ここは全年齢対応の小説投稿掲示板です。小説以外の書き込みはご遠慮ください。

長き刻を生きる 三十五話『平穏の別れ・決起と反乱の周呉』
作者:大空   2009/04/21(火) 00:16公開   ID:kDCQnIbv2M2

 広陵(こうりょう)が現在の鳳国の呉国との国境線を警備する場所のひとつ。
 目の前には広大な長江の河が悠然と存在し、それを挟んだ向こう側は呉の曲阿(きょくあ)が鎮座している。
 その広陵に設置された数隻の船舶を止めておける軍港を持つ砦の指揮官徐晃は、ただ景色を眺めていた。

 砦の城壁から監視の兵士達と馬鹿騒ぎしたり、酒を飲み会ただ眺める日々。

「やぁご苦労様」

「これは徐晃殿! お仕事ご苦労様です」
「普段通り呉に不審な動きはなし、呉の連中も無事に帰って行きましたよ」

 徐晃は親しみが持てる人柄と権威をまったく振りかざさず、砦の者達全てに頼られ慕われる。
 叩き上げの将軍であり鳳国では重要な仕事である国境警備を任された優秀な男性将軍の一人。
 選ばれた理由もその誠実さと人脈のちょっとした広さであり、砦の兵士で徐晃に不満を持つ者はいない。

「警戒を怠るなよ? 同盟関係とは言え呉はむしろ身内に問題があるからな」

「しかし徐晃将軍が地方配備とは……むしろ中央でも良いと俺達は思うけどよ」

 徐晃は決して実戦経験がないわけでもなく、賊徒鎮圧においてもそれなりに活躍している。
 とにかく最悪の場合を常に想定して行動を起こし、それでありながら大胆にも行動を起こせる決断力。
 ある者は臆病と謗った事もあったが、そのものは即座に太公望の右ストレートを賜る始末となった。


『臆病とは事を恐れでも”生きる”事を選び取る事……だが徐晃の臆病は勇気ある臆病よ
  少なくともその臆病者と謗る者の戦術に大敗した貴様にコヤツは謗れぬと知れッ!!』


 飛び出す事が勇気ではない、打算も勝算もなしに敵中に飛び込むなど無謀を勇気と勘違いしているだけ。
 徐晃は将軍への昇格を賭けて三千の兵士を選び出して部隊を組み、模擬戦を行う試験で堅実な手で大勝してみせた。
 
 ―――騎兵がもし横から奇襲されたら?

 ―――こっちが騎兵の突破をするしてしまったら?

 ありとあらゆる打ち出す手が返された場合まで計算した”臆病な戦術”が面白い位に当たった試合。
 徐晃は騎兵を突撃させ、それを最悪の結末たる横撃を敢行してきた敵兵を更なる返し手である斉射で殲滅。
 最悪の結末に対して限り無く百の確立で反撃してみせるその恐るべき”臆病な戦術”を示した徐晃。

「徐晃の腕前なら関羽将軍だって苦戦必須だってのに地方勤務だなんて」

「……お前達は知らないだろうがな、中央の将軍には例えるなら虎数匹と無手で戦うくらい辛い…辛いな……」


 ―――徐晃の顔に一気に影が差す


 それは将軍職に就いた者達が一律して恐れる極上恐怖の【書簡処理】に徐晃は心に傷を持つ。
 徐晃達はその苦しさを『虎数匹と無手(武器なし)で戦うよりも苦しくて辛い』と表現している。
 地方着任にはその中央勤務に課せられる書簡処理が少なく、徐晃は話が持ち上がった瞬間に飛びついた。
 
「ちっ中央に一体どんな苦痛と苦しみに満ちた仕事が?」

「あぁ……徐晃将軍の眼がどっか遠く見てるよ」

 そんな緊張感のなく武器を手に持ち、身体に鎧を身に纏っていてる兵士と将軍の会話。
 毎日こんな緊張感の欠片もなくただ雄大な河と対岸を眺め、いざと言う時は出陣する日々。
 だが呉とも同盟が結ばれそれこそ平穏な日々がこれから始まると誰もが信じていたのだ。

 ―――広陵の砦の兵士達は毎日見ても飽きない水平線の夕日を眺めた

 ―――その夜の事であった


「……おい、呉軍から訓練するなんて連絡あったか?」
「ないわよそんなもの」
「でも大型船だけでも五隻に……小型船がひぃ・ふぅ……十数隻も?」


 早馬や帰りの際に泊まっていった呉兵からも同盟については聞かされていた。
 もし呉が訓練をするならば砦に一言伝令があってからと言う規約の筈なのだが連絡なし。
 流石に兵士達の間でも不安が広がり始め起きていた徐晃の指示によって臨戦体勢へと突入。


「松明は出来るだけ点けろ! 弓兵と弩兵は油で火矢用意を用意!」


 砦内部が慌て始める。
 まさか数日前に締結されたばかりの同盟を破棄するなど、孫権の風評からは考えられない。
 そもそも孫権達と水兵三万はまだ業で訓練と国王同士の話の真っ最中の筈。
 ここで徐晃の将軍としての能力が、最悪の場合を想定して暗部にある事を指示してから城壁へと昇る。
 呉の船団に点けられた松明の光が不自然な程に砦へと近づきつつあり、兵士達も弩弓を構える。


「盟約に結ばれし呉の同志達よ! 連絡も無く更に武装し砦に近づく意思を示されたし!
  返答も無くこれ以上砦に近づくのであれば我等もまた遺憾ながら実力を行使さぜる得ない!」


 既に砦の弓兵達全てが船団に掲げられている【周】の旗からこれから起こり得る事を理解出来た。
 だからこそ徐晃は”実力行使”などと言う決して先手を出せない立場ながら脅しを掛ける。
 鉄の船など存在しないこの時代に木製の船に風のある日に火矢を放たれる事は……死を意味する。
 しかも近づきつつある船団はまるで撃ってくれとばかりに密着し、砦へと少しずつ近づいくる。

