「くっ! それも人間の生み出した力だとでも言う気か!?」
「“本物”には遠く及ばないけどね!」
ベルゼバブは苦悶の表情を浮かべ、アムラエルの猛攻に焦りを隠しきれずにいた。
アムラエルの階位は九階位中、五位に位置する力天使(ヴァーチャー)。
にも拘らず、今のアムラエルの力は第二位の智天使(ケルブ)に迫ろうと言う勢いを見せていた。
熾天使(セラフ)率いる守護艦隊の主力とまで言われるその力は、第一位の熾天使には遠く及ばないが、下位の天使たちとは一線を画す力がある。
例え爵位級の力を持つ悪魔と言えど、智天使級の前には生身で戦車に挑むほどの力の差があった。
だが、ベルゼバブの力は、地獄を統べる七大悪魔王の一人に数えられているだけあって、本来はこんなものではない。
かの悪魔王サタンでもない限り、彼の力を上回る存在はこの世界にいない。熾天使であろうとも、彼の真の力の前には敵わないはずだ。
しかし、それほど強大な存在であるベルゼバブが境界を無視し、現世に干渉することは並大抵のことでは不可能だと言わざるを得ない。
強大な存在であればあるほど、現界するために必要なエネルギーも下位の悪魔や天使とは比較にならないほど大きな物が必要となる。
それだけのエネルギーを、百人や千人の魔導師を犠牲にしたところで賄えるものではない。
故に、現実的な考えとして、彼をこの世界に繋ぎ止めるだけの触媒が足りないのだ。
彼が現在、この世界に意識を飛ばすことが出来ているのは、コンロンにあらかじめ仕込んでおいた“分体(肉の芽)”を利用しているからに過ぎず、それ単体には本体ほどの大きな力はない。
子爵級のコンロンの力は智天使には遠く及ばず、ベルゼバブの分体の魔力で強化されているとは言っても、元々が生身と戦車ほどの差がある相手にその溝が埋まるはずもない。
アムラエルのやっていることは、嘗てリンディがやったことと、ほとんど同じことだった。
彼女の背に現れた六枚の翼の内、金色に輝く四枚の翼は彼女自身の翼ではない。それは体内に蓄積し切れず、溢れ出た余剰魔力が外側で結晶化したものだ。
光り輝く翼の正体は、天使の力により巨大な正のエネルギーへと変換され、高い熱量を帯びたエネルギーの結晶体。
魔力駆動炉から供給された魔力で活性化し、結晶化した金色の翼は、その形を維持するためにと大気中の魔力をも貪欲に取り込み続ける。
元々ある彼女の二枚の翼が“制御弁”の役割を果たすことで、その魔力を光輝く正のエネルギーへと変換していく。
魔力駆動炉からの魔力供給を火種にすることで、天使の特性を十二分に活かし、作り上げた“半永久機関”。
彼女が自分の意思で解除するか、周囲の魔力素が尽きるか、彼女が死ぬまで、この魔力供給が途絶えることはない。
アムラエルは燃費が凄く悪い。その理由の一つとして、天使とはそもそもこの次元とは違う、高次元の生命体であることに由来する。
この次元の人間よりも強大な存在である、彼女たち高次元の存在が、下位次元での存在を維持するためには、莫大なエネルギーを必要とする。それは、ベルゼバブがこの世界に現界できない理由と同じものだ。
だが、アムラエルはD.S.と言う最高の主人(マスター)を手に入れることにより、このエネルギーに関する問題を解決した。
そしてもう一つ、ミッシング・ピースによる副産物。
D.S.が撒き散らした“因果”と言う名の鎖は、彼と関係の深かった者たちをすべて、この世界に繋ぎ止めた。
それは人間だけではない。ホビットやエルフなどの亜人や、グリフォンや竜などの魔法生物、そして天使や悪魔など、ありとあらゆる生きとし生けるもの“すべて”をだ。
ベルゼバブはそのことに気付いていなかったようだが、その仮説が正しければ、彼ら“天使”や“悪魔”の力の依り代となっているのは、神への信仰でも悪魔への崇拝でもない。それは世界の楔、D.S.との“契約”だ。
