作者:193
2009/02/06(金) 15:37公開
ID:4Sv5khNiT3.
黒い喪服に身を包んだ人々、そのほとんどが管理局の人間やその身内だった。
奥の祭壇に祭られている慰霊はティーダ・ランスター一等空尉。首都航空隊に所属するエリート魔導師だった男だ。
だが先日、逃走中の違法魔導師と交戦し、その命を享年二十一歳と言う若さで失うこととなった。
本人も執務官志望、首都航空隊のエースと将来を有望視された若者だっただけに、その若すぎる生涯は同僚の間にも大きなショックを与えていた。
ティーダと交戦していた魔導師の所在は、まだ管理局でも掴めておらず、犯人の手掛かりとなるものもほとんどない。
分かっていることは四本の角を生やした、まるで悪魔のような男だったと言う点だけ。
その男はティーダを殺した後、ティーダの亡骸と五万人にも及ぶ人々諸共、街を破壊して姿を消した。
破壊などと言うのは、生温い惨事だったかも知れない。それは――消滅だった。
街があったはずの場所には何もなく、半径数十キロに渡って出来た巨大なクレーターだけが残されていた。
「ほら……あの子よ。お兄さんが一人で育てていたらしいわよ」
「可哀想に、まだ十二歳なんでしょ?」
喪服に身を包み、兄の位牌を持って無表情で立ち竦む少女の姿が印象的だった。
彼女はティーダの妹、ティアナ・ランスター。幼い頃に両親を亡くし、それからはずっと兄と二人で暮らしていた。
皆から尊敬される優秀な兄の存在は、ティアナにとって憧れであり、自慢の兄だった。
いつかは兄の後を追って、兄のようにみんなを助ける仕事をしたい――
そう話した時の、嬉しそうな困ったような何とも言えない顔をするティーダの顔が、ティアナは忘れられない。
自慢の兄だった。
優しい兄だった。
代わりなどいない、たった一人の肉親だった。
そんな兄が死んだと言うのに、ティアナは不思議と涙が出て来なかった。泣きたくても泣けなかった。
分からなかったのだ。ティーダが死んだと言う実感が湧いてこなかった。
今にも玄関を潜って、「ただいま、ティアナ」と笑いかけてくれるような、そんな感じさえしていた。
「あの廃棄区画、五万人もの違法居住者が住んでたんだって?」
「でも、消えちゃったと言っても、そのほとんどが難民でしょ?」
「それでも数が数だからな。そのことで上も頭を悩ませてたよ。
まったく、余計な問題を残して逝ってくれたもんだよ」
まだ葬式の最中だと言うのにヒソヒソと噂話をする声が聞こえる。
ティーダの死を悲しむ同僚がいる一方、上層部の見解や、他の部署の局員のティーダに対する見方は冷ややかなものだった。
すでに廃棄区画となっていた場所とは言え、そこには住む所を追われた違法居住者が五万人も住んでおり、一種のスラム化した都市を形成していた。
そんな場所が、ほんの一晩のうちに消滅してしまったのだ。五万人と言う人々と共に――
その波紋は管理局の内部でも大きかった。
あまりにも目立つ問題だったため情報規制も間に合わず、一部メディアでも大きく取り上げられたことにより、市民の動揺も避けられなかった。
首都クラナガンでも連日、テレビや雑誌で取り上げられ、紙面を賑やかせる話題となっているほどだ。
そのことで管理局も応対に追われていた。
そうしたこともあり、犯人を取り逃し敗北したばかりか、事態の悪化を招いたとしてティーダのことを、「役立たず」とか「首都航空隊の恥晒し」だとか酷い中傷をする者も少なくなかった。
ティアナもその噂は耳にしていた。
死体も結局見つからず、調査の遅れもあって二週間遅れで催された葬式。
その会場で聞こえてくる噂話。その噂話は連日のように心無い評論家やマスコミによって報道され、ティーダのことを悪く言うものが後を絶たないと言うことも彼女は知っていた。
そこにはティーダ個人へと目を向けさせることで、管理局全体の失態として取り扱って欲しくないと言う、汚い管理局の思惑もあったのだろう。
