作者:193
2009/01/30(金) 15:54公開
ID:4Sv5khNiT3.
聖王教会――
先史文明から続く古いベルカの歴史と力を継承する彼らは、“聖王”と呼ばれるベルカの王を崇拝し祭り上げている。
ベルカの王権は旧暦462年に起こった大規模次元震により、古代ベルカをはじめとした近隣世界諸共、完全に崩壊したとされているが、今もまだベルカの歴史を後世に伝えていこうと、残された僅かな人々は聖王教会を立ち上げ、今は亡き王を崇拝していた。
しかしその勢力は王権を確立していた頃とは比べるまでもなく、今では同じくしてその魔法体系を二分していたミッドチルダ、その最たる“時空管理局”の後ろ盾なくして存続が出来ないほどに廃(すた)り果てていた。
表向きは連立した協力関係を取ってはいるが、すでに実質的な力では管理局に頼り切りになっていると言う背景がある。
しかし、管理局側もベルカをそのまま見捨てるよりは、聖王教会を取り込むことでメリットがあった。
彼らが秘匿する先史文明からずっと伝承され続けてきたベルカの古い知識。そして、次元世界に広く根を張っていた彼らベルカの民は、勢力が衰えた今も亡き王を神格化し多くの人々の支持を集めている。
次元世界の恒久平和を訴える管理局にとって、彼らを取り込むことは管理世界の住人の支持を集めると言う意味でも格好の材料だった。
聖王教会の思惑。そして管理局の思惑。
その両者の考えが一つになり、今や聖王教会は次元世界共通の国教のような立場を確かなものとして確立していた。
「カリム、本気ですか? あそこは例の事件でも話題となった魔導師がいる世界なのですよ?」
「シャッハ、わたしは本気よ。今の教会は残念ながら正当なベルカの力を受け継ぐものが少ない。
かつては英傑と称えられた騎士の力も衰え、今では極僅かな者しかその力を伝えられるものはいなくなってしまった」
長い金髪が美しい、重厚な部屋の作りに負けないほど強い存在感を放つその少女は、カリム・グラシアと言った。
厳重に秘匿されるほどの希少なレアスキルを持ち、古代ベルカ式魔法の正統な後継者である彼女は、十も半ばと言う若き年齢で聖王教会の騎士の称号と高い発言力を有していた。
現在の聖王教会の要になっていると言っても過言ではないこの少女のことは、管理局でも軽視できない存在として認知されている。
そんな彼女が、ベルカの未来を危惧していたのには理由があった。
古代ベルカの崩壊により、騎士と呼ばれるベルカ式魔法の使い手は大きく減少し、今では正統な古きベルカの魔法を受け継ぐものは極僅かとなってしまった。
近年では近代ベルカ式と呼ばれる新しい魔法が流行しているが、それはミッド式魔法をベースに擬似的にベルカの魔法を再現した模倣品に過ぎない。
もちろん、それがいけないと言うことではない。
近代ベルカ式には古代ベルカ式にはない柔軟性があり、近接戦闘に特化している点は従来と差はないが、ミッド式魔法がベースとなっているだけあって相性もよく、ミッドにベルカ、両方の術式を併用する魔導師も増えた。
だがそのことにより、益々扱い辛いイメージのある古代ベルカ式魔法は、衰退の一途を余儀なくされていた。
だからと言って聖王教会で古代ベルカ式魔法の教鞭を取れるほどの使い手も少なく、このままでいけば近い未来、完全に古代ベルカ式魔法を伝える者はいなくなってしまうことは明白だった。
そのことを彼女は危惧していたに違いない。それは彼女に苦言を漏らしたシャッハとて分かっていた。
シャッハ・ヌエラ。聖王教会に所属する修道女で、先程述べた近代ベルカ式の一流の使い手でもある。
カリムの良き姉として友として、そして部下として、彼女の秘書として補佐的な仕事をこなしていた。