「将軍! このままでは砦に取り付かれます!」
「ダメだ! もしこちらが先手を打てば奴等の思惑通りになってしまう!」

 先手を出せない……兵士達は徐晃のように歯痒さを懸命に堪えながら狙いは変えない。
 砦から出航した小型船が漕ぎ出され、近づきつつある周喩船団へと接近する。

 ―――ただの間違いであって欲しい

 ―――何事も無く帰って欲しい

 ―――戦乱など誰も望んでいない

 鳳国の砦兵士達全ての願いを粉砕するとばかりに、取り付こうとした鳳国の船が火矢によって川底へと沈んだ。
 良く燃え上がり水上の燃え上がる一つの松明として輝き、船に乗っていた兵士達はその炎によって身体を焼かれ水底へ。
 冷たく苦しい長江の広大な懐へと抱かれながら全身を焼かれ苦悶・悲鳴と友として、ただ何も見えない水底へと沈む。



「―――放てぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!」



 徐晃の悲鳴とも取れる号令によって一斉に放たれる燃え盛る火矢達。
 紫苑や秋蘭によって鍛え上げられた弓兵達は正確無比に大き過ぎる獲物達へと食いつく。
 そして仲間達の痛みを今度は呉兵達が味わう、生きたまま全身を炎によって焼かれ食われる激痛。
 水に飛び込めば逆に炎に焼かれた皮膚がより痛みを倍増させ、また水底へとその身を沈めていく。

「呉の女狐が…よもやとは思っていましたが……」
「だけどこれど船団は壊滅、周喩単独の戦力じゃこれ以上の侵攻は……」

 徐晃の眼は燃え盛る船団を見て、何かを感じ取っていた。
 余りにも密着した陣形に崩れ落ちていく船が不気味ほどに重なり合っていくその様子。
 呉随一の智将がこんなにもあっさりと崩れる訳が無いのは理解している。

 ―――揺らめく炎の間に見えた英傑の光

 ―――自分達の上司であり仲間である英傑にも劣らない光

 そして周喩単身では到底揃えれないような戦力を前にして、徐晃が導き出した答え。


「徐晃将軍ッ!!」


 激しく燃え上がる炎の向こう側が見えているのか、それこそ正確無比な矢が二本。
 徐晃目掛けて宙を駆けるが徐晃の傍にいた兵士がその身を盾にしてこれを防ぐ。
 そして砦守衛軍五千の決死の時間稼ぎと言う地獄の幕は挙る。

 ―――船団の屍を足場にしてる少女が一人


「………死ぬよな…俺達」


 ―――孫家の桃色の髪を熱風と水蒸気になびかせていた


「ならせめて一刻でも長く足止めをして本国への侵攻を防ぐ!」


 ―――その勇姿に誰もが死を覚悟する


「鳳国軍の最大の鉄則たる”生存”を無視してしまうけど、ここでこの命を散らします!」


 ―――その名を孫尚香と言う


「我等! 鳳国の為に……死して国の明日の礎とならん事をッ!!」


 元々水軍の力で大きく劣る鳳国は何処に隠れていたのかも判らなかった敵船団が次々と砦に取り付く。
 砦の各地で聞え始める武器が交わる音に敵味方入り乱れての大乱戦への突入。
 敵軍の揚陸を止め様にも船団は全滅し、開戦より僅か半刻で既に軍港を占領されてしまう始末。
 港には孫尚香の心強き護衛たる白虎が、その種族としての圧倒的な力を発揮して次々と兵士を仕留めていく。
 牙で食い千切り・爪で引き裂き・眼光で威圧して・咆哮で心を砕き砦を覆い尽くす炎から諸共せず侵攻してくる。

「喰い止めろ! 少しでも長く敵を止めるんだ!」
「火なんて怖がるな! 死を怖がるな! 俺達の力で少しでも”後ろの連中”を護るんだ!」
「虎が何だ…白装束が何だ! 俺達は誇り高き鳳国の兵士達なんだ!!」

 雑兵と表記すればそれで終わる者達が懸命に生きる。
 視界を覆いつくす炎が牢獄の如く四方を取り囲み、その熱気で次々とそこにある命を食べて行く。
 砦と言う身体の中に入り込み、そこにある兵糧や備蓄達を食い散らかしながら炎はなお獲物を求めて肥大。
 肥大した炎が兵士達の身体に少しでも当たれば衣服に引火して断末魔を挙げながら死していく。

 ―――されど双方の兵士達は立ち止まらない

 洗脳にも近き忠義が鳳国兵士の脳内から”お国の為に”を生み出しているのだ。
 何より既に五千の砦防衛軍に対して既に二万には等しい孫尚香率いる反乱軍が戦っていた。
 数は四倍に加えて砦は火の海……更にはあまりにも物量にモノを言わせた怒涛の攻撃。

 ―――されど鳳国兵士は一人でも多く”道連れにしていく”


「……まだだぁぁぁ!!」

「少しでも多く敵を……」


 ある者は片腕を切り落とされ傷口から異様な量な血を流してなお、もう片方の腕で武器を振るう。
 しかし動きが遅くなった兵士を逃す訳がなく、白装束の槍が身体に突き刺さり死へと導いていく。

 ―――その兵士は武器を捨て全身で白装束を抱きかかえて炎の海へと飛び込む

 双方が炎に焼かれてなお周囲の者達は我関せずとばかりに戦いを続けていく。
 もう何人斬り捨てたかなどお互いに分かりなどしないほどに磨耗した武器。
 ある敵を斬ろうとした瞬間に刀身が人間の骨に負けて折れ、そのまま敵の反撃を許して斬られる。
 
 ―――だがただでは死なない

 さっきの兵士と同じように何人もの敵兵を巻き込み、炎へとの飲まれ死ぬ。
 生きた人間が焼ける臭いとは非常に強烈にも関わらずまた我関せずとばかりに戦う。


「天井が!?」


 倒壊していく砦に押し潰されて圧死していく。
 また生き延びたとしても身体の身動きを封じられた状態で炎に飲まれて焼死してしまう。
 そんな状況にも関わらず兵士達はただ殺し合いを続けていく。


