〜七月二十九日正午『ガイア』〜
この世界には裏と表があるまるでコインのようにな。裏は表では有り得ないことをする事ができる。表は裏では有り得ないことをする事ができる。私は、裏の人間でも表の人間でもない中立の存在だ。
そんな私が弟子を持つというのは自分でも驚いた。しかし、弟子というものはいつまで経っても世話が焼ける。師匠からすれば悩みの種でしかない。
だが悩む分だけ成長した姿を見るとき喜びがあふれ出てくる。最初は成り行きで弟子を作ってしまったが今となれば我が子のように可愛かった。離れて暮らすようになってからは、再会したときの弟子の背中を見るのが好きだった。ひょっとすると、あの馬鹿弟子に期待しているのかもしれない。どちらにせよ今日分かる事だ。さて、どこまで成長したか見せてもらおうか黒髪 蒼よ。
〜七月二十九日午後一時『ダウナー』茜〜
ダウナーに来てだいぶ経つ。私は蒼の訓練により六周で限界だったのが今では十周ほど走っても苦にならなくなって、高い木にも簡単に登れるようになっていた。
「お、かなり成長したな茜」
嬉しそうに木から飛び降りると。
「どう、私だって努力すればこのぐらい身体能力が上げることができるのよ」
自慢げに言う私を蒼は茜の頭を撫でる、なぜかこれがほっとする。
「そうか、よくがんばったな、茜」
蒼も教えた努力が報われたのか少しほっとする。
だがほっとしていた蒼は背後から後頭部に鋭い一撃を放たれた。
蒼はそのまま吹き飛び地面に転がった。
「いい身分になったな、蒼」
そう言ったのは銃を持った修道服を着た金髪の美女だった。
茜はとっさに距離をとり蒼を見た。
「蒼この人、誰なの?」
頭をさすりながら起き上がった。
「……背後を取るのはやめてください師匠」
薄っすら涙目になった蒼。
「ふん、背後を取られるようでは、まだまだ甘いな。だが殴られた瞬間に体をずらしてダメージを軽減させたのは褒めてやろう」
たった一撃であそこまでの動きを完全に見抜いた蒼の師匠を見て茜は驚いていた。
「この人が蒼の師匠……」
「私はシリアン・ロ−レライだ、ローレライと呼べ」
私に手を差し出す、それを受け取り握手した。「三菱茜です」と軽く自己紹介をするとローレライは「こちらこそ」と言った。
「ところで師匠どうしてここに」
ローレライはうなずき、話を始めた。
「まず、都市はお前たちを殺そうとしている、そして二つ目の話は、お前たちに戦う術を教える」
蒼も私も一応生きる術を持っているが戦う術は持っていない。
「質問、どんな事をやるのですか?」
蒼が聞くと。
「平たく言えば魔術とか錬金術とか超能力とかの類だ」
蒼と私は首をかしげた。そんな非科学的すぎることできるわけないじゃん。
「そんな顔をするのも無理はない。まぁ、実際にやって見せよう」
一歩下がり地面に触れた。
『象徴は土・器は美・色は漆黒・形は獅子・我に従う剣となれ』
地面が盛り上がり一本の剣が突き出した。
「まぁ、こんな感じだ」
何が起こったか理解できなかった。
(え、ちょ、また手品かなんか!?)
