分なら日が明けるまで目を覚まさないだろう。

尤も、それを待つほど、その男は気長ではなかった。
璃正が眠りについた直後、礼拝堂に正面から堂々と侵入して長椅子にて座り、眠りこけている璃正に近寄った。

めくられた璃正の神父服の右腕の袖。
その下には紅い刺青のようなものが、右前腕を覆い尽くさんばかりに印されている。
これこそが、過去の聖杯戦争の参加者らの遺産にして、璃正がホラー討伐に際して提示した報酬、預託令呪である。

「神は御霊なり。故に神を崇める者は、魂と真理をもって拝むべし―――」

ヨハネ福音書の第4章第24節の聖言が紡がれた。
すると、璃正の腕に刻まれていた多くの預託令呪の数々が消え、次々とその男の腕に浮かび上がってきた。
このようなことが起こるということは、即ち―――

「―――では、ありがたく頂戴させてもらいましたよ」

この男が、預託令呪のセキュリティとなっている聖言を知り得る人物という事になる。
生半可な信仰では聖書の一言一句の殆どを暗記することは出来ない。
それはこの男が生まれてから今までの人生の大半を宗教に浸らせてきたことを意味する。

「せめてもの情です。精々大人しく長生きしてください―――父上」






*****

日が顔を出し、空の上へと高く昇った翌日の昼前。
輪廻は一足早く穂群原学園の近くにある雑木林に来ていた。
季節が季節なので木々には葉は無く、心悲しい雰囲気が漂っている。

「…………」

――シュッ、シュッ――

自分以外に誰もいないこの場で、輪廻は黒鞘から日本刀型の魔戒剣を抜刀し、その刃で空気を切り裂く。
振るわれた白銀の刀身が煌めき、実戦で鍛えられた独特の型をより冴え渡らせている。
また、身体が動くたびにロングヘアの黒髪が揺れ動き、輪廻の流麗なる美しさを際立たせていた。

輪廻からすれば暇潰しの簡単な稽古なのだが、余人からすれば真剣を用いた高度な舞踊に見えただろう。
それだけ彼女の美貌と剣の腕は優れていた。

『マスター』

と、その時、左手の中指に収まっている魔導輪のヴァルンが、縦長の一つ目を瞬きさせながら主人に呼びかけた。

「ええ、わかってるわ」

魔戒剣を黒鞘に納刀すると、輪廻はゆっくりと回れ右をした。
視界にはこちらへと向かってくる小さな人影。漆黒のダークスーツを纏った金髪の人物。
一見すれば凛々しい美少年に見えるだろうが、実際は美少女であることを見抜けるものはそういないだろう。

「こんにちは、セイバー」

輪廻はこちらに歩み寄るセイバーに簡単な挨拶を投げかけた。

「意外と早かったわね」
「はい。此方としても貴方がたの話は、重要極まるものですから」

冷静さを装っているが、その実、セイバーには焦燥の念があった。
当然だ―――今や守るべき対象であるアイリスフィールが突如として倒れ、土蔵の魔法陣で横になっているのだから。
その原因もきっと、目の前にいる女騎士に尋ねれば解るはずだ。
セイバーはそう信じて、今ここにいるのだ。

「単刀直入に言います。貴女達は聖杯について、どこまで知っているのですか?聖杯に、何が起こっているのですか?」
「…………まずは、そうね。今から60年前の過ちから話すことにしましょうか」
「60年前……第三次聖杯戦争の?」
「そう。これはウチのキャスターから聞いた話なんだけど―――」

