シュテルンビルトの一角にある大学の食堂。
腹を空かした大学生や散歩にきた市民達が腹を満たすために、友人と騒がしくも楽しそうに食事をとっている。
そんな賑やかな食堂の端にて、1人で静かに昼食を取っている青年がいる。
白髪に近い金色の髪が外に跳ね、キリっとした目元と涼しい口元の青年は、緑の軍パンにスカジャンの青年は無口に定食をパクパクと食べている。
青年の名前はイアン・カリレン。
彼はこのシュテルンビルトの大人気番組『HERO TV』にて活躍するスーパーヒーローの1人、折紙サイクロンである。
TV中継にて企業名を見切れさせる事に執念を燃やし、活躍度外視でやっているために獲得ポイントはブッチギリでドベだが、隠れたファンは多い。
そんな1人で静かに昼食を食べているイアンの元に、来訪者は来る。
「イアンさん、隣いいですか?」
「李さん……どうぞ」
イアンが目を向けると、そこには所狭しと大盛りにオカズやご飯が盛られた皿が乗せられた御盆を持った李 舜生が、ニコニコとした笑顔で立っていた。
イアンがヒーローアカデミーを卒業しヒーローになれたと同時に、様々な不安から大学は卒業しようと通っているのだ。
そして、その大学に
李 舜生は留学している。
この李 舜生という男は、いつも笑顔を絶やさずニコニコとしており、黒髪の東洋系の顔立ちでいつも同じ服装のジーパンに白のYシャツに緑のパーカーを着ている。
そしてイアンの同僚である、スーパーヒーローの1人『稲妻カンフーマスター“ドラゴンキッド”』14歳の女の子
黄 宝鈴の保護者にして、毎日トレーニングセンターに送り迎えをしている。
引っ込み思案であまり積極的に人と関わらないイアンの数少ない大学での学友である。
そして、イアンがスーパーヒーローである事を知っている唯一の一般人であり、緊急出動の時にはノートを取ってもらったりとサポートをしてもらっている。
人当たりの良い李 舜生がなぜ人とあまり喋らない自分なんかと昼食を取ろうとするのかいつも疑問なイアンは勇気を振り絞って話しかける。
「李さん、なんで僕なんかと。他に昼食食べる人いるんじゃ……」
「いえ、昼食を一緒に食べるのはイアンさんくらいしかいなくて……迷惑でしたか?」
返ってきたのは、意外な李の返答。
友達が少ないという答えをニコニコとなんでもない風に返す李 舜生。
イアンはその答えを聞いて、ゆっくりとこれまでの大学生活での李 舜生という男について思い出す。
人当たりはいいが、李 舜生という男は講義が終われば、学友からの誘いは全て断り、ドラゴンキッドの為にさっさと大学を去っていく。
そんな事を3年もすれば、学友は遊びに誘うこともなく、話す事もなくなっていく。
気づけば、李 舜生が大学で話しているのは自分以外には存在していない。
いつも人当たりよく、ヒーロー達と話している姿に失念していた……っとイアンは回想をやめ、イアンの答えを待つ李 舜生に笑顔を返す。
「いや、嬉しい……です」
「そうですか、なら僕も嬉しいです。大学で話すのはイアンさんしかいませんから」
「僕も……です」
「それに、イアンさんには感謝してもしきれませんから。
いつも出動の時には
鈴の事を見守ってくれてますから」
「いや! ……僕はいつも見切れる為に」
「それでも、鈴はまだまだ未熟で危なっかしいので。近くに誰か居てくれるのは僕も安心していられます。
――これからも鈴の事、できたらでいいのでよろしくお願いします」
ニコニコとした笑顔で頭を軽く下げた李 舜生は、昼食を食べ始め、イアンと他愛の無い話をしながら時間を潰す。
――カシャッ
学生たちで賑やかな食堂の音の中に微かに聞こえたカメラのシャッター音。っと誰かに見られているようなネットリとした視線に、李 舜生は不意に顔を上げ、辺りを見回す。
しかし、視界に入ってくるのは、楽しそうに話す学生達ばかり……。
「どうかしたでござ……いえ、ですか? 李さん」
「いえ……誰かに見られていたような気が。ここ最近ずっと……気の、せいですかね」
笑顔が消えていた李 舜生の顔に笑顔が戻ると、李 舜生は何事もなかったかのようにイアンと話を再開させる。
