――世界が暗転する。
雨が止み、雲が消え、風がなくなり、大気が静まる。
その瞬間、D.S.を中心に空間が歪み、時が震えた。
「何だい――これは!?」
突然暗くなった空に驚きアルフが叫ぶ。ユーノもこの異常な現象に思考が追いつかない。
なのはも汗を流し震えていた。なまじ魔力が高いだけに、あそこにいる“アレ”の異常さを肌で感じていたからだ。
渇いた声しか出てこない。今にも錯乱し叫び出しそうなのに、震えがそれに勝り、口を動かすことも自由にならない。
まるで、自分の身体ではないような、そんな重さをなのはは感じていた。
フェイトも同じだった。
あの人は大切な人なのに――名前を呼びたいのに、恐怖から身体が硬直しているのがすぐに分かり悲しかった。
声を震わせ――必死にその名前を叫ぼうと“D.S.”に向けて、その手を伸ばそうとする。
「――バカッ!! 早く逃げてっ!!」
そんな、なのはとフェイトの手を掴んだのは、背に二枚の翼を広げたアムラエルだ。
二人の手を引き、アルフとユーノにも逃げるように怒鳴る。
「でも、ジュエルシードが――」
「そんなのはどうでもいいから――死にたくなかったら全力で逃げなさいっ!!」
「「――!!」」
ユーノはアムラエルの余りの剣幕に息を飲んだ。
フェイトと戦っていたときも、管理局が現れたときも、いつも余裕を持っていたアムラエルが、これほど焦っていることに驚いたからだ。
そして、それほどのことが現実に起こっているのだと焦りを見せた。
なのはとフェイトの手を無理矢理引っ張り、その場から逃げ出すアムラエル。
その後をアルフとユーノの二人も追う。
出来るだけ遠くに――D.S.から逃げるように遠ざかる五人。
その瞬間――世界が燃えた。
ジュエルシードの暴走でも、次元震が起こったわけでもない。
世界が文字通り“燃えあがった”のだ。
D.S.から漏れ出した“僅か”な魔力の爆発で、海の一部が蒸発し、天を焼き尽くした。
次元を超えし魔人 第10話『想いと理由』
作者 193
「なんなの……アレは?」
「分かりませんっ!! 魔力計測器も振り切れてます――計測不能ですっ!!」
D.S.を中心に広がる紅い炎を伴った魔力の渦――
それをモニタしていたリンディとエイミィは、自分たちの想像を超える状況に驚きの声を上げていた。
アースラに取り付けられている魔力計測器は、次元航行船クラスの魔力計測も可能な最新鋭の設備だ。
SSランクの魔力量どころか、SSSランク以上、魔導師数千人分と言う魔力計測すら可能とする、本来では計測出来ないものなど存在しない魔力計測器のはずなのだ。
アースラクラスの次元航行船の魔力炉ですら計測範囲だと言うのに、その針が振り切れるなど信じられるはずがなかった。
ロストロギア――ジュエルシード以上と言える魔力を、たった“ひとり”の魔導師が放出しているなど誰が信じられるだろう。
実際に目にしているリンディやエイミィですら、その光景を信じられないでいた。
「魔力値、急激に下がっていきます……」
そのことから機械が壊れた訳じゃないと分かると、エイミィは目の前のモニタに移る魔導師が恐ろしくて仕方なかった。
正直、あれを人間と捉える方がおかしいのではないかとさえ考える。
先程のD.S.を見て、エイミィは「悪魔……」と震え、か細い声で呟いていた。
「…………」
リンディは先程のD.S.の力を見て、その異常さを肌で感じていた。
同じく高ランクの魔導師だからこそ分かる直感と言う物だろう。純粋に彼我の戦力とD.S.ひとりの力を比べる。
こんな考え方こそ、すでにおかしいと言うことはリンディにも分かっていた。
しかし、先程のD.S.の魔力を現実に起こったことと考えるなら、管理局中の魔導師は愚か、全次元世界で彼を上回るものは存在しないと考える。
更に言うなら、彼一人と“管理局のすべての戦力”を比べなくてはいけないと言う余りに滑稽とも言える内容に――
リンディは、それ以上考えることを諦めた。
「エイミィ……さっきの計測データはすべて削除して――
あなたは何も見なかった。――いいわね?」
「え……でも……」
「それに、こんなデータが表に出ても誰も信じないわよ。
……素直に忘れなさい」
リンディは機械の誤動作や見間違いなどではなく、あのD.S.の力を自然と真実として受け入れていた。
