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長き刻を生きる 第三十二話『愛馬と駿馬と呉国の影』
作者:大空   2009/03/27(金) 15:01公開   ID:gS5bcaTNXws

 訓練の声を除けば実に静かで平穏な城と執務室。
 隣国の【呉】は穏健派の孫権が確実に地盤を固め、少しずつ地位を確立。
 強硬派の周喩は次第に居場所を奪われ、また配下達も次第に鞍替えする始末。

「ここ最近は実に平穏ですね、賊徒もなりを潜めているみたいですし」

「そうだな、件の義賊【九尾団】達も静かになって族の心配はないな」

 白蓮達は知らないが義賊団【九尾団】こそ太公望が飼っている賊徒達。
 先日は蜀の地で太公望の政策を無視して重税や麻薬などをばら撒いていた者の粛清をしたばかり。
 本来ならば愛紗達が五月蝿いのだが、救われた民衆からの絶対的な支持があり始末は出来ない。
 ましてやその義賊達は腐敗役者達から奪った物資を民衆に還元し、義賊として絶対的な地位を持つ。


『私の指示通りに動けば……そうですね、安定した生活や国軍直属の暗部隊の地位をあげれますが……』


 義賊達は干吉から提示された安定した生活や報酬の数々にすぐさま食いつき、降った。
 あとは現物報酬や彼らの素性を知る者達で作られた村や街に活動時以外は、身分や安全を保証。
 才ある者は義賊から引き抜かれ即座に暗部として採用され各地へと忙しく飛び回る。
 屈強な国軍からの討伐を恐れる日々と、密かに国軍と繋がり隠れながらも尾そる必要のない日々。
 安定を望む者や環境故に賊徒になった者達にとってこれほど好条件は存在などしない。

 ―――義賊【九尾団】は全員が女性で構成され、何処かしらスネに傷を持つ者がいる

 つまり元々真面目に働く気の無い者達などで一切構成されていない、特別な盗賊団。
 だからこそ子飼いにするのは非常に楽であり、首輪をつけておくのにも都合が良かった。

「でも九尾なんて本当に縁起が悪いですよね…」

「それ違うぞ朱里、本来九尾とは天下安寧を告げる神獣であり、傾国もまた神々の計略の一つでしかない」

 本来の九尾は世の天下泰平が成就された時に現れ、それらを告げる役目を持つ神獣の一つ。
 また逸話の一つとして水脈統率に一生を賭けた王の前に現れ、まだ独身であった王を妃と引き合わせた。
 殷の崩落もまた『道標』の歴史がそうであったから、殷は九尾によって滅ぼされてしまっただけ。

「……全ては神が、己が都合などの為にした事にすぎぬ」

「身勝手な話だな…そんな都合の為に苦しむ側にもなって欲しいモノだな」

 ふっと失笑する太公望……彼もまた都合によって振り回し振り回された存在。
 自分の言っている事はそのまま自分に帰ってくる、神に踏みまわされた殷を一方的に滅ぼしたのだから。
 真相を知る者達から言わせれば周を発展させる為に殷を陥れ滅ぼしたのは間違いなく自分達なのだから尚更。

「然るにぜひとも国王にもささやかな休日を……」

「ダメですよご主人様、先日サボられたばかりでしたよね?」

 実に真面目な話を使って真面目な仕事から脱走を試みた太公望。
 しかしそんな太公望をとても怖い笑顔で見ている朱里の迫力は圧巻そのもの。
 幸い今日は愛紗と言う最終防衛線が存在しない為、懸命に脱走を試みていた。


「ちなみに今の殷周戦役の話で逃げようとしたのは三回目です」


 キッチリとどんな話を出汁にして逃げられたかを覚えている朱里。
 更にはその話の回数すらキッチリと記憶して太公望に反撃の隙を与えない。

「そもそも国名が決まったのに今だ御旗が出来なのは誰の所為ですか?」

「うむ、貧乏」

「ご主人様のサボりで書簡の処理が遅れている所為です!」

 いかに朱里達が成長しているとは言え、国王の指示無しで処理出来ない物は山ほどある。
 朱印などは自分達の権限で押せてもサインなどの署名は筆跡から判る相手には判られてしまう。
 ましてや今の鳳国は大陸の六割を支配する強国にして大国であり、書簡の量は多いのだ。