故に彼らは世界に許容される存在へと姿を変えた。
彼らで言うところの創造主、新しい神“D.S.”の手によって――
アムラエルが何の触媒もなくこの世界に現界できているのは、D.S.と直接の契約を交わしたからだ。
それは、D.S.を介して、この世界と強い因果で彼女は結ばれていると言うことを証明する。それが現在のアムラエルの存在の理由。
普通であれば、力を使う度に存在を磨り減らしていく高次元の力も、アムラエルが使えば、ただ体力と魔力を消耗し、酷く衰弱する程度のことで済む。
それは完全に受肉している時よりも、ある意味で完璧な存在の確立を、成功させていると言うことだ。
もし彼女が使っている力を、通常の天使や悪魔が使用すれば、瞬く間にその存在を使い切り、この世界から消滅してしまうだろう。
高次元の存在であるが故の燃費の悪さだけは、世界に許容されようともどうにもならない。
ただ、高次元であるか下位次元であるか、その差はあれど、彼女たちと他の生物の間に大きな違いはない。
それは、この世界には彼女たちの言うところの“神”が存在しないからだ。
彼女たちの魂の確立、存在の保証は、世界(D.S.)によってされている。
それは、天使と悪魔をこの世界において、他の種族と同じ“生命(イノチ)”として存在を認めていると言う証明だった。
下位次元への干渉の制約など、彼らにとっては面倒なことが残されていることになるが、それは命を持つ者であれば誰もが生まれながらに背負っている制限と何も変わりはない。
陸の生物は水の中で生活が出来ない。海の生物は陸で生活が出来ない。それぞれの領域(テリトリー)で誰しもが生まれ出で、そこで生きていくことに違いはない。
神との“因果”と言う名の鎖が外された彼らは、昔ほどの大きな力を振るうことは出来なくなったのかも知れないが、それでも下位次元の存在にとっては驚異的な力を持つ存在であることに変わりはない。だからこそ、ある意味で当然の制約ではある。
だが、その一点を除けば、ベルゼバブが目指した理想は奇しくも叶えられたと言うことだ。
それも、彼が愚かだと蔑み、嫌う、“人間”の手によって。
これほど皮肉な話はないだろう。神の呪縛からの解放を訴え、反逆した悪魔の王たる彼が、神の子たる人間に救われた。
それも、その人間が作り出した“闇の私生児(バスタード)”の手で――
「クククッ! 確かに凄い、凄いよ! 人間の力はっ!」
「ベルゼバブ……」
「だが、所詮は“彼”が神に成り代わったに過ぎない! 僕はこんな世界を認める気はない!
どんな手を使っても、どれほど時間が掛かろうとも、必ず彼を“神の座”から引き摺り下ろしてみせる!」
認められないから戦う。憎み、嫌い、反逆する。それが彼、ベルゼバブの悪魔としての本質だった。
アムラエルはそんなベルゼバブを見て、哀れむように悲しげな表情を浮かべる。
神の軍団と、地獄の軍団に別れ、争いを繰り返すこと数千、数万。すでに数えることすら馬鹿らしくなるほどの年月を、彼は“神”を、そして“世界”を憎み続けてきた。
――とっくに壊れていたのだろう。
兄、ウリエルを堕天させ、死に追いやる原因を作ったベルゼバブのことを、アムラエルは確かに憎んでいた。
しかし、それでも目の前の“男”が可哀想でならない。
生まれた時からこうだったとは限らない。神に反旗を翻す事情、切っ掛けが彼にも必ずあったはずだ。
だが、その生涯のほとんどを“怒り”と“憎しみ”に支配され、過ごしてきた彼の半生は、何処か悲しく、虚しいものに映る。
きっと、彼も悲しかったのだと、アムラエルは思う。
