〜八月三十日午前十時『ダウナー』蒼〜
一ヶ月はあっという間、いや、破竹の勢いのように過ぎていった。なんやかんやでダウナーから離れるのは嫌だ。オレは都市で生まれたがダウナーで育ってきた。家から出て行く気分に近いかな。
それに未だに反転を上手く使いこなせない……というか発動していない。これから師匠になんて言えばいいのか分からない。だいたい、あの人は日頃から何を考えているかさっぱり分からないし異様な馬鹿力だし……まぁ、育て親だし信頼はしている。
「はぁ、結局発動すら出来なかった……」
思わず茜は苦笑いしていた。肩を叩き慰めてくれた。
考える事を止め師匠に教えられた場所に歩みを進めた。
歩き始めて小一時間ほどすると指定した場所に到着した。
「ここが、指定した場所よね」
オレは頷いた。
「ああ、ここで間違いない」
そう言うとその場に座った。
突然、地面の一部がふわりと浮いた。そのまま上昇していった。
そして、あの橋の上に蒼たちを降ろすと地面の一部が一気に落ちていった。
「ようやく来たか、とりあえず車に乗れ」
振り向くと意味不明な師匠ことローレライがいた。その後ろに四人乗りのオープンカーがあった。
それに乗り込むと師匠がエンジンを入れアクセルを踏んだ。
オープンカーであった為か風が気持ち良くすり抜けていった。
「さて、馬鹿弟子は反転を使えるように―――」
「いえ、使えません」
蒼の顔すれすれにナイフが突き刺さった。一気に顔が青ざめた。
「ふん、予想は十分に出来ていた。3」
そう言ってかなり深く吐息をついた。
予想がついているならナイフの意味は!?
「それでも、やはり腹が立つ。2」
さらに、深く吐息をついた。
ああ、そういうことですか。
「そろそろ、馬鹿弟子の兄の一人にご対面だ。0」
そして、本日一番の吐息をローレライはついた。
その兄というのは空から落ちてきた。
ちょうどオープンカーの空いている席に着地すると首を回し、棒のついたアメを咥えた。
兄はキレイな黒髪で眼はオレと同じく紅く身長は高めで半袖のシャツに長ズボンというラフな格好だった。そして何よりとてつもなく眼つきが悪かった。
「初めまして、黒髪 月白(くろかみ つきしろ)といいます。よろしく」
喋り方はとても、優しそうな人だった。
見かけとのギャップに驚きを隠せなかった茜がそこにいた。
「オレの兄さん……髪が黒いのはなんで!?」
髪は黒くて目が赤いのはおかしい。色素障害なら髪や肌の色が白くなるはずだ。
「ああ、君が蒼か、ローレライから話は聞いていたけどやっぱり青に似ているな」
オレの質問を思いっきり無視したよ。
「おっと、話がずれたね、すまないねつい、えっと髪が黒いのは何かというと元々こうだったからとしかいいようがないんだ」
笑顔で言われても。
「月白、こいつらになるだけ分かりやすく反転を教えろ」
月白は、「はいはい」と返事をして茜たちの方を見た。
「えっと、まず、自分のタイプで話をするけど、反転がなにか分かるよね?」
「まぁ、なんとなくですが、たしか……自分のイメージを現実に干渉させる能力の総称のことでしたっけ?」
月白は頷き「そうだね、大体あってるよ茜ちゃん」と言った。
「じゃあ、君は能力を今使えるかい?」
茜は「出来ます」と言って手を出した。
『象徴は焔・器は知識・色は茜・形は不死鳥・大地に刃向かう翼となれ』
いつもどおり茜は詠唱をして炎を発生させた。
相変わらず便利だな。
「お、すごいね。じゃあ今度は詠唱なしでやってみようか」
炎を消してもう一度チャレンジしてみたが炎は出てこなかった。
結構難しいのか?
