作者:193
2009/02/05(木) 20:04公開
ID:4Sv5khNiT3.
ミッドチルダ地上本部――クラナガンにある首都防衛隊の宿舎に二人の男女の姿があった。
険しい表情をして向き合う男女は、あのゼストとクイントだった。
その雰囲気から、只ならぬ状況であることは一目に分かる。
「納得出来ません……どうしてですか!?」
「――上の決定だ。戦闘機人事件からは手を引く。時期にお前にも新しい辞令が下るはずだ」
クイントはゼストから告げられた上層部からの命令を聞いて声を荒げ、感情を顕にする。
それは“戦闘機人事件の任からゼスト隊を外す”と言うものだった。
メガーヌが殉職し、その調査に出掛けたメガーヌの部隊はほぼ壊滅。彼女の最後の奮闘がなければ全滅していたことは間違いない。
生き残った部隊員も半数が動けない状態では、次の任務どころの話ではないのは確かだった。
それを理由に持ち出し、上層部はゼスト隊に解体を指示。その上で戦闘機人事件に関しても手を引くように命令を下した。
だが、クイントはそれで納得がいくはずもない。親友が殺され、それで黙っていることなど出来るはずもなかった。
しかし、すぐにでもメガーヌの仇を討つため、調査を再開したかったクイントに下されたのは、ゼストの非情な一言だった。
「隊長は……隊長はそれで納得出来るんですかっ!?」
「納得するしないではない。これは決定だ。
クイント、お前も組織の一員ならそのくらいのことは分かるだろう?」
クイントは声を荒げてゼストに迫るが、そんなクイントを見ながらも、ゼストは憮然とした態度で淡々と答えるだけだった。
上の決定である以上、ここで幾ら声を荒げたところで、どうにもならないことくらいクイントにも分かっている。
しかし、それで気持ちの整理がつくかと言われれば話は別だった。
それでもゼストの言っている意味も分かるのか、それ以上は何も言えず、ただクイントはゼストの話を聞いて唇を震わせる。
「地球での滞在任務で留守にしていたんだ。しばらくは仕事のことを忘れ、家族と静かに暮らすといい」
それだけを言い残し、ゼストはクイントに背を向け立ち去っていく。
その足音が消えるまで、クイントは黙って俯いていることしか出来なかった。
責められることはゼストも覚悟していた。
しかし、慕ってくれた部下だからこそ、これは自分の口で告げなくてはいけない最後の命令だと思っていた。
上層部のこの決定はゼストも予想していたことだった。
以前からも戦闘機人事件の調査に関して、上層部からの介入が入ることは珍しくなかったからだ。
メガーヌの死が悲しくないわけではない。しかし、組織の一員である以上、その決定に従わなくてはいけないのも当然だ。
だがゼストはそれとは別に、クイントのことや部下のことを心配していた。
「……泥を被るのはオレだけで十分だ。お前は生きて幸せを掴んでくれ……メガーヌの分まで」
それから数日後。クイントはゼストが管理局を辞職し、行方を眩(くら)ましたことを知った。
あの時、ゼストが何を思い、部下を突き放すような真似をしたのかは今となっては分からない。
だけどあの時、もっとちゃんとゼストと向き合っていれば、そのことだけがクイントの心の中に蟠(わだかま)りとして残っていた。
そして――更に四年の年月が流れた。
次元を超えし魔人 第33話『希望の灯』(AS-STS)
作者 193
ミッドチルダ北部――ここにはベルカ自治領がある。
聖王教会の本拠地があり、事実上ベルカの秩序の下で統治されているこの区画では、たくさんの聖王教会の信者が生活を営んでいた。
高層ビルの立ち並ぶクラナガンとはまた違い、赴きあるレンガ作りの建物が並ぶ印象的な街の中心を、周囲のものに興味津々と言った様子でキョロキョロと見回しながら、北へと向かって歩いていく一同の姿があった。
「……凄いね。真っ赤なレンガ作りの家がたくさんあって、中世のヨーロッパにタイムスリップしたみたい」
「うん、メタ=リカーナにどことなく雰囲気が似てるかも」
