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長き刻を生きる 第二十八話『憎悪が刃を染め上げて』
作者:大空   2009/03/05(木) 19:33公開   ID:0Cthhk6wmJ2

 連合軍の野営地は慌てている。
 既に魏本隊とも距離が開いている訳では無い、もう決戦は目の前である。
 だが兵士達が慌てているのは復讐に逸っている訳ではなく、不安であった。


 『盟主様より緊急招集が掛かりました』


 【緊急招集】

 読んで字の如く、急を要する集まりを意味している。
 兵士達にとってこれは不安でしかない…何故なら今まで召集が掛かった事がないから。 

 太公望の知略は野営地の整備にまで及び、計算し尽された補給などを実現している。
 脇を固めている二人の軍師の能力によってそう言った仕事の苦手な者達もなんとか出来ていた。
 故に太公望からは将官を軍議で呼ぶ事はあれど決して緊急などではなかった。
 
「まさか何か事件が……」
「盟主様の身に何か……」
「別働隊がまさか…って事はないよな?」

 ここまで緊急招集など掛かった事がない…太公望軍は先日の一戦まで【無敗】だったのだ。
 無論あの仇達の理不尽な奇襲さえなければその敗北すら存在していない。
 その無敗を誇りうる軍を一手に束ねる文武最強とも言える盟主からの緊急招集。
 兵士達の脳裏には不安ばかりが駆け抜ける。



「皆に急に集まってもらってすまぬな」



 盟主太公望の天幕は非常に大きく、今この場の召集の面々を何とか入れる事が出来た。

「……で? 忙しかった僕達を強引に招集した理由は何?」
「蓮華様を無用な用で呼んだならば少々文句を述べさせて貰うぞ」

 孫権と甘寧の二名を含めた召集。
 これもまた末端の兵士達の不安を煽る要因の一つ。


「―――これを見よ」


 太公望軍…左慈・干吉・朱里・詠・愛紗・鈴々・星・紫苑・恋・椛・霞・白蓮・麗羽・袁四武将の十七名。
 更に孫権・甘寧が一同に介する木製の円卓に丁寧に置かれた”何か”を包んだ赤い布。
 それが”何”なのかは、布を染め上げている液体の色とと独特の匂いですぐに理解された。

「……ご冥福をお祈りします」

 布はあえて解かれなかったが、相手から送り返されてきた使者の頸である。
 円卓に置かれるのは首だけではなく、二本の剣と一つの巻物。

「一つは向こうからの書としても…この二本の剣は何だ?」

「それの特定にコヤツを招いているのだ…のぅ、夏侯淵」

 奥から衛兵に連れてこられた縄に縛られた夏侯淵。
 両腕は愛紗や恋の力にも耐えうる特製の縄で縛られており、強引には抜け出せない。
 捕虜の立場にある筈の夏侯淵の眼は太公望に対する怒りで燃え上がっている。

 縄目に掛けられた事・魏に敵対している事などに対する怒りが燃え上がっているのだ。

「ほぅ…冷静沈着と呼ばれる夏侯淵殿にも激昂があるのですな」
「ふっ……それは今から殺されるか、辱められるかも知れない私に対する軽蔑か?」

 夏侯淵は女、太公望は男で勝者と敗者である。
 捕虜の彼女にとってこの集会は見せしめとしか見えていなかった。
 所詮下種な男としか今の夏侯淵は太公望の事を思えない…きっと周囲の将官も同じと。

 ―――そんな考えを撃ち砕くかのように

 ―――その考えを見抜いたかのように


「主がそのような下種染みた事をする筈がなかろう」

 
 星の言葉と視線が夏侯淵を射抜いた。
 更に太公望の僅かな視線の邂逅に干吉が動き、夏侯淵の縄を丁寧に解く。
 これだけでも今の彼女には驚きであった筈だった……

「夏侯淵よ……お主はこの剣に見覚えがある筈だ」

 太公望の手から直接手渡された二振りの剣。
 ゆっくりとそれらを鞘から引き抜いて刀身を確認した。 

 それは傍目で見ても判る名剣でろう事は明確。

 では何故それが使者の頸と共に送られてきたのか……愛紗達には理解できなかった。


「何故これが……何故だ! 何故ここに華琳様の宝剣が二本とも存在するのだ!?」


 一振りは鉄を容易く切り裂き、もう一振りは天を貫くとまで称えられた名剣。
 これ等の持ち主たる曹操がこれ程の名剣を容易く手放す訳がない。

「この二本の剣で夏侯淵と交換……と言う訳では無いな」
「そもそもご主人様の書かれたモノにそんな交渉は書かれてません」
「……ならあれは何なんや?」

 会議の場は混乱していく。
 それぞれがそれぞれの理由を提示していくが納得する理由は出ず。
 この答えを知っているのは太公望・左慈・干吉の三名のみ。

 送られてきた書状に何が書かれているのかもまた同じ。


「曹操を始めとした文武百官は【導軍】の手によって陥落した……と言っておるのだ
  使者の頸と共に届けられたこの書簡にも堂々とそう書いておる…生き残ったのはお主のみよ」


 太公望の発言に場が騒然とした。
 改竄された記憶で『道標』を忘れた者達にとって、この事件は驚愕しか生まない。
 だが強制的に決起させられた元董卓軍の面々にとって『道標』は最悪の敵でしかない。 
 そして太公望……伏義ですら僅かな間に重傷へと追い込まれた最強の敵が存在している。