「じゃあ、まずは理論の説明をしたいがその前にこれを飲め」
そう言ってローレライは丸い粒を取り出した。
「師匠、なんですかこれ?」
「ん、まぁ、あれだ、ビタミン剤だ、うん」
怪しい、絶対怪しい。
「なるほど」
なにも、抵抗もなく蒼は飲み込んだ。
やけくそになって私も怪しい粒飲み込むと視界がどんどん狭まっていった。
「ようこそ世界の裏側へ」
ローレライはそう言った。蒼と私はその場で意識を失い倒れた。……騙された。
〜『裏側』蒼〜
気がつくと水の中にいた。
「あれ、おかしいな、さっきまで洞窟の前にいたよな」
周りを見ると一人の男がいた、近づくとそれは自分だった。
「……オレが二人!?」
「そうだ、オレは、お前だ」
「どうしてオレが二人いるんだ?」
「ここは、お前の心理の中だ」
「じゃあ、お前はなんなんだ?」
「オレは、お前の心に閉じ込められた住人だ」
「心の住人?」
「ああ、オレはお前の理性によって封じ込まれたお前だ」
「本当か?」
「ああ、本当だ。オレはお前だからな」
「じゃあ、なんでオレとお前は別々になった?」
「簡単だ、人間は生まれながらにしてオレのような陰の存在に気付かないからだ」
「……そうか」
「一方は記憶されもう一方は記憶されないだけだ。孤独なんだ」
「お前は一人なのか?」
「ああ、そうだ。だからオレはここから出たい」
「出たらどうなる?」
「お前の力となる」
「分かった。どうすれば出られる?」
「出るのは簡単だ、オレを受け入れろ」
「じゃあ、オレはお前を受け入れる」
「そうか、ありがとう。オレを呼ぶ時はこうイメージしろ」
『象徴は水・器は力・色は蒼・形は海蛇・我に付き添う牙となれ』
「分かった」
「あとオレを呼ぶには条件があることだけは憶えてろ」
「条件?」
「条件は―――が近くに居ることだ」
〜『ダウナー』茜〜
蒼が覚ます。
「気がついたか馬鹿弟子、一体どのくらい待ったと思っている」
周りを見ると日が沈みかけていた。
「心配したわよ、でも蒼が寝ている間に私は魔術のようなものが使えるようになったもんね」
「まだ、使い方と軽く調節できるようになっただけだ。まだまだ訓練は必要だ」
ローレライは心配そうだった。
「スゴイな、見せてくれ」
咳払いをして。
『象徴は焔・器は知識・色は茜・形は不死鳥・大地に刃向かう翼となれ』
私の手から炎が出てきた。
「どう、スゴイでしょ?」
「ああ、これで木の棒とかで火を起こす必要が無いな」
嬉しそうな蒼を見ると胸の中が暖かくなる。
「蒼、お前もやってみろ」
ローレライがそういうと。
「はい、分かりました」
大きく深呼吸をして。
『象徴は水・器は力・色は蒼・形は海蛇・我に付き添う牙となれ』
沈黙が走る。何も変化は無かった。
「あれ、たしかにこう、言ってたよな?」
ローレライは呆れながら言った。
「発動条件は教えられたか?」
蒼は首をかしげた。
「よく憶えていません」
即答した。ローレイは、ため息をつき深刻な顔をした。
「抜けたのは発動条件か……茜は象徴だったから簡単に分かったが条件は難問すぎる」
苦笑いをしていた。
「まぁ、私は手が濡れていないのが発動条件だったから楽だったけどね」
蒼がついに茜を教える立場から教えられる立場になった瞬間だった。
それを見たローレライは蒼に魔術の基本的な原理と教え始めた。
「茜には言ったがこの魔術のみたいな能力を私たちは『反転』と呼んでいる。『反転』は個人によって使うことができる能力は決まっている。茜は炎を生み出し、操る能力を持っているが、それ以外を生み出したり操ったりすることはできない。ごく稀に複数の能力を生み出し操る持つ者もいるがな」
何を言っているかわからなかった蒼は、私の方を見るがぶっちゃけ、困る
ローレライは蒼が理解していない事に気付きため息をついた。
「もういいお前は今日の晩飯の食材を獲ってこい」
蒼は「はい」と言って食材を獲りに行った。
「そう言えば茜の『裏側』はどうだった?」
「そこはもう一面炎の世界で大変でしたよ」
ローレライは笑いながら「それは大変だったな」とだけ言った。
「あと、蒼が心配ですね。あのまま発動条件がわからなかったらどうしよう……」
「そうだな。あの馬鹿弟子はいつまで経っても世話が焼ける。それより茜がまさか炎系の能力とは予想だにしなかった。私的には治癒系の能力かと思っていたからな」
期待が外れて残念そうな顔をしていた。いや、私に言われても。
「蒼は、どんな能力かな。少し楽しみです」
「そうだな、これで使い物にならない能力だったら、いつもの倍は働かせるか」
