狼姫<ROKI>
主従


大聖杯。
聖杯戦争の根幹を成すモノにして、万能の願望機そのもの。
龍洞の奥深くにて聳える様は、まるで天上の光を掴むべく腕を伸ばしているかのように見えた。
その威容の前にて描かれた魔法陣―――中心点に安置されている銀髪の姫君。
アインツベルンが誇る最高峰のホムンクルス、聖杯の器、次代を産みし者。

彼女の名はアイリスフィール・フォン・アインツベルン。

『ククク……頃合いだな(ソモラリガア)

眠っているはずの彼女の耳に届く声。
それはこの世の者とは思えない恐ろしい重圧を伴っていた。

『さあ、目覚めよ。折角、貴様らと同じ言葉で語りかけているのだぞ。疾く応えよ』

異界の言葉の次は人間の言葉で命じる闇の声。
その命令に応じたかのように、アイリスフィールはゆっくりと瞼を開け、瞳孔に光が差し込む。

「あ…………私は……?いえ、此処は……!?」
『気分はどうだ?』

意識を取り戻したアイリスフィール。彼女の寝ぼけ眼は早々に醒めた。
それもその筈。自分が何故、大聖杯の前で安置されているのか、という疑問に苛まれたのだから。

「誰?」
『質問しているのか此方だが……、まあ良い。答えてやろう』

質問を質問で返すアイリスフィールの態度に対し、闇からの声は責めることなかった。
暗闇から遂に姿を現した諸悪の根源。彼奴は長大な白銀の体をうねらせ、巨大な口を開いて名乗りを上げる。

『我が名は”レヴィロン”―――かつて、大魔導輪と呼ばれし者』

今ここに、器と竜が相対した。





*****

湖の騎士。
幼子のころ、湖に住まう神霊に浚われ、彼女に育てられた円卓の騎士の二つ名。
武勇に優れ、礼節を弁え、数々の婦人を虜にする面貌。
彼こそが騎士道の華を体現する、最高にして理想の騎士だと人々は謳った。

しかし、彼の人生は愛を起点とした不幸に付きまとわれていた。
仕えた王の妃との禁断の愛、、とある姫との悲恋、病んだ愛による王妃を騙った同衾。
その他、止むを得ない事情で行った事が原因で王妃からの誤解と失望を買うといった―――いっそのこと喜劇とすら表現したくなる有様だ。

だが、一番重要なのは王妃ギネヴィアとの不義の恋。
それが何時までも続くはずがない。例え、アーサー王が女であるが故、ギネヴィアは形骸の妃であろうとも。
ギネヴィアは理想に殉じるにはあまりに普通の女性であった。茨の道の厳しさに耐えかね、正常な男女の関係を求めて然りだ。

そんな許されざる関係を知ってなお、王はこう言った。

”貴方は私の知る限り理想の騎士だ。その貴方がギネヴィアを愛するというのなら、それは訳あってのこと。貴方は常に正しい”

その清廉な言葉は、彼の心をじっくりと蝕んだ。
彼が望んでいたのは許しの言葉ではない。己の罪を確と裁く、贖罪を命じる言葉だ。
関係も心も、何もかもが宙ぶらりんな有様は、遂に国そのものを歪める切っ掛けとなってしまう。

反逆の騎士、モードレッド。
騎士王とその姉の間に生まれた不義の子。
王位を狙う妖姫が造り出した刺客は、父たる王に憧れ、突き放され、愛憎のままに円卓を引き裂いた。
湖の騎士と王妃の許されぬ恋を暴露することによって。

裏切りの騎士。
円卓に亀裂を入れたという汚名は伝承に刻まれ、最早消すことは叶わない。
愛する者を守るためにかつての仲間を斬り、不忠の道を進んでしまった彼は、遂に騎士王の最期の戦地であるカムランの丘にすら赴けなかった。
王妃に去られ、一人残された彼は留まるところを知らぬ自己嫌悪に苛まれ、そこから逃れようと更なる過ちの結論に至る。

”この原因が憎い。ギネヴィアを不幸にした王が悪い。己を罰しなかった王が恨めしい”

しかし、自らを狂戦士に堕落させたその妄執も、とある女騎士との出会いで氷解していった。
誰かが悪かった、などという次元の話ではなかったのだ。

自らの人生と人間性を封印し、国と民草を愛した王。
だが、その清らかな思いは届かず、挙句には一人の弓兵がこう言い残した城を去った。

”王には人の心がわからない”

