今日は何の日かと尋ねれば、おそらく金曜日というこたえが返ってくるだろう。
ある者は思い出しながら。 ある者はすこし大きい腕時計といったデザインの統合情報処理端末機、通称『シェル』を見ながら。 ある者は自信満満に間違いながら。 ある者は妙な電波を受信して。 ある者は「私の誕生日?」などとすっとぼけたことを。 ある者は土曜日という明日の休みの予定を考えながら。 ある者はもうすぐ始まる夏期休暇に想いを馳せながら。
しかし、今この教室にいる者にとって重要なことは、今日が何曜日なのかではなく、今日が先日行われたテストの一斉返却日だということだろう。
少なくとも、すでにほとんど返却された解答用紙に描かれているアラビア数字によって壊滅的ダメージを受けた生徒らに、休日の予定を考える余裕は無いだろう。
さすがは古代兵器。ミケーネのと同じく、世界制服も夢じゃ終わらないだろう。 儚くは終わるだろうけど。
先ほども言った通り、テストの返却はほとんど終わっており、実を言うと残るは一教科のみ。
すなわち、統合情報原理発展学である。 締めである。 大トリである。 最期のダメ出しである。 トドメである。 歌なら“いまだ だすんだ”的な。
出席番号順に呼ばれて赴いた、すでに諦め感漂うクラスメイトらが、皆いずれもさらに悲壮な顔をして戻ってくる。
未来を担う子供たち。
この国の明るい笑顔は保証されそうにない。
そんな顔も仕方ないだろう。統合情報原理発展学は、今の時代に無くてはならないものだが、過去に同じように言われていたパソコンと同じで、完全に理解するには難しすぎるのだ。
しかもその度合いがパソコンの比ではないときている。
正直、点数を気にする必要はないとは思うが、おそらく別の意味で一番点数を気にしている僕が言っても説得力は無いだろう。
「詩七」
とうとう僕の名前が呼ばれてしまった。
まさか無視するわけにもいかないので、嫌嫌ながらも、窓際最後列という安眠の巣から、教壇に立つ担任のところへ旅立つ。 羽はまだなく、心も沈む。
気分はまるで、出所前の文無し囚人。 光と未来があるのは歩む先、されど希望はありません。
進む足取りはまるで自然薯。 粘着質という意味ではない。 持上げるのに苦労するということである。
あまりに根を張り巡らせばヒキコモリ扱いに。
かといって根無し草というのも問題視される。
世間は歩き回る妖木を望んでいるよう。
オカルトなことで。
教卓の横に着く。
教壇には乗らない。
上と下の関係。
低きところに流れてくる。
上に残るのは枯れた水源。
だから必死にダムを造る。
閑話休題。
ご丁寧に裏向きで渡された、未来行き列車の切符には薄すぎる紙を透かして、点数を見る。
右側に9が見えた。
「ちっ」
運命というよりは、呪いのようなものを感じて、舌打ちする。が、先生の前だということを思い出し、とりあえずはおとなしく席に戻る。
次の番号の鹿谷とすれ違った時に、なぜかぎょっとされたけど、あくまで大人しく席に戻る。
カーテンの隙間から、好い感じに差し込んでいる日の光が過分に暖めてくれた寝床へ、ガタンと音を立てながら乱暴に座る。
すると、隣人であり、内気で小動物めいた佐上さんがびくっと体を揺らし、丸い眼鏡の奥から恐る恐るこちらを怯える目で覗いてくる。
他人に当たる形となってしまった自分の行動にさらに苛立ち、舌打ちを────しかけて、不良っぽいかと思い直し、思い留まり、左の指を思いっきり鳴らすことにする。
バッチッーン
呆れるほど大きな音が響いた。
周囲の注目が集まる。
忘れていたわけではない。
自分の特技なのだから。
クセなのかもしれない。
練習の成果とも言える。
きっかけは単純なこと。
小学生の頃、クラスに舌でとても大きな音を鳴らせる奴がいて、なんとなくそれに対抗しようと思って練習しているうちに、いつのまにかこんなんになっていた。
ちなみに、左手でしかできない。右は普通。
長年の練習の成果を確認する。
