狼姫<ROKI>
復讐

冬木市、深山町。
古き良き街並みを残すこの町において、西洋風の家が数多くある地域にて、不気味な雰囲気を放つ屋敷、間桐邸に彼らは集まっていた。
間桐邸の地下にある蟲蔵と呼ばれる、かつては忌避されていたその空間で。

バーサーカーの主にして暗黒騎士・鬼狼――聖雷火。
元バーサーカーの主にして現・使い魔――間桐雁夜。
キャスターの主にして紅蓮騎士・狼姫――聖輪廻。
輪廻に仕えし魔術使いのサーヴァント――キャスター。
英国から呼び寄せられし紫電騎士・狼功――デューク・ブレイブ。

以下五名がこの場に集合していた。

「皆、いきなりの招集に応じてくれて感謝するわ」

先ず最初に口を開いたのは輪廻だ。

「礼を言われるまでもありません。貴女の事です。きっと聖杯戦争とホラーに関する会議なのでしょう」
「だったら、此処に呼ばれて文句を言うバカはいないさ」

肯定の言葉を述べてくれた雷火とデュークに、輪廻は静かに首肯して答えた。

「では、そろそろ始めようか」
「この戦争会議をな」

キャスターと雁夜の言葉に、輪廻は再び首肯した。

「まずは、ホラー達が何を考えてるか、なんだけど……」

最初の議題は魔戒騎士として絶対に見過ごせぬ問題からだ。

「未遠川と穂群原学園。どちらもが、極めて人目の付く場所であり、状況によっては一番人目の付かない場所でもある」

未遠川は確かに冬木の東西を行き来する上で必ず通る場所だ。
しかし、夜中の薄暗い土手や冬木大橋の下ならば、姿を隠して戦える。
穂群原学園にしろ、教師も生徒も警備員もいない深夜ならば、多少の小競り合いをするにはもってこいの場所だ。

だが、ホラーたちはよりにもよって、この利点を敢て潰すやり方を選んでいる。
姿を潜めるべき未遠川では巨大なヘカトンケイルを暴れさせ、夜に赴くべき校舎には真昼間から素体ホラーどもを群がらせた。

「奴らは―――わざと人間を怖がらせているのか?」
「怖がらせるって、ちょっと短絡的じゃない?」

デュークの推測に輪廻が口を挟んだ。

「どうかな。ホラーは人間の魂を餌とする。だが、中には特有の感情で色づいた魂を好む偏食家もいる」
「成程。彼らを動かしている上役がその手のたぐいなのか、あるいは裏があるのだとすれば、リスク以上に得られるものがあるというわけですね」

雷火はその説明に納得がいったかのように頷いた。
恐らく、数多ものホラーたちを陰我もろとも喰らってきた彼女にしかわからないものがあるのだろう。

「それが如何なるモノかはまだわかりません。ですが、このまま守ってばかりでは仕様がありません」
『防戦一方ってのぁ、吾輩たちらしくもねぇしな』
「今は確実な情報を集めるのが急務か」

ギロ陣営は今すべきこそを結論付けた。

「確かにね。でもさ、その情報をどっから仕入れるのかが問題ね」
「いや、アテはあるさ」

輪廻の疑問にキャスターがそう言った。

「アテというには、少し妖しいがな」
「……フォーカスね」

あの妙に実直な男なら何か知っているかもしれない。
何しろ何か事件が起きるたびに必ずその影を見せているホラーなのだから。

「ちょっと不安も残るけど、取りあえずホラーの情報は此処から得ておきましょう」

最初の議題の結論はそのような形で決着を見た。
そして、次の議題はというと。

「今後の聖杯戦争の進行についてだな」

キャスターが真剣な面持ちでそう切り出した。
当然だ。彼はこの戦いの為だけに召喚されたサーヴァントなのだから。

現在、殆ど手を組んでいるのは輪廻とキャスターの陣営、雷火と雁夜とバーサーカーの陣営、そして助っ人であるデューク。
これだけの人数と人材が揃えば、今後の戦いを有利極まる状態で勝ち進めるだろう。
元より願望機なぞに興味が無い三人の魔戒騎士らにとって、手を組むという選択肢に不平不満など微塵としてなかった。

『今はこっちを進めた方がいいのかもしれないな』

と、ヴァルンが控えめな口調で意見した。

『ホラーたちはわざわざこの冬木で騒ぎを起こしている。しかもこの時期にな。であれば、聖杯戦争の進展によって奴らの出方が変わるようにも思うが』
「成程ね。可能性としては十分にあるわ。でも、進めるにしてもどこから攻めるの?」