ならば逆に問おう。
真に心無かったのはどちらか。孤高に城で国の為に王たらんとした彼女の心を理解しようとした者はいたのか。
そのような簡単な疑問にさえたどり着くことなく、救うべき人を貶めることしか出来ない苦悩の末、彼は執念の怨霊と化した。

されど、暗黒の鎧を纏う新たなる主人。彼女との出会いが全てを変えたのだ。
彼女に連れられ、王たちの酒宴で耳にした王の願い。それは故国の救済―――ブリテンの歴史を塗り潰すというモノだった。
次の瞬間、自分でも信じられない行動に出ていた。如何に狂乱の坩堝にあったとはいえ、主君の尊顔を平手で叩くなど……。

そこで漸く気が付いた。
自分が何を為すべきかを。

騎士でなく男として―――忠臣でなく人として―――貴女と共に戦いたい。
それだけが、俺がこの摩耗した心に灯した、唯一の願いだ。





*****

そこは、扉を通して跳ばされた空間の中で、最も戦場らしい世界。
それもその筈。何せ、ここは燻る残り火、敵味方すら区別できぬ骸の山で成り立つ戦場跡。
降り立つは三人の英霊。騎士王セイバー、贋作者キャスター、黒騎士バーサーカー。
生前において幾度となく目にしてきた地獄絵図。故に彼らは気付いた。

漂う瘴気と熱に、何かが足りないことを。
これが現実ではない、ただの悪趣味なジオラマでしかないという確信があった。
特にセイバーは逸早くその事実に気が付いていた。

「……カムラン……」

己が死する場所。
不義の息子と自分自身だけが居ないこの丘の名を呟く。

「…………」

一方で狂戦士もこの無残な丘を無言で見つめていた。
数々のしがらみにより駆けつけることのできなかった場所を。

「―――おい」

だが、そのようなことはこの魔術使いには関係ないこと。
決して感傷的になることはなく、冷徹に言葉を投げる。

「来るぞ―――!」

瞬間、魔術使いの両手には陰陽の中華刀、干将・獏耶が投影される。
構えも取り、正しく臨戦態勢だ。

直後に、蒼銀の騎士は黄金の聖剣を現出させ、暗雲の騎士は予め魔術使いが投影して寄越したロングソードを赤黒く染める。

『『『ィィィィィィィ…………!!』』』

死体から、剣と槍から、影という影から奴らは姿を現した。
どす黒い岩のような肌、蝙蝠じみた二枚の翼、前に向かって伸びる角。
下級の素体ホラーどもが、眼前に佇む三つの獲物を喰らわんと大挙して押し寄せてきている。

「奴らのことだ。どうせ雑魚どもは我々を消耗させる為の捨て駒にすぎん。力を節約しながら戦え」
「承知しました。如何なる事態が起ころうと、この刃で斬り伏せます」
「…………」

キャスターの指示にセイバーは二言で承知し、バーサーカーも沈黙を以て返答した。
三者は得物を構え、迎撃の姿勢に入る。

「■■■■■■■■ォォォォォォォォォォ!!」

それはまさに号砲。
バーサーカーの咆哮が戦場に響き渡り、それを負けじとホラー共も唸り声をあげていく。

「ハアッ!」

同時にセイバーは一陣の風となり、低めの踏み込みから加速し、先陣を切ったバーサーカーと並ぶ形で敵勢へと突っ込んでいく。
その姿には違和感はなく、初めて彼らを見る者がいたとしても、二人の共闘は極めて手慣れたモノであることを察するに違いない。

闇を象徴するような赤黒い長剣。
星の極光の象徴たる黄金の聖剣。

この二振りはいとも容易く、素体ホラー共を貫き、切り裂く。
時には狂戦士が空を舞う悪魔のもとへ跳んで迫り、翼を片手で引き千切る。
その様子を刹那程度に一瞥した聖剣使いは無様に落ちる悪魔を躊躇いなく一息で一刀両断する。

二人の騎士の息は、以心伝心とすら表現できるほどに合わさっていた。
だが、驚くべきところはそこだけではない。
問題は、あの黒いバーサーカーが、騎士王のセイバーと肩を並べ、背中を預けて戦っているという事実だ。
あの日、一夜限りの戦場となった港で野獣の如き遠吠えをあげ、その辺で拾った疑似宝具片手に暴れまわった姿がウソのようだ。