絶対的な神の定めた運命を目にし、この世界の現状を顧みて、絶望を抱くほどに“彼は優しすぎ”た。
アムラエルのために堕天したウリエル。彼もまた、運命に、世界に、それを許容する神に、絶望を見た。
その姿は、ベルセバブもウリエルも、互いによく似たものだったのかも知れない。
不器用で実直で、そして誰よりも純粋で――“正義”か、“悪”か、その違いはあっても、ウリエルもベルゼバブも、抱いている本質は同じだった。
「憎みたいなら憎めばいい。彼は、あなたの憎しみくらいで、どうにかなるような弱い人間じゃない」
「たかが人間程度に何を――」
「その人間に、あなたは負けたのよ」
「――っ!」
アムラエルの背にしていた光り輝く四枚の翼。その中の二枚が、光の粒子に姿を変え、彼女の両腕に集まる。
それは、巨大な槍のカタチを取り、神槍グングニルへとその姿を変える。
本物には遠く及ばない“贋作”なのかも知れない。しかし、それはアムラエルが全身全霊を籠めて作った彼女の切り札だ。
この槍には、彼女だけの力ではない。たくさんの人の想いが宿っている。そして彼らの未来と、希望が詰まっている。
「人を蔑み、憎むことでしか、自分を表現することが出来ない憐れな悪魔。身を持って教えてあげるわ。
あなたの馬鹿にする人間たちが、どれだけ賢く、強い“存在”かと言うことを――」
金色の柱がアムラエルを中心に天高く突き刺さる。
彼女の持つ槍の切っ先は、ベルゼバブの心臓へと向けられていた。
「“プラズマストライク”――ヴァンデン=プラウ=ス!」
アムラエルの両腕より離れ、投擲される金色の槍。それは以前に海上で放ったグングニルとは、比べ物にならないほど強大な一撃。
避けることも受けることも不可能な、“裁きの雷”をその身に帯びし“神の槍”がベルゼバブへと迫る。
大気をも揺るがすその一撃は、目映い光を放ちながら、彼とその一帯を光の渦に包み込んだ。
次元を超えし魔人 第64話『反撃の狼煙』(STS編)
作者 193
「北第3から第7、13ブロックも配置完了しました」
シャーリーが読み上げているのは、首都の防衛に当たっている部隊の配置図の全容だ。
巧みに防壁に穴を作り、そこにガジェットたちを追い込んでいく魔導師たち。アースラから送られてくる指示を元に、彼らはガジェットの一掃作戦に乗り出していた。
先程まで彼らを混乱させていた敵の幻影も、どう言う訳か忽然と姿を消し、解析データによる幻影の特定を行わなくてよくなった分、ガジェットの追い込み作業は順調に進んでいた。
「この調子なら後五分ほどで、すべての配置は完了します」
「了解した。ルキノ二等陸士、アースラの艦首を北へ向けてくれ」
『はい!』
彼女、ルキノ・リリエ二等陸士は、現在、このアースラの操舵手を任されていた。
ただ一人、別に用意された操舵室でアースラの舵を取るルキノ。手馴れた手つきでグリフィスの指示通り、アースラの方向を修正していく。
実は彼女、嘗てはこのアースラに搭乗していたことがある職員だった。
その関係もあって、家族の影響で大の艦船マニアでもあったルキノは、本人のやる気と周囲の協力もあって艦船操舵の免許を取得。
勉強を兼ねて、色々と教わっていた記憶が真新しいルキノに取って、このアースラは嘗ての学び舎のようなものだった。
今となっては廃艦寸前の所をADAMに拾われた時代遅れの中古艦に過ぎないが、それでも彼女にとっては思い出のたくさん詰まった大事な船であることに変わりはない。
このアースラの操舵手を務めると言うことは、それだけルキノにとって特別な意味を持っていた。
それに今のアースラは、決してただの中古艦などと馬鹿には出来ない。
搭載されている魔力駆動炉はバニングスから提供されたプレシア特製の最新型魔力駆動炉だ。
