「「う、うぅん……」」
黄家のキッチンで、目の前に黒い煙を出す一口大の物体を眺めながら、
黄 宝鈴とカリーナ・ライルは悩ましげな顔で見合っていた。
これで何度目かの挑戦も、見事に失敗に終わり、山は一層大きく盛り上がる。
エスニックな女性らしい私服の上にフリルの付いた白のエプロンをしたカリーナは、こんなはずじゃなかった……っと、顔を引き攣らせながら乾いた笑いを零す。
料理を教えて欲しいっという黄の願いに、まぁ本を見れば私にだって出来る! っとタカをくくっていたカリーナは自身が思い描いていた理想と現実とのあまりに大きな差に愕然とするしかできない。
それを尻目にカンフースーツの上に同じくフリルの付いた白のエプロンを付けた黄が、ゴシゴシと金タワシで焦げを取っている。
事の始まりは、先日出かけた
黒へのプレゼントを探そうの買い物の時。
「やっぱり記念日はどこかで食べるの?」
っと聞いたカリーナに
黄は横に首を振って、照れくさそうに頬をかきながら答える。
「いつも家で師匠が一杯作ってくれるんだ……ボクの好きなの」
「ふぅん。じゃぁさ、今回は黄が料理作って驚かせたら?」
などと、カリーナが少し悪戯心から発した何気ない言葉から始まったのだ。
そこに同伴していた『折紙サイクロン』イワン・カレリンに、“嬉しいものなの?”っと黄は純真無垢な瞳で聞いた。
黄の問いに少したじろぎながらイアンは、首を縦に振った。
それから黒がバイトや家に居ない間に、こうして料理を作り始めたのだ。
腕前は両者とも『料理』といえるのには程遠いが……。
「料理って難しいね、カリーナさん」
「そうね……やればできると思ってたけど、ここまで出来ないとは思わなかったわ」
「やっぱり師匠ってすごいんだ」
「そうね……李さんってどんな料理作るの? やっぱ中華系?」
「うん。違うのも作るけど、やっぱりボク達アジア系だから」
ふぅん……っと答えたカリーナは、眉間に皺を寄せながら目的の料理の作り方と睨み合う。
何度見ても作り方の写真や説明は簡単そうに書いている。
しかし何度挑戦しようと、百個の作った中から数個のみ一応の完成を見るというコストパフォーマンス最悪の結果のみが残る。
代わりにというか当然のように『黒いの』や『中身がはみ出ている』のが山を積み上がっていく。
今回の挑戦も同じ結果となり、山は一層大きくなる。
そこにガチャリっと扉が開く。
黒が帰ってきたのかと、黄とカリーナは『っあ!』っと大きく口を開けて扉の方向を見やる。
そこにはポカンっと口を開け、不思議そうに少し瞼の落ちて感情が乗っていない瞳で2人を見るハヴォックがいた。
ペタペタっとゆっくりと近づいたハヴォックは感情が乗っていない瞳で、『黒い山』と比較的成功している数個の料理を見比べる。
「餃子か……?」
「ね……ねぇ、ハヴォックは作れる? ボク達できなくって……」
「作った事はないが……ペリメニみたいなものだな。なら作れそう、だな。本を見せてくれないか?」
ハヴォックは黄から渡された本を少し見ると、冷蔵庫から取り出されて陳列された材料を見やる。
トントンと慣れた手付きで包丁で材料を切り、餡を作っていく。
皮は市販されているモノを使うらしく、丸く薄く伸ばされたモノが置いてあった。
ハヴォックは本を注意深く読んでから、餃子を整形していく。
おぉ! っとそれまで眺めていた黄とカリーナはキラキラと目を輝かして、ハヴォックの作業を見ている。
ハヴォックとしては、この世界に来る前も、この世界に来てからもしてきた手馴れた作業。
見られると恥ずかしいな……っと顔には出さずに、ハヴォックは淡々と餃子を作っていく。
前の世界で料理を初めてした時は、2人が作った黒い山と同じようなモノを作ったことがあるな……っと思い出し、小さく口の端が上がってしまう。
