シン・アスカの正体不明のISを巡る騒動が
ひとまずの決着を見たのも束の間。
一人の少女がIS学園を訪れる。

彼女の登場は、ただの始まりに過ぎない。
彼女もまた、シン・アスカにとって大切な人に
なるのだが、それはまだ、先の、先の話。

まさしく風雲急を告げるとはこのこと。
これは来るクラス対抗戦への序曲。
そして、シン・アスカに襲い来る、第二の試練への、
幕開けに過ぎなかった。



































ある日の夕方、IS学園内をズンズンと伝説の怪獣歩きで
突き進む少女が一人。
彼女の名は凰鈴音。
中国の国家代表候補生にして、あの『世界で唯一ISを扱える男子』
であるところの織斑一夏の幼馴染である。
もちろん、このことは彼女と近しい人間しか知らない事実ではあるが。

少し茶色がかった黒髪を、頭の両側でしばったツインテールで。
背丈は小柄ではあるが、健康的でスレンダーな肢体を前に前に
押し出しながら、彼女は歩いていた。

最初、この学園に来た時の彼女の胸は高鳴り、心は踊っていた。
それは彼女の日本に帰ってきた、最大の理由のため。
体はふわふわして、心はぽわぽわして。
彼女は一年ちょっと会わなかった幼馴染との再会を想像しては
その歩みをスキップに変えて。
ステップを踏むように歩いていた。

でも、今は違う。
彼女の全身からはドス黒い暗黒のオーラが噴出しており。
その心も真っ黒な感情に埋め尽くされていた。
その感情の名は………『嫉妬』。


「何なのよ………。何なのよ、あの女は!!」


彼女は吼える。
誰かに向けてのものではなかったが、それでも叫ばずには
いられなかった。

今日、この学園に入学する予定の彼女は、入学手続きをするために
本校舎の総合事務受付を探していた。
でも流石は広いIS学園。
初めてここに訪れた彼女は、早々に道に迷ってしまう。
しかし『考えるよりまず行動!』が信条の彼女は、それを聞けそうな
人を、受付を探しながら、探していた。
と、彼女がIS訓練施設の側を通った時、その声は聞こえてきた。


「だから、理路整然としすぎていて、逆に分かりづらいんだよ」


ドキンッ!!!
心の臓が跳ね上がる。
ふわふわしていた体が、ビクンッと強張る。
ぽわぽわしていた心が、キュッと締め付けられる。

この声、間違いなく「アイツ」だよね?
聞き間違えるはずがない。
だって、私が「アイツ」のこと、間違えるはずがないんだから。

無意識の内に、髪が乱れていないか、服が乱れてしまっていないか、
手で確認している。
そしてどちらも大丈夫なことを確認すると、そのささやかな胸に
手を当てて、大きく深呼吸を一つ。
高鳴る胸を押さえるようにして、駆け出した。
この学園に来た一番の理由、目的…………「アイツ」と再会するために。


「いち………………………!?」


でも、止まる。
駆け出した足が、次の瞬間には鉛のように重く、動かなくなる。
さっきまで高鳴っていた心は、瞬間まるで猛吹雪にでも襲われたように
冷たく、凍てついていく。
だって、「アイツ」の声に続いて、別の女の声が聞こえてきたからだ。


「もう、一夏さんたら……。この私の説明の一体何が不満だといいますの?
 仕方ありませんわね。もう一度最初から説明して差し上げますから、
 ちゃんと理解してくださいね?
 まず防御の時ですが、右半身を斜め上前方へ五度傾けて……」

「だ、だからっ!その説明じゃよく分からないんだって!
 って、おい!怒るなよ!待てって、セシリア!」


そんなことを話しながら、施設の入り口からIS学園の制服を身に纏った
二人の男女が出てくる。
一人は縦ロールのある長く、見事な金髪を優雅になびかせる女。
遠目から見ても、美人だ、とてつもなく。
長いまつ毛と少し高めの鼻。
目は今はつり上がってるけど、引き込まれそうな青色をしている。
少し厚いけど、ピンク色の唇。
そして制服の下に隠されているであろう、豊満な肉体。
敵だ。
彼女は瞬時にそう判断する。

そしてその女を追う、もう一人の影。
男だ、そしてこの学園には、男は一人しかいない。
彼女の幼馴染。友達。親友。
……いや、この世界にたった一人の、大切な想い人。

その男が、自分の知らない女と、親しげに話している。
しかも、名前で呼び合っている。
それを見た瞬間、彼女の心は既に底なしの闇に飲み込まれていた。
渦巻く怒り、そして嫉妬心。

