気持ちのいい風が爽やかな季節の臭いを私に届けてくれる。
例えスラムのゴミのような建造物が所狭しと並んでいようとも
――私にとっては幸せそのものだった。
氷の槍に貫かれ死んだはずの私は、気が付けばスラムのゴミ溜めに転がっていた。
そしてそんな私を珍しがる事もなく拾ってくれたのは、幼い子供たちだった。
後で聞いたところ、このスラムにはよく死体が転がっているから、それを処理すれば周りの大人たちが雀の涙程度の食料をくれるらしい。
子供たちはそれ以外の食料を手に入れる為に、日々窃盗などを繰り返していたらしい。
死体は処理して食料を得て、生きていればなんの疑いもなく拾って共に生活する。
私もそれに逆らわず、共に生活し始めた。
契約者らしく、合理的な考え方でな……。
フフフ……『喪失者』の私だがな。
拾われてから私は、子供たちの笑顔に触れてきた。
掃き溜めのような日常と、いつ死ぬかもわからないスラムでの生活の中で、子供たちは太陽のように笑っていた。
いつしか私はこの子達の為に何かしたいと思うようになっていた。
私が元いた“ゲート”があった世界でないことを知り、戸籍もない私は娼婦をまた始めた。
“ゲート”のあった私の世界でも同じことをしていた私には慣れた仕事だ。
それよりも私は子供達の笑顔を守りたかった、もっと見ていたかった。
1番上はサッカーという球蹴りが上手な男の子。2番目は絵が上手な女の子。3番目は足が早くて元気な男の子。4番目は街のごみ溜めから拾った雑誌を嬉しそうになんどもなんども同じ雑誌を読む女の子。
どれも私には見てるだけしか出来なかったが、私は見ているだけでいいと思った。
私の料理を笑顔で食べてくれて、私はもっとこの笑顔を見たいと思った。
――そんな日々も呆気ないほど簡単に崩れてしまった。
覚えているのは、子供達が無残に殺された事だけ。
誰がやったのかも、なぜやられたのかもわからない。
ただただ子供達が死にゆくさまを記憶に刻み込まむようにみているしか出来なかった。。
1番上の男の子は他の子達を守ろうとしたが頭を掴まれ、まるで砂で作られた人形のように崩れて、残ったのは砂の山だった。
2番目の女の子と3番目の男の子は頭から何者かに大量の血を掛けられて、指を形どった影が“パチン”っとなると、血が掛けられた箇所が刳り貫かれたかのように消え去って、壊された人形のように床にバラバラに転がった。
4番目の女の子は、雪男かと思うほど他の2つの影よりも大きな影に股をまさぐられ、『残念』っと言って、大袈裟に振りかぶった右フックで呆気なく、本当に呆気なく壁と拳に潰され壁に張り付いて血を流していた。
喪失者となり能力もなく契約者に比べて感情を取り戻しているとはいっても、私の頭を支配したのは『子供達を殺されたショック』よりも『自分が今から殺されるのか?』っという事だった。
それの事実に気づいた私は乾いた笑いを浮かべることしかできなかった。
3つの影は私を襲う素振りも見せず、ただ見つめている。
まるで観察されているような視線を受けても私は何も行動を起こすことが出来ない。
――そうして、私の視界は業火の炎に包まれた。
目を開けると、視界には見知らぬ天井が広がっていた。
見知らぬ天井を見つめるハヴォックは、フカフカのベッドに身を預けている。
体中汗でびっしょりで不快感がハヴォックを襲う。
それでもハヴォックは天井を見続け、先程まで見ていた夢の光景を反芻していた。
3つの影と、『契約者』と思わしき能力……“物質分解”“局部レポーター”“特定の物体を纏う能力”。
そして視界を被った炎、あれは私のイメージが生み出したモノではなかった。
あれは本物だ……。
ならば……。
「おーい、大丈夫?」
夢の光景を反芻していたハヴォックの視界にはいつの間にか、黄色の生地に黒のラインが入ったカンフースーツを来た女の子の手がブンブンと動いている。
ハヴォックは機械的に顔をゆっくりと動かし、ブンブンと動いている腕の主へと視界を移す。
そこには薄い金髪をショートヘアーにしたキリっとした顔つきの少女が心配そうに見ていた。
「ここは、どこだ?」
