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長き刻を生きる 第四話『太公望師叔の名』
作者:大空   2008/11/19(水) 21:11公開   ID:1HRkDV09Q2E


 『太公望』


 史実の歴史において殷と周の戦乱において活躍した大軍師として、その名を残した者。
 周国の文王が占いによって授かった『天の軍師』と言われ、この二人の出会いたる釣りの情景は有名。
 文王こと『太公』が『望』んだ者、周国の為に望み、彼に釣りに例えた長たる者の心得を説いた人物。
 彼が著者と言われる軍略書・兵法『六韜(りくとう)』は、『孫子の兵法』にも並ぶ名作として伝えられている。


 『師叔』


 仙人としての彼の名。
 多くの兄弟弟子に当たる者達から呼ばれた名。
 知略と悪知恵に長けた彼は、多くの者を騙し、彼らの成長を促した。
 不思議と慕われ、後に本性を晒した彼の能力に敬服した者は少なくない。


 『呂望・呂尚・姜子牙』


 人としての彼の名、史実ならば呂尚、または姜子牙。
 だが今、天の御遣いとして降りているのは呂望。
 遊牧民族『姜(きょう)』の族長の息子として生まれるも、十二歳にして殷の人狩りによって家族を亡くす。
 復讐・己の無力を人として痛感されられた彼は、元始天尊(げんしてんそん)に仙人界へと連れて行かれた。
 駆り立てる精神が成せる所業か、彼は僅か三十年で仙人と言う高みに到達し、殷に潜む妖怪との戦いに駆り出された。


 外史と呼ばれる世界に下りた太公望の初戦たる戦は、落とし穴と言う戦術と関羽・張飛の一騎当千の将。
 更に外史において豊富な経験と道士としての人外たる力によって、戦術を支えた左慈・干吉。
 これらの奮戦と、家族を奪われた者達の憎しみによる力もあって快勝を勝ち取ったが、傷跡は小さくはない
 
「太公望様……どうか夫を眠らせて欲しいのです」

 兵力差を埋める為に干吉に造らせた、人の死体を兵士として利用するキョンシーは強力だった。
 簡単に切られたり、突き刺されるだけでは死なない身体を持つ彼らは、敵を簡単に恐怖と混乱に落せる。
 
 しかし、死した者を利用する『人外』の呪術である事は、紛れもない真実。

 遺族にとっては、その家族であった者が死してなを眠れぬ事に心を痛めていた。

 故に太公望に彼らの術を解き、眠りに就かせて欲しいと頼む。

「……主等の家族は強き者であった……家族を護れ思い残す事もあるまい」

「では…術を解いて……」

 太公望は一言「頼む」と言って、先の戦いで戦死した者の家族に今は出来る限りの謝礼をしたかった。
 家族を、友を、恋人を亡くした者達の泣き崩れている姿は、左慈と干吉以外には痛々しく思えた。

 干吉も民衆の信頼を優先して、キョンシーの術を解除する。

 死体は崩れ落ち、ただの肉片や人であったモノへと還る。

「ありがとう……ございます……」

「すまぬ」

「いえ、夫も子供達を護れる為に戦え……本望だったでしょう」

 戦死者の死体を一つ一つ丁寧に埋め立てていく。
 それは死者に対するせめてもの手向けだった。
 キョンシーの術を解く事を願った者達も、その作業の手伝いに行く。


 その作業が終わる頃には、既に日が沈んでいた。


 街は勝利の祝いよりも、被害に対して心の何処かが砕かれている空気が満ちていた。
 決して軽くは無い街の損害、先の戦いによる民衆の被害、遠くはないであろう黄巾族の反撃。
 これらの事を迅速に、なおかつ的確に指示と政策を打ち出して修復し、立て直していく事が太公望の仕事。
 逃げ出してしまった前県令の屋敷を頂き、太公望を初めとした者達はそこで宿を取る事にした。
 上に立つ者として仕事を欠かせない彼は、必要になるであろう指示や部隊の編成を夜遅くまでしていた。