具体的には隣人を見る。
目をウルウルさせている佐上さんがいた。
泣きそうだった。
「・・・・・・・・・・・・」
穴があったら埋めたかった。誰を? 自分を。
隣人の精神衛生のために、苛立ちは忘れることにしよう。
とりあえず、先ほど返却されたテストを改めて見る。
98点
△マイナス2点分は書き間違い。
怒りがぶり返してきた。
隣人と自身の健康のために、苛立ち任せに薄い未来行き列車の切符をクシャクシャに丸め、未来に繋がっていることを期待して机の中に放り込む。
処分は未来製青い猫型タヌキロボットにお願いするとしよう。
未来。
昔の人は言いました。
『過去は及ばず、未来は知れず、死んでからのことは宗教に任せろ。』
つまるところのつまりは呪いの話。
知れぬ未来は理不尽不条理なまでに波打ち、映す景色を刻々と変えていく。おまけに底なし。
石を投じる手である過去には及ばず届かず、水面は常に波紋立つ。
死んでもまだ呪われし生人達に利用される。
それでも、それを知っていても、止まれない。留まれない。
休む間もなく歩かないといけない。
道があるかもわからないのに。
床があるかもわからないのに。
足があるかもわからないのに。
なにもかもわからない曖昧靄なこの世界で生き続けなくてはならない。
それが呪い。
現在に生きることも。現在を呼吸することも。現在と食べることも。現在で信用信頼することも。現在は友情することも。
すべてが呪い。
呪いという名の契約。
契約という体の呪い。
ままならない。
死んでも切れない。
ゴミを出すのにもお金が要求される今日日。
呪いを破棄するのにも対価が必要となる。
それすなわち取引。
つまりは契約。
つまりは呪い。
と、
「どうした、不機嫌そうな顔して。まーた点数よかったのか?」
声をかけられる。
唐突に。
それでも、知った声だったので特に驚かずに返事をする。
「98点だった」
「けーっ。うらやましいこっってな」
ただ、テストの返却中ということでクラス中がざわついているとはいえ、遠く離れた席にいるはずのこいつ──柿崎がこんなところにまで来るのはいかがなのかと、担任の方をうかがう。
帰る準備をしていた。
いつのまにかHRは終わっていたようだ。
恐るべき呪いの効力。
早々に逃げ出したらしい佐上さんの席に座る柿崎。
僕らと同じ薄い水色でブレザータイプの制服がとても窮屈そうだ。
佐上さんだと大きく見える椅子が、大柄で筋肉質な柿崎が座るとミニチュアみたいだった。
さすがに大げさだけど。
「それにしてもまたかよ。いや、前回よりは2点下がってるけど、俺なんて3─いやいや、それでもまあなんて言うか、これはもうやっぱ運命だな。それとも遺伝か」
自分が考えていたのと同じようなことを言われ、やっぱりそういう評価に落ち着くんだなと肩を落とす。 僕は呪いと言い換えるけど。
途中で聞こえた数字はスルーする。これもすべては円滑な人間関係のため。
空気を読まずに平均点を上げてしまって申し訳ないと思う。
決して上から目線ではない。
僕だって、統合情報原理発展学と数学の他は平均ラインを反復横飛びしているのだから。
歴史の授業なんていらないと思う。
どうせ嘘なんだから。
これも呪い。
「・・・・・・それを言うなよ」
「ああ、わりいわりい」
たいして悪びれもせずに謝罪を述べる柿崎。
僕の家の事情を多からず少なからず知っているこいつとだからこそ成り立つ会話。
ぞんざいな扱いは距離の近さによるもの。
近くからの提案。
「ま、明日から休みなんだし、悩んでねーでさ。あいつらも待ってることだから、繰り出そうぜ」
言って、夏を思わせる笑顔のままで、とば口の方をあごで示す。
正確にはとば口の付近の席にたむろっている三人の男女を。
比率で言うなら女・女・男。
右から、お人形みたいな人。委員長気質の人。軽薄そうなバカ。
右から、
夏日星さん。
井砂さん。
九。
右から、小柄黒髪ツインテイル。眉間にしわ。血統だけ保証。
