作者:193
2009/01/22(木) 13:20公開
ID:4Sv5khNiT3.
衝突する極限と極限の力――
一人の魔導師が保有する魔力とはとても思えない力を振るい、D.S.はその強大な闇と戦っていた。
伝説とまで言われた最強の大魔導王。数千に及ぶ秘術、魔法を用い、その魔力はまさに無限。
目の前で繰り広げられる戦いは、人の身であれば決して到達することなど叶わぬであろう“次元を超えた存在”の衝突だった。
「綺麗……」
思わずなのははその戦いを見て、そんな言葉を口から漏らす。
衝突する両者の魔力は目映い光を放ち、暗く闇に染まった空を明るく照らし出していた。
本当に瞬くほどの一瞬――両者は互いに張り巡らされた防御障壁を打ち破るために、人智を超えた演算速度と高度な術式を持って相手の障壁を侵食、破壊していく。
その一撃一撃が普通であれば絶命に至るほどの破壊力を秘めていることは、なのはだけでなく、そこにいる誰もが感じ取れた。
あの戦いに“非殺傷設定”や"殺さず”など、そんな躊躇いは一切存在しない。
あるのは“生と死”だけ――本当の命を賭けた戦いを前にし、身体が震えるのを少女たちは感じていた。
「……あんにゃろ、何考えてやがる」
「ガラも気付いた? D.S.何故か手加減してる」
「「「……え?」」」
あれほど凄い戦いを繰り広げていると言うのに、あれで「手加減している」と言うガラとアムラエルの言葉に、なのは、フェイト、アリサの三人は驚いた。
アムラエルはD.S.が無詠唱で魔法を使っていることから、ジューダスペイン(ユダの痛み)を使っているのではないかと考えた。
しかし、それでも姿を変貌させるほどの全力での戦闘ではない。
ジューダスペインの平行励起――
六人の悪魔王から奪ったジューダスペイン。
そして自身がもつ魔力の源『夢幻の心臓(セイクリッド・ハート)』に宿るジューダスペイン。
合計七つのジューダスペインを同時に発動させることにより、D.S.は天使も悪魔も超えた存在『魔神人(マジン)』となることが出来る。
こうなったD.S.は文字通り人ではなく、悪魔でもなく、別の存在へと昇華する。
その姿を大きく変貌させて――
しかし、目の前のD.S.の姿は人のままだった。
おそらく七大励起による発現ではなく、自身の魔力の源となっている『夢幻の心臓』から魔力のみを取り出しているのだと予想できたが、何故そんな回りくどいことをするのかとアムラエルは思った。
ガラもD.S.なら周囲のことなど考えずに、極大魔法で一瞬で倒してしまうであろうと考えていただけに、その行動の裏が読めない。
まるで何かを気にしているかのように様子を探りながら戦うD.S.を見て、二人は怪訝な表情を浮かべていた。
「あの……多分だけど、はやてちゃんのことを気にしてるんじゃないかな?
闇の書さんが覚醒したってことは、はやてちゃんはあの子の中にいるんだよね?」
「…………」
なのはが「それほど不思議でもないような?」と疑問を浮かべるが、ガラは胡散臭そうな顔をする。
確かに考えてないこともないだろうが、リーゼ姉妹のことで頭に血が上っているD.S.が、そこまで考えているかと問われればガラには自信がなかった。
昔のD.S.のことをよく知っているガラだから言えるが、D.S.は敵と判断した相手にはとことん容赦がない。
しかも理由はどうあれ、守護騎士たちはD.S.が大切にするものに手を出した。
知らなかったとは言え、そのことではやてを素直にD.S.が許すとは考えにくかった。
「ダーシュは優しいから……」
なのはに続いてそう言うフェイトの言葉に、ガラは益々胡散臭そうな表情をする。
「あいつが優しいね……」
「まあ、そう言うことにしておく方が平和だと思うよ」
ほとんど投げやりなアムラエルの言葉を聞いて、ガラは「はあ……」と溜め息を吐いた。
この少女たちの純真さを見ると、確かにD.S.は以前と比べて随分と丸くなったのかも知れないとガラは思うことにした。
次元を超えし魔人 第25話『祝福の風』(AS編)
作者 193
戦場は海上へと移っていた。
D.S.の魔法によって押し出された闇の書が市街から外れ、海鳴臨海公園の上空を横切る。
エグ・ゾーダス――炎を全身に纏ったそのD.S.の突貫は、闇の書の強固な障壁を意図も簡単に貫き、その両腕を業火に焼いた。
直線状に焼かれた空は紅い炎の道筋を作り、暗く染まった空を照らし出す。
「ハハハ――死ね! 死ね!! 死んじまえ!!」
「ぐ――っ!!!」
――先程までの攻防は一体なんなのか?
