「………これが、今回お前にやってもらう任務(ミッション)の概要だ。
 何か質問はあるか、シャルロット?」

「……いいえ、何も。理解しました、お父さん」


……空気が重い。
冷たい、苦しい………。
何で僕、こんな所にいるの………?
こんな所、嫌だよ……。
もう帰りたいよ、お母さん…………。

ここは「自由・平等・友愛」を掲げる西欧の都市、フランス。
その首都である「花の都」にIS開発企業、デュノア社はあった。
そこの二十七階、最上階の社長室に、今僕はいる。
まるでサッカーでもできるんじゃないかと思うくらいに広々とした
そこには、彼の座っている質素なデスク以外、何もない。
僕は彼の声だけが粛々と響く部屋の真ん中で、まるで人形のように
直立して、動かなかった。


「『お父さん』などと気安く呼ぶな。……まあ、今は誰もいないから
 構わんが………」

「いえ、出過ぎたことを言って申し訳ありません。……ダニエル・デュノア社長」


僕は心を凍てつかせ、感情を込めずに即座に言い返す。
そうして努めておかないと、僕は彼にどんな罵詈雑言を浴びせるか、
分からなかったから。
だから彼のその言葉はまさに渡りに船、ちょうど良かった。
僕だって貴方のことを「お父さん」だなんて呼びたくない。
貴方は僕の、お父さんじゃない。


「………まあ、いい。さっき言った通り、お前には性別を偽ってIS学園に
 転入してもらう。……男としてな。
 お前にそれをしてもらう理由は二つ。
 一つはわが社のISを世に強くアピールするための広告塔としての役割。
 そしてもう一つは、ISを扱える男子たちと接触し、そのデータを持ち帰ることだ。
 お前も知っての通り、我がデュノア社は未だかつてない経営危機に陥っている。
 そこから這い上がるにはもう、これしか手は残っていない。 
 これはもはや、最後の最後の、最後の手段なのだ。
 分かっておるのだろうな………?」


分かっているよ。
貴方は僕をスパイとして他国へ送り込んで、他国の所有するISデータを
違法に盗ませようとしているんだ。
……愛人の子供とはいえ、自分の実の娘に、それをさせようとしているんだ。


「分かっています、ダニエル社長。
 ……ただ、一つだけ聞いていいでしょうか?
 先ほど社長は『男子たち』とおっしゃいましたけど、ISを扱える男性は
 織斑一夏という男性だけだったはずでは………?」

「……お前が知らんのも無理はないか。
 実はISを扱える男が、織斑一夏の他にもう一人現れたのだ。
 名はシン・アスカ。
 彼については現在も情報が秘匿されていて、公にはなっていない」


僕はそれを聞いて、この部屋に入ってから初めて目を見開いた。
ISを扱える男性が、もう一人いた!?
それはとても驚くべきことだけど、でも何でそれを秘匿する必要が
あるんだろう?
織斑一夏って人の時は全世界で大々的に報道されたわけだし、
今更二人目が現れたからって、それを隠す理由が分からない。


「このシン・アスカという男は、未だその素性がはっきりしないのだ。
 出身国、家族構成、IS学園に入学する以前の経歴、それら全てが謎のままだ。
 だからこそ彼には属するべき国がない。
 それ故にどの国も二人目の男性IS操縦者を囲おうと手綱の引き合いを
 しているのだ。
 まあそれも、篠ノ之束によって牽制され、今は沈静化しているがな」


それを聞いて、僕は会ったこともないシン・アスカという男性に、
親近感を抱いてしまう。
その人も自分の気持ちに関係なく、他の人間の利害や都合に踊らされて、
辛い目に遭っているのだろうか。
だとしたら、まさしく今の僕と同じだ。
僕にはその気持ちが、辛さが、良く分かる。


「それ故に織斑一夏よりも監視の目は厳しいが、しかしだからこそ、その
 得られる情報も織斑一夏のそれよりも有益なのだ。
 シャルロット、今回お前には特に、シン・アスカとそのISについて
 情報を手に入れてもらいたのだ」


目を細めてそう語る彼の顔を見て、僕の心は再び氷の殻を纏い始める。
どうやら彼は、僕を道具としか見ていない。
とことん僕を盗人に仕立て上げたいらしいね。
その冷たい眼差しに冷やかな視線で応える僕を余所に、彼は聞いても
いないのにペラペラとしゃべり続ける。


「シン・アスカの専用機『傷痕(ヴェスティージ)』は、あの篠ノ之束が
 データ収集のために用意した特別製らしい。
 未だ各国が第三世代を試作している段階で、篠ノ之束は既に第四世代の
 ISを完成させつつあるという。
 そのデータを得ることができたのなら我がデュノア社は他社に圧倒的な
 大差をつけることができるし、それが認められればフランス政府からの
 援助も問題なく継続されるというわけだ」


目をギラギラさせながら饒舌に語る彼に対して、僕はもう怒りを通り越して、
憐れみしか感じなかった。
今まで第三世代の開発すら他社のそれより遥かに遅れていたデュノア社が
いきなりそれを超える第四世代を開発したとして。
はたしてフランス政府がそれに疑問を持たないなんてことがあるのだろうか?
もしIS学園に侵入して不正にISデータを盗み、それを用いてISを開発していた
なんてことが露見すればデュノア社は………いや。
フランスという国は全世界から非難を浴び、取り返しのつかないダメージを
負うことになってしまうだろう。
彼はそうなった時のリスクについて、きちんと把握しているのだろうか?
……いや、きっと把握なんてしてないんだろう。
でなければあんなに笑みを浮かべて、喜色を含んだ声で喋れるわけがない。


「……ごほんっ。とにかく、そういうことだ。
 お前には何が何でもシン・アスカの『傷痕』のデータを持ち帰って
 もらわねばならん。
 IS学園への転入手続きは既に済ませてあるから、明日にも日本へ発ってもらう。
 念押しするが、これは我がデュノア社の未来のためなのだ。
 しくじることは許されんからな」