「しかしの朱里、ここは姜維(きょうい)・司馬懿(しばい)のような期待の新星に任せるのも良いと思うぞ?」


 史実の知識を持つ太公望は各地からの軍役招集者の顔や名前を暗記している。
 その中に史実においてしっかりとした活躍をした者達の才能を見て合格ならば抜擢していた。

 無論名前だけでまったく役立たない者達や既に戦死した者達も数多く。

 その中でも数少ない生き残り達は懸命にも将官としてや文官としての仕事をしっかりとこなしていた。

「それに最高の期待星である桂花の甥の荀攸(じゅんゆう)にもう少し仕事を任せても良いと……」

「…徐晃(じょこう)さん位ですよ、過労で倒れず国境警備に無事配属出来たのは……」

 この世界では男として生を持つ者達でなおかつ上級将官として、希少な役職に就いている者達。
 軍師としては朱里達が中央の地位を固めているがまだ国境や地方の駐屯軍はまだまた空きが多い。
 しかし鳳国の超厳しい仕事量の前に多くが倒れていき、実力不足に嘆く羽目に。

「もっと男性将校を増やし兵の不満などを聞くのも立派な問題解決だとワシは思うぞ?」

「それは否定しません、でも皆さんむしろ地方駐屯軍に任せた方が良いと思います」

 鳳国の現在不安の一つである将校の現状。
 それをどう解決するか悩んでいる間に騒ぎは起きる。



「国王! また狼虎(ろうこ)が暴れ始めました!!」



 太公望の真紅の愛馬”狼虎”は、史実の赤兎馬に順ずるほどの名馬であり汗血馬。
 名前の如く物凄く気性が荒く、並みの乗主では満足する所か大暴れして振り落とす始末。

「馬超将軍、張遼将軍が懸命に宥めていますが一向に落ち着く気配が……」

 執務室まで聞える馬番達の悲痛な叫び声。
 狼虎が来てから既に五人は馬番達が潰れ、大怪我をする始末。
 宥められるのが太公望しかいない……狼虎自身が太公望だけを背に乗せる。

「だぁもうあのじゃじゃ馬は! 白蓮、お主も付いて来い!!」

 書簡処理を放り出して馬小屋へと走り出す太公望を追う白蓮。
 執務室には朱里一人が取り残される事となり。

「………手の空いている人に書簡処理を任せますから伝令をお願いします」

 数少ない少人数での書簡処理と言う日を馬に台無しにされた朱里は恐ろしい笑顔でそう言う。
 伝令の兵士は朱里に同情すべきなのか、太公望に同情すべきなのか良く判らなかった。
 自分に出来るのは命令通り指示された面々に今日の仕事の配置換えを言うだけなのだから。

 ―――触らぬ事に祟り無し


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 鳳国が強国たる所以はその屈強な騎馬隊による圧倒的な局地戦制圧能力。
 麗羽達の袁を取り込んだ事により攻城兵器を丸々取り込み、攻城の心配も無し。
 元々史実の曹操が騎馬隊を形成出来たのは幽州を始めとした北部は、軍馬の名産地。
 遊牧民族達直伝の育成方の恩恵によって強力な騎馬の数々が作られて行く。

 かの武田信玄も一説では軍馬牧場を作り出し、これによって騎馬隊を維持していたと言う。

「だぁもうコイツは!」
「頑張れ霞! くそアタシ達でもダメなのか!?」

 その鳳国最高の馬術を持つ翠と霞ですら、狼虎は自らの背に絶対に乗せない。
 気性が荒いと言うよりもむしろ気位が非常に高く、生物としての根本的な強者にしか背を許さない。
 たとえそれが相手が人中の呂布たる恋ですら例外ではなく”根本的”な強さを持つ者を求める。

 ―――そして見つけたのは根本から次元を超えた超越者であったのだ

 そんな事など知らず懸命に狼虎を宥めようとする二人だがまったく大人しくならない。
 それどころか暴れる強さは次第に強くなり、本当に馬なのかと非常に驚かされるほどに力が強い。


「静まれッ!!」


 一喝が全てを静寂へと収束させた。

「ぼっ望か……やっとコイツも静まったよ」

「いつもすまぬな……コヤツはどうも気位が高くて困る」

 先程まで歴戦の猛将ですら宥めれなかった狼虎が落ち着いている。
 首筋を優しく擦る太公望の手を許してはいるが、その他の者達では身体を洗う時位しか触る事を許さない。
 強さも何も無いただの馬番は身体洗いの時ですら触る事を許さず、終いには後ろ足で蹴飛ばす始末。

「この頃何かと政務で忙しかったからな、望が相手してくれないのが癪なんだろうな」

 馬の扱いには卓越している白蓮・霞・翠の三人は狼虎の心理を読む。
 この頃の太公望は何かと愛紗や朱里達に捕まり政務や軍務に連れ出される日々で、中々外に出られない。
 出れても監視付きで城下町をうろつく位で、馬に乗って遠乗りと言うのはまったく出来ていない。

