作者:193
2009/01/17(土) 05:38公開
ID:4Sv5khNiT3.
地球衛星軌道上に認識阻害魔法を使用し、身を隠すアースラの姿があった。
その艦首には件のアルカンシェルが搭載されているのが確認できる。
闇の書が暴走した場合、侵食が広がる前にアルカンシェルにて消滅させることが、管理局上層部がアースラに通達した命令内容だった。
リンディもまた、その命令書を受けアースラへと搭乗していた。
だが、本人は周囲には気取られないようにしているつもりでも、浮かない表情をしていることは一目瞭然だった。
出来ればアルカンシェルを撃ちたくないと言う気持ちがリンディの中にはあったからだろう。
しかしユーノからの報告を受けたとは言え、結局のところD.S.頼りだと言うことを聞かされ、そのことがリンディの不安を煽る結果に繋がっていた。
管理局の思惑はともかく、闇の書の暴走を食い止めなくてはいけないと言うことはリンディも理解している。
地球だけの問題ではなく近郊世界すべての破滅に繋がる可能性がある問題だけに、一概にアルカンシェルという保険を否定するわけにもいかず、そのことが彼女の頭を悩ませていた。
「使うことにならなければいいのだけど……」
アルカンシェルの起動キーを手にリンディは浮かない面持ちで悲痛な表情を浮かべる。
使用したくはないと言ってはいても、最悪の場合はそれも矢も得ない状況に追い込まれるだろうと考えを巡らせていた。
その時、管理局の決定を無視して使用しないかと問われれば、リンディには明確な自信がなかった。
それは管理局への不信感と現実に訪れるであろう危機とでは、その状況や見方によって大きく手段も結果が違ってくるからだ。
地球側から見れば確かにアルカンシェルは、自分たちの星を破壊しかねないとんでもない兵器ではあるが、管理世界から見れば管理外世界一つのために次元世界すべてを危険に晒す訳にはいかないと言う広義的な理由がある。
そうした意味でも最悪の結果を生み出さないための切り札として、アルカンシェルは必要だと言う側面も確かに存在した。
しかし一番の問題はそれほどの事態に発展する恐れがあるにも関わらず、闇の書のこともアルカンシェルのことも地球側に一切公言しようとしない管理局の体制に問題があるのだろう。
リンディもそのことはよく理解しているが、管理局の提督という立場にいる以上、強く意見できる立場にない。
自分の決断と発言が、部下やその周囲に与える影響を彼女は人一倍理解しているからとも言える。
「艦長――闇の書の反応が!!」
通信室に控えていたエイミィからリンディに緊急通信が入る。
いつになく取り乱した様子のエイミィを見て、リンディの緊張も強くなった。
送られてきた地上の映像――そこに映し出された海鳴大学病院上空の様子にリンディは思わず息を呑んだ。
病院の屋上から吹き荒れる黒い風。それはさながら竜巻のように渦巻き、空を黒く染め上げていく。
この世のものとは思えない光景に、リンディは何が起こっているのか状況をすぐに理解できなかった。
「闇の書が起動したようです。でも、これは……」
エイミィが驚くのも無理はない。管理局が保管する闇の書のどのデータにも、こんな“記録”は存在していなかった。
闇の書が完成と共にもたらすのは際限のない破壊のみ。
だが目の前に映る闇は、まるで意思を持つ生き物のように蠢き、世界をその“意思”で闇へと包みこんでいく。
黒い風も、すべてを覆う深い闇も、彼女たちの想像と理解を超えた現象だった。
「闇の書が自己進化してると言うの?」
リンディはユーノが危惧していた“アムラエルの力の蒐集“と言う言葉を思い出す。
それが現実のものとして彼女の目の前で起ころうとしていた。
天使の力を取り込んだ闇の書の進化――
それは人智を超えた、新たな破壊神の誕生を予見していた。
次元を超えし魔人 第24話『伝説の魔人』(AS編)
作者 193
「どうすんだ? こいつはかなりやべーぞ」
ガラは黒い風と共に空に広がっていく闇を見上げながら不安を漏らす。
守護騎士や魔導師など実体のある相手には負ける気がしなくても、あんな闇をどうにかしろと言われてもガラには確固たる自信がなかった。
正直、そういう専門外のこととは出来れば係わり合いになりたくないと言うのが本音だ。
いざとなればやってやれなくはないだろうが、以前にも同じようなことで死に掛けたことがあるだけに、それはガラにとって切りたくはない切り札でもある。
それにどう見ても、この状況は肉体派の戦士よりも魔導師の方が得意な分野の問題だろうと言うことは見て取れた。
「どうもこうもねー! 邪魔なヤツはブチ殺す!!」