「分かっていますよ、ダニエル社長。では明日の午前七時をもって、
 シャルロット・デュノア、出立いたします」


僕にとってデュノア社というのは、まさに『他人』の建てた城であって。
僕はそんなものの為に、お母さんと過ごしたフランスの地を
追われようとしている。
今僕の心を支配しているのは、それに対する悲しみだけだった。
それなのに目の前の彼は、僕のそんな気持ちにも気付かず、淡々と
追い討ちをかけてきて………。


「言い忘れていたが、本日をもってお前の名前は『シャルロット』ではない」

「え…………………?」

「IS学園へ転入するにあたって、お前には男としての新たな名前を考えておいた。
 ………『シャルル』、それが『男』としてのお前の名だ。
 これからお前は『シャルル・デュノア』として生活するのだ。
 学園に在籍する三年の間、ずっとな。
 これ以降本名を口にすることは、絶対に許さん」


ピシッ…………………………………………。
僕の中の何かに、ヒビが入ったような音がした。
……シャルロット、僕の名前。
お母さんが僕にくれた、大切な名前。
それが今、何の脈絡もなく、ただただ彼の都合で、奪われた。
目の前の、僕とお母さんを捨てた、最低の冷血漢に。


「………分カリマシタ。『シャルル・デュノア』、出立イタシマス。
 失礼イタシマス。ダニエル社長」


僕は最後の気力を振り絞り、辛うじてそれだけ答えて、フラフラと部屋を出る。
………もう、いい。
もう、どうでもいい。
お母さんと一緒に過ごした故郷を奪われても。
お母さんから貰った、大切な宝物を奪われても。
もう、何を失っても構わない。

社長室を出て今の居宅である彼の別邸へと向かう僕のその足取りは、
何故かは分からないけどとても軽い。
……って、理由なんて考えるまでもないよね。
だってあの男から、三年間だけでも離れられるんだから。
こんなに嬉しいことって、ないよね。

あはははははははははははははははははは…………………。
……………………………あぁ。
僕、どうしてこんな所にいるんだろう。
分からないよ……………お母さん……………………。






























「………すごいなぁ。話には聞いてたけど、流石の広さだねIS学園は。
 僕が通ってたスクールのざっと十倍以上の広さはあるんじゃないかな。
 これじゃあどこに何があるのか分からなくなりそうだよね。
 まあ僕は方向音痴じゃないし、地図もあるから大丈夫だけど………」


あれから二日後。
僕はフランスから遠く離れた異国の地、日本にあるIS学園にやってきていた。
既に用意されていた男性用の制服を纏って。
手には学園内の地図と、お母さんと過ごした家から持ってきた大切な服等の入った
キャリーバッグを持って。

ふう、やっぱりズボンって歩きにくいなぁ。
今まではずっとスカートを履いていたし、流石に下着までブリーフやトランクス
じゃないけれど、とても窮屈で違和感があるよ。
ただでさえ今日は入学手続き以外にもデュノア社の日本支部に出向いて、
僕の専用機『ラファール・リヴァイヴ・カスタムII』の調整をしてもらわないと
いけないのに…………はぁ、本当に憂鬱だぁ……………。
僕は深く溜息をつきながら、首にぶら下がっているネックレスを見る。

『ラファール・リヴァイヴ・カスタムII』………僕のIS。
……君とはもう一年近い付き合いになるから、それなりに愛着は湧いてるんだけど。
やっぱり僕にとって君は、デュノア社と僕を繋ぐ『鎖』としか思えないんだよね。
君に罪がないのは分かってるんだけどさ。

と、重苦しい気分で重いバッグを引きずりながら長い長い階段を上りきると、
IS学園の各校舎を見渡せる開けた大広場に出た。
本来なら生徒さんたちで溢れかえっているであろうそこも、
今は授業中なのか誰もいなくて。
この広々とした空間に僕だけがただ一人、まるで取り残されたように、
でも喧騒も何もなく、ただただ優しい時間だけが過ぎていくようで。
そして初夏の爽やかな風が、僕の頬を滑るように撫でていって。
広場の真ん中の大きな噴水がマイナスイオンをたっぷり出しているからだろうか。
さっきまでの陰鬱だった気分も、ゆっくり解きほぐされていくようで………。


(………何て開放感なんだろう。さっきまでの憂鬱が、少しなりとも和らいだみたいだ。
 二日前まで感じていたあの押しつぶされるような重さも、今は感じない。
 ……やっぱり彼から離れることができただけでも、ここに来た甲斐があったって
 ことなのかな…………)


気分が幾分落ち着くと、今まで見ていたIS学園の風景も違って見えてくる。
ここってよく見ると、外装とかとてもオシャレだよね。
ISっていう兵器の操縦者を育成する場所だからもっと殺伐としているものだと
思ってたけど、まるで僕が通ってたキャンパスみたいにゆったりまったりしてる……。
っと、いけない!もうこんな時間だ!
今日は入学手続きだけで正式な転入は明日からだけど、専用機を運用するにあたっての
書類も山のように書かされるはずだから、後の用事のことも考えるとのんびりしてられないや!

僕は慌てて傍らに置いてあったキャリーバッグを持とうと手を伸ばして…………。
スカッ。………スカッ、スカッ。
……………あれ?
おかしいな、確かここに置いたはずなのに………………。


「って、あぁ!!!???」


ガタッ!ガタタッ!!
状況を説明しておこう。
僕はゆうに二十段はあるんじゃないかっていう広場への階段を登って、
登り切ったそこで今までずっと物思いに耽っていたわけで。
不覚だったのは、キャリーバックを置く場所が、階段から物凄く近かったってことで。
…………って!冷静に解説してる場合じゃなくて!