そして、輪廻は語り出す。
知られざる真実を、知ってはいけない真実を。
許されざる思惑を。闇色に染まり果てた祈りを。

眼前の、聖なる騎士たちの王へと、告げた。





*****

一方その頃、例の平屋の土蔵では。

「…………」
「―――――」

一組の男女がいた。

片や魔法陣の中で横になった銀髪の貴婦人。
片やそれの傍についている一人の男。

アイリスフィール・フォン・アインツベルンと衛宮切嗣。
夫婦たるこの二人は、満足に言葉も交わさず、ただただ同じ場所にいる。

本来ならかける言葉があったはずだ。
身体を気遣うもよし、雑談で気を紛らわすもよし、懸命に看病するもよし。
だが、切嗣は敢て、見守っていた。

身体を気遣う?
それは彼女の覚悟を無にする。

気を紛らわす?
それが済んだ後はどうする。

懸命に看病?
その程度ではどうにもならない。

だからこそ、切嗣はただただ最愛の妻の傍にいた。
それだけが、今の自分にできることだと信じて。

「……切、嗣……」
「……アイリ」

名を呼ばれ、名を呼び返した。

「切嗣、お願い……」

途切れ途切れになりながらも、アイリスフィールは必死に言葉を紡いだ。

「私はもう、此処からは……足手まといに、なる。……だから、これを……」

アイリスフィールはもうろくに力の入らない手を動かし、自分の胸の前で翳した。
すると、アイリスフィールの胸の奥から僅かに金色の煌めきが現れ出したのだ。
光はどんどん強くなっていき、そして彼女を起点に周囲を照らし出すまでにいたった。

そして、遂にそれは現出した。

「……聖剣の鞘(アヴァロン)……」

金と青で彩られ、神造兵器の証たる精霊文字が刻まれた大型の鞘。
それこそがこの鞘の正体。
セイバー召喚にあたって触媒となった、伝説の宝具。

戦略的理由でアイリスフィールに預けられていたそれは、遂にセイバーのマスターである切嗣に託されたのだ。
切嗣が鞘を受け取り、今度は自分の体内へと収められていく鞘。

「アイリ、僕は…………」
「そんな、顔、しないで。……大丈夫。私は、信じてるから」





*****

???

『まったく、相も変わらず周到な奴だ』

どこかさえ判らぬ場所で、孤高の騎士がボヤいていた。

『サーヴァント共の魂は今や暗君の物。だが、器の方には―――』

騎士は両腕を組みながら人界の様子を覗いているらしい。

『オレからは何も出来んし、そのつもりもない。故に―――』

騎士はごく自然にそれを口にしていた。

『ヒトの力、今こそ見せてもらうぞ』


孤高の剣士として、一人の騎士として、その言葉は静かに響いた。




*****

所戻って、穂群原学園近辺の雑木林。
そこには二人の美女が、渋い表情で対峙するかのように佇んでいた。

「う……嘘だ……」
「事実だ。受け入れろ」

いや、そこにはもう一人。
白髪の頭に褐色の肌、赤い外套を纏った青年の姿もあった。

「何故だキャスター?何故貴方はそこまでのことを知っている?ただの英霊が、そのような……」
「生憎、自慢じゃないが俺は他の誰よりも聖杯戦争と縁のある者でね。昔も、そして今も」

そう。キャスターが聖杯戦争というものに関わった回数は大きく分けて三回。
思い出すこともできない日々に二回、そして今生の一回。
彼にとって聖杯戦争とは、忌むべき物であると同時に、今の自分を形成するにあたり必要不可欠なファクターでもあった。

