釣り人は再び劇場に戻っていた。
そこには今日も数名の観客と仮面の男がいる。
毎日いるわけではないが、今回は釣り人の成果を確認するためにやってきていた。
リーダーの仮面の男、詳しく言うならば月を模した仮面で顔全てを覆っている紳士服の男となる。
月の顔にへばりついた笑い顔が余計に不気味を誘う、何故こんな男がリーダーなのかは釣り人もよく知らなかった。
というより、釣り人は結社の事にはさほど興味がないと言ってもいい。
結社は釣り人にとって特殊な依頼を受注する場所でしかない、それは観客である他のメンバーもさほど変わらない筈だ。
結社のスカウトに受かる人物は大抵一筋縄ではいかない人物のため、互いに個人的な付き合いはないが。
では何故、釣り人や結社の他の人物達はリーダーに従うのか。
理由はいくつかあった。
一つ目は結社から定期的に供給されるものが彼らに有用であるため。
二つ目は彼らの能力は表に出せないいものや、危険度が高いものが多く、普段使用する事が出来ないものが大半だ。
しかし、結社はその辺の隠蔽工作は完璧にしてくれるため。
三つ目はやはり……リーダーに対する恐怖という事になるだろう。
何物かは分からない、その実力も不明だ、しかし、これだけは言える。
結社の全員が束になっても敵わないだろうと……。
「さて、ソード……いや、釣り人よ」
「はい」
「成果のほうを見せてもらえますかな?」
「了解しました。おい」
釣り人が舞台上に一体の魔物を持ちあげる。
体格的にも力がない事が明白な釣り人が持ち上げられた事からもさほど大きくはない事が分かる。
金色の魔物、それは力が強いとか、魔力が高いとかそういうものではない。
見た目も大型の犬とさほど変わらない、大きさだって1m程度、
色が純金のようでなければ毛がもっさりしたゴールデンレトリバーで通るかもしれない。
単純に金色であるというだけでもある意味凄いのだが、実際の凄さはその能力にある。
釣り人は持っていた剣で、ついでと舞台上にあげたゴブリンを傷つける。
だが、そこに金色の魔物を近づけると、みるみる傷がふさがって行った……。
「この通り、本物である事は間違いないと思いますが」
「流石ですね、よくぞやってくれました」
「へぇ、こりゃ回復魔法いらずだね」
「キッスに気に行ってもらえたのは嬉しいけど、敵味方の識別が出来ないので普通の使い道はあまりないですがね」
「なんだ……」
明らかに落胆した雰囲気が客席から伝わってくる、客席、そう釣り人と同じ組織のエージェントという事になる。
キッス、それにグリフィンと呼ばれる2人はよく会話に割り込んでくる。
釣り人はこの2名は恐らくリーダーに近しい存在なのだろうと踏んでいた。
残る客は基本的に自分の報告をする時以外は口を開かないからだ。
「さて、報酬ですが、例の物でいいですか?」
「5つほど頂けると嬉しいですね」
「残念ですが在庫がね……3つならありますが」
「分かりました、それでよろしくお願いします」
「釣り人は商売上手ですね」
「いえ、リーダーほどじゃありませんよ」
そう言って釣り人は金色の魔物をリーダーに引き渡す。
例の物、これこそ彼らが皆リーダーに従う理由と言えた。
恐怖もある、自分達の能力を使える愉悦もある、しかし、やはりこれが一番の理由だろう。
「それじゃあ、お先に失礼させてもらってもいいですかねぇ?」
「ご自由に、今後とも活躍を期待しますよ」
「了解、次の依頼があったら呼んでくださいな」
そう言って釣り人は皆の前から去った。
劇場からある程度離れ、人目のない事を確認してから懐から渡されたものを取り出す釣り人。
それは、血の色をした粒だった、大きさは小豆くらいのものだろうか。
こんなものが報酬である事を普通の人間ならば怒ったかもしれない。
それでも釣り人は満足だった、定期的に貰う事が出来る粒はまさにゴマ程度の大きさでしかない。
それとは比べ物にならない大きさであるし、何よりその濃度も違うはずだった。
「取りあえず一気に行ってみましょうか」
その言葉と共に、釣り人は赤い粒を3つ、一気に飲み干した。
ドクンッ!