「…………」
奥歯を噛み締め、その誹謗中傷に耐えるティアナ。
なんと言われようと、周囲がティーダのことをどう思おうと、ティアナだけは兄のことを信じていた。
兄は決して無能なんかじゃない。
兄の魔法はたくさんの人を助けることが出来る凄いものだった。
このままで済まさない。絶対に認めさせてやるんだ。兄が決して無能なんかじゃないことを――
わたしの魔法(ちから)で――
それはティアナの誓いだった。今日の悔しさを忘れない。
そう思いながら、ティアナは位牌を持つ手にギュッと力を込める。
ポツポツと降りはじめる雨。
その雨は、そんなティアナの涙を代弁するかのように、冷たくミッドの大地を濡らしていた。
次元を超えし魔人 第34話『目指す先は』(AS-STS)
作者 193
第6管理世界――開発もあまり進んでおらず、自然のままに残された世界。
メタ=リカーナのように他では見られない不思議な生き物が確認されており、人が入って行き難い山脈や森の奥には竜種さえ生息していると言われている、管理世界の中でも特に危険な世界だ。
その世界にアルザスと呼ばれる地域がある。
稀少古代種である“真竜”と呼ばれる古き竜を『大地の神』と称え、祭り上げる風習があるその地域には、ル・ルシエと呼ばれる少数民族が住んでいた。
彼らは竜を祭り上げ、自分たちもアルザスの大地に骨を埋め、竜と共に生きることを誓い。大地の恵みを得て生活をしている。
そして神官や巫女と呼ばれる者たちは、優秀な召喚士としても広く知られていた。
管理局にもスカウトを受け、村を出て所属しているル・ルシエの召喚士は何人もいる。
そんな村に一人の少女がいた。名前はキャロ・ル・ルシエ、六歳。
若干六歳にして銀竜と呼ばれる竜を従える彼女は、一族からも畏怖され敬遠される存在だった。
そんな、ある日のことだった。
「強すぎる力は災いを生む……分かっておくれ」
長老に呼び出され告げられた言葉。それは「村を出て行け」と言う長老と村人の意思だった。
すでにキャロには両親はいなく、頼れる家族もいない。
ここまで生きてこれたのも、長老がキャロの才能を見出し、気に掛けてくれていたからに他ならない。
親のいない少女が生きていくには、アルザスの地は過酷過ぎる環境だった。
そのことはキャロにもよく分かっている。
だからこそ、長老に感謝こそすれ、恨むようなことはなかった。
長老の表情から一目見れば窺える罪悪感が、キャロにも手に取るように分かる。
恐らくキャロにこんなことを言うのも、相当に悩んでの決断なのだろう。
長老の語る言葉には悲痛な重みがあった。
「……お世話になりました」
ここでゴネるようなことをすれば、育ててくれた長老にも迷惑を掛けることになる。
そう考えたキャロは頭を下げ、それ以上は何も言わずテントを後にする。
すでにル・ルシエに自分の居場所がないことはキャロも気付いていた。
銀竜を孵(かえ)し、あの“黒竜”を従えたその時から、この村を出ることは運命付けられていたのだろうとキャロは思う。
そんなキャロに、最後に後ろから掛けられた言葉は、長老の「すまない……」と言う悲しげな声だけだった。
アルザスの大地は広い。地平線の見える大地。
緑豊かな土地ではあるが、子供が一人で生きていくためには非常に過酷な環境だった。
村を出る時に分けて貰った食料を、相棒の銀竜“フリードリヒ”と分け合いながら少しずつ食べるキャロ。
目指しているのは人のいる場所。ル・ルシエにいることが出来ないのであれば、これ以上アルザスには住めない。
キャロは安住の地を求めて、フリードリヒと大陸を徘徊していた。
「フリードはどんなところがいい? やっぱり温かいところ?」
「アギャー!!」
フリードリヒに尋ねながら当てもなく流離う旅を続けるキャロ。
しかし村を出て五日。少しずつとってきた食事も、残すところ後一回が限度と言うところまで追い込まれていた。