「…………やはり、あの二人は」

アーチャーは二刀の怪異殺しを手に、防御を主体としつつ、隙を確実に突くカウンター方式で着実にホラーを消耗させ、

投影開始(トレース・オン)

――ビュンッ!――
――グサッ!――

『グァァァアアアアア!!』

空中に数々の魔戒剣を投影、射出することで次々と素体ホラーどもが霧散して闇に還っていく。
飛び散る闇色の血飛沫が舞う中、青の騎士と黒の騎士が圧倒的魔力で穢れを吹き飛ばし、更に前へと駆ける。
その先にいるのは素体ホラーと全く同じ姿をしていながら、小さな山とすら思える巨躯を有するホラーが吼えながら聳えている。

風王鉄槌(ストライク・エア)!!」

堂々と聳えているというのなら、崩してしまえばいい。
敵は地に深く腰掛ける巨岩に非ず。両の足を地につけて立つ存在なり。
ならば、全てを薙ぎ払う嵐にて突き崩せぬ道理はなし。

そして、

「■■■■■■■アアアアァァァァァァ!!」
『―――ッ!?』

僅かな突破口を抉じ開ける漆黒の戦車が跳び上がり、轟く咆哮と共に空気を振るわせて剣を振り下ろす。
ザシュ、という音を立てながら、頭頂部から眉間へと、疑似宝具の長剣が巨大ホラーに深く深く喰らい付いた。

『ギィィィィイイィィィィ!!』

本能から腕を振り回しバーサーカーをロングソードごと地面へと叩き落とすものの、負わされた傷と痛みは消えない。
寧ろ強引に剣を抜いたせいで更に傷口を抉り、己の顔を血に染めている。

「―――――Iam the bone of my sword.(我が骨子は捻じれ狂う)

魔獣の絶叫。それは彼奴が痛みに耐えている証。即ち決定的な隙。
赤き弓兵は黒い洋弓に一本の剣を番え、偽りの真名を謳う。

「―――偽・螺旋剣(カラドボルグ)



瞬間―――



『ッ、ギ―――――』



全てが螺旋の形に裂かれ、砕かれ、消え去った。






*****

そこには何もなかった。
あるものがあるとすれば、それは死だけだった。
サーヴァントたちの戦場とは異なり、戦で討ち死にしていった者たちではなく、苦痛の末に死んでいった者たち。

餓死。
溺死。
病死。
焼死。
熱死。
轢死。
圧死。
凍死。
窒息。
過労死。
生き埋め。

ありとあらゆる、人が直接手を下さずとも訪れる可能性がある死因ばかり。
しかも、痛みと苦しみを味わい、それに恐怖しながら人生を終えた者どもの骸が丁寧に並べられていた。
衛宮切嗣は純白の部屋に並ぶそれらを意識にすら入れず、前方5mの位置で佇む宿敵を睨む。
言峰綺礼は宿敵との決着と、目の前に転がる苦痛の山を前にして口角が引き上げられていた。
かつては無自覚だった悦び。聖職者に許されない業を生まれ持った男。

だがしかし、今は己を満たす唯一のもの。
悪を美、地獄を極楽のように感じることを自覚した。
あの日、魔界に迷い込んだあの時、”蛇”と出会うことで。

「……ふ」

言峰は身に着けている十字架をそっと指でなぞりながら声を漏らした。

「…………」

対する黒いコートに黒いスーツ姿の『魔術師殺し』こと衛宮切嗣。
彼は既に武装であるトンプソン・コンテンダーを右手に収めており、いつでも発砲できるよう引き金に指をかけている。

本来ならば二人の間に会話などない。
この閉じられた空間から出られるのは勝者だけ。眼前の人間を敗者に変えた者だけが生き残れるのだ。
いや、それ以前にこの二人が殺し合いの直前に軽口を交わす関係かと問われれば、十人中十人が否と答えるだろう。

しかし、それは通常の話だ。
世の中というモノは意外なことが意外な場面で起こるのである。

「衛宮切嗣」
「…………」

名を呼ばれても無言を貫く切嗣。
そんな彼の態度など眼中にないとばかりに、言峰神父は一方的にあるモノを懐から取り出し投げて寄越した。
丁度良いコントロールで切嗣の左半身側に投げられたソレを仕方なくキャッチすると、左手に金属特有の硬さと冷たさを切嗣は感じた。

