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長き刻を生きる 第八話『小さな休息と大きな始動』
作者:大空   2008/12/09(火) 23:49公開   ID:s6hdpBNTIFA

 あの戦いから既に数週間、畑には実りが着き始める頃合。
 幽州県境における太公望軍と公孫賛軍の連合軍が、二倍以上の戦力差を引っくり返した勝利。
 それは両軍の名声を高めると同時に、双方の間での戦争がし辛くなった(双方に侵略の意思なくとも)
 むしろ双方の大将の仲がとても良いとの噂が立ち、各地で散漫と活動していた賊徒の牽制にも一役買った。
 
 更に黄巾族本隊が、官軍本隊との正面衝突によって敗北。

 大将たる張三兄弟の戦死と病死も重なって、ここに黄巾族は潰えた。

「これで私達も安泰ですね」
「流石は太公望様! 我等が県令様だ!」

 酒屋で騒ぐ人々は黄巾族崩壊の知らせで、街は当面の生活の安全を喜ぶ声が多い。
 そして崩壊寸前だった自分達を護り、導いてくれている太公望を敬う声も多くなりつつある。
 騒いでいる彼らに釘を刺すかのように 

「馬鹿野朗、もう太公望様は県令じゃなくて太守様だよ!」
「そりゃあそうか! あれ程のお方が県令に納まる訳ないか!」
「周りを固める将も優秀なんだ、案外もっと大きな者になるに決まってるさ!」

 釘を……水を刺す発言も、酒の酔いで流される。
 逆に笑いが込み上げ、周囲には太公望達を称える声と笑い声に満たされていく。

 敷居に掛かる税金の低さから、街は潤い、生活水準はかなり高い。

 街には常に物が満ち溢れ、市場はいつも活気に満ち溢れている。

 そんな活気溢れる市場の人混みを歩く影が二つ。

「旨そうな点心だな」

「買ってあげましょうか? ……代金は貴方の身体で」
「謹んで遠慮させて貰う」

 太公望軍の『神脚』と恐れられる道士、左慈。
 歳の割には幼い顔つきからか、女性陣からの人気は高く、街でも視線を合わせると視線を逸らす者が多い。
 一度戦場に出れば、その的確な烈蹴(れっしゅう)が敵の命を砕き、一人一人と確実に倒していく。
 己が身こそ一つの武として戦い抜くその様は、多くの将兵に鍛錬の大事さを痛感させる。

 そして彼の隣で歩いているのが、太公望軍の『暗部』の道士、干吉。
 妖術などを操りながら、前線で兵の指揮を執る事もあるが、それ自体が彼の仕事ではない。
 彼の仕事はキョンシー(死兵)や、少しずつ増え始め育成を始めている裏方の仕事こそ本来の仕事。
 各地の情報収集から、流言(噂を流す事)・潜入・内部工作を初めとした裏方の仕事を的確にこなす名軍師の一人。
 太公望軍の勝利の影には、彼の巧みな工作と恩恵が大きく、朱里にそう言った際の勉学も教えている。
 ピシッとした姿勢と、知的な印象に美形さが非常に女性陣から人気であり、視線を合わせると赤らめる人は数知れず。

「これはこれは手厳しい」

「そういうお前は朱里の手伝いしなくて良いのかよ? 結構な量だったぞ」

 この二人はこの外史たる世界においては絶大な力と知識を持つ。
 幾度も繰り返される物語を共に駆け抜けた仲として、その絆は深い。
 ……干吉の男色好きで随分と歪んではいるが。

「太公望様から許可を頂いていますからご安心を」

 干吉の頭の中の風景は、大量の書簡を相手に苦戦している小さな軍師の姿が浮かんでいた。
 太公望自身のサボりの犠牲者の姿に、懸命に笑いを堪えているが、不気味に漏れ出ている。

「あの、はわわチビの奴……死なねぇと良いけどよ」

 左慈も、一度太公望に大量の書簡の処理を押し付けられた経験が既にある。
 その際の苦悩を思い出し、身震いすると同時に死に掛けているであろう朱里に同情する。
 書簡の処理は、百人の兵の鍛錬するのより遥かに疲れる労働で、出来ない人間にはそれだけで拷問に近い。