いつもつるんでいる連中。
僕が打算なく付き合える、数少ない人たち。
楽しげに話をしているよう。
九が不発弾を持ち込み、
夏日星さんが信管を毒舌でつつき、
井砂さんが呆れつつ鎮火する。
「ところでさー。金貸してくんネぇ?」
「なにをあなたはいきなり脈絡無視して女の子にお金たかろうとしているのよ・・・・・・」
「わかりました。あなたはヒモですね。木に鼻を括って死んでください」
「いやー。それがさあ、最近出会い系にはまっててさあ、こないだもそれで金つかっちゃって今月ピンチなんだよねー」
「え!? 出会い系ってあなたそれ──」
「犯罪に巻き込まれて裏道街道まっしぐらなお先がありありと浮かびます。迷惑がかからないように、今のうちに退学届出しといてください」
「え、合コンのことだよ? なんで裏道?」
「・・・・・・あなた、まぎらわしいのよ」
「どうせ散々貢がされた挙句に電話番号どころかメアドも交換できなかったんでしょう。ザマー」
「うっ。なんでわかるんだ!?」
「でも大丈夫です。そんなバカで甲斐しょーなしで優柔不断で能無しなあなたにも、きっとお似合いのバカな相手が現れます。なのでどんどん散財しちゃってください」
「え、そうかな? ホントに俺にも?」
「はい。というわけで、お小遣いプリーズ」
「やめときなさいって。ほんとに騙されてるから、こいつ」
・・・・・・なに? このぐだぐだカオス。
「そうだね。待たせちゃってるみたいだし。行こうか」
これ以上友人の評価が下方修正されないように。
これは昔話である。
かつて、大戦があった。
悪 対 正義の簡単な構図。
攻戦であり、抗戦であった。
紛争であったかもしれない。
客戦でもあった。
急戦でもあった。
水戦も、空戦も、陸上戦もあった。
正戦であったかもしれない。
聖戦ではなかった。
一手一手が終盤戦であった。
一義的な宣戦布告。
絶望的な戦力差。
圧倒的な性能差。
幾何級数的な軍事力。
それでも、虐殺にはならなかった。
11人の戦士によって。
蹂躙にはならなかった。
その魂に参加した者達によって。
陵辱にはならなかった。
信じる者達によって。
苦戦でありえた。
激戦でありえた。
奮戦でありえた。
正義の名のもとに、人として戦いつづけた。
全ての戦いに勝ったわけではない。
それでも、集い、結束し、駆けつけ、健闘し、勝利し、
そして、消えていった。
正義という呪いを背負ったまま潰れ、世界を呪うことなく、己の無力を呪いながら敗北していった。
正義は敗れた。
巨大な悪の前に滅びていった。
そして、大戦は終わった。
今では、悪が正義だ。
かつての悪は世界に広がり、法となり、正義となった。
エネルギー問題は解決し、環境破壊は止まり、人口問題も大戦によって問題は減り、犯罪数は激減し、格差社会は緩和され、飢えの心配もほとんど無くなり、世界は平和になりました。
めでたしめでたし。
これは昔話である。
歴史の教科書には決して載ることのない過去。
しかし、おとぎではない昔話。
あれから半世紀半超。
当時のことを実際に体験し、知り、憶えていて、そのことを他人に伝えられる者もいなくなった。
しかし、まだすべての戦が終わったわけではない。
外国では今でも小競り合いが続いている。
いや、この言い方だと語弊があるため訂正しよう。
仕掛けている自称解放軍からすれば、いたって全力での、しかし小競り合いにしかならない争いが、今も続いている。
それでも、最も強く、究めて周到に支配を受けたこの国は平和であり、平穏だ。
少なくとも表向きは。
裏では、多くのことが行われている。
例えば、海外で起こるテロ活動を鎮圧するのに使われる兵器の大半が、この国で製造されているとか。
その兵器の材料は人間であるとか。
それによるトラブルが人知れずいくつか起こっているとか。
など。
このような話、たとえ噂でもその辺には転がってはいない。
情報管理は完璧であり、操作は徹底している。