と思わせるほどの突貫力で容易く障壁を貫いてくるD.S.の魔法に、闇の書は焦りを見せていた。
いや、はじめての“恐怖”を感じていたと言ってよいかもしれない。
戦い始めて僅か数分。しかし、その数分でD.S.の桁違いの魔力に圧倒されている自分に気付かされる。
闇の書は新たな力を手にすることで、人の考え、経験を理解し、その精神も大きく進化を遂げていた。
そして、はじめて知った感情――それは絶対な強者への“恐怖”だった。
物であったはずの自分が死ぬことを、この目の前の“ひとりの魔導師”を恐れている事実に恐怖する。
――あ……りがと……
途切れ途切れに聞こえる少女の声。それは、闇の書に取り込まれたはやての心の叫びだった。
D.S.はその声を耳にし、エグ・ゾーダスを急停止させる。
ブスブスと音を放ちながら、D.S.の魔法が収まると身体を復元しはじめる闇の書。
だが、その様子は先程までと違っていた。
「…………」
黙って観察するように見てくるD.S.に対し、闇の書は距離を取って身構える。
それは恐怖からくる行動だった。
はじめて自分を圧倒する存在と対峙し、闇の書は“確かに”身も震える恐怖を感じていた。
「D.S.の動きが止まった……」
氷結地獄(コキュートス)の永久氷海を大融解させた灼熱魔法――エグ・ゾーダス。
アムラエルは、あの一撃で決まったと思っていた。それはそこにいる誰もが同じ考えだっただろう。
しかし、D.S.はその手を緩めた。
「やっぱりルーシェくん、はやてちゃんのことを――」
なのはの言葉通りなのだとしたら確かに辻褄は合うが、だが「どうやって?」とアムラエルは思う。
はやてはすでに闇の書の一部となっている。あの状態はかつての自分と似たような状態だとアムラエルは考えた。
主従の関係と言う中、長い年月をかけて霊子レベルで繋がった闇の書とはやての関係だ。
それがより強い結びつきを果たし、肥大化した力は、はやての保有する管理者権限からも大きく超えた力となっている。
はやての存在は闇の書にとって、暴走しないためのバランスを維持する“核の役割”を果たしているに過ぎないと言うのが現状だろう。
「まさか……」
アムラエルがD.S.の考えを悟った瞬間――
闇の書が、その身に潜ませていた闇を解き放った。敵わないならその力を取り込んでしまえばいい。
そうと言わんばかりに闇を広げ、D.S.の逃げ場を封じるように海鳴市全域へとその空間を広げていく。
「みんな――っ!! 手を――」
アムラエルの声も空しく、闇に飲み込まれていく人々。
その場にいた全員が海鳴市ごと、闇へと姿を消していった。
少女は夢を見る。優しい家族。はじめて出来た友達。
その温かい日々を――
「お眠り下さい。そうすれば夢の中、永遠にその安らかな日々を過ごせるのです」
闇の書の本当の意思――
面に出た殺戮と破壊のみを繰り返す防御プログラムと違い、主のことを想い涙する“闇の書の意思”がそこにあった。
すでに闇の書は覚醒の段階から、はやての意思、そして闇の書の管制人格からも離れた、独自の行動を取っていた。
予期せぬ防御プログラムの自己進化。
かつての“本当の名前”を見失い、闇の書として人々に恐れられて過ごした気の遠くなるような年月。
同じように繰り返し見てきたはずの歴史が、ここで大きく違いを見せていた。
人を大きく超えた高次元の存在――天使。
それを蒐集することにより、闇の書は究極の進化を遂げた。
人の手を超え、まさに破壊神へと変貌したその力は、もはや誰にも止めることが出来ない物へと進化している。
「せめて安らかな眠りを――」
このまま「世界は終わってしまうのだろう」と言う予感は、闇の書の意思たる“彼女”にもあった。
主の不遇な生い立ち、そして運命を思えば、主のために何かをしたいと言う思いは彼女の中にもある。