「兎にも角にも、セイバー。今話したことは全て真実よ。……聖杯は―――穢れた器の中身を零してはならない」
「…………」

もう何も言えなかった。言いたくもなかった。
この陣営はだれよりも聖杯に理解していることを、既に認めているのだから。

「ならば、私は何のために……」

何のために契約したのか。
何のためにサーヴァントになったのか。
何のために戦ってきたのか。

わからなくなる。
認めてしまえば、

「私の願いは、もう……」

そして何より、望みは断たれた。
そんな聖杯に頼んだところで、その先にある結果は騎士王にとって極めて許容しがたいのだから。

ふとそこへ、輪廻が力強い口調でこう言い放った。

「セイバー。私たち騎士は、何のために騎士になったんだ?」
「え……?」

それなら答えるまでもない。
それは剣にかける誇りと情熱。
そして、守らんとする心だ。

だからこそ、女でありながら選定の剣を抜いた。
素性を隠したブリテンを治める騎士王となった。
円卓の騎士らから尊敬され、民からも慕われた聖君になれた。

そう、一重に……。

「私は、多くの人たちが、笑えるようにする。その為に騎士になったのだ」
「……えぇ」

輪廻はその答えを聞き、口から一言だけを絞り出した。

「その答えこそが、貴女の全てよ」





*****

同時刻、デューク・ブレイブは……。

『私は、多くの人たちが、笑えるようにする。その為に騎士になったのだ』

自分の昆虫のペンダントから聞こえてくる少女騎士の祈り。

「やっぱし、夢ってのはこうでなくちゃな。――だろ、ルビネ」
『はい。ロック』

小さな主従は新都のビルの屋上で、薄らと笑うような声で言った。





*****

同時刻、間桐邸にて、聖雷火と間桐雁夜は……。

『その答えこそが、貴女の全てよ』

蛇の腕輪から聞こえてくる紅蓮騎士の教え。

「流石、私の妹です」
「あぁ。本当に立派だよ」
『ま、そうでなきゃ吾輩としても面白くないからな』

吸血鬼と使い魔と魔導具。
この三者もまた、微笑むような声で言った。





*****

穂群原学園。
深山町に創設されたごく一般的な学校で、運動部関連に力を入れていることでそこそこは名が知れている(代わりに文系は不遇だが)。
ここには何れ、数多くの神秘に携わる者たちが在籍することになるのだが、今は置いておくべき問題だろう。
今現在、注目すべき事柄は―――

「ね、ねぇちょっと……」
「ん、どうしたの?」
「どうしたのっていうか、外……」
「外?」

校舎内の教室にいる生徒たちが異変に気が付き、窓から校庭の様子を目にした。
そこには、

「えっと……霧?」
「霧、だよね」
「さっきからあったっけ?」
「ほんの一分前までは、無かったと思う……けど」

先程まではもや程度にも存在していなかった濃霧であった。
何の前触れも前兆もなく、突然として言い様の無いスピードで出現した濃霧。
余りにも有り得ない。早朝ならまだしも、今は陽も高い時間帯だ。霧が発生すること自体、自然ではない。

それはつまり、

「っていうか、霧の奥から……」
「何か見えてくるような……!」

何者かが、故意に起こしたという事。
そして、このような真似ができるのは……、



『『『『『ギィィィィィィィィィィ!!』』』』』



魔物しかいない。



「「「「「――――――――――…………っ」」」」」



そして、次の瞬間には、校舎の窓という窓から、金切り声が響き渡った。





*****

『はぁ……』

濃霧に包まれた穂群原学園一帯。
霧の余りの濃さぶりに、右も左もわからない状態となっている。
まるで方向感覚を狂わされているかのようなので、もし穂群原学園に用がある者は、校舎にむかっているつもりだが、斜め方向や正反対の方向に足を進めている。

『気が進まんな。このような事をさせられるとは」

彼は片手から剣を表し、もう片手には濁った水を入れた器があり、器から零した水を刀身に浴びせると、水は途端に大量の霧となって周囲に散布される。
もっとも、やっている当人は至極不満そうだが。

『まさか、あの暗君め……オレを彼女たちと会わせない気か?』

銀灰色の騎士はそっと呟きながら、ポタポタと自分の職務を全うしていた。






*****

「お、おい!なんなんだよアレ!?」
「ちょっと、こっちに近づいてくるわよ!」

学園の生徒たちは混乱を極めていた。
当然だ。行き成り樹海のような濃霧で校舎一帯が包み込まれたかと思えば、今度は悪魔のような怪物どもが大挙して押し寄せようとしているのだから。
無論、怪物どもは素体ホラーだ。歩いて進軍する者たちもいれば、黒い翼で空を舞う者らもいる。
どっちにしろ、常人には受け入れがたい、一種の百鬼夜行といえる光景を描いている。