洩れるわけはない。
とにもかくにも、そんな呪いがあることを知らなければ、世界はこんなにも平和で平穏で、退屈だった。
そんなわけで僕らは今、退屈しのぎに街に繰り出しているのだった。
いつもの五人。
大げさで大柄で筋肉質で日光がとても似合いそうな柿崎。
家が独自の流派を持っているほどの武道家で、柿崎とは違う方向性で引き締まった体をしている九。その分脳はたるんでるけど。
ねぜか眼鏡をかけていない委員長気質な委員長じゃない、割とはっきりとした物言いをする井砂さん。
どこかミステリアスで、陶器の物置風で、等身大の彫像のようで、眠たげな猫のような雰囲気の夏日星さん。 舌が痛いのも猫と一緒。猫耳が生えていると告白されたところで驚かない自信がある。
そして僕。
当然、全員制服姿である。
これぐらいの寄り道ではバレたところでお咎めは無いだろう。
男子は薄く明るい水色をベースに。
女子は濃いか暗いかどちらで飾るべきか迷うような青色。
色を交換して欲しいという意見は女子から。
別に気持ち悪い色でも不自然でもないし、変に目立たないからこれでいいという意見も女子から。
両者は半々である。
男子はファッションに興味がないというよりも、ヘタな発言をして双方の女子から睨まれないようにするために口を出さないようにしている。
「あ、そうだ。なあ、詩七」
「うん? なに」
昼を下がりに下り、それでも日はいっこうに下がらない放課後。
放課後活動として繁華街をうろつきつつ、一休みに公園に寄る。
石畳と噴水が人気のこの公園は、平日でもけっこう人がいる。
また、その人たちを狙った移動販売車が多く停まっており、芳ばしい匂いで客を釣り、せっせと書き入れていく。
その内の一台、アイスやシャーベットを取り扱っている販売車で、試供品らしいドクダミアイスなるものが配られていたので、遠慮なくもらう。
ベンツに座って、妙に毒々しい色のカップに入った毒々しいアイスを、赤信号みんなで渡れば怖くない精神でパクつき、それを肴に盛り上がる。
その最中、柿崎が電球を頭に閃かせて、僕を名指しした。
「テスト終わりってことでさ、久しぶりにおまえん家行こうかなと思ってんだけど」
「あー、うん。そうだね。さすがに5人で集まって余裕に遊べるのは僕の家ぐらいだし。いいよ」
「え? 詩七の家ってそんなに大きいの?」
「住所を教えてください。旗を挿しに行きます」
「領地征服!?」
僕らの会話に、井砂さんと夏日星さんが喰いついてくる。
夏日星さんの反応はやっぱりどこかずれてると思うけど。
「そういやァー、二人は行ったことなかったっけか」
「おめえもだろ、九」
「あり? そうだっけ?」
「僕の家は学校からはちょっと離れてるからね。なかなか機会がなかったんだよ」
「はあー・・・・・・それぐらい憶えときなさいよ」
「家の区別がつかないまいごの子猫ちゃんですね。どうせ自分の家の住所もそらでは言えないんでしょう。犬のおまわりさんに逮捕されるといいです」
「それよりも、どこの家と勘違いしているのかのほうが気になるな」
みんなの冷たい視線が九に突き刺さる。
僕も多分、同じ眼をしているだろう。
夏日星さんの場合は毒舌だけど。
「・・・・・・・・・・・・」
誰も、なにも言わない。
さっきまでは考えなくても言葉が出てきたのに、すっかりそんな雰囲気は霧散してしまった。
これは呪いではないだろう。
「あー。えっと、その、だから・・・・・・」
九を中心として凍りついた空気を、井砂さんが一番槍として破る。
「あれ? なんの話しだったっけ・・・・・・」
しかし悲しいかな。井砂さんは空気を破るだけで力尽きてしまった。
後継者は柿崎。
アイスを一口食べて、喉に刺激を
||与《あずか》《あず》えて援護する。
「あー、そうだ。詩七の家の話だ」
「そ、そうだったわよね。私は、行くのはかまわないけど」
「別にオッケーですよ。ご飯が出るなら」
「オレもいーよ」
ようやく本題に戻り、次々に参加を表明する井砂さん以下。