この陣営のサーヴァントはキャスターとバーサーカー。共に聖杯戦争における鬼門といえるクラスだ。
しかし、それは通常の範疇に収まる英霊が召喚されたらの話であり、ここに居る二騎は紛れもなく破格の能力を持っている。
しかも、そのマスターたる姉妹は魔戒騎士として優れた白兵戦ができ、さらには代々続いた名家として形成された強大な魔術回路を持つ。
それによって鬼門たるクラスの弱点は完全に埋められた、と表現しても嘘ではない状態となっているのだ。

『そうだな……』

ヴァルンはゆっくりとした口調で、今後の方針を述べあげた。





*****

新都・冬木教会。
本来ならば主に祈りを捧げ、迷い人を導く屋根たる場所。
神父、修道女と呼ばれる者が働く厳格にして厳正な場所だ。

しかし、

「さあ、これを貴女に授けよう」

今となっては、

「ありがとう、神父さん。漸く、この時が来たのね……!」

闇を―――陰我を育む魔の巣窟と成り果てつつあった。

「これでやっと、あいつを殺せるわ……!」

祈りを主に捧げるべき礼拝堂には、邪気さえ漂う殺気に満ちた口調で喋る一人の女がいた。
その女に何かを与えているのはカソックを纏った若い神父だ。

「後は貴女次第だ。ただ、奴は極めて手強い。そこで私は、貴女にもう一つの切り札を託すことにしよう」
「切り札?」

若い神父は懐からある物を取り出し、女に手渡した。

「なんか、変わった短剣ね」
「これは『彼』が残した形見だ」

それを聞いた瞬間、女の表情が一変し、短剣を強く握りしめた。

「神父さん。……本当にありがとう」
「礼には及ばない。私は迷える仔羊を導く役目を果たしただけだ」

まるで台本を読むようにすんなりした言葉を聞くと、女は無言で一礼し、扉を開けて教会から出ていった。
残された神父は静かに礼拝堂の奥へと入っていった。そこには司祭室があり、部屋のソファで寝そべりワインを煽る美青年がいた。

「ふん」

金髪の青年は愉快そうに喉を鳴らした。

「どうやら愉悦の何たるかを理解し始めたようだな」
「ああ。地獄で会い見えた者が、私が求める答えを丸投げしてきたお蔭だ」

神父と青年は親しげなようでいて、絶対的な壁のある距離感で会話を始めた。

「あの害悪どもに、このような形で役立つ日が来ようとはな」
「確かに彼らは人間の害悪だ。それと同時に人心の真理でもある。特に、私にとってはな」

何時の間にか口元を僅かに歪めた神父に、青年はワインを飲み干してこう言った。

「ははは。それがお前の答えであったな」

心底面白い玩具を見つけたかのように、青年は高らかに笑って肯定した。
神父は青年が飲んでいるワインのボトルを手に取ると、感慨深そうな表情でこう呟いた。

「次に飲む酒の味は、どうなっているのかな?」
「それは肴による。味が良ければ、お前が愉悦を受け入れた証になるだろうよ―――綺礼」
「そうだな、ギルガメッシュ」





*****

「ありがとうございましたー!」
「…………」

所変わって、此処は24時間営業のコンビニの前。
店員の張りのある声を背に、店から袋を提げて登場してくる一人の少年。
ウェイバー・ベルベットは、不機嫌そうな表情で栄養満点であろう弁当と栄養ドリンクとカイロを購入していた。

「……はぁ……」

溜息をつくウェイバー。
彼は心中、何故自分はこの便利な時代に生まれたのかと思った。
魔法使い、魔術師とは数百年前や数千年前において立派な職業として成立していた。
それは文明が未発達であるが故、それだけ多くの人間が奇跡に頼っていたからだ。

しかし、今の時代になれば、遠くの人間と話すのも、地球のどこへ行くのにも、理論的に立証された科学の力でどうにかなる。
当然、神秘に縋る者はほんの一握りになり、今買ってきた物を魔術で再現しようものなら数倍のコストがかかる有様。
ウェイバー程度の魔術師でも、500年も前に生まれていれば魔術を習っているというだけで畏敬されていたことだろう。尤も、仮の話だが。