食料が底を尽きるのも時間の問題である以上、飢え死にしないためにもなんとか食料を確保するか、それまでに人のいる場所を見つけるしかない。
後者は当てがないので、まだ何日かかるか分からない以上、なんとか食料を確保するしかなかった。
だが、食べられる実や動物などは、森に入らなければ手に入らない。
まだ六歳のキャロにとって、森はとても危険なものだった。村にいた時も、大人が一緒でなければ森に近づいたこともない。
牙を研ぎ澄ました獣や、巨大な怪物が徘徊する森は、立ち入るだけでも危険な場所だった。
ましてや子供。武装をしている大人でさえ、徒党を組んで踏み込む場所だけに、キャロが尻込みをするのも無理はない。
だが、このままでは自分だけでなくフリードリヒにまで、ひもじい思いをさせてしまう。
キャロはそう考え、意を決して森へと足を運んだ。
「この実は食べられそうだね」
森に入り周囲を警戒しながら木の実を集めていくキャロ。
さすがに動物を捕まえるなど出来そうにないのか、食べられそうな木の実や草を集めて回る。
手にした袋に採った木の実を詰めていき、フリードリヒもそんなキャロの手伝いをしようと、空に舞い上がり高い枝にある果物などをつついて落として回る。
「フリード、ありがとう」
袋一杯のたくさんの木の実を集め、当面の食料を確保することに成功したキャロは、ほっと胸を撫で下ろした。
だが、安心したその時だった。キャロの背後に巨大な影が迫る。
「――!?」
その気配を察し、振り向くキャロ。
そこには三メートルはあろうかと言う獰猛な狼が牙を尖らせ、キャロを威嚇していた。
こんな大物に出会ったのはキャロもはじめてのことだった。
下手に背中を見せれば、その時点で背後から襲われることは間違いない。
震える身体を必死に抑え、キャロは狼の目を見据えながら回るように距離を取る。
なんとか召喚魔法を唱える隙さえあれば――そんなことを考えながら、キャロは理想的な距離と位置を探っていく。
だが、そこまで待ってくれるほど相手は甘くはなかった。
キャロが小枝を踏んだ瞬間、それを合図とばかりに襲い掛かる狼。
キャロも召喚魔法で応戦しようとするが、距離が近すぎて間に合わない。
そんなキャロを守ろうと、フリードリヒが狼とキャロの間に割って入った。
「アギャア――ッ!!」
だが、あまりに大きさが違いすぎた。
鞄に入るほどの小さな竜であるフリードリヒでは、三メートルはあろうかと言う巨大な狼の攻撃を防ぎきることは出来ない。
フリードリヒはその体格差を埋めることなど叶わず、意図も簡単に弾き飛ばされ、岩へと叩きつけられた。
「――フリード!!」
キャロはフリードリヒの身を心配して悲痛な声を上げるが、狼の勢いはその程度では止まらなかった。
狼はフリードリヒを弾き飛ばすと、その勢いのままキャロに大きな口を開けて迫った。
――――!!!
キャロは覚悟を決め、身体を庇うように手を交差させて迫る衝撃に備えた。
しかし、いつまで経ってもやってこない攻撃。
逆に目の前で何か大きな衝撃音のようなものが聞こえ、肉の焦げるような匂いがキャロの鼻に届く。
腕を下ろし、恐る恐る目を開いたキャロが最初に見たものは、真っ黒に焼けただれ絶命した先程の狼の姿だった。
「……大丈夫?」
「え……あ、はい」
声のした方に慌てて振り向き答えるが、キャロは驚きから言葉が思うように続かない。
キャロの視線の先にいたのは、褐色の肌に腰まで届く紫がかった綺麗な黒髪をした美しい女性だった。
すぐに彼女が助けてくれたのだと分かったが、思わず見惚れてしまい、キャロは言葉を失う。
少し過激とも取れる格好だが、引き締まった身体、そして女性から見ても美しいと思うほどの整った容姿。
大胆な格好のはずなのに決して下品に見えないところが、彼女の美しさをより際(きわ)立たせているようだった。
「あの……ありがとうございました」
「うん……別にいいんだけど、あなた一人でなんでこんなところにいるの?