李 舜生はここ最近人が多い場所、街中や大学の食堂などで毎日のように“何者かの視線”と“カメラのシャッター音”を感じている。
ドラゴンキッドを助けるために『黒の死神』としての格好をTVに晒してから、自分が過敏に警戒しているのかと思っていた。
しかし、日が経つにつれて、確信に変わっていった。
誰かが監視している。そう確信してから警戒を強めたが、一向に犯人は見つからない。
そして、カメラのシャッター音を微かに聞くたびに、前の世界で別れた赤毛の少女『蘇芳・パブリチェンコ』を思い出してしまう李 舜生。
もう二度と会えないと心の中で苦笑する。
―――――
TIGER&BUNNY × Darker Than Black
黒の異邦人は龍の保護者
# 03 “The bell begins to ring quietly. ――ベルは静かに鳴り始める―― ”
『死神の涙』編 @
作者;ハナズオウ
最後に俺が認識できたのは、チームを組んでいた受動霊媒、通称『ドール』と呼ばれる存在の少女
銀に抱かれていた事だ。
人格を失い、指示しなければトイレに行く事も食事を取る事もできないドールに、俺は思い入れなんてなかった。
どうせ使い捨てられるのは目に見えていたし、これまでそうなるのを見てきたから。
そんな銀がいつの間にか人間性っていうのかな、人間らしく感情ってやつを取り戻そうとしてるように感じた。
銀が特別なのか、人間からドールに変異した者のあるべき成長なのかは俺には判断がつかなかった。
が、ドールの変化を確信していた存在はいた。
そう、アイツだ。
「ねぇねぇ猫ちゃん、私がわかる?」
えらく無邪気な少女の声で声を掛けられる俺は、静かに閉じた瞳を開いた。
目にはクリンっとした丸く大きな琥珀色の瞳と長い緑の髪を腰まで伸ばした10歳ほどの少女。
そう、銀が変化した原因の一つはコイツだ、
――アンバーだ。
俺が所属していたチームの実行担当の
黒――あの頃は李 舜生とも名乗っていたが――から聞いた話だが、この無邪気な瞳で俺を見る少女は、時を操る契約者で昔南米で起きた戦争にて黒が所属した隊の隊長の女だそうだ。
アンバーは必要に応じてか、黒と銀……果ては俺にまで接触を計り、世界のあり方を変えるために戦ったのだそうだ。
“だそうだ”っと言うのは、アンバーからこの後に聞いたからだ。
言いたいことはわかる、ちょっと言ってることめちゃくちゃじゃないかってのは俺も思う。
上のアンバーの言葉で起こされてから、事情を聞いた俺がかれこれ5年間、週一で見る夢だ……これは。
だからこの後の言葉も嫌になっちまうくらいわかってる。
「「その体探すの苦労したんだよー」」
そうアンバーの言葉からわかるとおり、俺は固有の肉体を喪失した存在で動物に憑依する事で生きながらえた『契約者』だ。
『契約者』ってのは、俺達のいた世界で特殊な能力を得た人間の総称で、能力を行使した対価に個々にそれぞれの対価行動を取るという特徴がある。
その対価行動ってのが“何か”に対して支払っているように見える事からそう呼ばれている。
契約者になった者は、感情が著しく喪失し合理的な思考によって行動する。
俺も世界を自分が生きていく上で益がある方についてきた自負もある。
そうしないと、こんな特殊な能力を持ち、感情を失った人間が生きていく術はなかったさ。
肉体を失ったことで能力を使用した後に“何か”に対して支払う対価も発生せずに、動物に憑依し続け、電脳世界にサポートを受けて動物の意識に俺の意識が負けて消えないようにしてきた。
皆もわかってるかもしれないが、俺の体は今は黒猫だ。
「猫ちゃんに1つ頼みがあるんだ。それをしてくれたら後は好きにしていいよ」
「相変わらずこっちの事はそっちのけだな」
「うん。でも聞いてくれるってわかってるもん」
アンバーは時を操ることが出来る契約者だ。
だから、未来で見てきた記憶を持って同じ時間をやり直している。
アンバーは未来の記憶を持っている。未来を体験して過去に戻ってまた同じ未来を歩いている。
どうせ俺がごねようと依頼の詳細を聞けば了承するとわかってやがる。
すぐにでも質問したい気分でいっぱいだがな、アンバーがああ言うんだ依頼の詳細を聞けば理解できるんだろう……。