レンガ作りの街並みが珍しいのか、目を輝かせながら周囲を見渡すなのはを見て、フェイトは苦笑を漏らす。
なのはが興味を抱くように、その街並みは中世の街並みを意識したレンガ作りの古い様式を催していた。
メタ=リカーナと雰囲気が似ているのも、そう言う意味では間違いではないだろう。
海鳴市も海と山に囲まれた自然豊かな街ではあるが、中心部に行けば高層ビルが立ち並び、近代を彷彿とさせる街並みが広がっている。
そんな街で生活をずっと送ってきたなのはから見れば、メタ=リカーナにしてもベルカ自治領にしても珍しいものばかりだった。
「まったく……中学に上がっても、なのはは子供なんだから……」
「アリサちゃん、アムちゃんへのお土産にこれどうかな?」
「すずか……あんたまで……」
なのはの能天気さと、すずかのマイペースにアリサは呆れた様子だった。
中学に進学し、来年には受験も控えていると言うのに、子供っぽいところは相変わらずだったからだ。
すずかとフェイトの二人は身体的には周囲に大きく差をつけ、グッと大人らしくなってはいるが、中身の方はそれほど変わっているようには見えない。なのはの能天気とフェイトの天然はいつものことだし、すずかもマイペースなところは相変わらずだ。
アリサ一人、そんな三人を目の前にしながら、気苦労ばかりする損な役割を演じていた。
三人は特に観光気分ではあるが、アリサにして見ればここは敵地でもある。
聖王教会のことはこれから判断するしかないが、管理局との間には様々な問題が今まであったことをアリサは忘れていない。
その内容の大半は、アリサから見ても管理局の身勝手さばかりが浮き彫りになる内容だった。
管理世界との交渉など無駄ではないのかと思える中で、デビットやシーラたちがどれほど心労を煩い、苦労をして来たかを察しているだけに、聖王教会の管轄区とは言っても管理局のお膝元で、暢気(のんき)に楽しむ気にはアリサはなれなかった。
特に今日はリニスが保護者で付いて来ていると言ってもアムラエルがいない。
と言うのもこの話をした時に「観光ならいいけど、そんな下心見え見えの相手に会う気はないわよ」と聖王教会行きをキッパリと断っていたのが、アムラエルがいない一番の理由だった。
それに一緒に来ていたはずのD.S.とリインフォースはいつの間にか雲隠れしているし、何かあった時に実力行使に出れそうな人物が見事にいない。
それに今日は――
「でも、わたしたちまでよかったの? そりゃ、はやてたちだけを行かせるのは心配だったけど……」
「大丈夫やよ。向こうも、アリサちゃんたちに会いたいって言ってたし」
闇の書事件から六年。最初の二年ほどでリハビリを終えたはやての足は無事に動くようになった。
運動音痴なところはなのはと良い勝負と言ったところだが、最近では友達と一緒に元気に校庭を駆けるはやての姿を見られるまでに回復していた。
先頭を行くなのはとフェイトに気を配りながらも、アリサは隣を並んで歩くはやてのことが気になって声を掛ける。
今日、ベルカ自治領に来たのも、カリムに「聖王教会を見学に来ないか?」と、はやてが誘われたからだ。
深く考えすぎかもしれないが、はやてほどカリムと言う人物のことも聖王教会のこともアリサは知らない。
それが彼女の不安を駆り立てていたのだろう。はやては簡単に言うが、アリサは心配だった。
はやてと守護騎士たちが、なのはやフェイトに劣らないほど優秀な魔導師だと言うことはアリサも知っている。
下衆な勘ぐりかも知れないが、少なくとも管理局同様、聖王教会が彼女たちの力を取り込みたいと考えているのは間違いない。
カリムと言う人物と会ってみて、冷静に見極めないと――
最悪の場合は、はやてになんと思われようと、友人として“聖王教会と彼女を引き離さないと”とアリサは考えていた。
「…………」
「心配? はやてちゃんのこと――」
「ええ……ですが、主の決めたことなら、わたしたちは口を挟むつもりはありませんから――
それよりも、あなた方はそれで構わないのですか?
