狼姫<ROKI>
紅蓮


冬木の聖杯。
聖杯戦争の脱落者の魂を糧に無色の力を蓄える、万能の願望機の真に迫った贋作。
だが、今や無色にあらず。今や暗黒の泥、殺人に特化した呪い。

悪の神の名を着せられた亡霊より絞られた怨嗟の雫。
六十年という歳月はそれをよく肥やし成長させた。

そうであれと望まれたからそうなった。悪で在れと、滅びで在れと、厄災で在れと望まれた。

願望機たる聖杯は彼の残滓という胚を胎児にまで育て上げた。

故に、願いを受け止める器は濁った。

あと一歩。あと一歩だ。満たされるまでもう少しだ。

その為に―――戦え、戦え、戦え―――!



――我を愉しませてくれ、我に悦びをくれ――!






*****

龍洞・最奥。
大聖杯の設置個所にして、聖杯戦争の中枢たる場所。
聳え立つ大聖杯はおどろおどろしい邪気で満ちていた。それは最早、御三家が生み出したものとは大きく乖離した肉塊の塔。
こちらをギョロギョロと見据えてくる目玉、胎動を示す脈は、大聖杯という器が子宮の役目を果たしていることを物語っている。

邪悪の権化と成り果てた魔術炉心の周囲を固める岩場。その直下とでもいうべき空間が歪み、次第にそれは大勢の人間をこの現世に呼び戻す門となる。
歪みより姿を現したのは九人―――否、十人の男女。

聖輪廻。聖雷火。衛宮切嗣。ウェイバー・ベルベット。間桐雁夜。セイバー。キャスター。バーサーカー。ライダー。そして、フォーカス。
紆余曲折と激しい死闘の末、彼らは生き残り、今この場で最後の脅威に立ち向かう権利を得た。

「皆……」

自分と同じく、試練を乗り越えた一同の姿を見て、輪廻は安堵の声をもらした。

「マスター」

だが、それとは反対に剣呑な声を上げる者が一人。
キャスターは鷹のように鋭い眼光を輪廻の隣に立つ銀灰の騎士に突き刺さっている。

「何故そのホラーが同伴している?」
『…………』

キャスターの問いにフォーカスは沈黙を保った。
彼は自分が何を言った処で言い訳にしかならないことを理解していた。
そもそも今の問いに答えを返すべき人間は端から決まっている。

「彼は……私たちと同じ、誇り高い騎士だからよ」
「人を喰らう存在であってもか?」
「確かに彼は私と出会う前に人を喰らっているのでしょうね。それは変えようのない事実よ」

輪廻は淡々と事実を述べ、フォーカスに一瞥すると再びキャスターに目を向ける。

「……それでも、彼は私を救ってくれた。これもまた、変えようのない事実よ。極めて大雑把で好き勝手で、馬鹿馬鹿しい理由かもしれないけど……私はフォーカスを信じたい」
「…………はぁ」

間を置いてキャスターの口からため息が吐き出される。
しかし、それは呆れを含むと同時に、主人の意思が曲がらないことを理解したサインでもあった。

「解っているだろうが―――」
『皆まで言うな。もしもの時は、容赦なく斬り捨てろ』

念には念を押して釘を刺すキャスターの言葉に、確固たる決意を以て答えるフォーカス。
その言葉で折れたのか、キャスターは勝手にしろと言わんばかりに引き下がった。

『感謝する』

聞こえるか聞こえないか程度の声でつぶやくフォーカス。
それを以て問答を打ち切りとし、一同は各々の顔を一方向へと向けた。
視線の先にあるのは禍々しき邪気を垂れ流す大聖杯。
その中で輪廻は鋭い眼差しに同調したかのようにきっぱりとした口調で場の空気を切り込み、命を下す。

「セイバー、キャスター。二人の宝具で―――」



『何を焦る?紅蓮騎士ロキ』



―――瞬間、彼らは世界がまるで凍り付いたかのような錯覚を魂に刻まれた。
耳に、心に響いてくる重苦しさに満ちた声。
闇の奥底から届けられているのか、聞くだけで戦人の本能が刺激され、武者震いを引き起こす。

「この声……」

ただ、輪廻だけは少し違った。

『急くな。漸く我が許へ参ったのだ』

そうだ。この声は紛れもなく、あの時の声。戦友を侮辱したあの声に相違ない。

『今こそ拝謁の栄を与えよう』

足元が揺れ始めた。ただの地震ではなく、自分たちのすぐ近くに震源があることは明らかだった。
無論、震源は考察するまでもなく、眼前にて聳える大聖杯――穢れを孕んだ巨塔から声と揺れが出ている。

輪廻が身構えたとき、それは衝撃を伴って姿を現した。
大聖杯の根元より門をぶち破るかのごとき勢いで這い出ると、その巨木のように太く、河川のように長い純白の体を巨塔に巻き付けていく。
螺旋を描きながら頂を目指す姿はまるで禁断の秘宝を求める覇王にも、人に知恵を授けた果実の逸話に登場する蛇のようにも見えた。

事実、彼奴は王であり蛇であった。
西洋において神や天使、聖人に退治されてきた悪の象徴たるドラゴン。東洋において富を齎すとされ神社・仏閣で祀られている白蛇。
二つの要素を兼ね備えた蛇竜にして邪竜は、両腕を覆うように畳んでいた翼を大きく展開し、塔の頂点たる黒の太陽を背に名乗る。