そうして見事、少し焦げはしたものの見事な餃子を焼き上げたハヴォックは、感動の眼差しで見つめてくる2人に差し出す。
「ここ数日何か物音がすると思えば、こういう事だったんだな」
「う……うん。お願い! ハヴォック、教えて! もう一週間もないんだ!」
「泊めてもらっているしな……断る理由はない」
感動の眼差しをしていた黄は全身を使って太陽のような笑顔を浮かべ、ハヴォックに嬉しさのあまり抱きつく。
突然の黄の行動に、一瞬驚きの表情を浮かべたハヴォックは、先程よりも少し大きく口の端が緩む。
そして、黄の頭を優しく、優しく愛おしそうにポンポンと叩く。
「どうして、コレなんだ? もう少し簡単なモノもあるだろう?」
「えっとね……餃子ってね、ボクが師匠に初めて作って貰った料理なんだ。
――だから、ボクも師匠に作ってあげたいんだ。いつもボクは作ってもらうばかりだから」
「アイツの料理は美味いか?」
「うん! ボクは師匠の料理皆好きだよ!」
「気をつけろよ……料理が美味い男は決まって悪い男だからな」
大好きな師匠を少し貶されたような気がして、ハヴォックに抱きついていた黄は離れて、少し不満そうな顔をハヴォックに送る。
『冗談だ』っと少し嬉しさが篭っていそうな少し弾んだ声を放ったハヴォックは、どこかギクシャクした笑顔と笑い声が浮かんでいる。
ハヴォックが運び込まれて数える日数しか同じ家で生活していないが、初めて見たハヴォックの笑顔に、黄は驚く。
何か油の切れた人形のような……、何か全てが少しずつズレているような、どこかぎこちない笑顔を見た黄はポカンっとしてしまう。
「ハハハハ……ぎこちないだろう? これでも上手くなったんだ」
「おーい、そろそろ黒が帰ってくるぞ? ……どうした?」
ハヴォックが笑っているキッチンに、黒猫に憑依した契約者の
猫が入ってくる。
家の中を自由に歩き回っている猫は、数日前から黄が料理を始めた事を知っていたが、猫の毛が入るとキッチンへの入室を固く禁止されていた。
変わりに、黒が帰ってきそうな時間になる前に報せる係となった。
今回もしっかりと報せる係をやりとげたはずなのに、入ってくるタイミング、猫の特異性を知らないカリーナの存在により、キッチンは静寂に包まれる。
「ね……ねねね猫がしゃべったー!!?」
ドアから入ってきて机に飛び乗った黒猫が当然のようにしゃべりだした事に、パニックになったNEXTのカリーナは一歩も動かず上体だけをアタフタとさせる。
そういえばカリーナに猫の存在について教えてなかった……。っと黄は、アタフタするカリーナを落ち着かせようとドウドウ……っと呟く。
「おいおい、言っといてくれてもいいじゃないかよ。その女とは長い付き合いになるって言ってんのに……」
「ごめん、猫……すっかり忘れてた」
「まったく仕方ねぇな。おい、そこの嬢ちゃん! 俺は動物に憑依する能力者だ。ワケあって人間の体には戻れないが、よろしくな」
「え……あ、はい」
さすがは50近いおっさんが中身の猫とでもいうべきか、見事にパニクるカリーナを落ち着かせ、自己紹介を終えた。
自分はNEXTとは違う『契約者』であるとも、NEXTの能力を持っている事も話さずに、しかも嘘は一切言わずに……。
その一連の騒動を見ていたハヴォックは、小さく口の端を上げて笑っていた。
「俺の自己紹介もいいが、そろそろ帰ってくるぞ? ……その黒い山をどうにかしなくちゃいけないんじゃないか?」
「そうだな……おい、すぐに帰り支度をするんだな。私も黒とその女を返すついでに出てくる。その間に片付けておくといい」
「う、うん。ありがとう」
