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長き刻を生きる 第二十二話『弓を亡くした一矢は風と出会う』
作者:大空   2009/02/04(水) 17:09公開   ID:4TeCCZkhrsA

 「伝令! 補給部隊、劉虞軍の奇襲によって壊滅! 物資も全て奪われました!」
 
 「淳干携隊……華雄を始めとした元董卓軍の将官と太公望軍の奇襲によって壊滅!」

 「公孫賛軍本隊出陣! このままでは公孫賛・劉虞両軍に包囲挟撃されます!」

 陥落した砦には最悪の報告が矢継ぎ早に報告されていく。
 本隊からの兵糧は劉虞軍によって奇襲され、兵は全滅し物資は根こそぎ奪われた、との事。
 周辺への略奪に向った淳干携隊は椛達の奇襲によって壊滅、将官は捕縛された、との事。
 更に公孫賛軍が敗走中だった砦防衛兵と合流し、この砦に向けて行軍を開始した、との事。

 兵士達は取り乱し、二枚看板もまた同様に混乱していた。


「張袷! あいつは、あいつは無事なのか!?」


「高覧さん……無事ですよね? ……絶対に」


 二人も武人であり将軍と言っても中身は立派な女性である。
 好意を寄せている、親しい人物の安否に冷静な判断を下せずいる。
 だが今二人は”将軍”であり、二人の混乱は兵士達の混乱へと感染していく。

 敵対した将軍の処置は……大半が処刑である。

 優秀な人材ならば強引に取り込む事も可能であるが、淳干はともかく後の二人無名。
 そんな輩を生かしておくほど、軍の規律も公孫賛の能力から見ても生かされる可能性の低さ。
 故に二枚看板の混乱は酷く、田豊ではもうどうにも納められない現状へと突入していた。


「落ち着け! 皆の者落ち着け!!」


 田豊の悲痛な叫び声は誰にも聞えていない。
 防衛能力を無くした砦、残存の戦力は三万前後と二つの軍を同時に相手は出来ない。
 鍛え上げられた精兵ならば判らないが、今は兵士達だけではなく将官も混乱の渦に堕ちている。
 これではどんな堅牢な城であろうと、どれ程の精兵達だろうと、誰にも勝てない。
 篭城策をしようにも兵糧はもう数日分しか持たず、砦の防衛能力は皆無。

 ―――そんな混乱に追い討ちをかける伝令が一報



「本隊が太公望軍および馬騰軍の連合軍と戦う事無く後退! 我々は事実上の殿軍となりました!」



 本隊の突然の後退、一万の殿軍を残して一斉に後退したとの報告。
 しかし一万程度で止められる物ではなく、一万の殿軍は崩壊し本隊への追撃は継続中。
 更に前線に残された者達を斬り捨てる形で本隊は後退、彼らもまた殿軍の一つとなってしまった。

 【殿軍】

 殿(しんがり)とも呼ばれる軍の敗走時などで最後尾を担う部隊の事。
 追撃する側とされる側では”する側”の方が圧倒的な優位を持ち、追撃で滅ぼされる軍は数知れず。
 全軍の全滅を回避する為に敵軍の追撃をその命を持って塞き止める軍こそ【殿軍】。