『我はホラーの神―――(まこと)の名は……大魔導輪レヴィロン』

鈍く輝いた真紅の眼光。それに中てられ、切嗣とウェイバーの身に異変が生じた。
切嗣の全身からは突如として溢れるような冷や汗が噴出し、胸の奥には今にも吐きそうなほどの苦しみが沈み込んでいく。
ウェイバーに至っては何も見えなかった。中てられた瞬間、視界から色彩が消えた。その次は徐々に世界の輪郭が薄れていき、やがて全てが白黒の画用紙と化していく。

だが、それはキーンッ!と言う音によってかき消される。

「「――――ッッ!?」」

二人の感覚は元に戻り、肉体の調子を確かめるべく、胸を摩ったり、辺りをキョロキョロと見渡している。

「落ち着いて二人とも。こんなの、奴にとっては挨拶みたいなものよ」

刀身をヴァルンに噛ませながら弾くことによって精神に強く響く音を発し、二人を正気に戻した輪廻。
彼女の視線は依然として敵を見据えており、すぐさま剣を構える。

『クフフフ……』

蛇竜はその姿を一瞥し、含み笑いを零した。

『フッフッフ……』

だが、それも徐々に口が開いていき、声が外に漏れだしている。

「何が可笑しい」
『貴様が我に刃向かう。実に数奇な因果だ。……しかし、これは必然とすら言えよう』
「何の話だ?」

レヴィロンの勿体ぶった物言いに輪廻は少し強めの口調で問いを投げる。

『その答えは我ではなく、そやつに聞くがよい。なあ、フォーカス―――』

鋭い爪が伸びた指でその人物を指し、名を口にした。

『―――否、月光騎士・牙武(ガム)
『…………』

孤高のホラー剣士は沈黙する。肯定の沈黙を。
それに対し、魔戒騎士以外の面々は眼を見開いてフォーカスに視線が釘付けとなった。

「成程。そういうことだったのですね、フォーカス」
『初めて出くわした時から普通のホラーとは違うってのは解っていたが……』

剣を交えたとき、彼に首を落された者である雷火とその魔道具であるバジルは驚愕ではなく、寧ろ答えを得て胸を撫で下ろしていた。

「嘗て私が生きていた時にこのような話を聞いた覚えがあります。確か、初代の―――」
『待て、オレが話す。奴もそう言っていただろう』

腕を出す仕草と共に雷火の言葉を遮るフォーカス。
タイミングとしては非常に不本意ではあったが、彼奴の口から喋られるよりは遥かにマシと判断した。
故に彼は遂に自らの口を割ることを決意した。

既に時の彼方へと去った過ちの全てを。

『あれはそう……凡そ一千年の昔―――』





*****

平安の世と呼称される時代。
それは日本の裏の世界、神秘の力が最も大きく動いていた時代である。

かの四天王と共に成した酒呑童子と茨木童子の征伐、土蜘蛛伝説にて名高い源頼光。
陰陽術と式神を自由自在に操り、歴史の教本にも名を刻む最強の陰陽師・安倍晴明。

光と影が互いに強く濃い時代の中、聖家の初代当主こと聖朱雀―――史上初の女魔戒騎士「紅蓮騎士・狼姫」が誕生した。
だが、彼女は最初からソウルメタルを操れたわけではなかった。他の女人と同じく、騎士の剣を持ち上げることすら叶わぬ只人であったのだ。

諸人たちはこういった。

「あれが月光騎士の伴侶か?」
「美しいお人だ。それに剣の腕も旦那より上と聞く」
「惜しいなぁ……所詮は女人。どれだけの剣豪であろうと、宝の持ち腐れよ」
「もし男子として生まれたのであれば、最強の騎士になれたであろうに」
「ああ、実に勿体ない」

敬われ、羨まれ、憐れまれ、見下された。
遠目に見られ、責任なき陰口を叩かれた。

それでも、聖朱雀は夫と共に剣の道を歩んでいった。
それが己に出来る最大限のことだと信じて、只管に火羅(ホラー)から人々を守り続けた。

そうであった筈なのだ。
ある日、ある時、彼女の夫が消息を絶った日を境に全てが変わった。

朱雀は必死に彼の行方を追い、彼と交流のあった騎士や法師の許を尋ねて回ったがついぞ見つけ出すことはできなかった。
手がかりさえも得られず途方に暮れ、気を落としていたある日のこと、朱雀は自分の変化に気づくこととなる。

それは生まれてからこのかた、触れるだけで巨岩のように重いと感じ続けていた魔戒騎士の剣がまるで羽毛のように軽く感じ、容易く振り回すことができるようになっていたのだ。
当然、朱雀はこの尋常ならざる事態に大きく困惑し、番犬所の神官に報告と相談を行った。
狐の面を着けた白装束の神官は事のあらましを聞き、一つの仮説を立てた。

「牙武が関係しているのやもしれない」

―――と。

確かに朱雀がソウルメタルを扱えるようになったのは彼が失踪した直後のことだ。
だが、それとこれを直結させるのは如何なものかと思った。
そんな朱雀の考えを真正面からぶち壊すかのように、真相を知る時は直ぐに訪れた。

「剣を扱う火羅の存在が確認された。直ちに調査を行え」

下された指令を一早く片付けるべく、朱雀は急ぎ敵の出現したと思しき場所を散策した。
そして、遂に彼女にとっての―――そして、彼にとっての運命の夜が始まってしまった。

「月光剣…………陽炎(かげろう)?」
『――――――』

銀灰の鎧を纏う一体のホラー。
初めて見る姿だが、それでも朱雀は知っていた。
猛禽の瞳からにじみ出る気配を。そして何より、その手に持つ剣を。

『―――朱雀』

意を決したかのように、騎士は女の名を呼んでみせた。

「なんで……どうして……」
『ああ……言い訳をする気はない。これは小さくも大きい望みを叶えた結果だ』
「望みを叶えた?…………少し待て。まさか、あなた―――!?」