しかし、その力はすでに及ばないことを彼女は知っていた。
唯一出来ることと言えば、この永久の闇の中――主に幸せで穏やかな夢を見せることのみ。
彼女は両頬を濡らす涙に気付き、その手で拭おうとする。だが、溢れ出る涙は止まらなかった。
悔しかったのだろう。どうすることも出来ない自分の無力さが――
こんなことは何度も経験してきたはずなのに、その痛みには決して慣れることがなかった。
「――けど、それは夢や」
「主……はやて」
暗示を自分の意思で解き、悲しげな笑顔を向けるはやての姿があった。
闇の書の意思である彼女は、その予期せぬ主の目覚めに困惑の表情を浮かべる。
「寝てる間に、みんなのことを色々と見せてもろたから、大体のことは理解してるよ」
「主――わたしはっ!!」
はやてはそっと彼女の頬に手をやり、その涙に濡れた肌を優しく撫でる。
眠りながら知ることが出来た闇の書が見てきた歴史――そして守護騎士たち、彼女の苦悩。
それを知ったはやては、彼女を責める気にはなれなかった。
必ず訪れるであろう災厄。そして主の死や別れを経験しながら、どうすることも出来ない運命の中で傍観者となるしかない彼女の辛さ、寂しさを想像することは恐らく誰にも出来ないだろう。
いつも彼女が目覚めるのは闇の書が完成した後――
そうなってしまえば、力を暴走させ止まるまで破壊に走るか、自滅するかしか道は残されていない。
この闇の中、そのどうすることも出来ない焦燥感を、彼女は何度も経験してきた。
前回も、その前も、ずっと以前から……ずっとずっと……
そして今回も――
「寂しかったんやね。辛かったんやね。でも、もうわたしがそんな思いさせへん。
あんたをひとりになんて絶対にさせへん」
「無理です……もう、闇の書の暴走は止まりません。
自己進化した防御プログラムは、かつてない破壊と破滅を世界にもたらすでしょう」
悲痛な表情を浮かべる彼女に、はやては難しい顔をする。
防御プログラムが活動している限り、はやての管理者権限が効力を発揮することはない。
しかしすでに究極の進化を遂げた防御プログラムを破壊することは、人の身では難しい。
腕を組んで「どうしようか?」と必死に考え込むはやてを見て、彼女は不思議に思っていた。
それは、そのことを聞いても、はやてが諦めていない事実に気付いかされたからだ。
絶望的とも取れる状況。すでに考えられる手段は考えつくしたと言ってもいい。
それに今までと違い、防御プログラムは取り込んだアムラエルの力を使って、今までにない進化を遂げている。
この状況で希望を失わない、はやての行動が彼女は理解できなかった。
「今までと違うってことは、希望があるってことや。だから諦めたらあかん」
そんな考えは彼女にはなかった。状況は悪い方、悪い方へと向いているようにしか思えない。
しかし、はやては諦めていなかった。
――必ずみんな一緒に帰る。
それがはやての願いであり、意思だったからだ。
守護騎士たちが夢見た、主と過ごす穏やかな日常。
そんな夢をまた抱かせてくれるはやての言葉に、いつしか彼女は暗く沈んだ表情から、僅かに日の差した明るい表情を浮かべていた。
「ほんと……無茶苦茶してくれるもんね」
「「え……?」」
そこに居るはずのない少女の声――
それを耳にして振り返る二人。
そこには、気だるそうな顔をしたアムラエルが立っていた。
「なんで、アムちゃんが!?」
「それはこっちの台詞。ちょっと反省なさい」
「――はうっ!?」
「――んぐっ!?」
二人にデコピンを食らわすアムラエル。
その表情からアムラエルが怒っていると気付いてか、はやては顔を引き攣り、一緒にいた闇の書の意思は主を守ろうと身構えた。
それを一瞥すると、アムラエルは大きく溜め息を吐いて返す。
「これしか方法がないと言っても、まったく人(天使)使いが荒いと言うか……」