急激に何かが活動する音が聞こえる、心臓がオーバーヒートを起こしたように早鐘をならす。
釣り人は立っていられなくなり、その場にうずくまり、そして最後には倒れてビクンッ、ビクンッと痙攣を起こした。
肉体にも精神にも強烈な打撃を受けた釣り人は30分ほどでどうにか立ち直り近くの壁に背を持たれる。
「ははは……流石に一度に3つはきつかった……でも分かりますよ……これで……」
釣り人は無意識だろうか、周囲に霧を作り出す。
ある種の結界が発動しているようだった、釣り人の腕に紋章のようなものが浮かびだす。
霧の結界、それはある種の認識を阻害し、幻影を見せる効果がある。
腕に刻まれたその紋章はその力だけしか持っていない。
他の能力があるのかは分からないが、認識阻害、幻影、の2つの効果を使えば大抵の事は出来た。
しかし、今まで長時間はそれを行えず苦々しい思いをしていた事もあった。
だが……。
「これなら、ちょっとした幻影ならまる一日くらいもたせられそうですね」
つまりそう言う事だ、あの小豆大の粒3つで釣り人の魔力は倍ほどに膨れ上がっていた。
そう、魔力増幅薬とでも言えばいいのだろうか、もっとも副作用がある可能性は否定できない。
肉体がどうにもついてこれないのだ、筋肉が悲鳴を上げる事もある。
そんな薬を3つ同時に飲んだ釣り人もかなりの物ではあるが……。
「さて、次の依頼まで時間があるしゆっくり休んでおかないとね」
そうして、先ほどまでの興奮もどこへやら、釣り人はまたのほほんとした表情でのんびり歩き始めた。
そうしてみると、本当の釣り人にしか見えない辺りこの格好に年季が入っているのがうかがえた……。
釣り人の行方、どちらかというと金色の魔物の行方かもしれないが、
それを追いたがるティスカをなだめ、すかし、一度カントールに戻る事になった。
ティスカの魔女ルックは目立ち過ぎるので、ティアミスとフィリナ(アルア)が服を見つくろいに行っている所だ。
俺達は、今度の依頼でどうにか報酬を受け取る事が出来た。
別に”栄光の煌(きらめき)”が報酬を残しておいてくれたわけじゃない。
この依頼には情報提供と、討伐が別件になっていただけだ。
そして、俺達からの報告と、冒険者協会の調査。
それから被害がその後出ないかの確認のため、一週間ほど待たされてようやく報酬が出た。
そのため、既にアッディラーンで別の小さめの依頼を受けてこなしたりもした。
その間ティスカは釣り人の捜索をしたがったが、俺達の手伝いをさせる事にした。
その代わり宿や食事、それに小遣い等を渡して懐柔、かなり上手く行ったようだった。
その間はティアミスに頼んで服の予備を貸していたのだが、幸い報酬も出たので服を買いに言っている次第である。
「所でボゥイ、リトルレィディの事、今後どうするつもりだい?」
「そうだな……やっぱり、”桜待ち亭”に住み込みで働かせてもらえないか頼んでみるかな」
「それがいいじゃろうが、ウアガの弟妹達もあそこの手伝いをしているのじゃろ?