でも、彼女は気付いていなかったが、彼女の怒りは通常の
それよりもかなり深かった。

もし幼馴染と一緒に歩いていたのが、例えば黒髪でポニーテールで、
剣道着が似合いそうな、いかにも大和撫子というような日本風の
女性だったなら、この怒りもまだマシだったかもしれない。
少なくともこの怒りはまだここでは我慢して、もしその幼馴染が
どこかのクラスの代表だったりしたら。
彼女もクラス代表になるべく、所属予定のクラスの代表に、
その座を譲るよう直談判に行くくらいで収まっていたのかもしれない。

しかし、彼と歩いていたのはいかにも貴族然とした、高飛車そうな女だ。
正直、彼女が最も嫌いなタイプの女だった。
昔から『深い理由もなく偉そうにしている人間』が大嫌いだった
彼女にとって、あの女はまさに自分の天敵とも言えるような感じだった。

だから、彼女の心は怒りと嫉妬に染まり。
頭はそんな女と仲良さそうに話していた幼馴染への
怒りで一杯になっていたのだった。
そしてそこから総合受付を見つけるまでの彼女の記憶は、ある一人の男と出会うまで、
完全に消し飛んでしまっていた。







            ・






            ・






            ・






            ・







ようやく見つけた総合受付で入学手続きを済ませた彼女は、何も
考えずに、その怒りのままに愛想よく話しかけてくる事務員に
問いかけていた。


「ちょっと聞きたいんですけど、この学園にいる男子が寝泊り
 している寮と部屋番号を教えて欲しいんですけど」

「え?い、いきなりどうしたの凰鈴音さん?
 さっきからえらく不機嫌そうだったけど、いきなり
 何でそんなことを………」


ヒッと、事務員さんは声を詰まらせてしまう。
そこまで問いかけた時の、目の前の少女の向けた眼差しに、
気圧されてしまったからだ。
何というか、もうそれは人間の目ではなく。
今にも獲物に喰らいつかんとする、女豹の眼差しだった。
しかも、瞳の奥には底なしの闇がぐるぐると渦巻いている。
……ヤンデレ?
一瞬そんな言葉が脳裏をよぎるが、今はそんなことを考えている
暇は無い。
彼女は未だ不機嫌そうに、自分を見下ろしているのだから。


「そんなことどうでもいいでしょ?
 ……で、寮と部屋番。教えてくれます?」

「え、えっと。それはいいんだけど………。で、でも
 どうしてそんな…………ヒィ!」


別に国家代表候補生である彼女にそのことを教えることは
やぶさかではないのだが。
今の彼女に教えるのは気が引ける。
というか、彼女の言っている男が織斑一夏かシン・アスカかは
分からないが。
今の彼女にそれを教えていいものかと悩んでしまう。
何か、とんでもないことになりそうな予感が………。

でも、目の前の彼女は痺れを切らしたようにこちらを
睨みつけてくる。
そのプレッシャーに思わず涙目になるが、そんな時どこから
ともなくタッタッという足音が聞こえてくる。
彼女は藁にも縋る思いで、その音が聞こえてくる方を向いた。
そこには……………。


「ハァ、ハァ………!な、名由良さん!俺への荷物が
 届いてると思うんですけど!ありますか!?」

「あ、アスカくん!?え、ええ、織斑先生から預かっているわ。
 ちょっと待ってね?」


息を切らせながら受付に駆け込んできたのは、この学園にいる
ISを扱える男子の片割れ、シン・アスカだった。
よっぽど急いできたのだろう。顔にはびっしりと汗が滲んでいる。

というか、助かった。
さっきまでのご臨終していた場の空気が、彼の登場で少し和んだ。
これに乗じてさっきの凰鈴音さんの質問に素早く答えて、
この胃に穴が開きそうな空気から脱することができれば。
そんなことを考えながら、昼ごろに織斑先生から預かった、
彼宛の荷物を引っ張り出してくる。
さっきまでの心苦しさも既に忘れ、彼宛の荷物を持っていくと。
そこでは予想外の出来事が。


「………ていうか、今私とぶつかったでしょ!何してくれんのよ!!」

「えっ?あ、ああ悪い。ちょっと急いでたから」

「何よその言い方は!ちゃんと謝ってないじゃない!もっと
 ちゃんと謝りなさいよ!!」


いきなり言い争いが始まっていた。
というか凰さんが一方的に言ってるだけなんだけど。
彼も流石に困っている。
これ以上放っておくと、本格的に言い争いになるかもしれない。
実際、彼の眉間にも皺が寄り始めているし。
ここは、さっさと彼にこの荷物を渡してあげた方がいいわね。


