図書館に行く前に、俺は馬場を連れて日の出公園に寄った。
公園は一昨日に俺たちが眠りから覚めた時と何の変わりはなく、滑り台、鉄棒、ジャングルジム、そして展望台があった。
植えられている木は風に揺られて葉が音を立て、空では雲が流れ、登り始めた太陽がさんさんと公園を照らしている。
やっぱり、展望台があるぐらいでどこにもありそうなただの公園だった。
「ここに戻ってきても、ここから元の世界に帰れるとは思えないな…
それで、話はどうだって?」
この町で、よく人が失踪するかどうかの話だ。
「藤林のお母さんから少し話を聞いてみたけど、やっぱりこの町には人がいなくなるとか、神隠しに遭うとか、そういう噂とか言い伝えはないらしい。
むしろ過去に失踪したって人は
俊太郎さんぐらいだよ。」
馬場は黙って話を聞いている。
「公園に人はあまり来ないらしいけどな。
昼に集まる親子たちぐらいだと。」
「…ふうん。」
アースへの入り口はやっぱりこの公園じゃない。
となると、唯一の手掛かりは違うという事になり、いきなり迷宮入りとなる。
まぁ、最初からすぐにはアースに帰れないと予想してたけど、これからどうしたら帰れるのだろう。
図書館でひたすら調査をしたら、帰る方法の手掛かり見つかるのだろうか。
馬場は珍しくも黙っている。
いつもは騒いでいてうるさいのだが、この状況じゃさすがに馬場も落ち込んでしまうのか。
そうだよな。いきなり知らない世界に放り出されて、目を塞がれるように未来を真っ暗にされたら落ち込むよな。
俺はまだ、藤林に慰めてもらうほど落ち込んではいないけど。
「アースに帰るのは、絶望的だな。」
馬場の言葉に、俺は目を伏せる。
「誰に聞いても異界からの出口なんて知ってるはずもない。
浦島太郎や千も童話や映画の話、俺たちに起こった事は現実だ。
こっちからは一方通行で出口がないって事も有り得るんだ。」
「そうかもしれない…
でもそうとはまだ決まってないだろ。
帰れない可能性もあるけど、帰れる可能性もあるんだ。
だけど諦めたら可能性はゼロだ。
アースに帰る為に、今は努力しなきゃいけない。
そうだろう?」
馬場は再び黙りこんだ。
今まで見せた事のない表情をしながら公園を眺めている。
とりあえず…調べる気はあるようだ。
怒りの感情もだけど、俺は馬場の目から努力の決意を感じ取れた。
それからというもの一ヶ月。
俺たちは毎日図書館に通い、本を机に持ってきて読んでは戻し持ってきて読んでは戻し、を幾度も繰り返した。
図書館の常連になり、気付けば貸出し数が百を越え、本の虫になってしまっていた。
しかし、いくら調べても調べても自分たちの居た場所に帰る方法が見つかる気配がない。
完全に迷宮にはまってしまったようで、その行為は俺たちの気力だけを削り取っていった。
馬場はその調査を続けていくに連れてどんどん暗くなり、苛立ちを見せるようになっていた。
本をひたすら読み続け、調べていくという地道な作業によってストレスが溜っていた。
そして、藤林の家で図書館から借りた本を調べている時、それは起きた。
「本当に見付かんのかよ…」
「なんだよ…馬場…」
馬場は床に座り、壁に寄りかかったまま呟いた。
「もう一ヶ月だ!
一ヶ月毎日本を読んで探し続けてまだ手掛かりが見付かってない!