 ―――生還は絶望的

 ―――されど生還の暁には最高の栄誉

 だかこの状況での殿軍は”捨て駒”
 この報告が混乱に止めの一撃を刺す。

「うそだろ? 姫がアタイ達を……捨てた?」

 殿の報告に次々と戦意を失いその場に倒れていく兵士達。
 半狂乱になる者、自暴自棄になる者、意識を持っていない者と心を次々と討たれていく。


「誰だ!? 誰が先鋒数万の兵士を見殺しにする策を出した!」


 伝令の兵士に掴みかかる田豊、老人とは思えぬ形相で伝令の兵士を睨む。


「郭図様です! 郭図様が!!」


 田豊もまた崩れた。

「あの若造め……飼いきれぬ犬を巧く切り捨てる為にワシに押し付けたか
  しかも袁の唯一の武将達全員を切り捨てるだと? ……何を考えておる」

 田豊と仲の良い淳干達が自分を裏切るかも知れない。
 自分が切り捨てられる位ならば……自分から彼らを切り捨てる。
 
 ―――戦場を利用して田豊を追い出し、不安分子も一緒に除去

 ―――これは完璧な成功と言っても過言ではない

 だがそれはこの戦いで袁が生き残れたらの話であり、それは不可能に近い。
 戦力の大半を斬り捨て、本隊は既に太公望軍と何故か生きていた馬騰軍に追撃されている。
 この両者が抱えている武将に渡り合える武将などもう居ない……斬り捨てたのだから。
 果たして今回の戦を乗り切る策を郭図が持っているとは考えにくかったのだ。


「聞け、袁紹軍の者達よ!」


 混乱と思考に堕ちに堕ちていた所為であろう、既に砦は包囲されていた。
 【呂】【華】【張】【劉】【皇】【朱】【公】の軍旗が高らかに掲げられている。
 その軍旗の中で特に大きく、上等の布で作られている【幽】の御旗。

「ハハハハハッ! ワシ等は全て太公望と軍師達の手の平と言う訳か!」

 田豊はやっと理解した。
 初戦から始まった公孫賛の敗北は全て計算付くの行動である事に。

 公孫賛一軍だけで相手をさせ、あたかも公孫賛が孤立しているかのように思わせる。
 砦を幾つも落とさせ、最初の方はあえて物資を置いておき、防衛戦の意志を見せる。
 そうすればこちらは砦の物資を信じ、士気の維持の為に貴重な兵糧を使わざるを得なくなってしまう。
 元々兵力差に慢心している所に連勝の現実を加えて慢心をより大きくさせ、大きな隙を作り出す。
 そこに突然砦からの物資補給を断ち、本隊から更に貴重な兵糧を運搬させるがこれらを奇襲して奪いつくす。
 
 ―――極上にまで育てられた慢心が一気に崩壊して反転してしまう

 篭城しようにも兵糧は空っぽに等しく、数日も耐えれない。
 反転した勝利への希望が、目の前の敗北への現実を色濃く飾り、心を撃ち砕く。
 砦三つや四つ程度で数万の軍勢を打ち破れるならば……これほどの戦略はないだろう。

「ワシ等の慢心すらその盤上の駒と言う訳か」

 太公望とその周りを固める軍師の戦略は、自身を凌駕していた。
 こちらの心や感情すら考慮に入れた戦術を展開すると言う時点でどうかしている。
 されど完璧にそれを読まれた―――直接会わずとも心を読まれたのだ。

「今すぐ武具を捨て投降せよ!
  武具を捨て投降した者達は我等が盟主太公望様の名に置いてその身の安全を保証しよう!
  その手に無理矢理武器を持たされた者は居ないのか!?
  畑を耕し、家族を養っていく手に無理矢理武器を持たされた者は!?
  愛しい者が、無二の家族が待つ家に帰りたいと想う者は!?
  遠き故郷の望郷の想いを持つ者は!?
  もしその者達が居るならば、武具を捨て投降せよ!」

 劉虞の口から述べられていく降伏勧告。
 混乱によって戦意を失っている兵士には充分過ぎる説得である。

 ―――二度は言わぬと思え!!

 降伏を躊躇う者に対しての追撃の一言も響いた。

「もし投降に従わず戦うと言うのであれば、全力を持って貴様等を討つ!
  防衛能力を無くし、兵糧も残っていないであろう状況で何処まで耐えれる!
  一族の身と将官の身の安全も保証しよう!
  厳に我々は先の戦いで淳干携を始めとした将官を捕らえている!
  命の安全は私が保証する……もう一度言う、投降しろ!」