「ボクんちだよ。師匠の前で倒れたんだってさ。ちょっと待ってて! 師匠を呼んでくるから」
少女はそう言って元気よく飛び上がり、タタタっと走って部屋を出ていく。
数分とせず、金髪の少女は水の入った桶とタオルを持って1人で帰ってきた。
「師匠、今お昼ご飯作ってるから。体拭くね」
「…………?」
「汗ビッショリで気持ち悪くない? 丸一日寝てたし……
あ、ボクは
黄 宝鈴。えっと……」
「ハヴォックでいい……カーマインと呼ばれていた時もあるが、今はただのハヴォックだ」
ハヴォックは口の端を微かに上げる。
黄がハヴォックが自虐的な笑みを浮かべている事に気づかず、無愛想な人なんだな……っと思いつつ、ぬるま湯に付けたタオルを絞る。
ボロボロのワンピースの肩紐をずらすと、凹凸が少なくガリガリで肋骨が浮き出そうなほどやせ細ったハヴォックの体をスルリと布が落ちる。
黄は絞ったタオルで優しく汗を拭っていく。
「何が目的だ?」
「へ? 何が目的って……汗ぐっしょりだったし、師匠が知り合いだっていうから」
黄は困った表情をしつつも、ハヴォックの背中を優しく拭う。
ハヴォックは汗の不快感が拭われていく爽快感を背中に感じつつ、ボンヤリとした記憶を整理しようと思考にふける。
先ほど見ていた夢は間違いなくこの世界での過去私を襲ったものだ……。
ゲートがない世界で『契約者』に襲われる『喪失者』。
なんと因果なものだ……っと口元の端が上がる。
程なくして黄は、ハヴォックの体を拭うのを終えて、ワンピースを戻してあげる。
その時に黄は、ハヴォックの腕に注射痕が複数あるのを見つけるが、何も言わずに肩紐を掛けてタオルを桶に入れる。
「起きたか、カーマイン」
入ってきたのは、
李 舜生……いや、そのニコニコとしたいい人の仮面を取った
黒……三白眼で無愛想な顔で、黒のタンクトップに鍛え抜かれた体で手にはチャーハンを盛り付けた皿を持っていた。
ハヴォックがいた世界、ゲートと呼ばれる物理法則が狂った空間が突然、東京とブラジルに出現し、本物の星は姿を隠し、契約者の命を表す“偽りの星”が地球を被った。
それに答えるように感情を著しく消失させた特殊な能力を持つ人間が現れ始めた。
彼らは能力を行使するたびにそれぞれに対価となる行動を取っている。
指を折る、血を流す、球体を飲み込むなど様々で、その行動が“何か”に対価を支払っているように見えることから、彼らは『契約者』と呼ばれるようになった。
ハヴォックも『契約者』の1人にして、“最低最悪の契約者”として恐れられていた。能力は『真空を作り出す』、対価は『子供の生き血を啜る』。
ある時に起きたブラジルのゲートをめぐる戦争で、ハヴォックは黒と出会った。
アンバーという時を駆ける契約者が率いる契約者のみで形成された部隊にて、唯一の人間にして、感情を著しく失った契約者よりも冷酷な男であった。
戦争を生き延びたハヴォックは能力を失い『喪失者』となり、のどかな田舎の平凡な一家に拾われ、一度捨てた日常を享受していた。
少しずつ、本当に少しずつ……ハヴォックは『生きる』という事を日々知り、噛み締めていた。
だが、それで世界が許すわけはない。
希少な『喪失者』の研究対象にマフィアに攫われ、売られた。
その時、黒と再会し、彼に協力し
――結果、ハヴォックは氷の槍で刺され、命を落とした。
「久しぶりだな……黒」
ああ……っと返した黒は微かに口元を緩ませる。
今何が起きているのか、なぜハヴォックまでこの世界にいるのか……などの疑問の前に、かつての仲間と出会えたことへの喜びが見て取れる。
それを見たハヴォックもまた、口元を緩めている。
その2人を見ていた黄のみが、口元を固く結び視線を少し落とす。
自分の知らない黒を知る者であり、自分以外には見せない『黒』としての顔を隠そうともしない存在、ハヴォックに嫉妬に似た感情がそうさせた。
視線を落とした黄は、ハヴォックに近づく黒と入れ違うように、ハヴォックの元から桶を持って離れる。
黒は特に桶を直しに行ったのだろうと気にもせずに、先程まで黄が座っていた椅子に腰掛ける。
そして、手にもっていたチャーハンをハヴォックに手渡す。
ハヴォックはそれを受取りながら、離れていく黄に視線を送り続ける。