夏日星さんの妙なポーズはあえてスルーしておく。
「おーし。メシのことは後で考えるとして。あー、どうしようか。明日でいいか、詩七?」
言い出しっぺとして、柿崎が僕の予定を聞いてくる。
「明日か・・・・・・」
シェルで確認するまでもなく、明日は予定が入っているのだけど、二つ返事で断るのもなんなので、一応考えるふりをし、左腕のシェルを起動させる。
なにもない空間に、擬似立体的に浮かび上がってきた青色のスクリーンをタッチして、メニュー画面を開く。
普段はそれほど使わないカレンダーを表示させて、明日、つまりは七月十六日の欄を拡大する。
そこには自分で書いたのだから当然なのだが、空いたスペースに明朝体が並んでいた。
『午前、統合情報原理発展学研究所』
都外にあるその施設の名前には、詳細な行程が示されたページにリンクが張られている。 とはいってもモノレールで行けばいいだけなのだが。
それでも、行く気がすごく無くなってくる。
ジェットコースター急下降。
心にGがかかる。
このまま明日はみんなと一日中遊ぼうか。なんて考えが鎌首をもたげ、とぐろを巻いて居座ってしまう。
いや。だめだ。
これは呪いだ。
呪いからは逃げられないと諦めて、みんなに向かって首を横に振ってみせる。
「ごめん。明日は朝から予定が入ってるから・・・・・・」
内容が内容だけに言いよどむ僕の口振りから察してくれたのか、柿崎が特に詮索もせず「そうか。それなら仕方ねえなあ」と納得してくれる。
でも、柿崎の推測は絶対に間違っているだろう。
柿崎とは家族ぐるみでの長い付き合いなので、少なからずのことを知ってはいるだろうけど、決して多くのことを、とりわけ肝心なことを知っているわけではないのだから。
少しばかりの罪悪感がこみ上げてきて、思わず柿崎から目をそらしてしまう。
口の中に広がる苦い味を誤魔化す為にアイスを一口。
「うえ・・・・・・」
とても苦かった。
そんな葛藤に柿崎は気付く素振りも無く、また訊いてくる。
「じゃあ、日曜ならいけるか?」
「うん。日曜なら。時間はどうする?」
いいかげん話が進まないので即答し、次の議題を投下する。
「僕は何時からでもいいけど」
ついでに補足をしておく。
「そーか。わかった。・・・・・・あ、今さらだけど日曜ムリなヤツいるか?」
柿崎がみんなの方を振り返って、確認を取る。
ふるふると、夏日星さんがスプーンを咥えたまま首を横に振る。
「オレはいつもヒマだぜー」
苦いアイスを飲むようにして食べながら九。
「私もべつにないけど・・・・・・。さすがに朝早くからというのは困るわね」
最期に、なぜかアイスを既に食べ終わっていて手持ち無沙汰になっている井砂さん。
どうやったらこのアイスを完食できるんだろう?
と言いつつも、また一口運んでしまう僕。
不思議だ。
「それもそーか。あーでも、あのへん迷いやすいからなー」
「それなら、一旦別のところに集まるのはどう?」
どことなく同じにおいのする二人が意見を出し合っていく。
夏日星さんと九はまったく加わる気がなさそうだ。
二人だけにさせるのもあれなので、いちおう言を入れておく。
「僕が迎えに行こうか?」
「いや、俺が連れてくよ。ホストはもてなしの準備でもしててくれよ」
断られる。
予想通りの答え。
行き違いになっても困るし。
「うん。わかった」
なので頷いておく。
そして、ちまちまとスプーンを行き来させる夏日星さんの方を見ていう。
「じゃあ、昼ごはんでもつくって待ってるよ」
「・・・・・・・・・・・・」
無言で首を傾げられた。
ごはんの話題を出したのは夏日星さんだったと思うんだけど。
なんか悲しい。
反応したのは別のヤツだった。
「え!? マジ! いいの!?」
アイスを食べ終えて、カップに書いていたアドレスに評価を書き込んでいた九が過剰反応を示す。
これは『吠えている犬は噛まない。少なくとも吠えている間は。』と同じ理屈なのだろうか?