まだバイトが必要じゃろうかのう……」
「……あー、そうだったな」
確かにそう言う事もあった、そうなると人数が不足している可能性は低いな……。
しかし、他に小さな子を働かせても安心なんていう所はそうないしな……。
ただ、背の低さからあまりそう見えないとはいえ、貴族全とした格好をしているエイワスや、
この世界で長年暮らしてきたニオラドのような年長者も心配してくれているのは嬉しい。
価値観にそう違いはないのだと感じられるからだ。
「単純に養うには俺達の財産はかなりきつしな」
「まあの、一カ月やそこらは何とかなるじゃろうが、一番の問題は依頼を引き受けた時どうするかになるじゃろうの」
「そっちの問題もあったか……面倒を見てくれる人も必要になるな」
そう言う意味でも”桜待ち亭”のアコリスさんは頼りになるんだが……。
流石にウアガの弟妹達を引き受けてくれた上、そちらも頼むと言うのは気が引ける。
そうなると……と、考えてみれば金持ちの知り合いなんてサンダーソン家のお坊ちゃん……。
と言うには筋肉が過ぎる悪趣味な服装しか思い出せないソレガン・ヴェン・サンダーソンくらいか。
ソレガンとは和解もしたし、依頼も受けたが、そこまで親しいかと言われると自信が無い。
そもそも、謹慎をくらっていると風の噂(アコリス情報)で知っているので、頼みに行く事も出来ない。
冒険者協会は当然色々問題になる、この国の教会も信用できるかかなり疑問だ。
「やっぱり俺達で面倒をみるしかないんじゃ……」
「バカモン、それが出来るくらいなら冒険者なんぞやっとると思うのか?」
「う……」
「一つ所に留まらない冒険者なんかが子育て出来る訳が無いのでーす」
ニオラドじいさんと、エイワスから当然のように駄目だしを食らう。
確かに、冒険を子守しながらするなんて、無茶もいい所だろう。
それでも、他の手はなかなか思いつかない、あの子を守れて信頼できる人物なんて思いつかない。
やはり……旨く資金を手に入れて組織的な活動を開始すべきなのだと思う。
そりゃあ、金が落ちているわけもないが、情報産業というのはこの世界においてまだ確立されていないだろう。
上手くすれば十分稼げる可能性はあった。
ただ、初期投資がどれくらい必要になるのか不明なのが痛い所だ。
「まあ、カントールに戻ったらとりあえずアコリスさんに聞いてみる事にするさ」
「私も知り合いの所に聞いて回る事にしまス」
「息子夫婦にでも聞いてみるかの?」
そんな事を離して言ううちに、服を見つくろったのだろうティアミス達が帰って来た。
俺達は手を挙げて居場所を示すと3人が寄って来た。
「食堂に入り浸りなの?」
「まあ、相談もあったからな」
「リトルレディのこれからの事ですよ」
「うちの事なのだ?」
さっき相談していた事を一通り話す。
ティアミスは確かにアコリスさんならというような顔をしているが、ティスカ本人は眉根を寄せている。
見た事も聞いた事もないのだから当然かもしれない。
「うちは冒険についていっては駄目なのか?」
「駄目って事はないが、”栄光の煌”の事を考えるとアッディラーンでは活動しないほうがいいな」
「アッディラーン以外ならいいのか?」
「まあ、カントールで冒険者協会の試験をパスしたらいいわよ」
「試験?」
「冒険者として相応しいかどうかを判断するため、知識、正義感、運動能力、健康さなんかを調べる事をいうの」
「そうなのかー、ティスカは元気なのだ!」
「まあ、健康もそれなりに重要なのだけど……」
まあ、そうだよな……。
それに、どの道まだ試験は少し先だ、2カ月くらいは待たないと行けない。
ティスカがその間大人しくしていてくれるかどうか……疑問だよな(汗
「ともあれ、一度カントールへ戻るのは悪くないと思う」
「本当はもう少し色々と回りたかったのだけど、仕方ないわね」
「カントールとか言うところはいい所なのか?」
「人情味にあふれたいい町よ」
実際に冒険者をするためには先ず常識を叩きこまねばならないだろうが……。
基本的に人のいいティスカだから、時間はかかっても問題はないだろうとは思える。
しかし、それまではどうするか……。