その優れた戦闘能力から、カリム、そしてカリムの義弟にあたるヴェロッサという少年の護衛も兼ねており、二人もまた彼女に強い信頼感を寄せていた。
その護衛の立場から言わせて貰えば、シャッハはカリムの考えに快く賛同出来なかった。
カリムは八神家の住人、はやて、それに守護騎士たちの力に目をつけ、聖王教会に引き込めないかと考えていたからだ。
彼女たちはカリムや聖王教会が望むように古代ベルカ式魔法の正統な使い手で、四人の騎士たちに至っては古代ベルカの時代から生き続けてきた言わば生き証人のような存在だ。
しかも夜天の魔導書は古代ベルカから伝わる遺産級のデバイスであり、その管制人格であるリインフォースは現存が数少ないベルカのユニゾンデバイスでもあった。
そして彼女たちを統べる主はやては、蒐集行使と言うレアスキルを有し、破格のSランクオーバーと言う魔法資質を持つ優秀な騎士の卵だ。
シャッハならずとも聖王教会に所属する者であれば、はやてたちがどれほど貴重な存在であるかはすぐに分かる。
だが、シャッハはそんな事情がありながら、聖王教会だけでなく、あの管理局が彼女たちに手を出さない背景には大きな理由があることを察していた。
緘口令が敷かれているとは言っても、本局襲撃事件のことは上の方には周知の事実としてすでに伝わっている。
そして管理局が管理外世界である地球と対等な交渉を望んだ背景には、その事件に関与した“ある魔導師”の示威行為が背景にあるとシャッハは分かっていた。
もちろん、そのことをカリムも知らない訳ではない。
それでも尚、はやてたちを聖王教会に迎え入れたいと考えていたのだ。
管理局が動かないのであれば、これほどのチャンスはない。
地球との問題さえどうにかクリアすれば、有せずして六人もの優秀なベルカの騎士が手に入ることになる。
カリムは多少の危険を冒しても、交渉に挑むべきだと考えていた。
次元を超えし魔人 第30話『聖王教会』(AS-STS)
作者 193
新しい生活もスタートし、ようやくその生活にも慣れ始めた頃――
少女たちも、しっかりと目標を持って勉強に魔法の訓練と勤しんでいた。
話題のゲームの話をしたり、ドラマの話で盛り上がったり、雑誌で話題のお店をチェックしたり、そこは至って普通の年頃の少女たちとなんら変わらない。
しかし、彼女たちには同年代の子供たちとは明らかに“普通”と違う一面があった。
それが――魔法との出会い。
なのは、フェイト、はやての魔導師組はもちろんのこと、アリサたち魔法を使えない少女たちも、他の同じ年頃の子供たちと比べて、現実的で明確な目標を持っている。
そしてその努力を怠らず、すでに一歩ずつではあるが、真っ直ぐに目標に向かって歩み始めているのが特徴的だろう。
それと言うのも、やはり近くにいる大人たちの影響が大きかった。
特にD.S.やアムラエルの存在は、彼女たちの成長に大きな影響を与えていた。
ジュエルシード事件や、闇の書事件を通じ、当事者としてたくさんのことを見聞きし経験してきたことが、彼女たちを精神的にも大きく成長させていたのだろう。
「はやて、随分と魔力制御が上手くなりましたね」
リインフォースに魔法の指導を受けるはやての様子を見て、シーンは感心した様子で声を掛けた。
毎日ではないが、こうしてリインフォースの手が空いた時を見計らって、はやては魔法の訓練を受けていた。
最初はその小さな身体に宿る巨大な魔力を制御し切れず、暴走を繰り返していたが、ここ最近では随分と魔力制御が上手くなったのか、リインフォースの補助がなくても魔力を暴走させるようなことはなくなってきていた。
それでも術式が複雑になる極大魔法などは一人で行使するのが難しいらしく、大雑把になりがちなため周囲へ与える影響や被害も考えて禁止されていた。それは本人も自覚しているらしく、自発的に控えている様子が窺える。
