番外編その6『ある日のシャルロット:その2』


「ねぇシャルロットさん。…シャルロットさんてば!」

「…え? ああ…ごめんボ〜ッとしちゃって。
 ええと…何の話だっけ?」

「いや…もうすぐ昼休み終わっちゃうけど、食べないの? ご飯……」

「へ……うわああっ!? はむっ! むぐむぐむぐっ!」


一緒に昼食を食べていたクラスメートの指の先にある時計の針が、
二本とも「1」を指している。
慌ててほとんど手つかずだったポトフを頬張る。
玉ねぎの切れ端が器官に引っかかってむせた。

時は七月二十九日。あと数日で待ちに待った夏休み。
普段はIS操縦者としての研鑽を積むことに心血を注ぐうら若き乙女たちも、
水着を新調し雑誌を読み漁り、来たるアバンチュールに備えている。
誰彼もがこの夏こそは素敵な彼氏を見つけるぞと息巻き、久しぶりに祖国へ帰れると
海外組は胸を躍らせる。
特に一年生たちはIS学園生として慣れない訓練をこなし、目まぐるしく過ぎてゆく
学園生活を何とか乗り越え、やっと迎える初めての長期休暇。
皆休み時間になれば飽きもせず夏休みの話題で花を咲かせている。
もはやIS学園は夏休み一色。
皆、みーんな浮かれてる。


「僕は……そうでもないんだけどね」

「え? シャルロットさん何か言った?」

「ううん、何も。さあ、早く戻ろう。織斑先生の授業だから遅れたら出席簿だよ」

「うわぁ、それだけは勘弁! あ…それはそうとシャルロットさん、口元に食べかす
 ついてるけど、それはいいの?」

「え、…うわぁ! もっと早く言ってよぉ!」


お母さんのハンカチで口元を拭いながら廊下を走る。
廊下をすれ違う女の子たちを横目で見る。
皆、楽しそう。嬉しそう。
僕と廊下を並走している娘だってそう。皆、煌めくような笑顔でその日を待ちわびている。
でも僕は…複雑だった。

僕はこの夏、祖国(フランス)に帰るつもりはない。
ISの実戦データや新武装の運用データは逐一送っているし、本国からは帰省しろとは言われていない。
父……いや、彼はそういった行事には関心を示さない人だから。
それに僕はセシリアみたいに会社を取り仕切ってるわけでもアイドルみたいなことしてるわけでもないしね。
そういったプロパガンダは他の国家代表がしてればいい。
…結局シンのISデータを盗むという話はうやむやになったまま。その理由も教えてもらえていない。
別に、いいんだけどね。
そこにどんな思惑があったって、シンが巻き込まれなくなったのは嬉しい。
それに彼にとって僕は駒だ。道具に詳細な情報なんて伝えないだろうし。

それに……もし次彼から無茶な要求をされても、僕はそれに屈することはない。
その強さをクラスメートが、共に戦った戦友たちが、そして大好きなあの人が、与えてくれたから。


「では今日はここまで! 各自予習復習はしっかりとしておくように!
 …せめて終業式までは精神を弛めるんじゃないぞ?」


織斑先生の授業が終わる。彼女は少し口端をつり上げ、窘めるというよりは茶化すように
出ていった。
普段は鬼神のように禍々しい彼女だけど、その実気さくに生徒と接してくれるから
人気があるんだろうね。
女の僕から見ても格好いいもん。

僕は一息ついて席を立ち、一番後ろの窓際の席へと向かう。
そこには既に箒、ラウラ……僕の戦友兼親友なんだけど、そこに座る男の子に話しかけていた。


「そういうことだからシン、今日も私は部活に行かないといけないから先に戻っててくれ。
 夕食までには戻るから一緒に食事を…」

「篠ノ之は勉学のみならず部活動にも精を出して偉いな。
 私も何か始めてもいいのかもしれんが、いかんせん適正が…。
 旦那様、私にはどんな部活動が向いているだろうか。
 むしろ旦那様は私にどんな部活動をしてほしいだろうか?」

「俺に言われても…俺も帰宅部だからな……。
 ラウラなら運動系の部活なんかいいんじゃないか?」


ラウラがまるで子猫がじゃれつくようにその男の子…シンに寄りかかっている。
それをさして気にも留めてないように微笑ましく見つめるシン。
…少しだけムッってしちゃった。やっぱり僕ってラウラみたいに純真じゃないなぁ…反省。