親と逸(はぐ)れたとか? それとも道にでも迷った?」
「いえ……」
ようやくお礼を口に出せたキャロだったが、次に女性から帰ってきた言葉に対し、どう答えていいか言いよどんでしまう。
しかし、助けてくれた恩人に嘘を吐きたくはなかった。
キャロはこれまでのこと、森には入った経緯を女性に話し、それを聞くと彼女は考え込むように顎に手を当てた。
「それじゃ、わたしたちと来る? こんなところに子供を一人放っていけないし」
「……いいんですか?」
「野垂れ死にたいなら、別にわたしは構わないけど?」
「いえっ! よろしくお願いします!!」
思わぬ女性の申し出に、頭を下げるキャロ。
願ってもみないことだっただけに、彼女に誘って貰えたのはキャロも嬉しかった。
フリードリヒが一緒にいるとは言っても、一人で心細かったのは本音だった。
「ちょっと、カル! 何してるのよ!!」
「……やはり、この世界にも痕跡はないようだ」
「早くダーシュに会いたいのに……その怪しい探知機、本当に役に立つんでしょうね?」
女性の後ろから現れた白髪の男性。カルと呼ばれた男性の目が見えないことには、すぐにキャロも気付いた。
普通と変わらないほど自然に振舞って見せてはいるが、視線がまったくと言って良いほど動いていなかったからだ。
並んで立つ二人は、理想の美男美女のカップルのように見えるが、恋人と言うよりは気の合う友達と言った風に見受けられる。
男性と話を終えると、女性はキャロの方を向いて手を差し出した。
「アーシェス・ネイよ。えっと――」
「キャロ……キャロ・ル・ルシエです」
「よろしくね。キャロ」
「はい、よろしくお願いします」
なんだろ? 凄く温くて安心が出来る――
その差し出された温かな手を握りながら、キャロはそう思った。
先程までネイに文句を言われるがままだった男性も、無愛想ながらもキャロの方を見ると――
「カル=スだ」
そう一言、自分の名前を告げた。キャロはそんなカルを見て、不思議な人だと思った。
かつてD.S.に仕えたとされる伝説の四天王の一角、雷帝アーシェス・ネイ。
そして同じく四天王の一角、氷の至高王カル=ス。
この時のキャロは、二人がそんなに凄い人物だと言うことを知る由もなかった。
何度目かになる春を迎え、少女たちも中学を卒業し、それぞれに新しい道を歩みはじめていた。
アリサとすずかはそのまま私立聖祥大学付属高校に進学し、なのはとフェイトは周囲の反対を押し切る形でバスタードの候補生制度を受けることになった。
高校を出てからでも遅くはないと大人たちも注意をしたが、本人たちの意思は固く、断固として譲ろうとしなかったためだ。
それと言うのも、一年前に経験したミッドチルダの空港火災が一番の決め手になっていた。
将来の道を考え、人を救える力があるのなら魔導師としての力を、そうした困ってる人たちのために使いたい。
なのはとフェイトは揃って、そのことを主張した。
候補生制度と言っても、何も魔導師としてのことばかりを学ぶ分けではない。
社会に出て恥ずかしくないようにと、下手な進学校よりも難しいレベルの勉強がカリキュラムに含まれていた。
それもあって、「仕方ない」と二人が頑固なことを知っている大人たちも折れた。
本当はもっと子供らしく、せめて高校や大学を出るまでは普通の生活を送って欲しいと思っていただけに残念ではあったが、二人の気持ちも察することが出来るだけに、それ以上はあまり強くは言えなかったと言うのが大人たちの本音だった。
そして、はやてはと言うと――
「本当に、これでよかったんですか?」
「うん……色々と考えたんやけどな。このまま、なのはちゃんたちと一緒に地球で魔導師をやるよりは――