これは、管理局でも未だ採用されていない代物で、現行で最高峰と言われているXV級艦船の三割も上回る出力と、魔力変換効率を弾き出したと噂されている駆動炉だった。
そして、その噂が嘘ではなく真実だ言うことは、実際に機体に触れているルキノだからよく分かる。
魔力の変換効率だけでも前のアースラの三倍以上、主機関の最高出力は五倍にも上る。
次元世界進出の足掛かりを作り、その巧みな交渉術と先読みの鋭さで数々の功績を地球にもたらした、バニングスが誇る“才媛アリサ・バニングス”。
彼女に協力する天才技術者、生命操作やエネルギー工学の権威であり、自身もSランクを超える魔導師でもある“大魔導師プレシア・テスタロッサ”。
そして、彼女の助手であり使い魔、高名なデバイスマスターでもあり、彼女の作ったデバイスには小型の最新次元艦一隻分に相当する価値があるとさえ言われている“マイスター・リニス”。
バニングスと双璧を成すと噂される大企業“月村重工”の次女で、同じくデバイス製作や、数多くの独創的なアイデアで世に名機と呼ばれる製品を送り出し、その名を馳せた月村すずか博士。
何れも、特定の分野で多大な成果を上げ、僅か数年で管理世界の常識を塗り替えた稀代の天才たちの名前だ。
その分野の経営者、政治家、技術者、学者たち等は、彼女たちの成果を羨み、妬む者もいれば、その功績を評価し、畏敬の念を送る者たちも少なくない。
特にプレシアやリニスは、嘗ては管理世界の住人であったことからも、彼女たちに憧れを抱く者も多かった。
ただ、管理局では彼女たちの評判は余りよくない。本局で、中々、バニングスや月村重工の製品が採用されない背景には、そうした管理局との不仲の噂があると言うことは、管理局員であれば誰でも知っている有名な噂だった。
管理局に所属する、しかも一介の職員に過ぎないルキノでは、一生お近付きになることなど不可能な著名人たち。
そんな彼女たちが、総力を挙げて改修したこのアースラは、ルキノにとっては夢のような機体だった。
実際、時代後れの旧型L級艦船でありながら、最新鋭のXV艦と真っ向から戦えるほどの力をこの船は持っている。
とても、これがあのアースラなどと誰も思うまい。前のアースラを知るルキノでさえ目を疑うほどに、この船は姿を変えていた。
『艦首北方面に修正完了。アインヘリアル射程圏内にガジェットニ万、補足しました』
ルキノの報告を受け、グリフィスの表情に強い決意のようなものが現れる。
この作戦は、各部隊との連携と、そしてアインヘリアルを撃つタイミングが最も重要となる。
アインヘリアルの有効効果範囲は半径十キロ弱。その範囲に出来るだけ多くのガジェットを誘い込み、アインヘリアルの最大出力を持って一気に掃討する。それがこの作戦の全容だ。
簡単なようだが、四方に散ったガジェットの群れを一気に掃討するためには、出来るだけ詳細な敵勢力の分布情報と、部隊の連携力が要となる。
アインヘリアルの弾数は限られている。着弾ポイントになる地点、東西南北に分けた四個所のエリアにガジェットを追い込むためには、それらを効率よく運用し、作戦を指揮することが重要だ。
だが、アビゲイルから寄せられた情報、そして前線で指揮を執っているラーズたちの活躍もあり、ガジェットを追い込むことについては、当初の予想以上に上手くことが進んでいた。
後は、グリフィスの指示を待つばかり。より多くのガジェットを巻き込むためにも、砲撃のタイミングは遅すぎても早すぎても効果は半減する。
グリフィスはレーダーを睨みながら、その機会をじっと我慢して待っていた。
「北ブロック、すべての配置を完了。部隊員の撤退も完了です!」
シャーリーの声が艦橋に力強く響く。
レーダーに映る無数のマーカーが、ただ一点に集まり、一つの郡体となって赤い輝きを放っていた。