そして何より、学生たちを恐怖させたのは……

喰わせろ(スヤテモ)!』

その悪魔たちが自分たちに牙を剥いているということだ。

校舎から豪雨のように鳴り響く悲鳴の数々と、必死に逃げ惑う足音。
それらがピークに達し、ホラーの群れが校舎に辿り着きそうになった。

その瞬間、

「「させるかっ!」」

――斬ッ!――

十体近くのホラーたちが一瞬にして細切れになって消滅したのだ。

その理由は実に明白だ。

「やはりホラーの仕業か」
「真昼間からとは、奴らを甘くみていたわね」
『ヘカトンケイルの事といい、動きが全く読めんな』
「まったくだ。これでは秘匿も何もあったものではない」

セイバーが、輪廻が、キャスターが――それぞれ聖剣、魔戒剣、陰陽剣を構えていた。

「でも、今は愚痴ってる時じゃないわ」
「あぁ。今は戦う時だ」
「ゆくぞ、魔物ども!」

そして、

「「「ハァァァァァ!」」」

三人の刃が、有象無象の魔物どもを切り裂いていった。





*****

一方、

「いやはや、合流できて幸いでしたね」
「確かに、一人より二人のほうが、増援としちゃ心強いからな」

雷火とデュークはこの濃霧の中を共に疾走していた。
魔導輪から魔道具へと届いた音声によって穂群原学園の緊急事態を察知し、現場にかけつけたのだ。
もっとも、魔道具や魔導輪で伝えられるのは音声だけなので、こうして偶然合流できたのは本当に幸運だった。

二人の魔戒騎士は黒衣を棚引かせながら駆け抜け、一刻も早く学園に辿り着こうとする。
しかし、この方向感覚を狂わせる濃霧のせいで、校舎の位置にまで辿り着けない。寧ろ遠ざかっている感覚までしてくる始末。