「嫌です! 私も徐晃と供に!」

「馬鹿を言わないでくれ……ちぃ! 邪魔をするな!」


 砦の最終防衛地点……鳳国側の門で僅かながらに生き残った兵士達が二万相手に決死の抵抗を続けていた。
 元々四倍の兵力を相手に火を放ち砦そのものを利用させないと同時に、背水の陣を敷いた徐晃。
 門前の兵力は僅か二千であり残り三千は今だ港や砦各地で決死の防衛と特攻を敢行して足止めをしている。

 ―――既に徐晃の手斧は二本とも血に染まっている

 周囲の兵士達の武器もまた血に染まり、全身返り血で真っ赤に染まってしまっていた。
 視界も炎の紅と血の赤によって埋め尽くされて錯乱状態で抵抗を続ける者までいる。
 ましてや敵兵の数はおよそ四倍であり、四方を常に包囲された状態で戦い続けるのに精神が持たない。

「すみません姐さん!」

 徐晃の傍で常に戦っていた女性副官の首筋を手刀で打ち据えて気絶させる一人の兵士。
 
「……徐晃将軍もお逃げを」

「いや…ここで将軍が逃げては話にならないだろう? ましてや彼女が逃げるなら尚更にな」

 気絶している副官を愛おしそうに見る徐晃。
 周囲の兵士達も懸命にその副官を護るべく防衛を固めていくが、突破も時間の問題。
 だからこそ徐晃は将軍として下してはならない命令を副官の側近に命令した。


「鉄椅! 徹志! 彼女を……私の子供を………頼んだぞ? 全ては我が子等の為に!!」


 生き残っていた馬に強引に乗せられて、副官と側近の二人は焼け落ちる砦から強制的に脱出させられた。
 三人が砦から逃げ出したかのようにも思えるにも関わらず誰も徐晃に対して文句も不平も言わない。
 むしろ賛同するかのような眼や声が次々と挙がる。

「いや周知でしたよ将軍! あの人には元気な子供を産んで欲しいですね!」

「幸いここで妊婦だったのは彼女だけでしたから……誰も後悔はありません!」

「我等が王ならば必ず子供達が笑顔で暮らしていける国を創ってくださいます!」

「畜生羨ましいですね本当に! 俺なんて女すらいないんですよ!?」

 兵士の心に少しだけ余裕が生まれた。
 目の前から迫り来る数の暴力・周囲を囲い尽くす炎の牢獄・倒壊していく衣食住を共にした砦。
 槍が迫り・矢が飛来し・剣が振りかざされてなお、砦の兵士達は諦めずにただ戦う。
 疲労し磨耗した武器は壊れ、熱気が容赦なく体力を奪うにも関わらずなお兵士達は戦い続ける。

 そんな状況で鳳国の兵士を支えるのは忠義と逃がした彼女のお腹に宿る小さな命の為。

「この砦じゃ有名でしたよ! 徐晃将軍の幼馴染がやって来たって!」

「そうですよ! いっつも将軍が女性と仲良くしてると嫉妬してたんですから!」

 港も完全に陥落したのか、砦の唯一の入り口たる門目掛けて突撃して来る敵兵の数が増えた。
 道連れにして死ぬ兵・道連れにされて死ぬ兵が一気に増加し、兵士ももう極僅か。
 それでも死を恐れず戦い、傷だらけなってなお兵士は残った力を振り絞って抵抗を続ける。

 気付けば防衛兵の数も二桁にまで減っている。

 されど抵抗は続く、砦の後ろにいる民や駐屯兵達が少しでも逃げ切れるように。
 大軍を少しでも転ばせる路傍の小石となるべく、徐晃もまた最後の特攻を敢行する。

「すまないな………彼女だけ逃がしてしまって……」

「まぁ一ヶ月前に妊娠発覚時は皆が驚きましたよ」

「良かった良かったって言いながら影でしっかりと祝福させて貰いましたから」

 僅かな手勢を率いて敵中への突撃。
 四方八方から襲い掛かる武器によって仲間が死してなお、その足並みが立ち止まる事など無い。
 たとえこの場に周喩が居なくても敵兵を一人でも多く倒せればそれだけで進軍速度に影響を与えれる。
 もはや今この場の鳳国兵士の行動を支配するのは自らの為ではなく”後ろにいる他者の為”と言う自己犠牲心。

 ―――自分が敵兵を一人でも多く殺して死ねば、後ろに居る者達が救われる

 ―――自分が犠牲になれば自分以外の誰かが犠牲になる事はなくなる

 ―――自分が勇敢なる死を遂げればそれに仲間達はきっと答えてくれる

「この老兵…最後は若き子等の為に!」

「全ては明日を担う孫達の為に!」

「この命を明日の礎とならん事を!」

 一人・また一人と死していく。
 各々が各々の最後の理念を語りながら敵兵を道連れにしていく形で死んでいく。
 最後の命の灯の力で身体が”動かせるなら”一人でも多く道連れに殺していく。
 執念と呼ぶに相応しい力が焼け焦げ・灰となり逝く身体すら動かして相手も一緒に焼くのだ。
 火達磨になった者達すら”動けるなら”特攻を敢行し続け、その命を散らしてしまう。

 ―――だがそれは敵兵も同じ

 ―――術によって死を忘れた反乱兵もまたただ殺す


「気付けばもう私一人か………ならば最後の敵は孫尚香を連れて逝かせてもらう!!」


 炎と敵兵の海を駆け抜けている内に徐晃は配下達が全員戦死している事に気付く。
 だがそれでも立ち止まらず次々と襲い掛かってくる敵兵の無数の武器を避ける。
 更に着地する場所にいる敵兵の頭を踏み砕き、亡骸を足場に再度跳躍して進む。

 ―――その眼はまるで死人の如く虚ろ

 ―――されど両手に持つ輪刀(チャクラム)は血だらけ

 徐晃は幸いなのか洗脳に掛かっていない時の孫尚香を知っていた。
 元気で純粋無垢のような無邪気で太公望に迫って本人を困らせていた風景を見ていた。
 その時に恋人であり妻であった徐頌(じょしょう)に