しかし、黄はその視線に気づかずに、ドアノブに手を伸ばす。
「じゃぁ師匠、ボクそろそろカリーナさんと待ち合わせの時間だから行くね」
「ああ……」
バタンっと黄はドアを閉めて出ていく。
「あの子は……?」
「世話をしている」
「契約者のお前がか……オカシイな事をする」
ハハハっとどこかぎこちない笑いをハヴォックは放つ。
ハヴォックのそのぎこちない笑いは、ハヴォックが契約者であった事実そのもの。
感情を著しく喪失し、大量殺人・破壊を行い子供の生き血を啜ってきたその事実を物語っている。
喪失者として平和な日常を過ごして、ようやく“笑え”だしたのだ。
それがわかっている黒は、ハヴォックのぎこちない笑みをしっかりと受け止め、口元を緩ませる。
「ハヴォック……能力が戻っているのか?」
「……安心しろ、能力はまた消えたようだ。対価に対する衝動もなかった」
おかしい……。
ハヴォックは明らかに契約能力である『真空を作り出す』能力を使用した。
目標は始め俺を狙っていたはずだが、強引にハヴォックの真上へと変更した。
そう、あの目標を変更した瞬間を境に明確な殺意がなりを潜めた。
そして、契約者が能力を使用したならば必ずしなければならない対価への衝動が起きていない。
そんな存在は俺以外には知らない……いや
「取り込み中のところ悪いな。黒、飯をくれや」
「「…………」」
「……にゃ? お、おい」
思考に耽っていた黒とそれを見守っていたハヴォックに割り込むように入ってきたのは黒猫に憑依した契約者、名を
猫。
空気を一切読まずにご飯を要求し、2人の契約者特有の無感情な目でのジト目に晒される。
ふぅっと溜息をついた黒はスッと立ち上がり、猫の餌を取りに部屋を出ていく。
居心地の悪そうな顔をしていた猫は、黒が部屋を出ていったのを確認してからハヴォックの足に乗る。
「お前も契約者か?」
「あぁ、『動物への憑依』が能力の契約者だ。そして、NEXTでもある。
アンバーが言った通り、こちらで再現されているME技術も三日程で切れるようだな」
「……アンバーもこの世界にいるのか?」
「ああ……既にどこにいて何をしているのかはわからないがな。まぁアンバー曰くこの一週間があんたにとっての安息だそうだ」
「……そうか。私はまた戦場に行かなければならないのか」
「決めるのはあんただ。とのことだ。
まぁ、仲良くしようぜ」
猫はクリっとした猫の目でウインクを飛ばす。
中々愛嬌のある契約者だ……っと口元を緩めつつ、ハヴォックは首を縦に動かす。
そして、猫飯を持った黒が部屋に入り、猫飯を床に置く。
「飯だ、ファルナンデス」
「おい、懐かしいがやめてくれ。いつも朝飯を貰ってるラーメン屋台の娘にも同じ名前で呼ばれてるんだ」
かつて共に活動した時となんら変わらない猫に安心したように黒は、口元を緩め口元だけで笑う。
そして、黒はチャーハンに手を付けるハヴォックへと目を向ける。
「何が起きている……? なぜお前がここにいる」
「さぁな……ただ、ゲートのあった世界のME技術を私に使用し、一時的にも私の能力を宿らせた。そんな奴がいる……っということぐらいしかわからないさ。
私はただ……子供たちと……」
ハヴォックは『子供』っという単語を出した瞬間、言葉に詰まり、小刻みに手が震えだす。
持っていたスプーンと皿を落とすも、ガタガタと震え、掌を凝視し続けている。
突如ハヴォックに起きた異常な状態に黒は、ハヴォックの肩を抱き、半ば叫びながらハヴォックの名前を叫ぶ。
しばらくは返事もリアクションも帰ってくることはなかった。
「……ハハ。ハハハハ……消されたのか」
黒の呼び掛けにハヴォックは乾いた笑いを返す。
ME技術……メモリーイレイズ技術は記憶を消したり、人造の記憶や人格を植えつけたりできる技術である。
ゲートがあった世界にて、その物理法則を無視した空間より見つけ出された技術である。
『子供』という単語を出した時、自分が共にスラムで生活してきた子供達を思い浮かべた。
しかし、そこに黒子のような影が4つあるだけだ。
子供達がどのような容姿で、どのような声で話しかけ、どのように笑い、どのように泣くのか。