『衛宮……切嗣……』

無造作に投げ渡された物。
それはカブト虫とクワガタ虫を組み合わせたような独特のデザインで錬金された魔導具ルビネ。
本来ならば紫電騎士の首に下がっている筈のこれが綺礼の許から出てきたということは―――

『―――ロックは……最期まで……』

言葉が途切れ途切れになるほどの感情の荒波。
それだけでデューク・ブレイブの末路を悟るには十分すぎた。

「そうか」

大凡の事情を推測・理解した切嗣は、そのまま左手に収まったルビネを懐にしまわず、まるで本来の持ち主のように首にかけた。
これまでの彼ならば動きの邪魔になる、着けている時間が隙となる、などの理由でこのようなことはしなかっただろう。
少なくとも彼の騎士の想いを継ごうとしている訳では決してないというのはわかる。
ただ、僅かでも訳があるとすれば、それは極めてシンプルだ。

(理由が一つ増えたな)

その一言に尽きた。
目的の為ならば幼子が涙を流す状況さえも作る男。
そのような男が語る”理由”とは決して仇討ちでも義憤でもない。
味方の戦力が減ったというのなら、こちらも敵の戦力を迅速に減らしてやるだけだ。一人多いか少ないかで、この戦いの行く末が大きく揺れると推測して。

切嗣はコンテンダーを構えつつ、左手でルビネを首にかけ、視線は一瞬たりとも言峰から離さない。

そして―――



「「―――――!」」



―――開始の合図など、彼らには必要ない。

刃が風を切る音、火薬が炸裂する音が同時に轟いた。





*****

戦場跡には屍の山を消し飛ばした鋭い刀傷のようなクレーターが出来上がっていた。。
無論、それはキャスターの投影宝具が空間を地面ごと裂いたが故にできたものである。

そして、矢で射貫かれた標的は―――

『ギ……ィ……イ……』

下半身を失い、残った上半身だけが無残にも地に伏している。
動きはもはや痙攣だけと断言でき、発せられる声も唸り声にしてはあまりにも弱々し過ぎた。
既に終の手を下すまでもなく、ホラーはその巨体を漆黒の霧に変えてこの世から消失した。

「…………」

その様子を只々無言で見つめるバーサーカー。
狂戦士らしさを捨てたかのように大人しいその姿から、かつてセイバーを執拗に狙い攻撃した怨念は感じられない。

「……Ar……」

ほっそりとした声で誰かの名前を呟いた黒騎士。
どことなく遠慮の念を見せるその声音には、複雑な思いが滲み出ている。

「バーサーカー。……貴方は、もしや―――」

暗き騎士の前に立ち、セイバーは彼の来歴を問うべく声をかけようとした。
かけようとして、叶わなかった。

理由?そんなものは単純である。



『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!』



それは唐突に現れた大蛇の如き竜のホラー。
名を『哭竜』―――巨大な角を二本生やし、この世の全てを取り囲みかねない長大な体を持つ圧倒的な魔獣。

いや、唐突に現れた、というのには語弊がある。
奴は今迄いなかったのではない、寧ろ最初からいたのだ。
只単に、あまりの巨大な姿ゆえ、天上で揺らめく雲のように誰もその存在に気づくことができなかった。
何より、セイバーの『直感』を掻い潜ったことが何よりの驚きであっただろう。

「ッ!?―――thur……!」

かの魔獣の巨大な口と、そこにある牙で噛まれ、挟まれた今のバーサーカーに為す術はなかった。
狂気に憑かれた身で、猛烈な痛みに耐えながら、人名の一部を口から必死に吐き出すので手一杯である。
激痛の中、己の拳のみを頼りに殴打を繰り返すも、哭竜は意に介していない。
それどころか天地を覆いかねない長い体をうねらせ、急に方向転換したかと思いきや、一気に頭を地面ギリギリまで下降させる。
それは何の為か。見ての通りだ。