 公孫賛からの投降勧告としない場合の勧告。
 更に華雄隊から引きずり出された縄に縛られた三人の男達。
 その姿に多くの者達が叫ぶ。

「淳干様!」
「張袷!」
「高覧さん!」

 更に多くの捕縛された兵士達の姿も見せられた。
 やがて一人…また一人と……武具を捨てて投降していく。
 元々捨て駒にされてしまった彼らに戦う意志は残されていない。
 袁紹や軍師達の派閥抗争による人望の欠如も響いた。
 前線の多くの兵士は淳干などに対しての方が信頼や忠節を持っているのも多かった。

「投降しよう……もう袁は終わりよ、全軍武具を捨てて投降する!
  ただし命と家族の安全は保証されるのであろうな!?」

「約束しよう! 我等【幽州連合】と盟主太公望の名に誓って!!」

 砦から続々と武具を捨てた兵士達が現れ、一人一人縄に掛けられていく。
 顔良・文醜・田豊も投降し、縄に掛けられた。

 ―――無血開城

 ―――流血なき勝利の一つが完成した

「悪いな猪々子(いいしぇ)……飯を届けれなかった」
「馬鹿! …アタイはアンタが生きててくれるだけで、心配させるなよ…馬鹿」
「あぁ大馬鹿だな俺は……お前みたいな美人を泣かせるなんてな」
「…………傍に居ろよ、馬鹿」

 縄に掛けられている張袷に身体をすり寄せる文醜こと真名を猪々子は泣いていた。
 張袷もただ身体を寄せ合って彼女に腕は動かせないがないが抱きしめていた。
 ただ泣いている彼女の傍に居るだけである。

「高覧さん…よくご無事で」
「あぁ自分でもそう思ってる、かの呂布を相手にして生き残ったからな」
「高覧さんくらいなんですよ……私と愚痴を肴にしてお酒を飲んでくれるのは」
「斗詩(とし)とのお酒ほど美味い酒なんて存在しないさ」

 隣合うように座らされた顔良こと真名を斗詩。
 安否にほっとしており、ただ懸命に涙を耐えながら高覧と話す。
 お互いの生存を確かめながら……

「……よぉ爺さん」
「まさか一斉に切り捨てられとはな」
「もう袁は終わりだな」
「………そうだな」

 他愛の無い会話。
 ただ自分達の敗北と現状を受け入れ、国の敗北を悟る。
 それだけが今の二人に出来る事であった。


「とりあえず先鋒はこれで何とかなったな」
「だがまだ本隊が残っている……盟主殿がなんとか止めをさせれば良いが」
「でも望ちんは隠しとるつもりかも知れんけど、どっか悪そうやしな」


 先鋒との戦いを任された面々は軍を合流し、五名の捕虜を引き連れながら進軍していた。
 数万の捕虜は皇甫嵩と朱俊の二名が配下と共に監視に残り、劉虞軍は大分戦力を減らしていた。
 戦っていない部隊を中心とした行軍はかなりの速度であるが、本隊との合流にはもう少し掛かる。
 更に太公望の不調は誰もが知っていた……やはり顔色を隠しきれない。
 故に本隊が敵本隊を捕らえてるか心配だったのだが……


「伝令! 敵袁紹軍、中立の楽成城を占拠! 本隊が足止めされています!」


 中立楽成城は、名が意味する通り中立として君臨している都市でもある。
 先日城主が亡くなり、その奥方であった女傑が今は太守として君臨し、しっかりとした治安を持つ街。
 だが世は乱世であり”中立”と言う立場がもっとも過酷で困難な道程であり、理想で出来る程甘くは無い。
 中立である為には中立であれるだけの戦力・干渉力などの他国が飲み込んでも益にならない”何”かを持つ必要がある。
 世論にしろ・民衆への信頼にしろ……中立は言葉だけで出来る程甘くは無い。
 ましてや乱世の世に誰にも関わらないなどと言う絵空事を貫けるほど、乱世の英傑達は甘くない。

