キイイイイイイイイイィィィィィィィ────── 森と言うには木が一つ足りない、いわば森の入り口といった場所。
そこに、いや、もうそこではない場所に、大気を切り裂くような音が拡散していく。
染み渡るように。
溶け込むように。
その音が通りすぎて、その軌跡をなぞるように破壊が残される。
地面は抉れ、
樹はなぎ倒され、
熱線がとび、
衝撃波が放たれる。
しかし、隠しようのないパンクズは残されても、それを落としていく者の姿が見えない。
透明なわけではない。
ただ、常人の知覚では捉えきれないだけだ。
純粋な、速度としての速さ。
キイイイイイイイイイイイイイン──── 道しるべは、まるで何かに誘われるように森の奥へと入っていく。
徐々に密度を増す木々の隙間を縫うように、
止まることを知らない戦闘は速さを増していく。
だが、
「まてっ!」
高速戦闘を行っていた内の一人が、その動きを止める。
若い男だった。
情熱をともした、凛々しい顔つきの。
ただし、顔だけを見れば。
顔面部分を除けば、他はスマートながらも金属素材であろう黒と白のボディ。
黒い胸元には、“8”の文字が大きく赤で描かれている。
スーツのように着込んでいるわけではなさそうなので、これが本来の姿なのだろう。
その男が、若さににあわない、深みのある声を張り上げる。
「私は君と争うつもりはない!」
事実、この男は先ほどから攻撃をかわしてばかりで、自らは仕掛けていない。
ならば攻撃を行っていた者。
その者が、突然に、前触れもなく姿を現した。
まるでカメレオンが擬態をといたように。
男の正面に赤い服が現れる。
赤い服を着たそいつも、また男だった。
ただし、もっと歳若い、青年と少年のちょうど中間に位置するような男だった。
なにかの漫画から抜け出してきたような、ファンタジックな赤い服。
首には長く黄色いマフラーに、足元は黒いブーツと、どこかふざけた格好をしている。
しかし、栗色の髪の下には、甘い顔に似合わない、何かに追い詰められているような、苦悶に満ちた表情がある。
その余裕のなさを顕すかのように、手にはSF映画のような銃が縋るように握られている。
「私の名は
8マン。君は?」
「・・・・・・
009」
掌を突き出して、静止を促しながら名乗る男──8マン──に、少年が短く、コードネームだけを答える。
「そうか。009、私は君と戦うつもりはない。なんとか協力してこの空間から脱出したいと思っている」
穏やかに説得を試みる8マン。
それでも、俯いた009の、握られた拳が緩むことはない。
「僕も、戦うのは嫌いだ」
009が、表情を陰に隠したまま、ぼそりと呟くように言う。
「そうか、なら──」
「それでも、ブラックゴーストに支配された世界を認めたくはないんだっ!」
「────!」
009が手にした銃を、鬼気迫る表情で8マンに向け、引き金を引く。
発射されたのは、先ほどまでの熱線と違い、通常の弾丸。
消音されているとはいえ、反動で銃口がスライドし、その反動を利用して袈裟掛けを描くように多数の銃弾が発射される。
音速の壁を突破して、自身に迫る数多の銃弾に対して、8マンは何をするでもなかった。
ただ、突き出していた掌を握った。
それだけだった。
だが、宙にあった銃弾は消えていた。
そして、
「無駄だ。私にそんなものは通用しない」
8マンが拳を開く。
すると、銃弾がばらばらとこぼれ落ちる。
すべて掴み取っていたのだろう。
「くうっ。なら・・・・・・」
009は呻き声をもらすと、再びその姿を消した。
加速状態に入ったのだ。
「待つんだっ!」
8マンも、戦いたくはないが、むざむざとやられるわけにもいかず、加速状態に入る。
キイイイイイイイイイイイィィィィィィ──── 大気を切り裂く
響めきに、空間が波打つ。