能力が使い物にならなければ私を守る云々の話ではない。私が蒼を守るという状況になりかねないそれだけは避けて通りたい。面倒だ。
「発動条件ってなんだろう。私は手が濡れていないというのが条件ですけどね」
意外に条件が緩かった。
「簡単な条件でよかったな。私の知り合いに死んだ時が発動条件っていう奴がいてな。最初聞いた時は笑えなかったな」
どんな人なのだろう。
「茜は、私の弟子をどう思っているのだ?」
突拍子もない質問に顔を赤くして黙り込んでしまった。
「……その反応はみなかったことにする」
さらに顔が赤くなった。別に顔が赤いのは蒼がイケメンなだけで……
「訓練の続きを始める」
〜『ダウナー』蒼〜
「発動条件ってなんだろう?」と呟く。オレはまだ『反転』を使いこなす以前にまだ発動すらできない状況だった。そんなオレを慰めていたのが余計に心に残る。そもそも『反転』の存在を知ってまだ一日も経たないのに、それを使いこなせというのが無茶だと思う。
いつもの湖に到着すると服を脱ぎ、入水した。水は思っていたほど冷たくなかった。水の中は蒼の唯一の心の癒しだった。体は軽く簡単に浮き沈みができるし、呼吸ができないのは残念だが景色も山や森とは違い様々な色が入り乱れているからだ。なによりも水の中にいると自然と心が安心するからだ。
大きく息を吸い込み、再び水の中に潜る。底に着くとカニや海老がいた。そこから一番大きいものを何匹か獲ると、息継ぎのために水面まで上がると息を吸った。そこから陸に戻り水を拭き取り服を着て洞窟に帰る。
洞窟に帰ると茜は師匠と訓練していた。
「師匠、今夜の食料獲って着ましたよ」
オレがそう言うまで師匠は蒼の存在に気付いていなかった。
「そうか、じゃあ、メシにするぞ。茜、お前が調理しろ」
「わかりました」と言って蒼から食材を受け取ると、能力を使って調理を始めた。
発火音と共に食材が炎の中を踊っている。あっという間に蒼の獲った食材が調理された。
「便利でいいな、オレはどんな能力だろ……」
茜は苦笑しながら「がんばって」とだけ言った。
それが皮肉にしか聞こえなかった。
食事を終えた蒼は再び湖に来た。服を脱ぎ水の中に入ると心地よい冷たさを感じて心が落ち着いた。
久しぶりに一人になった気がした。いや、一人になったのだろう。誰かと一緒のいるのが嫌なわけではない。
ただ、一人になりたい時があるだけなんだ。自分がひょっとすると茜にほっとかれ、師匠にもほっとかれた事が少し焼いているのかもしれない。
あの二人が女でお互いにどこか通じ合うところがあるのだろう。茜もきっと女にしか分からない悩みや不満が溜まっていて、そこに女である師匠が来たのだ、喋ったり何かしたい事があるくらい明白だった。
そう考えると気が滅入る。男である以前に人間と会話する機会があまりない。どう接していいのかわからないそんな状況ではたして茜にできるだけ苦労をさせないようにできるのか、それすら自信が無くなっていた。
さらに追い討ちかけるように反転という能力だのなんだの。肉体より精神的なダメージの方が大きい。そのせいか少し自己嫌悪になっていた。
孤独の中で生きてきた蒼は、孤独しか知らない。それだけの話だった。
もし蒼が都市で暮らしていたら話は変わる。もっと勉強をして、自分で食い物を獲らず、冬は暖かく夏は涼しい室内で快適に暮らしていただろう。
オレも元をたどれば都市の人間だ。ちょっといじられているがその血肉を分けてくれた人間もいるし兄も姉もいる。そう、オレにだって家族がいる。オレは自分の家族を知らない、知る事ができなかったし。
吐息を交えながら「少し考え過ぎた」とオレは寂しそうに言って底の方へ沈んで行った。
夜の水の中は月明かりでよく澄んでいて今まで考えていた事がどうでもよくなった。オレは、しばらく泳ぎ水面に戻る。
腕を月にかざすと思いついたように言った。
『象徴は水・器は力・色は蒼・形は海蛇・我に付き添う牙となれ』
〜『ダウナー』茜〜
食事を終えた茜は、ローレライとの会話を楽しんでいた。
「ところで」
「なんだ?」
ローレライは淡々と聞き返す
「蒼の親ってどんな人ですか?」
ローレライは顔を険しくした。
「蒼の母親の名は黒髪 青《くろかみ せい》といってこの世で最も頑丈な身体を持つ人間だった。彼女は、たとえ頭を銃弾に撃たれようが、ナイフで切り刻まれようが、水の中に閉じ込められようが決して死ぬ事の無い身体を持っていた。いや、時間に彼女が嫌われているだけかもしれない」
悲しげにも寂しげにも見える表情だった
