要害にして要塞『水関』
その堅牢さは地の利を生かした、水脈防御力にある。
渓谷による正面の大兵力の突入を拒むと共に、その四方に流れる河そのものを要塞の壁にしているのだ。
深く、飛び越えることの出来ない河に跳ね橋を設置する事で、攻守のバランスを取る事にも成功している。
無闇に河を越えようモノなら、水温の低さと水底の深さで、次々と兵士の死骸が溜まっていくだろう。
そして華雄軍は既に地の利を理解しており、それによる的確かつ冷静な防御術を実行してしまっている。
難攻不落の異名は伊達ではない、前線で活躍する連合軍兵力を尽く城砦一つで押し返しているのだから。
「……敵兵力が少ない? それは本当か?」
「恐らく城砦の守衛隊は一万前後、これは少ないとしか言えません」
愛紗に廻ってきた伝令の報告が、三人の軍師の脳内で敵軍の行動を予測させる。
堅牢かつ難攻不落の城砦とその守衛隊を信頼しての兵力の少なさ、恐らく本来は3万前後はいてもおかしくはない。
つまり敵の総大将華雄は、配下の兵を信頼しての行動を起こしており、それと同時に兵はそれを了承している。
総大将が防衛戦に参戦しないのは、大将がその行動に参加しなければ成功し得ない策。
「中々の手腕振りを持つ敵よのぅ」
「間違いなく奇襲ですね」
「そして狙いは袁紹軍……その前に立つ私達もまた」
太公望は、一人の騎兵に伝令の鏑矢を放たせる。
『敵軍に奇襲の動きあり』
既に全兵士が暗記している鏑矢の音、即座に全兵士が心に奇襲の心構えをさせる。
この時点で太公望軍への奇襲作戦は失敗が確定してしまう、奇襲は奇襲だからこそ、その意味を持つ。
それに気付かせない軍師三人の手腕が勝る瞬間が訪れた。
「突撃――――――!!」
猛々しい声と共に、およそ二万近くの敵軍が後方からの奇襲を敢行してきたのだ。
対する太公望軍の戦力は一万五千と、兵力では完全に劣ってしまっているが兵に敗戦の色は見えない。
むしろ奇襲される心積もりが出来ていた為、完全に迎撃体勢が完了してしまっており、心では負けていない。
そしてかの太公望軍の鷹の眼こと陳到(ちんとう)が敵の軍旗を見分けて叫ぶ、目の前の死すら恐れずにだ。
「敵軍旗…華! 敵大将華雄が出陣しています!!」
「好都合! 敵大将をここで捕らえる! 各員の奮戦を期待する!」
よもや守れば勝ちの状況を放り出してまでの、大将出陣はまさに千載一遇の好機。
一目しても分かるが、華雄の統率力と兵からの信頼は評価する物があり、太公望はその才を欲した。
太公望軍は個々の能力は秀でているが、一軍を任せれるだけの能力者は干吉・朱里・愛紗の三人しかいない。
しかも最前線で活躍できるのは愛紗のみ、あとの二人は決して前線で活躍できる訳ではない。
その理由もあるが、その心の中には自分の所為で彼女等はこうなってしまっている自責の念があった。
「敵は既に伏兵が巧くいって勝ちを意識してます! 布陣をせずに突撃してきていますから、鶴翼の陣を敷きます!」
太公望軍が一斉に鶴翼の陣を展開していく。
その布陣は上から見た際に、翼を開いた鶴に見えることから付けられた防御の布陣の一つである。
三日月やVの字状に見えるその布陣は、敵軍を包囲すると共に、一斉に各部の将が敵を迎激する。
(左慈、干吉)
(なんだ、もう敵は目の前だぞ)
(主等は兵二千を各自に率い、敵の退路に廻れ)
(退路を断ち、華雄を捕らえる……と言う訳ですね)
「左慈・干吉隊が離脱する! 残り兵力一万で敵軍を迎激する!」
その声と共に兵四千が二千・二千の割合で離脱する。
そしてその部隊は両脇を大きく迂回しつつ、一斉に矢を放ち左右からの挟撃を敢行する。
更に前方からの一斉射撃もあり、突撃していた華雄軍は三方からの射撃によって痛手を負う。
だがそれでも勢いは止まらない。
「太公望軍は自ら兵力を減らした! 奴等を突破すれば袁紹軍に突撃できる!」
(月…待っていろ! 必ず太公望の首を取って……お前を救ってみせる!!)