色々考える事は多いながらその日のうちにカントールへと向けて旅立つこととなった。
アッディラーンに結局一カ月もいられなかったな……。
カントールから3日ほど北東にある山村、カートナ村。
街道からは外れているが、200人ほどの人が暮らしている。
羊の遊牧をしており、草のある土地をいくつか移動しているが、
それほど広い地域を回っているわけでもないため季節によっている場所は特定できる。
そんな村からの依頼でパーティ”先駆者”、そう、シンヤの指導を受けた彼女らがやってきていた。
男2人に女2人というパーティ構成は珍しいともいえる、
女性は後衛であることが多いため前衛の少ないパーティにはいないものだ。
冒険者の男女比は男8対女2という所なので、男ばかりのパーティのほうがどうしても多くなる。
「さて、この依頼は私達の受けた3件目の依頼よ、
これを完遂すれば私たちのパーティもこれからは不安がられずにすむわ」
「おう! もう俺達を舐めさせねぇぜ!」
「まあ若いからしかたないどすが、最初がひどおしたものねぇ」
「ぐっ、その事はいわねぇ約束だろ!」
「まあ、兎も角じゃカーツ、最初に思い知ったじゃろ。お主は盗賊じゃ、熱くなるなよ」
「フンッ、わかってらぁ、もうあんな格好悪いマネが出来るかよ」
背の低い髭面のドワーフに注意されて歯ぎしりしそうな顔になっているのはカーツ・ロイノットという。
赤毛で160cm程度の身長、褐色の肌がアラビア風ともいえる風貌を作り出している。
勝気ですぐ熱くなる性格のため、パーティを危機に陥れた事があった。
その事を指摘されると、流石にバツが悪いのか、それ以上は強く言えないようだ。
「まあ、あまり人の事は言えんがの」
それを見て、自分も自嘲するように笑ったドワーフはドロゴン・オルダノフという。
髭面で重武装、プレートメイルとバトルアックスという組み合わせはかなり凶悪だ。
しかし、ドワーフのため、身長は130cmに届くか届かないかという所である。
「それで、今回の依頼どすけど……」
「うん、村に出没するゴブリンの討伐ってなってる。
だけど、ゴブリンといっても、ホブゴブリンやゴブリンシャーマンがいる可能性もあるから気を引き締めないと」
神官服を着た丸い体型の女性が言うのに対し、魔法使いのローブと杖を持った蒼い髪の少女が答える。
神官服を着た女性はソテーナ・ファ・リルマカ、黒髪とつぶらな瞳をしているが、節制できていないのかかなり横幅がある。
装備出来る鎧がないのか素の神官服のみである。
魔法使いのローブを着ているのがエリィ・ロンド、パーティのリーダをしている少女だ。
髪の色は水色に近いブルー、そして瞳の色もアイスブルーという特徴的な顔立ちをしている。
少し色素の薄い美人になりそうな面立ちの少女である。
4人は、村に被害を出しているゴブリンの討伐依頼を受けここに来ている。
被害は主に家畜で、既に10頭を超える羊達が既にゴブリンに持ち去られたらしい。
冒険者協会の見解では既に食べられている可能性が高いと言う事になっていた。
「目撃されたゴブリンの数は6匹、1匹だけ少し大柄だったと言う事はホブゴブリンの可能性が高いわね」
「ホブゴブリンって、ゴブリンとどう違うんだ?」
「オークは知ってるでしょ、あれほどじゃないけどかなり力の強いゴブリンよ」
「カーツなんて一発でKOされそうどすな」
「ちょ!? お前らな!!」
「バカもん、お前は正面からやり合う必要はないんじゃ。それはワシの役目じゃろ」
「まっ、まあそうだけどよ……」
カーツはバツの悪そうな顔をする、最初の冒険以来彼が突っ込む可能性を他のメンバーから何度も指摘される。
カーツにとっては面白くない話ではあるが、同時に好きな子を守るためにこのパーティに参加したのだから、強くも言えない。
つまり、最初の時以後、カーツは暴走する事が出来ないようになっていた。
ただ、その分ストレスはたまっているのも事実だったが。
「だが、前衛がもう一人欲しい所じゃの」
「そうですね、私も探しているんですけど」
「ケッ、俺達だけで十分だろ?」
「カーツ……」
「っ、わーってるよ。俺は戦士じゃねぇ、前衛はやらねぇって」
「アチキらも小柄な子ばっかり集まってるからねぇ」