彼の名はシン・アスカ。僕の恩人で…大切な人。
僕に勇気と居場所と…今まで知らなかった感情をくれた人。
そんな彼に惹かれたのは僕だけじゃなくて、箒やラウラ。席で何か包みを開けているセシリア。
それにこのクラスのみならず他のクラス、上級生にも彼に淡い恋心を抱いている娘は多い。
それは彼のルックスだけじゃない、今まで彼がこの学園に入学してからの言動に惹かれたから。

実はシンは今まで色んな事件に巻き込まれて、その度に見るに堪えない傷を負ってきた。
いつも苦しそうで、普通に生活するのすら辛そうで…。夜も眠れてなかったし…。
でも、この前の福音事件があってから徐々に…というか普通では考えられないくらいに
体調を戻していったんだ。
怪我は今までみたいに傷は残ってしまったけど、本人はもう隙間ないくらいに傷があるから
少し増えたところで構わないとか言ってる。
…胸の真ん中に大きな傷跡ができたんだよ。気にするはずじゃないか…普通は。
体力は、まだまだ戻ってないからたまに体を支えてあげなくちゃいけないけど、体調はかなり改善してる。
何より、夜うなされることが全くなくなった。
だから回復も今まで以上に早いみたい。だからその点に関しては肩の荷が下りたって感じ。
だけど、今はまた別のことが気になってる。
さっき僕が食事も忘れて考えに没頭してたのは、それが原因。


「じゃあ俺は医療施設に寄ってから帰るとするか。
 点滴は二時間くらいのものだから十分夕食時には間に合うと思う。
 箒もラウラも、六時頃にロビーで集合ってことでいいよな」

「ああ、構わない。ドクターによろしく言っておいてくれよ、シン」

「私もできるなら一緒について行きたいのだが…。いつも箒やシャルばっかり
 ついてゆくし……旦那様の看病は私の役目だし…」

「点滴が終わるまでの時間は丸々暇なんだから、俺についてくる意味なんてないさ。
 そんなことに時間を費やすならどっかの部活に体験入部でもさせてもらった方が
 万倍有意義だぜ。だからそんな脹れっ面になるなって……ははは」


楽しそうに歓談するシン。最近では考えられなかった光景だ。
いつからか目に見えない誰かに話しかけることが多かったシン。
僕らの問いかけにも反応しないことが多くて…まるで何か悪いものに憑りつかれて
るんじゃないかなんて邪推するほどに。
もちろん今はそんな事全然ないんだけどね…。
心配は、別のところにあるんだ。

おっと、遠巻きに見ていた僕はその輪の中に入ろうと再び歩を進めようとして。
その横をサッと金色にたなびく影が通り過ぎていく。
セシリアだ。さっきから何やらゴソゴソしてたけど、その手には大きめのバスケットが
収まっている。
…嫌な思い出が甦る。口の中が妙に酸っぱ苦くなってきた。


「シンさん、お待たせいたしましたわ!
 今日のおやつはセシリア特製! アップルパイですわ!
 医療施設に向かう前に適度な甘みを摂取して体をリラックスさせておくのが
 宜しいかと! 既に切り分けてありますからどうぞ手掴みで!」

「おおっ……待ってたぜ………! ハグ! ガツガツガツ!!!」


…点滴受ける前にあんなに食べていいのかなぁ。
そもそもあれ……アップルパイなの?
見た目は上等なアップルパイそのものだけど、切り口は亜空間の入り口みたいな
色してるけど。
でも……良いことだよね! 食欲が戻るなんて、今までじゃ考えられなかったことだもん!
結局声をかけるタイミングを失った僕は電光の如くアップルパイを平らげ石火の如く
教室を出ていくシンを慌てて追う。
目的はただ一つだ。


「ねえシンっ! 今から医療施設に行くんでしょ? 
 僕も一緒に付き添っていいかなぁ?」

「え? ああシャルか…お疲れ様。
 ラウラにも言ったけどただ二時間待ってるだけだから退屈だぜ?
 そんな事より訓練したり皆と遊んだりした方が……」

「それもいいんだけどね……僕は、シンが治療受けてるときも、一緒に居たいんだよ。
 それに、今日は僕が同室でしょ? 結局一緒の部屋に戻るんだし、いいかなって。
 ……駄目、かな?」

