| ◇ 蒼天と白い狼 ◆
風吹かぬ静かな夜。
降るは真白の綿埃のような雪。
深々と降り落ちるそれは深く…そう,ただ深く。
街を,道を,森を…
世界を白に彩る。
ただ一色の,真白に。
▼
…夜空を見上げながら,人影は白い吐息をついた。 街灯に照らされる道は暗く,しかしそれ故に降り積もる雪が映える。
深々と降りつづける雪は,恐らく今夜一番でかなり積もるだろう。 気象予報でもそう言っていたし,なにより止む気配を感じない。 自分の属性と似た気配を全身で感じ,その感覚に目を瞑る。 周囲には誰も居ない。既に夜も半ばを過ぎ,深夜に移行するような時間帯だ。今外に出ているのは自分くらいだろう。
しばらく佇み,深く深呼吸する。 ふう と,白い吐息を吐いて伏せた瞳を開いた。
全身を軍の防寒装備で身を包んだ彼女は,降り積もった真新しい雪を踏みしめながらその歩みを進める。 小さな街を通り過ぎ,足早に郊外の合流地点()へと向かった。
▼
エルリス・ハーネット。 彼女は軍に所属する数少ないEXの一人だ。 戦闘に特化した能力故に彼女はたびたび軍や王国の闇の部分に関わる任務に携わることが多かった。 そして今回もどうやらそれに当たるらしい。
「未確認生物()…」 「詳細を表示する。」
エルリスの言葉に,合流地点()で待っていた連絡員の男は端末を操作した。 頭部装甲外殻()を駆動させていたエルリスのバイザーに情報が表示された。
「未確認生物()は建前だ。目標は軍の研究部から逃げ出した実験生命体()の抹殺になる。」 「対象の詳細な情報を求めます。」
エルリスの冷静な声に,男は端末を操作する。
「対象は中型の肉食獣。…王国北部に生息する狼の一種だ。今回研究所から脱走した実験生命体()の仮名称()はF()。」
バイザーに表示される細かな特徴と戦闘能力や思考パターンを記憶する。 任務に必要な情報は最大限入手せねばならない。
「今回の任務は回収ではなく消去()なのですか」 「その通りだ。Fに関するデータの収集は終了している。処分の段階で逃げ出したとの報告だ。」 「…。」
バイザーに隠された女の瞳は伺えず,閉ざされた小さな唇も,それ以上は問いを発しない。 連絡員の男は目の前の女がEX()である事を知っている。 それでいて敢えて事務的に接しているのは自身の持つ恐怖心を押さえつけるためだ。 実力において遥かに勝る相手に下す命令は,何時もの事ながら心身に掛かる負担が大きい。が、そんな内面の動きは一切見せる事無く。
「以上,質問は」 「ありません。直ちに任務に掛かります。」
エルリス・ハーネット()は上官に対する礼を取った後,踵を返して冬山に向かって歩き出す。 目標が逃げ込んだのは,アスターディン王国の北の境界線――国境付近の山脈の一つだった。
▼
――。 大きな力()を一瞬だけ感じる。 瞳を開き周囲を確認する。何も居ない――追っ手もこない。 体の各所に刻まれた傷は早くも癒しの兆候を見せている。異常な光景だ。
人間に捕われ,体の各所に金属を埋め込まれてから続く自分の体に起こる怪現象。 心身の強化,知能の上昇,意識の瞳の発生。 そして日に日に薄れ行く自分の意識。
懐かしい雪に覆われた山脈。 自分の居た所とは場所を違えても感じる空気は同じだ――懐かしい。 懐旧の念の発生は,自分と言う生命の変容を認識したと言うことでもある。 元々の"自己"から大きく逸脱した"自分"とは,一体何なんだろうと思考することがここの所多い。 もう,昔の自分に戻れないと言う確信を抱きつつ,過去の光景に思いを馳せる。 自分が自己であった,あの頃を。
▼
軍の研究施設で行われていたと言う実験。 それは魔鋼()による生体強化実験らしい。 流石に詳しい情報は記載されている筈もなく,それは断片的な情報から構築した予測に過ぎない。 しかし,今回の対象であるコードFの全容を見る限り,頭部,首,各関節部分の合計14箇所に用途不明の魔鋼()が埋め込まれている。 よくよく意味不明の行動をする研究施設だと思いつつも,エルリスは速度を落とさず目標の潜伏すると思われる方向へ向かう。
魔法駆動機関()の情報バイザーに表示される地図――それと光点はこの山脈と目標の位置だ。 発信機つきの目標に追いつく事は容易い。