なら、俺も肉体を失ったとはいえいい歳したおっさんなんだ、たとえ肉体が猫ちゃんになったとはいえおじさんのプライドだけは守らせてもらうぜ。
「そうかい、なら頼みってやつを言いな」
「だから好きだよ、猫ちゃん。ギュッて抱きしめてあげたいよ」
「ニャ!?」
今度は本当に俺は瞼を開ける。
「またこの夢か、憂鬱だねぇ」
瞼を開けた俺の視界に飛び込んできたのは、シュテルンビルトの街並みの中を忙しそうに歩くサラリーマン達だ。
その光景を見た俺はまず行かなければならない場所に赴くために立ち上がる。
ゆっくりとでいいさ。
必ず用意されているさ、なにせアンバーに教えてもらった優良物件さ。
毎日甲斐甲斐しくも用意してくれている朝飯を食べに俺は街を進む。
――公園の中で屋台をしているホームラン軒へ。
―――――
「カリーナ、今日はバイトないんでしょう?」
「そうそう、お寿司バー行こうよ! 行きたがってたじゃん」
「そうね、行ってみたかったのよね」
高校からの帰り道、ブルーローズことカリーナ・ライルは友達とお喋りをしながら下校していた。
白のシャツに赤いリボン、スカートと一般的な制服を身に纏い、ブロンドのセミロングの髪を揺らしながら楽しそうに笑いながら歩くカリーナ。
友達と楽しくお喋りながらだと、やはりただ帰宅するだけではすまない。
やはり自然な話の流れで、どこに寄り道をするかを相談し始める。
数分のやり取りの末、お寿司バーへ行って軽くお寿司を食べてからカラオケにでも行こう! っとなった。
行き先も決めたカリーナ達一行は、楽しいお喋りを再開させて目的地へと歩く。
その道中でカリーナはふと、店先でガラスにデコを引っ付けそうなほど近づけて覗いている李 舜生を見つける。
その視線が物欲しそうな羨望の眼差しではなく、どこか寂しげな、悲しみを伴った眼差しであったことにカリーナは気づかずに、友達とのお喋りそっちのけでついつい話しかけてしまう。
「やっほ、李さん。何見てんの?」
「っあ、カリーナさん。これです」
カリーナの言葉に振り向いた李 舜生の瞳は悲しみに支配されていたが、一瞬にしていつものニコニコした表情に飲み込まれるように消え去り、カリーナに笑顔を向ける。
李 舜生がカリーナの問いに答えるように指でとある商品を指さす。
李 舜生が見ていたのは本格的な天体望遠鏡。
値段にしてバイト数ヶ月分を軽く超えるような値段を目にしたカリーナは、本当に天体を観測するのが好きなんだろうなっと思う。
「李さん、星見るの好きなんだ。なんか意外ね」
「はい、小さい頃から星をみるのは好きだったんです。昔使っていたのはもうなくなってしまったので、同じモノを買おうと思いまして」
「ふぅん。でも2年はバイトやってるんでしょ? もう貯まってるんじゃないの?」
「いえ、それがまだ半分も貯まってないんです」
へ? っとカリーナは驚きの表情を出してしまう。
李 舜生はかなりの日数バイトを入れている。大学の学費だって奨学金でなんとかしていると聞いたことがある。生活費は世話を頼まれている黄 宝鈴の親から出ているだろうし、李 舜生が自由にできるお金は多いはずなのに……。
カリーナの疑問と思考に気づいたのか、李 舜生はニッコリと笑って応える。
「鈴も僕もよく食べるんですよ。それで何かと掛かっちゃって」
李 舜生から帰ってきた答えに、呆れてものも言えないとカリーナは苦笑を漏らす。
一緒にご飯を食べた事はないが、そんなに金が掛かるものなのか? っと思いつつも、考えても仕方ないかっと思考の端へと追いやる。
そして、カリーナは李 舜生に会ったら言いたい事があったことを思い出し、グイっと体を近づける。
「そういえば、黄に洋服プレゼントしたの? いっつもカンフースーツなんだけど?!」
黄の服の話になった途端に責め立てるように少し声を荒らげたカリーナに、李 舜生は既に白旗を上げるように両手を小さく上げて仰け反って対応していた。
「一応毎日ではないのですが、学校には来て行ってるんですが……トレーニングセンターにはちょっとって」
「……ふぅん、まぁあそこには私も制服で行くことあるから強くは言えないけど……」
「ほっ……またバイトの時にで相談させてください。それよりも……」