「………仕方ない、これ以上暴れられても困るかせのぉ」

「なら四人で遠乗りと洒落込むとしますか!」

「そうだな、鳳王様も少しは羽を伸ばさないとな!」

 遠乗り確定に何気に自分も混ぜられている事に溜め息を付きながらも悪い気のしない白蓮。
 朱里や愛紗のような堅物の説得は狼虎の暴れ振りを理由にすれば問題はない。
 自分は監視役として同行し、翠と霞は本来ならば非番であるので外へ出ても問題なし。

 ―――全て計画通り


「コヤツが暴れた事への指示をしてくるから、先に遠乗りの支度を任せる」


 そう言って太公望が少しの間だけ場を離れる。
 狼虎の首筋に三つの手が置かれ……

「いつもすまんなぁ本当…あとで上等の飼い葉送るから堪忍な?」
「お前は本当に馬なんだよな? 頭は良いわ馬としての能力も高いわ……」
「まぁとにかく出汁にした事は謝る……でもありがとうな」

 これは三人が計画した狼虎を出汁にした四人だけの外出作戦。
 狼虎の暴れっぷりは既に軍では周知であり、以前勝手に乗ろうとした兵士が死に掛けたほど。
 また狼虎自身が認める相手が太公望だけとあっては宥める困難さも容易ではない。

 ―――狼虎がヒヒンと人間ならば笑うかのように鳴く

 計画の成功を喜んでいるのか、ただ単に自らの相棒が来てくれたのが嬉しいのかは判らない。
 だが本人(?)もこう言う事をすれば三人から上等な飼い葉を貰える事を覚え、積極的に協力する。
 人語を理解しなおかつ自らの為すべき事をしっかりと理解出来るほど…この真紅の駿馬は頭が良かった。


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 競馬と言う博打を造れてたならば一番人気は間違いなく狼虎。
 二番人気は霞が駆る名馬であり史実の曹操の愛馬、絶影。
 三番人気は翠が駆る麒麟と言う神獣の名を持つ駿馬。
 四番人気であり現在の競走最下位の白蓮の愛馬である白夜。

 各々が自らが持つ馬術を披露しながら、愛馬と共に悪路を駆け抜けていく。

 木々が鬱蒼と生い茂る森の乱立する木々の間を神懸りに縫い駆ける。


「どうした! このままではワシの圧勝に終わりそうよな!」


 この競走馬の中では抜群の能力を誇る気位の高い狼虎を手足の如く操る太公望。
 自らの肉体に流れる遊牧民族の血潮・記憶・そして霊獣四不象(スープーシャン)を駆った経験。
 それ等の決して人間にはない経験と実力を本能で悟った狼虎は太公望を主と認めた。
 影すら残さない程の素早さと称えられた絶影すら追いつけない程の速さと持久力を持つ。


「ハハハハハハハハハッ! 競馬があれば初出場の一番不人気に全賭け億万長者よ!!」


 この世界には博打として競馬は存在しない……もし存在していたなら八百長万歳である。
 ちなみに太公望の言っている事は初出場の狼虎を一番不人気(配当の当たった際の倍率がもっとも高い)とする。
 最高倍率三十倍はゆうにくだらないであろうレースをでっち上げて国家予算を丸々儲けれただろう。

「……溜まってるんだろうな」
「この頃…朱里達に独占状態だったもんな」
「ウチ等の相手なんて薄給の休日か訓練の時くらいやったし……」

 まるで壊れたかのように爆笑しながら今回のレースの終着点である小川に到着する太公望と一行。
 太公望は周で本物のアジア象を使って競”馬”ならぬ競”象”をやった経験の持ち主。
 当時はただの小国の軍師であったから良かったが、今や大陸の六割を統治する大国の国王。
 博打事に熱を出せるような立場でもなく…また周囲の厳しい監視の眼がある所為で出来もしない。

 今回の遠乗りと競走を兼ねたレースは太公望一着の完勝。

 目的地の小川は本当に小さいが川としては充分に機能し、小魚もそれなりに居る。
 少人数が涼み馬を休めるのには適した場所であり、太公望が椛との秘密にしている水場以外のお気に入り。

「ここはウチ等四人の馬組みの憩いの場やもんな……やっぱり狼虎…も?」

「うむ、走る方向はここへ一直線よ……不思議よな?」

 三人を不敵に微笑みながら見る。


 ―――まるで誰かが仕組んだかのような機運よ


 ビクッと三人が身体を小さく振るわせる…見え見えと遠まわしに宣告しているのだ。
 ましてや確かに自分達が相手にして欲しいと言う女の願いから、太公望の政務を妨害。
 これによって太公望は今日の分も含めて更に大量の書簡を処理せねばならない。
 怒られても無理はない、それどころか私欲に一国の王を振り回してしまったのがら。