「今だ! アインヘリアル――」
号令を今か今かと待ち侘びていたスタッフの耳に、グリフィスの決意に満ちた力強い声が届く。
指示を待っていたアースラの艦首が二股に分かれ、その中心に燃えるような紅い魔力光を放つ、巨大な魔力弾が姿を現した。
「撃てえぇぇ――っ!」
グリフィスの号令で放たれるアインヘリアルの放火。
巨大な砲弾と化したその一撃は、音の壁を突き破り、物凄い轟音を放ちながら、ガジェットが群れをなす中心点へと飛んでいく。
それは、彼らの知識と力、そして団結力の集大成。
平和を願う想い、大切な人を護りたいと言う願い、仲間を信じ、戦い続けた彼らの飽くなき執念が生み出した機会。
着弾した瞬間。パッと光が弾けた。
紅く、紅く広がっていく光の半円。その光に呑み込まれたガジェットは成す術もなく消滅していく。
その光景を目にし、グッと込み上げて来る涙を、嬉しさを我慢する部隊員たち。
まだ、喜ぶのは早い。泣くのも、喜ぶのも、すべてが終わってからだと言うことは、皆が強く理解していた。
こうして、彼らの反撃の狼煙は上げられた。
「……ここまで完膚なきまでに敗れるとは思わなかったよ」
ベルゼバブの足が、まるで乾燥した砂のようにドシャリと崩れ去り、バランスを崩して地面へと倒れる。
先程まで感じられた強大な魔力も、その身にはすでに宿っていない。
まるで抜け殻のようになった虚ろな自分の体を見て、ベルゼバブは自身の敗北を理解することが出来た。
アムラエルの一撃は、彼の核である“永久原子”を完全に破壊し尽くした。
今、ベルゼバブを現世に繋ぎ止めているのはコンロンの体に残されていた僅かな魔力のみ、それもすぐに使い切り、完全に消滅するだろう。
分体とは言え、ベルゼバブに完全なる死を与えたアムラエルの力は確かなものだった。
アムラエルだけの力であれば、正体を現したベルゼバブの力に敵わなかったはずだ。
しかし、彼女は人の持つ知識と経験、そして自らの天使の力を合わせることで、その不可能を可能なものとして現実にした。
嘗て、人間の力『科学』を利用し、ウリエルを堕天させたベルゼバブが、今度は同じ人間の知恵により倒される。
因果応報と言う言葉がある。運命とは、これほどに皮肉の利いたものなのかと、ベルゼバブは苦笑を漏らした。
「今の“神さま”ってD.S.だものね。運命の神なんてものがいるのなら、相当に洒落が利いた奴だと思うわよ?」
「……違いない」
アムラエルの言うことにも一理あるとベルゼバブは感心した。
そして、この世界の神は余程、執念深く、そして気紛れ者なのだろうと思う。
「……あれは?」
「アインヘリアルよ。あれも彼ら、“人間の力”よ」
北の方角で目映く輝きを放つ、紅い光を目にしながら、ベルゼバブとアムラエルはそんな言葉を交わす。
知恵の実を食し、楽園を追放されたとされる人間。だが、彼らはその知恵で独自の文化を築き、群れを成して国を作った。
天使や悪魔、竜や巨人に比べ、脆弱な存在でありながらも、常に新しいことに興味を持ち、成長と進化を続ける人間。
遂には、その知恵で神の存在をも脅かす『科学』と言う名の力を手にするに至る。
その欲に際限はなく、奪い、殺し、犯し、彼らの歴史の裏には必ずと言ってよいほど、欲に塗れた争いの影が映る。
かと思えば、他者を愛しむ優しさをも内包し、家族を愛し、子を育む、相反する二種の側面を持つ不思議な存在――それが人間だ。
あの光も、人の“知恵”が生み出した人間の力。そして、その人間を滅ぼそうとした天使や悪魔を救ったのも、また人間の力。
神が彼らを自分の子とし、気に掛けていた理由が、ベルゼバブには今になって、おぼろげながら理解できた気がした。
「もう、諦めちゃった? D.S.を神の座から引き摺り下ろすって計画」