「…近い」
先ほどの醒めた言動の彼女には似あわない,歳相応の()呟きがエルリスの唇から零れる。 今回の任務も,その最終目標は消去()。 一瞬だけ彼女の瞳に痛ましげな光が宿り――しかし瞬時にかき消された。
徐々に速度を上げつつ――エルリスは決意だけを胸に秘める。
▼
強い力はまっすぐにこちらを目指してくる。 体に着けられていた傷はあらかた回復した。行動に支障は無い…。 "彼"は体を起こし,しかしふらつく。 長時間横たわっていた反動か――それとも"残り時間"が少ないのか。 恐らく後者だろうと予測をつけ,しっかりと四本の足で大地を踏みしめる。 "自分"の意思を瞳にともらせながら,しかし篭める度に埋め込まれた金属へとココロが吸い取られる感覚――最悪だ。 しかしまだ屈するわけには行かない。
死に際してここまで逃げてきたその目的を果たしていないのだから。 自分の生まれた故郷へは,まだたどり着いていないのだから。
死ぬわけには行かない
その意思だけを支えに,彼はここに立つ。 が,それも本当にここまでのようだ。 命からがら脱出した人間の要塞での戦闘で疲弊したココロは,恐らく次の一戦で消えてしまうだろう。 どうするか。
ここで逃げても追っ手は必ずやってくる。 ここで戦っても,近い将来"残り時間"は切れる。
どちらを選んでも,自分の望みは達成されず行く先には"死"が待つのみ。 瞑目し,瞳を開く。
ならば戦う。
"力"を使う度に消え行く自らの意識を感じながらも,それはそう決めた。
▼
△ △
一人と一匹の接触は一瞬。 蒼は携えた両手のナイフを全力で振るい,周囲の景色に溶け込むような白い獣は牙にてそれを迎え撃つ。
一撃目を相殺に終えた人外の二人は()そのまま高速戦闘に縺れ込んだ。
◇
雪で覆われた森を抜けた。 二つの影が疾走した後には一組の線が残る。 高速機動による疾駆の跡だ。
深い雪に覆われた道無き山脈。 蒼と白の高速の二迅は互いに弾き合いながら,しかし一切の油断も隙も見せる事無く攻撃の手を緩めない。
"F"と呼ばれる巨躯の白狼は,完全に敵()に視線を向けつつも両の瞳から彼女を外す事はない。 狼独特の野生の勘が働いているのか障害物には一切気を配らず,しかし確実にそれを回避してもいる。 更に"F"は,エルリスの戦闘機動()と確実に並走してもいた。 その上での彼女との攻防は,もやは脅威以外のなにものでもない。
エルリスは足元に展開している圧縮氷雪空間で高速機動を維持し,更に両手に持つ軍用ナイフ()を駆使し白い獣に攻撃を加える。 その刃が独特の蒼をしているのは,ナイフを作り出したのが彼女自身だからだ。
氷のEX使い(),エルリス。
彼女を知るものは,皆そう呼ぶ。
△
"F"が先行した。 エルリスは,消耗を避けるために速度を維持することを最優先にどんな行動もとれるように態勢を整える。
前方で反転した巨躯の狼は,弾かれたかのような勢いで進路をこちらに取ってきた。 それは予測範囲内の行動であって,エルリスはしかし瞳に力を篭める。
(真正面からの迎撃はだめ) (目標とのスピードと重量の差を考えると,圧倒的に私が不利) (回避しかない。でも――)
行動を開始する。
△
進路は変わらず,3秒以内には接触する。 エルリスにとってそれは死を意味するのだが,不思議と心の中は落ち着いていた。
氷雪結界"凍てつくココロ"()は使用不可能。 恐らく,自分の認識領域()内に捉えきるよりも早く逃れてしまうからだ。 敵の速度を鑑みるに,それは容易に予測できた。 例え捉えられたとしても,敵の詳細情報()に書かれている一文が,それ()との相性の悪さを物語っていた。
実験生体コード"F":炎系の魔法反応有り
脱走した施設の壁面も短時間に超高温に曝された後のような様相を呈しており,それが敵の能力の証明であり,自身の能力との相性が悪いと言う証明でもある。 しかし,だからこそエルリスは負けられない。
まだ,自分の見たい未来には全然届いて居ない。 もしかすると,最初から間違っているのかもしれない,でも――
(私はもう,歩き始めてるから…!)