「―――まだ起きられていたのですか?」

 ロウソクも変えなければ消えてしまいかねない程、仕事をしていた所に現れたのは愛紗。
 その手には僅かながらの酒と小さな杯を乗せた丸いお盆。
 太公望も書簡との向き合いを打ち切って、その酒を少しだけ味わう。

「被害は軽くなかったのぅ」

「御自分が未熟だったからとでも?」

 美しい月夜を肴に、酒は進む。

「……愛紗は人の事を良く見ているのぉ、良い女子よ」

「からかわないでください、師叔さ……」

「太公望とでも呼べは良い……師叔は兄弟弟子からの尊称よ」

 愛紗は自分の杯には酒をほとんど注がず、太公望にばかり注ぐのは彼女なりの思いやりである。
 顔を真っ赤にしつつも、反論は言わず、ただ杯に酒を注ぐ。
 だが元々量の少ない酒は、あっという間に空となってしまう。
 空になった酒と杯を盆の上に乗せて、愛紗が立ち上がる。

「明日からもっと忙しくなる……よろしく頼む」

「私からも、よろしくお願いします……ご主人様」

 月夜に照らされる愛紗の身体は、天女も嫉妬するであろう美しさがあった。
 黒く月夜の輝きを味方につける長い髪、凛とした姿勢が生む高貴さ。
 世が世なら色々な男が言い寄るであろう美しさは、今では戦場で発揮される。
 舞うかのごとく戦う姿は、多くの仲間を鼓舞する戦乙女にして、英傑。
 そんな愛紗は物音もなく木製の廊下を歩き、闇夜に消えてしまう。


「干吉……黄巾族の死体から何体造れた?」


 誰もいない、皆が寝静まった頃の闇夜に太公望は尋ねる。


「やれやれ、からかい甲斐が無いお方ですね」


 彼が書簡と向き合っていた部屋の奥、月夜も当たらぬ闇から現れる白い道士服の干吉が現れる。
 実は愛紗が来る前から部屋に居り、からかうつもりだったが、太公望は密かな意志でそれを止めていたのだ。

「―――数は?」

「およそ三十でした、もっと数を増やす事は出来ますが、裏を優先して精度重視と申されたので」

 彼は既に村人等からの願い出によってキョンシーが使えなくなる事を予期していた。
 そうなる事を予測し、先の戦のあと、気付かれないようキョンシーとして使えそうな遺体に術を施すよう指示を出していた。
 そして造られたキョンシーは裏方の仕事に従事出来る様、精密さと強さを優先して居る為、それはまさに隠密。
 闇夜の奇襲や破壊工作には一朝一夕では造れない工作兵の穴埋めをしている。

「貴方も中々の悪ですね、外道の術と内心は罵られている事を利用し民衆の願いに応じて術を解く
  貴方の信頼と印象は良くなり、これから打ち出す善政によって更に好印象を流して周辺に味方を造る
  しかし裏方の汚れ役はキョンシーに任せ、兵力が充実するまでは前線と農作に民を集中させる
  いやはや、貴方も中々辛い世を生きてきたのですね……」

「生き残る為よ……良いのか? お主には汚れ役や裏方を任せてしまうが」

 太公望の声に悪びれた様子はない。
 むしろ適任を任せるかのように、当然と言わんばかりに言う。
 干吉もまた、卑屈に微笑む、それは幼子なら泣いてしまうような微笑。
 獲物を目の前にしてほくそ笑む狼のような笑顔。

「私も裏方の方が性にあっています、御気になさらずに……ご主人様」

 太公望も思わず背筋が震え上がる。
 全身を嘗め回すかのような撫で声を放った後、干吉は闇に消えた。
 愛紗の時ならば嬉しさがあったが、干吉は明らかにカラカッテイタ。