あっちでしっかりした地盤を作って、二つの世界の架け橋になれたらなって……そんな風に思うんや」
シャマルの心配に、はやては思いの丈を話して返す。はやては聖王教会に行くことを決意していた。
その背景には闇の書事件や、ミッドチルダでの空港火災、そして闇の書が残した数々の忌まわしい記憶があった。
バスタードに所属するかどうかは、ずっと悩んでいたことだった。しかし、はやては聖王教会を選んだ。
カリムが打算があって近づいて来たことは、はやても気付いていた。
だが、このままバスタードに所属して魔導師になるだけで、本当にあの空港火災のような悲劇を減らすことが出来るのかどうか、はやてはそのことをずっと考えた。
闇の書が見せてくれた断片的な記憶の中には、もっと酷いイメージがたくさんあった。
血で真っ赤に染まった戦場。子供も大人もなく、ただ肉塊と化した固まりが山のように積み上げられている光景。
食べるものもなく、生まれてくることも出来ず、信じられる相手も頼れる肉親もいない孤独な世界。
そんな悲しみや、憎しみや、寂しさが、この世界にはたくさん溢れている。
何も地球の中だけの話ではない。それは管理世界も同じだった。
はやてがカリムと付き合い、聖王教会に足繁く通っていたのも、そうした歴史を調べ、ミッドチルダをはじめとする次元世界の内情を知りたかったからだ。
そのことを知り、今の地球と管理世界の関係を考え、地球のことをよく知る誰かが率先して中に入って行かなければ、本当に良くして行く事が出来ないのではないか?
――はやては、そう考えたのだ。
実際に地球に出向してきている管理局員や聖王教会の人々が、地球のことをよく知ることで交流が生まれ、地球への見方も随分と変わって来ている。
それはバスタードと言う組織のあり方が、間違っていなかったと言う一つの証明でもあった。
そのことからも、何よりも管理世界の人たちに地球のことを知ってもらうことからはじめたい。
そうするためにも、まずは自分から率先して動くことで、あちらでしっかりとした地盤を持ちたいとはやては考えていた。
発言力が増せば、それだけ出来ることも広がってくる。
幸いにも聖王教会は、はやてのことを重要視し、かなりの待遇で迎える用意があることは分かっていた。
カリムの思惑がどこにあろうと、利用できるのであれば利用しない手はない。
はやてはそう考え、カリムの話を受けて聖王教会に行くことを決意したのだ。
「でも……みんなは本当にそれでええんか? 無理にわたしに付き合わんでええんよ?」
「いえ、わたしたちは主についていくと決めてましたから」
「はやてと離れるのなんて嫌だ! あたしは絶対についてくかんなっ!!」
「わたしもです。はやてちゃんは大切な家族ですから」
シグナム、ヴィータ、シャマルの三人が思い思いの気持ちをはやてに打ち明け、ザフィーラも無言で三人の言葉に頷いていた。
そんな守護騎士たちを見て、はやても思わず苦笑を漏らす。
四人の申し出は嬉しかったが、本音を言えば四人には好きなことを見つけ、それをして欲しかった。
聖王教会に行くことは、あくまではやてが選んだ決断だ。
そのことにまで彼女たちを付き合わせるつもりがなかっただけに、はやても複雑な気持ちだったのだろう。
しかし、そんなはやての気持ちを察してか、シグナムが代表してはやてに「違います」とその考えを否定して返した。
「我々の夢はあの時から、そして今も変わってなどいません。
主との平穏な日常を送ること――あなたが望む未来にその平穏があるのなら――
我々は主の剣となり盾となって、ともに歩みます」
シグナムの言葉に他の三人も頷く。それは彼女たちが自分たちで考え、出した結論だった。
そんな守護騎士たちの思いに打たれ、はやては涙を浮かべる。