「まったく、あいつ、僕たちをタクシー代わりにしやがって……」

口から出る愚痴。
その矛先は、今、間桐邸の地下にいるデュークに対する物だった。
あのズタボロの状態でありながら、ライダーと自分を都合のいい、飛脚のように扱い、挙句の果てに目的地に着いたら機密事項と称して敷地にさえ入れてもらえない始末。
等価交換をモットーにする魔術師としては至極不満極まりない扱いだった。そして苛立ちは、そんなデュークの態度に腹を立てることなくあっさりと聞き分けたライダーにも向けられた。

彼はデュークの手前味噌とも言える言葉を聞いた際、

”あぁ。余は別に構わんが”

と、何の疑問も反論もせず、右から左へ聞き流すかのようにゴッドブルに鞭をやって空へと舞いあがり、人目の付かない場所で宝具を解除した。
そして、今はウェイバーの傍で霊体化し、待機している状態だ。
どう考えても可笑しい。あの豪放磊落且つ傲岸不遜な征服王が、何故一介の騎士の便利な飛脚になったのか。

「……ちくしょう……」

蚊蜻蛉のようにかすかな声でそう呟き、ウェイバーはコンビニのある町中から、人通りなど一切ないであろう林へと足を運んでいた。
そこはかつて奇蹟的に手に入れたイスカンダルの聖遺物を触媒にライダーを呼び出した場所だった。
ウェイバーは、未だにホカホカな鰻玉弁当を胃袋にかき込んでいくと、トドメに栄養ドリンクを一気飲みする。

しかしながら、ここでふと、あったかい弁当が美味いと思ったことに変な悔しさを感じていた。
冷えていたら不味いと言い放っただろうが、購入の際に電子レンジで暖めてもらったのが功を奏したらしい。
それもこれもすべて、

”あ、もし飯食うならあったけぇ方が良いぞ”

と、デュークが余計なことを言い残したせいで、ライダーが自分にしか聞こえない声であーだこーだと駄々を捏ねたせいである。
今もお好み焼きがどうとか抓みや酒がどうとか、色々と頭の中でごちゃごちゃと言ってくる。
ウェイバーは無視を決め込んでさっさと食事を済ませると、用意していたキャンプ用のビニールシートを地面に敷き、その上に置いた寝袋の中に入った。

これで栄養の補給と休息の準備は完了した。
胃袋に入った鰻玉とドリンクは身体にめぐる魔力へと変換され、それは魔術回路とレイラインを通し、ライダーの糧として流れ出るだろう。
無論、ウェイバーもこのような真似をするつもりは無かったが、御車台に乗せられていたデュークが独り言のように呟いた一言を耳にしたのがきっかけだった。

”何か妙に減ってるけど、そんなに注ぎ足してないな”

これがライダーの魔力とウェイバーの魔力であることに彼は一発で勘付いたのだ。
たった一度とはいえ、固有結界の展開、自立サーヴァントの連続召喚という破格の宝具の解放には途轍もない代償があるのは必定。
にも関わらず、ウェイバーの魔術回路から抜かれた魔力は大したものではなく、ライダー自身から効率の良い代物と聞かされ、それ以上追及しなかった。
しかし、それはウェイバーが未熟であることの証となってしまった。おまけにそれを赤の他人のぼそっと指摘されたことが何より腹の立つことであった。
だが、それでデュークに喚き散らしても仕様がない。全ては不釣り合いなまでに強大なサーヴァントを呼び出した自分のツケだ。
時計塔にいた頃に比べ、それを認められるようになるぐらいには、少年の器は広くなっていた。

寝袋の中で顔だけ出し、仰向けで空を呆然と眺めながら睡魔に身をゆだねようとする魔術師見習いに、豪放磊落の塊が声無き声で話しかけてきた。

『坊主』
「……なんだよ」

半ば不貞腐れたようにウェイバーが答える。
また下らない注文じみた愚痴でも零す気なのだろうか。

『お前さん、本当にこれでいいのか?この聖杯戦争、今までは穏便に済ませられたが、これからは厄介な橋を渡ることになる』
「ボクは――それでいいんだ」

思いつめた目と声で、ウェイバーはそっと答えた。

「聖杯をお前に獲って来て貰うだけなんて、ボクは嫌だ。これはボクが始めた戦いだ。ボクが血を流して、犠牲を払って、その上で勝ち上がるんでなきゃ、意味が無いんだ」

それが少年に残るチッポケなプライド。
この戦いを生きる上で手放せない矜持。

「聖杯の使い道なんて知るか?ボクはな、後の事なんてどうでもいい。ただ証明したいだけだ!確かめたいだけだ!このボクが――こんなボクだって、この手で掴み取れるものがあるんだって!」
『―――だが坊主、そいつは本当に聖杯があった場合の話だよな?』
「……え?」
『みんなは血眼になっているが、件の冬木の聖杯がまともに使えるという保証はどこにもない』
「そりゃ、そうだが……」