「あわわわわわわわ…………!ま、待ってぇ〜〜〜〜〜〜〜〜!!?」


ドカン、バタンと階段を転げ落ちていくキャリーバッグを慌てて追いかけるけど、
当然ながら追いつけるはずもなく。
小さく何バウンドもしていたキャリーバッグは一回大きく跳ねると、
今まで受けた衝撃のせいか、空中で蓋がパカッと開いた。
中身も勢いよく飛び出して、それがヒラヒラと、まるでちょうちょのように空中を舞って
そして最悪なことに、階段下を歩いていた人の上に、その全てが降りかかった。


「うおっぷ!?な、何だこれっ!!?」


僕の服を頭から被ってしまった彼は、目を白黒させながら引っかかっている服を剥ぎ取った。
……………………………って、『彼』?
僕はハッとして声にもならない悲鳴を上げる。
今僕の目の前でワタワタしているのは『彼』、間違いなく男の子だった。
そして彼が顔にへばり付いていた僕の服を凝視して…………って!
それ、単なる服じゃないよ!?
それ、それは、僕の……………………!!


「くそっ、一体何なんだよ………?この布、やけに甘い香りが…………。
 ぱ、パンツ?そして、ブラジャー……だと?って、うわっ!」

「み、見ないでぇ〜〜〜〜〜〜〜!!!???」


ババッと僕は彼の持っていた服、正確には僕の下着をひったくるように奪い、
他の服も急いでかき集める。
彼はそんな僕を見つめてしばらく動かなかったけど、ポツリと遠慮がちに
声をかけてくる。


「………えっと、何か手伝った方がいいか?」

「いいっ!君は何もしなくていいからっ!!とにかく、見ないでぇ!!」


せっかく彼が親切にもそう言ってくれたのに、混乱の極致にあった僕は、
その親切を跳ね除けてしまった。
それから少しの間彼は無言だったけど、頭上から小さい溜息が聞こえてきて、
そして彼の気配がどんどん離れていって。
遠ざかっていく彼の足音を聞きながら、僕は申し訳ない気持ちで一杯になって、
心の中で彼に懺悔し続けた。

涙目になりながらも必死に服を拾い集めて、目に見える服がなくなったので、
ようやっと起き上がる。
ううう…………。
ど、どうして日本での新しい生活の初日に、こんなことに………。
少しは持ち直した気持ちが、一気に急降下してマントルに激突だよ………。
僕はぐすぐすと鼻をすすりながら顔を上げて、止まった。


「え………………………」


僕の目の前、広場へ続く階段に腰掛けて。
その両脇には僕のキャリーバッグと残りの服が山積みになっていて。
彼はそっぽを向きながら、ぶっきらぼうに呟いた。


「……下着以外なら、拾ったって別に構わないだろ?
 流石にそんな涙目のアンタを放っていくなんてできないしさ。
 ……ほら、ハンカチ。これでさっさと涙拭けよ。
 服をバックに押し込むくらい、手伝ってやるからさ」


そう言って薄く微笑む彼の顔を見て、僕は今日一番の衝撃を受ける。
少しボサッとした黒髪と、頬の十字傷。
そして僕の目を惹きつけて止まない、真紅の瞳。
それは彼から渡された資料にあった写真と全く同じで、でもそれとは
全然違って見えて。

思えば、最初に出逢ったこの時から、僕は彼に惹かれ始めていたのかもしれない。
とても強くて、とても弱い人。
とても優しくて、暖かくて、燃えるように熱い人。
そして、とてもとても、どこまでもどこまでも、悲しい人。

………シン・アスカ。
これが将来僕の旦那様になる、愛おしくて堪らない、僕が生涯で初めて
好きになったたった一人の男の人との。
最初の、ファースト・コンタクトだった。































「ほ、本当にごめんね。荷物の片付けを手伝ってもらったのに、道案内まで……」

「だから、別にいいよ。道案内はそもそも俺が言い出したことなんだし。
 それにどうせ俺も時間を持て余していたところだったから、丁度良かったんだよ」


都会の喧騒も、生徒さんたちの声も何も聞こえない。
ただ風が木を優しく撫でるサワサワという音だけが心地良く響く。
そんなとても心落ち着く雰囲気の中、僕は彼……シン君と並んで、校舎へと続く
並木道を、ゆっくりと歩いていた。

何故僕と彼が肩を並べて歩いているかというと。
キャリーバックに服を詰め終わった後、僕たちは軽い自己紹介をして、彼に
お礼を言って、そして明日からここに転入することと総合案内へ向かう途中
であることを伝えたんだ。
そうすると彼は何を思ったのか、


「……それじゃあ、俺が総合案内まで連れて行ってやろうか?
 いくら地図があるからって、ここはかなり複雑だから歩き慣れてないと、
 やっぱり迷うぜ?」


と言ってきた。
その提案を僕は当然断ろうとした。
だってさっきも迷惑をかけちゃったばかりなのに、さらにそこまで親切に
してもらう理由がないし。
それに、黙ってるけど僕は彼のISデータを盗む為にここに遣わされた身だし。
そのターゲットである彼に親切にしてもらうことは、とても心苦しくて………。

でも彼はいつまでもマゴマゴしている僕を見て痺れを切らしたのか、
キャリーバッグを僕の手からサッと奪い、スタスタと歩き出した。
何か不自然なくらいに強引なので疑問に思ったけど、結局僕は彼についていく
ことに決めた。
だって僕を見る彼の目には、何故か僕を労わるような優しい光が宿っていて。
………何故だろう?
出会って間もないはずなのに、僕は彼と一緒にいることに、とても安らぎを
感じ始めていた。