結局、レアスキル頼みの力では限界があるらしく、基礎的な力は自力で少しずつ身に着けていくしかないようだ。
一年みっちりとカイやシーンに鍛えられたなのはや、それ以前から厳しい訓練を自発的にやってきたフェイトに比べれば、はやてはまだまだ魔導師としては未熟だった。
「あ、シーンさん。今日はお休みですか?」
いつもはデビットやカイと一緒に忙しく飛び回っているシーンにしては珍しく、ゆっくりと訓練を見ているものだから、はやては不思議に思った。そのことから今日は休みかと思ったのだが、シーンは苦笑を漏らしながら「残念」と答え、首を振った。
「はやてに用があったのよ」
「わたしに……ですか?」
シーンの用事と言うと闇の書関連の件かと、はやては推測を立てた。
守護騎士たちは罰として与えられたボランティア活動に今も従事しているし、はやてもまだ保護観察が完全に解けたわけではない。
本当なら、“この程度の罪で済まされるはずがない”と言うことを彼女たちは自覚していた。
リインフォースに関しても、D.S.のところに自発的に通って手伝いをしていると言うことで見逃されているが、本当ならもっと重い罰が与えられても不思議ではなかった。
にも関わらず、こうして拘束されることもなく自由に過ごせている背景には、シーンやデビットをはじめとする大人たちが、随分と根回しをしてくれたお陰だと言うことを知っていた。
そのこともあって、シーンから話があると言われ、はやては身構える。
リインフォースもある程度のことは覚悟していたので、神妙な趣きで黙ってシーンの言葉を待っていた。
「そんなに身構えないで大丈夫よ――と言うか、わたしって鬼のように見える?」
「いえ、そんな! シーンさんのお陰や言うことは分かってますからっ!!」
「クス……冗談よ。そんなに必死になって否定しなくても大丈夫だから」
はやてはシーンの軽い態度を見て、「そう言えばこういう人やったな……」とシーンに気付かれないよう口に出さず呆れていた。
見た目はそんなに切れ者に見えない。どちらかと言うとおっとりとしたタイプの女性なのに、中身はかなり強かな女性だった。
あの豊満な胸を揉み解してみたいと邪なことを考えながらも、はやてはシーンの説明に聞き入る。
シーンの話では、今度の休みに一緒に会って欲しい人物がいると言うことだった。
一体誰なのか? ――と気になってはやては聞いてみるが、返って来た思わぬ答えを聞いて驚きの声を上げる。
管理世界のことは勉強の一貫として、なのはやフェイトと一緒にリニスから教鞭を受けていたので、聖王教会のことは名前や大体のあらましだけは聞かされていた。
管理世界の住人なら誰もが知るような巨大な組織。そこの幹部の人間が会いたいなどと、どんな用件なのだと思ったからだ。
しかしリインフォースはシーンの話を聞いて、ある程度の予測がついたのか険しい表情を浮かべる。
「引き抜きですか? それでシーンはいいのですか?」
「よくないわよ? でも、正式な要請である以上、会わせないと言う訳にはいかないのよ。
だから、本人の意思を聞こうと思って。どう? はやては会って見たい?」
はやてはリインフォースとシーンのやり取りを聞いて、ようやく合点がいったのかポンと手を打った。
本人にあまり自覚はないが、騎士と呼ばれる古代ベルカ式魔法の使い手は、今では希少だと言う話を思い出す。
聖王教会がはやてたちを欲しがる理由も、それを考えれば当然のことのように思えた。
はやてはその話を聞いて、「世知辛いな……」と少女とは思えないほど渋い達観した感想を述べていた。
「ん〜、とりあえず会って見よかな」
「主、それで本当にいいのですか?」
はやてのことはグレアムの独断だったと言われても、結果だけを見れば管理局に結局利用されたのと同じだ。