解決策を提案したハヴォックは、帰り支度を始めたカリーナを置いて一人でペタペタっと玄関へと向かう。
慌てながらエプロンを鞄にしまったカリーナは、黄に別れの挨拶をしてから足早にハヴォックが消えた玄関へと去っていく。
カリーナを見送った黄は、2人で作った黒い山を眺め、一掴みヒョイっと取って、なんの迷いもなくパクッと口へと運ぶ。
焦げた餃子の出来損ない達が織り成す黒い山から、なんの迷いもなく自身の口に入れるという行動に、猫はアングリして固まる。
ちょっと期待していたのか、少し微笑みながら口に入れた黄の表情は、笑ってしまいそうなほど綺麗に笑顔から真っ青な顔へと変わっていく。
さすがに吐き出すな……っと呆れながら溜息を履いた猫の考えに反し、黄は我慢して体中を大きく動かして飲み込んだ。
「……すごい、まずい」
「焦げてりゃそうだろ……焦げてる奴は全部捨てろ。体に毒だ」
「えーでも、焦げてない箇所は食べれるよ?」
純真無垢というか、教育が行き届いてるいい子というか……そんなに食べ物を大切にするなら、そんなに山を作るくらい作るなよ! っというツッコミを喉を通さずに引っ込めた猫は、溜息をつく。
少し引きつった表情の黄は、また餃子を掴むと黒く焦げた部分を器用にちぎって食べていく。
パクパクと止まることを知らない黄を見て、かつて“ゲート”のあった世界にて黒の食事を見ているようで笑いがこみ上げてくる。
「似ているのは能力と体術だけかと思ってたが、まさかそんなところまでそっくりだとはな。俺も手伝ってやるよ」
猫は溜息をつきながら餃子を加えてから、焦げた部分を取り除きながら食べていく。
猫の行動に、少し引きつった表情をしていた黄は、ニッコリと笑って『ありがとう』っと呟いて、食べ続ける。
夜のシュテルンビルトを歩く黒とカリーナ、ハヴォック。
見事ハヴォックとカリーナは黒が家に入る前に捕まえ、カリーナを家に送るという名目で連れ出すことに成功した。
道中の会話のほとんどは、
李 舜生の仮面を被った黒とカリーナが行っており、ハヴォックはペタペタとついてきている。
李 舜生の仮面を被った黒はハヴォックとの関係について聞かれたが、昔の知り合いと一点張りで逃れる。
ちゃんと黄の相手もするのよ! っと忠告を受けつつ、黒達一行はカリーナの家に着く。
「じゃぁね、李さん……っとハヴォックさん」
「はい。また明日」
「……ああ」
小さく手を振るカリーナに、李はニコニコとした笑顔で手を振り、ハヴォックは無表情に小さく頭を下げる。
カリーナがドアを閉めたのを確認して、黒は李 舜生の仮面を脱ぎすて、黒としての顔が現れる。
ハヴォックは含んだ笑みを浮かべ、歩きだした黒の横を歩く。
「お前の演技は初めて見るな。うっかり騙されてしまいそうだ」
「……任務の為に必要だったからな」
「フフフ……なら任務がないお前がどうしてその仮面を被る?」
「…………」
「本当にローラの言った通りだな。
――料理が美味い男は悪い男だ……」
口の端を上げて、不器用に笑うハヴォックに黒は、これはハヴォックなりの冗談なのだと理解し、小さく口元を緩める。
以前の世界でも、人間性を取り戻しかけていたハヴォックは同様の事を黒に放った。
「いいものだな、この世界は。坊や達を奪われたが……能力を持つ者達が私たち契約者のように感情を失うことはない」
「……あぁ」
「嫉妬してしまいそうだな。私もこの世界で生まれていたなら……あの子達のようになれたのかもな」
「そうだな……ハヴォック」
「いい……今私は喪失者という事だけで十分だ」
そうか……っと黒は頷くと、二人は無言で家へと向かう。
黄家にたどり着いた2人が帰ると、キッチンに山を作っていた餃子の出来損ないは綺麗に無くなっていた。