叫ぶ女に対し、騎士は淡々と指をさして告げた。

『その身に騎士の力を宿すよう取り計らったのは、俺だ』
「有り得ない……。そのような真似、一体なにをどうすれば……!?」
『大魔導輪との契約だ。尤も、ガジャリではなく、魔界に加担するもう一体の大魔導輪』

己の伴侶の身に起こった力の原因を。己が堕ちてまで与えたかったものを。

『オレは火羅となる代わりに、聖の女の血筋に魔戒騎士の力を授けるよう契約を結んだ』
「―――――――――――――」

しかし、そこまでして力を投げ渡された女の口からは言葉すら出なかった。
無論、騎士は感謝の言葉などを期待してはいなかった。微塵も、と言えるほどに。

「陽炎」
『朱雀』

互いに名を呼び交わす二人。
その声にはある種の決意が込められていた。

「私は…………貴方を討滅する」
『あぁ、やってみせろ。魔戒騎士』

天に向けてまっすぐに伸ばされる魔戒剣。
その切っ先が完全なる円を描いた瞬間、それは現世と魔界を繋ぐ門となる。
光が降り注ぎ、それを浴びた彼女の姿はソウルメタルで覆われていく。

金属特有の光沢で輝く真紅の鎧。
鋭い眼光が目の前の敵を見据え、手にした日本刀は断罪剣へと変わる。

これこそが紅蓮騎士・狼姫の誕生の瞬間であった。

「聖朱雀……推して参る!」
『月光……否、火羅フォーカス、来るがいい!』





*****

『そして……戦いは引き分けで終わり、それ以来オレは朱雀と顔を会わせることは無かった』
「――――――――――――」

言葉も出なかった、とはまさにこのことだった―――

「―――フォーカス。あんた、バカ?」
『…………ふぇ?』

―――訳でもなかった。

『お前……他に何かないのか?オレ、先祖だぞ』
「他も何も……それ以外にどんな感想を持てと?」


溜め息交じりに太々しい態度で斜め上の言動を言ってのける輪廻に、フォーカスは間の抜けた声音で尋ね、逆に問い返されている。

「あんたが私たちのご先祖様だってことは理解した。聖家の女が騎士になれたのはあんたのお陰なのも理解した。でもね―――」

輪廻は一呼吸置き、バッサリと言い放つ。

「勝手に何もかもを背負う必要なんて無い」
『……輪廻……お前……』
「――――――――――」

その言葉は何も、目の前の阿呆(フォーカス)にだけ言い放った訳ではない。自らの傍に侍る従者(サーヴァント)にも当てはまる言葉だ。
いかに一騎当千の古強者といえど、圧倒的な理不尽を前にして単騎でこれを退けるなど不可能。なればこそ、歴代の英雄たちは他所から知恵を、道具を、助力を請うた。
それを生まれてこの方、三十年も経っていない若輩の女騎士はそれを明け透けな物言いで指摘して見せたのだ。

「だから、さっさと前を向きなさいよ。あの時、私を助けてくれたみたいに」
『は……ははは……』

小さく、それでいでハッキリとした笑い声が聞こえてくる。
騎士は自らの頭を片手で抱え、徐々に声量を大きくしていく。

『ははははは……!あははははははは!』

何も知らぬ者からすれば気でも狂ったかのように見える姿。
しかし、そこには狂気など微塵もなく、寧ろ朗らかな思いが声に乗っていた。

『まったく、お前というヤツは本当に大物だとつくづく実感したぞ』
「煽てても何も出ないわよ」
『煽ててなどいない、これは事実だ。裏切り者の騎士に、系譜の汚点に励ましの言葉を送るのだからな』

フォーカスは興が乗ったと言わんばかりに明るい口調で断言する。
輪廻はそんな彼に対し、トドメとばかりにこうも言って見せた。

「裏切り者だろうと何だろうと、騎士は騎士。だったら、責任の一つや二つはとって、私たちに協力しなさい。そして、全部終わったら私との決着をつけなさい。それだけのことよ」
『極めて了解だ』

この場には似つかわしくない筈の会話……だが、彼らの雰囲気が違和感を中和し、和やかな空気を生み出している。
尤も―――

『茶番はもうよいか』

―――邪龍にそのようなことは端から関係ない。

『余興としても……これ以上は些かくどいぞ。あの神の下僕も期待外れだったからな』
「―――言峰、綺礼……」
『あぁ、中々に稀有な陰我を秘めた聖者であった。この邪なる聖杯に眠る者の誕生を賛美し得るほどに』

蛇龍にとっては全てが余興。全てが退屈凌ぎのお遊び。

『そして、奴が貴様に与える嘆きの算段の愉快さに免じ、敢えてこの”器”は壊さないでおいてやったが……』

故に、今この場の全ては彼奴の気紛れのままに動く。
龍の指先が何もない宙を指したかと思えば、ほぼノーモーションで空間が歪み、一つの人影が現れる。

「ッ――アイリ!!」
『……もう要らぬ、邪魔だ。何処へなりとも連れて去れ』

指先が今一度動いたかと思えば、白い姫君の姿は一瞬で消えると同時に伴侶の腕の中へと収まった。

「―――――!」

衛宮切嗣はその現象に驚く間もなく、一目散に来た道を引き返すべく駆け出した。
後ろを振り向かず、ただ只管に走っていくその背中を嗤うものは一人としていなかった。
理解しているからだ。今、自分たちの視界一杯に映り込む存在は、只の魔術師如きでは近寄るだけで死に至るのだと。