聞くだけ無駄だったかとガラは頭を掻く。アリアとロッテのことで頭に血が上っているのか、いつになくD.S.は好戦的だった。
指を立て闇の書を挑発するD.S.を見て、なのはとフェイトの二人もガラと同じように渇いた笑い声を漏らす。
しかしどうにかするとは言っても、なのはとフェイトにはあんなのを相手に“どうにかする”と言った自信はなかった。
それでもD.S.ならなんとかしてしまうのだろうと言う期待はあった。
「風が止んだ……」
フェイトが言うとおり、先程まで吹き荒れていた風が収まっていた。
空を侵食していた闇の進行も止まり、海鳴市全域に展開する結界の中はすでに漆黒の空で覆いつくされている。
だが、逆にこの静けさが不気味でならない。まるで嵐の前の静けさのように、風音一つない無音の世界が広がっていた。
「――きやがるぞ」
D.S.が不敵に笑う。
先程まで風が吹き荒れていた場所の中心点、そこに背に漆黒の三対、計六枚の羽を持つ銀髪の女性が立っていた。
なのはとフェイトは現れた女性を見て思わず息を呑む。綺麗な銀色の髪、整った容姿に、吸い込まれそうな赤い瞳。
しかし人の姿をしてはいても、あれが“普通”ではないことを一目で感じ取っていた。
覚醒した闇の書の真の姿――それを目の前にし、圧倒的な存在感を前に滲み出る汗が止まらないのを二人は感じる。
「あれは――アリシア、すずか!?」
フェイトが二人の名前を呼び、なのはも驚きその視線の先を探す。
闇の書の後方十数メートルのところに、アリシアとすずかの二人は意識を失い倒れていた。
恐怖心から震える身体を抑えながらも、二人の姿を見つけたなのはとフェイトは飛び出した。
突然の二人の少女たちの行動に驚きながらも、D.S.は舌打ちをし後を追いかける。
「……それほど、この少女たちが大事か? 高町なのは、フェイト・テスタロッサ」
「「――!?」」
告げてもいない自分たちの名前を語られ、なのはとフェイトは驚きから動揺を見せた。
闇の書がゆったりとその手を迫る二人へと向け、「刃以て、血に染めよ」と詠唱すると二十本以上に上る赤い短剣が姿を現した。
まるで血の色のように染め上げられた真っ赤な鋼の短剣を目にし、少女たちは目を見開いて驚く。
「穿(うが)て――ブラッディーダガー」
闇の書が呪文を唱えた瞬間――その短剣は真っ直ぐに二人へと向かって放たれた。
自動追尾型の誘導弾。軌道を自動修正しながら追ってくるその短剣に、なのはとフェイトは逃げ切れないと判断する。
咄嗟になのはがフェイトの前にでてカートリッジを使用した防御結界を前方に展開する。
衝突と共に爆散する短剣。二人の姿が爆煙に包まれた。
「――!!」
だがその爆煙を利用し、フェイトは持ち前のスピードを生かして闇の書の死角に回る。
唇を僅かに震わせ詠唱を終えると、闇の書に向け「ライオット」とその呪文を口にした。
あのシグナムにすら大きなダメージを与えたフェイトが得意とする雷撃魔法。
この半年の訓練で身に着けた魔法の中でも、特に殺傷能力の高い攻撃魔法でもあった。
おそらくフェイトが現在保有する攻撃手段の中でも最強に位置する攻撃だ。
致命傷とまでは言わなくても、多少は怯ませることが出来るはずと言う自信がフェイトにはあった。
しかし闇の書はそのフェイトの行動を予測していたかのように振り返り、無表情に振り上げた手を迫る雷撃へと向けた。
「――闇に、沈め」
フェイトの放った雷撃は闇の書の防御障壁を抜けることなく飛散するように弾かれてしまう。
そのままノーリアクションで闇の書は詠唱を完成し、再び鋼の短剣を生み出した。
それも今度はフェイトの四方を挟むように逃げ場を封じ、闇の書は冷静な面持ちでそのまま腕を振り下ろした。
「――っ!?」
振り下ろされた腕が合図となり、二十にも及ぶ短剣がフェイトへと降り注がれる。
逃げ切れない――そう判断したフェイトはダメージを覚悟して身構えた。
甲高い幾重にも重なる衝撃音。フェイトに降り注がれた短剣は衝突と共に爆散し、その姿を爆煙に覆い隠した。
「フェイトちゃん――!?」
目の前で攻撃に晒される親友を前にし、なのはが悲痛な叫び声を上げる。
だが、なのはの心配に反し、煙の中からD.S.に守られたフェイトが無事な姿を見せていた。
「……ダーシュ、ありがとう」
「それよりもアリシアとすずかを連れて、早く安全なところまで離れろ」
「……ダーシュ?」
いつも余裕たっぷりのD.S.にしては珍しく、僅かに焦っている様子がフェイトにも伝わる。
闇の書と向き合うD.S.は、先程の一瞬の攻防で闇の書の力をかなりところまで推し量っていた。
フェイトの雷撃魔法は威力も速度も申し分のない完璧な出来だった。にも関わらず効果がなかったのは、闇の書が防御結界を展開したからではない。