「アムちゃん、一体何がどうなって……」
「どうもこうも……助けに来たのよ。半分と言うか思いっきり不意打ちを食らったんだけど……
はやてがいると心優しい(?)ご主人様が思いっきり戦えないらしくてね」
「なんか、自信のない表現やな……」
疑問符を上げながらそう言うアムラエルの言葉に、はやては今ひとつ安心出来ないのか不安な声を漏らした。
このような状況に関わらず、そんな漫才のような話を取り交わす二人。
その間に割って入るように、大きな揺れが起こった。
「――地震!?」
「違います……これはっ!?」
突然の大きな揺れに慌てるはやてを支え、闇の書の意思は崩壊していく空間を見て、その表情を驚愕に歪めていた。
決して叶わないと思っていた現実が、彼女の目の前で起ころうとしていからだ。
外からも内部からも破壊など不可能だと思われていた闇の空間が、何者かの手によって破壊されようとしていた。
「みんな、動きだしたようね」
「……みんな? みんなってなんや!?」
「みんなはみんなよ。バカな友達のことを大切に思うお人好しばかり――
はやてのよく知ってるね」
アムラエルの言葉を聞いて、はやての頭には、なのはたちの姿が過ぎった。
「それに、そのお人好しを放っておけない、ツンデレな男がもう一人」
「ツンデレ……?」
「ほら、行くよ。いつまでもこんなジメジメしたところに引き篭もってたら身体に悪いし」
「引き篭もりって……」
アムラエルの手を取ろうとして、はやては動きを止める。
その視線は闇の書の意思――彼女へと向けられていた。
「アムちゃん……ちょっと待ってくれるかな?」
はやてが何を考えているか察してか、アムラエルは「手早くね」と手を振った。
そんなアムラエルの返事に苦笑を漏らしながらも感謝し、はやては戸惑う彼女に手を差し伸べる。
ここに彼女を残していく気は、はやてにはなかった。
みんな一緒に帰る。それは、はやての願いであり、意思だったからだ。
しかし差し伸べられた手に、彼女は明らかな戸惑いを見せていた。
「ひとりにさせへん。そう言うたやろ」
「しかし、わたしは……」
彼女には、この騒動の原因となった自分が、素直にその手を取っていいのかと言う思いがあった。
はやての大事な人たちを危険に晒し、そして大切な主すら危険に晒してしまっている呪われた魔導書。
それが自分であり、闇の書の本質なのだと考えていたからだ。
はやての手を取ると言うことは、また同じような辛い目に合わせてしまうかも知れない。そんな恐怖が彼女の中にあった。
希望的観測だが、今なら事件に巻き込まれた“哀れな被害者”として、はやてのことは済まされるかも知れない。
しかし自分と一緒にいれば、はやては管理局から追われる立場になり、必ず責任を追及されるだろう。
だからこそ、自分からその手を取って言い出すことが彼女には出来なかった。
「大丈夫や。誰にも呪われた魔導書だとか、闇の書やとか言わせん。
それに、自分だけで全部背負い込もうとせんでいい。これは、わたしの監督不届きでもあるんや」
「ひとつ言っておくけど、自分が身を退けばすべて片付くとか思ってるなら無駄よ。
あんたが出て来なかったら、結局はやて一人が責められることになるんだから」
はやて、それにアムラエルに責められ、彼女は観念したかのような表情を見せる。
そんな彼女の姿を見て、アムラエルは「やれやれ」と言った表情を浮かべていた。
結局、誰もが不器用なだけなのだろう。
大切な人を守りたくて、幸せになって欲しくて、そして大切な人と出来れば一緒にいたくて――
しかしそんなことを考えれば考えるほど、自己犠牲なんてバカなことを考える。
過ぎたことを、これ以上責めるつもりはアムラエルにはなかった。
反省していると言うのなら、そんな悲壮感漂う言葉ではなく、もっとはやてのためになる現実的な謝罪が欲しかった。
