太公望は朱里を引き連れて、連合軍各軍の大将が集まっての虎牢関攻略に関する軍議に出席していた。
だがはっきり言って軍議は軍議と呼ぶ事すらオコガマシイほどのモノであり、現在も叫び声が支配している。
その声の主は、やはりさの袁紹である。
理由は前述(十二話)の理由によるモノである。
まず袁紹が何の策も考案せずに堅牢な城砦に正面から突撃を敢行させられた軍の被害は……深刻なのだ。
特に魏軍・呉軍両軍は軍の規模から必然的に前線に兵が出る事になる、そうなれば兵の被害も大きくなってしまう。
次に被害が大きいのは太公望軍、軍の規模は小勢だが先の戦いでは敵大将華雄軍の本隊と激突しこれに勝利。
これが功を奏し、水関の指揮系統の混乱から魏・呉の両軍がこれの突破に成功すると言う結果をもたらす。
だが、ただでさえ小勢と馬鹿にされる戦力に拍車を掛けられ、まともに前線に出るだけの兵力が無い。
「貴女の無能な指示で私の部下が何人死んだと思ってるの?」
「無能!? この私が無能な訳ないですわ!」
「無能でないと言うのなら、次はぜひとも有能である事を証明して欲しいわ」
魏軍大将曹操の前線からの離脱宣言。
連合軍の中でもトップクラスの実力を持つ軍が前線に出ないとなれば、それだけで前線が支えれない。
そんな状況に更に拍車を掛けるのは、呉軍大将孫権の発言だった。
「我が軍も下がらせて貰う」
「なっ!?」
大国である呉軍まで後方に後退されてしまえば、もう虎牢関を突破するだけの実力者が居なくなってしまう。
そしてもう前線に出れるだけの戦力を持つのは袁紹軍だけだが、虎牢関を守る敵将呂布の存在で対抗できないのだ。
呂布は無双の豪傑として圧倒的な……それこそ万夫不当(一万人相当)の実力とも謳われている。
これを突破出来る武将がいるなど、誰も考えては居ない……だからこそ呂布の眼を引く『餌』が必要なのだ。
「ワシら太公望軍は騎馬と戦車が主力故、攻城戦には向かぬ」
「それは私達、公孫賛軍も同じだな」
「馬騰軍もこれらに同じ」
次に直接の戦闘力で群を抜く軍騎馬団を保有する太公望軍。
白馬で構成された屈強精兵揃いの白馬隊を持つ公孫賛軍。
異民族で構成された純粋な人馬一体の騎馬隊を指揮下に置く馬騰軍。
この三つの軍の主力は騎馬隊であり、野戦などの局地戦に特化した戦闘力を持つが、攻城力はない。
どう頑張っても攻城の主力は歩兵であり、それをあまり保有しないこの三つの軍は攻城戦には出られないのだ。
この理由あって前に出しても意味がなく、これで完全に攻城戦に赴けるのは袁紹軍だけとなってしまう。
「どうであれ、ワシ等は補給の問題状、長引かせるだけで負けてしまう
総大将たる袁紹殿の最前線への出陣は兵達の士気も高めれる
その地位に就いたなりの責務を果たして貰わねばならぬ……覚悟くらいはしておろう」
「……皆さんが邪魔で私の策が言えなかっただけですわ!」
「それはどんな愚策かしら?」
「それはもう素晴らしい……愚策ではございませんわ!」
会議に集まった全員が、心の奥底で呆れている。
どうせまともじゃない、誰もが内心で思っていた。
「私の策とは! 太公望軍にあり、ですわ!」
この時、太公望の右隣に座る公孫賛・左隣に座る馬騰は、太公望の顔に青筋が浮んでいるを見た。
特に趙雲の事件の際に見せた怒りの断片を知る公孫賛と朱里は、お互い身体を小刻みに震わせながら寄り添っている。
その様子を不思議な眼で見る諸侯を他所に、袁紹はこの愚策の内容を述べていく。
「敵将華雄を無傷で捕縛の腕前なんでしょう? なら呂布も倒せば、この戦は勝ったも同然ですわ!」
その報告は確かに諸侯に希望の光を灯させた。
太公望は猛将華雄をあざ笑うかのように戦い、これを一撃の下に打ち倒す。
そんな報告があるからこそ、今回の袁紹の発言が光ってしまった。
「冗談ではない! それはワシ等に死ねと申す気か!」
「あら? 拒否するならば太公望軍は連合の敵として潰しますわ」
この発言に諸侯がどれだけ付いてくるだろうか?
それすら理解せずに袁紹は、総大将たる自分の命令を聞かないなら”消す”と言って来たのだ。
その発言にもう諸侯の心は付いていかない、そして次第に肌に感じる風が冷たく感じ始めていく。
神の怒りが……具現しようとしているのだ。
「たとえ私の軍だけでもアナタの軍を捻り潰すだけの戦力はございますわよ?