あの腕を振り上げた動作は単に短剣をフェイトに放つための予備動作――
雷撃を防いだのは闇の書が常に身の回りに展開している防御障壁によるものだとD.S.は見抜いていた。
だがフェイトの放った雷撃は、並の魔導師の障壁程度で防げるほど甘い魔法ではない。
それを可能としたと言うことは、それが“普通の障壁ではない”ことを示していた。
「呪圏(スペル・バウンド)……それにテメエ、思考を読みやがったな?」
天使や悪魔など高次元の存在が身を守るためにまとう魔法障壁――
あらゆる物理耐性、精神耐性を備え、幾層にも張り巡らされたその結界は人間が展開する魔法障壁とは比べ物にならない強度を持つ。
フェイトの雷撃が届かなかったのも、その無敵とも言える強固な障壁に阻まれたからに他ならない。
しかも闇の書は、あの一瞬でなのはとフェイト、二人の思考を完全に読んでいた。
となれば、精神耐性がずば抜けて高いD.S.やアムラエルなどを除き、考えていることはすべて闇の書に筒抜けと言うことになる。
実は、闇の書がはやてに取った行動も、こうしてアリアとロッテの思考を読んだが故の行動だった。
闇の書は他人の思考を読み、その力だけでなく人間の行動や知恵を学習している。
それはまさにプログラムの自己進化と言う生温い話ではなく、物から人へ――そして高次元の存在へと至る、種を駆け上がるための昇華行為だったと言える。
「フェイトちゃん、行こう――悔しいけど、わたしたちじゃきっと邪魔になる」
困惑から放心するフェイトに、素早くアリシアとすずかの方へと回り込んだなのはが声を掛ける。
闇の書の力はなのはに危機感を抱かせるほど大きなものだった。フェイトもD.S.の様子から、なのはの言葉の方が正しいのだと思う。
しかしD.S.のことが心配なためか、親友の言葉にも素直に首を縦に振ることが出来なかった。
いつまで経っても離れようとしないフェイトを見て、D.S.は僅かに間を置き溜め息を吐くと、その頭をガシガシと撫で回した。
「このオレ様の心配をするなんて百年早えっ!」
「ダーシュ……」
「しっかりとその目で見届けろ。テメエの父親(オヤジ)が、どれほど格好いい男かってのをな!!」
その場にフェイトを残し、D.S.は闇の書を挑発すると共に上空へと飛び立っていく。
フェイトはまだ額に残るD.S.の手の温もりを感じながら、その後姿を見送っていた。
クロノは漆黒に染まった空を見上げながら、事態の推移を見守っていた。
闇の書が覚醒したことはすぐに分かったが、ここから観測できる魔力と彼我の戦力を見比べ、すぐに動くことは出来ないと考えていた。
幸いD.S.たちが第一に接触し交戦していることは分かっていたので、無理な介入をするつもりはなかった。
いくらメタ=リカーナの魔導師が驚異的な実力を持っていようと、闇の書を相手に数人の魔導師で対抗できるはずがないと考えていたからだ。
そうした意味でも僅かにでも闇の書の動きを鈍らせ、暴走直前にまで持っていってくれるのであれば、介入はそれからでも遅くはないとクロノは考えた。
手元の銀製のカードに目をやり、クロノは小さく溜め息を吐く。
――このカードをどう使うかはクロノに託す。
グレアムが残した言葉。そしてほんの数刻前、グレアムと対談したクロノが受け取った一枚のカード。
氷結の杖デュランダル――それはグレアムが計画の要として開発した新型ストレージデバイスだった。
グレアムの計画――
闇の書の暴走の瞬間の僅かな隙を使い、その主である魔導師ごと永久(とこしえ)の氷に閉じ込めてしまうと言うもの。
闇の書が完成するまで待ったのも、その転生機能を働かせないためでもあった。
闇の書は捕らえようと停止させようと試みても、どちらにしても完成前であれば主を飲み込み転生してしまう。
しかし完成してしまえば闇の書は本来の機能を取り戻し、その力をただ破壊のためだけに使う。
コアとなる主が消滅するその瞬間まで――
だが完璧と思われる闇の書にも暴走の瞬間、僅かな隙が生じることをグレアムはこれまでの情報から突き止めていた。
暴走の瞬間、表面化した防衛プログラムが発生する僅かな時間、闇の書は一時的にその機能を停滞させる。
その数分間だけは攻撃も防御もなく、完全に無防備となることをグレアムは突き止め、この計画を思いついたのだ。
破壊は事実上不可能なことが、これまでのことから判明している。ならば、その僅かな時間に氷結魔法で凍り漬けにし、次元の狭間、または氷結世界に厳重に封印してしまえばいいと考えた。
ようやく突き止めた闇の書の主“八神はやて”が両親を亡くし天涯孤独な存在だったことも、そんなグレアムの計画を推し進める後押しをしていた。