『あんな子が欲しいな?』

『なら頑張ってね……愛しい徐晃様?』


 側近に命令して逃がした大切で愛している徐頌と微笑みあったあの日。
 子供が出来たと医者に宣告された時の嬉しさは、最高と呼ぶに相応しい。
 それ以来ずっと二人きりの時には子供の真名を考えあい、どんな子になって欲しいかを語らいあった。
 男の子か女の子かを語り、子供の世話の大変さを様々な人達から学んで父親としてしっかりする事を決める。


「……この命を産まれいずるであろうあの子の為にッ!!」


 跳躍している徐晃目掛けて何本もの矢が放たれ、身体を射抜いていく。
 両腕を頭の盾として矢を防ぎ、脚を槍で貫かれてなおその身体は孫尚香を目指す。
 血が噴出し、徐晃の意識を刈り取りながるが痛みで繋ぎとめられる。
 もはや眼に見えるのは反乱軍を率いている者の一人と思われる孫尚香のみ。
 どれほど身体を斬られ、貫かれようとその足並みは立ち止まる事を知らず、咆哮と共にただ奔る。

 ―――だが現実は現実

 両足を槍で貫かれ・腕はまったく動かず・視界はオボロゲ・武器は欠けてしまっている。
 そんな状態でどうすれば敵将に勝てるかなど議論する必要性すらない。

 ―――無理の一言で片付けれる


「……我が子と…妻に……幸…あれ――――――」


 出血多量による戦死。
 徐晃の死を確認した反乱軍兵士達は崩れ落ちる砦から脱出と撤退を開始した。
 その崩れ落ちる砦の中で孫尚香はもう死んだ徐晃を虚ろな眼で少しだけ眺めた。

 そのまま本来ならば敵将の頸を取らねばならないにも関わらず。


「シャオは……なにやってんだろ」


 孫尚香は徐晃の頸を取らずに反乱兵と共に砦を脱出。
 陸側へと出れど既に脱出した三人は遥か彼方へと移動してしまっている。
 焼け落ちる砦はその中に残していた兵糧などの備蓄の尽くを焼き払い、崩壊して逃げ遅れた者達を巻き込む。
 徐晃の死体もまた崩壊する砦の瓦礫に押し潰され、炎によって火葬されてしまう。



「たった一つの砦を落とすのに夜を丸々使わされるなんて……」



 河側の周喩はすこぶる程に不機嫌であった。
 と言うのもそれこそ事前の調査で兵士が僅か五千しかいない砦の攻略に丸一夜を費やす。
 更に兵士達の足場とする為に大型船五隻・小型船十数隻を犠牲にしたにも関わらずだ。
 
 およそ四倍の兵力に大艦隊による一斉攻撃と突撃による電撃作戦による短期決戦。

 だが徐晃の咄嗟の判断と最悪の事態を想定し回避出来る能力による火計。
 ”自ら”砦に火を放ち、揚陸した事を逆手に取ると同時に背水の陣を展開する。
 現に兵士達は決死の覚悟を持って防衛と抵抗に当たり、反乱軍も二万の内の六千を殺される始末。


「周喩殿ともあろうお方が狼狽とは……」

「なんだと……南華老仙! 手筈では貴様も出る筈であったろう!?」

「私も洗脳や兵力調達に疲れていたのですよ…それに周喩殿は我等との盟約をお忘れと?」


 周喩の作戦では洗脳したシャオと南華老仙が砦に飛び込み、一気に敵を鎮圧する手筈であった。
 にも関わらず南華老仙は今のように洗脳による疲労と称して出陣を拒否し、船の上でヘラヘラしている。
 戦場で一際目立つ巨大船に掲げられた【周】の御旗は朝日に輝く。


「まぁ我が皇は貴方に期待しておられます……だからこそ――――――」


 その二人が乗る船の奥につけられている木製の椅子に腰かけている眠れる美女。
 周喩にとってその美女が居てくれさえすれば他には何もいらない。
 駆け寄って眠っている美女の膝元に走りより、その膝に自らの顔を擦り合わせる。
 美女が目覚める事はない……今はただ眠っているだけ。


「あぁ愛しい雪蓮…貴方の命を奪った干吉と言う道士の頸を必ず貴方に捧げるわ
  そうすれば貴方は史慈じゃなくて私を愛してくれるわよね?
  元々太史慈は敵で貴方の情けで無様に生き延びたのを利用して貴方を誘惑して
  だから貴方は太史慈をあんなにも重用しのでしょう…絶対にそうよね
  安心して……もうそんな男は術の虜…そして貴方の描いた天下を手にして見せるわ
  この私の――――――周喩であり冥琳の名に懸けて貴方に天下を捧げるわ」


 それは強すぎる忠義がもたらした結果。


(所詮は歴史の傀儡か…女禍と言い周喩と言い―――恋は盲目とは良く言ったものだな)


 老仙は周喩のその様子を見て見下し・卑下し・心の奥底で嘲笑う。
 史実での周喩とはあまりにも違う忠義り有様を比べて、目の前の周喩を嘲笑う。

 ましてや雪蓮―――その名を孫策と言う美女の中身は女禍なのだから尚更。

 盲目ゆえに見てくれに騙され、良い様に利用され操られている周喩は気付かない。

 ―――眠れる孫策の眼から一筋の涙が流れている事に



=====================================



 鳳国にその報告が届く頃には、もっと被害は深刻な領域へと到達していた。
 元々国道整備による敵軍の進軍速度の上昇は重々に承知していたが、太公望以外は相当狼狽している。
 そもそも太公望が国道建築に乗り出したのは災害地や戦地への移動を素早くする為と、宿場町建築の為である。
 つまり移動速度を速める為に造ったので、利用されて当然であるのだ。


「敵軍は白装束達に周喩・孫尚香・太史慈以下呉将軍達に敵兵総数四十万の大軍勢とは……良く揃えれたものよな
  しかし侵攻軍が下邸(かひ)の孫尚香の五万だけとはまた随分と――――――馬鹿にしてくれるものよな周喩」


 普段している手袋を外している所為で右手の手の平から握る力が強過ぎて血が流れ出す程に拳を握り締める太公望。
 ただの侵攻ならば太公望もここまでは怒りはしないが、暗部から聞いた侵攻軍の無慈悲な侵攻の様相。