リインも何も言わないようですが、そちらの方も人手が足りていないのでは?」
はやてのことを後ろから見守りながら厳しい顔をするシグナムを見て、リニスは彼女の様子を気にして声を掛けた。
二人の後ろには同じようにシグナムとリニスの話に興味があるのか、黙って耳を傾けているヴィータ、シャマル、ザフィーラの姿が見受けられる。
彼女たちもはやてと同じく、カリムから聖王教会の見学に来るように勧められていた。
リニスはそんな緊張しているだろう彼女たちのことを気に掛けて声を掛けたのだが、逆に心配をされてしまい苦笑を漏らす。
シグナムの言うとおり、確かにバスタードは人手不足が大きな問題となっていることは事実だった。
だが、シグナムたちのようにすぐに使える戦力が目の前に揃っているにも関わらず、デビットもシーラも無理に彼女たちを組織に引き入れようとしなかった。
シグナムからすればそれは不思議で仕方ない。
闇の書事件を振り返ってみて彼女たちがいつも思うことは、本当にあんな決定でよかったのだろうかと言うことだ。
軽いボランティア活動であれだけの罪が済まされたこと事態、彼女たちからすれば信じられないことだった。
望んでいたこととは言え、自分たちだけが平穏な生活を享受し、「本当にそれでいいのだろうか?」と言う気持ちがあった。
心のどこかで「ちゃんとした罰を、罵られても構わないから裁いて欲しい」と思っていたのかも知れない。
そんなシグナムたちの気持ちを察してか、リニスはシグナムに笑い掛けた。
「あなたたちが入ってくれれば確かに助かるかも知れない。でも、はやては……あの子はどう思うかしら?」
「それは…………」
「あなたたちが罪悪感に駆られて組織に入れば『自分のせいだ』と、きっとそう思うでしょうね」
リニスの言いたいことはシグナムにもよく分かる。しかし、それだけでは納得が行かないのもまた事実だ。
シグナムたちは難しい顔をしたままリニスの話に黙って聞き入っていた。
こうして、はやてと平穏な暮らしを送れているのも、すべてデビットたちのお陰だと分かっている。
だからこそ、このままではいけないとシグナムたちは考えていた。
――これは自分たちが望んだ“日常(願い)”だ。
しかし、それを与えてもらっている現状に甘え、日々を何も考えず幸せを享受するだけの生活は嫌だった。
「それに、わたしも正確にはバスタードの一員じゃないしね。あなたたちの望むことをする。
それが一番だと思うわよ。その上でバスタードに所属するなり、聖王教会に行くなり好きに決めるといいわ」
「望むように……」
「いっそ、騎士なんて辞めて女としての幸せを掴むのもいいかもね」
からかう様に笑いながらそう言うリニスを見て、シグナムは冗談なのか本気なのか疑いたくなる。
いっそのこと「地球のために働け」と、そう言われている方が楽だったかも知れない。
そのことを思い――はやては何を考え、どう思っているのだろう?
アリサたちと楽しそうに話しながら前を歩くはやてを見て、守護騎士たちはそんな思い思いの考えを巡らせていた。
聖王教会の敷地に入って最初にリニスたちを出迎えたのは、カリムの側近であるシャッハだった。
下の者を寄越さず信用の置ける腹心を案内に寄越すと言うことは、それほどにリニスたちのことを重要な客人としてカリムが考えていることが窺える。
仮にも今日は保護者としてシーンやカイからも頼まれて同行していたので、リニスも用心を怠るつもりはなかった。
その警戒心が僅かに外に漏れていたのかシャッハに気付かれ、「警戒なさらなくても何も仕掛けていませんよ?」と逆に失笑を買ってしまう。
「何かするつもりなら、とっくに仕掛けてきてるでしょうしね」
「ええ……その気になれば猫の一匹や二匹、罠にかけることくらいわけないですよ」
「猫を舐めると、その綺麗な顔に傷を残すことになりますよ?」
「ウフフ……」
「フフ……」
カリムの執務室に案内されるまでの間、シャッハとリニスの二人のやり取りを見ていた周囲は気が気ではなかった。
笑顔で楽しく世間話をしているように見えて、二人の背後に威嚇しあう肉食獣のようなオーラが見えたからだ。
リニスが聖王教会を警戒する理由は自ずと分かるが、シャッハがリニスのことを快く思っていない背景には一つの噂があった。
数年前から、ミッドチルダにある聖王教会の関連施設から、重要な文献や書物が盗まれていることが発覚していた。
そしてそれと同時期に目撃されている銀髪の少年にローブ姿の女性。シャッハがD.S.とリニスのことを疑っていたのも無理はない。
しかし、それはあくまで推測であって証拠は一つもなかった。
現場には見事なほど痕跡はなく、件の二人がミッドチルダのどの空港も使用していないことが分かっていたからだ。