「一番でっけぇてめえが言うな」
「カーツ!」
「……すまん」
「そういえば、例のパーティ”日ノ本”の戦士ウアガ・ドルトネンが脱退したと聞いたぞ」
「えっ、そうなんですか?」
「なんでも、カントールからあまり遠くまではいけないそうじゃ。
幸いワシらはまだ遠くまで行くような冒険もせぬ、誘ってみてはどうじゃ?」
「はい、帰ったら相談して見る事にします」
それに対し、これ以上パーティメンバーが増えることを歓迎しないカーツはケッと小さく呟くが、
当のエリィは考えに沈んでいるらしく、聞こえなかったようだ。
怒られずに済んだ訳だが、カーツにとってはそれも気に入らないらしく余計不機嫌にしている。
「カーツよ、お主このままでいいのか?」
「どういう事だよ?」
「お主がそうやって人を遠ざけようとするのは、自分が認められたいと言う心の裏返しであろう。
しかし、そうして2番になるものがいないから1番、等という心の狭い事をやっていると、信頼を失うぞ」
「……大きなお世話だ、バカ野郎」
本当はカーツも分かっているのだ。
こんな事は子供じみた我儘でしかない事は、しかし、それでもカーツはエリィの近くにいたかった。
単純に言えば初恋、初めてあった時から今まで数年、ひたすら思い続けうっ屈してしまった恋心のせいだったかも知れない。
そんな彼が冒険者を目指したのもエリィのためだった。
しかし、体格的にも体力的にも戦士にははじかれてしまい、生来の器用さを生かせる盗賊となった。
それ故だろう、戦士や剣士といった前衛職に対して対抗意識が強くなってしまったのは。
「何もかもあいつのせいだ……」
そう、ぼそりと誰にも聞こえないように呟くくらいしかストレスの発散方法がない。
現在のカーツはそんな状態に身を置いていた。
他の3人はカーツの事なんて知らないかのように村へと入っていく。
村は遊牧をするためだろう、家が立っておらず、テントの集合体のようなものが立っていた。
その中でもひときわ大きいものにエリィ達は入っていく。
カーツも急いで追いかけて行った。
「おお、来てくださったか」
「どうも、パーティ”先駆者”のリーダーをしていますエリィ・ロンドといいます」
エリィが村長から詳しい話を聞いている。
実際、細かい下調べ等は盗賊のほうがいいのだが、カーツにそんな気をまわしているだけの余裕はない。
いつも、言われてからする事しかできなかった。
エリィはざっと話を聞いてから、ゴブリン対策用の罠を作り対抗する事を思いついたようだった。
「カーツ、罠を作るのは可能?」
「ああ、幾らでも作ってやるぜ」
「じゃあ、夜までに出来るだけ多く作って置きに行くわよ」
「わかった、ちょっと待ってな」
対ゴブリン用の罠は基本的に動物を捕らえるためのもので問題ない。
ただ、数を多くと言われても、持ち込んでいる罠はそう多くない。
現地の物を流用した罠を作るのが一番だろう。
「持ってる罠はこんなところだ、後は現地の物を流用したいんだが」
「わかったわ、それじゃ行きましょ」
とはいっても、羊達を休ませる厩舎だから、テントからそうはなれた場所というわけではない。
放牧している昼ではなく、夜を選んで襲ってくるのは場所が限定されているからだろう。
羊達はだいたい3か所ほどの厩舎のどれかで休む事になる。
つまり、カーツは3か所全てに必要なだけ罠を配置しなくてはいけないと言う事だった。
「厩舎の周辺の草を結んで足取りの罠を作る。殺傷力はないが足止めくらいにはなんだろ」
「分かったわ、私達も手伝う」
「ああ、あんまり目立つ所に作るなよ。草が多く繁っていて分かりにくい所に仕掛けるのがコツだ」
「うん」
エリィとまともに会話ができた事を少し喜びながら罠の設置を続ける。
カーツは自分の現状は結局のところ実力を示し続けるしかないと知ってはいるのだ。
だから、こういう場面は手を抜くつもりはなかった。
「とりあえず草のトラップと厩舎の構造を利用したのを幾つか、それから虎バサミをしかけてみた。
しかし、3か所同時だったからな、確実性は微妙な所だ」
「でも、足止めと発見のための足がかりくらいにはなってくれるはずどすな?」