と、シン君が突然僕に声をかけてくる。
物思いに耽っていた僕は、思わずビクンッと震えてしまう。


「おい、どうしたデュノア?何かさっきから神妙な面持ちで黙ってたけど」

「ふぇっ!?い、いや何でもないよシン君!あははははは…………」

「あ、ああそうなのか?それなら、いいんだけど………」


そんな、互いがどこか遠慮しあったようなぎこちない会話が終わって、また沈黙。
でもその沈黙のお蔭で少し気が落ち着いた僕は、ふとシン君のおかしな挙動に気付く。
シン君はさっきから僕の方をチラチラと横目で見ては、首を傾げて頭の上に
巨大な「?」マークを浮かべている。
そしてそれをさっきから何度も繰り返しては、頭をグシャグシャと掻き毟っている。
………何だろう?
それを見た僕の全身から、嫌な脂汗が滲み出てくる。
とても、とても悪い予感がする………。


「………なあ、デュノア………」

「う、うんっ!?何かな、シン君!?」

「いや、さ…………。こんな事聞くと『何言ってんだコイツ?』って白い目で
 見られそうで怖いんだけど。
 ……単刀直入に聞くよ。デュノア、アンタって………その、男………
 なんだよな?」


ドッキーーーーン!!!
口から心臓が飛び出るかと思うくらいにビックリした!
僕は固まってしまった思考と体を何とか動かして、唇をわななかせながら
何とか答える。


「も、もちっ!もちゅろんだよっ!!何言ってるのかなシン君!?
 そんなこと僕のこの姿を見ればすぐに分かることじゃない!!
 ジョークが上手いんだから……あはははははは……………」

「……噛みまくってるぞ。でも、そうだよな。
 男子の制服、着てるわけだし………。
 でも、う〜〜〜〜〜ん…………。
 …………男?うぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん?」


僕の言葉に一度は納得したようなことを言ったにも関わらず、未だ疑問符を
浮かべながら首を傾げるシン君。
そんな彼を見てさっきから早鐘を打ち続けてきた僕の心臓も心拍数も
最高潮に達する。
僕は混乱する頭で何とか打開案を考える。
な、何でこんなにあっさりバレてるのかは分からないけど、転入初日で
フランスへ強制送還だなんて冗談じゃない!
彼の元には、もう絶対に戻りたくないんだ!!


「な、何がそんなに疑問なのかなシン君?
 僕ってそんなに男に見えないのかな………?」

「ああ全く見えな………いや。それはまあ、いいんだけど………。
 その、もしアンタが男なのならさ。
 ちょっと言いにくいんだけど………さっきのアンタの服、女物ばかりだっただろ?
 服は普通だったけど、その………下着の方が。
 それがちょっと腑に落ちないというかさ…………」

「……………………………………………」


彼は頬をポリポリとかきながら僕から目を逸らし、遠慮がちに聞いてくる。
対する僕はというと、顔から煙を吹き上がらせながら、ただ息継ぎをするように
口をパクパクとさせるだけだった。

あ…………うあああああっ!!!???
不味いっ!不味いよっ!?
いきなり言い訳もフォローも不可能な、絶体絶命の状況に追い込まれちゃったよ!!?
何といっても、彼には証拠のブツを直に手掴みされてガン見されちゃってるわけで!!
どうやってここから言い繕えっていうんだよぉ!!??

……いや、例え不可能に近くても、それをやらなくちゃいけないんだ。
それをしないと僕は、あの冷血な彼の元に戻らなくちゃならない。
例えそこがお母さんと暮らした国だからって。
………お母さんは、もういない。
僕とお母さんが暮らしていた家は、僕が引き取られて早々に壊されてしまった。
未だに愛着はあるけど、IS学園への転入を告げられた時は悲しかったけど。
……やっぱりあの国にいる意味は、もう僕にはないんだ。
お母さんのいない、なのに彼のいるあの国には、もう近づきたくないんだ。
だから僕は、正体がバレるわけにはいかないんだ!
………そのためなら…………。


「…………し、趣味、なんだ………………」

「は…………?何だって?」


そのためなら僕は、「変態」の汚名さえ、甘んじて―――――――――!!!


「だ、誰にもナイショだよ………?
 僕、可愛い服とかに目がないんだ。でも、僕は男だから………そういうの着てたら
 おかしいでしょ?
 だから、その………人の目に見えない下着だけはせめて可愛い女性物を履こうと
 思って、それを実践してるんだ………。
 は、恥ずかしいから、絶対に言わないでね、シン君………………」

「何………だと…………?い、いや………。まあそんなこと人に言えるわけないし、
 誰にも言わないけど………でも…………マジ、かよ……………」


彼が戦慄し、重苦しく呻いている。
それをなるべく見ないようにしながら、僕は恥辱と後悔で、心の中で転げまわっていた。

わ、わああああああああああっ!!!???
バカッ!!僕のバカッ!!!
彼の目の前でいきなり堂々と、しかも恥ずかしそうに変態宣言とか、何を考えて
いるんだよぉぉぉ!!!???
あああああっ!!?彼が、彼が流石に引いている!?
お、終わりだ………恥ずかしすぎて、僕はもう終わりだっ!!!

でも僕は最後のなけなしのプライドを振り絞って、もはや涙目で顔は必死に
笑顔を作って、強引に話を逸らしにかかった。


「と、とにかくっ!そんなことはもうどうでもいいじゃないかっ!!
 それより僕もさっきから気になっていることがあるんだっ!!
 シン君、頭とか首のところとか包帯でぐるぐる巻きになってるけど、
 怪我でもしてたのかい?
 とても痛そうだけど………………」


話を逸らすと同時に、僕は最初に彼と会った時から気になっていたことを
ここぞとばかりに聞いてみる。
彼は頭だとかに包帯を巻いていて、うっすらと血が滲んでいるところもある。
服装もIS学園内を歩くには不釣合いなゆるゆるの長袖長ズボンだし、
顔色もどことなく悪いし、目の下にはクマもできていて。
何ていうか半死人のような、何とも痛々しい姿だった。