「ちょっといいかしら?流石にもうけっこういい時間なんだし、
 大きな声を出すのは控えてね?アスカくん、これが
 あなた宛の荷物よ。でも、誰からのものなの?」

「あ、ありがとうございます!この荷物は、俺の……恩人
 からのなんです。……へへっ、とにかく、ありがとう
 ございました!……それから、アンタ。悪かったな、
 ぶつかって」

「え、ああ……。分かればいいのよ、分かれば」


彼は荷物を受け取ると嬉しそうにはにかんで。
それから凰さんにもう一度だけ頭を下げて、早足で
去っていった。
……あの荷物を受け取って、本当に嬉しかったのね。
彼のあんな笑顔、初めて見たわ。

凰さんも、彼の嬉しそうな笑顔に当てられたのか、
流石にバツが悪そうにしている。
まあ、あそこまで喜んでいる彼相手に、口汚く怒鳴るなんて
できないもんね。
……そうね、場の空気も彼女も落ち着いたみたいだし、ちょっと
彼女に釘でも刺しておこうかな。
これからの学園生活でも、あんなに誰かに怒鳴り散らしてたら
友達もできないかもだし、ね。


「……ちょっといい、凰さん。確かにあなたにぶつかった
 彼も悪かったけど、あの怒鳴り方はどうかと思うわ。
 もうちょっと相手のことも考えて、言葉も選ばないとね。
 彼にも、後でちゃんと謝っておいたほうがいいわよ」

「うっ………。……すいません。ちょっと怒りで
 我を忘れてて、そのテンションのままで怒鳴っちゃいました。
 反省、してます………」


……どうやら、本当に反省してるみたいね。
さっきの彼とのやり取りで、少しは気持ちが落ち着いて冷静に
なれたのかしら。
さっきまでの怒りはどこへやら。
彼女の顔には、年頃の女の子らしい、素直な表情が戻っている。
……つまり、さっきまではそれらが消し飛ぶほど怒っていたって
ことなんだろうけど……一体何が理由なのかしら?


「……ならいいのよ。ごめんなさいね、説教みたいになっちゃって。
 そういえば、さっきの質問の答えがまだだったわね。
 彼の寮と部屋番号は………」


そうして気持ちが落ち着いたらしい彼女に、彼の寮と部屋番号を
教えてあげた。
それを聞いた彼女は先ほどのような怒りを再燃させてはいたが。
それは幾分マシになっているように見えた。
まあ、今の彼女なら何も問題は起きないでしょ。
それらを聞くや否や、凄まじい早さで駆けていったけど、大丈夫でしょ。
人を疑ってばかりだと、心がカサカサしてくるしね!

でも、結局彼女、織斑くんかアスカくんか、どっちの部屋番号を
聞きたかったのかしらね?
時間が経つと謝りにくくなるから、アスカくんの部屋番号を
教えてあげたけど……。
……でも、そもそも彼に用事があったなら、さっき言うはずだし………。
………まあ、いいでしょ!
自分のしたことをいつまでも引っ張ってたら、心がカサカサしてくるしね!
































走る。走る、走る。猪のように、猪突に猛進する。
私はさっきの事務員さんから聞いた寮に向かって、
全力疾走。
さっきまではちょっと自分の態度が行き過ぎていたことに
反省していたけど、それを聞いた瞬間にまたさっきの
怒りが再燃した。
とは言っても、さっきまでとは違って、我を忘れる
ほどではないけれど。

その原因は、やっぱりさっき会った、あの男のせいかな?
それまでは怒りのせいで、少しぶつかっただけでも
噛み付いていたけど。
あの男があんまりすまなさそうに謝るから、毒気を
抜かれてしまった。

でも、あの男何者だったんだろう?
だってこのIS学園には、生徒ではアイツしか……一夏しか
男はいないはずだよね?
だって男でISを扱えるのは、この世で一夏ただ一人だけな
わけだし。
でも、あの男もIS学園の制服を着ていた気が………。
ああもう!とりあえず今はそんなことどうでもいいのよ!!

さっきから走り回ってるけど、その寮ってどこなのよ!
やっぱりさっき事務所でその寮の場所を聞いておくべき
だったかな。
……まあ、過ぎたことはいつまでも気にしない!
走り回ってれば、いつかは見つかるでしょ!