「ん? なに?」
「お友達がまってますけど……」
李 舜生の言葉にカリーナは、友達と一緒に来たことを失念した事を思い出した。
失念されていた友達2人は、カリーナが突然街中で話しかけた見知らぬ男性に興味津々な笑みを零しながら2人を見ている。
女子高生の本能が危険を察知したのかカリーナは、ごめんごめんっと友達2人を李 舜生から離そうと足早に2人に近づき、李 舜生から遠ざかろうと行動に移る。
っが、それよりも早く勢い良く友達2人はカリーナを巻き込みながら李 舜生に詰め寄る。
遠ざかって去ろうとしたカリーナは見事に元の位置まで戻され、トホホっと抵抗を止めた。
女子高生2人の勢いある詰め寄りに、李 舜生もまた手を上げて降参する。
「ねぇねぇお兄さん! カリーナとはどういう関係なの? 彼氏? ねぇ彼氏なの?」
「うっそぉん! カリーナそんな事全然言ってなかったじゃない! ずるーい」
「カリーナ言いなさいよー! でもカリーナってこんなタイプが好きだったんだ、意外」
「だよねだよね! 優しそうだけど頼りなさそうよね……どんな手使ったの? お兄さん」
矢継ぎ早な女子高生2人の質問攻めに、李 舜生はニコニコとしながらも汗を流し、どの質問から答えていいのかわからずに言葉に詰まる。
友達2人が李 舜生と自分を恋人同士と勘違いしていることに気づいたカリーナは頬を真っ赤に染め、あたふたと手を大きく動かして否定の意思を示す。
「ちょっとまってぇ!! 李さんはそういう関係じゃないから!」
「えぇー嘘だぁ。寿司バーで聞こうと思ってたんだけど、私見たんだよね
――先週辺りカリーナの家にこのお兄さん来てなかった?」
ギクッ
友達の言葉に、カリーナは否定の言葉を失う。
確かに先週に、李 舜生はカリーナの家を訪ねている。
それは黄 宝鈴が私服を持っていないという事実を知ったカリーナが、保護者である李 舜生に勉強してプレゼントしろと命令し、その勉強のための雑誌を渡すためである。
すぐに李 舜生は帰路に着いたし、ちょっとは“一緒に買い物に行ってくれませんか?”っという淡い期待はしたが、そういう事も一切なかった。
そう、家までの道で暗いからと手を繋ごうだとかも一切なかった。
期待した自分がバカだと思えるほど微塵も気配がなかった。
「先週……あ、確かにそうですね。でもそれは」
「きゃぁあ! ホントだったんだ! すごいすごい、カリーナに彼氏だぁ!」
「すごーい!」
李 舜生がカリーナの家に行ったという事実だけで収まるかに見えたが、李 舜生の返答により手が付けれないほどに再燃した。
ちょっとちょっとと少しずつ女子高生2人の勢いを緩めるべくカリーナと李 舜生は必死に質問攻めを受けていく。
――カシャリ
質問攻めを受けている李 舜生は確かに感じた。いや、聞こえた。
ここ数日感じたカメラのシャッター音。
確実にそのカメラの視界に確実に俺が、李 舜生が入っている。いや、俺を撮影している。普段の生活で感じる範囲外から狙っている。
カメラのシャッター音に核心を持った李 舜生は、ニコニコした笑顔を一辺させ、迫ってくる女子高生達から視線を外す。
素早く辺りを見渡す。
右にカメラを持った者はいない。左にも……。
正面に1人、道路を挟んでこちらにレンズを向けている。
李 舜生は正面でレンズを向け、カメラを覗き込み顔を隠した少女を凝視する。
その少女は、短い赤の髪でボーイッシュな印象を与えながら、後ろだけ三つ編みにした少女。
黒のロングTシャツに紺のヒラヒラのスカートと黒のタイツに身を包んだ少女。
会うはずのない存在……李 舜生がこの世界に来る前の世界にて永遠の別れを告げた少女。
その少女はたしかにかつて李 舜生が別れを告げた少女『蘇芳・パブリチェンコ』に見える。
まるで幽霊でも見たかのような表情の李 舜生を不思議そうに見上げるカリーナとその友達は、李 舜生の視線の先を見る。
そこには一眼レフカメラを構えた少女がこちらを向いてカメラを構えている。
カリーナが声を掛けようと李 舜生の服の袖を引っ張るも反応は帰ってこない。
「蘇芳……?」
李 舜生がカメラに隠れた少女の顔を確かめようと歩を進める。