何より、彼には守るべきものがあるのだと。

『さあ、サーヴァント達よ。此処が聖杯戦争の終局。そして、我が願望が成就する時』

しかし、如何に尊い思いさえも魔性へ堕ち果てた者の心には極めてどうでもよいものにしか映らない。
一瞥もくれることなく、その白く細いながらも長大な両の腕を高らかに挙げ、邪龍が声を響かせる。

『その為に……我が贄となれ、人よ』

全ては己の為に。
この星の万物は我が為にある。そう言わんばかりに。





*****

衛宮切嗣とアイリスフィール・フォン・アインツベルン。
二人の出会いの場は雪に閉ざされた城の最奥だった。
小聖杯を担う器として鋳造されし美しい人形の姿を見て、傭兵が感じたのは一抹の不安であった。
彼女の役目とあくまでも「器」だ。そこに自由に動く手足を生やし、管理者に対しあれやこれやと喋る口を与えるなど、意味が分からないとすら思った。
必要なのは一早く敵を排除できる戦闘力と説く切嗣に対して、それは生存の戦略ではない。自衛という観点では脆弱とまで反論する始末。

いっそのこと破棄して別の器を用意すべきだと言って見せたが、この頃の衛宮切嗣ですら情を捨てきれないことがすぐさま露呈する。
完全なてぶらの状態でアイリスフィールを狼と怨霊が跋扈する吹雪の森に置き去りにし、自力で城へ帰還させるという試練をアハト翁が課したと知り、切嗣は感情の赴くがまま彼女を救いに向かったのだ。
強い憤りを感じた。人造人間といえども、手ずから造った娘にこのような仕打ちをする老害に。そして何より、余計なことを言った自分に。

だが、これが二人の関係を縮める切っ掛けになったのかもしれない。
切嗣とアイリスフィールはその後、何度となく語り合った。否定もした、質問もした、返答もした。
やがて機械的であろうとした切嗣と機械そのものとすら言えたアイリスフィールの心には確かに明るい何かが差し込む始める。

事務的なしゃべり方は鳴りを潜め、彼女は魔術師殺しと呼ばれた男に寄り添うことを選び出す。
しかし、彼は自分にそのような資格はないと拒絶した。
それでも温もりを宿し始めた彼女の心は切嗣に訴え続け、遂に一人の女が魔術師殺しに完敗を認めさせたのだ。

故に、衛宮切嗣は願い、乞い、祈る。
強い子を産んでほしい、と。
未来への確かな希望を託せる子が生まれてきてくれることを信じて。

「アイリ……!アイリ……!」

脳裏によぎる数々の思い出。
出会いの記憶、触れあった記憶、そして家族の記憶。
それらが決して嘘ではないと証明するように、夫は妻の名を叫び続ける。

「……………………ぃ」
「―――ッ」

麗しき唇から漏れた声がわずかに鼓膜へと届いた。
夫は妻を抱き寄せ、先ほどとは正反対に無言で只管抱きしめた。

ここに衛宮切嗣とアイリスフィール―――アインツベルン陣営はマスター・サーヴァント共に健在なれど、第四次聖杯戦争から離脱する運びとなった。





*****

再び、龍洞・最奥。
一組の夫婦が無事に逃げおおせた直後から始まる。
巨龍の眼下にてそれぞれの獲物を構える戦士たちは、刹那とすら言える程に間近に迫った決戦の瞬間の中、決して恐れや怯みを見せまいと緊張の糸を張り詰めさせている。
が、そんな彼らの決死の覚悟の籠った鋭い視線を浴びながらも、白き龍は依然として余裕綽々の態度を崩す素振りを露程も臭わせない。
超越者たる者同士ながらも、光と影を表すかのように互いの意志は音もなく激しく鬩ぎ合っている。

これから人類の命運を決する最後の戦が開かれる。
ならば、一番槍となるべく口火を切るのはこの男。

「集え、我が同胞よ!集え、我が至宝の兵達よ!『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』!」

征服王イスカンダル、即ちアレクサンドロス3世。彼が成しえた偉業とはまさしく征服。
ギリシア、メソポタミア、エジプト、ペルシア、インドといった当時のギリシア人が考える世界の主要部の大凡を一繋ぎにした若き世界征服者。
現代の戦術の教本にも名を残すハンニバル、紀元前ローマの終身独裁官となったユリウス・カエサル、フランス第一帝政が皇帝ナポレオンからも英雄と評された大王。

彼が真に築き上げてきたモノとは領土のみにあらず。そんなものは彼にとっては副産物に過ぎない。
かの王が何より愛したのは大遠征の中で自らと共に夢を抱いて進む素晴らしき朋友たち。彼らと共に歩き、目に焼き付け、心に描いた心象風景たる砂漠の平野が固有結界としてこの場にいる全ての者を包む込んだ。

「我らが挑むは陰我を啜るホラーの神!人の世を呑まんとする白き邪龍!誉れ高き騎士達と共に討ち果たし、新たな伝説を刻むのだ!」
『おおおおおおおおおおッ!!!!』

神牛が牽く戦車に新たな臣下たるウェイバーと此度の協力者たるセイバーを乗せ、大王は剣を抜いて号令をかけた。
ライダーのすぐ横には魔戒騎士たちが己の魔導馬に騎乗し、その手に執った得物の刃を魔神に向ける。
錬鉄の英雄はロキの後ろで響赫の背に立ち、同じくして雁夜もギロの後ろで叢雲の背に乗っている。
そして、今しがた主たる邪神に反旗を翻したフォーカスは背のマントを翼のように変形させ、空を舞った。