――身の上が孤独であれば、彼女がいなくなっても悲しむ人は少なくて済む。
そんな身勝手な理由ではあったが、グレアムにとって最後の覚悟を決めるには十分な理由だった。
決して良心が痛まなかったわけではない。しかし、十一年前の事件で部下を亡くし、それを自分の判断ミスだったと後悔するグレアムにとって、彼らの無念を晴らすためには二度と同じような悲しみを生むわけにはいかないと言う思いがあった。
闇の書によって深い傷、悲しみを背負った人々は数知れない。
グレアムもそんななかの一人であるからこそ、その決断に至ったのだろう。
しかし迷いはあった。その迷いこそ、はやてに“その瞬間が訪れるまで”平穏無事に何不自由すること過ごして欲しい――
そんな思いを生み、はやての小父と言う名を語り、生活の援助を惜しみなく行ってきたのだ。
だが結果として、その“偽善”こそが十一年と言う歳月を無碍に過ごす結果へと繋がっていた。
クロノにもグレアムにとって、それが何事にも変え難い真摯な願いであることは分かっていた。
しかし同時に、彼の失敗は非情になりきれなかったことにあるとも考えていた。
それがグレアムに残された優しさであり、情であると分かってはいても、ならば何故こんな計画を遂行したのかと拳を握り締める。
クロノにとっても闇の書は許すことが出来ない父の仇でもある。しかし、だからと言って管理局の定めた法を犯してまで、その恨みを晴らしたいとまでは考えてはいなかった。
法は遵守されるためにある。法なくして世界の安定と秩序の維持は有り得ないと考えているからだ。
それを法の守護者たる自分たちが見失ってしまえば、世界は再び旧文明のような混乱期を迎えることになる。
だからこそ、クロノは管理局の仕事に確固たるプライドと自信を持っていた。それをよりによって家族ぐるみの付き合いも深いグレアムや、魔法の師匠でもあるリーゼ姉妹が関与していたと言う事実は彼の心を深く傷つけた。
グレアムはクロノに追及されると観念したかのようにその事実を認め、代わりにとデュランダルをクロノに差し出した。
そのことにアリアとロッテの二人は当然反発したが、グレアムはそれでいいと二人を宥めた。
グレアムにとってこれは十一年もの思いを掛けた計画ではあるが、クロノにも闇の書に復讐する正当な理由がある。
だからこそ、グレアムはクロノにデュランダルを託した。
使う使わないどちらにせよ、その被害者の一人であるクロノが判断するのであれば、それもまた運命だろうと受け入れたからだ。
そんなグレアムの考えを理解しながらも、クロノはデュランダルを受け取った。
違法であろうとすでに投げられた賽は拾うことが出来ない。闇の書の完成が目前である以上、後に退くと言う手段はクロノにも残されていなかった。
グレアムの計画に乗りデュランダルを使うか、アルカンシェルにより闇の書を消滅させるか、答えは二つに一つ。
それが分かっているのか、クロノは事件が解決するまでと言う条件で、アリアとロッテの行動を見逃した。
結果、D.S.に二人は捕まったわけだが、闇の書が完成すると言う当初の目的までは果たされたことになる。
「ぼくは……」
クロノはまだ迷っていた。アルカンシェルを撃つよりはデュランダルを使用する方がリスクも少なくて済む。
それが分かってはいても、グレアムの言う通りにそれを実行できるかと問われれば、クロノは明確な答えを出せずにいた。
闇の書の暴走――その時点では永久封印をされるほどの罪状が闇の書の主にあるわけではない。
管理局の築く秩序を信じ、法を遵守する立場にあるクロノにとって、この決断は非常に重いものだった。
『ハラオウン執務官――』
「――どうした?」
現場をいつでも押さえられるようにと、市街に待機させていた武装局員からクロノに連絡が入る。
武装局員の焦った様子がその声からも感じ取れた。そのことからクロノも危機感を募らせる。
『それが、現地の魔導師が――うあっ!!』
「何が――おい、どうしたんだ!?」
クロノは動揺する。武装局員が何者かの襲撃を受けていると言うことは明らかだった。
守護騎士たちでも闇の書でもない。そうなれば、疑惑は自然と対立している魔導師たちへと向けられる。
「ご明察――そこまでバカではないようだな。クロノ・ハラオウン」
「あなたはメタ=リカーナの!?」
いつの間にかクロノの背後には、カイが魔剣ギブソンソードを構え立っていた。
武器を向けられ、クロノは表情を強張らせる。良好な関係ではないと言っても、ここまで直接的な行動に出ることは互いになかったにも関わらず、明らかな敵意を持って武器を向けられている事態に、クロノは少なからず驚きを隠せないでいた。
「なんでこんなことを――これは明らかな捜査妨害だ!