「っ! い、いや別にそういうことなら俺は構わないよ。
 じゃあさっさと行こうぜ。モタモタしてたらまた先生に怒られちまう」


シンは真っ赤になりながら足早に廊下を進む。
ふふ…分かりやすいなぁシンは。
でも、そういうところも堪らなく可愛いっていうか。


「言っとくけどシャルの顔も真っ赤だからな。
 恥ずかしいならあんな台詞言うなって、ぶつぶつ……」


う、嘘っ!? 心を読まれた!?
ていうかそれ本当!? は、恥ずかしいなあもう……!
…うん、こういうやり取りはいつも通りなんだけどな。
心を落ち着けて、先を行く彼の背中を追う。
……あ、少しペースが落ちた。僕に合わせてくれるつもりかな?
あ、やっぱり。僕が並んだ途端ペースを合わせてくれた。
嬉しくてにやけそうな顔を必死に保ちながら彼を横目で窺う。


「………………………………………」


僕はまたかって心の中で呟く。
シンは軽快な足取りで真っ直ぐ前を見て歩いている。
だけどその顔は……彼の瞳には何もなかった。
何の色も映してはいない。空洞のような瞳で、前を見据え歩いている。

これが、僕の最近の悩み事。
シンは確かに回復した。もう夜だってぐっすり眠れてるし、初めて会った時みたいに
普通に話して、笑って、微笑んで。
でもすぐに気づいたんだ。
誰かと接していない時、上の空というか無感情というか、とても空虚な表情を
その端正な顔に張り付けて虚空を見つめている。
見えない誰かに語り掛けているようなそれとは違う。
全体的に少しだけ白じんできた髪と相まって、所以「燃え尽きた」とでもいうような
様子だった。
観察してると、シンはその表情をすることがとても多い。
以前のようなギラギラとした炎はそこにはなく、冬の木枯らしのような寒々しい印象を受ける。
それが妙に、気になっていた。



「………シャル、さっきから俺の顔見つめて、何かついてるのか?」

「ううん、別に何も。ねえ……もしかしてシン、さっきから何か考え事してる?
 渋い顔してたけど……」


嘘。本当は色のない表情してた。見ていて虚しくなる表情。
対してのシンの答えは、こうだった。


「……いや、考え事なんか。
 むしろその逆だ。何も考えてなかっただけだよ」


どこか白々しそうに話すシンを見ていて。
今度は変に、悲しくなった。

でも、大丈夫大丈夫!
シンが何でそんな顔してるのかは分からないけど!
聞いてもはぐらかされるから分からないけど!
そんなしょんぼり顔のシンを明るい笑顔にすべく僕が色々考えておいたんだよ!
箒たちと結んでいる同盟の取決めその4「シンの看病はローテーションで」。
今や形骸化したそれもシンと少しでも長く一緒にいるための口実。
今日の順番は僕だから、用意した策は全て披露することが可能なのさ!
ふふふ……これで少しでも元気になってくれたらいいんだけどな。
いざ、勝負だよシャルロット! ファイトっ!!


「おいシャル、施設についたぞ……おい!
 ったく、さっさと行くぞ」


わっ、手繋いでもらっちゃった。えへへ……。































時刻は六時四十分。シンはいつも通りだね。机に向かって、気だるげに今日の復習。
うん……まずは一つ目のイベントを仕掛けるのに丁度いい頃合いだね。
僕は前もって用意しておいたポッドからカップに一杯分、紅茶を注ぐ。
きちんと計算して適温に保たれたそれからは仄かに甘い香りと湯気が立ち上る。
ふふふ…この日のためにわざわざフランスのオリジナル紅茶葉メーカーから取り寄せた
フレーバードグリーンティー!
緑茶葉をベースに季節の花やフルーツをブレンド、香り付けしたそれは体に染み渡る
爽やかな甘さが特徴だ。
これさえ飲めばストレスや緊張に強張った体もみるみるほぐされる!
この日本という国は古くから奥さんが仕事で疲れ切った旦那さんに暖かいお茶を
そっと差し出してその労を労ったっていう。
そこからヒントを得た、謂わばフランスと日本の合作なのさ!