そのことで、はやての命が謀に掛けられたことをリインフォースは忘れていない。
聖王教会は組織は違えど管理世界にあり、それも管理局と連立関係にある組織だ。
そんな組織をはやてと接触させることは、リインフォースも出来れば避けたかった。
「会っても見んうちから決め付けるのも相手に失礼やしね」
はやての言いたいことは分かるが、それでもリインフォースは納得が行かないのか渋い顔をする。
そんなリインフォースを見て、はやては苦笑を漏らしていた。
リインフォースの心配する気持ちは分かるが、はやてが一番恐れていたのは自分がいないところで何もかも決まってしまうことだ。
本当に怖いのは、利用されることでも、騙されることでもない。
何も出来ないこと、関われないこと、その場にいることが出来ないこと、それをはやては何よりも恐れていた。
傍観者になりきることは簡単だ。しかし、そのことで一方的な被害者になることだけは嫌だった。
知らないことは罪だ。現実から目を背けることはもっと罪だ。
大切な人を守るためには、大切な家族を守るためには、知らなければ何一つ守ることなど出来るはずもない。
ただ周囲の優しさに甘え、享受しているだけでは、そんな自分を何も変えることは出来ないと言うことを、はやては闇の書事件から学んだ。
そして、そのためには力がいると言うことを、彼女は誰よりも強く自覚している。
まだ足も完治していないと言うのに、率先して魔法の訓練に取り組んでいるのにはそうした背景があった。
「じゃあ、先方にもそのように連絡をしておくわ」
はやての気持ちを察してか、シーンは何も聞こうとしなかった。
どんな結論を出そうと、はやての決めたことならその気持ちを尊重しようと思う。
はやてに魔導師になることを勧めなかったのも、強要しなかったのも、出来れば子供らしくあって欲しい。
素質があるからと言って魔導師になるのではなく、もっと色々な可能性を見つけて欲しい。
そんな大人たちの自己満足な願いからだったのかも知れない。しかし、子供たちのことを心配するその気持ちは本物だった。
そうでなければ身を削る思いまでして、ジュエルシード事件や、闇の書事件などと危険で面倒なことばかり伴う事件に好き好んで関わろうとするはずがない。
しかし、はやてにしても、なのはやフェイト、ここに集まる子供たちは皆、そんな大人たちの気持ちを知ってか知らずか、どんどん自分たちの力で結論を出して成長していく。
時々、危なっかしくはあるが、そんな子供たちの成長が嬉しくもあった。
彼女たちの行く末を心配して口を挟むことはあっても、思い悩み結論を出した答えであれば出来るだけ、その意志を尊重しよう。
――そう、シーンは考えていた。
次元世界と地球との交流のために設けられた窓口――それがここ海鳴市郊外にある。
基本的には成田や関空のような国際空港と変わりないが、一つ大きな違いがあるとすれば、移動手段には飛行機ではなく管理世界と地球とを繋ぐ転送ポートが設置されていると言う点だった。
今から一年ほど前、ジュエルシード事件の後、管理局の部隊の派遣が決まったことにより、この港の開設が決定された。
まだ完成してほんの一ヶ月余りと真新しくはあるが、利用者は現在のところ、政府筋の関係者や、本格的なミッドチルダとの交流を控えて調整を行っている関係各所の人間だけだった。
だが港と言っても、それほど大きなものではない。
飛行場と違い滑走路のようなものは必要なく、同時に数十人規模の人間を転送できる部屋がいくつか設置されているだけのシンプルな作りのため、広い場所を必要としない。
当然、ミッドチルダに行くにも地球に行くにも、この空港を利用する場合は入国審査などの手続きを必要とするが、現在は一般人の利用が制限されているため、それほどきつい審査と言うわけではなかった。