「左慈……まさか貴方は幼女趣味なのですか!?」

「ハァッ!?」

 いきなりそんな発言をされるのだから、驚かざる得ない。
 ましてや干吉が相手では何をしでかすか判らないので性質(たち)が悪い。

「鈴々殿と朱里殿をそんなに心配するのです! もはや幼女趣味としか考えられません!」

 一人勝手に妄想が加速して行く干吉。
 それをどう抑えようかと苦悩する左慈の背中に、手が置かれる。

 ゾッとするような雰囲気を宿した手だった。

 ゆっくりと振り返った先に居たのは、愛紗だった。

「何だ愛紗かよ……驚かせるな」

 太公望軍の『戦乙女』と恐れられる武人、愛紗。
 最前線で活躍する将で、巨大な薙刀を操りつつも戦う姿はまさに舞踊と謳われる程に美しい。
 黒く長い髪をなびかせながら舞い、数十の兵を薙ぎ払う姿に兵は鼓舞され、その勢いを増していく。
 前線の将官としての指揮の才能も兼ね備え、複雑な指示も理解し、的確に敢行する稀有(けう)な女性。
 女性として豊満なモノを持つ彼女は男達からは高嶺の花と囁かれているが、本人は主人たる太公望一筋。
 彼に対する忠誠もあるが、少し嫉妬が強いのが傷とも言え、それが牙を向かない事を切に願う。



「――――――ご主人様を知りませんか」



 普段の愛紗から漏れ出るとは思えない声だった。
 もう怨みなどが篭り(こもり)に篭った声で、妄想していた干吉も止まる。

 今日は彼女と朱里と太公望の三人で書簡の処理をする日だったのだが……

「残念ながら存じておりません」

「まぁ…なんだ……ご愁傷様って奴だな」

 太公望に出し抜かれ『また』逃げられたのだ。
 『変化の術』を心得ている太公望に逃げられると、一筋縄では見つからない。
 左慈と干吉は、恨み口を零しながらも自然に帰ってくるのを待つのを方法として選んでいた。

 太公望が罪人を捕まえてきたり、水脈を掘り当てたりして帰ってくるのだ。

 今までの結果から、正直に野放しにした方が都合が良い部分が多いのだ。

 しかし……


「今日は折角…折角……」


 愛紗はゆったりと歩き始め、人混みに消えていく。
 太公望を一途に慕う愛紗・鈴々・朱里から言えば『非道』の一言で済まされてしまうのも悲しい。
 いつも戻ってきた際にキツイ説教を受けているにも関わらず、それでもなおサボる辺り、実に彼らしい。

 ―――それが太公望の意志とも知らずに

 ―――いつ消えてしまうか判らない自分に縋らせない為に

 ―――自身を高めて欲しいと言う願いとも知らずに


「……あのお方は……私達が思っているよりも凄い人なのかも知れませんね」


「知れないじゃねぇ……凄いんだよ」


 雲の出始めている蒼い空を眺めながらの一言。
 空には群れを成す雁(かり)の羽ばたきが目に付く。

 運命など他所に、彼らは生きる為に羽ばたく。

 運命よりも、生きる事に縛られた翼を羽ばたかせて。



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 一方、兵士達の訓練場では鈴々指示の元、絶え間ない鍛錬が行われていた。


「掛け声と一緒に素振り百回なのだ!」


「「「「ハッ!!」」」」


 兵士達から生きの良い返事が返ってくる。
 そして始められる素振りと言う基本的な作業だが、こう言った鍛錬が戦場で自分の命を護る一遍になる。

 太公望軍の『小さな武神』と恐れられる武人、鈴々。
 赤い髪・その小さな身体と自身の身の丈の倍はある蛇棒と共に戦場を駆け抜ける小さな武神。
 愛紗に勝るとも劣らない武技と突撃などの攻撃関する事は、太公望軍最強とも言える能力。
 しかし子供故の単純さが少し抜けておらず、太公望から勉強を促されているが逃げている始末。
 時折一緒に太公望と逃げては一人先に捕まってしまい、愛紗から説教の嵐を受ける始末でもある。
 そんな彼女の奮戦が、兵士の背中を押し、その力を引き出す要因にもなっている程である。