「勉強頑張ってるね、シン。はいこれ……紅茶入れたんだけど、良かったら飲んでよ」

「…シャル? 別にそこまで頑張ってるわけじゃないけど…サンキュー。
 有難くいただくよ……へえ。何か甘い香りがするな……良い香りだ」


シンは僕の紅茶を快く受け取って一口口に含んだ。
ハラハラしながら見守っていると、淡い微笑を浮かべ、僕を見上げる。


「美味いな……これ。何かホッとする味だ。
 これ…わざわざそのポットに用意してくれてたのか…ありがとな、シャル。
 でもこれ……市販の味じゃないな。 茶葉も用意したのか?」

「うん、僕のお気に入りのメーカーから取り寄せたんだけど…意外だな。
 これが市販の味じゃないって分かるなんて。
 シンも結構紅茶、飲むほうなの?」

「いや、俺は喉さえ潤せれば水道水で満足する男なんだけど…一夏は体に悪いからやめろって
 言うけどな。
 でも最近セシリアに色んな紅茶を勧められてさ。一緒によく飲んでるんだよ」


え? セシリアと? そんなの初耳なんだけど。
だってお昼休みとか、ご飯しか持ってきてないじゃないか。


「セシリアと一緒に寝るときさ、疲れてるみたいだから特製のオリジナルブレンド紅茶を
 ごちそうするって、用意してくれたんだよ。
 何かブレンドに時間かかるらしくて、一緒に寝る時しか用意できないみたいだけど…そうだ。
 確か冷蔵庫に紅茶の残りがあったはず……」


おもむろに立ち上がったシンは部屋に備え付けてある小型冷蔵庫をガチャリと開ける。
そこから長細い花柄の容器を出して、コップに一杯注いでくれる。


「ほら、一口飲んでみろよ。マジで美味いんだぜこの紅茶!」

「え……う、うん。それは……うん。有難く頂くけど……」


僕は一転何故か窮地に追い込まれて冷や汗まみれになった手でそのコップを受け取る。
…鮮やかな赤色だ。見た目は全く悪くないのに……どうして?
何で…冷蔵庫で冷やしていたはずなのに、煮立っているように変な泡がボコボコしてるの?
匂いも……………うわっ!!??


「ごほっ!! けほっけほっ!! ううっ………」

「お、おいシャル。何でそんな涙目に……」


何でだろうね? 何で紅茶でこんな卵の腐ったような臭いがするんだろうね不思議だね。
これ……飲まなきゃダメ、なのかなぁ……。
嫌だなぁ………でも、シンがせっかく善意で勧めてくれてるのを断るわけには……。
…一口だけ、一口だけなら。
お母さん……僕を守って………! えいっ!!


「……む、ムヴ………。ゴフゥゥゥ!!? ………きゅぅ…………」

「し、シャル!? お、おいシャル!? 何でいきなり目を剥いて…うわ、痙攣だと!?
 そんな……紅茶が傷んでたのか? 三日前に貰ったばかりなのに!
 あぁ…口から泡を……! ひ、110番!? 119番!? いや177番!?
 シャル………シャルローーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」










           ・





           ・





           ・





           ・





           ・









「……落ち着いたか、シャル」

「うん……気、失ってたみたいだね、僕……」

「ああ……ごめんな。まさか紅茶が古くなってたなんて……。
 傷んだ食品ほど恐ろしいものはないんだな……改めて自覚したよ」


何でそんな結論になっちゃうんだろうシンは。
誰がどう見ても断じて傷むとかそういう次元じゃなかったよねさっきの。
セシリア……シンに料理を食べて貰ってから猛特訓してたから少しは味もマシに
なったんじゃないかって思ってたけど、思いっきり僕の勘違いだったみたいだね。
むしろ初めて食べたあのサンドイッチより酷くなってる気がする。
だってあのサンドイッチは、一応飲み込めたからね。吐き出しちゃったもん、あの紅茶。

僕は入り口に近い方のベッドに寝かされていて、時間は……十一時!!??
うそ……でしょ。もう今日が終わっちゃう…。
せっかく待ちに待ったシンと一緒に寝られる日なのに……ぐすっ。


「お、おいおい何泣いてんだよ。別に命に別状はないよ。
 ちゃんと医務室で処置はしてもらったんだし。
 ……とにかく、悪かったよ俺のせいで…。
 今日はシャルが寝付くまで看病してやるから、安心して休めよ」