「どういう事だ!」

「事も何もねぇよ、言ったとおり陳到の仇の連中が何かして魏を握ったって事だよ」
「更にかながら生きて帰ってきた者の情報によると頭らしき人物は『砂色の髪の老人』だそうです」

 干吉の発言に元袁の者達から一気に殺気が溢れ出す。  
 今では袁の血筋を命を持って護り抜いた英雄と称えられている亡き忠臣の淳干携と田豊。
 郭図と岨授の二人の軍師を唆し遠隔的に袁を意図的に崩壊へと導いた元凶が目の前にいる。
 嫌がおうにも元袁の面々の士気が高まっていく。

「銀色の女は見つかっていないのか?」
「……言う前に彼女はこの世から去りました」

 手塩に掛けた暗部が死ぬ事に、いつからか干吉も悲しみを抱く事を覚えていた。
 つい先日まで馬鹿騒ぎしたりしていた連中が死んだ事に微かに嘆くようになった左慈。
 いつからか今この時の外史の存在達に…記録には名を残さない者達に対して悲しむようになった。

 最初の頃はそれこそ死ねど何も感じない冷血そのものであったが、今は違う。

 現に干吉の顔は普段と同じだが、握り締められている手からは血が流れている。


「文章には堂々とお主以外の魏の全てを掌握した……さぁ夏侯淵よ選べ」


 太公望の魔性の囁き。


「一つ目は今ここでその剣を持ってワシを打ち倒しこの頸を持っていく
 二つ目はワシの情けを持って単身で大切な曹操と仲間達を救う
 三つ目はただ苦悩と侮蔑を持って今この場から去り一人の女として生きる」


 一つ目はまず不可能、周囲にいる名だたる者達を接近戦で退けれる武を持たない。
 更に言えば人中の呂布すら容易に退けた太公望に夏侯淵の剣が何処まで通じるか判らない。

 二つ目は可能性がない訳では無いが、不可能な一面が大き過ぎる。
 夏侯淵にとって実姉である春蘭や主たる華琳が洗脳など受けるとは信じていない。
 ならばその場に居た季衣や春蘭を始めとした武官達を一挙に退けれるだけの敵がいるのだ。
 救いきれる自信がなかった。

 三つ目こそまさしく論外。
 この武人としての道を歩む上である種の女は捨てきって居るのだ。

「卑怯だな太公望……答えなどないではないか」

 ―――それは夏侯淵にとっての答えではなかった

 そして彼女は武人として、信愛する華琳の配下として、誇り高き春蘭の妹としての誇りを捨てて。
 頭を下げ、今では土下座と呼ばれる姿勢を持って太公望に頼み込んだ。


「頼む! 部下を、民を、大切な華琳様を! 姉者を! 救う為に力を貸して欲しい!」


 あの時の袁紹のようであった。
 大切な者の為に変わり、手段を選ばず、何もかも捨てる覚悟を持った決意の姿。
 ましてやあの時の袁紹とはまた違った誇りを抱いている夏侯淵がこうして頭を下げているのだ。
 その決意は言わずとも理解できる。

「対価はどうする」
「……女としての私を捧げても良い! 使い捨てて構わない! だから頼む、姉者を華琳様を!」

 全員が太公望を見ると同時に、太公望が全員の顔を見た。
 ただ答えを待っているが、この場の者達の顔は何処か笑っていた。

「そのような物はいらぬ」
「なら何が望みなんだ!?」

「干吉は大至急全軍に召集を通達、左慈は【死憤の士】達に事を伝え指揮権が移る事を説明せよ」

 干吉は微笑み、左慈は苦笑いしながら天幕を後にし、外に伝令が飛び交い始める。

「紫苑、お主の弓は確か予備があった筈よな」
「無論ですわご主人様、多分夏侯淵ちゃんなら使いこなせると思います」

 ちゃんと呼ばれた事に赤面しつつも、同時に頸を傾げてしまう。
 何故黄忠の弓の予備が自分に使いこなせるなどと言うのか。

「夏侯淵よ、お主にワシから天命を授ける心して聞くように」

 天命とは一種の運命である。
 それを授けるとは決して違えてはならない命令と言う事になる。

「配下になった覚えはないが」

「主に下す命は―――『特別部隊を率い望みを叶えよ』これのみ」

 そう言って太公望は口を閉じる。
 実に締まったと思われる口上を遮るかのように周囲からの女性陣の声が挙がる。
 
「幾等なんでも優しすぎだと思います!」

「ぬぉう! せっかくワシが対価を求めぬカッコの良い男として決まったと思ったのを!」

「何が『ぬぉう!』ですか! 気取らなくてもご主人様はカッコ良いのに!」

 あっ、と周囲から抜けた声が挙がった。
 発言者の愛紗は自分の発言に気付いて顔が真っ赤になる。
 そんな愛紗に太公望の手がそっと伸びて頬に真っ赤な触れる。
 手袋の下は傷だらけの手の平は暖かさを宿し、愛紗もそっとその手に触れた。

「大丈夫ですよご主人様……取り繕わなくてもこの場にいる皆が貴方を理解しています」

 愛紗の言葉に孫権の表情に影が差す。
 自分は懸命に呉王としての一面を取り繕っている事に慣れてしまった。
 だから本当に自分を理解してくれている者がいるのか不安だから。

(大丈夫です蓮華様……私はここに)
(……思春、ありがとう)