「闇の書とか、そんなんやない。
名前を――これから一緒に歩いていく貴方に名前をあげる」
はやてはアムラエルに「ありがとう」と言うと、彼女の手を取りそんなことを口にする。
呪われた魔導書などではない。
彼女だけの名前。失われた名前『夜天の魔道書』――そしてそれに連なる者。
夜空に輝く星のように、人々に願いを、祝福をもたらす聖なる名前――
「祝福の風――リインフォース」
その名をはやてが口にした瞬間――
闇に染まっていた世界が、白い光に包まれた。
「バルディッシュ、行くよ!!」
闇に佇みながら、フェイトは愛機に語りかける。
それは――闇を払う閃光。
「レイジングハート、撃ち抜いて!!」
なのはのレイジングハートが光を放つ。
それは――闇を照らす一条の矢。
「エクセリオン――」
「疾風迅雷――」
闇が、内側から破壊される。
それは夢と現実の境界を破る、少女たちの思いの強さだった。
「闇が……割れていく」
広がる闇の侵食を食い止めようと、外から広域結界の強化を行っていたユーノが、驚きからそんな声を漏らす。
同じく結界強化に協力していたアルフも驚きを隠せなかった。
突然広がった闇の侵食――それは瞬く間に結界の中を闇の世界へと包み込んだ。
だが、次の瞬間起こったのは世界の滅亡でも、更なる侵食でもない。
目映いばかりの光――黒を白へと塗りつぶしていくその光を前にし、二人はその手を止めて魅入っていた。
「これは……」
クロノもまた、その神秘的な光景に魅入られていた。
武装局員、そしてカイやシーン、マカパイン。
敵味方問わず、そこにいる全員の周りに、いつの間にか闇に飲み込まれないよう結界が張り巡らされていたことに気付く。
圧倒的でありながら、どこか温かく包み込まれるような感覚。
この結界を生み出した人物が誰であるかを、本能的にクロノは察していた。
「嫌か? 恐れていたはずの相手に助けられることが」
「分かりません……でも、嫌な感じはしません」
あれほど危険と感じていた男――D.S.に助けられながらも、クロノは不思議と嫌悪感が沸いてこないことに驚いていた。
はじめてD.S.と対峙したときから彼に感じていたこと――
クロノはあれほどの力を持ちながら、何故その力を正しいことに使わないのだとD.S.に嫉妬していた。
あれだけの力があれば、たくさんの犯罪者を捕まえ、多くの人々の命を救えるはずだ。
――にも関わらず、自分勝手にその力を振るうD.S.のことを嫌悪していた。
だが、正邪関係なく、こうして誰もを救おうとするD.S.の行動を目にして、クロノは分からなくなっていた。
これも気まぐれなのか、それともこれがD.S.の真意なのかクロノには分からない。
しかし、D.S.のことを一概に悪だと、危険だと断罪する気にはすでになれないでいた。
「彼はずっと救ってきたわ。たくさんの人を、たくさんの命を――」
「しかし、それと同じくらい多くの命も奪ってきた。
魔導王として恐れられてきた顔。そして人類の希望として望まれた顔。
相反する二つの顔を持つ男――それがD.S.だ」
シーンとカイの話を聞いて、余計にD.S.のことが分からなくなるクロノ。
そんな困惑の表情を浮かべるクロノに、マカパインは呆れた様子で声を掛ける。
「D.S.のことを深く考えればバカを見る」
「え……」
「ただ一つ言えることがあるとすれば、それは――」
困惑するクロノに掛けられたマカパインの言葉。
それはD.S.と言う男に同じように振り回されてきたマカパインだからこそ、答えられた言葉だったのだろう。
可笑しそうに「――――」と口にするマカパイン。
その声は周囲の音に掻き消され、クロノの耳以外には届くことがはなかった。
――白く染まった世界。
徐々に晴れていく光の中から最初に姿を見せたのは、なのはとフェイトの二人だった。