「それは問題ないだろ、一個くらいは必ず引っかかる」
「では、後は待ちじゃの」
状況を考え、人がいなくなるようにしなければならないので、隠れて待つのも少し難しい。
羊の群れの中にでも隠れれば多少ましだが、糞尿まみれになること請け合いだ。
それから数刻日暮れが過ぎ、夕食を終えた頃、悲鳴のような声があがった。
「かかった!」
「行くぞ!」
カーツとドロゴンは足早に悲鳴の上がった厩舎に向かう。
エリィとソテーナもいっぽ遅れたもののそれに続いた。
そこにいたのは予想通りのゴブリン達、ただ情報とは違ってホブゴブリンだけではなくゴブリンシャーマンも混ざっていた。
数はゴブリンが5、ホブゴブリンが1、ゴブリンシャーマンが1。
ゴブリンシャーマンはゴブリンとの見分けがつきにくいが、
よく見ればゴブリンシャーマンんは衣装が派手で杖を持っている。
見分けがつかないからといってその人達を攻める事は出来ないが。
「魔法攻撃に用心して、ソテーナ、防御魔法よろしく!」
「そうどすな、庇護をつかさどりし、女神の盾よ」
「私はマジックミサイルで援護するわ、ドロゴンお願い! カーツはドロゴンのフォローよ」
「うむ、優先順位はシャーマンからじゃの?」
「うん、お願い」
「サポートか……しっかりやってやるから、ドジ踏むんじゃねーぞ!」
「フンッ、誰に言っておる!」
ここのところ、コンビネーションの訓練をしっかりしてきただけに、危なげない動きで攻撃を加える。
まずエリィが魔法でゴブリン達をけん制しつつ、ドロゴンが突進して正面突破。
漏れる相手はカーツが投げナイフで動きを止める。
ソテーナが防御の加護と、回復魔法をタイミングよく繰り出し、
エリィはカーツが動きを止めた相手に魔法でとどめをさす。
ゴブリンシャーマンからの攻撃に多少の苦戦はあったものの、
奇襲作戦だった事もあり大した被害も受けずに片づけることができた。
「ふうっ、上手くいったみたいね」
「当たりめぇだ! あれだけ特訓したんだからな」
「調子のいい奴じゃのうお前は」
「そんな事はええどす、さっさと報告して……え?」
ソテーナが帰る準備について、話そうとしたその時。
放牧地の向こうから、まるで山が動いたような音が響き渡る。
それは、彼らにとっては聞き覚えのある、それでいて最も出会いたくない敵。
そう、シンヤと共にようやく倒したトロルだった。
トロルは何かに追い立てられるように、こちらに向かって走ってくる。
見た目はスローモーションに過ぎないが、一歩の歩幅を考えると走って逃げるのも難しい速度だ。
「何っ!? 一体何が!?」
「ワシらもつくづくトロルに縁があるようじゃの」
「ケッ、あいつがいなくても一匹くらい俺達で何とかしようぜ」
「バカ! 無理に気まっとりますえ! あの時にしたって準備をしてる暇があったからやのに」
「逃げるわよ! 情けないけど、全員散って! そうすればターゲットが誰か一人に絞られるはず」
そう、エリィが判断を下した直後、銀閃がひらめいた。
その線にそって、トロルが真っ二つに裂けて行く。
そして、どうという地震のような音と共に、開きのように左右別々に地面に横たわった。
その後ろから現れたのは、とてもそれをなす事が出来るとは思えないほどに線の細い人間。
男か女かも疑いたくなるような、中世的な美貌を湛えた黒髪の剣士だった。
「ごめんな、街道を離れて旅をしていたから妙なのに出くわしてね。
こんな所まで逃げてくるとは思わなかったよ」
苦笑と言うべき頬笑みも、どこか氷を溶かすように”先駆者”のメンバーにしみわたった。
そう、ある種魔的と言えるほどに、魅力のあふれた人間のようだった。
「僕は寺島英雄(てらしま・ひでお)、ちょっと理由があってカントールに行く予定なんだ。
何か問題があったらその辺の宿で名前を出してくれれば聞くからね」
「はっ、はい。助けてくれたお礼という訳じゃないですけど、カントールまでの案内、させてもらえませんか?」
「おっ、おい! エリィ!?」
「やめよ、今何か言っても悪者になるのはお前じゃぞ」
「だけどだな……」
そう、カーツの心配は正しかった。
エリィはこの時、既にヒデオに引かれ始めていたのだから……。