 少なくとも今ここに一人いる。
 不屈の忠義を宿す最高の忠臣がいた。


「夏侯淵よ、裏切り者と謗られてもなお進む決意はあるか?」


「―――愚問だな」


 愛紗から手を離し、既に全軍が集っている外へと出る。
 取り残された夏侯淵は、その太公望の背中に何かを感じた。

「関羽…一つ良いか」
「なっなんだ?」

 顔が真っ赤なままの愛紗は、突然の問い掛けに驚くが直ぐに赤面を解除する。
 夏侯淵の視線に女性としてのある種の直感が働いた。

「太公望には……抱かれたのか?」

 その発言に袁四武将と呉の二人を除いた全員から強烈な視線が夏侯淵に集中する。
 流石にマズイ発言をしたと少し冷汗をかく夏侯淵に対して、周囲の反応は溜め息一つ。
 夏侯淵もこの反応が何を意味しているのかは何となく理解出来た。

「……随分と潔癖な奴だな」
「…違う」
「望ちんは仙人やから…不老長寿やからウチ等と同じ時間は生きれんって言ってなぁ」

 霞の発言に夏侯淵も納得させられた。
 そもそも太公望は書物が正しいならば千年以上昔の人間である。
 つまり本物の仙人ならば歳は千歳を越えており、多くの者達と寿命による別れを告げてきた筈。

 そんな人間がほんの一時しか共に居られない者達と居られるのだろうか?

 妻として迎え、子供を持ったとしても自分ばかりが取り残されていく。

 ―――考えた他だけでそれは震えてしまう孤独だった。

「愛するが故に抱かぬか……不器用な…男だな」
「主に対して失礼な想像でもしていたのか?」
「つい先刻まではな、男など皆下種な輩と考えていたからな」

 当時の男女の価値観は酷い物がある。
 男は優れ、女は劣るを始めとした身勝手な価値観が平然と横行しているのだから。
 現にもし太公望が現れなければ、愛紗達が歴史の表舞台に立つのはもっと遅かっただろう。

「でも私としてはたとえ置いていかれるとしても太公望様との…御子は欲しいですわ」
「私は璃々の養父……たとえ血は繋がっていなくても父親になって欲しいです」
「鈴々も望兄ちゃんには…お父さん……になって欲しいのだ!」

 それぞれがそれぞれの願いを語り始めた。

 ――― 子供が欲しい
 ――― 夫になって欲しい
 ――― ずっと傍にいて欲しい

 女性としての願い。
 孫権や夏侯淵は目の前でそんな話題に盛り上がる面々に置いて行かれていた。
 だがその太公望が誇る名将達の女としての表情に、不思議な想いを抱く。


「将軍! 大至急お集まりを!」


 天幕内に入ってきた伝令の言葉に女としての顔は消え、将としての顔に戻る一同。
 その群れに連れられる形で夏侯淵・孫権・甘寧が続く。



===================================



 太公望軍およそ二十数万の大軍勢が一同に整列し集っている景色は壮観。
 二十数万の視線を一手に受けてなお太公望の顔色は何一つ変わりはしない。

(およそ三十万の”ワシ”が背負う者達…どれも良い顔をしておる)

 騎兵・歩兵・弓兵・戦車兵などの兵士達が規律の整った整列をしている。
 好き勝手に喋る者は誰一人おらず、ただ自分達の前に立つ太公望を見るのみ。
 そして並んでいる者達の顔に同じ顔は誰一人とていない。
 何故がそれが太公望には嬉しかった。


「ワシに続く勇敢なる天兵達よ! これよりワシ等は魏との決戦へと向う!
  だがその前にこれから始まる戦いの真実を伝えねばならぬ、心して聞け!」


 ざわつく者はない。
 その景色に驚かされるのは孫権と夏侯淵であった。
 普通ならば私語の一つを零す者がいる筈にも関わらず、目の前の兵士達は静寂を護っている。
 これは規律が護られている事であり、兵士達一人一人に護る意志がなければ不可能な事。


「ワシの友であり将軍であった陳到の命を奪った者達が魏を非道なる手段を持って我が物とした!
  その首謀者と思われる者は袁を滅ぼし英雄田豊と淳干携の二名を死へと導いた『砂色の老人』!
  彼奴等は白装束を身に纏い呪術を駆使し今度は魏を滅ぼさんと暗躍しておる!」


 元袁の将兵・陳到に恩義を持つ者や生き残り達から殺気が解き放たれる。
 思わぬ報復の刻に内心では歓喜している袁の兵士達。


「抹殺すべき敵は『導』の御旗に続く者達のみ、他の雑魚など捨て置け!
  されど魏の兵士達は洗脳を受け、真の主を忘れワシ等にその刃を振るうだろう!
  向ってくる敵は全て斬り捨てよ! 殺す相手を祈る者や愛する者がいる事は忘れよ!
  されど自らの生還と無事を祈る者達がおる事は決して忘れるな!
  今この場に集いし二十数万の者達全てが誰一人とてもう欠けてはならぬ我が民なのだ!」


 戦場に向う兵士達の士気を下げかねない発言は本来避けねばならない。
 ましてや陳到の仇を討たんと自らの死すら恐れぬ者達が居る中にも関わらず。
 死ぬな等と言われては士気が下がりかねないのだから。


「陳到……そして先日の一戦において死した華孫・黄琳・銘菓…………」


 太公望の口から次々と零れだす名前達。
 名前を聞いた瞬間に涙を流す者、怒りで手が震える者が次々と現れ始める。
 孫権や夏侯淵にはそれが何かなのかは良く判らなかった。