「九、がっつきすぎ。でもほんとにいいの? 私も手伝おうか?」
心優しくも、井砂さんが申し出てくれるが、残念ながら彼女の料理の殺傷能力は確認済みだ。
バレンタインデーの義理チョコで死にかけるとは想像もしていなかった。
見た目がまともなだけなお質が悪い
なんでチョコに野菜が入っていたのか僕には解らない。
そりゃあ、チョコレートも元々は植物だけど。
「い、いや、いいよ。柿崎が言ったとおり、僕はホストだから」
場所を提供するだけだけど。と、やんわり丁重に、内心で胃の疼きを抑えながらお断りしておく。
ベジチョコの威力を知っている柿崎も冷汗を流しながら、井砂さんを押し止める。
「そ、そうそう。こいつ、けっこう料理うまいからな」
「それほどでもないけど・・・・・・。まあ、だてに一人暮らししてるわけじゃないしね」
「そう? じゃあ期待して
与ろうかしら」
すでにあの悪夢を忘れたらしい九は別として、男性の僕らからの必死の説得に釈然としないままもどうにか納得してくれたようで、悪意無き凶器を収める井砂さん。
「う、うん。まかせて」
ホッと一息ついたのを悟られないように、指を鳴らさないように我慢しながら、笑顔で受け持つ。
実を言うと料理は人並みにしかできないのだけど、ここはこう言っておくしかないだろう。
手作りチョコのキレイさや、普段の器用さを見る限り、決して料理がヘタとは思えない井砂さんなのだけど、どうも味覚がちょっただけズレているらしい。
食卓を草原にしないためには僕が頑張るしかないようだった。
重い。
どちらにしろ胃痛になりそうだ。
とにかく、まず一歩目を踏み出すとしよう。
「それじゃあ、なんか食べたいものとかある?」
「はいはーい。オレからあげ!」
「こども舌」
「まったくね」
とりあえず、一品目はから揚げに決まった。
昼には重いだろうか?
日も暮れ暮れに、昼が長いだけ一気に暗くなってしまった道を、僕はバスの中から眺めていた。
都市中心部はいかに治安が良いとはいえ、女の子は暗くなる前に帰ってもらおうということで、お食事討論はひとまず中断。
続きは家でメールを使ってすることになった。
家が離れたところにある僕は、一人寂しくの帰宅というわけである。
これも呪いだ。
僕の家がある郊外は、柿崎が言ったように、細い路地が多いため迷いやすい。
俯瞰的に説明すると、まずは迷路を思い浮かべて欲しい。
ただし、スタート地点は隅っこではなく、ぽっかりと開いた中心部分だ。
その、大手デパート、市役所、警察署、レストラン、雑貨屋、各チェーン店など、そしてビルやアパートが竹のごとく密集して生えている大きな空間そのものがスタート地点となっており、どこから始めるのかは自由だ。
都市中心部であるそこからは、根のように路地が伸び、枝葉のように広がり、蔦のように絡み合っている。
中心部分から離れるにつれ、迷路は難解複雑を極め、行き止まりも枝分かれも増えてくる。
胡乱げな、あるいは胡散臭げな店舗も増えてくる。
防犯カメラはあるけど、夜はあまり通らないのが吉。
遠回りだけど大通りを行くべし。
もしくは、僕のようにバスを使うか。
役に立たない標識が並ぶ、その路地裏とも言える場所をしばらく行くと、図面を引く手が疲れたのか、迷路の繁殖が弱まる。
郊外と言われるエリアである。
道幅は広がり、街灯も多くなる。
目に見える防犯カメラの数も減る。
目に見えない分は知らないが。
ともかく、人通りの少ないこのエリアには、迷路に咲いた花のように、多くの一軒家が乱雑に立っている。
ごく普通の一軒家からそれなりの一軒家に、大きな一軒家、果ては豪邸と呼ぶのがふさわしいものまでが乱雑に、さながらフランスのクロワ・ルースのように建っている。
それゆえに、
抜け道のような路地が多く存在している。
国内外問わず、地図上の距離も無視して、様々な文化圏の建築方法によって彩られたその道なりを目で楽しんでいくと、次第にネタが尽きて、家々の間隔がメジャーを伸ばしたように長くなってくる。
閑散としたその雰囲気に、めげることなくひるむことなくさらに進んでいくと、唐突にこれまでの人工物然としたところからは一転、緑が輝く景色へと様変わりする。
グリーンラインと呼ばれるエリアだ。
なにもかもを捨てて走り出したくなるような草原に、脳内から溢れ出した花畑。
淡い色から徐々に濃い色へとグラデーション変化していく花畑は見事だが、他県に観光地ともなっている場所があるので、休日でもあまり人気は無い。
しかし、花畑を抜けたところには、都心に出荷するための色を育てている果樹園や菜園の、完全に機械で管理されたビニールハウス群があり、その中には季節ごとに果物の収穫イベントを行っている外向けようのビニールハウスあって、その時期になると多くの人が集まってくる。