「……まさか。伝えておいてくれ。必ず、神の座から引き摺り下ろし、我ら悪魔の悲願を成し遂げて見せるとね」
「いいわ。ついでに、あなたが私にコテンパンに負けたってのも一緒にね」
「ククッ……本当にキミは天使に向いていない。ウリエル……彼にとってキミがすべてであった理由が分かる気がするよ」
アムラエルは天使らしくない。これほど“人間臭い”天使は他にいないだろうと、ベルゼバブは苦笑する。
だからこそ、ウリエルにとってアムラエルは光のような存在だったのかも知れない。
彼にとって、彼女はあの閉塞された世界の中で唯一の希望だったのだ。
神の忠実な下僕である天使には、進歩も後退もない。必要なのは神の意思による『粛清』と言う名の“絶対的な正義”の施行と、何千、何万年と何事も変わることのない無機質で閉塞的な日常のみ。
闇は負の象徴、穢れは破滅を、悪は堕落を意味する。善と悪、その二つの色で住み分け、物事を量ろうとする彼らは、まさしく“神の尖兵”と呼ぶに相応しい。
嫌なことを嫌と言える天使は少ない。好きなものと好きと言える天使も少ない。また、欲しいものを欲しいと言える天使も少ない。
アムラエルは、好きなものは好きと、嫌いなものは嫌いと、欲しいものは欲しいと、そのどれもを素直に口にし、実行できる少女だった。
だからこそ、そんな世界で自分に向けられたアムラエルの純真なまでの想い、そして目映いほどの笑顔は、ウリエルの目には太陽にも等しい存在に見えたのだろう。
「……褒められてるの?」
「悪魔に……とって……は最高の褒め……言葉だ。素直に……受けておく……と……いいよ」
「……もう、お別れのようね」
「ああ……最後に……ま……た」
最後まで言葉を紡ぐことはなく、まるで干からびた砂のように、そのカタチを一片たりとも残さず、パラパラと崩れ落ちるベルゼバブ。
吹き抜ける風が、“彼だったもの”の欠片を風に乗せて空へと攫って行く。
冬には少し早い冷たい風が、アムラエルの頬をそっと撫で、通り過ぎていった。
「……何度でも、あなたの腐った性根を、私とD.S.が叩きのめしてあげるわ」
風に攫われていく彼の亡骸をその瞳に映し、アムラエルは空を見上げる。
兄の復讐を果たしたはずなのに、彼女の胸には嬉しさも喜びも込み上げては来なかった。
世界や神を憎み、運命に翻弄され続けた愚か者のことばかりが頭を過ぎる。
彼がこの先、本人の望むように変わっていけるのかは分からない。
しかし、復讐の相手だと言うのに、敵であると言うのに、相手はあの悪魔だと言うのに、どこかで彼が立ち直れることを彼女は願っていた。
きっと宣言どおり、彼は諦めないだろう。そして、再び自分やD.S.の前に現れるとアムラエルは確信する。
「だから――いつでも来なさい、ベルゼバブ」
こう言うところも、アムラエルは“天使らしく”なかった。
「大方、片付いたな」
「ええ、あっちの方も上手くいったようね」
カイとクイントはアインヘリアルの着弾の光を見て、そう言葉を交わす。
彼女たちが、あの光を目にするのは、すでにこれで三度目。そのことを考えれば、もう、ほとんどのガジェットが片付いている頃だった。
その彼女たちの周囲にも、数え切れないほど、おびただしい数のガジェットたちが、物言わぬガラクタとなって散らばっていた。
本人たちは至って元気な様子だが、体のあちこちには掠り傷程度ではあるが、火傷や切り傷の痕が見受けられる。
いくつも出来た小さなクレーターのような痕が、その戦闘の経過の凄まじさを物語っていた。
あの後、カイと合流したクイントは、市街地へ向けて疾走する三千ものガジェットを、たった二人で壊滅させると言う途方もないことをやってのけた。だが、その理由は、かなり私怨の入ったものだったのは間違いない。