しかしその表情は、嬉しさから笑顔で満ち溢れていた。
「……本当によかったのか?」
「珍しいですね。心配してくれるなんて」
「チッ……好きにしやがれ」
はやてが聖王教会に行くと聞いて、最初はリインフォースもついていくかどうかで迷っていた。
ツヴァイはすぐにD.S.といることを選んだようだが、リインフォースにとって、はやてはD.S.と同じくらい大切な存在だったからだ。
しかし守護騎士たちがはやてと一緒に行くことを決めたと聞いた時から、リインフォースの中で答えは自ずと決まっていた。
あの空港火災を見た時から、すでにはやては夜天の魔導書の主としてだけではなく、一人前の魔導師として成長していることにリインフォースは気付かされていたからだ。
自分がいなくても、すでに彼女は自分だけの夢を見つけ、自分の足で歩けるだけの力と意志を持っている。
リインフォースは、はやての成長を嬉しく思うとともに、そのことが少し寂しくもあった。
そう考えたとき、はやての周りには温かい家族が、守護騎士たちがいることに気付き――
そして、あの輪の中に入って行くことが躊躇われたのだ。
闇の書と言う負債を背負う自分は、これからのはやての未来の障害になるかも知れない。
はやては優しい。リインフォースがそんなことを言えば、「そんなことはない」と手を取ってくれるだろう。
しかし、その優しさに甘え、はやての重荷になることだけは彼女は嫌だった。
それにもう一つ気掛かりだったのはD.S.のことだ。彼の周りには彼のことを慕うたくさんの人々が集まってくる。
それは同時に彼にとって守るものが増えると言うことに他ならない。
最強であるか故に、絶対的な強者であるが故に、対等な相手がいない。
D.S.はある意味で、世界で一番孤独な存在なのかも知れないとリインフォースは感じていた。
だからなのだろう。残ることを決意したのは――
はやてのことを理由にしてはいるが、本当に一番心配だったのは残していくD.S.のことだったのかも知れない。
リインフォースはそう思い、胸の辺りが熱くなるのを感じながらD.S.の顔をジッと見る。
「……なんだ?」
「なんでもありません……お茶でも飲みますか?」
「……ああ」
ジッと見つめてくるリインフォースを訝しみながらも、D.S.は手にしていた本に再び視線を戻す。
そんなD.S.の膝の上でスヤスヤと眠るツヴァイを見て、リインフォースも思わず笑顔を浮かべる。
はやてを選ばずに残ったのは、この日常を失いたくなかったからなのかも知れない。
リインフォースは、そんなことも考えていた。
第四陸士訓練校――ミッドチルダの北部、ベルカ自治領に程近い場所にある管理局の訓練学校だ。
航空教導隊や士官学校と違い、空戦適正のない魔導師の卵や、生まれ持ち高い魔法資質を持たない者。
癖が強く、魔導師としては扱い難い者など、そうした人たちが集められてくる訓練学校でもある。
所謂、魔導師になりたいと思う適性ある人間が、管理局の門を叩く前に最初に訪れる場所。
それが、ここ陸士訓練学校だった。
「――でえええっ!!!」
気合の入った掛け声と共に放たれる強力な一撃。それはスバルの放ったリボルバーナックルの一撃だった。
大の男が三人で抑えているにも関わらず、サンドバッグごと後ろへと弾き飛ばされてしまう。
同じく、隣のコートでは後衛の射撃魔法の訓練が行われていた。
自作のデバイスと思われる銃を片手に狙いを定めるティアナ。
放たれた魔力弾は木々を縫(ぬ)うように進み、的の中心に見事に命中する。
時を同じくして魔導師を志す切っ掛けを得た二人は、出会うべくして出会ったかのようにコンビを組まされ、厳しい訓練の日々に身をやつしていた。