こんなに探してんのに!何で見付からないんだよ!」
馬場は借りた本を壁に投げて叫ぶ。
俺は真面目な顔をしながら馬場を見ていた。
馬場の溜った鬱憤を聞いていた。
「いきなり勝手に見た事も聞いた事もない世界に落とされて、その所為で俺達が帰る方法探さなきゃいけなくなって…
こんな不幸があるかぁ!」
ドン!と拳を壁に叩き付ける。
その音は多分、家中の人に聞かれただろう。
しかし馬場はもう限界だった。
我慢ができなかった。
馬場の気持ちはわかる。
俺も実際、イライラしていたと思うし、不安に思っていた。
本当に帰れるのだろうかと。
そして、気付くと俺たちは全く笑わなくなっていた。
休憩にテレビのバラエティ番組を見ても、ゲームをしても、笑うことがなくなっていた。
「馬場…気持ちはわかる。
でも家の壁や図書館の本に当たるな。どっちもお前のでも俺のでもない。」
「く…」
馬場は歯を噛み締めた。
顔を落としているが、腹が立っている様子はよく感じ取れる。
少しは気を静めたが、まだ何か言いたそうだ。
「澤村…お前、このまま調べ続けて帰れると思うか?俺たちの世界に。」
「わからない…」
「このまま先の見えない事をずっと調べ続けるのかよ…俺たち…」
俺は俯いて黙った。
確かに俺たちは答えのないものを探し続けているのかもしれない。
調査を続けたって無駄な事なのかもしれない。
でも俺はこの前、アースに帰る理由をもう一つ作ってしまった。
大きくて大事な理由だ。
だから俺は探し続ける。
自分から諦める事はせず、ずっと探し続ける。
しかし馬場は、この様子だともう限界かもしれない。
馬場にもそれなりの理由があるのだろうけど、でも━。
「……諦めるのか?」
馬場は伏せていた顔を上げて俺を見る。
俺は馬場の決意の固さを試していた。
ここで、馬場は調査から抜けるかもしれない。
でも俺はそれでも構わない。
「…俺が諦めたら、お前はどうするんだ?」
「俺は一人でも頑張っていくつもりだよ。
自分が帰りたいってのもあるけど、今はもうそれだけじゃない。
藤林の為でもあるんだ。」
「藤林の為?」
俺は俯いたまま頷く。
「俺は藤林と約束したんだ。
俊太郎をイアルスに帰して、藤林と再会させるって。
だからもう自分の為だけじゃなくなってるんだ。
お前が諦めたとしても俺は調べ続けるよ。」
「……」
馬場は再び頭を落とす。
もう言いたい事はなくなったようで大人しくなり、それからはずっと黙っていた。
時計を見ると11時を過ぎていた。
馬場はともかく、俺は明日も早く起きる。
俺は馬場が投げた本を綺麗にして机にまとめながら言った。
「俺はもう寝るよ、馬場。明日も早いからね。
疲れたなら、馬場も早く寝た方がいいぞ。」
馬場は黙ったまま頷く。
俺は押し入れから布団を出して畳に敷いた。
仕様がないので馬場の布団も敷いてやり、そして紐を引っ張って灯りを消して布団に潜り込んだ。
馬場が布団に入ったかは知らない。
これからどうしようと知らない。
何だか気まずい空気になってしまったが俺は気にせず、何も考えずに目を閉じた。
次の日の朝、7時。
目覚ましを止めて体を起こすと馬場は既に起きていて、窓の前に立って何やら外を眺めていた。
俺がおはようと挨拶すると、窓を向いたままだが、ちゃんとおはようと返してくれた。
俺は静かに立ち上がって居間に下りようと扉を開ける。
すると藤林がちょうど廊下を通るところだったようで、藤林がドアの前に立っていた。
「キャ…さ、澤村さん…」
「藤林…」
偶然会っただけなのに派手に驚かされてしまった。
何となく気まずくて、少し沈黙が流れる。
「あ…すいません。
おはようございます澤村さん。」
「あぁ、おはようございます…」
藤林は窓の方の馬場にも笑いながら挨拶をする。