管理局に敵対する気ですか!?」
「敵対? 仕掛けてきたのは貴様らの方だろう」
「何を言って――」
クロノの反論を鼻で笑い、カイは片腕を上げて空を指で差した。
「衛星軌道上――アースラだったか? 我々はあのようなものの報告を受けてはいないのだが?
これは管理局との取り交わしにもない明らかな侵犯行為だ。
それにキミらには大量破壊兵器を地球圏に不法に持ち込み、脅威を晒したことによる嫌疑も掛かっている。
先日の市街での戦闘行為のことに関しても疑いは晴れていない。まだ他にもあるが、すべて聞かせてやろうか?」
「…………」
アースラのことが気付かれているばかりか、アルカンシェルの存在まで捕まれていたことにクロノは驚いた。
しかし同時に、あれが地球に知れたのであれば、この行動の裏にも一応の筋が通ると考えた。
管理局は一度もアースラのこと、アルカンシェルのことについて地球に公表していない。
黙って持ち込んだばかりか、その武器を自分たちに向けられていると知れば、当然反発が起こることは想像に難くない。
クロノはカイの挑発とも取れる発言に唇を噛み締めながらも、短慮に抵抗するような行動は慎んでいた。
すでにカイたちの実力は知っていたし、武装局員もカイの仲間に取り押さえられていると分かっていたからだ。
「抵抗しないのか?」
「そんなことをしても無駄なんでしょう?
しかしこれは、後々管理局との関係を悪化させることになりますよ」
クロノは淡々と冷静な口調でカイに迫る。
「それに闇の書が暴走してしまえば、この世界だけでなく周囲の次元世界も危険に晒すことになる。
あなたたちはそうやって、自分たちの世界の都合ばかりを考えてればいいんでしょうが――
管理局の仕事を邪魔したことを、必ず後悔することになりますよ?」
クロノはカイのやっていることは、周りのことを考えていない身勝手で自己満足だと批判した。
次元世界のことを認知したならば素直に管理世界に加わり、管理局と足並みを揃え周囲の世界のことも考えるべきだ。
アルカンシェルを黙って許容しろとまでは言わないが、対抗する手段がないのであれば管理局に協力する姿勢は見せるべきではないかとクロノは考えていた。
しかしカイはそんなクロノの考えを嘲笑う。「どこまでも救えぬ組織だな」と――
「アルカンシェルを地上で撃つことにより何千万、何億と言う人間の命が失われることになる。
それも貴様らは正義のためには仕方のない行為だと――そう済ませるつもりか?」
「――アルカンシェルを撃つ場合は、ぼくらも出来るだけ安全を確保する努力はする。
そんな最悪の事態を想定することこそ、悪質な憶測に過ぎないじゃないか」
「仮定に過ぎない? しかし、実際に有り得る可能性だ。
それに貴様らの言う質量兵器の破棄。それは魔法文明が深く浸透していないこの世界の人間にとって、自らの文明を捨てろと言っているに他ならないと言うことを貴様たちは理解しているのか?」
「そんなことを言ってるから、いつまで経っても人は力を求め、戦争を引き起こす!
自分たちで滅びの道を選んでると言うことが何故分からないんだっ!!」
カイの管理局の言葉尻を取ったかのような数々の発言に、クロノは先程まで冷静に取り繕おうとしていた仮面を脱ぎ捨て、声を荒げて反論していた。
しかしカイは尚も続ける。クロノの信じる管理局の正義が“偶像に過ぎない”と言うことを突きつけるように――
「違うな。質量兵器だから滅亡するのではない。なら、お前たちの言う魔法は危険ではないのか?