「……明日も早い……寝るか」

 太公望はささっと横になって意識を深い闇の中にと沈める。
 戦による疲労をおして書簡まで始末した事もあって、すぐに睡魔に負けてしまう。
 

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 『時が過ぎるのは、光陰の矢の如し』


 あの初戦より一週間もの月日が流れた。

 干吉の暗躍もあってか、黄巾族の再来は遅く、再び来る頃には太公望達も少数ながら軍を作っていた。
 復讐と雪辱に燃える黄巾族は陣形を蔑ろにしすぎ、その隊列が長く細い蛇のようになっている事に気付けなかった。
 戦は陣形と陣形、将と将、兵と兵、策謀が激突するモノ、策謀に長けた太公望に戦いを挑んだのは愚かだった。

 黄巾族の左翼、その腹に太公望が一の将の刃が突き刺さる。

 それは蛇を喰らい、その身体を引き裂く龍の顎(あぎと)。

 瞬く間に前衛と後続を断たれ、困惑と混乱が感染していく。


「二度とこの街を! 幽州を襲おうなど出来ぬようにせよ!!」


 愛紗の言葉と共に、兵の雄叫びがあがる。
 混乱によって生まれる怯えを増幅し、戦意を奪っていく。

「俺達の街を護れ!」
「俺達の家族を護れ!」
「生きて帰るぞ!」

 決意と目的が兵に力を与え、その力を増幅する。
 一兵一兵が協力と団結の下、一人……また一人と確実に仕留めていく。
 胴を槍が貫き、剣が頸(くび)を切り落とし、血が地面を染めていく。
 横たわる死体を踏み潰し、乗り越えていく兵は先陣を駆ける龍に続けと叫ぶ。


「暴れておるの! ワシ等も負けるな! 疾(ち)!!」


 言の葉が呪詛と化し、見えざる空気の刃を作り出す。
 放たれる刃は的確に敵を切り裂く、見えない恐怖を敵に蔓延させ、仙人としての太公望の強さを恐れる。
 たった一言の言葉で十人は風に斬り殺され、血と骨を巻き上げる風が狂気が姿を現しているようにも見えた。
 兵は言の葉を操り、風を使役し、次々と黄巾族を薙ぎ払う最前線に出て自分達の被害を減らす太公望を称える。
 
 そして彼を護れと奮起する。

 彼の……天の加護があると狂乱する。


「西に砂煙! ――――――『姜』の文字を掲げています!!」


 眼が良く、乱戦の最中でありながらも冷静な兵が叫ぶ。

 太公望が太公望と名乗っている事が功を成す。

 かつての威光。

 歴史が肥大させた威光。

 太公望の名が各地に散らばった『姜』の民を呼び寄せたのだ。

 姜族の先陣を駆けている者が放った矢が、黄巾族の頭を射抜く。


 雄叫びをあげ、砂煙をあげて突撃してくる姜族に恐れをなして、黄巾族は四散を始める。


 もはや彼らも理解したのだろう……自分達では勝てないという現実に。


「勝鬨をあげよ!!」


「「「「「オ―――――――――――――――――!!!!」」」」」


 勝利を確信した太公望の声に、兵が声高に叫ぶ。
 街を再度襲ってきた黄巾族を負かし、新たに現れた『姜』の御旗。

 心強い味方と共に歴史は動き始める。

 かの小さな軍師との邂逅は……

 もう少し先の話となる。


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■作者からのメッセージ
ソウシ様
初めまして、感想ありがとうございます
嫌悪感ですか……確かに書かねばならない部分でした
ご指摘、ありがとうございました
これからも応援よろしくお願いします

神威様
初めまして、感想ありがとうございます
確かに…呼ばれる側専用の言葉を名乗るのはオカシイですね
呂望に関しては史実とゴッチャになってしまいました
ご指摘ありがとうございました
これからも応援よろしくお願いします


今一度……ご指摘ありがとうございました
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