と、気合を入れてから約二十分後。
私はようやくその寮を発見。
そして今、アイツの部屋「1025」室にたどり着いた。

ゼェ……ゼェ………。
さ、流石にキツイわね。
代表候補生として厳しい訓練を耐え抜いた私でさえ、
グロッキーになってしまったわ。
でも、いい。
ようやく、辿り着いたんだから。

本当はこうやって、いきなりアイツの部屋に押しかける
なんて、良くないことだってのは分かってる。
でも、やっぱりこのモヤモヤをアイツにぶつけないと
どうにも気が治まらないし。

それに、アイツはその程度のことで相手を嫌いに
なるほど、狭量な奴じゃない。
そのことは、絶対の自信を持って言えるから。
だから、まずは久しぶりに再会できたことを
喜び合ってから、さっきのことについて問い詰める。
自分勝手な女だと思いたければ思えばいい。
だってそうでもしないと、今日は眠れそうにないんだもん。

私はスゥ……ハァ……と深呼吸。
そして、ドアを壊れんばかりにノックしようとして、
ふとドアノブを回してみる。
あ、あれ?開いてる?
無用心だとは思いつつも、考えてみればここは
IS学園内の寮なのだ。
不審者なんてそうそう入れるものでもないし、
防犯意識がやや低くなっているのかもしれない。
でも、これは好都合!
もし中に入れば問い詰めればいいし、いなくても
一夏が帰ってくるまでここで潜んでいてもいい。
……そこ、ストーカーとか言わない!!
私はドアノブを掴んで、勢いよく回して、一喝。


「くぉらぁぁぁぁぁぁぁ!!一夏ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


そして、止まる。
何が止まったって?
決まってるじゃない、場の空気が。そして時が。
と言っても、それは決して、何の脈絡もなしに怒鳴り込んできた
私のせいだけじゃない。
それはこの部屋の主にも十分責任があると思う。

だって、部屋の主はそもそも部屋の主は一夏じゃなかったという
根本的な問題はあるが。
その部屋の中にいた主が、およそ普通の人間が
しているはずのない格好をしていたのだから。


頭には昔の時代劇で見たような三度笠をかぶり。
身に纏うは新道中合羽と道中振り分け。
手には手甲、脚には脚絆を身につけて。
部屋内なのに、なぜか特上のわらじを履いて。
腰には模造刀と思しき日本刀を差して。
どこからともなく「あっしはしがねぇ旅ガラスでござんす……」
という昔古風な台詞が聞こえてくるようだった。


でも私は現代に生きるキャピキャピの女子高生である。
そんな私がその姿を見て、ポツリと漏らしたのは………。


「………風来のシ○ン…………?」


そんな、どこの風来坊ともしれない風体の男が、
何故かベッドの上でスルメを齧っていた。
私はその男と、実際はほんの十数秒の時間ではあったけれど、
永遠とも呼べるような間、見つめ合っていた。
































………はぁ、疲れた………。
織斑先生との模擬戦闘を終えてから数日後。
俺は体も精神も、限界に達していた。
今もトボトボと寮の廊下を歩いているところだ。

精神の方は、まあ毎日の悪夢のせいで絶賛磨耗中だ。
ヴェスティージを手に入れて以来、湖でのステラの
夢を見なくなってしまったので、今まで通りの
悪夢を、毎日味わっている。
しかも一晩で見る悪夢の回数が、日に日に増えている気がする。
………篠ノ之に毎日介抱してもらってはいるが。
正直、そろそろ精神がヤバイところまで来ている。
誰にも言ってはいないけど。

……ヴェスティージ。
その待機形態が、ステラのネックレスだったという矛盾。
本来ならこの世界の人間が知りえないはずの事実が、
ネックレスという形で、俺の手の中にある。

それに、つい先日気が付いたが。
ヴェスティージの武器の一つ、『オルトロス・改』。
オルトロスという名前がどことなく引っかかっていたが。
それをやっと思い出した。
オルトロスって、ルナがインパルスの前に乗っていた
ザクウォーリアーの武装の名前じゃないか。
あっちは長距離ビーム砲で、俺のはビームライフルという
違いはあるけど。
だけど、そのことだって少なくともこの世界の人間には
知りようもないことのはずだ、それなのに………。

ステラとの思い出のネックレスが、ヴェスティージの
待機形態。
ヴェスティージの武装の名前の一つが、ルナが搭乗していた
ザクと同じもの。
……偶然、なわけはないよな。
偶然も、二つ続けば必然だ。
だからこそ、俺はその得体の知れない事実について、四六時中
考えることになってしまう。

俺にとってこれは、それほど不気味なことなんだ。
理由も分からずこんな世界に放り込まれて。
どうやって帰るかの目処さえ立っていないときに、自分が何か
大きな渦の中にいるということを、おぼろげに認識してしまったが故。
そのことを考えるなという方が無茶ってもんだ。
だからこそ日中はそのことばかり考えてしまい、余計に
精神が休まらない。
さらに心はやせ細っていく。

加えて最近、俺は各クラスの代表者が出席する委員会にも
出なくてはならなくなった。
しかもこれが結構キツイ。
来月行われるクラス対抗戦の対戦相手決めや、IS操縦技術向上のための
話し合いなどは、まあいいとして。
食堂で追加してほしいメニューのアンケートとその集計だとか、
今月の美化週間のポスター案だとか、どうでもいいことまで
やらなくてはならない。