と、彼は僕の質問に対して柔らかい苦笑でもってまず応える。
その笑みも、何だか力がなくて………。


「………ああ、一ヶ月くらい前にちょっと怪我しちまってさ。
 今までずっと入院してたんだけど………それも今日で終わりだ。
 明日からはまた普通に、学園に通うことになってるんだ」

「明日って、僕が正式に入学する日と同じだね。
 でも今はかなりしんどそうだけど、大丈夫なの?それにそんな状態で
 学園内を歩いていて、平気なのかい?」

「まだちょっと体力の方は戻ってないけど、傷の方は大分塞がったから。
 それに多少しんどくてもこうやって歩かないと、リハビリにならないからさ」


……ああ、だから授業中の時間帯なのに彼だけ学園内をうろうろしていたのか。
明日からまた学園に通うことになるから、その予行練習として。
………だけど彼の状態はパッと見、とても退院できるようには見えないけど、
どういうことなんだろう?
それに、彼が怪我を負って入院していたなんて、僕は全然知らなかった。
事前に目を通していた資料には、そんな記載はなかったし。
そんな重要な情報がどうして…………?
彼の怪我の原因については少し気になったけど、僕はそれを聞くことはしなかった。
それについて彼が聞いてほしくないって思っていることは、僕にも察しがついたし。
何より僕と彼はついさっき出会ったばかりだ。
そんなに踏み込んだことを聞けるはずもなかった。
と、『キーン、コーン、カーン、コーン………』という、僕が通っていたスクールでも
聞きなれたBGMが鳴り響いた。


「あれ?この音って………」

「ああ、どうやら一時限目の授業が終わったみたいだな。
 ……っと、そうこう言ってるうちに、着いたぜ。
 総合受付のある第一校舎だ」


僕はハッとして顔を彼から逸らし、前へと向ける。
そこにはさっき見た校舎よりもはるかに立派な建物がそびえていた。


「ここは各学年の校舎と廊下で繋がってて、言わば各校舎の玄関口みたいなものなんだよ。
 ……せっかくここまで来たんだ。中に入ればすぐに分かるけど、総合受付まで
 ついて行ってやるよ」

「えっ?い、いいよそんなにしてもらわなくても。ここで十分………」

「いいから、さっさと行くぞ」


そう言ってまたズンズンと中に入っていくシン君を慌てて追いかける。
……やっぱり、強引だ。
彼、資料で見たときは誰かにおせっかいを焼きたがるような感じには見えなかったのに。
……どうして?何で彼は出会って間もない僕にこんなに………?

と、いつの間にか見えなくなっている彼を追って校舎内に入る。
すると入ってすぐの大きなエントランスが、一瞬静寂に包まれる。
授業が終わって次の時間まで息を抜こうとチラホラ集まっていた女の子たちが
一斉に僕とシン君を………いや。
正確にはシン君を見て、固まっている。
と、次の瞬間溢れんばかりの歓声が沸き起こり、皆がこっちに向かって駆け寄ってくる。


「う、うわわっ……!な、何………うわぁ!!」

「お、おいデュノア、大丈夫か………って、うおおっ!?」


僕は押し寄せてきた彼女らに突き飛ばされてコケそうになってしまう。
それを見たシン君は僕の方に駆け寄ってくれようとしたけれど、
彼女たちはそれより早く、シン君を取り囲んでしまった。
ど、どうしたんだろう彼女たち?
何であんなに嬉しそうに………って、ええっ!?
な、泣いている娘までいるよ!?ど、どういうこと………!?


「アスカ君、もう動けるのっ!?千冬様から今も絶対安静だって聞いてたから、
 心配してたんだよっ!?」

「うわ………包帯、血で滲んでる……。とても痛そう………」

「顔色、悪いよ……?まるで土くれみたいなネズミ色……。本当に、もう歩いて大丈夫なの……?」


土くれみたいなネズミ色って……。
でも彼女たち、本当に心配してるみたいだけど、どうしてあんなに……?
確かに今のシン君は端から見ても満身創痍だから心配するのは分かるんだけど……。
彼女らのそれは、明らかに度を越しているというか……。
シン君も目を丸くしてアタフタしている。
こんなに心配されてるとは思ってなかったらしいね。
と、一人の小柄な女の子がおずおずと前に出てきて、弱弱しく呟く。
その声は震えていて、今にも泣き出しそうで………。


「ずっと………、お礼を言いたかったんだ、私………。 
 あの日アリーナで私たちがあのISのビームを受けそうになった時、
 アスカ君が庇ってくれて………。
 でもアスカ君、そのせいで左腕を怪我しちゃって………。
 それでもアスカ君、私たちを守るために飛び出していって……。
 それで、最後に……ヒック………あ、あんなことに………なっちゃ………って…………」


最後の方でいよいよ泣き出してしまった彼女を見ながら、僕は大いに困惑していた。
何か彼女の言葉から察するに、シン君のあの怪我は何かしらの戦闘で負ったものらしいけど。
でもどうしてそんな情報が僕に渡された資料に載ってなかったんだろう?
デュノア社はIS学園とも繋がりが深いから、聞いててもおかしくは…………ああ。

そこまで考えて、得心がいく。
そういえばあそこは今、深刻な経営危機に陥っていたっけ。
フランス政府からも見放されそうだし、それを知った取引先からも続々と契約解除を
通達されてたっけ。
彼も最近は大きなサミットやIS関係の重要会議には出席しなくなっていたし。
ようするにデュノア社はIS業界では既に干されていたから、基本的な彼の情報だけで
精一杯だったと。

なんてくだらない些末なことを考えていると、顔を伏せて泣いている彼女の頭に、
シン君の手がポンと置かれ、そしておもむろに優しく撫でだした。
彼女は驚いて顔を上げる。僕たちも何事かとシン君を見て……思わず固まる。
シン君の顔………今までの病人のような顔色は相変わらずだけど、でもとても優しい笑顔で。
彼はゆっくりと、彼女に問いかける。