全てが記憶からポッカリと抜けている。
子供と過ごした日々の記憶はあるものの、それさえも思い返せば、そこにいる子供達は全て黒子のような影が動いている。
なぜこのような事が……浮かぶのは、MEを掛けられた代償なのかもしれない。
こちらの世界のME技術はあちらの世界のモノのコピーだ。劣化していても不思議ではない。
もしくは……ハヴォックが逃げないように、呼べば帰ってこさせるための鎖。
真相はわからないが、分かっているのは、
――『子供達の記憶が消されている』
っと言うこと。
ハヴォックに子供達との思い出がある分、その事実は重く鎖のようにハヴォックの動きを制限させる。
「なんて皮肉なんだろうな……子供の生き血を啜ってきた私が、子供の記憶を亡くし……こうも震えている。
――罪は一度死んだくらいでは消えないらしい」
ガタガタと震えながら話すハヴォックを、黒は強く抱きしめる。
記憶を消されたハヴォックになんと言っていいのか、どうすればいいのかわからない黒が咄嗟にとった行動。それが抱擁。
黒の抱擁はしばらく続き、抱きしめられたハヴォックの震えも次第に収まっていく。
TIGER&BUNNY × Darker Than Black
黒の異邦人は龍の保護者
# 04 “ Seeds of disaster were scattered. ―― 災厄の種は撒かれた ―― ”
『死神の涙』編 A
作者;ハナズオウ
私、カリーナ・ライルは今引きつった笑いが止まらない。
数日前に、スーパーヒーローにして同僚の『稲妻カンフーマスター“ドラゴンキッド”』黄 宝鈴から“買い物”に付き合ってくれませんか? っと頼まれたのだ。
少し前にはまったくオシャレに興味がない黄が買い物が行きたいと言ってきたのだ! 嬉しくて嬉しくて待ち合わせも少し早く来てしまったくらいだ。
ファッション雑誌も念入りにチェックし、黄にどんな服を合わせようかと今から楽しみで仕方ない。
全体的にエスニックテイストが入り、ノースリーブで胸元とスカートの袖にピンクのレースが入った薄い黄色のワンピースに濃いブラウンのベージュでゆったりとしたアームカバーとニットを来たカリーナ。
濃いブラウンのハイニーソにブーツを履いている。
白人で金髪のカリーナに似合っている。さすがはオシャレさんといったところか。
そして、最も楽しみにしていたのが、黄がどういう服で来るのか!? っという事だ。
性格から考えるとボーイッシュな感じでくるだろう……李さんの趣味的にはワンピース(バイト中に相談を受けたんだよね)……。
などと待っている間も胸をワクワクさせながら過ごしていた。
そんなワクワクを可愛らしい笑顔とともに砕いてくれたのは、いつも通りの黄色の生地に黒のラインが入ったカンフースーツを着て現れた黄 宝鈴だ。
腰が抜けて地面にヘタリ込みたいくらいショックを受けた私は、なんとかヘタリ込むのを防ぐも引きつった笑いだけは止められなかった。
「お待たせ、カリーナさん。今日はお願いします」
「あんた……なんでその服なのよ……」
ん? っと何が悪いのかわからないとキョトンっとした表情の黄は、首を傾げてカリーナを見つめる。
カリーナは引きつった笑いを浮かべながら、フラフラと力なく黄に近づいていく。
「今日は稽古はおやすみだって李さんが言ってたのに……」
「うん。でもこれ動きやすいし、慣れてるし」
「李さんあなたに服プレゼントしたでしょう? それに前に買い物に行ったって」
「うん! すっごい楽しかったよ」
うん! じゃないわよ……っとカリーナは引きつった笑いが体に波紋するように肩が動き、笑いが大きくなり、頭をガクっと落とす。
ガシっと黄の肩を力一杯握るカリーナ。
へ? っ肩を握ったカリーナに戸惑い、何もできない黄はカリーナの次の動きを待つ。
肩を大きく動かした笑いを浮かべたカリーナの笑いが、ピタっと止まったかと思った次の瞬間、カリーナはガバっと顔を上げて黄の顔にぶつかるかと思うほど近づく。
「あああ!!! 帰るよ! 帰って服着替えるよ! いいや、“着替えるよ”じゃない! 着替えなさい!!」
「うっ……は、はい」