ライダーは過去の―――生前の経験上から、この聖杯戦争の真相の一端に、独力で手をかけていた。
世界を股にかけ、夢の果てから果てへと翔けぬいた男ゆえの、そして王者としての直感なのか。はたまた、数多の臣民を率いた存在ゆえか。
在るか無いか、わからないモノを探し求めた征服王は語る。

『余はな、最果ての海(オケアノス)を見せてやると――そういう口上を吹き散らし、余は世界を荒らしに荒らして廻った。余の口車に乗って、疑いもせずついてきたお調子者を、随分と死なせた。どいつもこいつも気持ちのいいバカ揃いだったよ。そういう奴から先に力尽きていった。最後まで、余の語った最果ての海(オケアノス)を夢に見ながら、な』

陽気さは完全に蔭へと沈んだ声。
それは自分が愚かに愚かを重ねた正真正銘の愚者であることを悟った声だ。

イスカンダルはひたすら一直線に遠征につぐ遠征を続けたが、何年かかっても見えぬ望みの地に疑問を投げかける者達が現れた。
客観的に見れば、彼らは現実を見据えていたとも言えるし、粋な夢をぶち壊した無粋者とも言えた。
しかし、そんな現実主義者たちが現れ、征服によって何時の間にか出来上がっていた国が裂けなければ、遠征先の戦場で何千何万の兵士たちが瞬く間に散って逝ったことだろう。
遠征がご破算にならなければ、軍は壊滅に陥っていたに違いないだろう。

そしてトドメに、ライダーがこの現代に召喚されて知ったこと。
世界とは、地球とは、球体だったという事。
命の棲む地たるこの惑星やまだ見ぬ星々も―――みな地の果てなど無いのだと、知ってしまった。
自分の夢は、夢想ですらない妄想だったことに。

征服王の語る世界の果てなど、小利口な者達の予測通り、ありはしなかった。

『余はなぁ、もう出鱈目じみた与太話で誰かを死なせるのは懲りた。聖らから聞いた聖杯が果たして望みどおりの代物か、期待を裏切られる可能性も否めぬ』
「それでも……ボクはオマエのマスターだぞ」

振り絞るような声でウェイバーが反論した。
彼を召喚したばかりの頃なら、こんな反応はしなかっただろう。
だが、今となってはしない。だって、これ程まで近くに居続けたのだから。

『坊主、貴様も言うようになったではないか』

ライダーの口調は何時もの勢いのあるモノに戻ってきた。

『今は魔術回路も威勢よく廻っておるし、地脈から吸い上げる分も併せれば、全快に近い状態となるだろう』
「そうしたら、どうする気だよ?」
『そう急くことは無いだろうが。今はゆっくりと休息をとれ。今の我らがすべき急務はそれだ、坊主』
「……そっか」

こうして、征服王と魔術師は、昼下がりにて時を重ねていった。






*****

深山町。
セイバー陣営、武家屋敷の土蔵にて。
その時、そこでは未だアイリスフィールが魔法陣の中で楽な姿勢で横になっている。
無論、傍にはダークスーツ姿の騎士王が張りつめた空気を漂わせながら控えている。

「セイバー。もう少し、楽にしていいのよ?」
「いいえ。私になど、構う必要はありません。貴女はより一層のご自愛を願います、アイリスフィール」

聖杯戦争において、本来セイバーとは優勝候補とされる最優の英霊。
そこに千年の研鑽を積んだアインツベルンが加わったとなれば、高確率で勝ちを狙えたはずだ。
この状況が起きさえしなければ。

否、アイリスフィールの不調は仕組まれたモノ。
それについては誰の責任を問うことは出来ない。
しかし、それを抜きにしても残った陣営にとって、ホラー達の介入は余りにも厄介だった。

一体これまでどれ程のホラーが現世に姿を見せ、わざと衆目に身を晒すようなマネをしたことか。
プロフェッショナルの魔戒騎士らもこの事態を一刻も早く解決するべく動いていることだろう。