それを見たハヴォックは、何も言わずにペタペタと歩いて部屋へと行ってしまう。
黒はキッチンにて目を回している猫を見つけ、無表情のまま持ち上げると、ソファーへと置いて自身も部屋へと消えていく。
――――――
TIGER&BUNNY × Darker Than Black
黒の異邦人は龍の保護者
# 05 “Ticket of Ark ―― 方舟への切符 ―― ”
『死神の涙』編 B
作者;ハナズオウ
――――――
翌日、シュテルンビルトの黄 宝鈴が通う学校の校門で、黄 宝鈴はワクワクしながら『友達』を待っていた。
ソワソワと腕時計を何度も見て、携帯をパカパカと開いたり閉じたりしている。
黄の服装は、前回イアンとカリーナと買い物に行った時にハヴォックが選んだ服だ。
黒のチャイナ服に袖に朱のラインが入っており、それに黒のパンツと靴を合わせる。
そして、白のショルダーバックを掛けている。
「遅いな、楓」
黄は嬉しさがこみ上げる声で小さく呟く。
待ち人は鏑木楓。
先日メールをしていた所、楓が嗜んでいるフィギュアスケートの映像を観ないですか? っと誘いを受けたのだ。
ちょうど最近一度アクシデントで延期になったが滑っており、それをぜひ黄に見て欲しいと言われたのだ。
もちろん、黄の返事は速攻で『もちろん!』とのことだ。
ワクワクして寝れなかったりしたが、楽しみに黄は笑顔が自然と零れている。
……シクン。
ただ1つ心配があるとすれば、先日黒との記念日に向けて作っている餃子を処理するために大量に、少し焦げたモノや中身がはみ出したモノを無理して食して少しお腹が不安なだけだ。
まぁ、大丈夫か! っと黄は心配を頭の隅に追いやる。
「黄さーん!」
笑顔で立っている黄の元に、元気一杯の楓の声が届いてくる。
それを聞いた黄は声のする方を見て、楓を確認してから駆け寄る。
楓はいつものように、黒の七分Tシャツにピンクの裏地に水色のベスト、ホットパンツに黒のハイニーソに身を包んでいる。
少し茶色掛かった紙を前髪を三つ網にしてサイドに流し、サイドポニーを黄色のリボンで縛っている。
そんな楓と黄は手を繋ぎながら、楓の家へと向かう。
その道中も2人は楽しそうに話をして、楓の家までの時間が短いっと感じたくらいだった。
家に着くと、楓のお祖母ちゃんであり『ワイルドタイガー』鏑木・T・虎徹の母親でもある優しげな老婆が迎えてくれた。
白髪の髪を後ろで括り、優しいお婆ちゃんを体現したような雰囲気を持っている。
黄は礼儀正しく挨拶を交わすと、ショルダーバックの中からタッパーを取り出し、お婆ちゃんに渡す。
「初めまして、黄 宝鈴です。これ、師匠が作ってくれた肉まんです。よかったら食べてください」
「あらあら、わざわざありがとうね。今からお茶を淹れてあげましょう。ビデオを見るんでしょう、楓?」
「うん! 私準備してくる!」
笑顔で返事をした楓は、お婆ちゃんと柱の間を器用に抜けて家の中へと消えていく。
残された黄とお婆ちゃんもゆっくりと家の中へと入っていく。
リビングに置かれた大きなテレビの前で、楓がビデオを片手にレコーダー達と格闘していた。
お婆ちゃんの手招きにより、黄はテレビの前に陣取っているソファーへと座る。
数分とせず、楓は操作を終えて、トタトタっと可愛い仕草で黄が座るソファーに飛び乗る。
ボスンっと衝撃を受けながら隣に座った楓の笑顔に笑顔で応えながら、流れ始めたビデオへと意識を集中させる。
流れてきたのは氷の上を可愛らしく踊りながら滑っている楓だ。
黒地にピンクの水玉にピンクのヒラヒラスカートとスカーフ。全てが可愛らしく、可愛らしい格好をするのが苦手な黄でさえも見惚れてしまっている。
後ろに流れている音楽に遅れることも行き過ぎることもなく踊る楓に、黄は魅了された。