先陣を愛馬と共に駆け抜ける銀色の鬼『華雄』の覇気が、彼女に従う兵士の士気を爆発的に高める。
頬に矢が掠っても、まるで気にせず駆け抜けるその様には、鬼気迫るモノが宿っており、その鬼気に兵は続く。
更に目の前の小勢を突破すれば勝利は目前と言う現実に、兵士達は己が大将の『天の時』を見る才を感じる。
―――『天の時』
―――『地の利』
―――『人の和』
古来より兵法に記される、人ならば誰もが持つべき才能。
様々なモノの好機などを見極め、地理を理解し、人との仲を保てる。
当たり前のようで難しいこの三つを携えれる者は、稀有な将官になれるのだ。
「突撃――――――!」
「各員奮戦せよ!」
両大将の叫び声。
「「「「オオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!」」」」
それに答える両軍の英傑達。
3万モノ兵力が激突した。
「太公望軍が鶴の左翼を担うは! 関雲長なり! 命が惜しくない者はかかって来るが良い!」
高らかな宣言と共に、目の前の兵士を縦に両断する愛紗とその愛刀。
左から斬りかかる敵を薙ぎ払い、右から襲い掛かる敵の襟を掴み、別の敵に対して投げ飛ばす。
味方をぶつけられた兵士は地面に倒され、その隙を愛紗の脇を固める兵士達が確実に仕留めていく。
黒い髪が舞う度に死が生まれていく、彼女自身の士気も高く、それに身体が答えてくれていた。
「今日の私は! 一味も二味も違うと思え!」
的確にして躊躇いなく首を刎ね飛ばし、身体を両断していく。
更にそこには体術も織り交ぜられ、薙刀である武器では対処しきれない敵にはこれで対処する。
スバ抜けた体術を持つ左慈師事の元に鍛えられた身体は、以前よりも脳と心の要求に答えてくれる。
舞踊により磨きがかかり、もはや一挙一動に見惚れてしまう程の洗礼された動きが、敵を薙ぎ払う。
僅かな隙を補い合う精兵の活躍もあり、既に左翼の勝利は揺ぎ無いモノになりつつあった。
「りゃりゃりゃぁぁぁぁぁ!!」
右翼を担う鈴々の蛇棒は、喰らう価値もない獲物達を砕いていく。
天賦の才に更に磨きをかけ、人間としての純粋な身体能力は太公望軍最強と言っても過言ではない。
凄まじい勢いで風諸共、全てを薙ぎ払いかねない蛇棒の一撃は、鍛えられている筈の敵兵士を容易に砕く。
子供と舐めて掛かれば掛かるほど、その眼前の大蛇は無慈悲に死への一撃を繰り出している。
更に自分の小柄を理解しての回避は、成人男性なら薙ぎ払いが当たる位置でも、彼女には当たらない。
懐に潜り込んでからの強烈な一撃、刃の部分に当たった運のない敵は、骨諸共全てを切り裂かれる。
無邪気が無慈悲に戯れる悪夢であった。
「敵軍はもう崩壊しつつあります! 皆さん頑張って!」
遊撃隊である戦車隊の一台に乗り込み、その指揮を取る朱里。
戦車と聞いて現代の物を想像してはいけない、正確に言えば戦闘馬車と言う名前である。
二・三頭の馬に兵士数人が乗れる馬車を引かせ、それを馬を操る操者と、乗り込んだ兵士の連携が必要になる高度な武器。
だが、高速移動しながら大型の槍・弓矢を使う熟練の兵士が馬と共に突撃してくるその様は恐怖そのもの。
使用に凄まじい費用を要するが、局地戦においては無類の戦闘力を有し、歩兵に関してはもはや無敵。
ましてや今だ戦車(タロットカードのチャリオット)なんて旧式武装を使う事を予想してなかった華雄軍は対処方を考案していなかった。
車輪には刃も付けられ、掠っただけで車輪の回転と共に敵兵士が肉片へと変貌して行く。
騎馬隊との連携もあり、その攻撃力はもはや奇襲を失敗した敵に防ぐだけの余裕はない。
「敵大将太公望! 貴様の首を『道標』に寄越せと言われている!」
「……真の狙いはワシか、だがまだ未熟よ!」
中央のもっとも兵力が集中する場所では、両軍の大将の壮絶な一騎打ちが展開されていた。
華雄は董卓軍でも優れた武勇を誇り、その手で振るわれる戦斧の一撃は苛烈にして強烈。
地面を砕き、木を容易に切り裂いてみせ、太公望に防戦一方な戦いを展開させていた。
だが太公望はそれを『未熟』の一言で斬り捨て、その絶命の連撃を容易く回避していく。
もっと鋭く・もっと強烈で・もっと死に近い一撃が渦巻く戦場を彼は駆け抜けたのだ。