二人の娘とその親友を傷つけられたことで、クイントは強い怒りをその胸の奥に抱いていた。
実際、戦闘の被害としてこれは、やり過ぎと言うくらいの惨状だ。
この場にヴァイスが居たら、膝を抱えて震えていただろうと断言できるほど、鬼神のような戦い振りを二人は見せていた。
彼女たちと接触する度に、数十と言うガジェットと弾き飛び、空を舞い、壁に、地面に叩きつけられる。
戦いの中で勘を取り戻し、強さを増していく彼女たちの勢いを止められるものなど そこには存在しない。戦闘とも呼べない一方的な蹂躙劇がそこにはあった。
「あとは“ゆりかご”だけか」
「気にするだけ無駄よ。うちの子達の教官や、それに私の“親友”の大事な人も、あそこにはいるんでしょう?」
「……そうだな」
「あら、そう言えばカイの大事な人も“彼”だったわね」
「な――っ!」
クイントが言っている彼女の親友とはリニスのことだ。
そして、D.S.のことを彼女はおもしろそうに語り、カイをその話を肴にからかう。
以前にリニスに何度も惚気られた記憶があるクイントは、そのことをよく覚えていた。
カイも時折、酒の席で楽しそうにD.S.のことを話していたことを忘れてはいない。
「それで、彼とは最近、どうなの?」
「……そんな暇が、ここ数年あったと思うか?」
「あ……」
カイはバスタードの長官に任命されてからと言うもの、それは多忙な毎日を送っていた。
しかも、不慣れな会議や式典などの席にも連日出席させられ、苦手とする書類整理も、いつしかシーン程とまでは言わないまでも、かなりの速度でこなせる迄に上達していた。
そんな日々の中で、D.S.との仲を進展させられるような機会があろうはずがない。
しかし、クイントは落ち込むカイとは対照的に、別の話を思い出していた。
カイと同じかそれ以上の仕事量を請け負っていたはずのシーンや、毎日政務で忙しいはずのシーラが、D.S.と密会をしていたと言う話だ。
その情報源はリニスなのだが、嫉妬をまぜて、そのことを永遠と語られるものだから、クイントとしては霹靂としていたのだ。
だから、よく覚えていたと言うのがあるのだが、今のカイを見ているとそれを話すのは禁句のように思える。
要領の悪いカイを見ていると、クイントは冗談のネタに話を振るべきことではなかったと、少し罪悪感が沸いていた。
「まあ、きっと良いことがあるわよ。ほら、この戦果を見れば、彼も褒めてくれるかも知れないわよ?」
「……本当にそう思うか?」
この惨状を見たら、普通の男性ならば百年の恋もすぐさま冷め、間違いなく逃げ出すに違いない。
D.S.ならそんなことはないとは思うが、自分もやり過ぎてしまったと思っている手前、絶対に大丈夫とクイントも自信を持って首を縦に振れない。
少なくとも、まともな精神の男性なら、誰でも良い顔をしないだろう。
「……と、とにかく祝杯よ! 飲みに行きましょう!」
「娘が意識不明の重症なのにか?」
クイントは完全に逃げ場をなくしていた。
「ハアハア……」
「もう、逃げ場はないわよ、D.S.」
ゆりかごの中心付近に、全身を傷だらけにし、肩で息をする満身創痍のD.S.と、こちらも同じくD.S.に散々振り回され、怒り心頭の様子でようやく追いついたヴィヴィオの姿があった。
「ツヴァイ! ユニゾンを解除しろ!」
「――!?」
突然、ユニゾンを解除し、しかも魔神人(マジン)から元の姿に戻ったD.S.に驚き、訝しむヴィヴィオ。
そんなことをすれば、熾天使の力を内包するヴィヴィオに敵わないことなど、分かりきっているはずだった。
現に、元の姿に戻ったD.S.は大人の姿を維持することも出来ず、子供の姿にまで退行してしまっている。