 半刻を持って語りつくされた一万を超える名前達。


「ワシの情けなさによって死した軍に属せし一万を超える勇士達!
  ワシは王として彼らを忘れぬ! 彼らはワシの夢を信じ共に追いかけし友!
  その無念は風と、その想いは輝きと、その願いは刃となりワシ等を突き動かす!」


 太公望はこの世界に来てから仲間となった者達の名前全てを暗記した。
 最初はただその中に英傑がいないか確認する為だけのモノであった。

 だが誰かが戦死したとき、それが誰か判らない事に苦しんだ。

 遺族からの罵倒と小石が投げられた時ほど…その痛みは強い。

 されど所詮は太公望の自己満足であり、意味する物は何一つとして存在しない。


「死した者達の血肉と想いを背負いワシは戦い続ける!
  王として、軍師として、一人の男として主等を率い戦おう!
  共に酒交わせし者よ、共に夢へと歩む者よ、共に死地へ向う者達よ!
  もう誰一人欠けるな! これ以上誰かが死ねばワシは敗者となる!
  兵を、民を無闇に死なせる王など王ではない…ワシの信ずる王ではない!
  ワシを王と謳うならば誰一人欠ける事無く勝利せよ!」


 ―――驚天動地の咆哮 


 兵士達の士気が爆発的に高まる演説。
 二十数万の兵士全ての心に響くほどの名演説に夏侯淵は驚かされた。
 孫権もまた同時に今自分の前にいる一人の王との格の差に驚かされた。
 二十数万全ての兵士の名を暗記する事だけでももはや人外と称えるべきである。

 ―――だがもっとも驚かされたのは太公望の無血宣言

 戦で無血など存在しない。
 だが太公望は王として兵であり民でもある者達に生還せよと言う。
 そして二十数万全ての兵士達がそれを受け入れ、心に刻む。


「そして大切な者達を救う為に敵将夏侯淵がワシ等に組した!
  武人としての誇りを捨て、裏切り者と謗られてなお魏を護らんとせん意志!
  非道なる手段に屈し真の主を蔑ろにせん者達に刃を向けん事を誓った!
  この決意は並々ならぬものがある! だからこそ謗ることは許さぬ!
  彼の者を謗る事は王と主を重んじる義を謗る事……それは己を否定する事となる!」


 二十数万の先頭に立つ四十数名の陳到隊生き残りで構成された【死憤の士】。
 夏侯淵に対して太公望の手から直接三つの武器が手渡される。


「夏侯淵よ……お主に【死憤の士】の指揮権を託し先陣を共に駆ける事を”赦す”」


 夏侯淵が膝を折り、太公望に忠誠の姿勢を取ると同時に武器を受け取る。
 一つ目は黄忠が使用している鋼の弓・矢筒・矢束。
 二つ目は曹操が帯剣していた二振りの剣の片割れ。


「……これは?」


 三つ目は刀身が折れてしまっているボロボロの剣。

「陳到が振るっていた愛剣よ……これをお主に託す」

 その行為に微かなざわめきが生まれた。
 だがそれを愛紗の恫喝が制し、再び静寂が生まれる。


「それは無念の刃、夢の空を羽ばたけずに死した我が鳳の翼
  お主が主君への忠義と信念を忘れぬ限り、この翼がお主を護るだろう」


 刀身の状況から察する事の出来る壮絶な最後。
 手触り・刀身の傷・使われている素材から察する事が出来るのは武人故。
 四十数名の視線と夏侯淵の視線が交わる。

「俺達はアンタを指揮官と認めた訳じゃねぇ」
「認める必要などない、私はただ華琳様と姉者の為に戦うのみ
  だが行き掛かりで”偶然”その敵と出会い斬り捨てる事はあるやも知れんがな」

 夏侯淵の発言にその者達は何も言わない。
 ただ一頭の駿馬と思われる馬を差し出してくるだけ。

「―――感謝する」

 二本の剣を腰に帯剣し、弓をその手に馴染ませる。
 同じ稀代の弓将の特製の弓は直ぐに手に馴染んだ。
 【死憤の士】達も自らの先頭に立つ夏侯淵に対しての不満は一切漏らさない。
 彼らも夏侯淵の姿勢を目の当たりにして一時的に自分達の前に立つ事を赦した。

 ―――二十数万全軍の先頭に立つ太公望の背中

 ―――二十数万と言う途方もない命を一挙に背負う背中


「全軍! ご主人様に続けぇぇぇぇぇぇ!!」


 ―――再び驚天動地の咆哮が挙る 


「呉の勇士達よ! 後れを取るな!」


 ―――同盟関係の呉軍も一斉に行動を開始

 ―――味方である筈の太公望軍の士気の高さに畏敬を抱く


「我等これより復讐の悪鬼と化す! 刃を振るい雄叫びを挙げよ!」


 ―――鳴らされる銅鑼・放たれる鏑矢

 ―――進軍を開始する総勢三十万の大軍勢


「前方より『導』の御旗を掲げた魏が来ます!」
「漆黒の甲冑に駿馬……くっ、虎豹騎まで落ちたのか!」


 洗脳された魏の先陣を担うのは曹操親衛隊である筈の虎豹騎百騎。
 漆黒の甲冑に漆黒の駿馬、その百人全員が女性で構成された魏最強の百人。

 だがその先陣を駆る者達の中に夏侯惇の姿は見られず。

 内心安心しつつも武人として、その手に持つ弓を構える。

「敵弓兵に構うな! 夏侯淵不在の今…奴等に正確な射撃は出来ぬ!」

 弓将の役目は数万を超える弓兵達の指揮官として立つだけではない。
 むしろ一個人として行っている風を読み・敵との相対距離を図る事。
 弓将の質が良ければ必然的に風を読み敵との位置を把握して的確な射撃を可能とさせる。