『乾坤一擲の覚悟で来るがいい』

これ程の大軍勢を前にしても恐るべき魔龍の余裕は崩れない。
長く大きい腕を伸ばし、まるで魔王のように一同を迎え入れる姿勢を見せている。

何百何千何万という猛烈な足跡と共に舞い上がる砂塵。
もはや竜巻が起こっているのかと錯覚しそうな勢いで昇っていくそれが兵たちの士気の高さを示していた。

『AAAALaLaLaLaLaLaieッ!!』

盛況な兵たちは助走をつけて思い切り良く投擲される長槍。数の暴力の体現ともいうべきそれが一斉にレヴィロンへと殺到する。
しかし、その程度では神を名乗る者の身に傷の一つもつかないことは先刻承知。故に、そこへさらに―――

投影開始(トレース・オン)

赤き外套を纏った魔術師の秘奥が発動し、放たれた槍と同じ形の物が二倍、三倍となって増殖する。
しかも、槍の雨の中に混じった彼の作品の穂先は全てソウルメタルに挿げ替えられている。
これが数だけが取り柄の素体ホラー相手であればオーバーキルと言う他にない過剰攻撃である。

『雨か。ならば、こうだ』

レヴィロンが腕を軽く一振りすると、それだけの動作で半透明の膜らしきものが展開され、槍の雨霰の尽くが受け止められる。
しかし、それは一時のものでしかなく、まるでシャボン玉のように弾け、そのまま奥にいる本体へと届く。

―――が、

『……ク……ククク。こそばゆいものだな』

依然として龍の鱗には傷一つない。
槍の幾らかは確かに届いたはずだというのに、蚊に刺された程度の効き目さえない。
余裕綽々のレヴィロンの様子などお構いなしに、勇士らは新たな一手を打つ。
もとよりこの程度でホラーの神を名乗る存在に痛手を負わせられるとは彼らも考えてはいない。

「烈火激竜……!!」

次なる攻めを繰り出すは紅蓮騎士。
手にした剣が魔導の大火を渦巻かせ、一匹の巨竜の姿を形作る。
高熱による大気の震えが火竜の声となって轟き、一直線に魔龍めがけて突撃する。

『偽りの竜を我に見せるか。不敬だ、疾く散れ』

しかし、それも邪神の眼には苛立ちを誘うだけの児戯に過ぎない。
指先から邪気で放出されると、それは瞬く間に大蛇の姿に形成され、牙を剥き出しにして火竜との食い合いを演じる。
互いに互いの腹へと噛み付き、対消滅という形で勝負は終了する。
色違いの火の粉が混じり合いながら散っていく様は、刹那的な美を魅せた。

しかし、これもまた本命にあらず。

「行きますよ、皆さん!」
「―――あぁ!」
『応とも』

暗黒騎士とその従者、そしてホラー剣士の三人。
地を駆ける二人と空を舞う一人は白蛇の頭へと矛を向け、決意の一矢を放つ。

『満月斬ッ!』
「こいつも持ってけ!」

フォーカスの邪炎と剣技により、さながら本物の満月のように丸い斬撃が放たれる。
そこへすかさず、雁夜が手にしているレライハの銃口から幾発もの魔弾が音速で飛び出し、鏃型のフォーメーションを組んで満月へと飛び込んでいく。
それにより満月斬と銃弾は一個の巨大な火矢となって標的の頭めがけて突き進んでいく。

『考えたものだ。だが無意味だ』

レヴィロンの態度は依然として変わらない。
万物を焼却せしめる炎を纏った絶対命中の銃弾の群れ。
それが眼前に迫ろうとも、白き龍は揺るがない。それを象徴するように手を軽やかに振るう、まるで音楽の指揮者のように。
迎撃をするでもなく、防壁を張るでもない。炎の鏃は一直線にレヴィロンの紅い眼へと殺到した。

それにより生じた爆炎の轟音と濃い煙が辺り一面をほんの数秒間だけ覆い隠した。

『ククッ……』

それが晴れる時、姿を現したのは無傷の玉端を悠然と晒す邪龍の姿。
間髪入れることなく都合四度に渡って放たれた猛攻の数々。それらは下級のホラーやサーヴァントがまともに受ければ消滅は必至の威力であったことに間違いはない。
しかし、それでもレヴィロンは未だ倒れない。この姿はまるで嵐の中でも倒れぬ大樹を思わせる。

ならば、その大樹を伐採するべく、極大の刃を顕現させる。セイバーの手には最初からそれが握られている。

十三拘束解放(シール・サーティーン)――円卓議決開始(ディシジョン・スタート)!」

今こそ、円卓の騎士の願いという名の枷を外す時。
十三の内、半数を超えた承認を得るに足る戦いの中でこそ、其れは真の力を魅せつける。

共に戦う者は勇者でなくてはならない――承認。
心の善い者に振るってはならない――承認。
この戦いが誉れ高き戦いであること――承認。
是は、生きるための戦いである――承認。
是は、己より強大な者との戦いである――承認。
是は、人道に背かぬ戦いである――承認。
是は、真実の為の戦いである――承認。
是は、精霊との戦いではない事――承認。
是は、邪悪との戦いである事――承認。
是は、私欲なき戦いである事――承認。
是は、世界を救う戦いである事――承認。