そこまで言うのなら、あのアルカンシェルはなんだ? あれこそ過ぎた力ではないと何故断言できる?」
「……それは、時には正しいことを行うために力も必要となる。だから――」
「そうだ、無力な正義では何もできない。だから、人は力を欲する。
そこまで分かっていながら、お前は何を信じて戦っている」
「それは……」
クロノも何も考えていなかったわけではない。ただ、そう考えてしまうことが怖かったのだ。
管理局の掲げる正義の矛盾には気付いていたが、目を背けることしか出来なかった。
それでも世界を守るためと、最後まで管理局の人間として戦った父の後姿を知っている。
父亡き後も、管理局の法を守るため、世界を守るためにと、尽力してきたリンディの姿をクロノは後ろから見てきた。
だからこそ、ここまで築き上げてきた価値観を否定されることが怖かったのだ。
本当に間違っているとすれば、その理想のために死んでいった人たちはどうなる?
その身を犠牲にして、世界を守ろうとした父親の――クライドの思いはどうなるのだ?
と、クロノは拳を握り締めた。
「ぼくは――!!」
『よしなさい――クロノ!!』
カイに向かって、はじめて抵抗を見せようとしたクロノをリンディが制止する。
二人の間には空間モニタに姿を映した、リンディが立っていた。
「母さん……」
『こちらに抵抗の意思はありません。投降します』
カイに降伏を宣言するリンディを見て、クロノは困惑の表情を浮かべる。
実はアースラにも、デビットの手回しにより各国から軍事ミサイルが向けられていた。
しかし、アースラは管理局の保有する巡航艦だ。その程度の質量兵器でどうにかなるような柔な構造はしていない。
だが、それが切っ掛けとなり、全面戦争にまで発展することをリンディは一番恐れていた。
戦争にまで発展すれば、その関係の修復は難しいものとなる。一度出した矛先を退くことは互いに難しくなるからだ。
ただでさえ管理局と地球の関係は好ましいものと言えない。これ以上致命的な火種が点くことになれば、それはもう取り返しの付かない事態を招くことは容易に想像がつく。
それにクロノの独断や先行は、自身にも大きな責任があるとリンディは考えていた。
我が子可愛さで踏ん切りがつかず、こうなるまでクロノを放って置いたのは自分の責任だとリンディは思う。
本当ならもっと早く、カイに言わせるようなことをするべきではなく、クロノとは自分でちゃんと向き合うべきだったとリンディは後悔していた。
『すみません……あなたには嫌な役目を押し付けてしまいました』
「わたしは言いたいことを言ったに過ぎない。それよりも分かっているのか?」
『はい……覚悟は出来ています』
カイに頭を下げ、リンディはクロノの方を見て僅かに微笑む。
その表情には提督としての立場はなく、泣き叫ぶ子供に見せる優しい母親の表情があった。
「母さん……どうして」
『クロノ、あなたに謝っておくことと、ひとつだけ言っておくことがあるわ。
わたしもクライドも、管理局のために命をかけて戦っていたわけじゃない』
それは我が子に向けた母親としての最初で最後の告白でもあった。
クロノは明らかに戸惑いを見せながらも、リンディのその言葉に耳を傾ける。
母の言葉の重さを、その雰囲気から察していたからだ。
『あなたが大切だから――わたしもクライドも家族を守りたかった。
それが分かっていながら、ごめんなさい……寂しい思いをさせて』
「――――!?」
涙を浮かべ告白するリンディの言葉に、クロノは心がぐちゃぐちゃにかき乱されていた。
カイに向けていたデバイスも手放し、その腕をだらしなく力をなくしたかのように下へと向ける。
――ハラオウンの名を背負って一流の魔導師になる。
――父のように母のように、管理局で平和のために働く。
それはクロノの理想であり、頑なに守り続けてきた志しだった。
――辛くなどない。寂しくなどない。力のある自分には責任と義務がある。
そう自分に言い聞かせ、我武者羅に努力してきたクロノ。
だが、「がんばったね」、「凄いね」といくら周囲から賞賛されようと、心が満たされることは決してなかった。
「ぼくは――ぼくは――!!!」
張り詰めていたものを吐き出すかのように、みっともなくクロノは泣き叫んだ。
大人の中に混じって冷静な判断を下す、いつものクロノの姿はそこにない。年相応の母に甘える少年の姿がそこにはあった。
クロノの手から待機状態のデュランダルが零れ落ちる。
カラン――と音を立て床に転がるそのデバイスは、クロノの心の叫びそのものだったのかも知れない。
「ご苦労さま、全員無事に拘束できたようね」