「楓……すごい、綺麗」
「ありがとう、黄さん! まだまだ一杯あるんだよ!」
「うん」
楓は嬉しそうに答えて、次から次へと自分が滑っているビデオを流していく。
次から次へと流れてくるビデオに映っている楓はどれも可愛らしく、黄は自分にはないモノを見出したのか憧れの羨望を注いでいる。
そんな2人の元へ、楓のお婆ちゃんは静かにお茶と黄が持ってきた肉まんを持ってやってくる。
2人に声を掛けるわけでもなく、静かにお茶を注いで2人の前のテーブルに優しく置く。
数本のビデオを鑑賞した2人は温められた肉まんを手に取り、パクっと口に運ぶ。
絶品とまではいかないまでも美味である肉まんに、2人は笑顔で美味しい! っと言い合いながら一個を完食する。
「美味しかったのかい? もう一つもってこようかね」
「うん! 李さんって料理も出来るんだ。すごぉい!」
「師匠の料理はなんでも美味しいんだよ。楓も今度食べにおいでよ」
「え! いいの! 行く行く!」
「よかったねぇ、楓。そういえば、宝鈴ちゃんのお師匠さんってのは男なのかい?」
「はい! ボクよりも強くて、ボクの目標なんだ」
「そうかい……なら楓、それに宝鈴ちゃん。1つお婆ちゃんからいいことを教えてあげようかね。
――料理が上手な男には悪い奴が多いからね、気をつけるんだよ」
お婆ちゃんの少し陽気な声で放たれたハヴォックにも言われた言葉に、黄は少しムスっとして視線を落とす。
楽しさが支配していた黄にふと訪れた負の気持ち。そしてそれに伴うように下腹部に感じていた不快感が強くなったような気がした。
いやむしろ痛い。
これはさすがに限界かな……。
……シクン
昨日、黒に贈るための餃子の出来損ないのほとんどを食べて処理した黄は、それが原因でお腹が痛いのかな……っと下腹部を優しくさする。
「あの……おトイレ借りてもいいですか?」
「ええ、その扉を出て奥の所だよ」
ありがとうございます……っと黄は小さく頭を下げて指示された扉をくぐって消える。
黄を見送った2人、楓はお婆ちゃんが放った言葉の意味を理解したのか、プゥっと頬を膨らませる。
学校帰りに、黄を待つ李 舜生と話をするのが楓の楽しみの一つである。
そんな楓は李 舜生の事を大好きなお兄さんと思っているのに、それを否定されたのだ。
仕方のないことである。
「お婆ちゃん! 李さんは悪い人じゃないよ!」
「あらあらそうかい……少し冗談が過ぎたかね。でもね楓、今はわからなくても男を見る上でそれは大事なことなんだよ。それだけは覚えておきなさい」
「っえ……うん」
「さてと、宝鈴ちゃんにも少しお話をしてあげなくちゃいけないね。ちょっと大人しく待っておくんだよ」
お婆ちゃんは楓の頭を優しく撫でると、ちょっといってくるねっと楓を残して黄が消えた扉をくぐる。
お婆ちゃんを見送った楓はお茶を啜って、プハァっと一息つく。
扉をくぐったお婆ちゃんは廊下を進んだ所に黄が蹲っているのを見つける。
何かあったのかとお婆ちゃんは少し足早に黄の元に駆け寄る。
「どうしたんだい? お腹が痛いのかい?」
「う、うん。……でも、昨日食べ過ぎたから……」
「宝鈴ちゃん……なんて顔してんだい?」
振り返った黄は、心配かけまいと必死で笑顔を作ろうとした。
しかし、顔は真っ青で無理に口の端を持ち上げ、泣きそうに潤んだ瞳でお婆ちゃんに大丈夫だと訴えようとしている。
しかし、お婆ちゃんにもそれを見た誰にも大丈夫だとは映らない。
お婆ちゃんは経験から、あらあらと笑顔のまま黄の肩を抱いて寝室へとゆっくりと運ぶ。
これまで経験したことのない下腹部の痛みに黄は満足に歩けなかったが、お婆ちゃんは優しく支える。
そして、お婆ちゃんの寝室へと運ばれると、ベッドに優しく座らせてもらう。