それは高ランク魔導師としての直感もあるが、彼女の魔導師としての経験がそれを真実として認めさせていたのだ。
誰も信じないとエイミィには言ったが、もしD.S.の真の力を知るものが現れれば、彼の力を利用しようと考えるもの、危険と考えるものが当然現れてくるだろう。
それをD.S.が素直に受け入れるとはリンディには思えなかった。
そして、その後に訪れるのはD.S.たちとの全面戦争。
そうなれば、管理局にもどれほどの被害がでるか分からないと言う考えが、リンディの頭を過ぎった。
リンディにそんな想像をさせるほどの力を、先程のD.S.は発していたと言うことになる。
「正直、絶対に敵に回したくないわね。彼だけは……」
結局、街に大した被害はなかった。D.S.の魔力が暴発したのが海だったと言うのも幸いだった。
津波の影響などが心配されたが、その海の水そのものがD.S.の炎で蒸発し、一時的に水かさを減らせていたのだ。
その後、余波でやってきた衝撃に関しては、アムラエルの結界で防ぎきることが出来たのだから、とりあえずは被害無しと言って良いだろうとアムラエルは結論付ける。
しかし、正直、かなり危なかったとアムラエルは内心では冷や冷やしていた。
D.S.のジューダスペインがプレシアの魔法に反応し、彼の心臓とも言える“夢幻の心臓”が脈打った時には「ああ、世界が終わった」と軽く思ってしまったくらいだ。
D.S.と繋がっている自分だから気付けたのだと、アムラエルはすぐに分かった。
しかし同時に、もうこんな心臓に悪い思いはしたくないとアムラエルは思う。
正直、本気でどうしようかと焦ったのだ。気がついたら、なのはとフェイトを助けないととアムラエルは飛び出していた。
「しかし、よく食べるね……」
屋敷に戻って早々、D.S.が要求したのは「食いもん」の一言だった。
久し振りに大量の魔力を放出して腹が減ったのだろう。下品にガツガツとほお張っていく。
アムラエルはそんなD.S.を見て、正直、自分の心労を分けてやりたい気持ちで一杯になる。
「――ダーシュは!?」
「――あ?」
D.S.が戻ったと聞き、すぐに食堂に駆けつけたのはフェイトだった。
目を赤く腫らし、先程まで泣いていたことが分かる。そのまま、また両目に涙を浮かべてD.S.に抱きつくフェイト。
D.S.は肉を両手に持ったままの状態で動けないために困った顔をする。
しかし、涙で顔を濡らし、首に手を回して抱きつくフェイトにD.S.は「やれやれ」と苦笑をもらした。
「んなに心配だったか? かっけーオレさまが死ぬわけねーだろ。
超美形主人公(ハンサム)は不死身なんだぜ?」
「あ、そこは……」
D.S.は唇をフェイトの首筋に這わせ、その動きに反応してフェイトは艶めかしい声を上げる。
「何やっとるか――っ!!」
アリサの勘は怖い。不穏な気配を感じ取ったアリサは、二階の自分の部屋から猛ダッシュで食堂へと駆けつけ――
D.S.の身体を手に持っていたトゲバットで打ち飛ばした。
それに驚いたのはフェイトだ。
D.S.はそのまま地面を転がるように吹き飛ばされ、壁に激突すると血を噴出しながら倒れた。
「よりによってフェイトに手を出すなんて――
ロリコンではないと安心してたのにっ!!」
声を震わし、殺気を込めてD.S.に迫るアリサ。
その目は今までにないほどイっていた。あまりの迫力にD.S.も身を振るわせ子犬のように震える。
アリサの持っているトゲバット――それは忍グッズの第二弾として忍がアリサにプレゼントしたものだ。
正式名称『御仕置き鬼バットくん』と言う。
そのバットそのものに術式が込められており、一般人でも魔力ダメージを与えることが出来ると言う画期的な“ジョークグッズ”だ。
しかし、予想外に威力が高かったため、忍はこの商品の実用化を諦めた。
魔力云々関係なく、どこから拝借したのか“ミスリル”で出来ているそのバットで殴られれば普通に痛い。
いや、間違いなく一般人なら死ぬだろう。
「なんで、なんでよりによってフェイトなのよ――っ!!!」
自分でもよく分からない支離滅裂な言葉を述べながら、そのトゲバッドをD.S.に向けて振り下ろす。
しかし、二人の間にD.S.を庇うように割って入ったのはフェイトだった。
――フェイトに当たる!!