「中立を強引に占拠とは……堕ちたな袁」
「全軍! 本隊に合流するのまで強行軍を敢行する!」
「遅れた奴の事などほっておけ! 全軍続けぇぇぇぇ!!」

 一気に行軍の速度を速める連合軍。
 まさに神速と称えるに相応しい速度で、一気に本隊へと距離を詰めていく。


===========================================================================


 椛達が敵先鋒を降伏させてから一日後の連合軍本陣。
 楽成城を目の前にして、本隊である太公望軍と馬騰軍は足踏みしていた。

「敵軍師郭図が太守黄忠(こうちゅう)殿の愛娘璃々(りり)様を誘拐
  太守の娘の命を盾にして強引に楽成城の戦力を従わせているようですね」
「外道が! 名家の軍師とはそこまでするか!」
「まぁ時間稼ぎだけなら確かに悪くないな、非道だろが外道だろうが勝てればな」

 突然の楽成城の袁紹側への参戦は、太守である黄忠の娘を誘拐し、これを盾に服従させている、との事。
 それでも兵士達が行動を起こさないのは、黄忠とその亡き夫が信頼と忠義を持っているからだ。
 もしそうでないならば、兵士達が袁紹軍の者達に襲い掛かって今頃楽成城は火の海であろう。

「つい先程先鋒を落としたと伝令があった、じきに白蓮・劉虞・椛達の来るだろうが……」

 太公望もこの街の突破方法に悩んでいた。
 何分理由が理由であり、強行突破など問題外である。
 だが黄忠は稀代の弓将とも噂されており、彼女の指揮する弓兵の錬度の高さは魏にも通ずるとも言われる。
 騎馬隊を迂回させようものならば即座に矢による雨霰の攻撃が待ち構えており、下手な被害を生む。

「ご主人様! ぜひとも救出部隊には私を!」
「鈴々もなのだ!」
「主、義の槍たる私の事もお忘れなく」
「小娘が……もう形振り構わずか」
「父上! アタシも行かせてくれ!」

 太公望軍は義勇あがりである為、こう言った事態に対して熱くなる人材が多すぎた。
 潜入に適していない、そう言った人材でも救出班に廻してくれと嘆願してくるのだ。

「落ち着きなさいよ、アンタ等は皆目立ちすぎるから無理」
「そうですね……やっぱり干吉さんや左慈さんが適任ですね」

 軍師組の沈静によって何とか静まったが、もし居なければ大変であっただろう。
 だが彼女達は太公望の不調に気付いている……だから無理させまいと意気込んでいるのだ。

 ―――されど太公望の選び取った戦術は

「救出班は干吉と左慈および暗部隊に任せる、問題の救出の為の注意を逸らす方法だが……」

 その作戦に一斉に非難が殺到する。

「無茶です! ご自分の御身体を考えてください!」
「これがもっとも奴等の眼を引き付けれる方法なのだ、無茶をいませずしていつする?」

 太公望の意志を宿した眼には誰も勝てない。
 それに救出するには確かにこの方法が効率が良いのかも知れない。
 だがこれは太公望に莫大な負荷を掛ける戦術でもある。

「太公望様を信じますが……万が一の場合はこの陳到は手を選びません」
「それがワシ等の明日を塞いでしまうような手であってもか?」
「私達は貴方の配下なのです、ならば主たる貴方様の為にこの命を散らすのが本望なのです」

 ただ陳到はその落ち着いた眼で太公望を見る。
 天幕内の騒然は静まり、静かな場所と化す。

「安心してください、私と左慈の手に掛かればすぐにでも救出してこれますから…ね?」
「ね? じゃない、まぁ半刻の間に助けてきてやるよ」
「頼んだぞ……ワシ等もすぐに軍を動かせる支度だけはしておく」

 干吉と左慈が天幕を後にし、配下の暗部を率いて楽成城へと侵入する。
 呪術で監視の兵を眠らせ、内部の協力者と合流し、抜け道から内部に侵入していく。
 あと彼らがやらねばならぬ事は監禁場所の特定と、人質に取られる前に助け出すこと。
 全てに速さを伴う作戦である。

「皆は救出し、敵がこちらについたらすぐに進軍出来る様に支度をしておくように
  電撃作戦で後ろに踏ん反り返っている袁紹に眼にモノを見せてやるようにの
  それがおぬし等の仕事……ワシの期待を裏切らぬように、良いな?」