痛みに蹲っている黄に、お婆ちゃんはタンスから出した錠剤などを渡す。
「羽根……つき?」
「そうだよ、まずはその錠剤を飲んじゃいなさい」
「うん……」
黄はお婆ちゃんに言われた通りに錠剤を水で飲み、横に寄り添ってくれるお婆ちゃんに身を預ける。
「こんな痛み……ボク初めてなんだ……ボク、おかしくなっちゃったのかな?」
「いいえ、宝鈴ちゃんは今まさに“ノアの方舟”に乗る資格を持ったんだ。祝うべき事なんだよ」
「ノアの……方舟?」
「そうさ、知らないかい?」
「動物を男と女一人づつ乗せたって……大洪水を逃れるのに」
「その通りだね。宝鈴ちゃんはそれに乗れるんだ。
宝鈴ちゃんはね、今……心も体も変化し始めてるんだよ……ゆっくりとでいいんだ、ゆっくりとね。
その変化を受け止めないといけないよ」
お婆ちゃんは優しく優しく黄の頭を撫で続ける。
体の変化戸惑っている黄を落ち着かせる為に、何度も何度も優しく……。
「宝鈴ちゃんはこれから恋を知って、ドンドンと大人の女になっていくんだ」
「恋……」
『恋』っという単語に薄らと反応した黄に、お婆ちゃんは見逃さなかった。
「あらあら宝鈴ちゃんにはもういるのかね、そういう人が?」
「……わからないんだ。ずっと師匠と一緒にいれるのはすごい楽しいんだ。
でも師匠が、カリーナさんやハヴォックと話してるの見てると胸がモヤモヤして……2人ともボクは好きなのに、ボクきっと悪い子なんだ。その時だけ2人の事がちょっと嫌いになってる」
「そんな事ないさ。……そのお師匠さんは優しいかい?」
「うん……ボクが能力を上手に使えなかった時も、ボクが一人はいやだって泣いたときもずっと一緒にいてくれたんだ……師匠だって大切な人を亡くしたのに……」
込み上げてくる秘めていた想いと涙が、黄から止まることなく溢れてくる。
お婆ちゃんは、ただただ優しく受け止めて、黄の背中をさすっている。
お婆ちゃんの優しさに導かれるように黄は秘めて心の奥底に沈めていた想いを吐き出していく。
冷静に考えてみれば、黄 宝鈴は11歳で親元を離れシュテルンビルドへとやってきた。
李 舜生が親代わりに身の回りの世話全てををやってはいたが、母親代わりになる存在というものを黄は、このシュテルンビルドで持ってはいない。
そんな黄に、シュテルンビルドへやってきて初めて感じる母性に包まれる優しい感覚が包み込む。
「ねぇ、お婆ちゃん……ボク師匠にプレゼント買ったんだ……。喜んでくれるかな?」
「そりゃぁ当然、喜んでくれるさ。何かの記念日なのかい?」
「うん。ボクと師匠が出会った日なんだ」
「そりゃぁ大事な日だねぇ。そうだ宝鈴ちゃん、いいオマジナイを教えてあげようかね。
私も昔人に教えてもらったんだけどね。そのオマジナイを旦那にも息子にもしてあげた由緒あるオマジナイだよ。
――『あなたの笑顔をずっと守ってくれますように』」
「笑顔を……守って……」
「ああ、そうさ。笑顔は大切だからね。可愛い宝鈴ちゃんが笑顔とこのオマジナイとを一緒にお師匠さんにプレゼントと渡せば、もうイチコロさ」
「……う、うん。ありがとう、お婆ちゃん」
お婆ちゃんは黄を優しく抱き寄せると、頭を優しく撫でてあげる。
少しこそばゆい感じを受けながらも、黄はそれを心地好く受け続ける。
先程までボロボロと涙を流していた黄の表情は、安らかな笑顔に代わっている。
それを見たお婆ちゃんも安堵し、黄を抱き寄せていた手で優しくポンポンっとタッチする。
「さてと、楓もそろそろ限界だろうしリビングへ行こうか、宝鈴ちゃん」
「うん」
「今日は一日大人しくしてるんだよ。帰りは送っていくからさ」
「うん……ありがとう、お婆ちゃん」