音速を突破する彼らの高速戦闘は、容易に衝撃波を生み出し、それすらも武器にする。
粘性を持った大気を押しのけて、泳ぐように木々の間を縫う。
乱立する樹の並びは、腕の振りで姿勢を制御し、コース取りされているかのように避ける。
その隙間から、009がスーパーガンより熱線を8マンに向かって撃つ。
正確無比な、確実に命中するはずの射撃。
高速移動による照準の緩みも、慣性の法則も、大気状態もすべてが含まれた計算式。
末尾の
=で結ばれるべきはすなわち8マンの破壊。
だがしかし、熱線の連射を8マンはこともなげにかわす。
実はかわしているのではなく、009がわざと外して撃っているのではないかと錯覚するほどに、姿勢を崩すことなく、高速で移動しながらも自然体で次々と射線から逃れる。
「あいつ、僕よりも速く動けるのか」
009が8マンの移動速度を計算して、驚くとともに、
自身も奥歯に仕込まれた加速装置のスイッチを操作して、さらに速度を上げる。
「むっ・・・・・・」
それに感づいた8マンも、さらに足を速く動かしてスピードを増す。
互いに速度を上げていって、籠の中身が先になくなったのは009の方だった。
両者ともに
極超音速を突破しているとはいえ、009よりも8マンのほうが速度としてはより速い。
これは、8マンは否定するだろうが、
機械としての性能差である。
完全機械と
改造人間の埋めようのない
性能差。
「くうっ」
そのことに隠せない焦りを表し、動きがさらに苛烈になる。
「009! 待つんだっ。私の話を聞いてくれ!」
8マンが必死に止めようと、通常の会話は高速転移中で望めないので、フォノン・メーザーによって呼びかけるが、009からの応答はない。
それどころか009の攻撃はさらに激しくなっていく。
ここで勝敗は決したといっても過言ではないだろう。
なぜなら、攻撃の激化は隙の増加を招くからだ。
戦闘機同士のドッグファイトにも似た高速転移による戦闘では、それは致命的となりうる。
音速を突破したこの世界では、一瞬は一瞬でない。
何秒にも引き伸ばされる。
そして、8マンや009のように、高速転移を行うことのできる者たちの、特筆すべきところはその速さではない。
音速を超えるだけならば、ただの人間も戦闘機などの道具があれば行うことができる。
それとは異なる点、彼らが常人とは違う点は、その音速を超えた世界での、情報の処理能力である。
優れた処理能力のために、周りのものが止まって見えるのだ。
そうでなければ、周りなど自身のスピードで見えないだろう。
つまり、高速転移による戦闘で重要なのは、どこまで情報を扱いきれるかである。
そしてそれは、どこまで扱いきれない部分をカバーできるか、とも言い換えられる。
実のところ、8マンと009では、性能差があり、8マンのほうが電子脳などの部分のスペックは劣っているのだ。
スピードが速いだけでは勝つことはできない。
いかにその超音速の世界に自身を入れ込むことができるか。
自身の移動スピードによって与えられる周囲の情報に溺れて、暴走、自滅してしまってはならない。
そして、それだけの技術が8マンにはあった。
というよりも経験だろうか。
多くの強敵と戦い、勝利してきた記憶。
もちろん009にも勝利の記憶はある。
それでも、その経験を冷静に活かせるだけの精神力が彼にはなかった。
だから、
009は熱線を撃ちつづけながら、前方で倒れていた樹を飛び越える。
8マンはその瞬間を見逃さなかった。
「ええい! この分からず屋め」
8マンの握られた両拳から電撃が発射される。
高速転移中ならなんなくかわせるはずの攻撃。
しかし、009はこの時宙に浮いていた。
「────しまった!」
高速転移では、落下スピードまでは加速できない。
加速状態時の唯一の弱点。
「頭を冷やせ!」
009が着地するよりも速く、電撃が彼を襲った。