「なあ、アンタ……。あの戦いで、怪我とかしなかったか?」

「え………?な、何も……。アスカ君のお蔭で、かすり傷一つなかったよ………」

「……ここにいる皆は?」


シン君は周りを取り囲む女の子達を見渡す。
彼女たちも口々に「怪我なんてしてないよ」って言って。
それを確認したシン君はとてもホッとしたように息をついて。
そして十六歳の男の子相応の、生意気そうな笑顔で………。


「そっか………クク………。
 だったら無理して早く退院した甲斐があったってもんだ………。 
 ………本当に、良かった」


そう言ってはにかむ彼はとても輝いて見えて。
そこにいた数十名の女の子たちの顔が、ボンッ!という音を立てて上気する。
ある娘はポ〜ッとシン君を、トロンとした目で見つめていて。
またある娘はもう立ってられないとばかりに、ペタンとその場に座り込む。

シン君は意味が分からない、不思議そうな顔でそれを見ていたけど。
僕は彼女らがそうなってしまうのも無理はないと思った。
だってさっきの彼は本当にかっこよくて、ほぼ初対面の僕でさえ、彼の笑顔に
思わず見とれていたんだから………。































「どういうことなのですか!?織斑先生!?山田先生!?」

「し、篠ノ之さん………、ちょっと落ち着いて下さい。もう夜ですし、他の生徒に
 聞かれても困りますし………」

「これが落ち着いていられますか!!どうして………どうして私が、アスカとの
 同室を解除されなければならないのですか!?」


今は夜の十時。
夜の早い生徒ならもう既に寝ている時間だ。
私も普段はもう少し遅くまで起きているのだが、今日に限ってはもう寝ようと
いそいそと寝支度を始めていた。
理由は簡単、明日の朝病院までアスカを迎えに行って、一緒に学園に登校するからだ。

……あの襲撃事件から約一ヶ月半、驚異的なスピードで怪我を回復させたアスカは、
明日めでたく退院する運びとなった。
といってもまだ体は本調子ではない……というかとても万全の状態とは言いがたく、
端から見ていてもフラフラしているし。
それにアスカは昏睡から目覚めて以降、さらに夜うなされるようになった。
一夏やセシリア、それに鈴はとても驚いていたけど、私の驚きようはそれ以上だった。
アスカがうなされるのはずっと見てきていたが、あれよりさらにそれが酷くなることなんて、
はたしてあるのか!?
最近は目に常時うっすらとクマができ、あまりに痛々しくてとても見ていられなかった。

ドクターはアスカにもう少し入院するようにと再三に渡って忠告したが、何故かアスカは
頑なに「もう普通に生活する分には大丈夫だから」と譲らなかった。
私もアスカにもう少し入院しておくように言ったけど、やっぱり退院するといって
聞かなかった。
どうやらアスカは早く退院したい理由があるらしく、その決意は固かった。
でも、私は心配で心配で堪らなかった。
結局収集がつかないので、織斑先生が『授業は受けてもいいが、ISの使用は絶対禁止』、
『一日一回学校が終わった後、必ず病院に行くこと』『少しでも不調を感じたら、すぐに言うこと』
を条件に、退院を許可した。
ドクターもそれに折れ、アスカは予想よりはるかに早く退院することになった。

……本当は今も、心配だ。
一ヶ月前、あの病室でアスカの涙を初めて見たとき、とても胸が苦しかった。
アスカは『幸せな暖かい夢を見ていた』と言っていたけど、私にはとてもそうは思えなかった。
あの時見せたアスカのあの笑顔。
まるで溢れ出る悲しみを、辛さを、無理やり笑顔にしたような。
なのにアスカはあの後私が何かあったのかと聞いても、ただ笑みを浮かべるだけで、
何も言ってはくれなかった。
まるで自分のことは、死んでも誰にも言わないという、そんな決意さえ感じられて。
……何でだろう?私にはそれが、とても悲しいことだと感じた。
同時に私はそれを打ち明けられるほどアスカに信用されてないのかと、寂しさも感じた。

でも、だからこそ私はアスカの退院に結局賛成した。
だってアスカが退院してまたうなされる生活を強いられるならば、私がそれを支えれば
いいだけのことだからだ。
私がアスカが何か辛さや悲しみを感じたとき、すぐに傍にいられるように寄り添っていて
やればいいのだから。
病院でアスカをずっと看病してたときも、そのうなされ方が日に日に酷くなっていくのを
見ながら、泣きそうになりながら介抱していたけど。
でも、だからこそ私は以前よりもはるかに、アスカに寄り添いたいと思うようになっていた。
今だって、今この時だって、その気持ちはより強く、大きくなっている。

……もう、目を離さない。
アスカが少しでも辛そうにしていたら、苦しそうにしていたら、悲しそうにしていたら、
私がすぐに駆けつけて傍にいてやろう。そう、決意していたのに………。
その矢先に、織斑先生と山田先生がやってきて、私に言ったのだ。


「篠ノ之、本日午後二十二時をもって、お前とアスカの同室を解除する。
 ……今までご苦労だったな。お前にはさっそく、別の部屋へと移ってもらう」


……って、そう言ったのだ。
当然、私は猛烈に抗議したし、今も先生たちに噛み付いている。
それが、今の場面なのだ。

納得なんて、できるはずもない。
だって、当たり前だろう!
先生たちなら知らないわけがないだろう!!
私がずっと毎夜苦しむアスカを介抱し続けてきたことを!!
私が悪夢から飛び起きて悲しそうに俯くアスカを支え続けてきたことを!!
私しかいないんだ!本当にアスカを支えられる人間は!!
私はそんなことを叫びながら先生たちに詰め寄った。
そんな私を真剣な眼差しで見つめていた織斑先生は、一つ息を吐き出して、
とんでもないことを言い出した。


「……そんなに激昂するんじゃない、馬鹿者。この話はお前にとっても
 決して悪い話じゃない。
 さっき別の部屋に移ってもらうと言っただろう?
 新たなお前の同室の相手は………一夏だ」


……ボフッ!私の顔から煙が噴出す。
今までの怒りも忘れ、頭の中がグルグルのごちゃごちゃの訳の分からない混沌に………!!