かと言って、届出のない個人転送など平気でやってしまいそうな相手だけに、それだけで白と言うには無理があった。
そのことがより一層、シャッハの警戒心を強めていた。
「ようこそ、はやてにみなさん――あら? リニスさん、他のお連れの方は?」
執務室に着いて早々、D.S.とリインフォースがいないことに気付いてか、カリムが不審な表情を浮かべる。
今回は何も後ろめたいことがないので、全員揃ってベルカ自治領の外れにある臨海空港で入国手続きをして入ってきていた。
当然、D.S.とリインフォースも正規の手続きを踏んで入国審査を通ってきている。
そのことをカリムも知っているのだろう。だから、二人がいないことに不審を抱いていた。
「途中までは一緒だったんですけどね。どこかで“観光”でもしてるのかも」
「……最近、クラナガン周辺で銀髪の少年とローブ姿の女性が目撃されていると言う情報が入っているのですが――
リニスさんは、何か心当たりはありませんか?」
「さあ? わたしはミッドに来るのも“はじめて”ですからね。この辺りの事情には疎くて」
ボロを出さないかと鎌をかけたカリムだったが、何でもないように答えるリニスを見て眉を顰(しか)める。
言うつもりがないのならこれ以上は何を話しても無駄だろうと、カリムはそれ以上追求することは諦めた。
簡単にボロを出すような相手ならやりやすいが、相手が交渉ごとに長けた狡猾な人間だと言うことはお互いに熟知している。
このまま続けても、腹の探り合いのようになることは間違いなかった。
カリムも、そんなことで時間を取りたくはない。本来の目的を忘れてしまったのでは意味がないからだ。
今日は、はやてや守護騎士たち、それになのはやフェイトに聖王教会のことを知ってもらうことの方が重要だった。
気になっていたリインフォースの姿はないが、はやてたちさえ納得させてしまえば後は芋蔓式でついてくることは間違いない。
それを考え、カリムは話を切り出そうとした。
「では――」
『――大変ですっ!!』
「騒々しい……なんですか? 今日は大事な来客があるとアレほど……」
『ベルカ自治領南西、臨海空港で大火災が発生!! 今も小規模な爆発が続いています!!』
「――――!?」
目の前の空間モニタに映し出された映像を見て、カリムは目を見開いて驚く。
すでに日も沈み、暗く染まった空を明るく照らし出す炎。
海上に浮かぶ臨海空港が、幾つもの小規模な爆発を上げて燃え広がっていた。
カリムの脳裏に最悪の結果が想像される。時間はまだ夕方を少し過ぎた辺り、中にはたくさんの利用者がいたはずだ。
あの猛火の中に取り残された人々が、どれほどの危険に晒されているかと言うことは想像に難くない。
「フェイトちゃんっ!!」
「――うん」
「ちょっと、二人とも!?」
アリサの制止も聞かず飛び出していく、なのはとフェイト。
アリサはそんな二人の背中を見送り、「あ〜! もうっ!!」とその場で地団駄を踏んでいた。
そんな状況を見ていながら、シャッハから出されたお茶を片手に他人事のように涼しい顔をして寛(くつろ)いでいるリニスを見て、アリサは沸々と怒りが湧いてくる。
「リニス、なんで止めてくれないのよ!?」
「言っても素直に聞く二人じゃありませんから」
「そ、それはそうだけどっ!?」
「それに人助けなら、それほど悪いことじゃないでしょ?」
そう言って確認を取るようにカリムの方を見て笑うリニス。
アリサはそれを見てハッとした顔になる。リニスがなんで落ち着きを払っていたのかを察したからだ。
「まさかこの緊急事態に“Sランク相当”の民間魔導師の協力を拒むほど、聖王教会も管理局もバカじゃないですよね?
あの慌てよう……火災を消火して人命を迅速に救助出来るほど、人手は足りてないのでしょう?」
「…………ええ。正式に聖王教会から要請させて頂きます。どうか、ご協力願えませんか?」
リニスはカリムのその言葉を聞きたかった。
管理世界、特にここミッドチルダでの無許可での魔法の使用は法律で硬く規制されている。
飛行魔法はもちろんのこと、危険と思われる魔法のほとんどは規制対象となっているため、協力したくても出来ないと言うのが現実だ。
だが民間魔導師として協力するならば話は別だ。緊急時であれば、その法律も意味がなくなる。
聖王教会の公認さえ貰えるのであれば、なのはもフェイトも何も遠慮をする必要がない。
もっとも、こんな約束をする前に飛び出したところから見て、二人は何も考えていないのだろうが――とリニスは苦笑を漏らした。
「それじゃ、わたしたちも行きましょうか」
「了解です。消火はわたしが担当しますから、リニスさんはみなさんのサポートを――」
「リニスさん……わたしたちは?」
「すずかはアリサと一緒に大人しくここで待ってて。それにアリサはカリムのこと、気にしてたんでしょ?