 ―――そして太公望の風神と言っても過言ではない風の使役

 この弓の撃ち合いおいて覆る事のない優勢を作り出す能力。
 それこそが太公望軍の弓兵全てに安心と的確な射撃を約束させる。


「全軍一斉射! 敵先陣を突き崩します!!」


 太公望軍の弓兵の指揮官として君臨する紫苑の指示。
 肌と直感で風を読み弓兵隊、更に自慢の騎馬隊と戦車隊から一斉に矢が放たれる。
 ただ突き進んでくるだけの魏軍の先陣達を容赦なく穿ち射抜く死の使者達が風をきる。 


 ―――決戦の火蓋は切って落とされた。



===================================



 洛陽宮廷の地下に存在する地下牢獄。
 そこからは乾いた金属音が何度も鳴っている。

「何だこの牢は! 私や季衣の力を持っても壊れんなど!」

 華琳に対する忠誠心の高さと老仙に対する殺気の強さによって奇跡的に洗脳を免れた三人。
 意識を取り戻して始めに眼にした景色は牢獄の岩の天井と鉄格子。
 薄暗く独特の匂いに満たされている地下牢獄からの脱出を試みるも今だ出来ず。

「諦めよ、その牢獄は老仙様特製の呪符が施された牢獄だ
  我等下等な人間の力では到底打ち破ることなど出来はしない
  大人しく我等が皇の崇高なる計画の成功を無様に見る事だな」

 監視を担っている白装束は見下した眼で夏侯惇達を眺め、吐き捨てるようにそう言う。
 彼らにとって自分達は手駒としても『道標』の為に死す事をなんとも思わない人形。
 狂っていてもそれは忠義であり、立派な事であろう。

「せめて武器があれば……」

 夏侯惇は目の前の鉄格子相手にそう嘆くが、そん所そこ等の剣では逆に折れてしまうのは明確。
 幾等嘆いた所で三人が脱出できるのは外部からの救出のみ。
 その希望も文武百官、兵の末端に至るまで洗脳されているのでは期待など出来ない。

「ある希望としては秋蘭が助けに来てくれるだけ」
「でも秋蘭様は太公望に捕られられていて……」

 最後の希望は太公望に捕縛されている夏侯淵こと秋蘭が救出に来る事。
 だが牢獄の警備は厳重であり、秋蘭一人での突破は余程の無理をせねばならぬ。
 弓将としての遠距離の強さも接近戦に優れている訳では無い。
 ましてや一対十数ではいかに優れていても厳しい戦いになってしまう。

(……どうだ?)
(あぁ皇の計画通り太公望軍の圧倒してる)
(我等が皇の悲願はまだ遠い…油断は禁物だぞ)

 監視している白装束達から微かに聞える外の状況。
 主力たる夏侯惇と許緒と軍師荀ケが不在の魏軍が押されている。
 三人からすれば冷たい血が全身を駆け抜け続ける気分であった。

「くそ! このままでは華琳様が!」

 再度鉄格子に身体をぶつけて突破を図る春蘭。
 だが響くのは虚しい金属音であり、春蘭の身体は傷付くばかり。

 ―――まさに無力

 ―――何一つ出来ない無力

 隻眼の猛将・王佐の才・虎痴と呼ばれ称えられる力のあまりの無力さ。
 今はただ薄暗い牢獄の中で懸命に作り上げてきた国が崩壊していくのを聞くばかり。
 その悔しさから涙を流した時だった。



「ぶるぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」



 この世の生き物なのかどうなのか疑いたくなるような咆哮。
 更に聞えてくる騒音と白装束達の断末魔。
 先刻までの悔しさなど何処へと消え、視線は牢獄の入り口に集中する。

 ロウソクの小さな光に巨漢の影が映る。

 そして影が姿を現した時、叫び声があがった。

「あらやだ! アタシの美貌に叫び声を挙げるなんて失礼するわん!」
「美貌!? 醜さの間違いでしょ!!」
「何ですって犬耳ちゃん!」

 鳥肌を全身を走らせながら荀ケこと桂花が地面を転がる…余程キツイのだろう。
 春蘭・季衣の二人はその巨漢のあまりの格好に絶句してしまっている。

 無理もない。

 目の前の巨漢は筋肉ムキムキのマッチョに加えて紐パン一丁なのだから。

 白装束の断末魔が死によるものではなく、不気味さからの声と想像は容易い。

「まぁとにかく……洗脳されないのは幸いね」
「どういう事だ?」
「手っ取り早く言うと助けに来てあげたのよん」

 即座に春蘭の「嘘だ!!」が炸裂。
 他二人は何度も首を縦に振るって信頼していない事を表す。

「失礼ね、これでもご主人様から天命を持って助けに来てあげたのに……」
「……ふん! 太公望の暗部って事ね、ならなおさら信頼出来ないわ」

 助けに来たのが今まさに敵対している者の部下ならなおさら信頼出来ない。
 そう言って貂蝉の事を頭ごなしに否定する三人に対して、貂蝉は切り札をきる。


「あら? 夏侯淵ちゃんはご主人様に頭を下げてまで曹操の救出に向かってるのに貴方達はしないのね」


 その発言に真っ先に食いついたのは春蘭。


「夏侯淵ちゃんは頭を下げてまでご主人様に頼み込んで曹操の救出を頑張ってるのに
  貴方達は相手の見た目や所属だけで頭ごなしに否定して脱出の機会を逃すのね
  なら良いわん、ご主人様からもそんなに重要とは言われてなかったし……
  小さな誇りに拘りながら牢獄の中で国が滅ぶ様を見てると良いわ」