性格も、境遇も、生まれも、何もかもが違う二人だったが、接近戦のスバルと、中距離から遠距離までをこなす後衛のティアナの二人は思いのほか相性がよかった。
能力は高いが、いつも暴走気味なスバルを、冷静なティアナが諌(いさ)め、援護する。
ある意味でバランスの取れたコンビだとも言えるだろう。
「ティアナ、銃の方大丈夫?」
「まあね……最近、訓練が厳しかったから総メンテしないと……
アンタだって高そうなデバイス持ってるんだから、ちゃんと手入れくらいしなさいよ」
「あ……うん」
部屋も一緒の二人はこうして話をする機会も多かった。
もっとも、いつもティアナの方が馴れ馴れしいスバルにキレて「スバルうっさい!」と怒鳴ることが大半だったが、それでも二人の仲は上手く行っていたと言っても問題ないだろう。
なんだかんだ言ってはいても、お互いに相手の実力や、その努力を認めていた。
「そう言えば……アンタのデバイスって」
「ああ、コレ? コレ、本当は母さんの物だったんだ……」
「それって……」
思い詰めたような表情で語るスバルを見て、ティアナは「しまった!」と軽々しくまずいことを聞いたと自分を叱責した。
普段は相手のプライベートなどあまり気にしたりしないティアナだったが、訓練校の候補生の持ち物とは思えない高級なデバイスを持っているスバルのことが少しは気になっていた。
信じられないほど恵まれた魔力と才能があり、それでいて信じられないほど強引で無鉄砲で不器用な少女を、ティアナはスバルの他に知らない。
だから、最初はどこかの世間知らずなお嬢様か何かだとティアナも思っていた。
しかし、コンビを組まされ二ヶ月――お嬢様の気まぐれとは思えないほど必死に訓練に取り組むスバルを見て、その考えは間違っていたのだと気付かされた。
だから気になって、そのグローブ型のデバイス、リボルバーナックルのことを聞いたのだ。
だが思いもよらぬスバルの反応に、ティアナはいつになく戸惑ってしまう。
「あのね……ごめん、わたしが軽率だったわ」
「うん? なんでティアナが謝るの?」
「なんでって、それは……」
「このリボルバーナックル、姉さんがいるんだけど二人で片方ずつ持ってるんだ。
でも、母さんって凄いんだよ。わたしとギン姉がデバイスを装備して二人がかりで掛かっても、全然歯が立たないんだから」
「へ……? アンタの母さんって生きてるの?」
「うん、ピンピンしてるよ。むしろ元気すぎて困るくらい……」
スバルは「魔導師になりたい」とクイントに打ち明けた時のことを思い出していた。
しかしそれは、訓練学校に入るまでの一年。
スパルタとも言える特訓をクイントから受けていたスバルからすれば、あまり思い出したくはない思い出だった。
クイント曰く、地球に出向していた時に“ある人物”から学んだ“軍隊式訓練”らしいのだが、それは言葉に出すのも憚(はばか)れるほど過酷な内容だった。
リボルバーナックルのことを思う度に、当時の訓練のことが脳裏を過ぎりスバルは萎縮してしまう。
ある意味でその訓練で、しっかりと恐怖を刷り込まれていたとも言える。
ティアナはそんなこととは知らず、恥ずかしい勘違いをしていたことに気付き、顔を真っ赤にして震えていた。
「馬鹿スバル! 紛らわしい言い方するなっ!!」
近くの物を投げ、スバルに八つ当たりをするティアナ。それでも、この二人の仲が良いことに変わりはない。
この時のティアナは、このスバルとの腐れ縁が、これからも随分と長きに渡って続くと言うことを知る由もなかった。
ミッドチルダの外れ、廃棄区画となり現在では立ち入りが禁止されているその場所に、二人の女性の姿があった。
長い栗色の髪の毛に褐色の肌をした少女アムラエル。そして、そのアムラエルの用事に付き添いでやって来たシェラの二人だ。