「束ねるは星の息吹、輝ける命の奔流。受けるが良い!」

故にこそ、星の内海に蓄えられた幻想の力を解き放て騎士王よ。
世界の敵を打倒すべく、聖剣に黄金の光を灯せ。

約束された勝利の剣(エクスカリバー)ァァァァァアア!!」

偉大なる騎士王が振り下ろす勧善懲悪の一太刀。
枷の大半がかかったままの真名解放でもそのエネルギー量は約2300億キロカロリー、TNTにして約23万トン分の破壊力。
通常時ですら立派な核兵器と呼べる代物が、秘めたる牙を露わにした今、聖剣の光と比較し得る兵器など現代文明には存在しえないだろう。

『――――――――――』

龍洞最奥の遍くを照らし出す金色の極光は一直線に神なる邪龍へと押し寄せる。
レヴィロンはそれも避けなかった。数々の猛攻と煙幕による時間稼ぎがあったとしても、防護姿勢をとるくらいはできたはず。
にも関わらず、奴は堂々と真正面から聖なる光を一身に受けたのだ。

騎士王の渾身の一撃は竜体に直撃すると、その余波は四方八方へと拡散して洞窟のあちらこちらへと流れ弾となり岩を破砕する。
中心地は勿論のこと、その周囲の天井も壁も地面も木っ端微塵と化していく。
諸人が見ればこう思うだろう。あの一撃を受けて無事でいられるものなどいないと。
そして、こうも思うだろう。これで彼奴の野望は終わったのだと。

けれど、その想いは儚い泡粒のようにぱっと浮かび、ぱっと爆ぜた。

『……………………流石、最後の幻想を担う王者。我にここまでの手傷を与えるとは』

濃い煙と長い沈黙の中、不服そうでいて確かに騎士王の放った破壊の光の力を認める言葉。
煙はスクリーンのように竜の姿をシルエットという形で伝える。
その中で蛇のように細長い体はうねりを見せるとともに元の太さを取り戻し、巨大な翼を広げていく。
先の攻撃で削られた肉体は言葉を発した時から再生を開始していたのだ。その為に用いられるエネルギーの出所など問うまでもない。

『十三の枷、その全てが解放された聖剣であれば、我を討滅できたやもしれぬ。尤も、”たら”だの”れば”だの、言うだけ無駄な仮想にすぎんがな』

レヴィロンの声は次第に敬意を急速に薄れさせていく。人類最高位の聖剣がなんたる様だ、と嘲笑っているのだ。
今にも、くくく、という笑い声が聞こえてきそうですらある。
只人であれば絶望しただろう。あのエクスカリバーを以てしてもダメなのか、と。

「――――えぇ、何しろ貴様には大聖杯がある。耐え抜くだろう」

ただし、ここには只人などいはしない。それを証明するように、真紅の騎士が断言した。

『ん?』
「遊興に夢中で気配りが疎かになっていないか?」

今度は人間側が発現する。傲慢な蛇の高慢ちきな物言いを全否定してみせるために。
事実、

「バーサーカー!」
「■■■■■■!」

視野が狭くなっていた所為で二人の騎士が自らの懐に入ってきていたことに今気が付いたのだから。
より正確に言えば大聖杯、しかも紫電騎士が今際の一撃として遺した僅かな亀裂に再び剣を突き立てようとしている。
口よりも早く手が動いた。条件反射的に高速で振るった腕だが、時すでに遅し。

ギロの煉獄剣とバーサーカーのアロンダイトが同時に亀裂へと突き刺さり、小さいながらも確かな裂け目に変えてみせた。

直後、

『退け』
「――――がっ、は……!」

白い巨腕が足元にいる暗黒の主従を薙ぎ払い、まるで羽虫のように吹っ飛ばしたのだ。
ただ、そこに補足事項を加えるとすれば、狂戦士が我が身を盾にするようにして自らのマスターを守ったこと。
衝突の際に生じた衝撃の大部分は湖の騎士にかかり、全身鎧を突き抜けたダメージが霊核へと直撃した。

「……master……Arthur……」

仮初の命の鼓動が止めるのを感じる。手足が少しずつ光になって解れていくのを感じる。
今の自分はもう終わると確信する。召喚されて間もないころにあった筈の憎悪と狂気が薄れていく。
気が付けば彼は自身の口から言葉を発していた。

「主よ、騎士王よ……これが不忠の輩に出来る精一杯。どうか、御身らに勝利を」

理性の光を取り戻した”湖の騎士サー・ランスロット”。
一度は昏き闇に身を窶した彼だったが、正しき闇との邂逅を経て誇りを取り戻した。
再び共に戦ってくれた敬愛すべき清君と、その機会を与えてくれた女騎士に確かな感謝と祈りを捧げて、この現世から融けるように消失した。

「姉さん!」

地に倒れ伏した実の姉の身を案じてロキが兜の中で血相を変えて駆け寄った。
ギロの鎧は衝撃のダメージで解除され、装着者である雷火の姿が露わになっている。
吸血鬼としての特性のお陰で全身複雑骨折という重度の肉体の損傷は十秒弱で回復を迎えた。
ただし、ランスロットの助けがなかった場合、本当に一度は死んでいたと断言できるだけの暴威が白龍の剛腕に宿っていたのは間違いない。

「輪廻……ごめんなさい。不覚を取りました」

それは攻撃を受けたことについての謝罪だけではなかった。
回復した筈の姉が一向に起き上がらないことに不自然だと感じたロキは左右の手甲だけを解除した。

「姉さん、ちょっといい?」

そして、姉が纏っている黒マントを外してその下にある肌の露出部位、左右の上腕を見た瞬間に理解した。
雷火の素肌には見たこともない漆黒の文字が出鱈目に這っていたのだ。この様子だと服の下、首から下全てにこの文字があると診ていいだろう。
それは紛れもなく呪い、しかもホラーの血を啜る暗黒騎士の身動きすら封じてしまう特級の呪印であることは明白だ。