それに敗軍の将兵がどうなるかは……軍師であるアナタには良くご存知でしょう?」
敗軍の将兵は虐殺と陵辱の道を歩むしかない。
その発言に特に曹操の顔は怒りに満ち、最悪の場合は関羽だけでも救いに行こうと画策する。
更に公孫賛も一軍の長としての立場よりも、女性としての立場を優先しかねない自分を自制していた。
だがそれら全てを消し飛ばす……神の怒りが降臨する。
「ゴミが……ワシの宝に手を出すか」
世界の風が止まってしまう。
更に各陣営の軍馬が一斉に暴れだし、外は既にそれをナダメル為に兵士達の慌て声が木霊し始める。
そして既に、各陣営の少しでも殺気や覇気を悟れるだけの武に精通する人間は身体を小刻みに震わす。
―――溜め込んでいた殺気が開放される
―――世界と言う歴史を消し飛ばしてきた力の一片が
―――龍すら超えた神の覇気が全てを射抜き粉砕していく
「はっ…あっ……あぁ……」
袁紹が声も出せなくなってしまう、それは幻想の力。
例えるならば全身を無数の武器が貫かれる、全身を生きたまま引き裂かれるような幻想。
強力すぎる殺気と覇気と、それを裏付けるだけの圧倒的にして絶対的な覆る事なき優位の権化。
この風は、虎牢関にまで届いていた。
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「なんや……なんやこの風………こんな化け物が敵にはおるんか!?」
張遼はその絶対支配者の風に震えていた。
眼からは涙が自然と零れ、自分の小ささを実感させられるだけの支配力を持った風に全てを砕かれる。
視界の仲間の兵士達が嘔吐し次々と倒れ、失神・気絶していく様をほんの少しだが羨ましく感じた。
彼らは意識を断つ事で、支配者の風から逃れる事が出来ているのだ。
そんな悲惨な現状が広がる中、一人その風を噛み締める少女が一人。
「……寂しい」
無双の豪傑呂布は、支配者の風をそう捉えていた。
それは強すぎて孤独の道を歩む事になってしまった自分との共感なのかも知れない。
そしてこの風をまともに受け入れられる彼女は既に自分が”人間”の枠内で最強の精神力を持っている事に気付かない。
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この風を心地良いとも感じているもう一人の神。
「あぁ愛しい人! 帰って来てくれたのですね! 私の元に!」
その風に愛しい者の気配を感じ、それに狂乱する女。
それは彼女が犯してしまった最初で最後の失敗であり、彼女の心を崩壊へと導いたモノ。
されど具現したその存在に、彼女は涙を流しながら狂乱していく。
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「いやっ! いやっ! いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「雪お姉ちゃん! 落ち着いてなのだ!」
「ご主人様……貴方は一体……何者なのですか?」
この殺気を始めてとする雪は、頭を抱え込んで悲鳴をあげながら苦しんでいた。
太公望の普段の優しさに触れ、趙雲への怒りに立ち会った事のある愛紗と鈴々は、懸命に雪を宥めていた。
だが自分達も、一瞬でも気を抜けば”惨殺”の幻想に取り込まれてしまうため、懸命にその殺気に耐えていた。
その風が自分達への想い故の強さとも知らずに、愛紗達ですら恐怖を抱かせる事になってしまう。
「太公望……これで力の一片なのかよ」
懸命に自軍の兵士を宥め落ち着かせている左慈にも、その力の強さは理解出来た。
だからこそ恐ろしく、それ故にその力への想いも強きなっていく。
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「……このゴミは袁紹と言ったのう」
既にその場に佇むだけで全ての反抗の意志を削ぎ取り、動く事すら許可しない絶対支配。
今、この場での行動権は太公望の名と肉体を持つ神『伏義』だけであり、それ以外の命は行動権を持たない。
ただひたすらに放たれる殺気からもたらされる惨殺の幻想に耐える事だけであり、それ以外の行動を取る余裕が無い。
ゆっくりと伸ばされる伏義の白く細い腕が、それに生える手が袁紹の細い首を鷲掴みにする。
「もぉよい……使える駒かと思えばただのゴミとは……役立たずとは」
少しずつ力が込められていく。
だがその力の度合いは、蟻のような脆く潰れ易いモノを優しく摘むほどの力も込められていない。
もっと少ない力、例えるならば人間が無意識に指を折りたたんでしまう程の無意識の範疇の力しか込められていない。
神にとって人間などそれほどの価値しかなく、今の袁紹は神から見れば不要とみなされたゴミなのだ。
「太公望殿、落ち着け! ここで袁紹を殺してしまえば、それこそ!」
「離せ馬騰! このゴミは今ここで滅さねば愛紗が! 鈴々が! 朱里が! 雪が! 白蓮が! 皆が殺されてしまう!