ガリガリと地表と土中の石を砕く音。
ガンガンと地面に転がる亡骸と武器を巻き込む音。

魔竜は狂戦士にフィジカルとメンタルの両面を叩きのめすかのように、執拗に痛みを与え続ける。

「バーサーカー!!」

全身に漲る魔力を一気に放出し、セイバーは銀色の弾丸となって大蛇の口へと突撃する。
手に執る黄金の聖剣を強化された膂力にて迷いなく振り下ろし、狂戦士を縛り銜える口を横合いから切り裂かんとする。
だが、

――ガギンッ!――

(硬いッ……)

なんということか。人類最強の刃が魔竜の鱗を突破できなかったのだ。
聖剣は刺々しく生えそろった鱗の一枚だけを潰すという成果しか挙げられず、バーサーカーも拘束から解放されない。
しかしながら、破壊できたということは鱗の一枚一枚は無敵の強度を誇るわけではない。
一度で無理なら、何度でも。

「ハアァァァァァァァァ!!」

そのシンプルな答えに至った彼女の剣戟は正しく暴風雨のようだった。
魔力放出によって腕の振りをより速く、そして力強くすることで、最初に砕いた鱗の場所――そこを徹底的に叩き切る。
河川の流れが何時の日か地形を変えるように、堅牢な竜鱗の鎧にも亀裂が生じる。
そして、その極僅かな隙間の奥から覗く無防備な肉へと黄金の切っ先が突き立てられた。

『■■■■……!?』

哭竜は短い叫び声を上げた。
彼奴にとっては指先に針が刺さった程度の痛みかもしれない。
だが今はそれで十分だ。あの忌々しい牙が生えそろった口さえ開けばいい。

「■■■■■■ァァァァァァ!!」

そうすれば、この最強の騎士は必ずや這い出す。
咆哮を上げ、呪いによってランクアップした肉体能力が最後のピースとなってそれを可能にした。

(よし)

これで憂いの要素は消えた。
アーチャーは哭竜への追撃の為に洋弓を手にし、ある剣を投影し番える。

「赤原を往け、緋の猟犬―――」

それは昨今の幻想の原典の一つ。
悪竜を滅ぼした益荒男が振るいし追尾の魔剣。

その真名は―――

「―――赤原猟犬(フルンディング)!」

解放と同時に、魔剣は魔弾となって射出された。
その矢に与えられた力、それは単純な追尾機能。絶対に取り逃がすことのない追尾機能だ。
ついさっき作られた、狙い定めた敵の急所を射抜く無駄無き一矢である。

その速度たるや、魔力をフルチャージして放てば音速の6倍に達する。
しかし、今回は10秒足らずで射る。その理由は極めてシンプルだ。
射るべき箇所ははっきりしている。巨体といえど動きが速いわけではない。
当たらぬ通りなど、万に一つも無し。

矢は既に開かれた道を真っ直ぐ通るだけ。
その先にあるのは、

――グサッ……!――

柔らかな肉を抉る音。

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!』

竜の喉より吐かれた絶叫。
哭竜がその長い体を狂ったかのようにうねらせ、地を削りながら堕ちていく。

三人の騎士はそれを絶好の機とし、それを逃すまいと一斉に跳びかかった。
しかし、

――ボオォォォォォォォォォォォォォォ!!!!――

黒い竜は怯みはしたが、決して戦意を喪失したわけではない。
巨大な口から予備動作なしに吐き出された火焔の息吹。
広範囲に渡って全てを蹂躙し、焼き尽くす炎は容赦なくサーヴァント達に襲い掛かった。

魔術ではない以上、彼らの対魔力も意味をなさない。
故、彼らにできることは、

風王結界(インビジブル・エア)!」
熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)!」

大嵐の一撃で業火を出来得る限り反らし、それすらも越えてきた火の粉を花弁の城壁で防ぐこと。
無論ながらこれは所詮一時凌ぎ。打開策足りえない。
仮にもこの焔の主は魔獣とはいえ最強の幻想種、竜と匹敵する存在だ。
その口より延々と図れるブレスの威力は筆舌に尽くしがたく、いかなセイバーとキャスターであろうと切り開くには切っ掛けを必要とした。

そして、今それができるのは、二人の後方に佇むバーサーカーただ一人。
攻勢に打てるのは自分ひとりという自覚がある。ならば、己の愛剣を携え竜を駆逐すればいい。
だが、タイミングを誤ればすべてが水泡と帰す。再び反撃のチャンスを掴めるかどうかもわからない。
一度は狂気で満たされ、それが晴れつつある彼の心には、迷いという靄がかかっていた。