「……怒りはせぬ…むしろ久々の遠乗りとサボりを与えてくれたお主等には感謝せねばな
  それにお主等とはこの所ゆっくりと話す暇もなかったからのぉ、足し引きゼロと言う事よ」


 それは今まで見ていた少年の笑顔ではなく青年としての爽やかな笑顔。
 風に揺れる髪も衣服もその太公望と言う男の魅力の全てをより輝かせていく。

 今まで彼女達にとって太公望は外見が幸いして年下とつい思ってしまう部分があった。

 しかし目の前の男はもう少年ではなく立派な一人の男であり、それでありながら国王。
 優しすぎる訳でもなければ冷酷すぎる訳でもない感情の使い分けから卓越した才能。

 ―――三人が改めて見惚れ頬を染めてしまうのに時間は掛からない

「じゃあ恒例の安全確認ジャンケン一本勝負を……」

 三人の顔から赤みは消え、それこそ武人としての一面を全開にして対立する。
 実は一度水浴びなどで周囲の安全を確認する為に誰がどう離れるかを決める戦いがあった。
 しかも面々は大国随一の武将達でありしかも全員が本気でぶつかり合うのだから周囲の被害は甚大。

『いやはや、このままでは遊び場が遊ぶ前に壊れてしまいますねぇ』
『………ついでに近辺の森とかに多大な被害を与えて近隣住民に被害が出てるな』

『全員止まれ! 止まってください! ストップ! ホールド! やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!』

 結果としてその日の水浴びは延期となってしまい、代わりに太公望からジャンケンについて叩き込まれる事に。
 そしてそれ以来、こう言った事になると各々がそれこそ本気になってお互いを読みあい勘を研ぎ澄ませる。
 軍師組みのような思考を張り巡らす面子では一回に五分も準備時間が必要になるほどの念入りぶり。

 ちなみにこの場の三人は以下の様な事を良くやる。

「二人とも……ウチはパーを出すでぇパーを……」

 霞は口先で相手を惑わし、とにかく撹乱して有利に進めようと画策する。
 ましてや案外こう難しそうな事を考えそうに無い人間が、意外とこういう事では画策しているのだ。

「アタシは………とにかく勘だ勘!」

 翠はこう言って言動の撹乱を撹乱と知っていても、つい心底ではそれを疑う。
 だから妙な考えなどが生まれては消え、決して常勝とは呼べない戦績で負けの方が多い。

「……ならそれに乗らせてもらうか」

 白蓮はもう毒あれば皿まで喰らうと言う感じで、周囲を気にせず勝負。
 表抜きにはとにかく平常を取り繕いつつも翠のように何処かしら考えを持つ。
 だがそこは元太守の臣下の心理や民衆・策などでお互いの心理を読みあって来たのだから強い方。

「最初は!」

 三人が長々と決め込んでいる間に太公望は空間に穴を開けて移動。

「グー!」

 わずか数秒の間に空間転移から帰還し、その両手には三人分の水着。

「じゃんっ! けん!」

 狼虎達を戯れさせると同時に休ませる、帰りは更に酷使するのだから。


 ―――ポンッ!!


 霞=パー 翠=グー 白蓮=グー

 結果は霞の一人勝ちであり敗者である翠と白蓮はトボトボと周囲の安全確認へ。
 一方の霞は久々に勝ち取った本当の意味での二人っきりの時間を満喫する。
 
「……いつのまにウチ等の水着を」

「うむ、お主等が色々としている間に空間転移して取ってきてのぉ」

 なお何故かこの世界の水着はビキニだとかスクール水着だとかそう言った物が揃っていた。

『どうしてこんな時代錯誤な物達が……』

『あぁそれは前回の担う者が欲望と下心全開で作らせた物なんですよ』

 干吉曰く、現在の世界は前回の世界の一部などを色濃く受け継いでいるらしいのだが。
 それが何故か時代に似合わない水着の数々であったり侍従服であったりと男の欲望全開の品々。
 ぜひとも異世界を自在に跳躍出来るならその男と色々と話したくなった太公望が居た。

 ―――無論だが仙人としての修行である数々の規律は顕在している。

 元々太公望はなまぐさ(太公望から言わせた肉に相当する物全般)は絶対に食べない。
 色欲などを始めとした物などを自らを強くする為にしっかりと封じ込めて実に清廉潔白。
 その割には競馬を始めとした博打ごとに参加するなどの戒律にはかなり甘かったりする。