 その言葉に一様に眼を輝かせる一同。
 特に愛紗達の高揚ぶりは凄く、今にでも出て行きかねないほど。 
 だがその士気の高さを使うのは太公望と救出班が役目を果たした時である。

「では私達は兵を整えてきます」
「うむ、任せた」

 そう言って太公望も天幕をあとにし、本隊の救護班の班長として従軍している雪の天幕へと向う。
 道中の兵士達は礼を行い、太公望も礼を返す。
 実に規律の整った軍隊が完成しており、すでに愛紗達の隊は所定の配置へと移動を開始している。
 時間はもうすぐ夕刻の頃合……黄昏時が近づいていた。

「雪、おるか?」
「おりますよ」

 雪の天幕には従軍時に持ってこれるだけの薬剤が置かれている。
 彼女の参入によって生まれた救護班の力は凄まじく、助からない兵も事無きを得た事すらある。
 治療出来るという事がやはり大きく、兵士達の間でも薬学や応急処置に対する重要性が認められつつある。

 ―――もしあの時の少しの治療があれば助かっていた

 そんな声は激戦や乱戦になればなるほど大きくなっていた。
 細菌によって傷口から爛れたり、腫れを起こして腕を切り落とさねばならなかった者。
 薬学に対する知識の無さから遠征中に風邪をこじらせて死んでしまった者までいた。
 だから太公望は救護班などの育成に莫大な労力と資金を裂いている。
 そのお陰が太公望軍の医療は数年先のモノになっているとまで称えられる程に。

「肩の傷はやはり治ってませんね……呪いの一種と言われてました」
「この程度の傷はなんともない、吐血も軽い」

 雪の手によって包帯を巻かれる太公望、その身体はやはり傷だらけ。
 並みの人間ならば傷の蓄積などでとっくに墓の中と言っても過言ではない傷の数々。
 そんな物を抱きかかえながら戦う太公望に、不安を抱かない訳では無い。

「貴方が崩れればそれは全軍の崩壊に繋がります……ご自重してくださいね」
「ワシが居るから軍がある、立ち上げた者が後ろで踏ん反りかえるなど性に合わぬ」
「大将とは本来後方で踏ん反り返っている者です」

 包帯を巻き終わる。


「貴方はいつも私じゃない誰かを見てる……愛紗達もそうなんですか?」


 突然の質問に太公望は何も答えない。

「あの雨の日……貴方は私を”似ているから救うだけ”と言いましたね
  なら愛紗達も、私のように天の国に似ている人がいて罪滅ぼししたいだけなんですか
  貴方の掲げている天下泰平の悲願も、誰かから与えられたモノなんですか」

「何が言いたいのだ?」

 服を羽織りなおした太公望の眼は、雪を睨む。
 雪はまるで動じずに、薬や包帯を救急箱に収めていく。


「貴方は敵に似ている人が居た時に……討てるんですか?」


「討つ……甘い覚悟で天下泰平なとど謳えぬモノではない
  もうこの手は策の為に多くの友を死なせた、迷いは無い」


 雪は小さく「そうですか」と述べて薬の残量の確認をしていく。
 太公望は何も言わずに天幕を後にし、天幕には雪一人が取り残された。

「……だから貴方は甘いのですよ…まぁそこが良い所なんですけどね
  誰よりも幻を追いかけて……それを掴み取ってこれるそんな所が
  でも少し位は……私達にも甘えて欲しい所なんですけど」