どこかの県では、手作業で畑を耕している人もおられるようで、そうした人たちが育てた作物の中で、農林水産省に認可されたものはブランド野菜といって、通常よりも高価に取引される。
ちなみに、僕はそのブランド野菜を買ったことが無い。
本当に人が作っているかどうか判らないからだ。
どこそこの何某さんが育てた野菜ですと言われても、僕はその人が実際に存在しているのか知らないし、なまじ呪いのことを知っているだけに、信じることができない。
ともとにかく、信用ならない白の群勢を後ろ足で蹴飛ばしていくと、だんだん人の手も機械の足も入り込んでいない、殺風景なエリアに出る。
その境界線は明白で、一歩踏み出せば別世界といった有様だ。
前大戦の傷痕が生々しく残る、都外と呼ばれるそのエリアは、いっそ廃墟かゴーストタウンとでも表記するのがふさわしい。
全ての窓ガラスが割れ、大穴を空けながらもかろうじて立っている、元は大きなデパートであったのであろうビル。
その横のビルは既に力尽き、地面に埋まっている。
地面には建築物の基礎の部分が突起物として残り、高速道路は沈没し、三日月湖のように部分的に残っていたりと、そのアスレチッキングは車で走破できる状態にはない。
そんな未開発地域を一本の線路が──と言えればかっこいいのだが、実際には五本ほどのレールが縦断している。
その内の二本が伸び行く先は、数々の研究所。
僕が明日行くことになってしまっている統合情報原理発展学研究所も含まれている。
統合情報原理発展学研究所が何の研究をしているかは字面を見れば判るけど、他の研究所ははっきりとは判らない。
軍事研究所かもしれないし、非合法・非人道的・非倫理的な研究所かもしれないし、軍事基地かもしれない。
知りたくもない。
残りの三本の線路は折れ折れに分岐し、他市・他県へと繋がっている。
以上、迷うことなく休むことなく進めば丸一日ほどで終わるツアーでした。
まあ、僕の嫌いな地理の話は答案ごと破り捨てるとして、僕の家は先ほども言ったように郊外にあるのだけど、郊外は郊外でもグリーンエリアから数えたほうが近い場所にあるのだ。
誰とも全くすれ違わない。
街灯に取り付けられた防犯カメラの稼動ランプだけが赤く光っている。
視線はあるのに人気はなし。
ホラーだ。
呪いだけに。
幽霊の存在は信じていないけど、いても別にいいんじゃないかと普段は考えている僕。
今だけは主旨変えしておこう。
幽霊さん。いてもいなくてもどちらでもいいから、どうか僕以外の人の前に現れてください。
これでよし。
昼が明るいせいでよりいっそう暗く感じる夜道の上を、スポットライトのような街灯に切り取られた白いステージからステージへと渡り歩いていく。
目指すのは本物かどうかもわからない白銀の月。
兎はもういない。
おっかなびっくり歩いていく。
季節は夏真っ盛り。
湿気が体にまとわりつく。
幽霊のように、亡霊のように、体にしがみついてくる。
鬱々する気分を和らげてくれるのは、シソのような清涼感のある香り。
源は、近所の家の庭に植えられたラベンダー。
深呼吸をして、胸いっぱいに吸い込む。
この香りをかぐと、家に帰ってきたという気がしてくる。
もちろん家はまだもう少し先なのだけど。
でも、もう少しだ。
軽くなった気分を浮かせ、湿気を振り払うように歩く。
「ねえ────」
「ひゃいっ!」
軽すぎて跳び上がってしまった。
情けない声があがる。
冷汗が背中にびっしりと浮かぶのを自覚しながら、声がかかってきた方向を探す。
発声源は、たった今通り過ぎた脇道の暗がり。
油の切れたブリキ人形のように振り向く。
そこに彼女はいた。
僕と同じ歳ぐらいの少女。
一目で、気質ではないなと直感した。
頭からかぶってはいないもののシーツお化けのごとく、薄汚れた砂色の布切れをマントのように体に巻きつけて、体を隠している。
足は二本ともちゃんとついているが、マントからはみ出ている脛の部分や、履いているスニーカー、上ににょっきり出ている小さな顔には血が滲んでいたり、黒い汚れがついていたりする。
特に顔は、なまじ整っているだけに、なおさらそう感じられた。
頬はこけ、唇は乾き、目の下には何日分かわからない隈ができ、眼球は泣きはらした後のように赤い。
というよりも、実際にそうなのだろう。頬に涙の跡が残っている。
ただ、髪だけはとてもきれいだった。
輝くような艶のある黒髪だけはとてもキレイだった。
後頭部の高いところで纏められ、ポニーテイルとなって夜風に揺れる黒髪はとても綺麗だった。
不自然なぐらいに。
警察にコールを入れるべきだろうか?