カリーナのあまりの勢いに、黄は肯定の返事しか出せなかった。
見事、カリーナは黄を引き連れて黄宅へと向けて進路を取る。
何を怒ったんだろう? っと思いつつ、黄はカリーナの後を歩いていく。
「そういえばさ、李さんって星見るの好きなんだね。この前望遠鏡見てたよ」
「うん。ボクも一緒によく星見たりしてるよ。それにそろそろ望遠鏡が買えるんだ!」
「っえ? まだまだ貯まってないってこの前言ってたよ?」
「?? 来月ので貯まるから、夜に大学の川辺で見ようって」
黄 宝鈴の保護者である大学生の李 舜生の天体望遠鏡の購入資金の貯蓄高の認識についてのズレに、2人は頭に“?マーク”を浮かべながらついに黄家にたどり着く。
ほら行った! っと家の中へと黄を送り出したカリーナは玄関に背中を預けて空を仰ぐ。
程なくして事情を聞いてきたのか、ニコニコとした笑顔を浮かべたいつもの李 舜生が出てくる。
「こんにちわ、カリーナさん。今日は
鈴をよろしくお願いします」
「うん、任せて! それにしてもなんであの格好で出したの?」
「ちょっと取り込んでいたもので……まさかそのままいくとは思ってなくて」
「まったく、気を付けたほうがいいわよ」
はい。っといつもどおりのニコニコとした返事をする李 舜生に溜息を漏らしたカリーナは、いつものようにグイっと上体を傾けながら李 舜生に迫り、ジト目で見つめる。
詰め寄られた李 舜生もいつものように、後ろに少し上体を逃がし、両手を小さく挙げて降参の合図を出す。
まったくいっつもこうやって逃げる……っとカリーナは少し面白くなさそうに顔をしかめる。
「それに望遠鏡買うって話、黄にしたら来月買うって言ってたわよ。なに、私に嘘言ったの? ……いい度胸じゃない」
「い、いや! えっと……鈴には少し言いづらくて言ってないんですよ。貯金の半分くらい使ってしまって」
「はぁ!! 何に使ったのよ!? 変なものだった許さな……」
「鈴の服です。今までまったく持ってなかったので、買えるだけ買ってしまって……あとタンスやなんやらと買ってると」
っあ……っと、ジト目をしていたカリーナは、ポカンっとしてしまう。
カリーナが命令した事を、李 舜生はカリーナが想像していた以上に行なったのだ。
プレゼントと言っても数着だろう……っとタカを括っていたが、違った。
李 舜生という男はカリーナが思っている以上に黄 宝鈴に過保護なのだ。
ハハハ、なーんだ……。
カリーナは苦笑してしまう。
「……っあ。そういえば李さん、『実在しないけど見える星』の噂聞いたことある?」
――――――
「う……うーん。何着ればいいんだろ……?
様々な服を持ち上げてはベッドに置く作業を続ける黄 宝鈴は悩んでいた。
既にベッドには大量の服が山積みになっていた。
授業参観が終わった夜、次の日に初の友達である鏑木楓と買い物に行くからと李 舜生からプレゼントされた服を、黄 宝鈴は学校に隔日で着て行っている。
それ以外の服は何故か授業参観から二日後に大量に部屋に運ばれていた。
師匠曰く、お母様に私に洋服を買ってあげたという話をしたらしく、それを聞いたお母様が大量に送ってきたとの事。
生活費も貰っているし、ドラゴンキッドとしてのお給金の全てをボクが使っていいと一銭も受け取らない。
特別使う用事があるわけでもないから全部手を付けていないし、そういうのは師匠に任せてる。
しかし、よりによってプレゼントがボクが最も苦手と思ってる『女の子らしい格好』だなんて
――わかってないよ。
だから毎年お願いしてる事もお願いできなくて、ボクが買いにいかないと行けなくなったんだよ、まったく。
そしてまた、黄は服を持ち上げてはベッドに作った服の山に乗せていく。
実のところ、李 舜生が貯金の半分以上を叩いて服を買ったが、それを両親に定期連絡の際に報告したところ、両親から黄に宛てて大量の服が送られた。
李 舜生は、自身が貯金を叩いて買った大量の服を、両親からのプレゼントである大量の服に上乗せして、全て両親からと黄に告げている。
黄は目の前の大量の服の山全てを両親からのプレゼントだと思っているのだ。