李 舜生の正面に密着するように陣取っていた友達2人は、存在を認識されていないように動いてきた李 舜生に突き飛ばされ敢無くこける。
『イターイ』っと言い地に尻餅をついた友達2人を気にしない李 舜生に、流石にイラっと来たカリーナはドシドシと音が聞こえそうなほど力を入れて李 舜生の元へと近づく。
フラフラと前に進んでいく李 舜生の腕を掴んで思いっきり引っ張り、強制的にこちらを向かせる。
李 舜生からの抵抗は一切なく、元々運動の出来ない李 舜生だから特に違和感を感じなかった。
こうなりゃ、また説教かましてやろうじゃないの! っと意気込んだカリーナの目に飛び込んできたのは、感情が乗っていない吸い込まれそうな李 舜生らしからぬ瞳。
「邪魔をするな……」
聞こえてきたのはいつもの優しい声ではなく、冷たく低い男の声。
カリーナは思いもしない事に引っ張った袖を離し、動けなくなる。
体から震えはこみ上げてこないが、理解が追いつかない……。
いつも優しい李 舜生だと思っていた存在が、知らない“誰か”となって振り向いて来たのだ。
説教しようと意気込んでいたはずが、カリーナの口から出てきたのは『ごめんなさい』の一言。
カリーナを睨んだ李 舜生は、カリーナが萎縮したのを確認せず、バッと正面へと再び視線を移す。
視線を移すと走るトラックの列に視線を遮られながら、必死に李 舜生はかつて別れたはずの少女蘇芳らしき存在を捉えようと凝視する。
ようやくトラックの列が走り去り蘇芳の影を探すも、既に影は跡形もなくなっていた。
交通量が多く道路を渡って確認できなかったが、視線を右へ左へと動かし必死に探すもそれらしい影は見当たらなかった。
永遠に別れたはずの『蘇芳・パブリチェンコ』がはっきりと確認出来ていないにしろ目の前に現れた事に李 舜生は酷く混乱し、こかした女子高生2人や睨んで固まらせたカリーナの事など毛頭も頭になく思慮にくれてしまう。
消えた蘇芳らしきものが本当に蘇芳だとして、なぜ……なぜこの世界にいる? なぜ俺をカメラで捉える?
――なにがおきている?
いくら思考を回そうと、李 舜生にしっくりとくる答えが出ることはない。
目の前に現れた蘇芳らしき者が本物かどうかも定かではない。
そして、“なにか”が起きていようと、今の李 舜生にどうすることも出来ない。
情報を提供してくれるバックも、起きている“何か”を判断する材料すらないのだ。
結局のところ、目の前に現れた蘇芳らしき者が本物であったとして、李 舜生との思い出を持っているのか?
というところに行き着く。
そう『蘇芳・パブリチェンコ』という少女は、正確に言えば人間ではない。
とある契約者が生み出した自身のコピー。
蘇芳としての人格をMEと呼ばれる記憶操作技術によって植え付けられ、蘇芳として生活していた。
とある事件の折、李 舜生とともに旅をした少女は記憶を定着させる『流星核』と呼ばれる首飾りが破壊され、李 舜生と過ごした記憶全てを失った。
答えの出ない疑問に黙り込む李 舜生に明確なまでに李 舜生へと向けられた刹那の殺意。
思考に耽っている李 舜生を現実へと引き戻すに十二分なほどの平和な街の中ではありえない巨大な殺意。
刹那の殺意を感じた李 舜生は、三白眼で睨むように殺意がした方角へと視線を投げ、軽く構える。
そこには感情が乗っていない少し瞼の落ちた瞳でこちらを眺める大きく跳ねた赤い髪のガリガリの女がフラフラと歩いてくる。
薄いワンピースだけを着た女は露出した身体を見ただけで不健康なまでに痩せこけている事がわかる。
はだしでペタペタと地面を歩き、フラフラとしながらも李 舜生へと向かってくる。
李 舜生はその女に見覚えがあった。
前の世界で共に戦争を生き抜いた仲間。
史上最悪の契約者と恐れられ、戦争を終えて能力を失い『喪失者』となってから再会し、無残に殺してしまった女。
――ハヴォック、コードネーム『カーマイン』だ。
「見つけた……黒。私の大事な大事な坊や達を殺した」
ハヴォックから放たれた言葉に、李 舜生は見に覚えがまったくない。
ハヴォックがこの世界にいた事すら、たった今突きつけられた事実。
そして、そのハヴォックが『坊や』と呼ぶ者と暮らしている事などもちろん知らない。