他には俺は唯一の男なので色んな肉体労働がオプションでついてくる。
それ以外だと、『織斑くんかアスカくんのどっちとHなことをしたいか
アンケート』なんて、かなり際どい内容の企画まで練っていた。
ていうか、同じ教室にそのアンケート対象がいるんだから、少しは
自重してほしいものである。
何人かの女子が、艶っぽい視線を送ってきていたが、たぶん俺の後ろの
壁に飾ってあった校長の肖像画に向けていたに違いない。
痩身ではあるけれど、良い男だしな、校長は。

そんなわけで心だけでなく体も疲れ果てた俺は、正直かなりナーバスに
なっていた。
我ながら似合わないとは思うけど、なってしまったものはしょうがない。
この沈んだ気持ちを上向きにすることなど、容易ではないし。

最近は色々と考えすぎて、食事も喉を通らなくなってきた。
……何だか、体が重い。
何か、視界もぐるぐる回ってるような………。
足元がやけにふらついて、一瞬平行感覚がなくなって…………。



ポフッ



……あれ?
何だ、この柔らかいのは?
朦朧とした頭で、その柔らかい物体Xを掴んで確かめてみる。



フニッ。モニュッ、ムニュウ



……何だこれ。
めちゃくちゃ柔らかいな。
しかも、何かとても良い匂いがする。
嗅いでると、頭がさらに痺れてくるような、甘い匂いが。
ああ……、この感触と匂いに包まれていたら、久しぶりに
ゆっくりと眠れそうな気が…………………ぐぅ。




ドッゴス!!!!!!!!!




「ぎ、ぎゃあああああ!!??」


脳天をいきなり痛烈な一撃が襲う。
ナーバスな気分など一瞬で消し飛び、俺は「ぎゃぁぁぁぁ………」と
唸りながら脳天を押さえて転げまわる。
だ、誰だ!
半死人に鞭打つようなことをする奴は!
そんなことすると祟られるぞ、俺に!!
そんな強い意志を込めて、俺に鞭打った奴を殺さんばかりに
睨みつける。
そして、固まる。
だってそこにいたのは、鬼の如き真っ赤なオーラを纏う、
鬼を喰らう鬼。


「な、何で織斑先生が………?」

「………お前に用があったから探していたのだ。
 だがやっと見つけたと思ったら、いきなりこんなセクハラを
 してくるとは……。
 お前はこの前、私が篠ノ之と一緒にお前を折檻した時、不服そうな
 顔をしていたな?だが、これで私も心置きなくお前を折檻
 できるようになったわけだ。そうだろう、アスカ………?」


出席簿(別名:血の教典)を片手に冷めた目で俺を見下ろす織斑先生。
こ、怖ぇ……!
何だよこのプレッシャーは!?
篠ノ之のそれとは比べ物にならないほどのその質量、その迫力に
思わず後ずさる俺。

な、何てことだ………。
さっきの柔らかい感触は、織斑先生のものだったのか!?
しかもあの柔らかさからすると、俺が顔を埋めた場所は、恐らく……胸。
どうしよう……これ、もはや立派なワイセツ罪じゃないか!
こっちにその意図はなかったとしても、これだけ女性の胸に
顔を埋めてしまったら、もはや言い逃れなどできない。
その行き着く先は……レッツ・ブタ箱だ。

しかし、しかしだ!
「それが当然だ馬鹿野郎!」と糾弾されたとしても!
それが全うな意見だと分かっていても!
俺はそれで素直に捕まるわけにはいかないんだ!
これ以上時間を無駄に使って、元の世界に帰る方法を調べる時間を
奪われるわけには……!

とにかく、まずは織斑先生に誠心誠意謝ろうと誓い、立ち上がろうとして。
またしても強烈な眩暈に襲われる。
体が突如鉛のように重たくなり、グラリと体が傾いていったところで、
織斑先生に支えられる。


「……大丈夫か?まったく、日頃のお前の様子から大分まいっているとは
 思っていたが、ここまでとはな。
 ……とりあえず、床でいいから座れ。少し体を休めろ」


そう言って織斑先生は俺の体を、そっと床に座らせ、壁に
もたれかけさせてくれる。
その手つきはさっき血の教典を振り下ろした時と違い、優しいものに
変わっていた。
どうやら俺をいたわってくれているようだった。


「……医務室に行くか?」

「いえ、ちょっとふらついただけですし、全然大丈夫ですよ。
 少し休んだら、普通に動けるようになります」


そう言って笑う俺を、織斑先生はじっと見つめて、嘆息。
少しだけその目を細める。
でもそれはいつもの探るようなそれではなく、まるで俺を気遣うような、
少し心配しているような。