『チッ、気に入らねぇなぁ』
『えぇ。この霧、普通ではありません』

魔導具たちもバツの悪そうな声で、この濃霧の異常性を訴えていた。
だがしかし、そこへ

『『―――すぐそこに邪悪な気配が!』』
「「―――ッ!」」

あらゆる気配を遮断する霧の中で、魔導具たちが声を張り上げた。
主たちはすぐさま足を止め、周囲を見渡した。

すると、

『ほ〜。つまらぬ雑務に勤しんでいたら、面白い客人の来訪か』

銀灰色の鎧、ボロついたマント、猛禽じみた兜。
紛れもなく、それは孤高のホラー剣士だった。

「また会いましたね、フォーカス」
「会いたかったぜ。この前の借りを返したかったしな」

その姿を視認するやいなや、輪廻は首飾りを、デュークは魔戒銃剣を構えた。

『いいぞ、その闘気。我が無聊の慰めには十分すぎるな』

両腕の籠手から魔双刃を伸長し、展開された。

「……おい、暗黒騎士」
「なんですか?」
「先に行け」

と、そこへデュークは雷火を送り出す、と発言した。
つまり、この場は単独で何とかすると。

「……いいいのですか?」
「へッ、可愛い妹さんが待ってるだろ?」
「ッ……ありがとうございます」

例え人外に、吸血鬼に成り果て、闇の騎士に堕ちても、雷火は輪廻という唯一の肉親を愛している。
それを汲み取ってくれた目の前の騎士に、雷火は軽く頭を下げ、

――ビュンッ!――

疾風のように去って行った。

そして、

――ブンッ!――
――スッ……!――

デュークの頭上で同時に円が描かれ、紫の閃光が迸った。

――グルル……!――

唸りをあげた紫電騎士・狼功―――双剣の刃が、一人の剣士に飛びかかった。





*****

所戻って穂群原学園の校舎。

「お、おい……あれ……」
「何か、変じゃねぇか……?」

窓から校舎の様子を覗いていた数人がそれに気付いた。
三人の何物かが、悪魔を斬り捨てていく様に。

「仲間割れ……?」
「いや、あいつらだけ人間っぽいぞ」

その瞬間、彼らの中で僅かな希望が湧いた。
まるでご都合主義の御伽噺のような流れだが、現れたのかもしれない。
闇を切り裂くヒーローが。

「でも、あんなバケモンと戦えるなんて、一体……?」

しかし、至極当然の疑念も生じる。
現実的な考えが、希望と並び立って存在していた。

その為、生徒たちは何もできないでいた。
先程の恐怖は幾分かマシになった。
今は泣き喚くこともなければ、動くこともない。

無知であるが故に、少年少女は、どうすることもできなかった。
だから、

『バケモノです』

他人の言葉を簡単に信じてしまう。

『校庭にいる者は全てバケモノです』

教室、体育館、校庭にあるスピーカーからは若い男の声が響いてきた。

『現在、我が校は正体不明の怪物に襲われています。学園にいる全員の力を合わせ、学園を守りましょう』

至極尤もな言葉が放送されていく。

『私は生徒会の人間です。さっきも言った通り、校舎の周囲には化け物がうろつき、挙句の果てこの霧のせいで外と連絡がつかず、我々は孤立無援の状態です。従って救援の方が来るまで、校庭にいる化け物を中に入れてはいけません!』

熱のこもった言葉だった。使命感に満ちた事だった。そして、芝居がかった言葉だった。

『奴らは我々を食べようとする恐ろしい存在だ。決して受け入れてはなりません!抵抗と拒絶の意思を、行動で示すのです!』

その演説は徐々にヒートアップしていき、平静なものが熱烈なものへと変わっていく。
熱は生徒たちに伝播していき、遂に一人の生徒が何かを窓から投げつけた。

「――イタっ」

投げつけられたのは学校指定のカバン。
戦っている輪廻の後頭部に、それが当たったのだ。

『机でもいい、椅子でもいい、ノートでもいい、カバンでもいい。一つ一つは小さくとも、それらは確実に彼奴等の戦意を削ぐはずだ』

それを皮切りに次々と生徒たちが自分の持ち物や学校の備品を窓から力いっぱい投げつけだした。
無論、校庭にいる全ての者への罵詈雑言の嵐を添えながら。

『皆で力を合わせて、化け物たちを追い払うんだ!』

放送室で悠々と聞こえてくるこの台詞の数々。
それは生徒たちに熱を、輪廻たちに虚しさを与えていた。

『これはまた……』
「仕方ないわよ。一般人からすれば、あっちもこっちも、同じように見えるんだから」

校庭で必死に剣を振るう彼らは、生徒たちの反応を当然として受け入れた。
元より、命を救うためとはいえ闘争という選択をしたのだ。
時としてはこういう事もあることは熟知している。それが今のような状況なら尚更だ。

「同感だ。第一、今は信じてもらおうとするだけ、時間の無駄だ」
「今は目の前の敵にのみ集中するだけだ」

キャスターとセイバーも解っていた。
だからこそ、歩みを止めず剣を振るい続けた。
こんなことなど、当の昔に味わっていると、過酷な人生を送った背中と太刀筋が物語っていた。





*****

同じ頃、雷火は―――

「ここが、穂群原学園ですか」
『ったく、この霧の所為で裏手から入っちまったぞ』

濃霧の所為で予想よりも遅れ、さらには邪気が大量に発生している校庭にも向かえずに直接校舎内に侵入を果たす結果となっていた。
すぐにでも校庭に向かい、妹を援護したいが、その途中で大量の生徒たちに姿を見られたらホラーだけでなく魔戒騎士の存在まで露呈しかねない。
しかも、魔道具を通して聞こえた演説の所為で学生たちの膨れ上がった負の感情は全て輪廻たちに向けさせらている。

まずはこの理不尽かつ不愉快な声を黙らせるところから始めねばなるまい。
雷火はそう思い、急いで黒マントを脱ぎ、近くにいる生徒に放送室の場所を聞き出した。
訊かれた生徒は見慣れぬ雷火に一瞬警戒したが、雷火は咄嗟に”裏手の雑木林にいたら霧と化け物の所為で外に行けず、ここへ避難した”と嘘を吐き、強引ながら生徒を納得させた。