「どぅ望チン? ウチの悩殺の女の魅力は?」

「仙人や道士にはそう言った事を押さえ込む事でより力を増す…まぁ眼福には変わらんがな」

「張り合いが無いなぁ………でもそこが望チンの魅力の一つ!」

 霞が身に着けているのはビキニの水着であり、確かに女性としての魅力は充分。
 こんな眼福をくれた前回の担う者には感謝しつつも、その全開の女垂らしに怒りが募る。
 なお太公望は海パン一張羅であり身体を埋め尽くさんばかりの傷が包み隠さず見えていた。

 その背にそっと触れて霞が傷をなぞり、見覚えのある傷であった。

(………あぁやっぱりウチはこの傷を知っとる)

 それは本人がもっとも否定したい事。
 
 そして何よりも恐ろしい真実であり事実が現実となった。


「なぁ望チン、その肩と脇腹の真新しい傷は――― 朱里に付けられたもんよな」


 太公望が否定するよりも早く、霞は言葉を紡いでいく。
 背中に触れている手は小刻みに震え、紡ぐ声にも何処かしら淀みが聞える。


「……始めは黄忠との一騎打ちの時になんとなく”判る”程度だったんや
  でも時間が経つにつれて夢なんかで鮮明に見え初めて……凄く怖かった
  自分が望チンの寝首をかく為に傍におって、椛も同じ理由で…月は壊れてて
  今もこうしているのが全部夢や呪術で作られた記憶なのか考えれば考えるほど怖い」


 もし霞が誰かに相談してもそれは信じられないだろう。
 もし椛達に相談すればそれを皮切りに記憶が元に戻り、自分の様な葛藤に苦しむかもしれない。
 もし左慈や干吉に相談すれば最悪の事態の回避の為に殺されるか知れない。

 ―――明るく振舞いながらも記憶の葛藤に苦しんでいた

 明るくて元気で周囲に振舞っては笑いを作り出すムードメーカー。
 だからこそ懸命に耐えて誰かと接して笑い合う事でそれから逃げていた。


「なぁ望チン―――今もこうしてるのは”夢”なの?」


 太公望は振り向かないがその背中を伝う冷たい物の名前を知っていた。
 それはいつも明るくて楽しそうにしている霞が人前では流さない物。
 陳到の戦死の際も、訓練などで完敗した際も…決して霞は泣かずに笑顔を作る。

 自分の明るさと元気と笑顔を持って周囲を懸命に鼓舞してくれるのだ。

 喝を入れるのでもなく、ただ周囲を明るくしようとするだけ。
 だがそれがどれ程に…どれだけ多くの者達を救って来たか。


「――――――記憶を書き換えたのは月を救い出したときのみ
  それからは一切記憶には干渉せず、ただお主等を見てきたよ
  お主が笑えば辛そうな者達にも笑顔が生まれ、それだけで救われた
  ワシに出来るのは結局の所は軍師であり今は国王としての鼓舞しか出来ない
  この傷の痛みも、傷からもたらされる痛みも、陳到を無くした苦しみも事実
  所詮は自己満足の兵士の名覚えも、自分達の体裁を取り繕うためだけで
  すまなかった…気付いてやれずに……苦しかったであろう?」


 背中を伝う涙は一気に量を増やし、聞える声も泣き声に変わる。
 空間に少しだけ力を送ってその声が周囲に漏れないようにして、ただ霞を泣かせた。
 満足するまで泣かせる間、太公望はただ無言で背中を向けて空を眺めていた。
 程好く太陽を隠す雲はあれど薄く日の光が遮られる事はなく、光が全てを照らす。

 ただ今だけは、太陽の様な元気印の霞を隠す雲に太公望はなった。



「―――ありがとうな、でも口止め料は貰わんと気が済まんわ」



 少しして泣き止んだ霞は唐突に改竄される前の記憶の口止め料を求めてくる。
 だがなんとなくだが太公望にはその料金が何なのか判っていた。


「……口付け(キス)や、心の篭った熱っついのを一回な」


 やっと振り返った太公望に見える霞の笑顔は眼を少しだけ赤くしているのみ。
 いつもと変わらないが、いつもとは違う笑顔でいた。

「……やれやれ…口付けをするのは三人目よな」

 グッと霞を引き寄せて、ゆっくりと唇を重ねる。
 短いが永遠にも思える長い時間が過ぎていき、ゆっくりと唇が離れる。
 顔を真っ赤にしながらも笑顔を浮かべる霞に、思わず太公望も微笑んでしまう。


「ところで望チン、三人目らしけどあと二人は……誰や?」


 ―――気付いた時にはもう遅い今日最大の墓穴


 笑顔である事は変わらないがその手にはいつのまにか握りなれた槍が点在。
 一方の太公望は丸腰の一張羅であり、反撃するにはもう遅い。
 鳳国随一の騎馬将軍の猛攻を一張羅で回避しては逃亡する事となるる