レヴィロンはあの打撃によって呪詛を打ち込んでいたのだ。
例え、生き残ったとしても戦力外に追いやるという悪辣な手口の証拠である。

「輪廻。私の令呪だけ回収して、一刻も早く奴に追撃を加えるのです」

今の雷火は指一本動かすことすらできない有様だ。
だからこそ、残された数少ない自由である口を必死に動かす。

「奴が固有結界内にまで持ち込んだ……いえ、離れられなかった大聖杯に」
「……えぇ、任せて!」

心象風景を具現化して現実を侵食する絶技、固有結界。
その魔術の深奥たる空間にまで食い込んで存在する大聖杯は明らかにレヴィロンの圧倒的な力と密接な関係があると観るべきだ。
即ち、レヴィロンは大聖杯と直結することで数十年分のマナ、そして吸収された英霊の魔力をリソースとしている。
絡繰りさえ解ってしまえば攻略法は自ずと見えてくる。というより、既に裂け目に楔が打ち込まれる瞬間を目撃している。
あとはその裂け目にもう一撃を与えれば、まるでダムのように決壊することだろう。

輪廻は雷火の承諾を得て、手の甲に残された最後の令呪を譲り受けた。
これにより、輪廻自身の令呪は再び三画の姿を取り戻した。

「響赫!」

全てを理解したロキは愛馬を強い声音で呼び出し、鞍に跨るとすぐさま合図を出して再び全速力で走らせる。
手に執った断罪剣を掲げ、敵も味方も関係なく視線を集める姿は物語に登場する勇者そのものといえた。

『…………っ』

当然だが、それをみすみす許すほど、邪悪なる龍は寛大ではない。
ほんの小さな音量だが、確かに舌打ちををすると同時に赤黒い魔力の槍を十本も形成し、ロキと響赫めがけて射出してきた。
高速で飛来するものの紅蓮騎士の道を阻むに能わず、別の者たちの剣によって弾かれた。

「兵(つわもの)たちよ、今一度死力を尽くせ!邪神を討つべく、勇壮なる騎士の道を切り拓け!」
『オオオォォォォォォォ!!』

ライダーの号令に応じて兵士たちが既に投擲した槍の代わりに腰に提げた剣を投げて強引にレヴィロンの槍の軌道を捻じ曲げた。
だが、これにより兵士たちはこれで主要な武器を失ったことになる。それでも彼らができることはまだある。

『AAAALaLaLaLaLaLaieッ!!』

それは生まれ持った五体。彼らは文字通り、自身を王の贄とする覚悟でいた。
現在、ライダーは固有結界と臣下の現界の為に大量の魔力を消費している。ならば、コストの支払先の自分たちを純粋な魔力として王の許へ還元する。
これにより、王の負担は減るばかりか魔力の回復を受けることになる。

遥かなる蹂躙制覇(ヴィア・エクスプグナティオ)!!」
『ならば……!』

紅蓮騎士を追い越し、彼女の背にして守るように駆ける征服王。
宝具としての能力を発動した神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)、二匹の飛蹄雷牛(ゴッド・ブル)が牽く戦車はバチバチと雷を鳴らす。
白き邪龍は両手に力を込めて翳し、先ほどとは比較にならない程の野太い二本の赤黒い槍を形成する。

「ッ――降ります!」
「え、あ―――!」

数秒後に起こる大激突に際し、セイバーはウェイバーの体を掴むと同時に戦車から飛び降りた。
ウェイバーはまともな言葉を出す暇すらなく戦車から遥か後方へと強制的に移動させられた。
しかし、戦車から降ろされる直前に己の意志で王と仰いだ男の言葉が確かに頭の中に届いた。

”生きろ、ウェイバー。生きて、余を語れ”

次の瞬間、神に連なる牛と邪に染まりし龍が衝突した。
空間が震えた、などという生易しい表現を破壊して止まない。まさしく一個の世界同士の鬩ぎ合い、という他なかった。
神牛と黒槍は接触した瞬間、まるで物質と反物質のように凄絶な衝撃波を生み出しながら互いを滅ぼし合っていた。
次第に神牛の角が消え去る頃には邪龍の槍も消え去り、残されたのは神牛が牽く戦車とそれに騎乗するライダー。
満身創痍の神牛は尚も足を止めず、主君から供給される魔力を糧に爆走を続ける。自らが今ここで終わることを覚悟しているから。

そして、それは神牛の主たる巨漢の王も同じだった。
自分は今、生前成しえなかった神なる龍に挑むという覇業の最中だ。
気合が漲る。血潮が燃える。魂が震える。何より、心が躍るのだ。

「彼方にこそ栄えあり!!」

故に何も恐れることはない。激突によって己が心象風景は崩壊の兆しを見せ、五体もまた消え去りつつあるが、それは未来へと続く足跡となるのだ。
いざ続け、愛すべき勇者たちよ。我が覇道の先に勝利の栄光をもぎ取って見せろ。
嗚呼、数多の略奪と征服を以てしても到達できなかった我が理想―――この胸の高鳴りこそが最果ての海(オケアノス)の響く潮騒だったのだ。

ライダーのサーヴァント、征服王イスカンダル。
邪悪なる白き龍の放った渾身の一撃を見事に打ち消し、戦場にいる全ての者の魂に鮮烈な記憶を刻み込み、煌く勇姿を花火のように魅せつけながら散って逝った。