「……前にも言ったが、あんまり色々と抱え込むな。
 何らかの事情があって、誰にも悩みを打ち明けていないのだろうが、
 それだとお前はいつか、いや、近いうちにその重みに
 潰されるぞ」


俺はその言葉をただ黙って聞いている。
……言えるわけがないだろう。
俺が、違う世界から来ました、とか。
俺が何だか恐ろしい流れの只中にいるかもしれない、とか。
普通の人間が聞いたらただの妄言としか思えないようなことを、
どうして話せる?
それにこれは、俺自身の、俺だけの問題だ。
他の誰かが俺なんかの問題に関わる必要など、全くありはしない。


「…お前は自分だけの問題だから、他人には話す必要はないと
 思っているのだろうがな。
 お前がそう思っていても、周りの人間はお前が無理をしている
 ことに気付いているぞ?
 お前と近しい人間は、特にな」

「……近しい、人間?」


心を読まれたことに驚愕していたが、とりあえずそれは
今は考えないようにしよう。
俺と近しい人間?誰のことだ、それは?
俺がこの学園に来て仲良くなった奴は結構いるけど、
特に近しい人間となると……。
一夏かオルコットか……。
でも、やっぱり一番近しいっていうと………。


「お前が今頭に浮かべた人物で正解だ。……篠ノ之だよ」


やっぱり篠ノ之か。
まあ確かに篠ノ之とは同じ部屋だし、毎晩介抱してもらってるし、
寝不足なのは気付いているだろうけど。


「篠ノ之はな。最近のお前の様子があんまり酷くて見ていられない
 と、私に相談してきたのだ。
 日中もずっと何か考え事をしているし、ろくに食事もとって
 いないようだし、夜も毎日酷くうなされていて、しかも
 うなされ方も日に日に酷くなっていく。
 正直見ているこっちも辛いとな。
 ……最後の方は、涙声になっていたぞ」

「……篠ノ之、が?」


え?でも俺と接している時の篠ノ之はいつも通りだったし。
俺を介抱してくれている時もいつも通りの憎まれ口を
叩いていたし。
心配そうに顔を歪めてはいたけど、織斑先生に相談しに行くくらい
気にしてたなんて……。
それに第一、篠ノ之は一夏のことが好きなんじゃないか。
俺みたいな男のこと、そこまで気にするか?
誰かに相談するくらいまで。
と、そこまで考えて織斑先生が少し非難するように言葉を発する。

「お前は篠ノ之は織斑のことが好きなんだから、自分のことなど
 そんなに気にかけてはいないと思っているようだがな。
 想い人ではないからといって、誰かを心配しない理由には
 ならんぞ?
 特に篠ノ之は、お前とずっと同室なのだし、夜もお前の世話を
 しているのだろう?だからこそお前がずっと苦しんでいることも
 憔悴しきっていることも分かるのだろう」


……想い人ではないからって、人を心配しない理由にはならない、か。
でも、それでもそこまで篠ノ之が俺のことを心配してくれるなんて、
織斑先生に言われても信じられない。
それに最近は特に気分が右肩下がりだったから、人のことを気にする
余裕なんてなかったし。


「何より、篠ノ之だってお前とほとんど年の変わらない女子なのだ。
 それにあれは心の優しい娘だ。毎日目の前で苦しむお前を見て、
 心を痛めてないとでも思っていたのか?
 だとしたら、それは篠ノ之にとって、どれだけ失礼千万なことか、
 分からないお前ではないだろう?」


ぐっ………ぐっ!?
そう言われて、気付く。
篠ノ之は俺と一歳しか違わない、ISを扱えるという以外は、
ごく普通の女の子だったという事実を。
それに今までのやり取りで、どれだけ篠ノ之がいい奴か、なんて
身にしみてわかっていたはずなのに。
と、ふと織斑先生は真剣な表情から柔らかいそれを浮かべて、
俺を見つめる。


「……まあ、これ以上お前を責めるのは止めておこう。
 とにかく、悩みはあまり抱え込まないようにしろ。
 そして、少しはお前を心配する人間の心を理解しろ。
 ……私が言いたいのは、それだけだ」


それだけ言うと、織斑先生はさっと背を向けて歩き出す。
何か思考を読まれまくった挙句、散々説教をされた気がするが、
織斑先生の言っていることは、全く正しい。
なので、俺はただただ首を下げて猛省するしかなかった。
と、頭を垂れる俺を振り返って見つめながら、織斑先生はふと何かを
思い出したように口を開いた。


「そうそう、お前のことを気にかけているのは、篠ノ之だけではないぞ?
 お前を看病していた、五反田。
 あいつもお前のことを大層心配しているようでな。お前に何か
 品物を送ってきたようだぞ?」