(それに引き替え、私は……)

誉れ高き騎士の王。
そう讃えられておきながら、今は一人の婦人の身を守る事しかできない。
本当の主とは一度たりとも言葉を、視線すら交わしていない―――この有り様の何処が騎士なのか。
セイバーは自分の情けない状態に自問自答したくなった。

「……セイバー?」

物思いにふけるセイバーに、アイリスフィールがそっと囁くように声をかけた。

「あ……すいません」
「別にいいのよ。貴女だって何時までも私にかかりきりという訳にはいかないものね」

セイバーは言うまでもなく、この陣営の最高戦力であるサーヴァントだ。
それが何時までも病人の看護をしているわけにはいかない。ましてや相手が偽のマスターともなれば尚更だ。

「いいえ。私は貴女を守ると誓いを立てました。ならば、此処で貴女の傍にいることが私の為すべき役目です」

と、セイバーは言い切った。
白い雪の積もる城で待つ妖精の子に、今一度母親の温もりを送り届けよう。
衛宮切嗣とアイリスフィールの夫婦と、イリヤスフィールという愛娘。この三人の家族という聖域を守ろう。
聖杯を得るべく冬木に向かう以前、セイバーはそう誓った。

あの時、父と胡桃の新芽を捜すゲームをしていた小さく愛くるしい少女。
大きく赤い瞳を凝らしながら真剣にゲームに取り組み、新芽を見つけるたびに一喜一憂していた。
切嗣がセイバーを召喚してから笑顔を見せた数少ない時間。あの魔術師殺しにも愛情があることを証明した天使のような子供。
その笑顔を守れなくて何が騎士だ、とセイバーは自らを律した。

「故にアイリスフィール。貴女は心配せず、お休みください。それがご息女や切嗣の為にもなるのですから」
「……ありがとう」

聖杯戦争の真実を知った時、初めて味わったのは絶望だった。
期待を裏切られた絶望、故国を救えない絶望、主たちを勝利に持ち上げても意味のない絶望。
数多くの絶望の中で、残された唯一のモノがマスターである夫婦を守り抜くことだった。

と、その時、セイバーの直感が働き、誰かが此処へ近づいてくる気配を感じ取った。

「あぁ、大丈夫。この気配は舞弥さんだわ」

アイリスフィールは一足先に気配の主を察知し、目線でセイバーに案ずるなと促す。
姫君の予想通り、久宇舞弥は土蔵の重厚な扉を開け、軽く会釈してから二人に要件を伝えだした。

「聖輪廻より密使が届きました。矢に文を括り付け、飛ばされてきました。私達全員宛の模様です」

舞弥の冷たく細い指に包まれているのは一条の矢と、そこから解きほぐされた一通の文。
戦国時代において遠距離通信の手段として用いられた”矢文”を現代にて用いてきたのだ。
向こうには弓の名手である錬鉄の英雄がいるからとはいえ、かなり時代がかったことをする。

「内容を検閲したところ、彼女たちは我々との決闘を望んでいるようです」
「つまり、果たし状ってこと?」
「はい」

簡潔に、そしてはっきりと肯定する舞弥。

「切嗣は既にこの事を承知です。場所は西の双子館、時刻は今夜の正子です」
「それはわかったけど……何故今更になって決闘なんて……?」
「確かに疑問です。ホラー達の問題が解決するまで、休戦する運びとなっていたはずです」
「―――それについてですが」

首を傾げ、手を顎に添える二人に、舞弥が静かに言葉を刺し込んだ。

「向こうの主張によると、ホラー達は今後の聖杯戦争の流れによって行動を変化させる可能性があり、今回の決闘の勝敗によって奴らの尻尾を掴む機会が掴めるやもしれない、と述べています」

魔戒騎士は闇の獣を狩ることに関してはプロの中のプロ。
その知識と経験は今の冬木に居る者の中で特に深いだろう。それが三人も揃っているとなれば尚更だ。

「……確かに、ここで私たちが動けばあの魔獣たちもリアクションをとってくるかもしれないわね」
「アイリスフィール、宜しいのですか?」
「私はもう満足に動けない。だから、セイバー、舞弥さん」