「彼女は私に反転を教えてくれた、そして私は彼女の反転を知っている」
眼を閉じて深呼吸をして言った。
「彼女の反転はこう呼ばれていた『真実の時(リアルタイム)』と、能力は時を止めてしまう強力な能力。そして彼女は周りの時を止めないように自分の命そのものの時を止めた。それ以来、彼女は一時的に反転を使えなくなった。だが代償として永遠の存在となった。もし彼女が自分の意思で再び止まった時を動かしたとしたら、それは愛する者が全て死んだ時か愛する者を守る時かのどちらかだ」
私は何も言えなかった。なにか言えるとすればこうだった。
「今は、蒼のお母さんは、なにをしていますか?」
少し沈黙が走った。
その口火を切るようにローレライは言った。
「科学者が自分の興味本意で人体実験をしたり、見た目が美人だからな、もっぱら陵辱でもされているだろう」
その言葉には怒りが混ざっていた。無理もない。
「どうして、そんな酷い事をされてまで……」
茜の中にどうしようも無い感情が込み上げてきた。
きっと女にしか分からないことだろう。
「どうして彼女はあのクズどもに従うかって、簡単だ、奪われた十三人の子供を守るためだ。今、都市には十一人の青の子供たちがいる。その内の四人が人質として生かされている。残りのニ人は反転を使い科学者から逃げ延びた子供たち。そして一人はダウナーに住む蒼、もう一人は行方不明だ。残りの五人は……殺された事になっている」
ひと息で言うとローレライは眼を閉じ吐息を吐いた。その口元は歪んでいた。
「私はその兄弟を助けたい。いや、蒼に本当の家族というものを与えたいだけなのかもしれない。蒼は孤独すぎる誰にも本音を言わず、誰にも助けを求めず、誰にも守られたくない、そんな馬鹿だ」
ローレライは自分に残されたほんの少しの母性からきた言葉だったのだろう。
何かを思い出したようにローレライは言った。
「茜にはやってもらいたい事と都市に狙われる本当の理由を話す」
「そうですか、分かりました」
静かに頷いた。
「まず、殺される理由から説明しよう、まず、茜と蒼は同じ組織に狙われている」
「蒼はお母さんが簡単に手出しできなくするため、私はその障害になりうる人間の一人」
「そういう事になるが……まぁ、茜を見殺しにするか否か最終判断は蒼だったしな」
ローレライは気まずそうに口を滑らした。
「じゃあ、蒼は私のために今は行動していると?」
ローレライは静かに眼で頷いた。
「大体はそうだがここの環境は蒼にとってもいい環境なんでな」
その事実を知って落ち込んだ。
私がいなければ、蒼はもっと楽だったのだろう。それを引っ張るように私がいる。
それを見たローレライは吐息をつき話を変えた。
「次にやってもらいたい事を説明する」
静かに私は頷いた。
「よく聞け、今から一ヶ月後にお前たちを都市に帰す。その間は何としてでも生き延び、なおかつ反転を完璧に使いこなせるようになれ」
それ以外に生き残る手段は無い。
たとえ、あったとしてもそれは生存率が確実に下がる。
無言で了承した。
安心したのかローレライは眼を閉じ言った。
「あと、この体は、私の反転で形成している」
だんだん、ローレライの体は石になっていった。
〜『実験室』青〜
常闇に身を委ねる私の運命、それでも……、せめて子供たちだけは守らなくては、たとえこの身が切り刻まれ、焼かれ、溶かされても絶対に十三人を守る。そして、願わくば、もう一度だけ家族をやりなおしたい。きっと大家族になるだろうから沢山働いて養わなくちゃね。
わずかな希望を持って青は静かに言った。
「これで十四人目ね、この子をお願い」
小さき我が子を少女のような外見を持つ友人に手渡すと友人は「七年後……いや、こちらでは一ヶ月くらいかしら、必ず返す。私からも護衛をつけるわ」と言って『この世界』から消えてた。
「頼むわよ、スカーレット・ヴァンパイア……いえ、アテナと言ったほうがしっくりくるわね」
〜『月』???〜
「――おっと、そろそろ地球に戻るか、ようやくアイツらが動き出したし菓子も無くなってきたし」
そう言って地面を蹴り飛ばした。
〜『ダウナー』蒼〜
今、なにかを感じた気がする。いや、気のせいかけど、あと少しで物に出来そうなんだ。
大きくため息を吐き陸に上がった。
洞窟に戻ると師匠は帰ったのだろう姿が石になっていた。
そして茜がいつにも増して真剣な表情だった。
「どうした、そんな怖い顔して……」
茜が言った事はシンプルだった。
「これから一ヶ月特訓よ、蒼」
地獄の幕開けだった。蒼は大袈裟にため息をついた。
第三話おわり