「あれ、おかしいな?」
もう一度、チャレンジするがなにも起きなかった。
「頭の中でイメージするんだ。自分なら出来る、自分は出来ると思い込でやってごらん」
「わかりました、頭の中でイメージするように……」
炎を浮かべ、自分の手に乗せるようなイメージか……分からん。
ボウッと手から炎が溢れ出した。
「流石、天才といったところか。そのイメージを忘れなければ大丈夫だよ。今の君はレベル4のタイプ魔術の『炎系使い《プロメ》』ってとこだね」
「レベル4?タイプ魔術?」
茜が首を斜めにする。
「えっと、レベルっていうのは、能力の危険度のことで主に八段階で区別される。タイプっていうのは、『魔術』と『超能力』に別けられて『魔術』は自分以外のものから先に干渉する能力のこと。『超能力』は自分から自分以外のものに干渉させる能力のことでなんだ。でもって『反転』はその能力の類をまとめって言ったものこと。そこからまた細かく区別するけど……ローレライから聞かなかった?」
茜は「なるほど」といって首を縦に振った。
「はぁ、……ローレライまたオレの話を聞いてなかったな」
「ち、違う。お前の話が意味不明なんだ――」
赤面するローレライ。
オレは、ざまぁ見ろ。とか心の中であざ笑ってみた。
「師が師なら弟子も弟子ってとこかな。さてと、その当の本人はわかっているのか?」
少し考え、こう言った。
「つまりこういう事ですか、『反転』には八段階のレベルでその強さを示し、タイプは主に『魔術』『超能力』区別されて、それぞれ干渉させる部分が違うだけ」
月白は「師匠とは似ても似つかないな。あ〜、オレ似たのか」と嫌味を込めて言っていた。
「ところで、月白さんの能力どんなものですか?」
茜が問う。
「えっとね、わかりやすく言うならば『法則無視《ルールブレイカー》』という狂った能力さ。タイプは『超能力』だよレベルは―――」
ふと、外を見渡すとあることに気付いたようにちらりとローレライの方を月白は見た。
「なんだ、言いたいことがあるなら――」
「追跡されている。数はパッと見で五十は攻撃体制に入ってる」
戦慄が全員に走った。
さっきとはまったく違う表情を月白は浮かべていた。
「オレが相手してくる」
座席から離れようとする月白
「ちょっと待ってください。このスピードで車から飛び降りたら慣性の法則で敵の相手をする前に肉片になってしまいますよ」
「大丈夫だ。どの道オレの能力は教えておいた方がいいしな」
〜『道路』月白〜
月白は自分の大きめのポケットからペットボトルを取り出した。
中には透明なドロリとした液体が入っていた。それを確認するとシートベルトを外し座席に立った。
「三分だ、三分あれば十分だ」
(三分は怪しいけどまぁ、いいか)
そう言ってローレライがブレーキを掛けたと同時に人間では、絶対に有り得ない跳躍をした。
着地すると、敵が月白を囲むような体制になった。
『黒髪 月白、黒髪 蒼 お前たちを第一級危険人物として殺人命令が下された。延命を望むのなら――!!』
拡声器の声が五月蝿いと思いつつ月白はペットボトルに入った液体を口に運んだ。
この液体の正体は高濃度の砂糖水なのだが、敵はどうやら危ない薬かなんかと勘違いしているようだった。
『全員に射撃許可を下す。即刻、黒髪 月白を射殺せよ!』
(決断が早すぎだよ、もうちょっと待ってくれても――)
アサルトライフルを構え引き金の引くのに時間は必要なかった。
だが、
その打ち出された弾丸は射撃手の元に倍速で帰って行った。
拡声器を持っている男は唖然とした。
月白は銃弾の薬莢を拾うとデコピンをして拡声器を持った男の頭を貫いた。
「終わったか」
ため息をついた。
月白は数え切れない死体を背にして車に戻った。
「「おい、まだ終りじゃねえ『戦車《チャリオット》』」」
懐かしく反吐が出そうな響きを感じながら月白は立ち止まった。
振り返ると体のいたるところに鎖を巻いた男がいた。
「その格好は……まさか!!」
顔を引きつらせて息を飲んだ。
「そのまさかだよ!!『戦車』」
月白は過去に『戦車』という名で呼ばれていた。しかしその名を知る者は少なくない。
「その、鎖……お前は『死刑囚』か。しかし都市も『帝の椅子《エンペラーオーダ》』を使うとは意外と早く動き出したようだな。わざわざ、オレを殺す為だけに来るとは」