「ここが“第97管理外世界”ですか? あまりミッドと変わりありませんね」
「シャッハ、その呼び方はここでは控えなさい。現在、“地球”は管理局と対等な立場にあるのですから」
カリムに咎められ、シャッハは「申し訳ありません」と頭を下げた。
管理局の人間が各世界に形式上の番号をつけて呼ぶようになってから、それは管理世界の人間にとっては常識となっているが、馴染みのない地球側からすれば決してそれは良い印象を与えるものではない。
そもそも「管理世界だ。管理外世界だ」と自分たちの与(あずか)り知らぬところで区別されることを、彼らが快く思わないのは当然だ。
管理世界からして見れば、管理外世界は“次元航行能力のない魔法文化を持たない辺境の世界”と言うのが共通の認識でもあったため、そのことが管理外世界に対しての交渉の態度にも出ていた。
カリムは地球に来る前に、これまでの管理局と地球との交渉内容を調べてきていたので、その事実を知ったときには思い悩んだ。
今だから言えるが、とてもまともな交渉を管理局が行おうとしていたとは思えなかったからだ。
相手の方が劣ると最初から決め付け、上から強引に話を進めようとしていたことが窺える。
こんなものは交渉でもなんでもないとカリムは呆れ果てていた。
「カリム・グラシアさま、それにシャッハ・ヌエラさまですね。
わたくし案内を申し付かりました。リニスと申します」
「カリム・グラシアです。カリムで結構ですよ。リニスさん」
「シャッハ・ヌエラです。わたしもシャッハで構いません」
いつもの姿からは想像もつかないほど丁寧な対応で、リニスは港から出てきた二人を出迎えた。
何食わぬ顔で気さくな笑顔で挨拶を交わすカリムを見て、リニスは感心したように声を漏らす。
後ろに控えているシャッハもかなりのものだが、カリムはリニスから見ても一枚も二枚も上手のように思えた。
力が強いとかそういうことではない。交渉の場に慣れている――そう表現した方が正しいだろう。
交渉とは相手に会う前からすでにはじまっている。だからこそ、その一挙一動に気を配らなくてはいけない。
しかも、ここは管理世界でも聖王教会でもない。
彼女たちからしてみれば敵陣とも言える場所で、動じることなく友好的に接して見せることなど、並大抵の精神で出来ることではない。
どこからどこまでが彼女の“真意”で“演技”なのか?
そんなことを考えながら、リニスは二人を車へと案内した。
「いいところですね。ここは――」
街中へと走る車内の中、窓から見える海を見てカリムはそんな感想を述べる。
海鳴市はその名の通り海に隣接し、山も近いこともあって自然豊かな美しい街並みが売りの環境都市でもある。
そんなカリムの話にリニスは「ええ、いいところですよ」と、当たり障りのない返事を笑顔で返した。
カリムがこうして地球に来た理由はリニスも伺っている。だからこそ警戒していると言う側面もあった。
今回は、はやてのことだけではあるが、一度例外を作ってしまえば、他の少女たちにもなんらかの接触を取ってくる恐れがある。
特にフェイトのことを心配するリニスにとっては、今回の件は他人事ではなかった。
案内役をこうして申し出たのも、カリムという女性のことを知っておきたかったと言うのが本音であったからだ。
「……ここは、喫茶店?」
車が停止した場所。そこは桃子と士郎が夫婦で営む喫茶店、喫茶翠屋だった。
リニスに案内され、その喫茶店を見たシャッハは、冷静に対応していた先程までとは一転して困惑の表情を浮かべる。
仮にも聖王教会からの使者の人間を、街中のどこにでもある喫茶店に案内するなど、考えられない対応だった。
しかしリニスは、そんなシャッハを見て僅かに微笑むと――
「たしか、今日は彼女に“個人的に会ってみたい”――そう言う希望でお越しになったのですよね?