そして、聞きだした放送室の前にやってくると、念のためにドアノブに手をかけて扉を開けようとする。
だが、ガチャガチャと音を立てるだけで一向に開かない。内部から鍵をかけられているらしい。

『仕方ねぇ……ヴァンプっ』
「はい。少し失礼します!」

――ドガンッ!――

雷火は片足を上げ、そこから真正面のドアに向けて蹴撃をかました。
上位の吸血鬼の蹴り。その威力の前に普通の扉など障子紙に等しい。
一瞬にして木端微塵となり、盛大な音と共に破壊され尽くしたドア。

「だ、誰ですかアンタは!?」

放送室には丸い眼鏡をかけたインテリ系の男子生徒がマイクの前にいた。
雷火は有無を言わさず男子生徒の胸ぐらを右手で掴み、左手の指を眼前に突きつけ、指先から銀色の魔導火を発生させた。
結果、男子生徒の瞳に魔導火が映り込んだと同時に、魔界文字が浮かび上がっていた。

「貴方がたの天敵ですよ、ホラーさん」

冷たい笑みを顔に貼り付け、雷火はそう述べあげた。
その言葉は、魔界の者からすれば死刑宣告にも等しかった。

「ほ、ホラー?あの化け物のことですか?そ、そんな奴らの事を知っているということは、貴女も普通じゃないようですね!」
「確かに私は闇に堕ち、どうしようもなく怪物になり果てた身の上ですが、それでも貴方みたいにネチネチとした事はしませんよ」

生徒はここが放送室ということもあり、咄嗟に取り繕った。
それに対し、雷火の氷河のように冷たく鋭い声が放送室内を駆け巡り、無塒を掴む手の力が強まっていく。

「少なくとも、味方を責め立てるような下衆い手口はね」
「味方?あんなモンスターと互角以上に戦える者が、我々と同じ人間だと言うつもりですか?」
「人間ですよ。至極真っ当で、少し自由奔放で苛めっ子で、信念を貫く―――ただの人間ですよ」
「何を馬鹿なことを。もっと常識的な言葉で説明して欲しいもんですな」
「この状況そのものが非常識的じゃないですか。それとも、君の眼には今が常識的ですか?」

言葉を言えば言うだけ、目の前の黒い女は返す刀で応戦してくる。
男子生徒は内心で焦り出していた。このままでは否応なく斬られる、と。

「な、ならば、何を根拠に連中を味方だと断言できるというんだ!?」
「根拠?家族を信じることに根拠など要りませんよ」
「ま、益々もって曖昧模糊な……!」

理論も根拠もない理由だが、雷火にとって輪廻を信じる理由はそれだけで十分だった。
たった二人の姉妹。此の世で二人といない唯一無二の肉親。その絆の堅さは計り知れない。

『ケケケ。テメェみたいな陰険野郎にはわからねぇ話さ』

と、そこへ雷火の左手首に装着されている蛇が口を挟みこんできた。

『それとも何か?テメェ人間時代にゃあボッチだったタイプか?あー、居なさそうだもんなぁ。吾輩の鼻でもプンプンと臭うぞ、陰気臭さが』
「くッ、魔道具の分際で……ッ!」

しかし、それはこの一瞬の為でもあった。

「ふふふ……聞きましたよ。一般人なら知り得る筈のない、この腕輪の正式名称を―――何故貴方がご存知なのですか?」
「そ、それは……」

しまった、と思ったが既に遅い。
バジルの挑発に怒りを煽られ、つい口にしてしまった言葉は背後のマイクを通して校舎に流れてしまっていた。





*****

一方、生徒たちは放送室から聞こえてくる会話の応酬を耳にして判断に困っていた。

「どうなってんだ?」
「どっちの方が正しいんだ?」

最初は生徒会と謎の女。どちらを信用するかは比べるまでもなかったが、会話が続くにつれて生徒会メンバーの焦り具合が言葉に表出し、あまつさえ先程の失言。
天秤は僅かずつ、雷火の言葉を信じる方に傾きつつあった。
だが、生徒たちの意識が放送に囚われている隙に、