思考に没頭し、貴重な時間が一秒、二秒、三秒と過ぎていく中、鎧騎士の魂に念が響いてきた。

”まったく、何を呆けているのですか”

「―――ッ」

頭の中に直接届いた声。それはレイラインを通しての念話だった。
バーサーカーは一瞬身じろぎし、声の主が誰かを認識する。

”如何な苦境に立たされようとも、それを乗り越えてきたのが貴方でしょう”

そう、彼は嘗て多くの苦難を踏破してきた。
罠によって剣もなく敵を対峙した時も、友の名誉を守る戦いの時も。
彼は最高の騎士としての武練により、枝を剣に、姿を偽り、これらを熟したのだ。

”そんな貴方を戸惑わせるものがあるのなら……私が取り払います”

声は優しく穏やかに、まるで聖女のように語りかけてきた。
次第に彼女の声には確固たる決意を示す魔力が乗っていくのが分かった。

”令呪を以て命じます。其の名剣を抜くのです”

一つ目の刻印が魔力へと還元され、狂戦士の行動を(後押しす)る。
鎧を覆いつくしていた暗い霧が晴れていき、露わになるのは見事な拵えの鎧。
勇壮さと芸術性を完全に合致させた匠の魂が籠められた渾身の一作であることがわかる。
そして、全身甲冑につけられた数々の傷跡は戦場で与えられた勲章であり、誰もが見惚れる勇士の証だ。

”そして、誉れある戦いをしなさい。貴方の王の為に”

二つ目の刻印が魔力に還元され、狂気を融かしていくのが感じられた。
言語機能を奪い、全うな思考すら阻んでいたランクCの呪い。
それが令呪の強制力を受け入れることでワンランクながらダウンした。
一部のステータスが下がる代わりに心がクリアになり、全力以上に全力を出せることを確信した。

”頑張れ、湖の騎士”

「……Master……!」

振るい降ろされる右腕。
その手中に顕現するは一本の両刃剣。
最高の騎士と呼ばれた男は、聖君への贖罪の場を授けてくれた今生の主への有りっ丈の感謝を込め、握りしめたそれの銘を叫ぶ。

「Aroundight!!」

無毀なる湖光(アロンダイト)
裏切りの騎士と嘲られた男の振るった、聖剣から魔剣へと堕ちた神造兵器。
だが、今この時だけは誰であろうとこの剣を魔剣などと嗤うことはできまい。

青く、碧く、蒼く、そして深く輝く刃は、湖の騎士(サー・ランスロット)の在りし日の栄光そのものであった。

そして、語るべきことは唯一つ。
火を吐く大蛇がまた一匹、竜殺しの聖剣の前に敗れ去った。
かの騎士は失われた誇りを今一度、その心に灯す。





*****

死の概念で覆いつくされた空間。
先ほどまで対峙していた二人の男の内、一人は倒れ伏し、一人は片腕から血を流しながら佇んでいた。

胸から大量の血を吹き出し倒れる男の名は、言峰綺礼。
片腕からの流血をものともせず立ち尽くす男の名は、衛宮切嗣。

「キ……貴様……」
「……」

まだ意識があるのか、恨めしそうな声を漏らす言峰に対し、切嗣は魔術師殺しとしての冷たく虚無な眼差しを向ける。

殺し合いの行方は実にあっけないものだった。
言峰の放った黒鍵は切嗣の腕の肉を切り裂いただけの留まり、切嗣の放った起源弾は言峰の胸を穿った。
ただそれだけの話である。

ならば、何故そうなったのか。
この二人は互いに殺し殺される戦場を渡り歩いた猛者である。
本来ならばこのような興醒めな展開などありえないのだ。
ヒットマンの首にかけられた魔導具が無ければ。

『…………』

当の魔導具は言葉を発することなく沈黙に徹していた。
いや、それをする必要すらないからこそ口を閉ざしているのだろう。

彼の―――ルビネのやったことは明快にして単純。
彼はカブトとクワガタを模した角と顎に魔力を瞬間的に集束、スパークさせたのだ。
これによって閃光手榴弾に匹敵する強烈な刺激が辺り一面にぶちまけられた。

言峰はこれによって僅かに手許が狂い、切嗣に致命傷を与えることができなかった。
ならば、切嗣はどうして確実に言峰の胸に弾丸を当てることができたのか。
それはルビネが言葉以外で切嗣に己の能力を教えたからに他ならない。

魔導具の中には契約者の思念を他者に伝える媒介を役を成す者がいるという。
ということは、自らの意思を直接他者の心に伝えられる魔導具が彫金されていても不思議ではない。
魔導具ルビネはその機能を用いることで今は亡き契約者の思いと生き様を伝え、そして勝機を齎したのである。

”お前に守る者はあるか?”