 貂蝉はそう言って牢獄から出払おうとする。
 そんな背中を止めたのは春蘭の声。

「頼む! 華琳様を救えるならば私は……私も頭を下げる!」

「あらかま掛けてみると以外に素直なのねん」

 踵を返した貂蝉が満開の笑顔を浮かべながら鉄格子を素手で破壊する。
 先刻まで何をやっても破壊出来なかったものを平然と壊した貂蝉に唖然する三人。
 そんな三人の驚愕に満ちている表情など露知らずの如く、何処からか武器を取り出す。

 それは春蘭の大剣と季衣の鉄球であった。

「貴様、私をかまに掛けただと?」

「そう、ご主人様が貴方達を助ける最低条件は曹操に対する忠義と洗脳されていないか
  だから会った時点で洗脳は問題なし、会話も盗み聞きしたけど忠義も失ってない
  だけどあぁも頭ごなしに否定されてアタシの綺麗な心が傷付いちゃったから
  ほんの少し仕返しただけよん」

 クネクネと気持ち悪く身体を動かす貂蝉に季衣は怯え、桂花はまだ鳥肌を立てている。
 一見すると平然そうにしている春蘭だが、内心ではかなり不安でもあった。

 貂蝉は道士であり、純粋な身体能力は他二名を上回っている。

 更には独特の外見に似合わない鍛え上げられている武術をチラホラと見せている。

 つまり武人としての強さは貂蝉の方があると言っても過言ではない。

「で、どうするつもり?」

「決まっている! 秋蘭が華琳様の為に戦っているのにこのような所にはおれん!」

 放り投げられていた自らの武器を手に取る。
 鉄格子に幾度もぶつけた肩を気にかけながらも、支障はないと決める。
 貂蝉も三人の様子に安心し、桂花が鳥肌を立てている笑顔を再びする。

「あぁぁぁぁぁぁ! その気色の悪い笑顔をやめなさい!!」
「まぁ失礼しちゃうわ! ご主人様からは好評なのに!」
「……それ絶対嘘ですよね」

 これまたクネクネと気色悪く動く貂蝉に気絶寸前の桂花。
 懸命に意識が繋がれているがいつまで持つか判りはしない。

「とにかく華琳様だ! 華琳様をお救いせねば!」

「あの子なら戦場よ……案内してあげるわ」

 そう言って貂蝉は再び奇声を挙げながら白装束達を蹴散らしながら先行した。
 桂花は視界から居なくなった事でやっと鳥肌がなくなり、落ち着き始めている。

「いったい何者なのかしらねあの化け物は」
「下手な武人よりも強い……隙がまったくなかった」
「それにボク達でも壊せなかったこの鉄格子を素手で壊しましたよ」

 遠くで何度も聞える奇声と断末魔。
 それなど知らぬとばかりに三人は悩んでいた。


「でもここで悩んでも華琳様は救えないわ、あれが罠だとしても乗りましょう」


 軍師であり華琳と言う少女に忠誠を誓った心が決断した。
 たとえ貂蝉の行動が敵の罠だとしてもそこに華琳を救う可能性があるならば喜んで乗ってやる。
 恐怖も恐れもない…むしろある種の興奮が三人の判断力を鈍らせ尖らせていた。

 ―――親愛するお方の為に戦う

 紛れもない忠義が三人を突き動かしてるのだった。

「ならば急ごう、太公望軍が華琳様を救うよりも早く私達の手で!」

「「無論!!」」

 そう意気込み三人は薄暗い地下牢獄から脱出。
 貂蝉が蹴散らした白装束の死体達を道標に洛陽の真っ只中からの脱出を開始した。


(行ったか?)
(―――はい)
(良し、すぐに老仙様に報告せよ『子猫が怪物に連れ去られたと』)
(残っている囚人達はいかがしましょう?)


 牢獄の闇に紛れ事の一部始終を見ていた白装束達。
 全ては定められた結末に向けて動くのみ。


(―――殺せ、老仙様の話通りならば全員死亡しているらしいからな)


 その言葉が放たれた瞬間から春蘭達とは別の部屋に監禁されていた者達が殺害された。
 まったく罪のない者から曹操統治下において罪を犯し連行されていた者達。
 この全てが反抗する間も抵抗する間もなく殺害され、命を亡くしていった。

 では何故貂蝉は脱出に役立つかもしれない彼らを捨て置いたのだろうか?

 何故彼らも脱出できるかもしれなかった千載一遇の機会を逃したのか?

 何故彼らは四人の騒がしい声に対して何の声も出さなかったのか?

 その答えを知るのはただ一人。



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 心臓の鼓動が高鳴る。
 熱く冷めた血潮が全身を駆け抜け、その身体を突き動かす。


 ―――盟主様に続けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!


 ―――おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!