現実世界に戻ったことに気付いた二人は、慌てて周囲へと意識を配る。
アリサにすずか、それにアムラエルたちの姿を探して辺りを見渡した。
「居た――なのは、あそこ」
ビルの屋上にガラ、それにアリサ、すずか、リーゼ姉妹を見つけたフェイトは声を上げる。
フェイトの言葉で仲間の無事を確認したなのはは安堵の息を吐き、胸を撫で下ろした。
「フェイトちゃん……あれ」
胸を撫で下ろし、下へと視線を向けた先――
なのははまずいものを見つけたような表情を浮かべ、フェイトに声をかけた。
なのはの震える手が指し示す先、そこにある“異形の何か”を目にしたフェイトも思わず顔を引き攣る。
「あれって……」
まるで巨大な卵のように、海に浮かぶ黒い楕円形の球体。
それが先程までD.S.が戦っていた闇の書の防衛プログラムだと言うことは、すぐにフェイトにも分かった。
しかし先程まで感じていた人間らしさなど、そこには微塵の欠片もない。
まさに異形の怪物。その誕生を待つ、繭のような印象を受ける。
「切り離された防御プログラム。はやてと言う支えをなくしたなれの果てよ」
「アムちゃん!?」
「――アム!?」
二人の方を見て「よくやったね。お疲れ様」と声を掛けるアムラエル。
先程の攻撃のことを言っているのだろうと分かり、二人は思わず笑顔になる。
アムラエルに戦いのことで褒められるのは珍しいことだったので、二人は素直に嬉しかった。
しかし嬉しさも束の間、アムラエルを見て、なのはは周囲をキョロキョロと見渡していた。
一緒にいると思っていた人物の姿が見えなかったからだ。
「アムちゃん、はやてちゃんは? それにルーシェくんも」
「ああ、はやてなら――」
そう言って、更に上空を見るアムラエル。
その視線につられ同じ方向を向くなのはとフェイトの視線の先には、銀色の光に身を包んだはやてと、その周囲を漂うように浮かぶ四つのリンカーコアの姿があった。
「守護騎士プログラム再起動――」
はやてが命令すると、新たな名を授けられし夜天の魔導書――
その管制人格『リインフォース』が、肯定の意思を表示する。
展開される魔方陣――そしてそこから生み出される四つの命。
主を守る屈強の守護騎士。
――鉄槌の騎士ヴィータ。
――湖の騎士シャマル。
――盾の守護獣ザフィーラ。
――そして、守護騎士たちを統べる烈火の将シグナム。
再構築された肉体を手にし、蘇えった四人を無言で静かに見渡しながら、はやては笑顔を浮かべた。
「リインフォース、わたしの騎士甲冑を」
はやての言葉に呼応し、背に現れるリインフォースと同じ三対六枚の羽。
甲冑と言うよりは装飾煌びやかな白いローブをその身にまとい、デバイスと思わしき剣十字の杖を手にしていた。
歴代の闇の書の主が遂に叶えることが出来なかった夢の体現。
闇の書の支配を乗り越え、悠然と立つベルカの騎士の姿があった。
「はやて……」
「はやてちゃん……」
「…………」
「主、はやて……」
ヴィータ、シャマル、ザフィーラ、それにシグナムまでも暗い表情をして、はやてと目を合わせようとしない。
はやてはそのことに気付き、苦笑を漏らしていた。
四人は、はやてとの約束を破り、黙って蒐集行為をしていたことを負い目に感じていた。
そればかりか、それが原因ではやてを更に危険に晒し、その友人までも巻き込んでしまったことに罪悪感を感じていた。
そのためか、会わせる顔がないとすら思っていたのだろう。
守護騎士たちの表情が曇っている原因を察したはやては、四人にアムラエルにされたようにデコピンをして見せる。
「「「「……???」」」」
突然の奇怪なはやての行動に、叩かれた額を抑えながら疑問符と困惑の表情を浮かべる守護騎士たち。
だが、はやてはそんな四人に「今はこれでおしまい。帰ったら、一緒にちゃんと罰を受けよな」と、そう言って聞かせた。