「望兄ちゃん・左慈兄ちゃん・干吉兄ちゃんはサボって逃げるなんて酷いのだ」

 愚痴を零しながらも蛇棒を振るい、手合わせしている兵士の攻撃を捌き薙ぎ払う。
 もはや天賦の才としか言い表せない才能は、雑兵相手では本気にもさせれない程の武。
 だがそれは太公望軍の一兵の錬度の低さもある事で、太公望軍の兵卒は他国の一兵卒には劣る。
 無論、優秀な騎馬民族を直属に置く点では、太公望軍の騎馬隊および戦車隊の戦闘力は高い。
 そして兵卒の弱さをカバーしきる太公望と朱里の軍略もあって、現在太公望軍は無敗を誇る強さ。

「まったくです! ご主人様が見つかったら私も説教させて頂きます!」

 やっと書簡の始末を終えた朱里が、兵士の陣形と連携の訓練をしながらも愚痴を零す。
 愛紗ほどではないが、確かな怒りを宿しており、よもや彼女から説教を喰らうなど太公望は考えてもいないだろう。
 それほど書簡の処理は大変なのであり、途中で愛紗が捜索に出て行ったのも非常に大きかった。

(ご主人様の名は太公望……歴史に残る大軍師……少なくとも千百年前の人)

 あの戦いでの疑心がまだ残っていた。

(仙人だとしてもそんなに生きれるのでしょうか……もし偽物なら)

 疑心は募るばかり


(私達が太公望と慕っている人は……誰なんでしょうか?)


 軍師としての冷静さが、いけなかったのだろうか。

 この疑心が遠くない日に牙を向く事を。

 主たる太公望が知る由はない。


「訓練お終い! 今日も皆良く頑張ったのだ!」


 訓練終了の号令に兵士全員が頭を下げる。
 そして解散となり各々が各々の帰る場所へと帰っていく。

 ふと鈴々と朱里の頬に何かが当たる。

 見上げた先には黒く染まっている雲の群れ。

 鳴く事と飛ぶ事を止め始める鳥の群れ。


「……今日は寒くなりそうですね」


 雨脚が強くなり始める。

 冷たい雨が、大地に降り注ぐ。



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「やれやれ……サボって畑仕事に来てみれば雨とはのぉ」

 政務をサボった彼は、一農民に変化して畑を耕していた。
 無論、ただ耕しに来たのではなく、兵農一体がちゃんと行われているかの監視と調査も兼ねているが。
 純粋に働いている方が大きく、そういった労働に良く従事していた経験から太公望の身体は鍛えられ引き締まっている。
 変化で隠しているが、かつての戦いで付けられたオビタダシイ数の戦傷の一部は隠しきれない。

「おう若いの! 気をつけろよ!」
「お疲れさん!」
「今度来た際にはお茶を用意しておきますね」

 帰路で会う農民や兵士から声を掛けられる。
 働く姿には民族は関係なく、共に協力して農作業に赴く姿も見られた。
 太公望自身の中では、貴重な自身の政策の結果を見れた時だった。


「……これ全てが邑姜(ゆうきょう)の血筋か」


 人狩りから逃れた姜族の頭領『邑姜』は、武王と結婚して子をなしていった。
 本当は太公望の実の妹の曾孫にあたる存在だったが、彼女がそれを語る事は無かった。
 もし語ってしまえば太公望の殷国打倒への意志が薄れてしまうのを気付いていたのかも知れない。
 全ての姜族に少なからず太公望の血が流れているのだ。
 誰もが家族のようなものだ。

 ―――雨脚が強くなる

 ―――譲って貰った傘を差して歩く

 ―――その道の先で太公望は声を掛けられた


「そこのお兄さん……奴隷は要らんかね?」


「要らぬ、失せよ」


「ヒッヒッヒッ……モノを見てから言ってもらいたいねぇ」


 恐らく女性だが老婆、全身をボロボロの布切れで隠している為、判らない。
 やせ細ったその手には黒点が見られ、もう長くないでろう事は明確。
 しかし鎖を握る握力は有り、鎖を引いて奴隷を引き寄せる。

 ―――その奴隷の姿に

 ―――太公望は一瞬意識を白くしてしまう

 そして自然と漏れ出た言葉と名前。


「……竜吉公主(りゅうきつこうしゅ)」


 自身が居た世界の仙人の一人にして、崑崙(こんろん)最強の称号を持っていた女性に瓜二つ。
 黒く美しく長い髪、美人としか言いようの無い顔つき、女性として少し背が高かったがそれすら美しかった。
 純粋な仙人であり、清らかな場所でしか満足な行動の取れない籠の中の小さな鳥だった女性。
 凄まじい弟を持ちながらも、それすら誇りとする優しい女性、それだけで仲間でしかない女性だった。