しかし、ファッションの意識にまだ目覚めていない黄にとっては、この山の中から何を選ぶべきなのかわからずに悩みの種となっている。
まったくどれを着ていこうかわからずに黄は、ガックリと肩を落としてうなだれる。
そのせいで黄は後ろでドアがギイっと開く音にも、入ってきた者にも気付かなかった。
「あれとそれでいいんじゃないのか?」
「そうだな、折角の綺麗な足首も隠れることもないしな」
突然の声に黄が振り返ると、そこにはハヴォックと抱かれる猫がいた。
ハヴォックはテクテクと歩いていき、山の上側に乗かった黒地に赤の淵がついたチャイナ服と黒のパンツを手に取り、黄に渡す。
へ? っと驚きつつも、服を受け取る。
「意外か? これでも子供と住んでいたからな」
ハヴォックは寂しげな笑みを浮かべると、猫を手放しペタペタとした足音を立てながらドアへと足を運ぶ。
ハヴォックには子供たちと過ごしたという記憶がある一方で、子供達がどのような容姿だったのかなどの記憶がガッツリと消えてしまっている。
だが、子供達と生活して染み付いた子守の習性が自然と足を運ばせ、声を掛けさせた。
だから、なぜ? っと言われても、自然と……っとしか答えられない。
黄はハヴォックが選んだ服を手に取り、鏡と睨めっこをしている。
どうやら似合っているのかわからず、これでいけばいいのか頬を赤く染めながら悩んでいる。
一杯一杯だった黄の瞳が、鏡越しにハヴォックを視認した瞬間、黄は視線を落とす。
「ね……ねぇ、ハヴォックは黒の事知ってるの?」
「? あぁ、共に戦ったこともある。その時は誰よりも冷酷であんな顔見たことなかったがな」
「そう……なんだ」
「まぁその話が聞きたいならば、夜にでも話をすればいい。今は待たせているのではないのか?」
「そうだな、黒の奴が苦戦してたようだしな、お嬢ちゃん早く行ってやりな」
ハヴォックと猫に促され、黄はカリーナを待たせていることを思い出し焦ってカンフースーツを脱ぎ始める。
人知れず、ウホッ! っと息を小さく荒らげた猫に気づいたハヴォックは抱きかかえ、それではな……っと言い残して去っていく。
1人になった黄は、パパっと着替えると黒い靴を履いて、タタタっと玄関へ向けて小走りに走っていく。
そして、玄関先で楽しそうに話しているカリーナと李 舜生の声を聞いて、玄関を小さく開けて顔だけ出して2人だけなのかを確認する。
顔だけ出てきた黄を笑顔で迎えた2人は、どんな衣装で出てくるのかと言葉には出さずとも楽しみに見ている。
黄は頬を真っ赤に染め、視線をあっちへこっちへと移動させながら、「笑わないでよ……」っと小さく呟いて、玄関から出てくる。
黒地に襟や袖の端にだけ朱のラインが入ったチャイナ服と黒の七分パンツ。
シンプルながら、黄らしい服装に2人は更にニッコリと笑顔になる。
「よく似合ってますよ、鈴。これからはもっと着ていきましょう、折角お母様が買ってくださったんですから」
「う……うん」
「やっぱりあなたなんでも似合うわね。今日も一杯教えてあげるから楽しみにしてなさい」
「えっ!? う、うん」
2人からお褒めの言葉を貰った黄は、嬉しそうにそして恥ずかしそうに頬を真っ赤に染め、エヘヘっと頭をかきながら体中で嬉しさを噛み締めていた。
それじゃぁ、行ってくるね! っとカリーナは、まだ頬を染めてクネクネしている黄の手を引いて街へと出ていく。
李 舜生は手を振って笑顔で送り出す。
――――――
「っあ! イアンさん!!」
黄家を出て、黄とカリーナは買い物をしに街を進んでいた。
カリーナがお薦めするお店へと向かう途中で、シュテルンビルト有数の日本雑貨を取り扱う店から小袋を抱えて出てきたイアンと遭遇した。
イアンはカリーナ達と同様にスーパーヒーロー『折紙サイクロン』としてシュテルンビルトを守っている。
李 舜生と同じ大学に通っている。
カリーナはイアンとそれほど親交があるわけではないので、挨拶して去ろうと手を挙げた。が、黄 宝鈴はタタタっと駆けてイアンの元へと行ってしまった。
「っあ、黄殿……こんにちわでござ……います」
「こんにちわ! 何買ったの?」
「扇子でござる。黄殿、今日はいつもの格好ではないのですね」
「っえ……う、うん。変……かな?」