 進路に存在する村や街を一つ残らず焼き払い、そこにある人畜の全てを皆殺しにしていくと言う非道。

 だが徐晃達の決死の足止めと暗部の情報伝達術(おもに伝書鳩ならぬ伝書鷹など)によって被害はまた少なくなった。
 しかし下邸に至るまでの宿場町は全滅し、各駐屯軍は敗走を続けながら下邸防衛軍になんとか合流出来たのだ。
 下邸には街を取り囲む堅牢な城砦が存在しているのに加えて、反乱軍は強行軍にも近い無茶な進軍で疲労困憊の筈。


『……徐頌よ、お主のお腹の中には二つの命が宿っておる
  それは徐晃が護ろうとした命であり、アヤツの生きた証の筈ではないのか?
  腹の中におる時の子供とは非常に母親の影響を受けやすい、安静にしておれ
  そして悲しむのではなく苦しくとも微笑んでいなければ…子供も悲しみを抱いてしまう
  国王として二人の側近よ! 英霊徐晃の妻と二人の子供を命に代えても護れ!』


 逃げ延びた三人の説得に胎児を使い、国王権限で三人を業の中に押し込んだ太公望。
 それこそ徐頌の錯乱振りと周喩に対する復讐の渇望は凄まじく、女の恐ろしさを見せつけていた。
 されどその精神が胎児の悪影響になると説き伏せ、なんとか出来たが代わりに太公望が怒り狂う。

 ―――即座に全軍が召集され

 ―――鳳国の全力を持っての決戦の火蓋を開く


「現在下邸に侵攻している反乱軍は小康状態を保っているそうです……騎馬隊と戦車隊による強行軍
  更には馬車による移送も敢行すれば十万の戦力”だけ”を先行させる事は可能です
  馬騰さんや皇甫嵩さんのような地方勤務の人達には後詰めで物資運搬と援軍を兼ねて貰いましょう
  兵糧はここから運搬出来るとしても敵軍五万に対抗するには最低三万として兵糧は九万必要です
  そうなれば歩兵や弓兵を運搬する筈の馬車や馬を兵糧に裂かざるを得ません」


 謁見の間を軍議の場として急遽運営する事となり、軍師の長に立つ朱里が淡々と説明を続ける。
 軍議の合間にもそれぞれ白装束に対する怒りや憎しみ、あるいは現状への嘆きをアラワニしていた。
 まだこの時点で孫権も業に滞在しており水軍三万もまた翌日には身なりを整えて国元へと帰る筈。

 ―――なのに周喩の独断による反乱

 ―――白装束による国家規模の洗脳

 ―――同盟から僅か二週間にも満たない

 鳳国の歴史文学者となる人物からは【流星の同盟】と称される事となるのはまだ知らない。
 ちなみに流星の意は”綺麗”ではなく”儚い”と言う意味合いで造ったとの事。
 人の夢と描いて儚いと読む……ましてや天下二分を史実にて思い描いた周喩に壊されたとあっては尚更儚い。


「こちらで出せる戦力は、下邸周辺までの駐屯兵達を招集すれば五十万前後です
  馬騰達のような辺境勤務を総合すれば戦力は八十万にまで膨れ上がりましょう
  しかし敵軍の主力は水軍であり徐晃が破れ広陵を攻め落とされた今、この戦力数は無意味でしょう
  我が軍は陸戦と局地戦に特化した軍勢であり、水軍において百戦錬磨の呉が相手では苦戦は必須
  そこで旧魏において優れた水軍統率経験を持つ蔡冒(さいぼう)を水軍長とし戦に望むが良いかと」


 荀ケが推薦して来た蔡冒と言う人物は史実において劉表の重臣であり、華琳とは旧知の間柄。
 魏が荊州に侵攻してきた際には即座に自軍に彼我の戦力差など説き、旧知の間柄を利用して無傷で降伏。
 更にはその水軍統率力は魏最高でありかの周喩や諸葛亮が計略を持って何とか前線から退けさせた存在。
 もし蔡冒が存命でありもっと魏から信頼されていれば赤壁の戦いでの水軍の不利は完全に消えていた筈。
 この世界では蔡冒は存命であり華琳から水軍全てを任される程の将軍であり、洗脳された決戦でも生き残った者の一人。


「では華琳は蔡冒との合流し水軍を率い西へ向い敵水軍の頭を押さえる
  その人選はお主に任せる……兵力は十万…そう苦労する兵力でもあるまい
  馬騰・皇甫嵩・朱俊に伝令を廻し華琳の支援を優先させよ
  劉虞には南下してもらい業の防衛隊と後方での援軍として控えてもらう
  現在残っておる者で白蓮・麗羽・袁四武将は業に二十万の戦力でこの街を護ってもらう
  ワシ等本隊は残った二十万を率い孫尚香隊を完膚なきまでに叩き潰し、敵の出鼻を挫く
  孫権軍にもここに残って貰う……あの状態の孫権では何の役にも立たぬからな」


 軍の行動に兵力割り当てといった事が決定された。
 周喩の突然の反乱の報を聞いた孫権はその場に放心状態で倒れてしまう。
 現在は客室の一つで眠っているが、目覚めた所で部下の反乱”程度”で放心する様では戦力にならない。
 冷酷であり孫権に無理をさせない為に太公望はそう決定し、孫権軍は動けなくなった。


「……この一戦で国庫の兵糧を全部消費しかねない兵力を運用するのは反対したいけど
  民の皆も兵糧の件には賛同してくれてる、あとはどれだけ”消費せず”勝てるか
  人材も、血税も、信頼も、武具も……全部が全部出来る限り消費せず勝たないといけない
  僕達の前に立ちはだかるのは洗脳によって死を忘れた特攻を恐れない兵隊
  そもそも呉に四十万の戦力を集められるわけが無いんだ……あるのはひたすらに洗脳
  救いたいけど、もう反乱軍によって幾つモノ人畜と街々が焼き払われた以上、僕達は殺さないといけない
  慈悲も無く・情けも無く・白装束だろうがなかろうがもう兵士達は容赦なんてしてくれないんだ
  民の皆も故郷や遠縁が殺された怒りからもう周喩や白装束を赦したりはしてくれないんだ
  ――――――もう僕達の時のように”救い””救われる”事なんてないんだ」