そう咄嗟に判断したアリサは振り下ろす腕の向きを変え、バランスを崩しながらもトゲバットを地面に打ちつけた。
「ちょっと、フェイトあぶな――」
そう言おうとして、アリサは言葉を飲み込む。
それはフェイトがD.S.を抱きしめ、涙ぐんだ目で明らかな敵意をアリサに向けていたからだ。
「なんで――なんで、そんな酷いことするの?」
「え? それはルーシェが……」
「ダーシュは悪くない! わたしから抱きついたのっ!!
そんなアリサなんて、アリサなんて大キライっ!!」
そのフェイトの言葉に言い知れぬ敗北感を感じ、膝をつくアリサ。
まさか、D.S.をよりによってフェイトが、ここまで必死に庇うとはアリサは思いもよらなかった。
それに、いつの間に「ダーシュ」なんて愛称を呼ぶような仲になってたのだと思う。
「アハハ……そう、そうだね……」
虚ろな目をしてトゲバットを引き摺りながら食堂を後にするアリサ。
フェイトはそんなアリサの背中を見送っていた。
「たくっ――フェイト、言いすぎだ」
「……でも、ダーシュが傷付けられるって思ったら――わたしっ!!」
D.S.は、そんなフェイトの唇に自分の唇を重ねる。
はじめてのキスに戸惑い、頬を紅潮させるフェイト。しかし、嫌ではないのか黙ってされるがままにしていた。
相手がまだ子供であろうと、D.S.は女性には基本的に優しい。
それが自分に好意を向けてくる女性なら尚更だ。
「うん……後で、ちゃんと謝っておくね」
D.S.に怒られ少しションボリしながらも先程のキスが嬉しかったのか、顔を紅くして照れるフェイト。
フェイトは今までの生活の影響もあり、まだ精神的に幼い――
その分、他の年頃の女の子たちとは違い、好きだと言う気持ちをよく分かっていない節があった。
D.S.に向けている気持ち、それは父親の面影をD.S.に重ねていると共に、家族の温もりを自然と求めていたのかも知れない。
――彼に名前を呼んで欲しい。
――彼に触れられたい。
――彼に抱きしめて欲しい。
――彼に彼に彼に…………
それがフェイトには何かまでは分からなかったが――
それこそ“愛”なのだと、今の彼女は気付くべくもなかった。
「あの……わたしもいるんだけど?」
その一部始終を見ていたアムラエルは、不服そうにそう口にしていた。
時の庭園――
次元空間に漂うその場所で、プレシアは周囲に浮かぶ六個のジュエルシードを見ながら不満そうに言葉をもらす。
「足りないわ……たった六個――
これじゃあ、アルハザードに届かない」
――かつて存在したとされる文明の栄華を極めた世界。
死者を蘇らせる秘法が眠るとか、世界を十日で滅ぼす兵器が存在するとか――
眉唾物の話ばかりだが、確かにその世界は存在したとされている。
今は失われた数々の秘術が眠ると言われ、その地で叶わぬ願いはないとまで言われる幻の楽園。
それが、アルハザードだった。
プレシアはその世界を求めていた。
いや、己が目的のためにアルハザードの“技術”を欲していた。
失われたと言われる世界の秘法――それさえあれば“願い”が叶うと考えたからだ。
「――ゴホッ!!」
プレシアは壁に手をつき、血を吐き、咳き込みはじめる。
彼女は病魔に侵されていた。ただ一つの目的を成し遂げるために、身体を壊してまで求めた理想。
それこそが、プレシアが大事そうに見詰めるその水槽の中にあった。
だが、水槽の中の少女、アリシア・テスタロッサがその目を開くことはない。
彼女は二十六年前に、その生涯に幕を閉じていたのだから――
「ジュエルシードをあと最低八個――
いや、それよりも……あの男さえいれば……」
プレシアは自分の魔法を跳ね除け、自分の放った“次元跳躍”を超えて時の庭園を半壊させた男――
D.S.のことを考えていた。
プレシアの後ろには入り口から大広間までを破壊され、無残に焼け焦げた廃墟が広がっていた。
それはプレシアの大魔法を自身の途方もない魔力で弾き返し、その紅蓮の魔力で時の庭園を破壊していたのだ。
自分が放った魔法を利用され、まさか時の庭園を攻撃されると思っていなかったプレシアは、D.S.のその非常識な魔力に驚いた。
しかし、すべてが終わった後、D.S.の放った魔力を見て歓喜したのだ。
ジュエルシード二十一個、そのすべてを集めたとしても、それだけの魔力を得られるか分からないと言うのに――
D.S.はたった一人で、それを現実の物としてプレシアに見せた。
その圧倒的とも言える魔力を目にして、プレシアは恐怖よりも喜びの方が勝っていた。