華雄の連撃すら、今の彼には容易に回避でき、既に三回は彼女の命を奪える一撃を放てていた。
「この陳到! 太公望様の一騎打ちは邪魔させない!」
愛馬に跨りながらも、彼は少し長い両刃の剣を振るい、敵兵を打ち倒していく。
史実において陳到は、劉備旗揚げの頃よりの配下であり、冷静沈着にして堅牢な思考と忠節を持つ。
更にその武勇は、関羽・張飛にも勝るも劣らず、趙雲に次ぐ実力の持ち主(趙雲よりも早く居たが)。
その実力と冷静さで、征西将軍であり、永安都督と言う重役に任命され、活躍したとされる猛将の一人。
その名を持つ彼は、太公望の一騎打ちの妨害を阻止し、更に直属の騎馬隊を太公望の代わりに指揮していた。
目立つ訳では無いが、決して凡将ではない実力が、襲い掛かる敵を一人、また一人を斬り捨てていく。
その冷静さと鷹の眼がもたらす力は、愛紗達を超えている事に彼は気付かない。
「『道標』はワシが一度殺した相手……仕留め損ねていたとはな」
「その所為で私達は今こうなっている!」
「アヤツを討つ為に……共に来る気はないかのぅ?」
「断る!!」
太公望目掛けて華雄最大にして最強の一撃が放たれる。
だがその一撃は分厚い風の鎧に阻まれ、太公望の首筋にも届かず止められてしまう。
自身最高の一撃を阻まれた事に驚く華雄を他所に、太公望は呪詛を紡ぐ。
素早く放たれる暴風を纏う最初で最後の一撃の拳が、華雄の腹を直撃し、その意識を一撃で吹き飛ばす。
戦場に吹き荒れる一陣の風と共に雄叫びで支配されていた空気も吹き飛び、その風の元凶に全ての視線が集中する。
「……貴様さえ……」
そう言ながらも彼女の手は太公望の衣服を掴んだまま崩れ落ちる。
振るっていた戦斧も地面に落ち、太公望軍から一斉に勝利を謳う声が響き渡る。
「太公望軍総大将! 太公望! 敵軍大将華雄を捕らえた――――――!!」
風に乗って戦場全体に響き渡る太公望の高らかな宣言。
奇襲に参加していた兵士達は最後の一花、自分達の将を守らんと動き出すが、後方に廻っていた道士二人の帰還で止められてしまう。
結果として失策であったが、二人の遅れた行動が残存兵の反抗の意志を砕き、また首を刎ねずに捕らわれる華雄に付従い者まで出る始末。
逃げたい者は逃がし、捕らわれた彼女に付従う者には縄を掛けて捕縛すると言う、圧勝に終わった戦い。
「伝令! 前線の魏軍・呉軍が城門を突破! 陥落も時間の問題かと」
風に乗って聞えてくる城砦を突破した事を示す叫びと伝令の報告。
城砦攻略の功は取られはしたが、敵大将の捕縛と言う名誉を太公望軍は勝ち取った。
そして前線で活躍していた各軍の大将にも、あの叫びは聞えていた。
「太公望……ふっ、中々のものね」
魏軍大将曹操は、その報を聞いて少し上機嫌である。
そしてその様子を見る部下達は終止符機嫌であった。
「……かの華雄が未熟だった、それだけです」
「それだけでは片付けれないモノもある」
呉軍大将孫権に対して、軍師周喩は冷淡に言葉を漏らす。
だが孫権はむしろ太公望を気にかけている節が見えた。
「流石は太公望殿! ますます婿殿に欲しくなった!」
「何言ってんだよ親父!」
「従姉(ねえ)さん……叔父上の性格を考えろよ」
「馬岱(ばたい)まで! そりゃぁカッコ良かったけど……」
報を聞いた馬騰は上機嫌になり、ますます彼を愛娘の婿にと思う。
当の本人の抗議を聞く兆しもなく、更には煙草を吹かせている従弟にまで呆れられる始末。
手には二本の双剣を握り締めて、上半身は露出の多い服を纏い、鼻には横一文字の傷。
太公望が見れば絶句するであろう人物、黄天化と言う人物と瓜二つと言う事に彼は気付いていない。
「流石は太公望! でもアイツ捕らえたって事は一騎打ちを? まさか重傷なんてことは!?」
想いを寄せる人物の活躍を聞いてとても上機嫌になる公孫賛。
だが同時に一騎打ちをしたと予想し、太公望が傷を負ってはいないかと言う不安に駆られてしまう。
しかし仮にも軍を率いる者として軽はずみな行動が出来る訳でもなく、自重と本能の狭間に揺れ動く事に。
「負傷兵は戦車に乗せよ、負傷者優先で陣へと戻れ」
「周辺の敵軍は既に撤退しています、心配はいりません」