 詠が最後の締めにそう嘆く。
 元々大兵力を運用すると言う事には膨大な兵糧の消費が付き纏い、国を疲弊させてしまう。
 鳳国は様々な農業法などで八十万の兵力を養えるとしても一日三食だけで消費は二百四十万石。
 それが数日間にまで及ぶだけで国の疲労は多くなってしまい、危険が肥大していく。
 ましてやこの戦で白装束を滅ぼせると言う確証など何処にも存在しないのだから。

 ―――反乱軍によって血が流されすぎた事

 恋達旧董卓勢力の時には太公望達の兵士の血が流れなかったから、救う事が出来た。
 無論偽の情報や董卓もまた肉親を人質に決起と悪逆を強制されていた真実などの公開。
 それによって同情や哀れみによる者や恋達の忠義心を宣伝する事で反感を消していった。
 
 ―――広陵から下邸までの道程にある街々や田畑が焼き払われた事

 麗羽達の時は郭図と岨授の両者と言う裏切り者と田豊と淳干携と言う二人の英霊の存在を利用した。
 義などが重んじられるこの時勢に裏切り者は都合の良い”悪”として大きく宣伝出来る。
 そして二人の英霊のその見事のな死に様を語り、これによって麗羽達ではなく白装束へと憎悪を集めた。

 ―――人畜を焼き払われ、殺されて民意は反乱軍への敵意しか存在しない事

 華琳達の際には侵攻そのものが洗脳されたと言う事にして、また敵意を白装束へと集めた。
 また重鎮たる陳到の戦死を悲しむ太公望の姿を大々的に民衆は語り継ぎ、国王としての威厳を勝手に広める。
 あとは敵意を白装束へと集めて華琳達への敵意を逸らし、白装束への復讐を誓う太公望の演説。 
 これで兵士達の敵意の大半が白装束へと向けられる事で巧く華琳達を矢面から退避させれたのだ。

「なんとか救えないのですか! 呉の者達も洗脳されているだけならば!」

「愛紗…いや、皆の気持ちも判るが反乱兵の中には”洗脳されていない”兵士が確認されている
  つまり反乱軍の中には自らの意思で白装束と結託して天下を望む連中が存在している
  敵兵一人一人を戦いながら選別させて兵が死ぬくらいならば、ワシは皆殺しにしてでも兵を護る道を取る
  国王は何よりも臣民を重んじなければならないのだ……だから救えなど言えぬのだよ愛紗
  もしワシがその命令を下して結果として他国の者を救えて自国の者を死なせては死兵の家族は決して認めぬ」

「悪いのはあの変な奴等なのだ!」

 流石に義勇に溢れる愛紗などからは”殲滅”の命令に対して、納得できないとばかりに意見が持ち上がる。
 白装束殲滅ならば賛同してくれるかも知れないが、洗脳されている反乱軍を皆殺ししろと言っているのだ。
 しかし太公望の言うとおりそもそもどれが洗脳されていて、されていないのかなんて判別出来はしない。
 そもそもまったく呪術に対してまったく知識のない者達にどうやって判別の基準が判るのか?

 それに敵兵の数や呉国の民衆が周喩に対して決起したりしないと言う事は”洗脳が国家規模”と言う事。

 つまり男女問わず白装束は敵兵をぶつけて来るのに、こちらは殺すななど言えたものではない。
 もはや一軍同士の戦いではなく一国家同士の決戦であり、勝者は大陸を我が物とする大戦。
 民衆はそれを理解しだからこそ圧倒的な勝利によって太公望が真の覇王となる事を望んでいるのだ。



「もはや民は止まらぬ…ワシに出来るのはその期待に答えて修羅の道を歩むのみ
  もうワシ等は綺麗な道は歩めぬが、後世の子等にせめて綺麗な道を造る事は出来る
  皆も忘れるな――――――ワシ等が今なにを背負っているのかを
  そしてワシ等が一体、何によって生かされているのかもまた……の」



 軍議の間となっていた謁見の間から一足先に退室する太公望。
 総大将たる太公望の退室によって軍議も終息して、各々が命令された仕事を始める為に行動を開始。
 それこそ戦へと臨むに当たって一番必要なのは準備であり備えあれば憂いなしと言った所なのだ。

 
 【別働十万:大将華琳:将軍春蘭・秋蘭・季衣:軍師桂花】


 華琳達は蔡冒との合流が目的なので他の二部隊に比べれば兵力は十万も少ない。
 しかし旧魏領にはそれこそ勇士達が中央に来ていないだけで、相当数の戦力が各地に四散している。
 ましてや華琳すら実力を認める水軍長である蔡冒が合流すれば兵力は一気に跳ね上がるのは必須。
 また馬騰や漢左右将軍が道中合流すれば軍は更に巨大化するので、華琳達の戦力は少なめにされていた。
 船団による兵力の運搬も考慮に入れての数であった。


 【防衛二十万:大将麗羽:将軍袁四武将・白蓮・姜維:軍師司馬懿・荀攸】


 鳳国の都である業の警護と後方から絶えず兵糧や薬を送って貰わねば戦線は維持できない。
 街に関しては生活してきた分の知識がある旧袁の勢力を中心にして防衛隊を造られる。
 白蓮は北部で待機している劉虞との連絡がしやすく、また騎馬隊の扱いには長けている。
 それを利用して補給部隊と護衛部隊を形成してもらえば物資運搬の危険が格段に減るのだ。
 また攻城にはその戦力の二倍・三倍の戦力が必要と言われるので二十万ならば必要数は六十万。
 ましてや都の城壁は堅牢強固であり、そう易々と突破される事はまずありえないが念を入れての二十万。