また手を差し伸べてくれるはやての温もりに触れ、涙を浮かべる守護騎士たち。
だが、そんな感動の再会も、肥大化した闇の書の防衛プログラムは待ってくれない。
「まずはこの子をなんとかせな」
はやてに付き添い、その言葉に頷く四人。
はやてと共にあるリインフォースもまた、はやての言葉に頷いて返す。
リインフォースは古代ベルカの遺産とも言える、貴重なユニゾンデバイスとしての機能を持っていた。
主やその守護騎士たちと融合することにより、身体能力、潜在魔力を飛躍的に高め、術者の魔力の制御と管制を手助けする。
インテリジェントデバイスを更に突き詰めた機能を持ち、他のデバイスを遥かに凌ぐ強力な魔力や感応速度を得られる反面、適合しなければ術者その者を乗っ取り危険に晒してしまう――『融合事故』を誘発してしまうとして、現在では開発も進められていない。
そのため、管理局全体でも稼動しているユニゾンデバイスと言うものは、あまり確認されていないと言うのが現状だった。
古代ベルカの時代から現存しているユニゾンデバイスとなれば、その価値は計り知れないものであると言っていい。
まさにロストロギア級のデバイス。それがリインフォースの真価であり、能力だった。
はやてはそんなリインフォースに認められた、古きベルカの騎士の力を受け継ぐ正当な後継者。
覚醒したばかりとはいえ、内包する魔力はなのはとフェイトの二人すら大きく上回っていた。
しかし、そんなはやてから見ても、今の切り離された闇の書の力は“圧倒的”と言ってもいい。
D.S.の機転、アムラエル、それになのは、フェイトの協力で管理者権限を取り戻し、防御プログラムとの切り離しには成功したとは言え、彼我の戦力差は圧倒的だった。
蒐集した闇の書の魔力は、そのほとんどが防御プログラムにもっていかれている為、自分や守護騎士たちの力を結集したところで通用するとは思えない。
今にも殻を破って現れようとしている防御プログラムを前に、はやては対策を考えて頭を悩ませていた。
「はやてちゃん――」
「はやて――」
そんな、はやての耳になのはとフェイト、二人の声が届く。
笑顔で「無事でよかった」と言う二人を前にして、硬い表情を崩し、自然とはやては笑顔になっていた。
守護騎士たちに「ひとりじゃない」と怒っておいて、自分はまた何を一人で考え込んでいたのかとはやては思う。
ここにはこんなに頼もしい友達がいることを、はやては忘れかけていた。
「なのはちゃん、フェイトちゃん――それにアムちゃん。力を貸してくれるか?」
「うん、それはもちろん。でも……」
「……でも?」
だから恥ずかしがらず、その頼もしい友達に頼ろうと声を掛けたはやてだったが――
返って来た返事は曖昧で、意外なものだった。
言い難そうに言葉を言いよどむフェイトに、はやては怪訝な表情を向ける。
フェイトが言い難そうにしていることに気付き、時間もあまり残されていないこともあって、アムラエルが割って入った。
「D.S.が、まだあの中にいるのよ」
「……へ?」
アムラエルからD.S.がまだ中にいると聞かされ、はやては目を丸くする。
「D.S.って……ルーシェくんやんな? なんで、そんな……」
「なんか考えがあるみたいよ。闇に飲まれる瞬間、『任せた』なんて念話を送ってくるくらいだし。
もっとも、こっちはすでにそんな余裕はなくなってきてるんだけど――」
はやてが困惑するのも無理はない。
闇の書や守護騎士たちが見聞きしてきたことは、ある程度情報としてはやても理解していた。
だからこそ、D.S.の力は知っているつもりではいた。
なのは、フェイト、アムラエルの力を期待していたのも事実だが、D.S.の助けがあることも心のどこかで期待していたのだ。
それが脱出しないで、まだあの闇の中にいると聞かされ、はやては明らかな動揺を見せる。
――ドクン。
闇が心臓のように脈打つ。