いや、警察なんて全く信用できない。
わざわざ種を自分の庭に運ぶ必要はないだろう。
幽霊よりも生きている人間のほうが怖い。
誰かの言葉を脳裏で再生しながら、様子をうかがう。
彼女の小さな唇が動く。
「ねえ。訊きたいことがあるんだけど、ちょっといい?」
「・・・・・・なにかな」
体ごと彼女の方に向き直り、不自然にならないように左腕を後ろに廻す。
情報力場を展開したり、加工したり、付加したりする場合には、過剰エネルギーが光情報として放出される。
光の色に個人差があれど、暗闇の中では何色であろうと目立つ。
僕の色は、白に近い蒼。
街灯の光に紛れ込ませるように、シェルを起動させる。
暗がりの奥と、少女の周辺をスキャンする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
異常なものは無いようだ。
防犯カメラもちゃんと稼動している。
では、少女自身は?
分析の手を伸ばす。
「初対面の女の子相手に、それは失礼なんじゃないの」
指摘の声の壁に阻まれる。
「────っ!」
感づかれたことに驚きつつも、素直に止める。
「ごめん。ついクセでね」
素直に謝る。
「まあ、いいわ。自分でも怪しいと思うし」
自覚あったのか。
「で、なにを訊きたいって?」
警戒のレベルを引き上げながら用件を問う。
当然の反応だ。
情報力場は普遍的・日常的・恒常的に存在しているが、それを観測するには同じく情報力場に拠るデバイスが必要となる。
生身では、せいぜい第六感的にしか覚えられない。
彼女が情報力場を展開している様子は無い。
よほど勘がいいのだろうか。
自分の勘を根拠に他人を責められるほど。
いや、もっと簡単な答えがある。
呪いの存在を知っている僕にしかできない発想。
他の人では脳裏によぎりもしない考え。
すなわち、この少女は、ニンゲンではない。
(・・・・・・・・・・・・)
奥底より湧き出てきた黒いものに蓋をし、彼女の言葉を待つ。
しばらく言葉を選んでいた彼女だったが、やがて再び口を開いた。
「情報学の機材を扱っている所、知ってる?」
かわいらしく、小首をかしげる仕草。
しかし、僕にとっては、より推測に対する確証を得ただけであった。
彼女が学生とは思えない。
背筋がぞわぞわする。
「一般的なものならいまどきどこの学校でも。ちょい上等のなら大学に」
「精密作業ができるほどの専門的なものなら?」
これには答えるべきかどうか迷ったが、嘘を教えて報復されるのもあれなので、素直に答えることにする。
「都外の研究所にあるだろうね」
「・・・・・・・・・・・・」
彼女は不機嫌そうに僕から目線をそらし、俯いてぼそぼそと「また戻んなきゃ──」「せっかく──」などど呟く。
やがて、バツが悪そうに顔を上げると、
「ありがと。それじゃ」
お礼を言い残し、返事を待つこともなく暗がりへと身を翻して、溶ける。
しばらくその場に立ち尽くし、少女を見送るかたちとなっていた僕も、
「はあー」
深呼吸を一つして、ラベンダーの爽やかな空気で緊張を追い払い、左手で指を鳴らして雰囲気を入れ替え、歩き出す。
安全な自分の家に向かって歩き出す。
帰るのだ。
あそこなら監視カメラも盗聴器も無い。
一人だけの王国。
呪いの蔦に覆われた宮殿。
それでもそこにしか帰る場所が無い僕は、得体の知れない夜道を独りで歩いて行った。