「いえ、よくお似合いですよ」
「えへへ」
手を挙げて固まっているカリーナを他所に黄はイアンの元で小袋の中身を興味津々に見始める。
事件現場では近くにいることが多いが、トレーニングセンターでは、黄とイアンは寄らず着かずで話している所をあまり見たことはない。
その2人が仲良さそうに話しているのを見て強烈な違和感と、なぜ仲がいいのかわからない気持ちで一杯である。
さすがに固まり続けるのは恥ずかしいと、カリーナはゆっくりと2人の元へと行く。
「や……やぁ、イアン。こんにちわ」
「あ、カリーナ殿。こんにちわでござる」
「あー! また“ござる”って言ったー」
「っあ……」
少し引きつった笑みながら声を掛けたカリーナにイアンは少しソワソワした風に挨拶を返してくる。
そして、日本贔屓ゆえにヒーローの時はよく語尾に“ござる”をつけるイアンは、普段は出ないようにしているがよく出てくる。
それを黄は面白そうに笑いながら指摘する。
指摘を受けたイアンは頬を少し染めてバツ悪そうに視線をそらす。
「2人、仲いいんだね。ちょっと意外」
「うん! んっとね、イアンさんって師匠と同じ大学なんだよ。それで偶に一緒にご飯食べるんだよね?」
「そうでござ……です。黄殿が短縮授業などになった時は大学の食堂で。
でもこんなによく話し始めたのは最近ですね」
そう言われれば、カリーナのバイト前に偶に、屋台かどこかで食べた帰りの李 舜生と黄に遭遇して一緒にバイトまで行くことがある。
私が話しかけるまで黄は楽しそうに李 舜生に話しかけている。
それが私が話しかけた瞬間に、私からは見えない位置に下がり、話しかけても素っ気無い返事を返してくるだけだった。
でも最近、それは明らかに変わってきた。
私が2人の歩みに合流しても黄は引っ込まずに笑顔で話しかけてくるようになったのだ。
その原因を思い返せば、ここ最近で一番呆れてしまった事件……『釣り師下着泥棒事件』。
謎の仮面がドラゴンキッドを助けた事件でもある。
その事件を境に黄は少し変わった……ような気がする。
「えへへ……そうだ! イアンさんこの後予定ありますか?」
「え? ないでござるが……どうしたでござるか?」
「今から買い物行くんだけど、一緒に行きませんか?」
「っえ?」
「ちょ?」
女の子2人の買い物に同席するという引っ込み思案なイアンにとってかなりの試練を、黄は笑顔で誘ってくる。
買い物という事は服等だろう……男の自分にはわからないっと逃げたい気持ちで一杯で、汗が頬を伝う。
カリーナもまさか、女同士の買い物に男を同席させようなどという黄の言動に驚く。
イアンも居心地悪いだろうし、こちらもイアンを気にして十分に楽しめるのか……っと汗が頬を伝う。
そんな頬に汗を伝わせる2人を見て首を傾げる黄は、そこに来て初めて今日の買い物の目的について話し忘れていた事に気づく。
「っあ、カリーナさんにも言ってなかったけど、今日お願いしたかったのは
――師匠へのプレゼントなんだ。
だから、師匠と友達のイアンさんも一緒に選んで欲しいんだ」
「「プレゼント!!?」」
「うん。来週なんだけど、ボクと師匠が出会った記念日なんだ。いつもならお母様に選んでもらってたんだけど……ちょっと今年は」
まさか頼めない原因が、自分が苦手な“女の子らしい”格好の服を大量に送り付けてきた事への反抗心ゆえだとは言えない黄は、少しバツが悪そうに視線を泳がせる。
やはりいつもお世話になっている李 舜生へのプレゼントは自分で選びたいのだなっと思った2人は優しげな笑顔と共に了承の返事を黄に返す。
そうして一行は、シュテルンビルトにあるお店を何軒も何軒も周り、日が暮れるまでそれぞれ一生懸命に黄が李 舜生に渡すプレゼントを探した。
日が暮れて、家に帰った黄の手には小さな紙袋が大事そうに握られていた。
―――――――
シュテルンビルトの一角にある公園。
その中にあるラーメン屋台は知る人ぞ知る美味しいラーメン屋だと隠れた人気店なのだ。
仕事帰りのサラリーマンや飲みの仕上げなど長年おっさんたちから愛されている。
そんな屋台は本日も元気に営業している。