「覚悟はいいか『戦車』?」
ニヤリと月白は笑い車の方にむかって。
「「先に行け必ず追いつく」」
車が走り出すところを見ると深呼吸した。
「『戦車』って呼ばれるのも悪くないな」
吊るし人が鎖を叩きつけた。
地面に当たった鎖は凄まじい轟音と破壊音を撒き散らした。
「これがオレの能力『罪人の鎖《タンタロスチェーン》』この鎖に拘束されたものは破壊する事ができる」
「スゲー能力だな」
月白はコンクリートの破片を拾いデコピンをした。破片は銃弾をも超えるスピードで一直線に飛んだ。
紙一重、『死刑囚』は鎖を手前に引き一撃に耐えると鎖で再び月白を襲った。
「お前も相変わらず無茶苦茶だな。だが、これでどうだ!!」
構えを変え鎖を地面に突き刺すと月白の足元から無数に分裂した鎖が飛び出した。
瞬間的に後ろに飛び跳ねる。
「『見えざる鎖《イービルチェーン》』とでも言っておくか。この鎖は便利でな自分の体の一部みたいに操れてどこまでも伸ばす事が出来る……こんな感じにな!!」
ベコンと鉄板が軋むような音が後ろから聞こえた。
振り向くと見覚えのあるオープンカーが鎖に縛られていた。
「―――ッ!! テメェ、いい趣味してやがるな」
口調が荒くなりし正直焦る。
「安心しろ、中にいるガキは気絶しているがちゃんと生きてる。ただし、この後生きるか死ぬかはお前の返答しだいだ」
―――生きているという事実だけ知れば事足りる。
「で、オレは何をすればいい?」
「鎖に拘束されろ、そうすれば―――!!」
「聞く気はさらさらないけどな」
先ほどまで十メートルほど離れていた距離を一瞬で縮めていた。
「答えを言う前にオレの能力を忘れたか? 『法則無視』と言えば一発で思い出すか」
『死刑囚』の顔が一気に青ざめ体中の力が抜けていったようだった。
そもそも、月白の能力『法則無視』とは、自分のおもいどおりに物理法則を捻じ曲げたり利用したり再構築する能力である。つまり彼自体が物理法則に限りなく近い存在。
そんな能力でもレベル7。
「そうか、そういう事だったのか。オレは単なる噛ませ犬だったということなのか」
月白は吐息を交えながら目つきを変えた。
噛ませ犬というのが気になるが、奴は真実を吐く気もない、殺す。
「答えはわかっているかもしれないが答えは『ふざけんな』だ」
簡単で明白な答えだった。
「これでお終だな『死刑囚』――」
――グチャリと肉が千切れる音がした。
『死刑囚』はその場に倒れた。
「……オレを……殺したと言う事は……都市を……敵に回すという事だ」
引きつった顔で高らかに笑いながら『死刑囚』は死んでいった。
「そうだな、だからなんだ。もう後に先にも引けねぇンだ。そう決めたんだよ!!」
自分に言い聞かせるように、自分に鞭を撃つように、自分の覚悟を揺るがせないように放った言葉だった。
――オレは家族を守るために手段は選ばないとそう決めた。
〜『道路』蒼〜
気がつくと車はさっき月白のいたところに戻っていた。どうせ蒼が眠っている間に師匠が逆走したのだろうとしか認識していなかった。月白が車に戻ってくると師匠は運転を開始した。
「すまない、とんだ邪魔が入って予想以上に手間がね。さて話の続きといこうか」
さっきの戦闘を見た茜は唖然として困惑を隠しきれていなかった。
「え〜と、先ほどの戦闘で何が起こったのかよく分からないのですが……」
「簡単さ銃弾を反射して撃った相手にそのまま返しただけさ」
さらりと自分の能力が極めて危険であることを言った。
「それって物理に関係する能力という事ですよね」
「そうだよ。この『法則無視』は分かりやすく言うと物理法則を操る能力だよ」
オレは反転が使えないので話自体に興味があまり持てなかった。それよりもこれからどこへ行くのかという方が気になっていた。
「これからどこに行くのですか」
と尋ねると
「とりあえず、『ガイア』にいる黒髪家の生き残りのニ人を救出する」
蒼は顔を険しくした。
――家族に会う。
それをオレは、いやオレたち兄弟はずっと待ち望んでいたのだろう。少なくともオレはそう思う。
「場所は第十一区の化学薬品研究所の地下三階と第二十区の電子開発研究所の最深部に収容されているはずだ。これから二手に分かれて行動する。オレと蒼で電子開発研究所に行く。茜とローレライで化学薬品研究所に行ってくれ、戦力的に問題ないだろ?」