アイリスフィールは碌に動かない身体に鞭を打つようにして上体を起こすと、不調極まる身でありながら力強い声でこう頼んだ。

「切嗣のことを、お願い……!」

その貴婦人の懇願に二人の従者がどう答えたかは、言うまでもない。





*****

双子館。
それは第三次聖杯戦争でサーヴァントを率いて参戦した双子の名門魔術師、エーデルフェルト姉妹が建てたもの。
深山町にある西の館と、新都にある東の館。これらは正しく双子のように同一の外観と構造をしており、姉妹がそれぞれ戦争の拠点としていた。
今や魔術協会に譲渡され、管理下となっているこの建物は西洋建築が建てならぶ丘の山中にある。

確かにここの内部なら結界を張ることで人目を気にせず戦うことが出来る。
しかも指定された時刻は深夜。大勢の住人が寝静まっている頃合だ。

この西の館を戦いの場に選んだ者は、館の中で特に広い二階の部屋を陣取り、従者と共に素朴な椅子へと座りこんでいる。
得物である魔戒剣と干将莫耶を手にしてはいるが、無駄な動きを見せる様子はなく、静かに決闘の時を待っている。

主人は両の房に紅色の紐を付けた長い黒髪を垂らし、その身を黒い浴衣じみた魔法衣で包み込んで金色の帯をしている。
従者は白髪、褐色の肌、鋼色の瞳をしており、筋骨隆々とした肉体を黒い衣装と赤い外套で覆っている。

「キャスター」
「何かね、輪廻」
「あの男、来るかしらね」

聖輪廻の問いに、キャスターは微妙な笑みを浮かべてこう答えた。

「来るだろうな。我々の死角に」

ある意味、予想通りの答えだ。
それは衛宮切嗣という魔術師殺しにとっての常識。
獲物を仕留める狩人としては当たり前と言えるスタイルだ。
今更咎める気はないし、咎めたところで止めるわけでもあるまい。

「でしょうね。だからこそ、危なっかしい……か」
「デューク・ブレイブの言っていた事が、気にかかるのか?」
「一応はね」

この場所へ来る前、つまり魔桐邸の地下で行った会議の際、それなりにセイバー陣営を接していたデュークは切嗣のことを気に入らないと評した。
だが、それと同時に危なっかしいとも言っていたのだ。

キャスターの話が真実だとすれば、衛宮切嗣の祈りは”恒久的な世界平和”という誰もが夢見る理想の極致。
なれど、当然のことながらその手の願いを実行すれば世界は競争意識をなくし、緩やかに退化していく可能性もある。
もし、理想的な形で実現されていたとしても、結局は奇跡という枷で人の心を捻じ曲げたという結果になるかもしれない。
このような理想を幻想を以て叶えようとするのが切嗣がどれだけ追い込まれているかを証明する材料だ。

しかし、デュークが切嗣に対して危なっかしいという評価を追加した理由はそこではない。
彼曰く「あいつの今までのやり方は、理想に殉じすぎれば、騎士や法師も辿り着きかねない道だ」としていた。
そして、何時か騎士や法師の中にも切嗣と同じく多の為に少を殺して世界を救おうとする、理想を歪ませてしまう者が出るのでは、と危惧していた。
闇に堕ちてでも、鬼の道を歩もうとも、哀れな祈りを完遂せしめようとする者が、魔の力を使ってそれを実現させようとするかもしれない。

ならば、彼の闇を此処で少しでも身を以て接し、己が眼で見定めなくてはならない。

「―――ところで、本当にこれで魔物たちが動くのか?」
「それは、これから分かる事よ」

元より、魔物たちは人の道理で動いてくれるような温い輩ではない。
だからこそ、座しているだけでなく、こちらから動き、出方を見る必要もあるのだ。

「私達には未来なんかわからない。例え時を越えようとも、その先の事はわからない―――でしょ?」
「……あぁ。そうだな」

キャスターは少し沈んだ表情で答えた。
実際、彼こそが時間を遡った存在であり、過去を変えようという願望を持っていた。
だが、それも今となっては彼にとっては叶えようのない願いだ。

「難しい話をするわけじゃないけど、私は今の世界で出来ることをやっていく。出来る限りの事を果たすだけよ」

剣の柄を強く握り、輪廻はきっぱりとした声音で言い切って見せた。
そこには迷いなど無い。一直線に伸びた真っ直ぐな筋だけが通っている。
そんな主の姿に、キャスターは内心で僅かばかり羨望の念を生じさせてしまった。

「それは大いに結構。……それよりも―――マスター、来たぞ」
『この気配、セイバーか』
「あらヴァルン。今回は会話に参加するのね」
『なあ……マスター。ワタシの存在、忘れてただろ?』