「あの男なら、わたしとアリシアをアルハザードに導いてくれるかも知れない」
プレシアは、その表情を愉悦に歪ませる。
すでにプレシアに残された時間は僅かしかない。彼女は自分の寿命が近いことを知っていた。
それでも、目的のため、娘の――アリシアのためにと彼女は止まれない。
「フフフフ……アハハハハハハ!!!」
プレシアの笑い声が庭園に響き渡る。すでに、その心は壊れていた。
仕組まれた事故による娘の死――
そして、彼女はそんな運命と、世界に絶望したのだろう。
娘の死を受け入れきれず、自身の身体すらも犠牲にして最大の禁忌を侵し求めた結果――
それでも届かない限界に気付き、涙し、叫び、そして少しずつ彼女は壊れていった。
それは今から二十六年前――
当事、魔導工学の研究者だったプレシアは、新型の次元航行エネルギー駆動炉『ヒュードラ』の開発に携わっていた。
しかし、問題の多かった前任者からの引継ぎや、上層部からの無理な要求や嫌がらせを受け、そんな勝手な上層部に嫌気がさしたスタッフとの間に板ばさみな状況にありながらも、プレシアは気丈に振る舞い、ヒュードラの開発と研究に勤しんでいた。
すべては女手一つで育てていた愛娘のアリシアのため、生活の行き違いから別れることになった夫に代わり、プレシアは娘のためにと心血を注いで仕事へ打ち込んでいた。
このヒュードラの開発が終われば、そのお金でアリシアに何不自由させることなく一緒に居てやることが出来る。
ただそれだけのために、彼女は上層部からの嫌がらせにも、苦痛にも耐え、頑張っていたのだ。
――だが、事件は起こってしまう。
まだ「稼動するには早すぎる」と言うプレシアの進言を完全に無視した形での、上層部による実験の強行――
結果――駆動炉の暴走と言う最悪の結果を招き、その当事、五歳だったアリシアとペットのリニス(猫)はその事故に巻き込まれ死亡した。
プレシアと研究者たちは完全遮断結界に守られ無事だった。
しかし、別の場所にいたアリシアとリニスは、プレシアの張った結界内にいた。
衝撃など物理的な余波だけなら、その結界で防げたはずだった。
しかし、駆動炉から漏れ出した微粒子状のエネルギーが、二人の周囲から酸素を奪い窒息死させたのだ。
その後、プレシアは上層部を訴え訴訟を起こすが、裁判では勝ち目がなかった。
すべては彼らの手の内の中の出来事、周りは全員プレシアの敵だった――
結局、全責任は設計主任のプレシアにあるとされ、彼女はミッドチルダを追われた。
その後、管理局のデータにはプレシア・テスタッロサの今回の事件に関して「彼女は違法手段、違法エネルギーを用い、安全確認よりもプロジェクトを優先させた」そう記述された。
娘を殺したのも、開発を破綻させたのも、すべてプレシアの責任だったと言う結末で幕を閉じられたのだ。
人が狂気に至るにはそれなりの理由がある。最初から狂って生まれてくるものなどいないからだ。
望んで自分の心を壊す物好きも、普通はいない。プレシアにはそれだけの事情と、それだけの理由があったのだろう。
しかし、だからと言って彼女のしてきたことすべてが許される訳ではない。
フェイトの心を利用してきたことも、理不尽に暴力を振るってきたことも――
そしてジュエルシードを得る、そのためだけに危険な魔法をフェイトに向けたことも――
一人の少女の人生をプレシアが奪う権利など、きっとどこにもない。
それでも、プレシアは止まれなかった。
彼女の時間はあの二十六年前のあの時から、ずっと凍りついたままなのだから――
プレシアに奪われた六個のジュエルシード。しかし、それ以外のジュエルシードはすべて集め終わった。
このことで、なのはたちの仕事は一先ず終ったと言える。
「ただいま〜」
先日の海上での件は納得がいってなかったなのはだったが、カイに「しばらくは家で親孝行してこい」と言われ、久し振りに我が家へと帰ってきていた。
なのはの魔法の特訓は続いているし、まだしばらくはアリサの家に厄介にならなくてはいけない。
それでも、ジュエルシード集めが一先ず終わったこと変わりはない。
これは頑張ったなのはたちに贈られた“とりあえず”の休暇だった。
「随分と逞しくなったな」
久し振りに帰ってきたなのはを見て、そう表現したのは父親の高町士郎だ。
だが、女の子のなのはは逞しいなどと言われても、正直どう返していいか分からないと言った顔をする。