「これが仕事だ。報酬分は働くさ……それにあの男には借りもある」
細い不可視の糸に拘束された武装局員たちが地面に転がっていた。
それをシーンは見渡しながら、メタリオンから応援に呼んだ男に労いの言葉を掛ける。
しかし素っ気無い態度を示す男を見ると、シーンは苦笑を漏らしていた。
男の名は、元カル=スに仕えた十二人の魔戦将軍の一人、マカパイン・トーニ・シュトラウスと言う。
今は同じく魔戦将軍の仲間だったバ・ソリーとシェラと共にシーラの下に身を寄せていた彼は、今回の話を聞きつけ自分から志願していた。
あのD.S.とウリエルの戦いのあと、血だらけで地面に横たわっていたシェラを手厚く介護したのが、事態の調査に乗り出し現場となったメタ=リカーナの跡地へと駆けつけたシーラだった。
D.S.やガラに救われた恩のあるマカパインは行く当てもなかったこともあり、そのままシーラの世界復興に力を貸すことを決めたのだ。
それにシーラについていけば、いずれD.S.やガラにも会えるだろうと言う思惑も彼の中にはあった。
かつては敵同士だった相手――殺したいほど恨みを抱いたこともあった。
しかしそれほどの恨みを抱いていたにも関わらず、特にD.S.には返しても返しきれない恩がマカパインにはあった。
今回の話を率先して申し出たのにはそうした背景がある。
シーンには素っ気無い返事をしていても、マカパインがD.S.とガラのことを慕っていることは分かっていた。
魔戦将軍の面々とはカイが侍側についたこともあり、浅からぬ因縁がある。
しかし世界が復興を目指し、シーラという柱を支えに一つにまとまろうとしている今――
過去のことをとやかく問うつもりはシーンにもなかった。
鬼道衆、それに侍と魔戦将軍、人類と亜人、いずれも対立をしてきた者同士が手を取り合い一つの理想に向かって歩み始めている。
滅びを経験して、人類は初めて手を取り合うことを学んだのかも知れない。
メタリオンの魔導師が強い理由には、単に力の強さだけではなく、そうした結束力の高さもあったのだろう。
あれほど個性が強い、強力な魔導師、戦士が揃っているにも関わらず、大きな争いもなく一つにまとまっていると言うことは、ある意味で驚きではあった。しかし、そう至るまでに払った犠牲の重さを、彼らは誰よりも理解していたと言える。
「はじまったようだぞ」
「ええ、この星の未来を賭けた戦いが――」
マカパイン、シーンの見上げる先には、強大な魔力を立ち昇らせ対峙するD.S.と闇の書の姿があった。
遠目からも闇の書の力を感じ取り、マカパインはその力の強大さに体が震えるのを感じる。
それはシーンも同じだった。
アムラエルと言う高次元の存在の力を蒐集したことにより、すでに別の固体へと進化の道をたどり始めている闇の書。
その力はメタリオンを滅びへと誘った、天使や悪魔とも決して劣るものではなくなっている。
さながら人工堕天使と言ったところだろうか?
天使と悪魔、双方の脅威を知るマカパインにとって、とても勝てるとは思えない強大な敵だった。
しかし不思議と絶望感はない。それは闇の書と対峙しているD.S.へと向けられた期待からだったのだろう。
「D.S.――あんたならオレたちに出来ないことでも、容易くやってのけてしまうんだろうな。
本当に、なんでもないような顔をして――」
先程まで素っ気無い返事ばかりを返していたマカパインが、D.S.のことを話しながらシーンの前で僅かに笑みを零した。
D.S.のあの絶大な力が、想像も絶するほどの覚悟の上に築かれた物だと言うことをマカパインは知っている。
それでも自分たちはD.S.に頼るしかない。力を持たないと言うことは、それほどに無力だと言うことも理解していた。
だが、そのことでD.S.が弱みを見せることはない。不平不満で喚くこともしない。
いつでも「しゃーねーな」の一言で、あの男がすべてを守ってしまうと言うことを、D.S.を慕う者たち全員が知っていた。
「人間よ。その矮小な身で何を思う? 生への執着か? 死への恐怖か?」
「はんっ! 神にでもなったつもりか、テメエは!?」
闇の書に向かってD.S.は悪態を吐く。
そのD.S.の行動になんの感慨も湧かないのか、闇の書は無表情のままD.S.を見つめていた。
「主は永久の闇の中、眠ることを望まれた。争いのある現実に絶望されたのだ。
我は主の望みを叶えるため、すべてに闇を――破滅をもたらす」
闇の書は天に向かって手を掲げると、頭上に黒く巨大な球体を魔力で生み出した。
その闇の書の反応を見て、つまらなそうにD.S.は舌打ちをする。
「それが余計なお世話だってのがわかんねーのか?