「………え?」


五反田って……蘭さんのこと、だよな?
え、荷物?何だそれ?俺に…………?
呆然としている俺に、少し表情を和らげた織斑先生が語りかける。


「だが微妙な立場にあるお前に名指しで園外から荷物を送るのは
 まずいのでな。その申し出があった時に私宛に送るように
 伝えておいた。もう到着しているし連絡もいってるから、
 受付に行けばすぐに渡してくれると思うぞ?」

「え………と。蘭さんが、俺のために贈り物を?
 俺を……心配して?」


自分で織斑先生が言ったことを復唱してみる。
すると、今まで死んでいた心がほんわかと暖かくなってくる。
ゆっくりと頬が緩んでくる。


「今日はそのことを伝えに来たのだ。よく分からんうちに
 説教になってしまったがな。
 ……早く行ってこい。少しは、気も晴れるだろうさ」

「は………はいっ!」


そういうや否や、俺はスクッと立ち上がり、猛ダッシュ。
嬉しかった。
IS学園に入学してから、五反田食堂の皆とは、もう遠ざかってしまった
のだと、かってに思い込んでいた。
でも皆は……蘭さんは、俺のことを心配してくれていたのか?
俺を心配して贈り物をしてくれるくらいに?
だったら、だったら嬉しい。
こんなに、嬉しいことはない!
こんなに純粋に嬉しいと思ったのは、いつ以来だったか。
でも、今はそんなことはどうでもいい。
早く、早く荷物を取りに行かないと!
俺は文字通りの全力疾走で、寮の廊下を一気に走りぬけたのだった。































荷物を受け取り、部屋まで帰ってきて、一息。
はぁ……、荷物を抱えたまま小走りで走ってきたから、
わき腹が痛い。

それにしても………何だよ、さっきの女は!
ちょっと肩がぶつかっただけで、あそこまで怒りやがって!
まあ、ぶつかった俺も悪かったし、誠心誠意謝ったけどさ。
思い出すだけでもムカムカするぜ!

あの場で怒鳴り返さなかったのが、まさに奇跡だ。
俺も昔はアスハの人間に対してよく噛み付いたもんだが。
へへっ、忘れてたけど、人間って成長する生き物だったよな。
俺も誰彼構わず噛み付く狂犬から、ゴールデンレトリバーのような
穏やかな性格になったってことかな?

おっと、今はそんなことはどうでもいい。
それより荷物だ荷物!
俺は丁寧に梱包を解いて、ダンボールの箱を開けた。
そこにはいくつかの袋が入っていて、一番上には封筒に入った
手紙が一通。
それも丁寧に封を開けて、手紙を取り出し、ゆっくりと
読み始める。



― シンさんへ。蘭です……お元気ですか?
  シンさんがIS学園の医療施設を退院して入学してから、
  そろそろ一ヶ月くらい経ちますね。
  体は大丈夫ですか?シンさんの怪我は本当に酷かったから
  まだ体は本調子ではないと思います。本当は今でも
  心配ですけど、千冬さんがシンさんは微妙な立場にあるから
  できるだけ接触は控えるようにって行っていたので、
  今回は手紙だけです。
  でも、シンさんに私たちの贈り物を届けてくれるっていうので、
  家族皆でシンさんのために色々用意しました。
  ……受け取ってくれると嬉しいです。 ―



そこまで読んで、とりあえず一息。
……嬉しい、本当に。
蘭さんの気持ちが、文面からヒシヒシと伝わってくる。
胸が一杯になるとは、まさにこのことだ。
本当ならこんな場面なら感動で涙が溢れるんだろうが、
俺の目からは一滴も涙が出ない。
それがとても、情けなかった。
でも気を取り直して、手紙を読み進める。



― まず、ピンクの袋に入っているのは、私特製のミルクティーです。
  最近こういう甘い洋風の飲み物に凝っていて、美味しくできたので
  送ります。魔法瓶に入っているので、まだ中身は熱々ですよ。
  飲んでくださいね ―



ダンボールに入っているピンクの袋を取り出す。
丁寧に中身を取り出すと、少し小柄の可愛い水筒に、
甘い香りのするミルクティーが入っていた。
……良い匂いだ。
蘭さんの思いが伝わってくるような、優しい匂いだ。
続けて手紙に目を通す。



― おじいちゃんも、シンさんに食べてもらうように、いつもは
  作らないものを作っていました。……でも、驚かないで下さいね ―



俺は『厳』という豪快な文字が書かれた袋を取り出す。
流石厳さんだな。袋まで男らしい。
その中身を見て、噴き出す。
スルメ。
どう贔屓目に見ても、見まごうことなき、立派なスルメが
まるごと入っていた。
慌てて手紙に目を通す。