もうそのような屈辱を味わうのは……大切な者を失う苦しみをワシは味わいたくないのだ!」
「だからってダメですご主人様! こんな事しても誰も喜びません!」
「落ち着いてくれ望! お願いだから……優しい貴方に戻って……お願い、望!」
支配する殺気の最中で、馬騰・朱里・公孫賛だけが動け、懸命に太公望を説得する。
本来ならばこの三人の力など容易く振り解けるが、下手に振り解けばその勢いで殺しかねない。
馬騰が黄飛虎の姿をしていたのが行幸だった。
もし今、彼を殺してしまえば太公望は自分の精神が持つかどうか考えていた。
更に小さな朱里、涙を流しながら抱きついている公孫賛の姿に少しずつ怒りが収まっていき、袁紹も地面に投げ捨てる。
「ワシは……ワシは……」
「間違ってなんかない、ただ私は優しい貴方が好きなだけだから」
支配者が消えて、世界にまた優しい風が吹き始める。
この場で意識を保てたのは曹操・孫権・馬騰・公孫賛・朱里・袁紹の六名だけだった。
「…………袁紹、貴方早く前言撤回しないと本当に殺されるわよ」
汗をかきながらも懸命に冷静を取り繕う曹操の言葉に、既に零距離で殺気を当てられた袁紹は壊れた人形のように答える。
「はっ……はい………判りました、撤回します」
「……だそうよ?」
曹操なりの助け舟であり、太公望も「スマヌ」と一言礼を告げる。
もしこの助け舟がなければ、きっともっと酷い結果になっていたかも知れない。
更に曹操は自分の欲する関羽を守る為にもう一つ手を打つ。
「袁紹、太公望軍に兵の支援・それから私達が敵本隊を叩くわ」
「曹操!?」
「勘違いしないで、私は愛しい関羽を守るだけだから」
曹操の口から語られる連合軍の作戦。
まず太公望軍が前進し、敵軍を虎牢関より引き出す。
引き寄せられた敵軍を魏・呉軍などが即座に挟撃と横撃を敢行し、これを叩く。
騎馬隊で連携の取り易い公孫賛軍と馬騰軍は、太公望軍の直接援護に回り、反転後正面より突撃する。
つまり弱小勢力で敵を釣り、それを横から大軍勢で叩きのめし、敵の混乱に騎馬隊による正面からの突撃を敢行する。
「異論はないわね?」
「……呉軍は了承する」
「公孫賛軍も賛成だ」
「馬騰軍もそれならば了解だ」
次々と挙がる曹操立案の作戦への賛成の声。
良い様に利用されてしまった太公望は、自分への自責を込めて失笑した。
そして同時に曹操こそ連合のトップに立つべきだと確信し、彼女が味方である事を幸せに思う。
だがそれは彼の殺気を感じた全員が思う事でもある。
―――こんな化け物を敵に回さなくて良かった、と
「太公望軍、その策に賛同させて貰う」
「ほっほっほっほっ! 軟弱なアナタ方に救いの手を差し伸べるのも、私の仕事ですわね!」
(曹操さん風情の策に賛同するのは癪ですけど!)
既に体面を保つ為に普段の袁紹に戻っていた。
続々と起き上がる諸侯にも曹操の作戦を説明していく。
無論内心では従いたくないと思う者も居たが
「それ以上の策が言えるなら言ってみろ」
化け物と見られている太公望の重低音(ドス)を効かせた声が、場を制する。
大軍師の肩書きを持ち、更にあの殺気を放つ者からそんな事を言われて反論するだけの力は無い。
内心では従う気などさらさらなかった袁紹も、付けられたばかりのトラウマを抉る気はない。
「なら各軍への配置は追って通達させて貰うわ」
そうして軍議は少しはまともな終わりを迎えた。
太公望も眼を赤くしている朱里を引き連れて自陣へと戻る。
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天幕を出払った直後に、太公望は馬騰と公孫賛に礼を告げる。
「お主等にも感謝せねばならぬ」
二人に頭を下げる太公望。
もしこの二人がいなければ、本当に袁紹を殺害し、神の力を持って袁紹軍を虐殺していたかも知れない。
神の姿となりその力を解き放った彼は、もはや百万の兵力を持ってしても足止めすらおぼつか無い存在へと昇華してしまう。
そんな彼を止めれる事がどれだけ凄いかなど、恐らく当人達は気付いていない。
「だが正直あれほどの殺気を放てるのは驚きだった」
それに何度も首を縦に振るう朱里、その姿は微笑ましい限りである。
「とにかく決戦には私達も援護する」
「絶対に死なせぬ……約束する」
公孫賛こと白蓮(ぱいれん)も赤い眼を擦りながら、頬を赤く染めてしまう。
事態が事態だったとは言え、思いっ切り告白をしてしまったのだから、当然ともいえる。
「ワシの宝の下へ戻るぞ」
告白については何も言わずに、太公望は朱里を引き連れていく。
白蓮は何か言ってくれるかと期待していたのか、何も言わずに行ってしまった彼の背中を見送る。
その肩を同情するかのように手を置く馬騰の顔は、懸命に笑いを堪えていたと言う。