露骨な嫌がらせともとれる輪廻の物言いに、魔導輪の呆れが混ざった声が部屋の中だけで反響した。





*****

青いバトルドレスに銀の甲冑を纏った少女騎士は、約束の時間の5分ほど前、双子館の正面に辿り着いた。
切嗣は依然として別行動中で、舞弥の話によると、セイバーが表から入り、切嗣は裏から忍んでいくという。
やはり尋常な決闘など、切嗣が絡んだ状況では無理か、とセイバーは小さく溜息を吐き出しながら残念に思った。

そう思うと、あの時、校庭で輪廻たちと共に学園の生徒らを守ったことが思い起こされる。
最初こそは得体の知れない存在として罵詈雑言を浴びせられたが、雷火の暗躍によって誤解は解けた。
そして、校舎から響き渡った激励と感謝の声。あれを思い出す度に、騎士としての本懐をこの時代でも果たせた、という高揚感が湧き上がってくる。

輪廻たちの真意は未だに掴めない。だが、共にあの戦いを経た者として、決して非道な真似を仕掛けることは無いと確信していた。

「……参る……」

誰にも聞こえない呟き。
誰も聞くことのない声を吐き出し、セイバーは不可視の剣を携えて館の中へと正面から堂々と入っていった。
館の中は思ったより小奇麗に片付いており、とても数十年に一度だけ使われているとは思えない状態だ。
セイバーは歩くたびに鎧の金音と踏みしめる足音を鳴らしつつ、輪廻たちがいるであろう二階へと歩を進めていく。
階段を一段一段と上がり、その都度、サーヴァントの気配を強く感じた。

居る。
約束通り、彼女たちは此処で待ちわびている。
自分達と戦うために、刃を構えて此方の来訪を心待ちにしている。
そう思うと、セイバーの歩調は心なしか速くなっていき、あっと言う間に階段を上りきり、気づけば魔力の気配が漂う部屋の扉の前に辿り着いていた。
セイバーは剣の柄を強く握りなおすと、深く息を吐いて吸い、両の肺の中にある空気を入れ替える。

そして、

「ブリテン国が騎士王、アルトリア・ペンドラゴン―――そちらの申し付け通り、此度の決闘の場に参上した」

心を抜身の刃とし、扉の向こう側にある戦場へとその身を投げ入れた。






*****

双子館の裏手にある寂れた勝手口―――そこには一人の男が銃器を片手に佇んでいる。
魔術師殺し(メイガスマーダー)―――衛宮切嗣。

「―――――」

彼は決闘の場である双子館での戦闘は極めて不利になることを最初から悟っていた。
向こうから果たし状などという古風な物を寄越してくる余裕があるという事は、とっくに館の内部は仕込みが満載されている筈だ。
そんな罠まみれな場所に飛び込んでいくなど、切嗣にとっては愚の骨頂を通り越して呆れの領域に入る。

しかし、それでも行かねば事は進まない。
セイバーだけでは騎士道精神を詰め込んだ上品な戦いだけで済ませようとする。
こちらが一陣営なのに対し、向こうは実質三陣営。もしもの場合は万に一つも勝てない。
だからこそ、セイバーが派手に暴れてルアーとなって標的どもを少しでも掻き集めてくれていることを願うばかりだ。
そうでなければ、ヒットマンである自分のやり口はひどく限られたモノになってしまう。

注意深く周囲に警戒を払いながら、扉のドアノブにガムテープを巻きつけるように張ると、大本を持った手で引っ張りドアノブを回す。
安全範囲で扉事態に仕掛けが無いことを確認すると、切嗣はゆっくりと扉を開けて内部へと侵入していく。
極力足音を立てぬよう忍び足で薄暗い部屋を歩く切嗣。時折、狙撃銃の暗視スコープで屋内の様子を観察し、罠が無いかどうかを逐一チェックし、奥へ奥へと歩み進む。
姿も音も、気配すらも感じられるわけにはいかない。切嗣は慎重に慎重を重ね、必要最低限以外のことは一切しないよう心掛けた。

そこへ、二階の方から激しい剣戟の音が轟き、鼓膜を揺さぶった。

(始まったか)