黄はお婆ちゃんに肩を抱かれながらリビングへと向かう。
それから、黄と楓は大人しくビデオを見て過ごす。
帰る時間になると楓の家の前には、鏑木・T・虎徹とその車があった。
どうやら送っていくのは虎徹のようだ。
黄はお婆ちゃんと楓に礼儀正しく深く頭を下げて別れの挨拶をする。
2人も笑顔で黄の挨拶に答える。
虎徹の車に乗った黄は、虎徹の運転で家まで送られることとなった。
――――――――
夜の静かなシュテルンビルドでは、軽く渋滞しつつもサラリーマン達が家路についている。
その中にどこにでも居そうな真面目で、髪は7:3に分け、黒縁の眼鏡、パリッとしたスーツに身を包んだ男が虚ろな目をして歩いていた。
人ゴミの中をフラフラと歩き、すれ違う人達の肩がぶつかっていく。
迷惑そうな視線を送られようと、まるで存在しないかのように無視し続けていく。
そしてなんのキッカケもなく、ある一瞬を堺にフラフラとしていたサラリーマンは青い光を纏う。
青い光を纏ったサラリーマンは、掌から衝撃波を道行く人へと向けて放っていく。
先程までいつもと変わらぬ平穏な日常にあった道は、一瞬にして惨劇へと変わってしまう。
逃げ惑う人々の群れに、サラリーマンは衝撃波を迷いなく撃ち込む。
その衝撃波に吹き飛ばされた人、逃げ惑う人達に押しのけられてケガをした人、破壊された建物と車……惨劇が怒った道はまたたく間に地獄へと変わる。
サラリーマンは人を人と見ていないのか、逃げ惑う人を楽しげに衝撃波で撃ち抜き、死傷者を増やしていく。
悪びれる事もせず、楽しげな笑みを浮かべるサラリーマンは、浮かれるように四方八方に衝撃波を打ち続ける。
「なんだ……これ」
HIRO TVの要請を受けて駆けつけたワイルドタイガーとバーナビー・ブルックス・Jrは、ヒーロースーツに身を包んでいる。
ワイルドタイガーは白と黒の機械的なスーツに緑のクリアパーツが付いており、マスクはパーツの凹凸により顔が見事に表現されている。
バーナビーはも白と黒を基調とした機械的なスーツに赤とクリアレッドが入っており、マスクには長くて尖った耳のようなモノがついている。
2人はヒーロー界初のコンビとして同系統のスーツを着ている。
「アニエス!! 救護班を急がせろ! 俺達は犯人を追う!」
『行って頂戴。犯人はその道を真っ直ぐ進んでるわ』
ワイルドタイガーはHIRO TVのプロデューサーであるアニエスに救護班を要請し、能力を開放させる。
ワイルドタイガーの能力は『ハンドレッドパワー』。5分間だけ全ての身体能力を100倍にする能力である。
能力開放とともに、ヒーロースーツのクリアパーツ部分が緑に発光する。
そして、最高速で駆け抜けてこの惨劇を繰り広げた犯人の元へと向かう。
正義感が人一倍強いワイルドタイガーにとって、市民への攻撃をする犯罪は許されざるモノだ。
その怒りを燃やしながらワイルドタイガーは駆ける。
駆けていくごとに地面に転がっている負傷者達の数は目に見えて減っており、市民がちゃんと逃げている事がわかった。
それにホッとしたのも束の間、ワイルドタイガーは道路の真ん中でフラフラと頭を揺らしているどこにでもいそうなサラリーマンが背を向けて立っていた。
この惨劇の犯人だと警戒しながら、ワイルドタイガーは近づいていく。
「おい! お前が犯人か!?」
「…………」
「答えろよ!」
問いかけに答えないサラリーマンに、声を荒らげながら肩を持って強制的にワイルドタイガーはこちらを向かせる。
フラフラしているから虚ろな顔でもしているのかと思っていたが、違った。
男の口からは黒いタンポポが不気味に生えており、その目は飛び出そうなほど開き、真っ赤に充血していた。
な! っと驚愕に包まれたワイルドタイガーにサラリーマンのから特大の衝撃波が襲う。