「ふぇぇ!!?な、何故っ!?いきなり一夏となんてそんな………!
 こ、心の準備もまだ全然………っ!!
 それは嬉しいけど、でも………うあああっ!!!
 ど、どうしていきなりそんなことに……………………………………………………?」


と、混乱の中ふと織斑先生を見ると…………何だ?
いつも凛とした表情を崩さない先生が、僅かにそれを曇らせていることに気付く。
それに疑問を覚えて少し落ち着くと、また一つの疑問が浮かんでくる。
……どうして同室の相手が、一夏なのだろう、と。
アスカと私の同室については、アスカの監視という名目で、いつかは解除される
ことは事前に聞いていた。
でも、おかしいではないか?
何故その後の私の同室が一夏となのだ?
普通は女生徒と、同姓と同室になるはずだろう?
何でそうならないのだ………?

そう考えていると、何故かは分からないがふとあることを思い出す。
それは数日前、病室でアスカの看病をしていた時のことだった………。





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「ふぅ………。あ、汗拭きはこれで終わりだ。新しい寝巻きを持ってきたから、
 これに着替えろ、アスカ」

「ああ、サンキュー。……………………おい、篠ノ之。
 いつまでも見られてたら、着替えられないんだけど……」

「あっ………、す、すまないっ!!」


ババッと、私は慌ててアスカから顔を逸らす。
と、アスカが小さく溜息をつき、その後ゴソゴソと寝巻きに着替える音が聞こえてくる。
う、ううぅぅぅぅ………………。
つい最近ようやっとアスカの裸体を拭く作業(もちろん上のみ、下は看護師がやっている)を
顔を逸らさずにできるようになったばかりだというのに………。
わ、私とアスカの二人しかいない室内で、アスカが着替えをする音だけが響いてきて……。
くっ………何故だ……何故こんなにも、頭がクラクラしてくるのだっ!?
まるで脳をドロリと溶かされるような感覚。
麻薬を直接注入されたかのようなこの陶酔感は一体何なのだっ!?
なんて混乱している私に、突然アスカが声をかけてくる。
あまりにビックリして、思わず変な声が出てしまう。


「………なあ、篠ノ之」

「ひぇぃ!!?な、何だいきなりっ!!声などかけてきて、ビックリするではないかっ!!」

「え?あ、ああ悪い。つかお前も何て声出してるんだよ……。
 ………まあ、いいや。篠ノ之、もうすぐ俺も退院するし、こうやって落ち着いて話をする
 機会も少なくなるだろうから、今言おうと思うんだけどさ………」


な、何だアスカのこの意味深な前振りは?
というか、退院したからといって私とお前は同室なのだから、いつでも
ゆっくり話せるだろう?
って、今はそれよりもアスカの言葉の方が気になる………。
こ、この台詞、後に続くのは簡単に予想できるのでは……………って、待て待て!!
私は一夏のことが好きなのだし、お前にそれを言われても、どうしていいか…………!!


「篠ノ之、今まで俺の面倒を見てくれてさ、本当にありがとうな」

「………ふぇ?」

「最初に同室になったあの日から、お前がずっと俺を介抱してくれてたこと、
 本当に嬉しかったんだ。
 昼間も何か、いつもお前に傍で支えてもらってるって気がしてさ。
 ……あんなに暖かい気持ちになれたのは久しぶりで、お前は一夏といる時間を
 削ってまで、俺に寄り添ってくれてさ。
 ……俺、いつも精神的にきつかったんだけど、それに何とか耐えてこれたのは、
 間違いなくお前のお蔭なんだ。
 だから………本当に、ありがとう篠ノ之」


なっ、なななななななななななっ!!!!!?????
たぶん私は今、目に見えて狼狽していると思う。
だって顔が燃えるように熱いし、足がガクガクと震えてきたし。
い、いきなり何て恥ずかしいことを言うのだこいつは!!??
か、完全に不意打ちだっ!
卑怯っ!!あまりにも卑怯っ!!!
こんなふうなシチュエーションで、そんな真摯でまっすぐな言葉をぶつけられたら、
例え想い人でなかったとしても………!!
と、アスカはとても柔らかい優しい声で、続ける。


「お前には心から感謝してるんだ。だから………。
 実は俺からお前に、とてもビックなプレゼントを用意してあるんだ。
 今すぐには渡せないけど、……俺が退院するくらいになったら、分かると思う」

「ぷ、プレゼント………?」

「ああ、お前も絶対喜ぶだろうプレゼントだ。……本当に、今までありがとう篠ノ之。
 俺、お前と一緒の部屋で生活できて、嬉しかった」


着替えが終わったらしく、そう言って優しく笑うアスカを見て、さらにワタワタしてしまう
情けない私。
何か体がふわふわして、アスカのその言葉が、いつまでも耳に残っているような感じで。
その時の私はよく分からない嬉しさと恥ずかしさに悶えていて、私を見るアスカの瞳に
寂しそうな光が宿っていることに気付かなかった。







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……たった今思い出したその時の記憶が、やけに心にひっかかる。
もしやと、まさかと思うけど、私は知らず、織斑先生に尋ねていた。


「……織斑先生、私と一夏が同室になることを決めたのは、先生方なのですか?」

「……………………………………」


織斑先生は何も答えない。
でもその眉が僅かにピクリと動くのを、私は見逃さなかった。
徐々に私の中の「もしかして」が、「やっぱり」に変わっていく。
そう………なのか?
私と一夏が同室になったのは、やっぱり………。