その思考の直後に、耳のインカムから助手の舞弥からの報告が舞い込んだ。

『切嗣。セイバーが敵のサーヴァントとの交戦を開始した模様です』
「あぁ。こちらでも音が伝わってくるよ」

舞弥は館から若干離れた位置で待機させ、サーモグラファーを追加した狙撃銃で窓から見える範囲の監視をさせている。
彼女の網膜には、高エネルギーの塊として真っ赤に映るサーヴァントの姿がある事だろう。

火蓋は切って落とされた。
ならば自分は死角となる場所を探し当て、確実にマスターを仕留める。
その為なら屋根裏だろうが床下だろうが構わない。卑怯奸物呼ばわりされるのも慣れている。
手にするべきモノ―――それは勝利という結果だけだ。

「ようこそ。礼儀に則るなら、こう挨拶するべきか……?」

―――が、

「衛宮家が六代目、衛宮切嗣殿。貴方のお相手は、聖家三十代目当主、聖輪廻が務めよう」

何時の間にか目の前には、黒鞘に収まった一本の日本刀を携えた女剣士がいた。

「ッ……」
「驚いているようだな」

輪廻の口調は普段の女言葉ではなかった。
鎧を纏った時と同じ、戦人として発する男言葉だ。

「隠すような事ではないのでタネを明かすとしよう」

輪廻は掌から魔導火を捻りだした。火力の強いそれは強烈な照明となり、部屋を照らし出す。

「これは……」

そうして切嗣の視界に移ったのは、複数の直線で構成された文字の大群。

「ルーンだと……?」
「そう。この双子館の至る所に刻みつけておいた。この辺りには探索のゲーナスを仕込んだ。この切っ先でな」

ルーン魔術。北欧に伝わる代表的な魔術系統の一つで、ルーン文字を用いることでそこに籠められた意味を魔術的神秘として引きだす物。
一工程で済む手軽さの代わりに威力はそう大したものではなく、戦いに向くような代物ではないが、こう言った待ち受ける方面ではかなり使える魔術に化ける。
となると、一切こちらに気取られることなく姿を現したのもルーンの力によるところだろう。

「…………」
「今、二階ではキャスターがセイバーと刃を交えている」

切嗣は銃口を輪廻に向け、輪廻は右手の五指を腰の刀の柄にかけている。

「私達も二人に負けず、存分に暴れようじゃないか?」

切嗣は迷わず引き金を引き、銃口から放たれた弾丸は高速回転しながら目にもとまらぬスピードで輪廻に飛んでいく。
だが、それを輪廻はギンッ、という音を立てて弾いた。高速の抜刀術、居合斬りである。
ソウルメタルの剣で真っ二つにされた弾丸が輪廻の後方に落ちていくのを視認した切嗣は間髪入れずにもう一発を放とうとした。

「遅い」

けれど、輪廻は片手の指先を切嗣に向けると、人差し指に魔力が集束し、魔弾となり凄まじい勢いで発射された。
無論、切嗣もそれを見切り、作業を中断して回避した。当たる筈だった場所の後方にある壁は、魔弾が命中したことによって抉られていた。
まるで、マグナム弾でも撃ち込まれたかのように。

(ガンド撃ちで物理的な干渉……まさか”フィンの一撃”か)

北欧における一工程の魔術の一つ、それがガンド。
敵を指さすことで魔弾を撃ち込み、そこに込められた呪詛を敵に叩き込む魔術だ。
本来なら風邪を引かす程度の呪いだが、優れた術者によっては心停止に追い込む本物の呪いとなり、別の場合では敵を射殺す魔弾と化す。
どうやら輪廻のソレは後者に属するらしい。

「ほらほら、呆けるな」

次の瞬間、五本の指のそれぞれに魔力が集まり束ねられ、そして―――



―――ズババババババババババババババババババババ…………ッ!!――



呪詛の機関銃が喧しい声で叫び出した。





*****

interlude

「ここに、あの女がいるのね」
「そうとも。彼女は此処で殺し合いの真っ最中だ」
「一体、どれだけ殺せば気が済むのよ……!」

そこにいるのは目を血走らせた女と、極めて冷静な態度の男。

「覚悟は良いかね?」
「えぇ。決着をつけてやる」
「よろしい」

今この時、陰我は巡った。




次回予告

ヴァルン
『大切なモノをナくした時、人が悲しみ怒り涙する。
 そして壊した物、奪った者をどう思うのか、想像に難くない。
 然れど、譲れぬ想いと祈りの為に、剣を執らねばならない。
 次回”信義”―――正義に非ずも、それが守りし者の使命也』



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