ローレライは頷いた。
「よし、約一時間後には目的地に着く。それまで各自準備をしていろ」
蒼はナイフを数本取り出し刃の位置を修正した。
「ところで蒼」
ふと月白が尋ねた。
「ん、どうした」
少し苦笑いしながら言った。
「一体、何本ナイフ持ってきた?」
「六本と投げる用のナイフが二十くらい」
月白は「見つからないように気をつけろよ」とだけ言って目を閉じた。
〜『第十一区』〜
車を駐車場に置きそれぞれ目的地に向かって行った。蒼たちは徒歩で第二十区に向かった。
途中にあったコンビニで飲み物と弁当を買って軽く食事を済ませた。
目的地の電子開発研究所に着くと月白はさっきコンビニで買っておいたアメを取り出し口の中に入れた。
「さて、裏に回るか。ついて来い」
研究所の裏は駐車場になっていた。
建物の隅の方に行くと排気ダクトがあった。
「あった、あった、ここから入るぞ」
そう言って月白は力ずくでネジを外して中に入った。
ダクトの中は意外に広かった。月白はエレベーターを探してダクトの中を進んでエレベータの天井に着いた。
「よし、なんとか着いた。こっから飛び降りるぞ」
下を見ると暗くてなにも見えなかった。
「無理無理無理、ここから落ちたら死ぬって!!」
有無言わさずそこから蒼を抱えて飛び降りた。
体から重力が抜けるのがよく分かった。着地すると月白はまたアメを口に入れた。
「ここが最下層か、開けるぞ」
エレベーターのドアをこじ開けると真っ直ぐな廊下の奥にひとつだけ扉があった。
開けようとするがロックが掛けられていた。
「ダメだ、開かない」
「オレが開ける」
そう言って月白は扉を蹴り壊した。
「……やり過ぎた」
中に入ると一人の少女が椅子に座っていた。
「あれ、確かオレが一番歳下の人間じゃ?」
「人間を見かけで判断するな」
軽く蒼の頭を小突くと少女はクスクスと笑い始めた。
「あなたたちだぁれ?研究員の人じゃ、なさそうだけど?」
少女は無垢に首をかしげた。
「オレたちは研究員ではないよ」
少女はわらいながらいった
「あたしは黒髪 萌葱《くろかみ もえぎ》っていうんだ。」
「オレは黒髪 月白だ」
「同じく黒髪 蒼、よろしくな」
と二人は軽く挨拶をした。
「ところで萌葱、聞きたい事があるけど聞いていいかな?」
キラキラと可愛らしい笑顔で「なぁに?」と聞いた。
「何番目の兄弟だ?」
「たしか、一番目だよ」
蒼と月白はその言葉を理解するのにさほど時間は必要ではなかったが、その言葉を受け入れるのにしばしの時間が必要だった。
「つまり、萌葱がオレの姉さんにあたるのか……」
月白は萌葱の見かけと順番のギャップについていけず頭を抱える。
「どうしたの?頭でも痛いの?」
少し心配になる萌葱、可愛いな。てか、本当に一番上かよ!?
「いや、なんでもないところで―――」
いきなり警報が鳴り出した。
「――ッ、もう鳴り出したか」
警報が鳴り出してから警備員が蒼たちを銃で囲むのに時間はそこまで必要ではなかった。
というかドアをぶっ壊した月白のせいだろ。
仕方なく両手を上げる蒼たち。
『いや〜、まったく余計なことしてくれたな』
警備員の間から一人の研究員らしき人間が現れた。
研究員を見た途端に萌葱は身体を震わせながら怯えだした。
それを見た月白は敵意の視線を送った。
「おいおい、まさかこの相手を守りながら倒すつもりじゃないよな。流石の『法則無視』でも無理だろうな」
さらに険しい顔を浮かべる月白。
オレは眼中に無いのかよ!! と心の中で叫んでいた。
「オレの能力を知っているのか?」
さぁ、とはぐらかすように研究員は言った。
さっきまで椅子に座っていた萌葱が蒼のズボンにしがみついていた。
「(どうした萌葱?)」
「(あの科学者ね、あたしのことを殴ったり蹴ったりするの。だからあたしここから出たいの)」
と泣きそうな声で言った。
それに気付いた警備員の一人が萌葱を蒼から引き離したが刺さるような痛みに襲われたのか萌葱を研究員の前に投げ飛ばした。
「――チッ、テメェのせいで余計な仕事が増えちまったじゃねえか」
萌葱の小さな体を研究員は踏みつけた。
「やめろ!!」
と蒼は叫んだが研究員は笑いながら