毎度お馴染みの常連のサラリーマンが美味しそうにラーメンを啜っている。
少し小太りな店主はサラリーマンとの楽しい会話をし、いつもの日常を楽しんでいる。
食事を終えたサラリーマンが料金を支払い粋な挨拶と共に去ると、店主は丼を洗い、公園の景色を楽しんでいた。
そんなふとした公園の光景に、ふと不可解なモノを見つける。
――黒煙だ。
遠目からだが、明らかに何かが燃えている。それもかなりの勢いで。
消防署に連絡しなければっと電話を取った瞬間、黒煙があった所から巨大な炎が上がり、公園を飲み込んでいく。
広大な敷地を持つ公園が、店主が黒煙を発見してまだ1分も経っていないにも関わらず、敷地の半分は既に業火に包まれている。
身の危険を感じた店主は急いで業火が上がっていない方向へと走って逃げる。
迫り来る業火、逃げながら後ろを振り返ると樹は既に灰になり、燃えカスへと変わり果てている。
業火に巻き込まれれば死。そのイメージが浮かび上がった店主に理性など欠片もなくなっている。
ただただ迫り来る業火から逃げる。
そんな必死に逃げる店主の耳に、この緊急事態には到底相応しくない歌声が聞こえてくる。
そんな事を気にできるはずも無く、必死に逃げる。
屋台から公園を出るまでの50m程の距離を逃げ、ようやく公園を出れるところまで来たとき、小さな段差に躓き、ゴロゴロと転がる。
早く逃げようと顔を上げると、目の前に見えていた樹やレンガ造りの屏が燃え上がる。
ヒィィ! っと後ろに下がる店主の耳にまた、歌声が聞こえてくる。
街中で聞けば、聞き惚れるような美しい女性の歌声。
しかし、今この瞬間に聞こえてくる歌声は、店主にとっては地獄へ誘う悪魔の歌声に聞こえてくる。
店主が恐怖にかられながら、歌声のする方を見る。
そこにはぴっちりとしたタイツスーツに身を包んだ栗毛の東洋系の女の子。年の位を見ると高校生というところか。
無邪気な瞳は空を見上げ、心底楽しそうに歌を歌う。
「なんなんだ……あんた」
店主の問いに答えは返ってこなかった。
少女は歌い続ける。
そして一曲歌い終えると、少女は恐怖で固まっている店主へと視線を送る。
バッチリと合った視線。そこで店主はその少女の瞳の中心に真っ赤な光を見る。
真っ赤な光を視認した瞬間、店主の体の至るところから炎が上がり、モノの数秒で店主は全身を炎に包まれ、息絶える。
そして燃え盛る公園にまた、少女の歌声が響く。
「実験は成功ですね……上手くいかなかったのは、あれが喪失者だったからでしょう。すばらしい
――ハーヴェスト、あなたが言った通り」
先ほど店主を消し炭にした少女になんの躊躇もなく近づくスーツ姿の男。
髪もビシっと決め、キリっとしたメガネを掛け、出来るサラリーマンの風貌の男は、小さく拍手しながら少女の元へと歩いていく。
男の声を聞いた少女は、敵意も見せず、小さく頭を垂れて男の次の言葉を待つ。
その少女の真後ろにいつの間に現れたのか、外科手術の後が生々しく残り、そこにボルトが何本も打ち込まれ周囲がはげたガタイのいい中東系の男がニヤリと不気味に笑っていた。
外套を羽織っていてもわかる筋骨隆々な体からは、CGではないかと思えるほど精巧なタンポポが生えていた。
そのタンポポの特異性は巨大さだけでも、人の体から生えているでもなく、
――その花は漆黒であった。
「ああ……私もお前がいう『あの条件』さえ果たしてくれれば、いくらでもこの花を提供するさ。合理的にな」
「それはもちろん。私の野望が達成された暁には必ず……。
柏木舞、実験は成功です。あなたは見事、また契約者になりました。これからは私の駒として働いてもらいますよ」
「……はい、エリック西島」
「マスターとお呼びなさい。働けばあなたの生活は保証しますよ」
「……はい、マスター」
舞の返答にニヤリとほくそ笑んだエリック西島と呼ばれた男は、舞とハーヴェストを連れて燃え盛る公園を後にした。
3人がいた所には、数枚の黒いタンポポのような花弁が落ちていた。
公園の火災は死亡者1人を出したものの、無事消火された。
この日より、シュテルンビルトに不可解な事件が度々起こることとなる……。
―――――
......TO BE CONTINUED