 雪は上機嫌のまま、薬を整頓していくのだった。


===========================================================================


 楽成城前に展開していく連合軍。
 だが数万の軍勢よりたった一人の男が軍馬と共に現れる。

「我が名は太公望! 幽州連合盟主太公望!
  双方無駄な血を流さぬ為に総大将同士による一騎打ちを所望する!
  我が勝った暁には、楽成城の無血開城を望む!」

「こちらが勝った場合は!?」

「我等は兵を引こう! そして金輪際手は出さぬと誓う! 返答如何!!」

 街の前に展開されている野営地より、一人の女性が軍馬に跨りながら現れる。

「城主黄忠、この一騎打ち……受けましょう」

 鉄…鋼で作られている弓に腰には矢束を抱えている。
 すっと立っているだけでも判る弓将特有の何かを放ち、その眼は確かに意思を宿していた。

「良い眼をしておる……亡き夫はこれ程までの人物を妻としたとはのぉ、生きている内に会っておきたかった」

 紫色の腰にまで伸びた髪、桃色のチャイナ服、胸はかの陸遜と同等ほどの大きさ。
 美しいと呼ぶに相応しい外見、だが弓を構えて獲物を見るその姿はまさに武人。
 構えだけでも判るその腕前に太公望の急所を狙っている矢は微塵も震えない。

「…良い人でした」
「さて始めようかの……半刻の死闘を」

 黄忠が放った矢を、太公望は腰に下げていた剣で切り払う。
 放たれた矢は双方の距離から考えてとても切り払うと言った芸当が出来るモノではない。 
 おそらく恋でも武器の関係から回避を選択しただろう。

「切り落とした!?」

「真っ直ぐすぎる……それでは何も護れぬ」

 再度放たれる矢を再び切り払う。

(まずい……半刻も持たぬな)

 一撃を全て切り落としていては半刻も決闘が持つわけが無い。
 太公望は黄忠の下げている矢束の数を確認し、距離を取ってから走り始める。
 仙人の筋力からもたらされる速さは中々のモノを持ち、巧く黄忠に矢を放たせないようにした。

(眼と鼻のあの距離で矢を切り落とすなんて……これが天の御遣い)

 黄忠も内心では驚愕していた。
 矢とはコトワザに【時が経つのは光陰矢のごとし】とまで使われる程に速い。
 ましてや距離が距離ならばいかなる猛将だろうと問答無用で殺せしまう。
 黄忠自身も弓矢に関しての実力は自負しており、対抗できるのは魏の夏侯淵と呉の太史慈と思っていた。
 
(でもなんで距離を? それに”半刻”の決闘?)

 太公望が、かの呂布を僅か数回の競り合いで負かしたと言うのは、もう有名である。
 それ程の実力を持つ太公望が、自分と零距離戦であえて戦いにこないのは何故?
 更に一騎打ちは半刻も持ちはしない……それなのにあえて時間を指定してくるのは?
 今も距離を取って無理矢理時間を稼ごうとしているのも…………

 ―――黄忠の中で欠片が繋がった

「太公望…貴方は!?」

 太公望が一蹴して一気に黄忠に接近する。
 咄嗟に鋼で作られた特注の弓で、その一撃を防ぐ。

「顔色を変えるな…時間を稼げ」

 火花と共に離れる両者。
 この言葉に黄忠の疑惑は核心へと繋がり、即座に構えて太公望を射る。

 太公望も避けきれずに右肩を刃が掠った。

(―――傷が裂けたか!)

 右肩の傷を直撃するかのように掠めた刃は、容赦なく血を吐き出させる。 
 右肩から溢れ出す程ではなくとも、決して掠り傷から生まれる量ではない血が流れ出す。
 頭に巻いている帽子を取り、解き、布代わりにして傷口を強引に覆い塞ぐ。

「どうやら古傷か何かのようですね」

 弓将としての感覚は”浅い”、だが傷口は浅い筈がかなりの深手にも思える血を吐き出させている。
 応急処置をしたとは言え、このまま戦い続ければ出血死が待ち構えている。

「貴方の負けです…お引きを」

「引く訳にはいかぬ……この程度の傷で引き下がるようならば仙界の戦は生き残れぬ」

 再度構える双方。
 だが太公望は確実に出血で人間としての身体能力が落ちていく。
 更に生粋の武人ではない太公望が弱体化した状態で黄忠と言う歴史の名将を相手にするのは難しい。


「愛紗! やっと追いついた!」
「一体どうなってるんだ!」

「ご主人様から次なる策の為に動けと言われてます」


 一騎打ちの様相に今にも飛び出て行きそうな面々を取り押さえながら、策の説明をしていく二人の軍師。
 だが最初から一騎打ちを見ている者達は今にも太公望の支援の為に出て行きそうな状況であった。
 されど今、誰か一人でも無断で動けば太公望の策が崩壊してしまう。
 状況の簡易的な説明をし、策を伝達させて、合流部隊も策による所定の位置に動き出す。

(あれ? ……うち、あの肩の傷……知っとる?)