 そして翠と白蓮が近隣の盗賊に当り散らして返り血に塗れて帰ってくるまで、鬼ごっこは続く。

 城へ帰れば愛紗に捕まり国旗への書簡へと強制へと引っ張られる事とに。


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 水浴びの日から数日後の事。
 やっと御旗も完成し実に素晴らしい出来となり、まず行ったのは同盟国【呉】の面々を国に招く事。
 魏との決戦に結ばれた【幽呉同盟】は同盟対象であった【幽州連合】の消滅によって消える。
 新たなる両国の太平を手にする為の同盟を再度調印すると言う事で、両国は動いていた。


「……と言う訳で今度は我等が向こうへと赴き、調印を行う事になった」


 前回の調印は鳳国の国王太公望が呉国の情勢を察し、わざわざ直接国元まで赴いた。
 二度も自国に相手を無理に招くのは失礼に値し、呉王などの品格を疑わせてしまう。
 悪く言えば体裁を保つ為にも今度は呉国の面々が鳳国へと赴く事となる。

「向こうに赴くのは私と……」

「かの名軍師さん達や太公望様とゆっくりお話がしたいので私も付いていきますよぉ」

 国王である孫権は絶対条件であり、孫権が行かなければ話にならない。
 この調印に率先して付いて行く事を主張したのは意外にも中立派軍師の陸遜。

「珍しいな陸遜、君が率先して同行を志願するなど……」

「だって以前の援軍としての戦も”国内統率”の優先でご同行出来ず、戦ぶりを見れませんでしたから」

 先の魏との決戦で太公望が見せた姿は、諸国・各地でその偉大さを謳う歌になってしまう。

 ―――かの者は天の御遣い

 ―――かの者の名は太公望

 ―――死を恐れず友の為に前に立つ

 ―――生を欲して猛々しく舞う

 ―――純白の姿を鮮血に染め上げなお舞う

 ―――あぁ偉大なる鳳王太公望は天地を往く

 ―――あぁ我等はかの背中を護る者達

 ―――おぉ称えよ賢王・鳳王太公望

 ―――死を恐れ生を欲しよ王の願い

 ―――死を薙ぎ払い生を掴み取る我等に天の加護あらん事を

 この歌は意外にも先の戦に参戦していた元歌人の呉兵士が作った歌なのだ。
 更に太公望の姿を見た多くの兵士が太公望を支持し、同盟を称えた始める。
 中には太公望の姿に先王孫策の面影を見出し、鳳国への移住を志願する者達まで。

「……雪蓮の面影か、お…私も見たかったが致し方ないな」

「そうですよ、史慈様が居残りを命じたから行けなかったんですよ?」

 特に陸遜は軍師として噂に聞く太公望軍の実力や軍師達の実力を見ておきたかった。
 しかし旧孫策派の動きを感知した中立派は新孫権派の不在を補う為に全戦力が国内に待機する事に。


『皆の事をお願い』


 太史慈を突き動かすのはひたすらに愛した孫策……雪蓮の遺言。
 たとえ呉が歪もうと、現在のように二つの派閥が宮廷に渦巻こうと。
 義妹である孫権や孫尚香と軍師周喩の三人の天寿を全うさせる事こそ全て。
 その為に陸遜を抱き込み味方とし金を使い物資を使い、呉の将校を抱き込んでいる。

「とにかく私は絶対にご同行させてもらいますよぉ?」

 歴史に大軍師として名を残す太公望本人と会える。
 更に太公望は自身以外にも優秀な軍師を数多く抱えている。
 そんな者達と知恵比べやただ軍師として話し合いたいと言った好奇心で一杯の陸遜。

「あとは私と甘寧……周喩にも来て貰う」

「……国王の命とあらば」

 不機嫌そうに周喩は承知した後に、謁見の間を後にした。 

「冥琳! すまない蓮華!」

 幾等国を担う軍師とは言え、あの退室の仕方は非常にマズイ。
 非礼でありたとえ不機嫌でもこう言った場合は隠し通す事が大切なのだ。
 それを堂々とあのようにしたとあっては非礼ゆえの刑罰は免れない。
 優しい孫権こと蓮華と言えど王としての処罰や体裁をしなければならない時もある。

 約束を護れなくなる事を恐れた太史慈は慌てて周喩こと冥琳を追う。

「周喩め……堂々と蓮華様に粗相を働くか」

「やめろ思春…私は姉様にはなれない、だからこそ私は孫権として周喩を納得させてみせる」

 太公望に教えられた事を心の支えに、蓮華は自分の持てる限り事をしている。
 政治・軍事と王として何が出来るかを今一度見直し、見つけなおす。
 魏との戦で手に入れた土地の戦後処理も出来る限り周喩の手を借りずに済ませている。
 その姿に多くの者達が蓮華を見直し呉王として支持し始めていた。