「こんないい声で泣きやがるんだぞ、やめられねーよ」
その瞬間、蒼は自分の頭からブツンッ、と何かが切れる音がした。
「……やめろ」
呟くように蒼は言い放った。
「聞こえねーし、聞く気もねーよ」
研究員は冷淡にあざ笑った。
――月白が何かを叫んでいるのが見えたが、それ以上に萌葱が、いや姉さんが踏みつけられて声を上げて泣いているのが見えた。
それを見た蒼は生まれてはじめて殺意を剥き出しにした。
『象徴は水・器は力・色は蒼・形は海蛇・我に付き添う牙となれ―――』
隣にいる月白ですら何を言っているのか聞き取れないくらい小さく呟いた。
――そして静まり返った部屋で蒼の激昂と共にその能力は発動した。
警備員たちがこの世のものとは思えない悲鳴を上げながら干からび始め、その身体から抜け落ちた真紅の体液は蒼の手に集まっていった。まるで主に付き添うように。
真紅の体液が槍のように鋭くなり研究員を貫いた。
「おいおい、この能力は、まさか『水系使い《ハイドロ》』か? いいやこれは―――」
深くゆっくりと呼吸し言い放った。
「これは、『水郷ノ理《メビウス》』だ」
「『水郷の理』?」
萌葱が聞き返す。
「『水郷ノ理』は、反転の中でも水と氷と水蒸気そして水溶液を操る能力の事だ。つまり『水郷ノ理』は本当の意味で水を自由に操る事ができる能力だ」
この瞬間をもって蒼の反転は覚醒した。
「……そして、蒼は暴走している」
重大な事実だった。
暴走した蒼が月白たちに危害を加えるか分からない状況だった。
「じゃあ、あたしが止めてあげる」
萌葱はその幼く華奢な体で蒼に近づくと蒼が敵と誤認し紅い槍状の液体を飛ばした。
しかし液体は萌葱の体に触れて消滅した。
「あたしの能力は『雷鳴天使《エレクトリックエンジェル》』と言って磁場と電気を操る能力よ。『水郷ノ理』からしてみれば分が悪すぎるわよ」
磁場の反発を利用し一気に距離を縮め蒼の胸に手を当てると、耳障りな空気が裂ける音が散乱した。
その場に蒼は倒れた。
月白は吐息をつき蒼を抱え込み地上に戻って行った。
『黒髪 萌葱救出成功』
〜『第二十区』茜〜
指示どおりに化学薬品研究所に到着すると茜は深呼吸して建物の前に立った。
この建物のどこかに蒼の家族がいる。
「気を引き締めろ、これから命の保障は無い」
今まで命のやり取りなど、二ヶ月前はそんな事微塵も思いもしなかった生活していた茜に突きつけられた恐怖に襲われた。
「……はい」
ローレライが正面玄関から入ると受付のところに行った。
「何かご用件でも?」
と受付の係員が話しかけた。
「え〜と、今日は布教活動の予定日なのですが」
係員が予定表を確認すると何か書かれていたのか笑顔になった。
「たしかに今日は布教活動の実施日になっています。どうぞあちらにエレベーターがありますのでご自由にお使い下さい」
ローレライは一瞥してエレベーターの方に向って行き中に入った。
「場所は分かりますか?」
「わからないが逆を言えばわかる場所にはいない。つまり地図に載っていない場所にいるという事だ。つまりこの建物の空白の部分がある場所、おそらく地下だろう。とりあえずエレベーターで行ける地下五階に行く」
ボタンを押しエレベーターが作動した。
しばらくすると扉が開いた。茜は地図と睨み合いしながら空白の部屋の位置を絞り始めた。
部屋の間取りを確認すると一箇所だけ引っかかった。
「この右側の三番目の部屋の広さが地図と一致しないように見えます」
部屋に入ると物置になっていたためか物が積み重なっていた。それを計算しても地図の間取りより狭かった。
「この部屋のどこかに扉か何かがあるはずだ。慎重に探すぞ」
茜たちはその物置をくまなく調べ始めた。
しばらくしてローレライが荷物を持ち上げると床に扉がついていた。
「あったぞ、ここだ」
「ここに蒼の家族が……」
ローレライは扉を深呼吸しながら上に持ち上げた。
下にはハシゴがありローレライたちは降りた。
降りた場所は薄暗いガラスの牢屋だった。
「おやおや、ここに一般人が来るなんて珍しいでありんす」
独特の口調で檻に近づいた和服の女性が来た。顔はよく見えなかった。
「お前、名前は?」
ローレライが目を細めながら言った。
「わっちは、
黒髪 紫紺と言うでありんす」