 【本隊二十万:総大将太公望:将軍愛紗・鈴々・翠・星・紫苑・椛・霞:軍師朱里・詠】
 【特務従軍:呪術道士左慈:暗部伝令干吉:総大将直衛恋:救護隊雪】

 
 総大将たる太公望が率いる本隊の兵力は二十万。
 これはあくまで華琳達別働隊などが合流してから決戦へと臨む為であり、現在は孫尚香隊の撃破のみ。
 その為に兵力を二十万と言う少なさで、少し後ろには周喩率いる三十万前後の戦力がいるのも無視。
 あくまで孫尚香隊の撃破と下邸の救援と広陵までの土地の奪還が目的であり進軍速度にも重点を置いていた。
 また左慈には一個人としての道士としての行動を優先、干吉は各部隊の連携を支える暗部による伝令などの行動。
 恋は元々率いる能力があるとは言えないので総大将の近衛と言っても過言ではない役職として、防衛について貰う。
 雪には本隊に従軍して貰い、後方で持てる技術を持って負傷兵達の救護に当たって貰う。
 それによって助かる兵士達が一人でも増えるのだから……せめて一人でも戦死者を減らす配慮の一つ。


「―――私達は何を背負い…何に生かされているか……」


 この言葉は愛紗だけではなく、会議に出ていた全ての人間の心に何かを産み落とす。
 それはいつのまにか高みに到達して足下を見なくなった者には、効果覿面の言葉となった。
 だがその事を太公望が知る由はない。



=====================================



 城は一気に慌しくなり、それこそ廊下などてすれ違う者の数は計り知れない。
 窓から見下ろす景色には伝令や物資が飛び交い戦の支度に明け暮れる者達の姿。

(左慈や干吉から聞いた道筋とは大きく異なったが……孫権との水軍訓練が功を奏したか)

 先日までの呉による水軍指導で実はかなりの数の兵士達が”今すぐ”にでも出陣出来る状態なのだ。
 それ故に華琳隊はもう少し兵糧などの搬送準備が済めばすぐにでも業から出発するだろう。
 また華琳達の出発を優先させているのは太公望の命令であり……同時に冷酷な判断でもある。


 ―――最悪下邸を犠牲にしてでも敵軍五万を疲弊させる


 既に下邸への僅かながらの物資や兵士の援軍が向っているが、いつまでも周喩が手こずらせる訳がない。
 だからこそ更なる戦力を下邸に送り込み陥落を目論んでいるかもしれない事を、利用させてもらう。
 それこそ更に五万の援軍で孫尚香が十万の兵力で下邸を落とした瞬間に奇襲を掛ければ楽に全滅させれる。

 ―――敵本隊の戦力も減り、こちらも軍勢を整えられる

 ―――完全なる捨石を考慮した戦術である


(朱里が反論しなかった辺り………現状をしっかりと見ておるようだな)


 懸念していた軍師組みからの否定の声はまったくなかった。
 朱里達も突然の襲撃に慌てて体勢の整っていない軍の事は理解しており、だからこそ否定はしなかったのだ。
 どれほど強固な軍だとしてもしっかりとした準備無しでは盗賊にも負けてしまう。
 だからこそ太公望は下邸の防衛力と孫尚香隊の疲労を信じて、援軍を後回しにしたのだから。

 一足先に太公望が退室したのには理由がある。


「孫権よ……お主はいつまでそうしておるつもりだ?」


 周喩の裏切りと周喩からわざわざ伝言で送られてきた”孫策復活”と言う嘘としか言えないような言葉が書き連ねられた書簡。
 信じていた周喩には裏切られ、愛する姉である孫策が蘇えったなどと言う狂言を語られ、妹の孫尚香もまで反乱軍に身を置く。
 義兄の太史慈もその反乱軍に身を置き、国まで乗っ取られた事を知った孫権の精神的な傷は大きく放心へと追い込まれた。


「――――――――――――」


 沈黙と言うよりも聞き取れない程度の微かな声で自問自答していた。
 どれほど行おうときっと満足出来る答えなど帰ってくるはずが無い、おそらくするだけ無駄。
 されど孫権はただ虚ろな眼で何処かを眺めながらそれをただひたすらに繰り返している。

「……太公望様からは何も言ってくださらないんですね」

「陸遜よ、国王としての経験は孫権の方が長いのだ……ワシがどうこう言えた義理ではない
  ましてやこれは孫権の配下たる周喩の反乱なのだ、それの判断を他人に仰ぐのは愚かよ
  ワシ等が戦うのはワシ等の国と言う庭を荒らす害虫共を一掃する事にあるのだ
  まぁその害虫共に想い入れがあるならば己が手でどうにかするのが飼い主と言うもの」

 その発言に甘寧が素早く腰に下げている大剣を、逆手に持った状態で太公望の首筋に神速の如く刀身を副えた。
 害虫が意味するのは無論反乱軍全般であるのは明白であり、このままなら自分達が皆殺しにするぞと言っているのだ。
 流石に昨日今日まで味方であった者達を害虫呼ばわりされ、更には孫権への侮辱まで言われて黙りはしない。
 しかし甘寧は内心ではあの日の人間を遥かに超えた剣劇の極地を目の当たりにして、心には恐怖が渦巻いている。

 ―――実際に太公望は甘寧が柄に手を掛けた瞬間に殺せている


「なら貴方はもし関羽のような重鎮が裏切った際に殺せるのですか!?」

「殺す」


 即答であった。


「国王とは国を第一に重んじる者よ…それが反逆者が大切だから殺せないなど言えば民はどう思う?
  たとえどれほど相手が大切であり愛おしい者であろうとも国王であるならば殺さねばならぬ
  こう見えても――――――裏切りを画策していた臣下の何人かを既に暗部に”消させてきた”しの」


 また自傷気味に微笑む太公望。
 太公望がどれほど臣下を大切にしているかなど、聞くに値しない程に有名である。
 その太公望が左将軍である愛紗が万が一に裏切ったとしても”殺す”と即答した。
 決意や覚悟は相当なモノであり、少なくともその場凌ぎでも赦される発言ではない。

「少なくともシャオは救える……ワシに出来るのはそれくらいよ」

「―――――――」

「孫権よ、これはお主が自分の力で立ち上がらないといかんのだ
  だがもしお主一人ではどうしても立ち上がれぬのなら周りを頼れ
  それでもダメならば盟友たるワシに相談せよ…少し位は力になれる筈
  もしもお主が自らの力だけで立ち上がりたいのならばそれで良い」