二人がいる場所は、一年前に“五万人の民間人が街と共に忽然と姿を消した”と言う噂の元となった街の跡地だった。
街のあったはずの場所には巨大なクレーターが出来ており、街があった痕跡などほとんど残っていない。
あるのは抉り取られたような地面のあとだけ、手掛かりとなりそうな物は何一つないように見える。
しかし、アムラエルはこの場所に着いた時から、ずっと険しい表情を浮かべていた。
「ここ、一年前に噂になった件の場所ですよね?」
「シェラ、何も感じない? かつて“あの場所”で経験したことのある“あなたなら”分かるはずよ」
「え……」
確かにここに来た時から、空気が重いような息苦しい圧迫感はシェラも感じていた。
しかしそれも、この信じられないような光景を目の前にして、少なからず動揺していたからだとシェラは思っていた。
だが、そう言われて見れば、どこかここは他とは違うことにシェラは気付く。
アムラエルに言われ、目を閉ざして周囲の空気を感じるようにシェラは探った。
「魔力素が濃い……でも、これは……」
シェラの脳裏に忌まわしい記憶蘇える。
それはこの世界に来るよりも前、悪魔によって蹂躙されていた中央メタリオンの大地――
そして同じような空気を感じたことがあることに気付く。目の前に現れた圧倒的な力を持つ悪魔。
狡猾で残忍な笑みを浮かべ、人間たちを嘲笑うかのように開かれた地獄への扉。
「……混沌嘯(ケイオスタイド)」
「まさかっ!? ここが地獄と繋がったとでも言うんですか!?」
「ええ……五万人もの人がどこに消えたのか……あなたなら想像がつくでしょう?」
シェラは信じられなかった。しかし、これは一度体験した者でなければ分からないことだ。
ケイオスタイド――現世と地獄を繋ぐ混沌の門。
負の圧倒的な魔力により次元振動が起こり、世界と世界を繋ぐ巨大な空間が形成される。
その強力な魔素に触れた者は、通常であれば狂人と化し、心を絶望と闇で支配される。
シェラもかつて、マカパインたちと共にこのケイオスタイドに巻き込まれ、地獄へと落とされた経緯があった。
しかし、この現象はその場に悪魔がいなければ起こらないはず。
だとすれば、この惨状を引き起こしたのは魔導師などではなく――
「悪魔……」
当時のことを思い出してか、シェラは肩を震わせてその忌まわしい名前を口にする。
もし悪魔がこの世界にいるとすれば、それは人間たちにとって限りない脅威になることは明白だった。
あの時のように、明日の見えない死に怯える毎日を送らなくてはいけないと思う恐怖。
地獄と化した大陸の姿がシェラの記憶には残っていた。
「わたしは大きな勘違いをしていたのかも知れない。
神の力が感じられないことから、天界と地獄のチャンネルは閉じているものと思っていた。
でも……それがそもそも間違いだとしたら……」
アムラエルは嫌な考えを巡らせていると自分で思う。
しかし、そうとしか考えられない不思議な現象が確かに多かった。
D.S.の魔力を借りているとは言え、現界しているアムラエルの存在。そして、このケイオスタイド。
次元断層が起こり世界が飲み込まれた時、自分だけはD.S.の中に取り込まれていたから、難を逃れたのだとアムラエルは思っていた。
しかし、それこそがそもそもの間違いの原因だったのではないか?
他の天使や悪魔たちも、同じようにこの世界に流れ着いていたとしたら?
神のみがあちら側に取り残され、自分たちだけが世界から弾き出された存在なのだとしたら?
「……最悪ね」
アムラエルは言葉どおり“最悪”とも言える考えを頭の中で巡らせていた。
すべては推測に過ぎない。だけど、悪魔はこの世界のどこかに必ずいる。
それだけは推測でも予感でもなく、確かな現実だった。
……TO BE CONTINUED