「…………ッ」

大王の最期を見届けたウェイバー・ベルベット。
その眼には涙を溜めていたが、決して流すことはしなかった。
少年から青年になった彼は誓う。世界の多くがこの瞬間を知らないからこそ、自分がその生き証人になると。
例え届かないと分かっているからこそ、偉大なるあの漢の背中を目指すことを決して諦めないと。

『イスカンダル…………!』

一方で全くよろしくないのがレヴィロンだ。
征服王の相手をするために僅かな間とはいえロキから意識が逸れてしまい、さらに接近を許してしまった。
もうこれ以上は踏み込ませまい、と思った矢先に―――

So as I pray, Unlimited blade works.(その体は、きっと剣で出来ていた)

―――剣の荒野が顕現する。
天を覆う巨大な歯車の群れ、地に突き刺さる玉石混交の剣群。
次なる固有結界『無限の剣製(アンリミテッド・ブレイド・ワークス)』。

「令呪を以って、我が従者に命ずる!」

固有結界の展開によって引き続き紅蓮の鎧を纏い続けるロキ。
令呪が刻まれ、固く剣を握りしめた手を掲げると同時に力強く叫んだ。

「キャスター!全令呪の魔力を託す!正真正銘、全身全霊の力を示せ!」
「極めて了解だ、輪廻」

一画ですら空間転移という魔法紛いの現象を引き起こす純然たる魔力の塊、それが令呪。
ならば、三画全てを能力ブーストをかけるための燃料として叩き込まれた今のキャスターが為し得る全力、それは―――

「さあ、禁じ手の中の禁じ手だ……!この投影、受けきれるか!」

とうの昔に擦り切れ、朧気ながらも確かにその心に焼き付けた憧憬。
その象徴たるかの王の持つ黄金の剣―――の精巧な贋作。

「この光は永久(とわ)に届かぬ王の剣……『永久に遥か黄金の剣(エクスカリバー・イマージュ)』!」

両の手でしかと掴んだ柄から伝わる少年期の思い出。
彼女と共に降り抜いたあの感覚を再現するかのように錬鉄の英雄は至高にして究極の幻想を抜いて見せた。

『小癪な』

レヴィロンは直接自身の両手を組んで即席のハンマーとし、キャスターが放つ最高の光と真正面からぶつかり合う。
本来なら先ほどのように槍なり剣なりを作って対抗したかったが、ライダーとの正面対決から間髪を入れずのことだったため、遂に我が身を用いた迎撃に踏み切ったのだ。

二度目となる壮絶な世界と世界の壮絶な激突。
究極の一に至れずとも、憧れからそれを借り受けた贋作。対するは神秘の究極たる大聖杯の魔力。
空に浮かぶ歯車は崩れ去り、荒野の剣は薙ぎ倒されていく。
三画の令呪という規格外のバックアップを受けてなお、錬鉄の英雄は白の邪神を討つには能わない。
だが、その事実を嘆くつもりは毛ほどもなかった。何故なら……。

「往けッ!」

勝利を掴み取るのは自分の手ではない。
数多の英雄たちの決意を継承した騎士の手に委ねたのだから。

一陣の風となり、鉄風雷火の三千世界を堂々と疾走する紅の影。
魔導馬は荒い息を吐きながらも四本の脚を全力で動かし、目標たる大聖杯の根本へはもう目と鼻の先にまで迫る。
駆ける中で後方へと置き去りにした相方の言葉を背負い、女騎士は決して振り向かず前だけを見据える。

もし、振り向いていたのなら、彼女は凄惨にして神秘的な光景を目にしたであろう。
錬鉄の英雄が構える光り輝く王の剣は純白の龍の両腕を二枚に切り裂きながら前進している。
英雄が歩を進めるたびに、光に灼かれる龍の絶叫が轟き、辺り一面には沸騰したどす黒い血がまき散らされている。

『ぐ……っ』

無論、邪神を名乗る龍を相手にこれ程の力を示した代償は……”禁じ手”という言葉は決して安くはない。
永遠の未踏を目指して左右の足を前に出せば出すほど、鋼のように鍛え上げた肉体は光の粒子となって消えていく。
鋼色の眼は光の中で己が主人が遂に仲間たちが刻み続けた勝利への道程へと辿り着いた姿を確かに捉えた。

「ありがとう、輪廻。かつて叶わなかった理想を、君と共に歩むことで果たすことができる」

今の彼はまさしく『正義の味方』だった。
世界を闇と恐怖で覆いつくさんとする巨悪を退治し、救世を成し遂げるという、幼い日の少年の夢。
それを実現させるための手段、力とは何か。答えは明確にして単純、そして何よりも傍にあったのだ。

自覚を得た瞬間に贋作者は遂に力尽き、あとに残ったのは両腕を二枚に降ろされた蛇龍と、贋作者の想いを受け継いだ彼の主。

「ウオォォォォォぁぁぁぁぁああああ!!」



――ビカッ!!――



力一杯握りしめた剣の柄。地に向けて振り下ろされる切っ先。
確かに遺した。確かに刻んだ。確かに届いた。そして、確かに果たされた。

抉じ開けられた穴から噴き出した黄金の光が紅蓮騎士・狼姫の総身を包み込む。
千年の英知の結晶、大聖杯は今此処に決壊する。他ならぬ、過去に己が戯れに授けた力によって。




次回予告

ヴァルン
『出会いと別れを繰り返し、継承の物語は紡がれる。
 意志の継承を繰り返し、不朽の光が未来を照らす。
 次回”黄金”――彼らと共に、斬り裂け!狼姫ィィィ!』



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