「ヒッヒッ……これはつい最近手に入れた上物でしてね、まだ傷一つ付いておりません
  無論、女としてもまだ傷物ではないので……少々値は張りますが、買いますかのう?」

 太公望自身、頭では理解している。
 これは偽者だ、似ている人に過ぎない、だから買う必要はないと。

 なのに……値を聞いてしまう

「八百文でどうでしょうかのぅ?」

 点心一つが二文としておく。
 そうすると相当な値段であり、今手元にある彼の全額である。

「ワシの正体を知っての値か?」

「さて……袋の大きさから推測しただけですさ」

 歯軋りが漏れた。
 変化しているつもりが見抜かれている、奴隷売りの老婆如きにだ。
 そして空似でしかない者を買うかどうか悩んでいる自身に苛立っている。


 答えは決まっていた。


「……その女子、八百で買うてやろう」


 老婆は「毎度」と一言言って、女性の首輪を外し太公望から金を貰う。
 咄嗟に隠しておいた太極図を取り出して構えるが、もう老婆は豪雨の影に消えている。
 ただボロボロの布を一枚羽織って、女性は木に寄りかかったまま動かない。
 太公望は傘を差し出し、彼女に雨が掛からないようにした。

「なんで……私を買ったの?」

「……主が欲しいと思ったからのぉ」

 彼女は下を向いたまま、太公望は雨にズブ濡れになっているが、気にしていない。
 ただ彼女を見て、彼女の返答を待つ。

「私の正体は黄巾族の大将……張角の娘……貴方の枷(かせ)になるわ」

「ワシの名は太公望、今は太守としてここにおる」

 彼女は顔を上げて、黒い眼で太公望を見る。
 太公望も彼女を見る、視線は外さない。

「太公望……随分と昔の人の名を語るのね、多くの人を扇動して貴方は楽しいのかしら?」

 随分と強気な返答だった。

「偽者ではない……だが本物の胸を張れる訳でもない……だがワシはワシよ
  他の誰でもないワシで、多くの戦を駆け抜けた者には変わらぬ」

「変わらないわ、貴方の行きつく先は父と同じ……縋り付いて来た人達に滅ぼされる」

 確信を持った発言は、核心を突いていた。

 だが太公望は、それでも止まらない。


「ワシと主等は違う、違ってみせる……皆を護って皆を導いて必ずや太平の世へと連れて行く」


 日が落ち、それでも雨脚は強くなっている。
 もう声すら聞えなくなってしまうような豪雨。


「―――――――――」


 何かを言って太公望の差し出された手を彼女はゆっくりと握り締める。
 小さな傘に入るように無理してくっ付かせる。


「私の名前は張冥(ちょうめい)字は由玲(ゆれい)真名は雪(ゆき)」


 帰り道で彼女は太公望にそう名乗った。
 
 帰った後、愛紗達から厳しい説教と状況説明で太公望が死に掛けたのは、また別の話。

 そして雪が術を複合した医療術で、医師として地位を固めるのに時間は掛からなかった。

 それに太公望の血と嘆きがある事もまた別の話。



『約束された事件』



 帝の死去と檄文(げきぶん)。

 連合軍結成へと、世界が動き始める。

 大きなウネリが、世界を包み始めた。


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■作者からのメッセージ
ソウシ様
またご感想ありがとうございます
巧いの一言は作家の最高の褒美です
アーチャーは好きですよ、戦争なんかを良く理解していますから
さっそくソックリさんを登場させました! 
これからドントンと出すのでお楽しみを!


兎月様
またご感想ありがとうございます
大事を成すのに犠牲は付き物、蟻にはご愁傷様の一言をお願いします
言えば味方の為に味方を死なせる、理想と現実の苦悩は厳しいでしょう
それこそ伏義形態なら百万が相手だろうと一掃出来ますからね
強すぎるキャラは戦いに活かせにくいです(私の腕不足もありますが)


皆様、これからも応援よろしくおねがいします!
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