いい機会だから、話し相手にでもなってもらいなさい」
「う……なんでもお見通しってのが気に食わないけど、ありがたく聞いておくわ。
リニス、あの二人は特に危なっかしいんだから頼むわよ」
はやてに促し、お茶を飲み終えると一息吐き立ち上がるリニス。
すずかとアリサは自分たちに出来ることがないことが分かってか、そんなリニスの言葉に黙って従っていた。
リニスはミッドチルダに着いてから、アリサがずっと聖王教会やその周囲に注意を払っていたことを察していた。
確かにアリサが友達のことを心配して注意を人一倍払う気持ちは分かる。
実際、最近では勉強にも熱が入ってるようで、デビットやシーンについて経営や交渉についての技術も学び取っているようだった。
聡い子ではあるので、それとなくカリムの狙いにも気付いているのだろう。
しかし、もう少し子供らしくしてくれても良いとリニスは思う。
なのはやフェイトのことを困ったように言うが、アリサも十分に年頃の女の子とはかけ離れているとリニスは思っていた。
まだ、肩の力を抜いて観光気分を楽しんでいる二人の方がマシとも思える。
「人数分、美味しいお茶を用意しておいてくれると嬉しいかな?」
アリサにそう返事をして、はやてと一緒に部屋を飛び出していくリニス。
その後姿が、アリサの目には心強く映っていた。
臨海空港を挟んで対岸にある港。
そこで屋台で買った食い物を口一杯に頬張りながら、悪戦苦闘する管理局員を見て、傍観者を決め込んでいる一人の男がいた。
「お父さまっ!! 何をぼーっと観戦モードに入ってるんですか!?
火事ですよ! 大火事!! 逃げ遅れてる人を助けに行かないと――」
「あん? なんでオレがそんなこと……」
「いいから、いくですよ――っ!!」
D.S.の服を引っ張り、必死に連れ出そうとする小さなリイン。
そう、彼女こそ防御プログラムからD.S.が新たに作ったユニゾンデバイス『リインフォースU(ツヴァイ)』だった。
まだ甘えたい盛りなのか、誕生して四年経った今でも、こうしてD.S.(親)の傍を離れようとしない。
普段はお気に入りとなっているD.S.の胸元に入っており、珍しいものを見つけては騒ぎ立てD.S.を困らせていた。
そんな二人のやり取りを、すぐ傍で温かく見守るリインフォース。ツヴァイが生まれた当初、一番喜んだのは彼女だ。
自分の半身とも言えるツヴァイを見て、彼女に「お姉さま」と呼ばれた時には涙して喜んだほどだ。
それからと言うものリインフォースは、はやてと過ごす時間よりもD.S.といる時間の方がより一層長くなっていた。
ツヴァイのことが気になると言うのもあったが、それほどにD.S.に恩義を感じていたのだろう。
むしろ敬愛していたと言ってもいい。はやてもリインフォースの気持ちを察してか、そんな彼女を快く送り出していた。
「ここは様子を見る意味でも、ツヴァイの言うとおりにして見てはどうですか?」
「……はあ?」
「あの子たちが黙って見ていられるとは思いませんから」
「…………」
リインフォースの言うことに間違いはない。
そして「馬鹿なことを」と言ってはいても、D.S.が少女たちを見捨てることが出来ないことは、リインフォースも分かっていた。
炎上する空港に向けて、聖王教会の方から飛んでくる二つの光が見える。
それを見て、D.S.は盛大に溜め息を吐くこととなった。
「おいっ、“次郎”いくぞ」
「はいです――って、その呼び方はやめてって言ってるのに……」
何かあると「次郎」と呼ぶD.S.に、ツヴァイは涙目でやめてくれと訴える。
普段から「リイン」や、紛らわしいから「ツヴァイ」と呼んで欲しいと言ってはいるが、素直に聞いてくれるD.S.でないことは分かりきっていた。
渋々諦め、ブツブツと文句を言いながらD.S.の周囲を飛び回るツヴァイ。
そんなツヴァイを、リインフォースも微笑ましそうに見ていた。
「――いくですっ!!」
「人の頭の上で偉そうに命令してんじゃね――っ!!」
D.S.の頭の上に陣取り髪をしっかりと掴むと空港を指差すツヴァイ。