 霞の脳裏に何かの景色が駆け抜けた。

 ―――肩と腹を刺された太公望の姿

 ―――あざ笑う砂色の髪の老人

「霞!」

「あっ悪い! すぐにやるわ!」


 展開を始める連合軍八万の勢力。
 全ては勝利の為の礎。

 ―――記憶が


「双方引けぇぇぇぇぇぇぇぇ! 袁紹軍に捕らわれていた黄忠殿の愛娘! 璃々様を救出した!」


 左慈の叫び声に、微かな記憶は再び奥底に消えてしまう。



「全軍進めぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」


 
 太公望の進軍命令。
 連合軍が一斉に楽成城を迂回して、後方に待ち構えている袁紹軍に最終攻勢をかける為に進む。

 更に楽成城の城門も開かれ、連合軍の兵力の一部も街の真っ只中を駆け抜けていく。

 作戦の情報は既に黄忠軍にも届いていたのだ。


「おかあ―――さん!」
「璃々!」


 干吉と左慈に引き連れられて母親と再会する娘。

「傷は大丈夫か?」
「戦には問題ない……スマヌが後方で指揮するだけにさせてくれぬか」
「それがあるべき総大将の姿なのですよ」

 きつく傷口に何処からともなく取り出した包帯を巻く干吉。
 地面にはそれなりの血が染み込んでおり、その傷の深さを物語っていた。
 左慈に肩を貸される形になってしまう太公望、既に右腕は力なく垂れ下がっている。

「太公望様、なんとお礼を申せばよいのか……」
「おにいちゃんたちも、ありがとう!」

「ならばワシ等と共に来てはくれぬか? 我が軍は弓将が居らぬ……中立のお主等に言えた義理では」

「では配下と娘共々よろしくお願いしますねご主人様」

 ……勧誘はあっさり出来てしまった。

「今回の一件で私は自分の力不足と中立を貫く事の難しさを知りました……
 それにご主人様には一生を掛けてやっとかえせるご恩があります
 この黄忠、真名は紫苑(しおん)と申します……今一度、配下と娘共々よろしくお願いいたします」

 片膝を付き、拳を手の平を受け止める忠節を誓う姿勢を取る黄忠。
 太公望も左慈の肩から一度外れ、たった状態でその姿勢を取る。
 決して崩れる事無き不変の忠義を交わす儀式。


「では行くぞ! 次の一戦を持って袁との決着を付ける為に!!」


 軍馬に跨り、先に行ってしまった部隊に追いつく。
 袁の終わりが目の前に訪れていた。

 ―――いや

 ―――”もう”袁は終わっていた

 誰もが予想しなかった結末と共に。

 ただ片隅でほくそ笑む砂色の髪の老人の手によって。


■作家さんに感想を送る
■作者からのメッセージ
ソウシ様
ご感想ありがとうございます
もうソックリさんは打ち切りです、書いてて死にます
公孫賛軍は太公望軍の三軍師の策に乗っての行動です
次回は太公望が壊れます……再度亡くす痛みによって
病持ちは太公望、そして決意を問われる一言に決意を固める太公望
甘さをしっかりとさせるのに一役していただくきました

ボンド様
ご感想ありがとうございます
まさにこの歴史の戦いの全ては八百長ですね
それを知らずに懸命に生きる者達の姿です
もっとも次回はとある二名には戦死して頂きます
極上に育てられたモノほど反転すると恐ろしいモノですよ
あの曲は大好きですよ!
特に二人を兄弟説に置き換えて、更に伏義箱舟説を重ねると
面白いくらい頭の中で歌詞の書き換えが出来てしまいました
テキストサイズ:19k

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