一息で言うと軽く会釈した。
「ふん、話が通じそうな奴でよかった。単刀直入で言おうここから出ないか?」
手を顎の下に乗せて首を捻った。その後、牢屋を少し歩き周り言った。
「ここから出れたらもう出ているでありんす」
紫紺は腕を横に開いた。
「なら、私が出してやろう」
「ほぉ、この『対反転装置』が作動している室内でわっちを助けると?」
茜は試しに炎を出してみると二秒ほどで消えた。
それを見たローレライはしばらく頭を押さえ考えはじめた。
「装置は電気で動いているのか?」
「詳しい事はわりんせんが停電が起きたときはわっちの『
王の雫』が使えたからのう」
と自慢げに話す紫紺。
「『王の雫』ってどんな能力なんですか?」
「ふむ、『王の雫』とは主に酸性の劇物を操る事のできる能力で、だから牢屋の檻も腐食しないガラス製なんでありんす」
笑顔で紫紺は微笑んだ。
「それより、どうやってここから出るかが問題だ」
深刻な顔でローレライは言った。今ここに蒼が居ればあの馬鹿力で万事解決していたのだろう。
「仕方ない警報装置を作動させて送電を遮断すれば―――」
「ここの電気を止めたとして三十秒ほどで予備電源に切り替わるでありんす」
茜は軽く微笑んでいった。
「三十秒あればその檻くらいなら簡単に焼き切れます」
自信があった。
自分なら出来ると思い込んだ。
「そうか、それなら私は警報装置を作動させる」
そういってローレライは部屋の隅にある消火栓の上にあるスイッチに手を乗せると茜たちの方を見た。
「……いくぞ」
ガラス製の檻を握り茜は頷いた。紫紺は奥の方に避難した。
カチッとスイッチが押された
耳障りな音が響いた。茜はその音が鳴った瞬間に炎の出力を最大にした。
タイムリミットが近づいてきていた。剥き出しなった焦燥がさらに茜を襲った。
『―――ッ、溶けろォォォォォォ!』
檻は赤熱した炎でドロリと融解し始めた。
予備電源に切り替わると茜の炎は一瞬で消えた。檻の中はまだガラスが赤くなっていた。
「はぁ、はぁ、なんとかセーフ……」
その場に座り込みため息をついた。
「本当にお疲れさんでありんす」
そう言って紫紺は檻から出てきた。
「急いで出るぞ」
ハシゴを昇った茜たちは通路に出るとエレベーターに向った。エレベーターの前に立つとローレライがスイッチを押した。
エレベーターの扉が開くと武器を持った警備員が五人ほどいた。
「動くな、全員その場に伏せろ。さもないと射殺する」
茜とローレライはその場に伏せようと身をかがめようとした。
「そんな武器でわっちを殺すとでも言うでありんすか?」
紫紺は物凄い異臭を放つと銃が煙を立てて溶け始めた。
「な、なんだ、これは!」
慌てふためく警備員を見て紫紺は言った。
「濃塩酸でありんす」
警備員は騒然としていた。
濃塩酸とは濃度が九十パーセント以上の塩酸の事で大変危険な薬品だ。
「お次は『硫化水素』でありんす」
激しい腐卵臭が鼻に突き刺さった。
茜は息を止め、目を瞑った。
このままだと死ぬ。
顔を上げるとそこには中毒を起こした警備員が倒れていた。
立ち上がり建物の外に出ると紫紺は背伸びをして深く息を吸った。
「久々に日光を浴びたでありんす」
今まで暗くてよく分からなかったが紫紺は黒髪に碧眼という不思議なコントラストだが日本美人そのものだった。
……最近、美人に出会う回数が増えた気がすると不覚にもそうおもっていた茜だった。
『黒髪 紫紺 救出成功』
駐車場で六人が再開し、四人乗りの車に無理矢理六人は乗っかった。
「お前が紫紺か?」
「そうでありんす」
「オレは月白だ。よろしく」
「でもってオレが蒼だ、よろしく」
「よろしくでありんす」
「このあたし萌葱の事も忘れないでよ!」
「それはすまないでありんす」
「へぇ〜その子が萌葱ちゃんなの蒼?」
「そうだよ、茜」
「よるしくね、萌葱ちゃん」
「よろしくおねがいします」
「お前らうるせぇぇぇ!」
ローレライが思わず叫んだ。
「これからどうする?」
月白は少し考えてから言った。
「蒼の住んでいた『ダウナー』に行って見るか。明日には色々準備が整うだろうし」
蒼と茜は戦慄が走った。
「この人数の食料を調達するのか……」
茜は蒼の肩を叩いて慰めた。
蒼はとてつもなく大きいため息が口から出て行った。
終り