それとも味がご心配だと言うなら大丈夫。ここの紅茶とケーキの味はわたしが保証します」
「しかし、これは……」
「それは楽しみです。わたしも美味しい紅茶と甘い物には目がないですから」
シャッハが耐えかねてリニスに申し出ようとするが、すぐにカリムがそんなシャッハの言葉を遮った。
カリムはシャッハと違い、まったく動揺した素振りを見せず、案内された外からは見え難い奥の席に腰掛ける。
その堂々とした態度は年上のシャッハはおろか、そこらの熟練の外交官にすら決して劣らないほどしっかりとしたものだった。
この歳でこれほど腰の据わった対応の出来る相手をリニスは他に知らない。
年の功もあり(そんなことを本人には言えないけど)リンディもこのくらいのことはやってのけるだろうが、カリムはそんなリンディともタイプの違う相手だった。
どちらかと言うとシーンのようなタイプ――
表面は友好的に取り繕っているが、裏ではかなりえげつないことを考えているのではないか? と思えるそんなタイプだった。
どちらの例に出した女性にも言えないようなことを考えながら、リニスは彼女の様子を窺っていた。
「いらっしゃいませ。こちらがメニューになりますが、何かご希望はありますか?」
「では――」
メニューを片手に現れた桃子と挨拶を交わし、人数分のオススメのケーキと飲み物を注文するカリム。
席に座らず立っていたリニスを見て、「あなたもどうぞ」と着席することを促した。
それからしばらくは桃子の作ったケーキや、紅茶に舌鼓を打ちながら、雰囲気の良い談笑を続けていた。
とてもはやてを引き抜きに来たとは思えないほど、関係のない他愛のない話で盛り上がるカリムを見て、付き添いのシャッハの方が困惑した表情を浮かべていた。
確かに桃子のケーキは美味しい。紅茶も悔しいが自分で煎れた物より美味しいことをシャッハは認めていた。
カリムが喜ぶ気持ちも分からなくはないが、年相応に笑う彼女を見てシャッハはよく分からなくなる。
――今日は交渉に来たんですよね?
――教会の仕事……ですよね?
と困惑からか、明らかに不審な目をカリムに向けていた。
そんなシャッハの悩みに光明を差すかのように、シーンに連れられたはやてが姿を現した。
「すみません。お待たせしてしまったようで」
「いえ、予定よりも二時間も早く来てしまったのはこちらですから」
待たせてしまったことを謝罪するシーンに対して、カリムは紳士的な態度で接する。
確かに予定よりも随分と早くカリムは到着していたが、それもリニスがあの場にすでにいた時点で、シーンも想定していたと見るべきだろう。
その上で、シーンがタイミングを見計らったかのように遅れてきたのは、カリムがどう言った人物なのか知りたかったためだ。
遅れてきたことを頭ごなしに批判するような相手なら激情的で与しやすい。
逆に媚びるような態度を取れば、話を聞くだけ聞いて利用する手もある。
シーンはそんなことを考え、カリムを試すようなことをした。
そのことをカリムも察しているのか、なかなか本音を見せようとしない。
シーンはそんなカリムを見て、「なるほどね」とリニスの様子を窺いながら、彼女に聞こえないように心の中で口にした。
聖王教会の騎士、カリム・グラシア。
その名前は、聖王教会を知っている者であれば、誰でも知っているほど有名なものだった。
秘匿扱いになっているレアスキルを持ちながら、自身も古代ベルカ式魔法を使う騎士であり、聖王教会に置いても重要な立場にある少女。その最もたる物として、彼女が聖王教会を信奉する人々から“聖女”のように祭り上げられ信頼を得ていることだ。
それだけでもカリムが聖王教会にとって、どれほど重要な人物かと言うのが分かる。
管理局よりも人材に乏しい聖王教会で、AAAランクの優秀な魔導師であるシャッハを護衛につけていることからも、彼女の重要度が分かると言うものだ。
そんな人物がシャッハ以外に護衛もつけず、ただ「はやてに会いたい」そんな理由で地球に来ること事態、異例なことだった。
彼女が来日するに辺り、かなりの無理を通したことは、そのことからも窺える。
「あの、はじめまして! 八神はやて、言います!!」