 ――――――個人の力など高が知れておる故にな


 そう言って太公望は孫権がいる客室から出払う。
 相変わらず城は戦に向けて大忙しであり、太公望も邪魔にならないように歩く。
 部屋に取り残された三人であったが、始動の時は意外にももう来ていた。


「……思春、穏」


 最初はそれこそ小さな声で二人を呼んだ。

「……ここに」

「ここにいますよ」

 放心状態であった虚ろな碧い眼に真っ赤な意思の光が宿る。
 それは大空に君臨し海に映し出される天にそびえる太陽の輝き。


「ここにいるのは国を奪われた未熟な国王孫権ではなく……ただの力なき蓮華
  呉王でもなければ孫権でもなく、私は太公望に…盟友に大きな借りを作るわ
  きっと貴方達や兵士の者達にも大きな迷惑を掛ける事になる
  ここからは貴方達の意思に任せるわ……でも赦されるなら私に少しだけ力を貸して」


「この思春! 常に蓮華様のお傍に!」

「もしかしたら冥琳様も洗脳されているかも知れません
  この知略を持って呉も冥琳様も…皆取り戻してみせます」


 二人もまた即答で忠義を示す。


「―――行きましょう…私達の国を取り戻す為に」


 覇気を取り戻した孫権は腰に剣を下げ、また一段と大きくなった背中を二人の臣下に見せる。
 相手にどんな理由があれ、周喩にどんな理想があろうと、本当に孫策が居ようと関係ない。

 ここに居るのは呉国の女王孫権であり、家族から受け継いだモノを護る決意を固めた一人の女の子。

 歩く姿に思わずすれ違った者達は振り返り、その強くあり可憐な姿に見惚れたという。
 迷いを宿し、決意も決して固まりきっている訳でもないにも関わらずその姿はただ凛としていた。

「もう少し掛かると思っていたが要らぬお節介だったのぅ」

 城の一角で兵士達が駆け足で支度している様子を眺めていた太公望はそうポツリと言う。
 それは丁度三人が太公望の後ろへとやって来た頃であり、気付いたからこそそう言ったのだ。

「……力を貸して欲しいの」

「何のかの?」

「国を取り戻し、大切な人達を救い、そして護り抜く為の力を貸して欲しいの」

 孫権の真剣な言葉に対して太公望は振り向きもしない。
 ただ両腕を前に組んで兵士達が忙しく走り回る様子を眺めているだけ。
 されどその姿は夕日によって照らされ純白の髪が陽光に照らされ美しく輝いていた。

「盟友の手助けに理由はいらぬよな?」

「えぇ……そうしてくれると助かるわ」

「…………明日にでも支度を整えて下邸へと向う、従軍するかはお主の判断よ」

 太公望はそう言って腕を組んだまま支度で忙しい兵士達の中へと何気なしに入っていった。
 そしてそのまま姿が見えなくなり、太公望による呉軍への物資補給が優先される事となる。


「私は救う…国も・シャオも・冥琳も……だから貴方の力を貸して、太公望」


 恋する乙女の決意に満ち溢れた言葉は、兵士の言葉によって掻き消される。 
 そして孫権は知らないが呉の水軍を連れて来させたのは、太公望がこう言った事態に備える為。
 軍の演習をしている間に周喩が反乱を起こせば素早く、そして短い時間で準備などを整えられる。
 また左慈と干吉の話では巧く仲違いや勘違いをさせたり偽装した部隊で街を襲ったりして同盟を破棄させた。


(どのみち周喩は反乱するのだ…まぁ孫権には悪いがこちらの足がかりとさせて貰うとするかのぅ)


 その勘違いを避ける為に訓練と同盟を称してこちらにこさせたのだが、結果として周喩反乱へと。
 だがどの道起こりうる結果ならば少しでも自分に取って有利にしておくのは策士の常道。
 つまりの所だが孫権が従軍しようとしまいと太公望にとっては”どうでも良い”のだ。
 しかし決意の持った人間がもたらす力を舐めている訳ではなく、むしろ期待はしている。
 

「…さて周喩―――ここからはワシと貴様の知恵比べと行こうではないか?」


 夕闇に沈みゆく中、華琳を大将とした部隊が出立し、多くの者達がそれを見送っていく。

 その翌朝には太公望を総大将とした本隊が孫権の三万の水軍兵を率いて業から出立。

 今だ防衛戦を続ける下邸の地へと半ば強行軍になる形で進軍を開始した。


 ―――さらなる戦へと導かれる


 数多モノ策謀が渦巻く天下の覇権を賭けた戦の幕開けであった。


■作家さんに感想を送る
■作者からのメッセージ
 ソウシ様
 鳳国が事実状では太公望の非凡なる能力で支えられています
 支柱であり大黒柱の巨大さが依存よりももっと恐ろしいモノを引き寄せるのです
 依存なら切り離せるかも知れませんが、愛情はきっと切り離せないでしょうしね
 愛が酷くなれば女禍の再臨を招くだけですし、最悪の事態が訪れてしまいます
 さて仲違い作戦なしによる周喩の突然の反乱と国家転覆
 何処までも暗く苦しい戦争の幕開けであり、三国志終焉の決戦の始まり
 とは言ってもこの時点で国は鳳国と呉国だけなので二国志なんですけど
 それではまた〜〜

 黒い鳩様
 せっかく誘ってくださったのに大変申し訳ございませんでした
 もっと自分が詳しければご本家のイービル様や様々な作家さんとお話が出来た筈なのに!
 今でも悔しくてたまりません! こういう機会はとても重要なのに……
 とにかくこんな新米を誘ってくださってありがとうごさいました!
 そして参加出来ずに大変申し訳ございませんでした!

 一週間一話の更新ペースを護れず
 これからはきっと二週間に一話と言うペースに落ちてしまいます
 それでもどうか見捨てずに読んでくださる事をお願いします!
テキストサイズ:33k

■作品一覧に戻る ■感想を見る ■削除・編集
Anthologys v2.5e Script by YASUU!!− −Ver.Mini Arrange by ZERO− −Designed by SILUFENIA
Copyright(c)2012 SILUFENIA別館 All rights reserved.