逞しいと言う言葉で、真っ先になのはの頭に過ぎったのは“マッチョ”な女の人だった。
「お父さん、それ……“普通”の女の子に言う褒め言葉じゃないよ」
「……普通、そうだな」
「最初の間が気になるんですけど……」
口を尖らせ不機嫌そうにそう言うなのはを見て、士郎は苦笑で返す。
すでになのはの家族は皆、シーンからの説明でなのはが魔導師だと言うことは聞いていたし、魔法の特訓をするためにアリサの家に行っていると言うことも知っている。
それなのに、まだ“普通”と主張するなのはに、士郎はおもしろく思っていた。
しかし、それだけなのはがまだ“染まっていない”のだろうと士郎は安心した。
「オレが言ったのは身体のことじゃない、なのはの姿勢だ」
「……姿勢?」
「いつも、人の顔色を伺って猫背でいたときと大違いだと言うことだ。
背筋も伸びて、真っ直ぐに前を向いている――」
そう言って、なのはの頭を撫でる士郎。――なのはは不思議な気分だった。
少し含みがあって皮肉がかっていても、凄く自分を見ていてくれてることが分かる士郎の言葉。
「お父さん、なのはのこと――ちゃんと見てくれてたんだね」
「当たり前だろ? これでも、親だからな」
士郎のその大きく温かい手に撫でられながら、なのははフェイトのことを考えていた。
フェイトがプレシアに求めた愛情、それもこんな風な感じだったのだろうかと――
フェイトと出会い、アムラエルたちと知り合って、なのはは幾つもの大切なことを学んだ。
誰にでも言いたいこと、話したいことがあって――
みんなそれぞれに大切なもの、譲れないものがあって――
自分には当たり前のものでも、人によってそれは欲しくても手に入らないもので――
きっとみんな、自分のことで精一杯で、悩み、苦しんで――
時々、笑って、喜んで――
それでも一生懸命生きてるんだと、諦めないで努力することが大事なんだと、なのははこの数週間で学んだ。
だから、久し振りに帰ってきて家族の温もりを肌で感じ、その幸せを噛み締める。
今まで当たり前に思っていたこの家族の団欒も、自分は本当に幸せで恵まれているのだと感じていた。
(いつか、フェイトちゃんに紹介したい。これがわたしの大切な家族だよって)
いつか、フェイトにもこんな自分だけの家族が出来たらいいな――と、なのはは思う。
だけどそれは、まだずっと先のことかも知れない。
ジュエルシードのこと、プレシアのこと、管理局のこと、すべてに決着がついて――
そして、その後にフェイトが笑顔でいられる未来であることを、なのはは心から願っていた。
「ああ……なんで、わたしってこうなんだろ……」
アリサは一人、庭のテラスで溜息を吐く。D.S.とフェイトとの一件を今更ながらに後悔していた。
普通に考えれば、フェイトが許しているのなら、自分が怒る権利はないと言うことはアリサにも分かっている。
でも、D.S.がエッチで変態で、どうしようもないくらい女好きなことを知っているアリサからしてみれば、D.S.がフェイトを毒牙にかけているようにしか見えなかったのだ。
今になってみれば、あれほど物静かなフェイトが声を荒げて怒るほど、D.S.のことを信頼しているのだ。
アリサは今更、自分が口を挟む余地などないと言うことに気付く。
しかし、それでもフツフツと怒りがこみ上げて来るのを感じていた。
「アリサ、それはヤキモチね」
「ヤ、ヤキモチ――ッ!!」
いつの間にか隣に立っていたアムラエルに驚き、声を上げるアリサ。
しかも、その第一声がD.S.に対してヤキモチを焼いているなど、アリサは納得が行かない。
当然、反論するがアムラエルは聞く耳を持たなかった。
「アリサ、頭は悪くないんだから冷静になって、客観的に今までの自分の行動を振り返ってみて」
そう言われ、納得が行かないまでも、今までの行動を思い起こすアリサ。
D.S.と出会ってからのこと、アムラエルとの出会い――
それからなのはと喧嘩したこと、フェイトのこと、カイとシーンや、メタ=リカーナ、管理局とのことなど――
今まで経験してきた非日常的な毎日の様々なことを、アリサは思い出していた。
そして思い出していくうちに、アリサの顔が段々と紅くなっていく。
「素直じゃないね。アリサ」
アムラエルの一言がトドメだった。自分がどれだけ恥ずかしいことをしてきたのか理解したのだ。
茹蛸のように顔を紅くしたアリサが、余りの恥ずかしさに俯き、手をついていた。
「でも、それでいいんだと思うよ」
「――え?」
「それが、アリサ“らしさ”でしょ?