「はじめまして、カリム・グラシアです。はやてさん、よろしくね」
「はい、えっと……カリムさん」
少し緊張しているのか態度を硬直させるはやてを見て、カリムはにこやかに微笑むと――
膝を曲げその場に屈み、はやてと同じ視線に立って手を差し出した。
はやては頬を染めながらも、その手を取る。もっと怖い人かと思っていただけに、はやてもそんなカリムの態度は意外だった。
それから、追加のケーキや飲み物を頼み、交渉の場と言うよりは、楽しく談笑するだけと言った雰囲気になっていた。
カリムも特にそのことに触れるつもりはないのか、事件のことや夜天の魔導書について触れる様子は一切見当たらない。
はやてにしても、そのことを覚悟してきただけに、カリムの態度は拍子抜けなものだった。
だが、決してそれが嫌だとかそう言うことではない。これが演技なのかどうかは分からないが、それでも相手が友好的に接してくるのであれば、そのように応じようとはやては考えていた。
そんな二人のやり取りを見ながら、シーンは素直にカリムの手腕を感心していた。
はやてに警戒心を与えないように話を上手く持っていくものだと――
ここに来ると決めた時点から、はやてを聖王教会に無理矢理引き込むつもりなどカリムにはないのだろう。
まずは敵愾心を相手に与えないこと。自分たちが敵ではないと言うことを相手に伝え、その上で“友人”として協力を申し出るのであれば、確かに相手の意思を無理に捻じ曲げることもない。
聖王教会に所属してもらうことは後回しにしても、まずは関係を確かなものとしたいと言うカリムの考えがあったのだろう。
ある意味で管理局よりもやり難い相手だとシーンは思った。それは脇に控えて観察していたリニスも同様の考えだった。
「はやて、あなたと話せてよかったです」
「わたしもや。カリム、それにシャッハも、また一緒にお話しよな」
日も落ちる頃には随分と打ち解けたのか、はやても「カリム」と敬称なしに名前を呼び合うほどに仲良くなっていた。
いつになるかは分からない次の機会を約束し、はやては大きく手を振ってリニスに車椅子を押されながらその場を後にした。
カリムはそんなはやてを小さく上品に手を振って見送った。
これだけを見れば、仲の良い姉妹のようにも見える。とてもではないが、交渉に来た人物とは思えなかった。
シャッハはそんなカリムの対応が納得が行かないまでも、黙って見守っていた。
カリムのことだから、何か考えがあるのだろうと考えていたからだ。
そんなカリムを見て、シーンは少し皮肉を混ぜて話を切り出した。
「子供の相手が随分とお上手ですね」
「教会の仕事をしていると、孤児の子供たちや、被災地に赴き多くの子供たちに接する機会がありますから――
それに、はやてとはそう言うのを抜きにしても、一人の友人として接していきたいと思っています」
「そう願ってます。聖王教会の騎士としてではなく、カリム・グラシアと言うひとりの女性として、あの子を裏切るような真似だけはしないであげて下さい」
「ええ……それだけはお約束します」
シーンの皮肉にも、嫌な顔一つ見せずに答えるカリム。
シーンが心配していたのは彼女の本心だ。確かにカリムと言う一人の女性は類稀ない人徳者なのかも知れない。
しかし聖王教会の騎士としての顔を持つ彼女が、この先もずっとはやての気持ちを裏切らないと言う保証はない。
そのことをシーンはずっと危惧していた。そしてカリムも、そんなシーンたちに警戒されていることは分かっていた。
自分でも、同じ立場になれば相手への警戒を解くことは出来ないだろうとカリムは思う。
しかし、それでもはやてに会っておきたかったのだ。
もちろん聖王教会のためと言うのはあるが、それもベルカの未来を思ってのことだ。
それに聖王教会と言う枠に拘らなければ、ベルカの力と意思を伝えていくことは幾らでも可能だと彼女は考えていた。
「それで、シーンさん。ここからは聖王教会の人間として、あなたに少しお話が――」
「……ここでは、まずいですか?」
「いえ、構いません。聞かれて困るような話でもありませんし――
それに、すでに結界は張っていらっしゃるのでしょう?」
「やはり、お気付きでしたか」