――バリィィィン!!――

『『『ギィィィィィ!!』』』

窓ガラスが割られ―――

「キャアアアアア!!」
「化け物が入ってきたぞぉ!」
「逃げろぉぉぉぉぉ!!」

とある一つの教室に侵入しようとする素謡のホラー。
数自体は校庭のそれと比べればほんの一握りだが、何も知らない学生たちからすれば悲鳴を上げ逃げ惑うには十分な脅威だ。
でも、

「ほら!早く逃げよう!」
「む、無理……足が、体が、震えて……」

それさえもできない程、心の均衡を崩された者もいた。
ペタリと座り込んでしまった女子生徒の腕を友人と思われるもう一人の女子生徒が引っ張っているが、か細い腕では人間一人の体重は持ち上げられない。
このままでは二人とも魔獣の餌食となってしまう。
もうダメか、という考えが脳裏によぎった時、一つの人影が二人の前に立った。

「大丈夫!?」

それは同じ穂群原学園の女子生徒だった。
それなりに伸ばした茶髪をポニーテールにし、活発そうな雰囲気をした少女。

「大丈夫って、貴女こそ何してんのよ!?早く逃げなさいよ!」
「絶対に嫌!目の前の誰かを見捨てるなんて出来ない!」

少女は両手を広げ、二人を守る盾のように、ホラーどもの前に立ち塞がっている。

「でも、でも……」
「心配しないで。必ず、守るから」

それは強がりだったかもしれない。希望的観測だったかもしれない。ただの意地だったかもしれない。
しかし、それでも彼女は後ろにいる隣人の為、身を挺した行動に出た。

喰わせろ(スヤテモ)!』

迫りくる黒い悪魔たち。
流石の少女も一瞬だけ死を覚悟したその時、



「ハァァァァァァァアアア!!」



紅色の光が、闇を切り裂き、拭い去った。





*****

それから一分後のこと。
ホラーに襲われた教室に向かう一団の姿があった。

「逃げ遅れた奴らがいたって本当か!?」
「あぁ。間違いない。それより武器は持ったか!?」
「おう。女の子を見殺しにしたとあっちゃあ、末代までの恥だ!」

必死に走る三人の男子生徒はモップや箒、竹刀などを持って急いだ。
そして件の教室に辿り着き、

――ガララッ――

「来いッ、化け物ォ!」

勢いよく勇気を振り絞ってそう叫んだ。
しかし、

「―――って、あれ?」

いざきちんと教室を見渡すと、そこには割れた窓ガラスから身を乗り出さん勢いで手を振る一人の女子生徒と、後方から校庭を見守る二人の女子生徒の姿があった。

「あの……怪物は?」

男子生徒の一人が女子生徒に恐る恐る聞いてみると、

「刀の人が、助けてくれた……」
「あの人が、怪物を倒してくれたの」
「え?でもあいつらって、敵なんじゃ……?」
「違うよ。敵なんかじゃない」

二人の女子生徒の答えに男子生徒が疑問を抱く。
そこへポニーテールの少女が確信を持って言い放った。

「あの人は、あの人たちは―――私たちを守ってくれる!」

それは単に助けられたからだけでなく、あのメタリックレッドの鎧を纏った狼の顔をした剣士にこう言われたからだ。

”よく頑張ったな。その勇気、確かに見せてもらったぞ”

友を守った行動に、あの騎士はその口から発した言葉で褒め称えた。
それは即ち、彼女たち魔戒騎士が人間の光―――守りし者であることの確固たる証であった。

そして、その誉を受けた少女の名は、藤村大河。
冬木の虎と名高い彼女はこの日この時、ほんの僅かな間だが、紛れもなく守りし者となった。




次回予告

ヴァルン
『人は誰しもが迷い惑う。
 真っ暗な道の中で光ある答えを探している。
 次回”光明”――またの名を、希望という……!』



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