きっとD.S.もアリサのそう言うところが好きなんだと思う」
「す……好きって!?」
アムラエルの最初の一言はアリサにとっても予想外だったが、最後の「D.S.もアリサのことが好き」と言う言葉のところにアリサは意識が向いていた。
アリサにして見れば、いつも喧嘩ばかりしてて、まったく融通も言うことも聞かない奴で、そんなD.S.との普段のやり取りの中で「好き」なんて言葉が出てこなかったからだ。
「冷酷で残忍で、非情で極悪で、下品で粗暴で、一見良いところが全然ないD.S.だけど――
ほんっとうに人の言うことを聞かない“超”がつくほどのジコチュー(自己中心的)なんだよ?」
「……だけどの後に続くのは普通、良いところだと思うんだけど」
アムラエルは「あれ?」と先程言った自分の言葉を思い返し首を傾げる。
「まあ、そのどうしようもないD.S.が唯一言うことを聞いてるのって、実はアリサだけなんだよね」
「――え?」
「本当に困ってて頼めば、わたしやフェイトの言うことでも聞いてくれるかも知れないけど――
自分の意思を曲げてまで言うことを聞くのって、やっぱりアリサだけだと思う」
アムラエルの言葉に少し思い至ることがあるのか、「う〜ん」と唸って考え込むアリサ。
「気付いてる? D.S.がいつもアリサのことを見てるって――
どんな時でも、アリサのことをD.S.は忘れたことがないってこと」
それを聞いて、アリサは病院の屋上でのことを思い出していた。
あの時、D.S.の優しさに触れ、本当に自分のことを見てくれてるんだと、はじめて感じたのがあの時だったからだ。
こんな風にアムラエルに言われる前から、ずっと分かっていたことだったとアリサは思う。
出会った瞬間から自分はきっと――
あの“悪い魔法使い”に捕らえられてしまっていたのだと――アリサは理解していた。
「アムはルーシェのこと……好きなの?」
意趣返しとばかりにアムラエルに問い返すアリサ。
きっと、アムラエルならどう答えるのか知りたかったのかも知れない。
自分よりもずっと前からD.S.のことをよく知るアムラエル。
D.S.の使い魔として同じ夢を見て、本当に心から繋がっている彼女は、D.S.のことをどう思っているのだろう?
それが、アリサには気になった。
「――うん、好きだよ」
真っ直ぐに笑顔でそう答えるアムラエル。
逆に質問をしたアリサが恥かしくなってしまうほど、優しい笑顔でそう言った。
「だって、わたしはもう――」
アリサはそんなアムラエルを見て唐突に理解した。
彼女も自分と同じように、あの“悪い魔法使い”に捕らわれているのだと――
それは、フェイトも同じなのかも知れない。
「じゃあ、ライバル(恋敵)ねっ!」
アリサは素直にそんな言葉が出ていた。
きっとどこかで認めていたのだろう。D.S.に惹かれていると言うことに――
アムラエルの言うとおり、D.S.の前では素直になれないかも知れないとアリサは思う。
でも、前ほど悪い気持ちはしなかった。
その頃、ユーノは臨海公園に来ていた。
そこは、D.S.とクロノが戦ったところで、先日の海上での事件のすぐそばにある公園だ。
海に面しており、休日ともなれば家族連れの人やカップルで賑わう、そんな海鳴市定番のスポットでもあった。
「あなたが連絡をくれたユーノ・スクライアくん?」
「――はい」
D.S.たちには内緒で秘密裏に話がしたいと管理局に会談を申し込んだユーノは、ここでリンディと待ち合わせをしていた。
「お話しておきたいことがあります――」
それは管理世界に生きるものとして、ユーノ個人が決めた一つの選択だった。
……TO BE CONTINUED