たった一言。この一言だけをデュークは切嗣へ遺した。
答えなど返すまでもない。ああ、今ならば堂々と告げることができる。

「僕は……アイリとイリヤを守る。残る人生の全てを懸けて」

その為にも此処で絶対に愛しい妻を取り戻す。愛する娘を連れ帰る。
手段は選ばない。邪魔する者は全て消し去る。
それこそが、理想を捨てた男が抱いた新たな覚悟だった。

「――――」

それに対し、言峰は言葉を紡ぐことさえ出来なかった。
胸からの大量出血。それは循環器系の破損によるものだ。
医学の知識が無くとも理解できる。重傷だ、しかも手の施しようがない。

死の淵で彼は思う。口から出せぬものを思う。
自分が死ぬこと自体に悔いや未練などという往生際の悪いことは考えなかった。

今際に馳せることは二つ。

片や、誕生を祝福できなかったこと。
大聖杯という胎より産み落とされし、悪意の権化。永遠なる正義の対立者。
真名を「この世全ての悪(アンリ・マユ)」――そう呼ばれていた者の成れの果て。
自らの存在を、誕生を望んでいるソレの誕生に立ち会い、産声を祝福する。まさに己が果たすべき使命である。

片や、得た答えの方程式を見つけられなかったこと。
物心ついた時から抱き続けていた空虚と葛藤。
自分は如何なるモノに充足を、安息を、快楽を、愉悦を感じることができるのか。
何故、数多の娯楽も美酒も、苛烈な信仰さえも己を満たしてはくれないのか。

彼の者はそのように思い悩む憐れな子羊に啓示を授けた。

”これこそ貴様の陰我の形”

賜った啓示。見せられたものは生き地獄、としか形容のしようが無い光景。

生きながら手足の腐った虜囚がいる。
建物の周囲を埋め尽くす白骨の山がゴミとして扱われている。
歳が二桁になることなく、骨と皮だけとなって永遠に飢えながら眠った子らがいる。

まっとうな環境で育った人間ならば思わず目を逸らしたくなる光景ばかり。
戦争の真実。殺し合いばかりが照らされ、日影となってしまったもう一つの地獄。
神父は思った。この光景が美しい、と。
神父は思った。彼らの苦しむ顔が見たい、と。

聖職者―――いや、人として生じてはならぬ歪なこと極まりない願望。
醜く捻じ曲がった精神こそが、言峰綺礼という人間の正体だったのだ。

ああ、道理で至れぬ筈だ、道理で満たされぬ筈だ。
今の今まで己が成してきたこと全ては、徒労に過ぎなかったのだから。

内なる闇を知り、答えは得た。ならば次は行動に移すだけのこと。
だというのに、あと一歩だったというのに。

衛宮切嗣の理想を破壊する。アイリスフィールを破壊する。
そうすれば見れる。奴の理想が絶望に、愛が哀へと変わり果てる。
流れ落ちる涙に歪んだ貌を見たい、慟哭を耳にしたい。

ただ……それだけなのに……。

「わた……しは……」

『答え』に至る道筋。その求道は成らない。



―――ドガァァァァァアアアアアァァァァァン!!!!――



求道者の頭蓋と胴体にて一度バウンドした二つの手榴弾は、一人の肉身を猛火と爆風で消し飛ばし、跡にはシミしか遺らなかった。

「お前には……理解できまい」

爆弾の主は、そう静かに呟いた。
真に愛を知らぬ哀しき者に、心が虚になる訳など解る筈がない。

そして、彼は歩き出す。
最愛の妻が待つ最後の戦場へと。
今度こそ、大切な人を取り零さない為に。




次回予告

ヴァルン
『遂に訪れた決戦の時。
 守りし者の使命を果たす時。
 そして、知られざる真実を明かす時。
 次回”紅蓮”――神話の再現、此処に在り』



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