各軍が水関を落とした事を確認しそれぞれの陣に戻る作業をしていた。
無論太公望軍も例外ではなく、戦車に応急処置を兵士を乗せて一足早く本陣の医療班の下へ移送している。
もっとも前線の軍よりも本陣に近い太公望軍は、無傷の袁紹軍ほどではないが直ぐに進軍の支度が出来る程であった。
帰路の道中で、愛紗達も合流する。
「ご主人様! お怪我は!?」
「ない、主等も怪我がなくてなにより」
「望兄ちゃん本当は凄く強いのだ!」
「華雄には焦りが有った…勝てたのは偶然よ」
「俺達は周り損かよ」
「だが結果として敵兵の戦意を挫けた、あれが無ければ泥沼と化していただろう」
兵士間でも、その事に関する不平不満は一切出ていない。
左慈と干吉隊が回り込んでの包囲作戦を展開するよりも早く、決着が付いてしまっただけ。
戦線に参加できなかった両者の部隊は現在華雄軍の捕虜の移送の監視に廻っていた。
「……でも心配です、水関を落すのに今回は上手くいきましたけど」
「次は今回の敗走兵の戦力が合わさった堅牢にして難攻不落の城砦」
「それに猛将の呂布さんも居ますけど……それ以上に問題なのが」
「あの総大将の袁紹ですね、それに前線の魏軍と呉軍の被害も少なくありません」
溜め息を漏らす軍師二人に、太公望は何の反応も示さない。
『『道標』から貴様の首を!』
華雄が口走ったあの言葉が、太公望にはずっと気になっていた。
もし『道標』が本来の歴史に戻す気ならば、既に世界は焼き払われている筈なのだ。
どうしても太公望と言う一個人の首を欲しがる必要性など何処にも存在しないのに、彼女はそれを欲している。
殆どの人物が男性でなければならない世界を、彼女は黙認し、むしろ歴史を特定の方向に持って行こうとしている。
それがどうしても太公望の思考に、引っ掛かりある仮説と、それを否定したい心がせめぎあっているのだ。
「……ご主人様?」
「あっ…すまぬ、少し考え事をのぅ」
「知恵熱出すなよ?」
「余計なお節介よ!」
そうして各軍の集結が完了していく。
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既に制圧の完了した水関を突破し、連合軍は何度か宿泊を繰り返しながら進軍を続けていく。
太公望軍の奮戦が功を奏したとは言え、魏軍・呉軍などの水関に正面から激突した軍の被害は軽視出来ない。
かと言って太公望軍は敵軍本隊との激戦に、ただでさえ厳しい戦力に拍車を掛けてしまっていた。
つまりこの三つの軍は事実上前線に出す事は不可能であり、下手に出せばそれだけの被害が生まれる。
しかし次に控えているのは無双と名高い武人呂布と、水関よりも堅牢と謳われる城砦虎牢関。
誰も前線には出たがりはしない。
「問題は山積みですね」
「のぅ華雄? ワシは素直に主等の現状を知りたいだけなのだが……」
もう一つの問題は捕縛した華雄の対処であった。
原因が太公望にあるだけあって、彼女の態度は非常に冷たい。
二日前より目覚めて以来、尋問に対してずっと黙秘を貫いているのだ。
「ワシの所為でこうなっている事も承知している、ワシはワシの所為でこうなってしまっている主等を救いたい」
「黙れ偽善者、そんな言葉には惑わされん」
やっと黙秘を解いてくれてもこの様子。
内情を知りたい太公望にとって、今は少しでも情報が必要なのだから。
「既に救出部隊も向わせています、私もそちらに赴きます」
「俺はこっちに残る、死ぬなよ干吉」
「そう言われて死ぬわけにはいきませんね」
干吉が陣内から消える。
「ふん、白服の道士を率いている時点で仲間ではないか」
「悪いが俺達は向こうとは違う、あんまりくだらねぇ駄々こねるな」
左慈の罵倒に、流石の華雄も噛み付きそうになる。
だが縄で縛られている身、どうにも出来ない。
そんな彼女が閉口する前の最後の一言。
「どうせお前は呂布には勝てない、せいぜい短い生を謳歌する事だな」
そう言って彼女は口を完全に閉じてしまう。
もう太公望も諦め、その天幕を後にする。
兵には決して捕虜には手を出さぬように厳重に注意しておく。
そうして全軍の大将を集めての会議が開かれる。
そしてそれが一刻の地獄の蓋を開く事になってしまう。