人の話を聞かないのはD.S.(父親)譲りだった。
空港の火災は想像以上に酷いものだった。
まだ続く小規模な爆発の数々。海の潮風に揺られ火の手は勢いを増す。
燃え盛る炎は瞬く間に広がり、すでに隣接する市街地へと差し掛かろうとしていた。
「お姉ちゃん……怖いよ」
中央エントランスホール。
普段は便待ちで多くの人々でごった返すその場所も、今では炎に包まれ、まるで灼熱の世界のように地獄の様を見せていた。
紅に包まれる世界――崩れた天井や壁などの瓦礫に阻まれ、思うように身動きの取れないその場所に、泣きじゃくる一人の少女の姿があった。
スバル・ナカジマ――あのクイントの娘である。
クイントが何かを思い詰め、管理局を辞めて早二年。メガーヌの死去から四年が経った。
あの頃はあんなに小さかった少女も今年で十一歳。
身長も伸び、女の子らしく成長したその姿を見れば、時が経ったことを思わせられる。
スバルは今日、管理局の候補生として訓練学校に通う姉のギンガと共に、父親の仕事の見学に来ていた。
しかし、そこで巻き込まれた空港火災。
混乱する人々の波に追いやられ、姉のギンガと逸(はぐ)れてしまったのか、スバルは一人、炎上するホールに取り残されていた。
逃げる時に足を怪我したのか、膝を擦りむき泣き叫ぶスバル。だが、そうしてる間にも火の手は広がっていく。
「うぐ……ひっく……」
その時だった。スバルの背後にあった彫像が根元から折れ、スバルの方へと倒れこむ。
近くで起こった爆発の余波を受け、熱で弱った土台が耐え切れなかったのだろう。
自分に覆いかぶさる巨大な影に気付き、背後を振り向くスバル。
しかし、逃げようにも身体が竦んでしまい身動き一つ取れなかった。
――お母さん! お姉ちゃんっ!!
クイントとギンガのことを思い、目を瞑るスバル。
ギンガの言うことを聞かず勝手に走り出し、手を離したのがいけなかったんだと自分を責めた。
思い出されるのは、家を出るとき「二人だけで本当に大丈夫?」と心配しながら見送ってくれたクイントの温かな顔。
目を瞑り覚悟を決めながらスバルは思った。「ここで死ぬんだ」と――
「――大丈夫?」
「え……」
いつまで経っても倒れてこない彫像。そして聞こえてくる温かな女性の声。
スバルは恐る恐る目を開け、声のする方を見上げる。
そこには、トレードマークとなっている白いBJ(バリアジャケット)に身を包んだ、なのはの姿があった。
なのはの手から放たれた捕縛魔法『レストリクトロック』が、彫像を縛り上げるようにして動きを止める。
そうしてなのははスバルに近づくと、笑顔を向けて「もう怖くないよ」と頭を撫でた。
「レイジングハート、行ける?」
なのはの声に答え、輝きを増すレイジングハート。通称――魔導師の杖。
それはスバルにとって圧倒的な光景だった。目の前に現れた白い天使のような魔導師。
泣きじゃくっていた自分に向けられたのは優しい微笑で、その手の温もりはとても心強かった。
エントランスホールから空に向けて放たれる一条の光。
レイジングハートから放たれた砲撃魔法が分厚い天井を一撃で撃ち抜き、空までの一筋の道を作り出した。
暗く染まった空に伸びるその光は美しく、スバルには救いの光のように見えていた。
管理局の地上部隊の質は低いと聞いていたが、それは想像以上のものだった。
大規模な火災ではあると言っても、Sランクオーバーの魔導師に掛かれば範囲も限定されており、消火もそれほど難しいものではない。
だが実際にはそんな魔導師は首都であるクラナガンにも配備されていない。
ゼストのような例外を除けば、AAAランク以上の魔導師すらほとんどいないのが現状だった。
そしてそのゼストも今は管理局を辞め、どこへとも知れず行方不明になっている。
なのはやフェイトの救助活動。それに、はやてやリニスの助けがなければ、どれほど被害が拡大したか考えたくもない大惨事だった。
はやては氷系魔法で避難の完了した区画から、徹底的に凍らせて消火していく。