ただでさえ、追い詰められていると言うのに、D.S.のその行動がヴィヴィオに解せない。
「……諦めたの?」
逃げられないと理解して、観念したのか? と考えたヴィヴィオだったが、それは甘い考えだった。
D.S.はそんな殊勝な男ではない。狡賢く、狡猾で、勝つためになら、どんなことでもやる“最凶最悪の魔導師”だと言うことを彼女は未だ理解していない。
そう、これはすべてD.S.の仕組んだ罠だった。彼女がここまで彼を追い詰めたのではない。誘い込まれたのだ。
「まさか――ツヴァイ!」
「はいですっ!」
先程、ユニゾンを解除したばかりのツヴァイが、再びD.S.の脇に並び立つ。
再び魔神人化するつもりかと身構えたヴィヴィオだったが、次の瞬間――
「きゃっ!」
ドガン、大きな音がヴィヴィオたちのいる広間に反響する。
予想だにしなかった方角からの攻撃に、障壁の甘いところを突かれ、ヴィヴィオは勢いよく弾き飛ばされた。
「くっ――何!?」
大きなダメージは受けていなかった。少し派手に弾き飛ばされはしたが、ヴィヴィオはすぐさま無傷で立ち上がる。
先程の攻撃の衝撃で土埃が舞い、視界が悪くなっていた。ヴィヴィオは冷静に先程、攻撃を仕掛けてきた相手とD.S.の姿を探す。
「遅かったじぇねーか」
「お待たせしました。マイマスター」
徐々に晴れてきた煙の中に、D.S.とツヴァイ、それにもう一人、背の高い別の人間の姿があることにヴィヴィオは気付く。
D.S.の横に並び立っていたのはリインフォースだった。
ヴィヴィオは知らない。D.S.には頼りになる三人の従者が存在することを――
D.S.にその命を救われ、彼の使い魔として生きることを決意した高次元の存在、絶大な力を誇る天使アムラエル。
嘗ての闇の書の防御プログラムであり、その存在を畏怖され、否定され、D.S.の手により、新たな“命”と“名”を授けられたツヴァイ。
そして、D.S.の横に並び立つことを自身で決め、選択した、夜天の魔導書の管制人格、闇を司る者リインフォース。
「見せてやるよ――本物の“闇の力”って奴を」
「――!?」
不敵に笑うD.S.を前にして、嘗てない強い悪寒がヴィヴィオの背筋を襲う。
それは“恐怖”だった。魔力を失い、体力も限界に近いはずのD.S.から感じられる強大な存在感。
ジリ――
「――!」
ヴィヴィオは自分が何時の間にか、目の前のD.S.の存在に気圧され、後退していたことに気付く。
理解不能な事態だった。彼我の戦力差は圧倒的、襲い掛かれば必ず勝てるはずなのに、まったくそのイメージがヴィヴィオの脳裏には浮かんでこない。
「「「ユニゾンイン!!!」」」
そのD.S.たちの掛け声と共に、嵐のように吹き荒れる漆黒の風。
それは、彼の宣言通り、まさしく“闇”そのものだった。
リインフォース、そしてツヴァイ。嘗ては表裏一体、二人で一つだった力が、D.S.と言う依り代を得て、再びその力を取り戻す。
『さっきのお返しです! 覚悟するですよ!』
『……もう今更止めませんけど、二人とも程々に』
ヴィヴィオは自分を取り巻く闇の中、聞こえて来るツヴァイとリインフォースの軽口に戸惑いを見せる。
今のD.S.から感じられる存在感は、先程までの比ではない。
魔神人よりも禍々しく、強大な闇の力を発していると言うのに、その姿は十二枚の漆黒の翼を背にしてはいるが子供のままだった。
どこまでも吸い込まれそうな暗い闇の瞳が、ヴィヴィオの姿を捉えて離さない。
ヴィヴィオは恐れていた。目の前の存在には、どうやっても勝てない。何故か、本能がそう悟っていたからだ。
「さあ、お仕置きの時間だ」
――堕天使ルシフェルの姿をその身に宿す世界の楔、新たな神。
真の“闇”が、ここに解き放たれる。
……TO BE CONTINUED