喫茶店にいる客や店員、そのすべてがシーンの関係者だと言うことにカリムは最初から気付いていた。
いくら個人的に会いに来たと言っても、はやてのことはこの世界でも表沙汰には出来ない機密情報のはず。
それを、こんなところで話をされる危険を冒すはずもない。
そのことから、他に客が訪れないのも、なんらかの人払いの結界が張られているものと推測を立てていた。
「新組織の話は聞き及んでいます。そこで、協力を申し出たいのです。
差しあたっては、聖王教会の騎士と修道女の派遣。
それと次元世界でのあなた方の活動に置いて、人材発掘など我々の情報網を使って協力させて頂きます」
それは魅力的な提案だった。確かに新組織の人手不足は深刻な問題となっている。
次元世界に地盤を持たない地球にとって、他の世界から人材を発掘してくるなどと言った行動はなかなか難しい。
しかし聖王教会の協力が得られると言うのであれば、人材の問題だけでなく、これからの次元世界での活動に置いても動きやすくなることは明白だった。
だが、なんの見返りもなしにと言うわけにはいかない。
これで、はやてのことを持ち出されるとは思っていないが、万が一のこともある。
その時は断固として断るつもりで、シーンはカリムにその真意を聞き返した。
「見返りは……何を?」
「地球での、とりあえずここでの聖王教会の活動をお認め下さい。
この国で宗教法人としての活動を認めてくださることが最低限の条件です」
「……それは、聖王教会の教えをこの世界にも広めたいと?」
「ええ」
なんとも微妙な話だった。ようは、「そちらの世界に出店したいので許可をくれませんか?」と問われているようだ。
だからと言って宗教と言うものはバカに出来たものではない。
世界中に宗教と名の付く団体は様々あれど、時にはそれが引き鉄となり戦争にまで発展することがあるのも事実だ。
しかし、聖王教会は管理世界に広く根付く強力な組織ではあるが、管理外世界にはほとんど知られていない。
ましてや地球でそのことを知るものなど、関係者を除いて皆無だろう。
カリムの考えに予想がつかなくはないが、まったくゼロから異文化の宗教を浸透させようと言う考えは無謀のようにも思えた。
シーンもそのことを考え、どう判断していいのか分からず困った顔を浮かべる。
条件としては正直に言って、釣り合いがまったくと言ってよいほど取れていない。
そのことはカリムも分かっているはずだった。あまりに相手によい条件の交渉では、不信感を返って与えてしまうことになる。
「何も世界中にすぐに聖王教会の教えを広めたいと言う話じゃありません。
聖王教会がどう言ったものなのか? これから付き合っていく世界がどんな世界なのか?
それをみなさんに知って欲しいのです。わたしたちの本来の役目は、そうした人々の不安を解消するためにあるのですから」
カリムの言葉に耳を傾けて考えるシーン。
その言葉に嘘偽りはないのだろうが、他にも狙いはあるのだろうと考えた。
関係を濃密なものとして置くことで、はやてたちが聖王教会に所属せず地球の新組織に入った場合でも、出向と言う形で協力関係を取れる可能性もある。
それに聖王教会に所属する騎士や修道女を派遣することにより、労せずして彼女たちに接触する機会、古代ベルカ式魔法を学び取る機会を得るつもりなのだとシーンは愚考した。
その考えに間違いはないだろう。そしてそこまでシーンが読み切ると予想した上で、カリムはこの話を持ち出して来ている。
今の状況や、これからのことも考えた場合、地球側が検討しないわけにはいかない話であることは確かだからだ。
少なくともシーンが一人で判断できる内容ではないので、デビットやシーラに話を持っていかざる得ないだろう。
そのときに、カリムがどう言った人物かと言うのも必ず聞かれるはずだ。
ならば、デビットとシーラの出す答えは自ずと分かったようなものだった。
「前向きに検討させていただきます。ご返答は数日以内に――」
「よい返事をお待ちしています」
聖王教会との接触。
カリムとの出会いは、はやてや地球にとっても――
この先、大きな意味を持つものとなることは確実だった。
……TO BE CONTINUED