 三十万全ての先頭にして激戦区の中心に立つ彼の者達の王。
 白く美しかった髪を返り血に染め上げ、黒い衣服は更に変色した血によって黒く染まる。
 右足は掠めた矢によって肉が削げ、左腕は慣れない剣を振るう事に疲れ、頬からは流れ矢で血を流す。
 纏っていた衣服の所々が切り裂かれ、その下に歴戦の戦傷をあらわとさせていた。
 今だなお無傷で君臨する王の直属達と比べればその姿は無様と言えるだろう。


「関羽隊はワシの右翼、張飛隊はワシの左翼を護れ! 呂布は可能な限りワシの前で敵を薙ぎ払え!
  華雄隊は張遼隊と共に右翼、袁紹隊と四武将は左翼の敵を討ち払え、軍師達からの戦況報告はまだか!」


 されど彼の王はどれ程傷付こうと下がる気配を一向に見せない。
 傷を負いボロボロになってもなお最前線の指揮官として君臨し、配下に指示を出す。
 この激戦の最中であってもなおまるで大空から見たかのような指示を出し続ける。
 たとえどれほど醜く無様に映るその姿を嘲笑するものなど誰一人いない。

 もし居るとすれば相当の手馴れか策略か……比類なき愚者だろう。

 そんな姿を晒す王に対して信頼を持たぬ兵士は太公望軍にはいない。

「盟主様を守れ、死なせるな!」
「天意に我等にあり!」
「誰一人欠ける事なき勝利を我等が王に!」

 むしろこの姿が二十数万の兵士全てを奮い立たせている。
 緒戦において押されていた筈の兵士達の力量は心の力によって覆り、敵を圧倒。
 開戦から今だなお太公望軍の戦死者は無く、居ても重傷な者が数名いるのみ。
 屈強なる復讐の想いと王の理想を信じ殉じた者への想いが彼らを奮い立たせていく。


「皆の者聞け! 風は常に追い風でありこの風は我等が鳳が起こしている勝利の風だ!
  国を滅ぼし国を操り気高き心を弄ぶ者達に今! 義の刃を振るい薙ぎ払え!」


 自らの王、太公望の隣におるべき数多モノ優秀なる直属の武将達。
 王の信頼する将として、一人の王を愛する者として、彼女達は太公望の傍にいたい。

 だが太公望の下した命令は「自分よりも周囲の兵を護れ」と。

 本当ならば傷付きいつ死んでもおかしくない状況の太公望をほおって置くはずがない。

 されど太公望は一個人として兵士達全てを友と謳い、全員に生還を要求した。
 そして彼女達は今……その夢を護る為に、甘く優しく王の根底に居座る理想を護る為に武を振るう。
 太公望もまた彼女達を信じひたすらに前線で敵を討つ倒し仲間を護る為に戦う。 


「あれが太公望……何処か未熟だ―――私なんかが敵う筈がないじゃない」


 孫権もまた前線で呉の兵士達を指揮しながら武を振るっていた。
 だがその視線は自然と太公望に集中し、乱戦の最中でも決してその姿を見失わない。
 それは羨望の眼差しにして憧れの表れと……今の孫権は気づかない。

 むしろ呉の者達にとって太公望の姿は亡き先王と何処か重なる所を見出していた。

 もしこの場に周喩が来ていたならば、のちの呉は大きく変わっていただろう。

「呉の勇士達よ! 魏もあと少しで崩れる、押し込め!!」

 呉の先陣を駆る甘寧と直属の百騎が鈴の音を戦場に響かせる。
 その音色に洗脳されている魏兵達が一斉に恐れを抱き崩壊していく。

 されど二十数万の太公望軍が精鋭達は呉にも恐れを抱かせていた。

 ―――復讐によって突き動かされる戦意

 ―――王の理想を叶えんとする想い

 それが二十数万の兵士達全ての能力を引き上げ、圧倒させる由縁。
 無論、この現状を作り出したのは紛れもなく太公望の戦術である。
 人の心すら利用してなお作り上げられる戦場に、敗北の二文字は現れない。
 太公望の王としての別格の能力を前に孫権はもう一つの大きな想いを抱く。 

「……望、本物の賢王」

 亡き先王を称えるならば武侵小覇王とでも呼ばれるだろう。
 だが呉数万の視線に映るもう一人の姿は賢王とでも呼ぶべき凛々しき王。
 その姿が孫権にとって先王を超える本当の憧れとなるのにさして時間は掛からなかった。


「裏切り者夏侯淵! その頸貰ったァ!」


 太公望のすぐ隣で忠義を忘れし者達に対して容赦なく矢を放つ夏侯淵。
 最後の虎豹騎もその喉仏を射抜かれたのち落馬、進軍を続ける者達に踏み潰された。

「辛いのか」
「辛くはない……華琳様への忠義なき者など敵に他ならぬ」

 もう腰に下げている矢の本数も心許ない。
 黄忠のように停止・測距・射撃・補給・進軍を繰り返せるならば矢に心配など無い。
 だが現在の夏侯淵は太公望のすぐ隣に位置し【死憤の士】を率い移動し続けている。
 補給する暇など存在しない、夏侯淵はとにかく最前線で同じ魏の者を討って初めて信頼される。
 それにもう少しでも華琳が捕らえられている敵本隊に接敵出来るのに、止まれる訳が無い。

「―――ならば曹操が洗脳されお主に刃を向けた時…どうするつもりだ?」

「愚問だな…この命に代えても華琳様を悪夢よりお救いするのみ」

 横から片腕無き騎兵が槍を構えながら特攻をして掛けてくる。
 夏侯淵が咄嗟に反応して矢を構えるが激戦の疲労から不覚にも矢を落としてしまう。

(しまった!)