落ち込んだ馬場も藤林の笑顔には少し顔が緩むが、すぐに元の顔に戻ってしまった。
これは…重体だ…
女の子にあまり興味を示さない馬場なんて、まともじゃない。
猫が魚を見ても、構わず寝ているくらいの事だ。
「…馬場、下で飯食ってるから。」
「…あぁ。」
馬場は窓を向いたまま答えので、俺は藤林と一緒に居間に下りた。
朝食がもうできていたのですぐに食卓に座って食べ始めるが、藤林と俺はしばらく何も話をしなかった。
藤林は何かを考えているようで黙っていたし、俺も今は誰かと話す気分ではなかったし、二人黙って黙々と朝食を食べていた。
そして藤林が沈黙を破った時は、俺の朝食が残り少ない時だった。
「澤村さん。」
「何?」
「…昨日の話、聞きました。」
「え…?」
思わず朝食を食べる手を止めてしまう。
「昨日、大きい音がしたので気になって澤村さん達の部屋の前まで来てみたんです。それで…」
「…」
何を言われるのだろうか。
馬場が壁を殴った事についてだろうか。
うるさくて眠れなかった、という苦情についてだろうか。
「澤村さん、馬場さんも、最初に会った時からほとんど笑わなくなりました…」
「藤林の所為じゃないよ。」
「でも昨日、澤村さんはもう自分の為だけじゃないって言っていました。
私の為でもあるんだって…」
澤村は再びぴたりと手を止めた。
確かに言った。
俺は藤林と俊太郎を再会させる為にも頑張っている、と。
聞かれたのは失敗だったな…
藤林はきっと、俺を止めようとするに違いない。
そうなっては困る。
俺は藤林が止めても調査を続けるつもりだ。
でもそうなると、藤林の言うことを聞かないで無視しているようになり、図書館に行きづらくなってしまう。
「大丈夫…俺に任せてていい。
ごちそうさま。」
「澤村さん!」
俺は急いで立ち上がり、身支度を済まして逃げるようにして家を出た。
藤林は自分の所為で俺を苦しめてしまってると思うだろう。
でも調査を諦めて下さいとお願いされる事だけは避けたい。
俺のためにも、藤林のためにも。
そして今日も俺は図書館に向かった。
馬場には一応先に行くと言っておいたがもう来ないだろう。
あいつはもう精神的に限界だった。
図書館でずっと慣れない読書、自分の世界に帰れない悲しみ、色々なものがあいつの負担になっていた。
でも俺は馬場が居ようと居まいと関係ない。
藤林の為にも自分の為にも、調査を続けるのだった。
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閉館時間が近付いてきた。
図書館にいる人は少しずつ帰り始めて少なくなってきている。
外の方を見てみると太陽はもう沈み、秋の空はすっかり暗くなっている。
俺は読んでいた本を閉じて十冊の本をカウンターに持って行き、貸出し手続きを済ませてその本を鞄に詰めた。
外に出ると、冬が近い事を感じさせるような風が吹いていた。
俺の体に寒さを感じさせて通っていく。
俺は早く藤林の家に帰って暖まろうと足を走らせた。
夕食もできているだろう時間だし、急がなきゃいけない。
…結局、馬場は来なかったな…
諦めた、となると明日からも俺は一人か。
そう考えるとやっぱり少し寂しいものだな。
この一ヶ月、ほとんど馬場と一緒に行動してきた訳だし、イアルスに落ちてからの心配や悩みはあいつのお陰で少しは解消されていたのかもしれない。
そう考えると俺は新たな不安を感じてきた。
この先の不安や寂しさなどに堪えられるだろうか、と。
やっぱり、馬場にはまだ頑張ってほしい。
寂しいじゃないか、もう少し頑張って一緒に調査をしようよ。
そう思っていた。
『おい。』
「え…馬場…?」
「何が『え…』だよ。女みたいな反応すんなよ、気持ち悪いな。」
馬場は図書館の前で待っていた。
寒いのか、ポケットに手を入れながら。
「何でここにいんの?