「……もしかして、なんですけど。私と一夏を同室にするよう提案したのって、
 アスカ………なのですか?」

「えぇ!!??し、篠ノ之さんどうしてそのことを!?
 私たち一言もそれについては言ってないはずなのに………痛いっ!!?」


織斑先生が無言で山田先生の頭をはたく。
ありがとう山田先生。
貴女のお蔭で私は自身の考えに確証を得ることができた。
織斑先生は溜息を吐きつつ、私の方を見て、言う。


「………こうなってはもう、隠す意味もないな。
 確かに一夏とお前を同室にするよう私に頼んだのはアスカだ。
 実は随分前からアスカには頼まれていたのだ。
 『俺の監視が解除されたら、篠ノ之と一夏を同室にしてやってくれませんか?』とな。
 一夏は今一人で部屋を使っているし、一夏とお前の同室は、倫理上の観点を除けば
 許されるべきことで、別段反対する必要もなかった」


………予想が、的中した。
やっぱり、アスカが根回しというか先生に頼んでおいたこと………。
アスカが言っていた『ビックなプレゼント』とは、このことだったのか……。
確かにアスカは私の気持ちを知っているし、このプレゼントは嬉しかったけど……。
同時に私はよく分からない寂しさに襲われていた。

いくら私への感謝の気持ちとして一夏との同室をセッティングしてくれたのだとしても、
アスカの奴、躊躇もなく私との同室解除を容認するだなんて………。
だっていくら私のためとはいっても、今までずっと一緒に生活してきたんだし、
少しくらい躊躇ってくれてもいいじゃないか?
アスカの状態について一番理解してるのは私なのだし、アスカもそれを分かっていた
はずじゃないのか?

……それとも、病室ではあんなこと言ってたけど、本当は私に介抱されるのが
嫌になったとか………。
……あり得る。
我ながらアスカに対して過度とも言えるくらいに心配して、構っていたし。
それを『重い』と感じたのかも………。


「……おい、篠ノ之。お前の表情から今何を考えているのかは大体察したが……。
 それはお前の完全な勘違いだ。
 ……アスカは毎晩付き添っていたお前に深く感謝していた。
 今回のセッティングだって、その感謝故だ」

「………そう、なのでしょうか?」

「ああ、そうだ。
 私だって少し気になって、アスカに問いかけたのだ。
 『篠ノ之と別々の部屋になったら、お前を介抱する人間が誰もいなくなるぞ』とな。
 そうしたらアスカは、何と言ったと思う?」


分からない。
織斑先生の顔を見る限り嘘を言ってはいないことは察したが、それ以上に私は
アスカが何を考えていたのか、分からなくなっていた。
今までアスカの考えていることなら大体分かっていると自負していたのに………。
心が乱れただけで、こんなに分からなくなるなんて………。
と、織斑先生は少しだけ苦笑してから、私に言う。


「『俺の体のことより、篠ノ之の恋の方が大切だ』とな。
 篠ノ之には感謝しているけど、俺のためなんかに篠ノ之が一夏と
 仲良くなれないなんて、俺には耐えられないと。
 俺の大切な人である篠ノ之には、何が何でも恋を成就させて、
 幸せになってもらいたいと、そう言っていたよ。
 それによって自分にかかる負担が増すことなど、計算にも入れずに、
 ただただ、お前のために、そう言っていた」

「…………………アスカ、が?
 そう、言っていたんですか………?」

「ああ、アスカはお前が思っている以上にお前のことを思い、感謝していた。
 今回のことは、アスカのお前に対する、せめてもの感謝の気持ちであり、
 償いなんだよ」


私はただ、呆然とする。
だって、アスカ。
お前私が同室じゃなくなったら、夜うなされても誰も介抱してくれなくなることくらい
分かっているはずじゃないか。
それによってお前にかかる負担は、お前が一番良く分かっているじゃないか。
言っていたじゃないか。
『……俺、いつも精神的にきつかったんだけど、それに何とか耐えてこれたのは、
 間違いなくお前のお蔭なんだ』って。
お前はそれをなくしてまで、私のことを考えて………?
と、織斑先生が優しく、諭すように私に語りかける。


「納得はできないだろうが、今は素直に受け取ってやれ。
 少しズレてるかもしれないが、これはアスカがお前のことを考えに考え抜いて
 用意した、最大限の心づくしなのだ。
 ………それに対してお前がどう考え、どう行動するかは、これから考えればいい。
 ただ、アスカはお前に感謝を抱き、お前のことを大切に想っていた。
 ……それだけは、勘違いしてやるな」


…………織斑先生の言葉も、どこか遠くに聞こえる。
アスカのその気持ちが、私を想うその優しい気持ちが、じわじわと私の中に染み込んでいく。
……どうしたんだろう?
最初はただ、うなされるアスカが心配で、その気持ちから始まったことなのに………。
そのはず、だったのに………。
でも、それが変わっていったのは、多分、随分前のことで………。


(………アスカ、アスカ、アスカ…………)


私は心の中で、何度もその名を呟く。
すると今までは感じなかった………いや。
一夏への好意に隠れて気付かなかった鼓動が聞こえてきた。



……トクンッ。トクンッ。トクンッ。



………今まで一夏に感じていた鼓動とは違う。
小さいけれど、一夏に感じていたそれよりも私の胸に、心に、大きくそれは響いて。
何だ、この気持ちは………?
このとても熱いけれど、でも切ないこの気持ちは…………。

一夏のそれとは違う未体験の感情の奔流に、私は戸惑いつつも意識を委ねる。
すると全身がとても熱くなって、顔も同じくらい熱くなって。
……そして、私の頭を、心を、アスカのことだけが埋めつくす。

私はここにはいないアスカに抱きしめられ包まれているような錯覚を覚えながら、
その熱に、その奔流に、アスカのくれた優しさに、目を伏せて全てを委ねたのだった。



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