ハヴォックと共に行動していた頃のみの記憶しかないが、明らかに『捻じ曲がった記憶』がハヴォックに存在している。
感情が乗っていなかったハヴォックの瞳が突然、恐れるように小刻みに震えだす。
そして、瞳の小刻みな震えが身体に波紋のように広がって、仕舞いには禁断症状でも出たかのようにガクガクと震える。
そして、震えから逃げたいと言わんばかりに瞳が赤い光を灯し、身体全体から青い光が現れる。
契約者が能力を発動するときに出す『ランセルノプト放射光』。
「違う……黒じゃない……! これはMEによる……ニ、ゲロ」
「カーマイン!!」
李 舜生の思わず出た言葉に、ハヴォックは不気味に口の端だけを吊り上げて笑い、突然真上へと視線を移す。
そして、突如ハヴォックの真上に発現した真空。
その真空に引き寄せられるように、辺りの空気は雪崩れ込み、周囲一辺に暴風を巻き起こす。
店のガラスが割れ、あまりの暴風に立っていられなくなり通行人達は地面に伏せる。
暴風が収まると、辺りは竜巻でもピンポイントで起きたかのような被害に、カリーナは呆然と眺める事しか出来ない。
ランセルノプト放射光が消えると、ハヴォックは糸が切れた人形のように地面に崩れ落ちる。
ハヴォックに駆け寄り抱き上げた李 舜生は信じられないという瞳でハヴォックを見る。
その視界の端に黒猫がヒョッコリと入ってくる。
「よぉ黒、久しぶりだな。なんて挨拶は抜きだ、ハヴォックを家に運べ、黒」
その猫は当たり前と言わんばかりに人間の言葉を話す。
黒はそのような存在を1人しか知らない。
「……
猫か?」
「説明は後だ。ハヴォックを今警察やなんやらに渡すわけにはいかない。お前の家に連れて行け。ある程度の説明はしてやる」
「何が起きている……?」
「その説明をしてやるって言ってるんだ、急ぐぞ」
猫は黒の答えを待たずに道を歩き始める。
黒はそれ以上何も言わずにハヴォックを抱きながら猫を追いかけていく。
残されたカリーナは足元に無針注射器のような見たことない形状のモノが落ちているのを見つける。
どうやら先程の暴風によってどこかから運ばれてきたのだろう。
その無針注射器の中に少し黄色掛かった液体が入っているのはわかったが、何の液体なのか皆目検討もつかない。
しかしなぜか、李 舜生が連れ去ったカーマインと呼ばれた女の正体を知る手がかりになるかも! なんて事考えもせず、何気なく鞄に無針注射器をしまう。
そして、未だに顔を伏せている友達2人を起こそうと動き始める。
――――――
夜空に星が瞬くシュテルンビルトの夜。
天窓から降り注ぐ優しい月の光に照らされて、灯りが消えた屋根裏部屋が浮かび上がる。
白のボックス型のプリンターが、単調に機械音を上げて与えられた作業をこなしていた。
プリンターから出てくるのは、全て同じ男の写真。
その写っている男は、李 舜生。
大学の食堂、街中、色々な日常を隠し撮りした写真達である。
同じ男の違う場面を写した写真が大量に吐き出されてくる。
月明かりの優しい光がスポットライトのように照らすプリンターの周りに1人の赤毛の少女がゆっくりと入ってくる。
黒のロングTシャツに紺のヒラヒラのスカートと黒のタイツに身を包んだ少女。
街での暴風騒ぎの際に、李 舜生の前に現れた少女だ。
彼女は間違いなく李 舜生と前の世界にて旅をした少女、『蘇芳。パブリチェンコ』だ。
蘇芳は吐き出された写真を手に取ると、コルクボードが一面に張り付けられている壁に、押しピンで一枚一枚壁に貼り付けていく。
「ここに来て二週間……やっと見つけた」
全ての写真を貼り終えた蘇芳は、壁の対面にある大きなベッドに座り、壁に貼り付けた写真を眺める。
その瞳に感情はなく、無表情なまでの表情でただ眺めていく。
しばらく思慮にくれた後に、ベッドの上に無造作に置かれていた大量のナイフを1つ手に取ると、慣れた動作で写真の李 舜生へ向けて投擲していく。
そのほとんどが、李 舜生の顔に命中していた。
「やっと見つけた……黒の死神。BK-201、
――ボクのパパの仇」
月明かりに照らされ、蘇芳の胸元の琥珀色の『流星核』は怪しくキラリと光る。
......TO BE CONTINUED