 次の矢を放つ暇など無い、槍も近く馬の反応も間に合わない。
 夏侯淵に無念にも心臓を貫かれて散る映像が脳裏を過ぎる。
 
 だがその視界に黒い影が割り込み、赤い血が頬に飛び散る。

 太公望の椅天の剣が夏侯淵に対して突撃してきた騎兵を切り裂く。
 
「なっ!?」

「ふむ……ワシもまだまだだな」

 槍によって引き裂かれた左肩からは血が流れ出すが、気にも留めない。
 それどころか血が少しずつ流れる事をまったく気にかけず前に存在する敵を更に打ち倒す。

「恋! ワシが前に出る! お主は夏侯淵を護れ!」

 太公望軍の本当の先陣を駆け抜ける紅い鬼神は不服そうに下がる。
 愛紗達が程好く離れている中でただ一人、恋は開戦からこの時までずっと太公望の傍にいた。
 その強力無比の武力が先行するだけで道は切り開かれる。
 元々は恋に兵士達を率いる才能が欠けているのを補う策として【総大将直衛】の任を太公望は与えた。

 戦になれば恋の武勇は太公望の智勇を護る最強の矛と化し、敵対者全てを蹴散らす。

 太公望はその武勇に護られながら持てる智勇を周囲に与え陣頭指揮を執る。

 この仕事は戦中太公望の傍に堂々と居られる仕事であり、恋も気に入っていた。

「恋、大将の命が聞けぬか」
「………わかった」

 恋が夏侯淵の傍に並び、太公望が最前線・先頭に立ち軍を引っ張っていく。
 その背中はボロボロだがされど人を引き付ける何かを背負っている。
 夕闇に沈み行く世界とその世界を照らす夕日の輝きが王の後姿を照らす。



「復讐の刃……我等が剣に!!」



 椅天の剣を鞘に収め、あの赤黒き剣をその手に取る。
 その刀身は斜陽の煌きによって更に赤黒く煌き輝く。

 真紅の愛馬を駆る鮮血にその身を染めし賢王もまた輝く。

 今一度挙る雄叫びにして咆哮。

 もう魏本隊にして曹操が捕らわれている『導』本隊は目の前。



「来ましたか……大いなるお方!!」



 白装束と彼等が掲げている『導』の御旗。 

 二十数万の獣達を前にしても動じる所か戦意を高揚させている。
 全ては皇が定めし歴史のままに動く、彼らにとって自らの死もまた計画の一つ。
 恐れるもの等一つたりとて存在しない。


「さぁ曹魏の最後を美しく飾ろうではないか!!」  


 風は洛陽に吹き、太公望から言わせれば追い・老仙から言わせれば向かい。
 乾いた風が程好く吹いている状況で白装束達が構えるのは先端が燃え盛る矢。


「―――まさか」


「さぁ! 洛陽に悪夢を今再び!!」


 『道標』の号令によって一斉に放たれる火矢達。
 堅牢な城壁を飛び越え、風に乗り街の家屋達へと吸い込まれ全てを焼き払う。

 ―――董卓軍との一件からようやく立て直した都

 ―――暗闇へと沈み往く世界に巨大な灯りを灯す

 街の人々は突然の事に驚き懸命に脱出を開始する。

 魏と土地の豪商と民衆達が懸命に再建に再建を重ねて蘇えった誇り高き都。

 歴史の記録など一切関係の無い者達など知らず赤い焔は全てを灰燼へと変えていく。

 そこにある全てを喰い尽すまで勢いを増した焔は止まらない。

 今の今まで太公望達を護っていた風が皮肉にも彼らの目的を手助けしてしまう。 

 焔に焼かれ消え行く洛陽を背に、小さな覇王は一粒の涙を零した。


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■作者からのメッセージ
 ソウシ様
 ご感想ありがとうございます
 自分としては今回の様な名も無き者達の生き様を書くほうが好きです
 ちなみに仕事を果たす為になどの元はかの鋼の方々が元です
 すみません、紛らわしくなってしまいましたが三人の洗脳回避です
 と言っても正確に言えば洗脳しないほうが自分達の計画に都合がいいから
 決して洗脳できなかった訳ではありません
 馬騰生存も確かにそこにあります、陳到死亡時からこの戦が復讐のモノになるのは確定でしたから
 もし華琳殺して良いなんて事になったら間違いなく自分も憤死してしまいますよ
 よく考えられていると言ってくださってありがとうございます
 それではまた今度〜〜

 ボンド様
 ご感想ありがとうございます
 彼女はただ医者としてのすべき事をしているだけです
 雪も立場上ですが太公望の理念をもっとも理解しています
 元々少しでも死者を少なくと願って作られたのが救護班なんですから
 秋蘭は華琳と春蘭を救う為に全てを投げ打っての太公望軍参戦です
 呉の魔の手……もし周喩がこの場にいればきっと結果もおのずと変わっていたでしょう
 原作でも伏義は口車だったとは言え平然と味方が死ねば良いなんて言いましたしね
 全ては彼らの計画のままに動き続ける……当事者の事など無視して
 自分なんてイージーモードですらギレンの野望は苦戦してばかりです
 しかも甘ちゃんなんでいっつも民衆優先してしまい友達からはもぅある種の馬鹿とまで
 大将の突撃とその背に続く数多モノ臣下達、これがやっぱり絵になりますね
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