「うわあああああああああ!」
悲鳴をあげて、009が倒れる。
体中から黒い煙を上げて、ぴくりとも動かないところを見ると、電子頭脳が麻痺したのだろう。
「この戦いが終わるまでおとなしくしているんだ」
8マンが、うつ伏せに倒れた009を仰向けにしてやりながら、少し厳しい口調で言う。
「むっ」
009の安全を確認し終えた8マンが立ち上がろうとするが、ガクリと膝をついてしまう。
極超音速の高速転移戦闘によって、電子頭脳に負荷がかかり、熱を帯びてしまっているのだ。
「いかんな。はやく冷やさなければ」
ベルトのバックルからタバコ型の強化剤を取り出し、口にくわえて小型原子炉を冷却する。
そのときだった。
「あんた、強いな」
声をかけられた方向を、素早くふり見る。
またも、歳若い男だった。
しかし、こちらは青年といってもいいくらいだろう。
そして先の009と違い、染めたような茶髪だ。
8マンは生まれた時代が時代だけに、茶髪というと、不良という印象がどうしても無条件で立ってしまうのだが、それを差し引いても、どこか生真面目な感じのする青年だった。
009の例があるだけに、警戒して見据える8マンだったが、特に何をするでもなくこちらを見つめている。
ただ、腰に巻かれた、色々な機器が取り付けられた大きすぎるメタリックなベルトと、手に提げた同じ色合いのアタッシュケースのようなものが気になるが。
「君は?」
「
乾 巧だ。8マン」
言葉少なく、無愛想に答える乾。
「見ていたのか。それならわかると思うが、私は誰とも争うつもりはない」
「・・・・・・俺も、争いごとは嫌いだ」
「なら私と──」
協力しよう。
その言葉は、乾の冷たい、それでも力強さを感じさせる宣言で、塗りつぶされてしまった。
「でも! 俺は、こんなところで立ち止まっているわけにはいかないんだ!」
懐から、小さな銀色の機械を取り出す。
表面に、なんのモチーフか、縦に入った線で分かれた黄色い半球のようなものがついている。
二つ折りになっていたそれを右の指で弾いて開く。
8マンは知るよしもないが、それは携帯電話とよばれるものだった。
乾は手元を見ることもなく、慣れた動作で、テンキーの中央、すなわち5≠三度、人差し指で入力し、最後にENTERキーを押す。
──STANDING BY── 電子音が従順な犬のように、次なる指令を待つ。
ギュイン ギュインと、フォトンブラッドが循環する音が響く。
乾は再び畳んだ携帯電話を右手で天に掲げ、
「変身!」
叫ぶように放った掛け声とともにベルトのバックルに携帯電話を縦に突き立て、左に倒す。
──COMPLETE── 乾の体を取り囲むように、赤いラインが空間を走る。
そして、
赤い光が満ち、視界を焼く。
それが収まったとき、乾 巧が立っていた場所には、仮面と鎧を装着した者がいた。
黒いヘルメットのような仮面には、今はベルトのバックル部分に装着された携帯電話の表面の装飾と同じような、顔面部分の上半分以上を占める黄色い目。
その延長上に二本の短い角のようなものが生えている。
その大きな目の下には、鮫のような銀色の顎。
体部分は、変身するときと同じような赤い線が走った黒色のライダースーツに、銀色のアーマーを胸や肩、肘、膝に当てたような格好だ。
「お前は・・・・・・?」
突然、姿形を変えた青年に、動揺を隠せないように再度8マンが問いかける。
「
555だ」
繰り返すように静かに、ただし先とは違う名前を乾──ではなくファイズは名乗り、右手首をスナップする。
左足を大きく後ろに下げ、曲げた右足の膝に上体を預けるように体を傾げる。
ちょうど、陸上競技のスタンディングスタートに似た体勢で、弓を引き絞るように力を溜め、
「はああっ!」
左足で勢いよく地面を蹴り出し、8マンへと踏み込んだ。