………へぇ? 今、シン何て言ったの?
ぼ、僕の看病を、シンがしてくれるって!!?
ほ、本当に? 物凄く嬉しいんだけど!?
って、いけないいけない。あんまりはしゃいだらシンがもう大丈夫だって見切りをつけるかも…。
ちょっと卑怯かもしれないけど、せめて眠くなるまでは傍にいてほしいし、大人しくしてなくちゃ。


「でも……何か新鮮だね。僕を、シンが看病するなんて……」

「ん? ああ……今までは全く逆だったから。
 看病するって、結構大変なことなんだよな。今日それも初めて知った。
 …サンキューな、シャルたちが俺を看病してくれてたお蔭で、俺はここまで持ち直したんだから」

「そんなこと……でもさ、シン。一つ聞いていいかな。
 今本当にシンは……持ち直しているの?」


僕は互いが素直に心中を吐露し合えるこの雰囲気の中、目下の疑問をぶつけてみる。
対するシンは目をしばたたかせながら、首を捻るのみ。
この態度……本当に自覚してないの……?


「当たり前じゃないか、何でそんなこと聞くんだよ?
 もううなされなくなったし、体調も以前より遥かに快調だし、言うことないよ。
 ………何か心当たりでもあるのか?」

「……うん。シン、何か前より寂しそうな顔するようになったなって。
 自覚……ある?」

「いや、ないけど…………」


言われて、シンは少しバツが悪そうにそっぽを向く。
だからって席を立ったりはしない、変わらず傍にいてくれる。
…他の誰かから聞かされて、自覚することもあるよね。
シンは口ごもって、何か考えに耽っている。
……困らせちゃったかな? そんなつもりなかったのに。
僕はシンに、もっと元気になってほしかっただけなのにな……。
また、そんな寂しそうな顔……。
何とかしてあげたいな、だけど僕、元気が出ることなんて…………あ。


「………Fais dodo, Colas mon p'tit frere
 Fais dodo, t'auras du lolo〜♪」

「……え? 何だよシャル、その歌」

「昔僕のお母さんがよく歌ってくれた子守唄……。
 これを聞くとね、辛いことがあってどんなに塞ぎこんでても
 安心して眠れたんだ。
 本当は寝付かない弟にお姉ちゃんが歌ってあげてる曲なんだけどね。
 僕が…シンに変な事言って負担かけちゃったから……。
 少しでも、安らいでほしくて。
 迷惑……だった?」


本当なら寝ている僕こそ歌ってもらうはずの子守唄。
咄嗟にこんなのしか思いつかなかったけど、脈絡なさ過ぎたかな。
でも……僕の目から見て、今のシンは体がどうこうじゃないと思うんだ。
僕も以前はそうだったから、何となく感じる。
理由は分からないけど、今のシンは、心がくたくたに疲れてるんだ。
体調も回復して眠れるようになっても回復しない、心の疲れ。
僕は勝手にそう解釈して、そしてその疲れが一番取れる方法はこれだって、勝手に思った。
もし迷惑なら……僕が実践できなかったシンを元気づけるための四十八手を今ここで
披露するしかなくなるけど……。


「………いや」


そう言葉を切って僕を見下ろすシンの顔は。
退院してから初めて見る、心からの穏やかな笑みだった。


「全然、迷惑じゃないよ。むしろ……こんなに心の温まる曲、久しぶりに聴いたよ。
 できれば、もう少し歌ってくれないか?」

「……うん。それなら、いくらでも。 
 …Fais dodo, Colas mon p'tit frere
 Fais dodo, t'auras du lolo
 Maman est en haut Qui fait du gateau
 Papa est en bas Qui fait du chocolat〜♪」


僕は静かに、記憶を掘り起こしつつ歌い続ける。
一番を歌って、二番の歌詞も。
ふと気が付くと、シンが椅子に座ったまま、こっくりこっくり船を漕いでいた。
ふふ……穏やかな寝顔。久しぶりに見るね、いつもは引き締まった顔だけど。
僕は彼の体をそっと抱き寄せて隣に寝かせてあげる。
何か、本当に弟を寝かしつけてるみたいな気持ちになってきた。
弟なんて、それはそれで問題あるけど……。
お休み、シン。今は、お疲れ様………。


僕も歌っている間に眠っちゃって。
翌日僕らを起こしに来た箒にハチャメチャに怒られたのは、また別のお話。



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