「蓮華様、以前の太公望様ご来訪の時よりずっと凛々しくなられましたねぇ?」

「ふふ…我が盟友が諭してくれたのだよ……私と言う孫権をな」

 孫策にはなれないなら孫権として背筋を張って生きていく。
 実の姉であり自分にとって大きな壁でしかなかった面影を乗り越えたのではない。
 たたそれ以上の王として参考になる者を見つけて自然とその影が消えただけ。


 ―――合格よ……蓮華


 宮廷をふっと風が駆け抜け、微かな声が聞えた。

「……聞えましたか?」

「空耳だとは思うが……今のは確かに」

 風が運んだ優しい言葉であった。


「……気のせいだ…そう、これは風の気まぐれ」


 目元に涙を浮かべながら、綺麗な笑顔をする蓮華。
 宮廷を風はただ優しく流れていった。


==============================================


 太史慈は懸命に走り、やっとの事で周喩に追いついた。
 宮廷から少し外れた位置にあり、人目に付かず目立たない場所。
 武人としての勘は警告を宣言していたにも関わらず、太史慈はその場所に踏み入ってしまった。

 ―――全ては雪蓮との約束を護る為に


「冥琳どういうつもりだ!?」


 流石の太史慈も怒気を孕んだ声で周喩こと冥琳を怒鳴る。
 しかし冥琳は振り返る事などせず、後ろ姿を向けたまま。


「どうしてあの子を認めれない! あの子はもう立派な呉王だ!」


 孫策派の者達も太史慈の抱き込みもあるが、確実に蓮華を王と認めつつある。
 専守防衛能力に長け、国政などには民意などをしっかりと考えて政策を打ち出す。

 更に孫策派が野心を無くしつつあるのは目の前の大国である【鳳国】の存在。

 今や魏を取り込み、大陸を探しても並ぶ者なき猛将・智将がいる国。
 大量の騎馬隊に規律と統制の取れた桁違いの戦闘力を誇る軍隊の存在。
 国王である太公望の圧倒的な存在感からもたらされる絶対的なカリスマ。

「天下は二分され民意からも戦意はなくなり太平の世を望む声も大きい、もう戦はなくて良いんだ!」

「……史慈、貴方はそれで良いの? 雪蓮の願いを、天下統一の悲願を忘れたのかしら?」


 ―――そんな願いよりも大切なモノを俺は託された!


 義妹達と冥琳の事を任されたと言う太史慈にとって天下統一よりも大切な願い。
 だがその願いこそ冥琳にとってある種の禁句であり、冥琳の最大の影。

「……貴方さえ居なければ………雪蓮は私だけを愛してくれた」

「冥琳…雪蓮がまだ無名の頃に交わした誓いを忘れたのか!?」

 それは太史慈が雪蓮の”男”となる日の事であった。

『我等は天に誓わん!』

『我等の旗で天下を埋め尽くさん事を!』

『我等は義勇を持って天下泰平を成就せん事を!』

 三人が出会い、絆を交わせし綺麗な雪の降る日。

『孫呉の未来を我等が智にて!』

『孫呉の未来を我等が武にて!』

『孫呉の未来を我等が才にて!』

 綺麗な白い雪は足下を埋め尽くし死体に降り積もり、赤く染まる。
 その日の血潮の熱さと冷たさを忘れたる日などなかった。


『『『変わらぬ絆を持って鉄すら切り裂き・鉄にすら裂かれぬ”断金の誓い”を今ここに!!!』』』


 孫呉の未来を信じ切り開く為に交わした断金の誓い。
 三人の変わらぬ絆を交わしたその日の夜に太史慈は雪蓮の男となった。
 しかし太史慈は一介の武将と王族たる雪蓮との身分の差を知る。
 そして自らが愛する人は恋人である前に王であり主君であり、あらねばならない人。

 ―――故に子供は作らなかった

 どれほど心底では子供を欲していたかを知りつつも、王を優先させてしまう。
 何よりも太史慈は戦場で美しく輝く孫策を愛したのだから……そうした。

「今の俺には彼女から託された願いがある! それの為にもお前のこれ以上の勝手な事を許す訳にはいかない!」

 腰に下げている剣の柄に手を添える。


「雪蓮は最後を私じゃなくて貴方に託した……どうして私じゃなかったの……雪蓮」


「冥琳! お前は忘れたのか……あの日…自分が託された最後のねが……」


 ドスっと鈍い音がする。
 太史慈がそっと落とした視線の先には銀色の刀身が自分の胸を丁寧に貫いている。
 傷口から血が流れだし、刀身もまた自分の血で染まってしまっている事に気付く。