しかし動揺する時間も、考える時間も少女たちにはなかった。
大気が振動するのを感じ、爆発的に増した魔力を前に思わず身構える一同。
今、まさに防衛プログラムがその進化した姿を見せようとしていた。
「ダーシュ……」
「大丈夫よ。なんか考えがあるんだろうし、D.S.はこのくらいで死なないよ」
心配するフェイトを安心させようとアムラエルはそんなことを言う。
しかし、これは本心でもあった。D.S.のことを気にして、手加減している余裕は自分達にはない。
間違いなく目の前にいる闇の書の力は第五位、いや貪欲なまでに魔力を取り込み肥大化したその力は、第四位の天使と比べても遜色ないほどに大きいものだった。
あの卵のような形状も、周囲の魔力素を体内に効率よく取り込むための準備のようなものなのだろう――
と、アムラエルは思う。
「みんな聞いて、残念だけどわたしたちの力じゃ、あいつは倒せない」
それは予想でもなんでもなく確定した事実だった。
卵から漏れ出る魔力の大きさだけで身が震えるのを感じ、全員が黙ってアムラエルの言葉に耳を傾ける。
「一瞬でいい。全員で、あいつの呪圏を撃ち抜いて――」
そうすればきっとD.S.が気付き、なんとかしてくれる――アムラエルはそう全員に話す。
まさに“神頼みもといD.S.頼み”と言ってもよい手だったが、それは彼女達が取れる唯一の手段でもあった。
「全力全開――分かりやすいでしょ」
なのはが真っ先に「うん」とアムラエルに答える。
それに続くように、フェイト、はやて、それにシグナムたち守護騎士たちも頷いていた。
「ガラ、あんた行かなくていいの?」
「あ〜、パスだ。オレ向きの仕事じゃねーしな。
それに嬢ちゃんたちのお守りもある」
面倒臭そうにそう答えるガラに「お守りって何よ」と明らかに不快感を顕にするアリサ。
ビルの屋上から見える沖合い、海上に浮かぶ黒い球体を目にしながらも、アリサは不思議と絶望感がなかった。
こんな現実離れした状況。
普通なら、「世界の終わりだ」と泣き叫んでいてもおかしくない状況で、自然と落ち着いている自分の方を不思議に思う。
だが次の瞬間、真っ先に浮かんだ顔――
それでD.S.のことを考えているからだと気づかされ、アリサは頬を赤らめていた。
「ん? 嬢ちゃん風邪か?」
「ち、違うわよ!! しかし、よく寝てるわね。この状況で……」
ガラに乱暴に荷物扱いされ、目を回して気絶しているリーゼ姉妹はともかく――
気持ち良さそうに眠るアリシア、すずかの二人を見て、アリサは目を細める。
凄く気持ち良さそうに眠る二人を見ると、アリサはこんな状況で気苦労している自分がアホらしく思えてならなかった。
「嬢ちゃんは怖くねーのか?」
「ないわよ。ルーシェやアムたちが負けるはずがないもの」
「ほう……」
こんな状況できっぱりとそう断言するアリサを見て、ガラは面白そうな顔をする。
アリサのその言葉に揺らぎは一切なかった。
心の底からD.S.やアムラエルのことを信頼しているのだと言うことが、その言葉からも感じ取れる。
「はじまるようだぜ」
その黒色の殻を破り、姿を現す破壊神。
防御プログラムの究極の進化形態。
「おお、こいつはすげーな」
小さな島ほどはあろうかと言う巨大な姿を目にし、ガラは子供のように目を輝かせ興奮していた。
様々な伝説上の生き物を取ってつけたかのような醜い異形の姿。
それは、はやてと言う核。リインフォースと言う管制人格を失った闇の書のなれの果ての姿だった。
肥大化した力を自分で抑え切れていないことが、その統一性のない姿からも見て取れる。
「みんな、頑張って――」
アリサの願いは海上で戦う仲間へと向けられる。
長きに渡り、人々に絶望と恐怖を与え続けてきたロストロギア『闇の書』。
その最後の瞬間が、刻一刻と迫ろうとしていた。
……TO BE CONTINUED