以前はリインフォースの助けがなくては使うことも出来なかった広域魔法も、長年に渡る訓練の甲斐もあって苦もなく行使出来るほどに成長していた。
もっとも巨大な魔力を持つが故の弊害もあり、どうしても制御が甘くなってしまうのが今後の改善点ではある。
消火活動を行うはやての後ろで、リニスは広域探査魔法を使い、逃げ遅れた人がいないかどうかを徹底的に探っていく。
それらの情報を念話を通じ、区画にいる管理局員やなのはたちへと伝達して行く。
その様子を現場指揮を取りながら見ていたゲンヤは驚くと共に、彼女たちの能力を賞賛していた。
地上部隊はおろか、本局でもここまで優秀な魔導師はそう居るものではない。
最初はダメかと絶望すら感じていたゲンヤだったが、彼女たちの登場で希望の灯すら見えてきていた。
「悪いな、助かったぜ。ところでアンタたちは……」
「聖王教会からの要請で協力している、“ただ”の民間魔導師です」
「“ただ”のねえ……」
ただの民間魔導師と言うには無理がある能力だったが、ゲンヤはそれ以上、リニスに何も聞こうとしなかった。
天使であれ悪魔であれ、手を貸してくれるのであれば、何よりも優先するのは逃げ遅れている人たちの命だ。
聖王教会が絡んでいるのであれば、あちらがどうとでもするだろうと、ゲンヤは喜んでリニスの協力を受けることにした。
「娘さんが?」
「ああ……今日はこっちに遊びに来ることになっててな」
この状況では無事かどうかなど分かるはずがない。
混乱する状況の中で、娘のことを心配しながらもゲンヤは職務を優先していた。
自分の娘だけではない。たくさんの人が巻き込まれている空港火災で、現場指揮を執る自分が身勝手な行動など取れないと覚悟を決めていたからだ。
しかし、リニスにも分かるようにゲンヤの表情は重かった。
「スバル・ナカジマ……大丈夫です。わたしの仲間がすでに救助しているようです」
「ほ、ほんとか!?」
管理局が現場を把握し切れてないこの状況で、リニスは的確に魔導師たちの配置、それに要救助者の位置を特定していた。
さすがに協力者という立場である以上、表立って現場指揮は取れないが、取得した情報を流すことは出来る。
そのことにより現場の魔導師たちに注意を促すことで、先程まで混乱していた現場も落ち着きを取り戻し、迅速に救助活動が進んでいた。
「もう一人も無事救出されたようです」
「すまねえ……」
フェイトからギンガを救出したと連絡が入り、リニスもほっと胸を撫で下ろす。
すでに八割方の消火活動も終え、火事の方も一気に終息へと向かっていた。
「出番、ありませんでしたね……」
「だから必要ねーって言ったろ! このバカ、ボケ、ナスビ!!」
「ふえぇ〜ん!! お父さま、酷いですっ!!」
そもそもSランクオーバーの魔導師が四人もいて、更に管理局の魔導師や聖王教会の騎士まで出動していて、なんとかならないはずがない。
結局、駆けつけたはいいが、D.S.たちは特にやることがなかった。
少女たちの成長も見れたので満更無駄でもなかったのだが、そのことでD.S.に弄られツヴァイは涙を浮かべる。
「しかし、リニスさんはさすがですね……」
「あいつは、こう言う細けぇことが得意だからな」
広域探査魔法に半径数十キロに渡り全魔導師に念話を伝達し、的確な指示を送る管制能力。
使い魔のレベルと思えない驚異的な能力を見せられ、リインフォースは素直に感心していた。
プレシアが全幅の信頼を寄せ、D.S.が黙って少女たちの世話をリニスに任せる理由が、それで分かると言うものだった。
Sランクオーバーと言う単純な強さよりも、リニスの本領はそうしたところにあるのだとリインフォースは納得する。
「火事も収まったようですね」
「んじゃ、メシでも食いに行くか」
「リインも食べるですぅ――!!」
先程まで泣き叫んでいたのに、「ご飯」と聞いて元気を取り戻すツヴァイを見て、さすがのリインフォースも苦笑を漏らす。
あれだけD.S.と一緒に屋台の食べ物を食べていたのに、食い意地が張っているのも親子一緒だった。
……TO BE CONTINUED