「め……まさ…」

 ゆっくりと振り向いた先にいるのは白装束。
 そして冥琳の隣でほくそ笑んでいるのもまた白装束。

 弓将としての勘が真相を突き止めた。

 孫策派が不穏な動きをしていたと言う報告の正体は、白装束と関わっていた事。
 おそらく魏との決戦前から関わりを持ち、暗躍していたと言う事にも気付く。


「そうよ、白装束と私は繋がっている……全ては雪蓮の悲願の為に……」


 軍師であり智将としての顔をし、自身を憎しみで燃え上がる眼で見ている冥琳。


「……れん……しゃお…逃げ…」


 その場に倒れる太史慈…虫の息の彼に止めを刺そうとする者はいない。
 傷口から血を流し少しずつ弱っていく太史慈を見下す冥琳。


「―――手筈通りにお願い、こちらもそちらの通りに動くわ」


 強すぎる忠節心が招いた、事の始まり。

 呉崩壊への道筋を知らぬまま歩く智将。

 悲しく冷たく湿った風が頬を掠めていった。


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■作者からのメッセージ
 YOROZU様
 ご感想ありがとうございます
 二大強国が睨み合う天下二分状態ですが一応油断は許されません
 しかも華琳が華琳なので臣下達からの忠節が強いので、今だ魏再興を謳う者も
 そんなのがまだいる状況で一人でうろつかせれば反乱や迫害の眼に会いますからね
 そりゃあ鳳国の最高軍師達ですから演算能力は嫉妬補正も合体して太公望すら超えます
 恋は一応ご主人様一筋なので同性愛は一切無し、下手な勧誘は敵対行為と見なされ即殺ですよ
 孔明の罠だ! でもあり今回は軍師三人の共同であったので軍師の罠だ! にしました
 あの仮面を男でもつけても良いのは蝶カッコイイ人だけです!
 伏義に近づくにつれて皆が対している太公望が消えていく、本来の姿へと戻る事が苦痛なのです
 時代に関しては作者の独断ですが、左慈達が勝ちもし負けもした異なる担う者の事です
 殺せないネズミ、戦端とはホンの些細なもので充分……たとえば留学者が殺害されたとかで
 今回はあと二・三話は日常編を書いてから戦乱編に再突入のつもりですからご安心を


 ソウシ様
 ご感想ありがとうございます
 華蝶仮面ズが四人な理由は後日明かしますよご期待を
 こう逢引きしようにも非番に当たったするのが大人数の醍醐味かと
 本当の意味で二人っきりなどきっと来ないんだろうなぁ…と
 劉備が身に付けていた雌雄一対の剣の片割れを担う事となった麗羽
 もう彼女は幸せの絶頂、日々の努力がやっと太公望に認められたのですから
 まぁ仙人としての時間もありますが最大の原因は女禍です
 うっかり男女の仲になろうものなら本当に世界崩壊ですよ
 でもそれが結果として太公望が一線を越えない抑止力でもあるのです
 彼女に救いの手が差し伸べられる事はあるのでしょうか……
 それではまた〜〜


 ボンド様
 ご感想ありがとうございます
 そう言えば言われてみれば結構似てますね
 村の決起から始まり、才知から国王へとのし上り…正体もまた似たり寄ったり
 でも最大の違いは伏義は冷酷・ハクオロは温厚の絶対的な温度差ですね
 一応ですがこの世界の左慈や干吉は北郷一刀に負けもし勝ちもした存在です
 つまり最後に逃げられもしましたが結果として外史はある種の崩壊
 だからこそ勝ちもすれば負けもした相手なのです
 いえいえしっかりと相手してもらいますよ……飼い殺しってモノがありますから
 二人の災難にご期待してあげてください


 今気づけば空白やら空行が多い事にビックリです
 だから自分の奴は無駄に30後半KBを叩き出すんでしょうね

 周喩の扱いで怒られるかも知れないので言い訳を……

 作者は周喩が嫌いではないです、むしろあそこまで孫策に忠節を持っている所は賞賛です
 だからこそそれを利用される周喩や王として覚醒した孫権によってより苦しくなるのを書きたい
 なによりこの世界での周喩暴走は太史慈と言う男……選ばれたのは彼なのですから
 史実では周喩よりもあとに来たのに戦場ではしっかりと腹心であり背中を任せられる
 しかも太史慈を逃がして、彼が裏切ると周囲が謗る中でも孫策だけは彼を深く信頼していた
 きっと腹心であり義兄弟でもある周喩にとってその様子は苦汁に等しいモノだと思います

 まるで聞仲のような人だと思います……強過ぎて純粋すぎる忠節と想い故に
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