苦難は覚悟の上,茨の道であることは承知の上だ。 しかし,必ず実現させると誓う。 誓ったのだ,あの日に。
斜めに傾ぐ,崖ぎりぎりの雪原を疾駆しながらエルリスは叫ぶ。
「エグゼ()だからって差別される事の無い未来…そのために!」
エルリス・ハーネットは,自分がどうしようもなく身勝手な事と知りつつ…しかし。 今さら歩みを止めるわけには行かない。これまで斬捨てながら歩いてきた自分を否定しないために。 斬捨ててきた者達を忘れないために。 それ故に,敵として相対する"F"に直接立ち向かう。 その姿を記憶に刻みながら。
「あなたには,死んでもらう…!」
△
視界には常に入れている敵――その存在が彼の最後の意識を失わせていなかった。
蒼の一筋。 それの放つ殺気はすばらしく,しかし何処か悲壮さを感じるものでも有る。 だが,それは自分に対する同情の念ではないことは確かだ。 敵対するアレは,自分に泣いているのだから。
急に意識がクリアになった事に気がついた。 周囲の全てが解る。 記憶も意識も…体各所の金属が熱を放っていることも把握する。
今,"F"は戦士だった。 群れの守り手であり,自分は掴まりながらも仲間を逃すことに成功したと言う誇りを持つ,狼だった。 捉えられ,尊厳を汚されながらも得た"意識"。 誇りを誇りとして捉えることのできた,その喜び。 同時に,もう戻れないあの頃を思い…
駆け巡る人生を想い,それを"力"に…炎に変える。
かつて火を嫌った自己。 今は火を操る自分。
"F"は,そんな変わってしまった自分に内心苦笑しつつも最期()に戦士としての自分()を喚起してくれたヒトの戦士に感謝し,そして――
△
▲ ▲
瞬間,追突コースを進んでいた両の光――蒼と白の色合いが変わる。
片方は青,氷蒼,深蒼。 片方は白,赤熱,白熱。
ヒトの形を有する者は,己の力を刃に篭め。 獣の形を有するモノは,己の意識を全身に篭めた。
雪原を引き裂いた二つの力は,接触し…
周囲の景観を,一瞬だけ無へと還えした。
▼ ▼
▽
その日の早朝,国境を監視していた両国の観測係は大騒ぎだったという。 アスターディン側の山脈の一角で大規模な崩落が起こったらしい。 原因は今をもって不明だが,何らかの爆発が原因と見ている。 しかし残留物は0。 質量カウンターにも何ら引っかかるものはなく…かといって,魔法でそれを起こすならば第一級クラスの戦術魔法が必要になってしまう規模らしい。 公式に発表されている軍事的な演習訓練の予定もなし。 全ては雪の中にのみ,埋もれてしまったと言うことだろうか。
▼
エルリスは,雪に埋もれながら夜空を見上げた。
私…運良いなぁ
などと上の空で思う。 夜空は相変わらず雪を降らせつづけ――しかし吹雪にはならないみたいだ。それは助かる。 何しろ,全ての力を費やして生き残ったばかりなのだ。 もう3時間ほど埋まっているが,あと一時間は動きたくなかった。
かと言って,眠るわけにも行かない。 雪の中で寝たら…普通は死んでしまう。 これでも私はか弱い乙女。 若干15歳の少女に過ぎない。
すっからかんになってしまった心。 でも,それは涸れない泉の如くまた沸き出モノ。 自分にとって,心とはそう言うものなのだ。
それが――エルリスがEXであることの証。
▽
降りつづける雪。
積もり行く雪。
真白に覆われて行くその下には,様々なモノが眠る。
想い。
願い。
そして――
▽
エルリスは,最後の一瞬崖側へと落ちていった狼に向かって呟いた。 静かな印象の瞳を見,叶うことの無い願いを感じ…それを胸に刻んでただ一言。
「…おやすみなさい」
>>>END
|