諦めたんじゃなかったのか?」
「諦めたくねーよ。
俺は向こうにやり残した事が沢山あってな。」
馬場はくっくっと笑いながら言った。
それは作り笑いとかじゃなく、よく見せていた笑顔だ。
俺はずっと見てなかった所為で、こんな風に笑う馬場は懐かしく感じた。
元の世界の匂いを感じさせるほどに。
「今日一日使って考えたんだ。
それで決めた。やっぱりもっと頑張ってみる。
お前が頑張って調べてんのに、俺が諦めちゃ悪いからな。
今日は休んだけど、明日からはまた俺も一緒だ。」
「…そうか。」
そして俺も連られて笑ってしまう。
元の世界で笑っていたように。
そうか…馬場はまだ、頑張ってくれるのか…
よかった…よかった…
俺たちは笑って話をしながら藤林の家に歩いていった。
俺たちの住んでいた、アースでの話、聡美の話、ゲームの話、昼休み開催のパン争奪レースの話、そんな懐かしい話をして俺たちは笑いあった。
こんなに笑ったのは本当に久しぶりの事で、やっぱり馬場と居ると楽しかった。
そうだよな。俺たちは長年の友じゃないか。
元の世界でよく連んで遊んだ友達じゃないか。
俺はそう思い、笑い合いながら住宅街の帰り道を歩いていった。
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「澤村さん、馬場さん、話があります。」
家に帰るとすぐに藤林が話しかけてきた。
あっ…すっかり忘れてた。
あの件についてか…
「まぁ…二人とも座ってください。」
「え、えーっと…
でもちょっと部屋に用事が…」
「大丈夫ですよ澤村さん。
調査を諦めて下さいなんて言いませんよ。」
「な…」
考えてる事がバレてる?
藤林ってエスパーだったのか?
まぁとりあえず、藤林がこう言ってるので俺たちは訝しみながらも机の前に座って聞く事にした。
「諦めて下さいとは言いませんが、朝と同じ話です。
澤村さん達は最近笑顔がない、という事です。
それは精神的にも肉体的にも疲れているからだと思います。
それは私の所為でもあるんです。
私の為にも頑張っているって、昨日言ってましたし…
だから…」
「だから…?」
「私と一緒に、学校に通いませんか?」
「学校?」
ちょっと意外だった。今、その単語が出てくるとは。
藤林は話を続ける。
「学校に行けば楽しい思い出も作れて気分転換にもなります。
学校の人達はみんないい人ですし、私と同じクラスにしてもらいますから…どうでしょうか?」
「どうでしょうかって聞かれても…」
馬場を反応を見ようと横を向くと、何故か真面目に、そしてアゴをさすってダンディに考え事をしている馬場がいた。
真剣に、本気で考えている。
「う〜ん、藤林さん…」
「はい、何でしょうか?」
「クラスには、藤林さん以外にも可愛い子はいるのだろうか?」
あぁ…こんな間抜けな質問をする馬場も懐かしい…
女の子に何て質問しやがるんだ…
見ろ、藤林が困ってるじゃないか。
いや待て、「藤林以外に『も』」?!
さりげなく口説いてんじゃねぇよ!
例え馬場でも張り倒すぞ!
「い…いると思います…よ?」
「じゃあ行く!(満面の笑みで)」
アホな馬場も帰って来ました…
ただ嬉しい事に、藤林は自分が間接的に可愛いと言われている事には気付いていないようだ。
ふっ、ざまみろ馬場。
「澤村さんはどうしますか?」
「えっ?あぁ、俺は…」
その時、俺は藤林と馬場が一緒に登校する様子を想像してしまった。
藤林と馬場が手を繋ぎ、笑いながらスキップしている様子を。
そうして、無性に腹が立った。
殺意が湧くぐらい馬場に怒りを感じた。
「行くよ…こいつは俺が見張ってないと、何するかわからないからね。」
馬場は俺の殺気を感じ取ったのか、少しも俺の言葉に突っ込まなかった。
むしろ悪感を感じて縮こまっている。
「じゃあ決まりですね!
来週までに教科書や道具を揃えて、それから学校に通い始めましょう。
私の両親にはもう話をしてあるので、澤村さん達は心配しなくていいです。」
…というわけで、俺たちは藤林の通う学校に通い始める事になった。
幼なじみの俊太郎がいなくなってそれほど寂しかったのか、俺たちが行くと決めた途端に藤林の顔は輝いた。
藤林にはそれほど大事に想う人がいるとわかって、俺は少し残念に思った。
でも、イアルスに連れ戻す人はそれほどの人じゃないと頑張った甲斐がないか、と少し笑った。
to be continued-