そいつは、テメエが勝手に決めることじゃねぇ!!」
D.S.の手に装着された腕輪型のデバイスが、主の声に反応して産声を上げる。
時の庭園から送られてくる膨大な魔力が、デバイスを通じD.S.へと注がれていき、急激にD.S.の身体を成長させていった。
二メートル近い体躯に腰まで伸びた長い銀髪、無駄な贅肉などない整った筋肉は女性であれば目のやり場に困るだろう。
D.S.の身体を覆うBJは鎧と言うよりは、様々な儀式的紋様が彫られた軽装だった。
漆黒をベースにした色合いに銀色の金具が添えられ、それに赤茶の皮のベルトが交錯する様に腹部から脚部へと巻きついている。
胸元ははだけ上半身は半裸状態で、余程身体に自信があるのか、その肉体美を相手に見せ付けているようでもあった。
D.S.らしいと言えば、それまでの格好ではある。
久しぶりの戻った身体を確かめるようにD.S.はその手を動かし、何度か拳を握り返す。
全盛期とまで行かないまでも回復した魔力をその身で感じ、D.S.は狡猾な笑みを浮かべていた。
闇の書はそのD.S.の異常な魔力を感じながらも、変わらずその無機質な表情を貫いていた。
「闇に染まれ――」
闇の書が呪文を口にすると共に、その黒い球体は急激に膨張し、周囲へと広がって行く。
そのまま棒立ち状態だったD.S.は、直撃を受け闇に飲み込まれる。
そして周囲へと広がっていく闇の衝撃――それは市街全域を覆い尽くすように広がって行った。
「あぶなかった……アリサ、ガラ、大丈夫?」
「まあ、なんとか……」
「すまねえな、助かったぜ」
「まったく、追加で翠屋のケーキもよろしくね」
アムラエルは後ろで身を低くするガラとアリサの二人に声を掛けながらも、ちゃっかりとガラとの約束にケーキを追加する。
そのガラの両脇には、気絶したままのアリアとロッテが抱えられていた。
あの後、アリシアとすずかを探していたアムラエルとアリサは、無事にガラたちと合流することは出来た。
しかし合流したはいいが、予想の斜め上を行く急展開に二人は状況を上手く飲み込めなかった。
しかも何もよく分からないまま闇の書の放った広域攻撃魔法に巻き込まれ、アムラエルが防御結界を張らなかったら、全員が危うく巻き込まれていたところだった。
「――アムちゃん、アリサちゃん」
「なのは、それにフェイトも――とりあえずそっちも無事だったみたいね」
「ちょっと、アリシアとすずかは大丈夫なの?」
なのはがアムラエルたちに気付き、その頭上から声を掛けた。
なのはとフェイトの二人も、気絶したままのアリシアとすずかの二人を背負ったままだった。
なのはとフェイトが背負う二人に気付き、その身を心配するアリサだったが、「気を失ってるだけだから心配ないよ」とフェイトに言われると、ほっと胸を撫で下ろした。
「でも、何がどうなってんのよ?」
「その説明は後で、とにかく出来るだけここから離れよう」
「――ルーシェは!?」
アリサは状況が分からず声を上げるが、急いで避難しようと言うなのはの言葉でD.S.がいないことに気付く。
そんなルーシェを探すアリサの返事を聞いて、なのはは黙ってD.S.のいる方に視線をやった。
同じようにその方角を見るアリサの視線の先には、先程の魔法の直撃を食らいながらも五体満足で立つD.S.の姿があった。
成長した姿のD.S.を見るのは初めてだったアリサは、思わず大口を開けて呆けてしまう。
「あれが……ルーシェなの?」
「そっか――“アレ”を使ったんだ」
「“アレ”って?」
D.S.の姿を見て信じられないのか疑問の声を上げるアリサと違い、今のD.S.の姿を見てアムラエルは納得が行ったかのような発言をする。
アムラエルの言った“アレ”とはD.S.の専用試作型デバイス『ルシファー』のことだった。
かつて竜戦士と称えられた伝説の機神と同じ名前――
ウリエルとの戦いで機体は失われはしたが、その名前だけは再びD.S.の愛機として蘇えった。
まだ制限は多くあるが、一時的にせよ当時のD.S.に近い魔力をあれで取り戻すことが出来るようになった――
と、アムラエルはアリサたちに説明する。
「ああなったらD.S.は負けないよ。ねっ、ガラ」
「まあ……やり過ぎなきゃいいがな」
当時とは何時頃のことを言っているのだと、ガラはアムラエルの説明を聞いて、内心ではかなり焦っていた。
ウリエルと戦っていた頃のD.S.の力でここで暴れられることを考えれば、まだアルカンシェルの方が幾分かマシなように思える。
仮にも天使の力を取り込み、人工堕天使と化している闇の書だ。
ぶち切れたD.S.が、ジューダスペインの力を使わないとも限らないではないか――と考えていた。
「ああ……どうなってもしらねーぞ……」
ガラのその投げやりな言葉は、少女たちの不安を大きく煽っていた。
……TO BE CONTINUED