― 私は止めたんですけど、おじいちゃんはこれがいいって。
  野菜炒めとかだと、痛んで味が落ちちゃうからって。
  ……とにかく、食べてくださいね ―



「ミルクティーでスルメが喰えるかよ!?」


思わず叫んでしまうが、どうしようもない。
これだって厳さんが俺のために作ってくれたものなんだ。
だったらドリンクとミスマッチだからって、食べないなんて
ことはできない。
ありがたく頂くとしよう。
続けては、蓮さんの袋だ。
これは素朴で、優しい黄色の袋だった。
その中身を取り出して、呆然とする。

見たことのない、へんな帽子に、変な布着れ。
それに変な箱みたいなのに、模造刀。
そしてわらのサンダルに、手甲と脚甲。
な、何だこの変な物たちは!?
急いで手紙を見る。



― 実はお母さん、今、昔のコメディ番組の『てなもんや三度笠』に
  ハマッていまして。
  通販で買った股旅セット一式をシンさんに………。
  わ、私は止めたんですよ!?でも、お母さん、どうしても
  これをシンさんにって……ごめんなさい ―



…………う、うん。
まあ、これだって蓮さんの心づくしなんじゃないか。
だったら、それを黙って受け取るのが男ってもんだろ。
じゃないと、失礼ってもんだ。
そうだろ、皆………?

何とか朦朧とする意識を繋ぎとめて、最後の袋を開ける。
これは弾さんの袋だ。
何か炎のイラストが書かれた、実に熱い雰囲気の漂う袋である。
中を見ると、何かケースが出てきた。
そこに書かれていたのは………。


『IS/VS』


……これってもしかして……ゲームか?
一応手紙を確認する。



― お兄は何を考えたのか、ゲームソフトを入れてました。
  それはとても名作なので、一度やってみるといい、だそうです。
  シンさんがゲームを嗜まれるのかは知りませんが……。
  ゲームは一日一時間までですよ? ―



……それ以前に、この部屋にはテレビ自体ないんだけど。
ゲーム機も。
…………ま、まあ。中々綺麗なパッケージだし!
部屋のオブジェクトとしては映えそうじゃないか!
そう気を取り直して、手紙を読み進めた。



― これで、私たちの贈り物はおしまいです。
  シンさんの役に立つものは入ってないかもしれませんが。
  それでも、シンさんのために、精一杯心を込めました。
  ……シンさん。シンさんが今お辛い立場にあることは、
  千冬さんから大雑把に聞いています。
  でも、忘れないで下さい。
  私たちは、シンさんのことを、シンさんの平穏を、
  心から祈っています。
  だって私たちはもう、家族みたいなものなんですから ―



そこで、手紙は終わっていた。
それを見ながら、俺は鼻をすすった。
……蘭さんたちが、ここまで俺のことを考えてくれていたなんて、
思ってもみなかった。
それをこんな形で、知ることができた。
本当に、心から嬉しいと、思うことができた。

……そうだな、気落ちしてるなんて、俺らしくない。
こんなに俺のことを心配してくれる人がいるんだから。
とりあえず、今みたいにクヨクヨしてるわけにはいかない。
俺を心配してくれてる蘭さんたちや篠ノ之のためにも、もっともっと、
強くならないと。……心を。

そんな決意を新たに、俺は蘭さんたちの贈り物を、とりあえず
堪能することにする。
蓮さんが送ってくれた衣装一式を身に纏い、弾さんのゲームを
スタンドの横に立てかけ、そしてミルクティーを飲みながら、
スルメを食べる。
……しかし、これは一体何のネタだ?
元ネタが分からん。

それにこんな姿を誰かに見られたら、俺は確実に変人扱いされてしまう。
今は篠ノ之も帰ってきてないからいいが……。
もしこの姿を見られたら……。
……そういえば、俺、部屋の鍵、ちゃんと閉めたっけ?
さっきは荷物のことで頭が一杯だったから、そこまで気を使う
余裕はなかった。
……何か嫌な予感がする。
可及的速やかに、鍵をかける必要があるのかもしれない。
そう思い、扉に向かおうとしたところで、それは起こった。


「くぉらぁぁぁぁぁぁぁ!!一夏ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


バーンと勢いよく扉が開かれ、誰かが入ってきた。
でもその声は篠ノ之じゃない。
ついさっき、聞いたものだった。

このとんでもない出会いが。
これから長い付き合いになる、凰鈴音とのファーストコンタクトだった。
忘れたくても忘れられない、あの戦いの序曲の幕開けだった。


「………風来のシ○ン…………?」


……そして、意味は分からなかったが。
その一言が、変に胸に突き刺さった。



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