見事漫画に書いたように吹き飛ばされたワイルドタイガーは建物の壁にめり込む。
口から黒いタンポポを生やしたサラリーマンは、大きく頭を横に揺らしワイルドタイガーへと歩み始める。
ワイルドタイガーがめり込んでいる壁まで5mとなった所で、サラリーマンは両手をワイルドタイガーに向けてかざす。
サラリーマンは青い光を発光させ、虚ろな瞳に真っ赤な光を灯す。
衝撃波が放たれるより一瞬早く、ワイルドタイガーのパートナー、バーナビーが回転踵落としでサラリーマンの両腕を打ち落として方向をずらす。
ワイルドタイガーに照準が定まっていた両手は地面へと向けられ、衝撃波は地面に小さなクレーターを2つ作った。
そして、容赦なくバーナビーはサラリーマンの首を打って気絶させる。
「何してるんですか、おじさん」
「いやぁだってさ、普通驚くだろ? 口から花なんて生やしてたらさ」
「危険を排除してからにしてください、おじさん」
呆れたように声を掛けたバーナビーは、気絶させたサラリーマンをめんどくさそうに持って警察の方へと歩いていく。
まだ壁にめり込んでいるワイルドタイガーは、『おーい! 助けてよー! バニーちゃん?』 っと叫びながら壁からゆっくりと脱出する。
2人は警察に引き渡されたサラリーマンの口に黒いタンポポが消えていることに気づくことはなかった。
バーナビーが運んできた所に黒い砂が少しずつ落ちていた。だが、それはごくごく少ない量だったため、誰にも確認されることはなかった。
今回の惨劇が繰り広げられた道路に沿って建っている三階建ての屋上に三つの影が一部始終を観測していた。
黒髪の角刈りにキリっとした眼鏡をして、スーツをバシッとキメた男、エリック西島は、イヤラシイ笑みを隠そうとせずに出している。
その後ろには、ボルトを頭に打ち込んだ白髪の男、ハーヴェストが立っている。
その背には巨大な黒いタンポポが咲いており、筋骨隆々な体に根っこを速されているかのように植物が巻きついている。
「この実験も成功ですね……花との併用実験」
「ククク……花を提供し続けてきた甲斐があったというものだ。"あの約束”を忘れていなければそれでいい」
「ええ……それは必ず。私が『時』を手に入れたときにはね」
エリック西島は、先ほどバーナビーに捕まったサラリーマンに事件前に接触している。
そして了解もなく実験材料として強制的に組み込んだのだ。
そして、ハーヴェストから提供される黒いタンポポの力を観察していた。
それはエリック西島の満足がいくものになったらしく、2人は共に笑っていた。
「それではそろそろ帰るとしましょうか。計画は順調に進んでいます。あとは……」
「あとは、BK-201を手に入れるだけ……か」
「ええ。不満ならば代案の方を一刻も早く探し当ててください、ハーヴェスト。さぁパーセル! パンドラへ帰ります」
「はいよ」
エリック西島は、パーセルと呼んだ少女の元へとゆっくりと進む。
パーセルは、ランセルノプト放射光を放ち、手から黒い空間を作り出し、大人一人が楽々入ってしまうくらいの大きさにする。
そこにエリック西島は躊躇なく入っていき、建物の屋上から姿を消す。
少し遅れて、少し不満そうな表情をしているハーヴェストが入っていく。
パーセルと言われた少女は、黒い髪をオカッパにしており丸いメガネを掛け、猫耳が付いたフード付きのコートを着ている14歳程の少女だ。
かつて、彼女も“ゲート”のあった世界……黒達の世界で契約者だった。
幼くして『空間転移』の契約者となったパーセルはエリック西島が所属していたパンドラという組織で飼われていた。
飼われていた事になんの不満もなかったが、そこで開発された機械化されたドールと呼ばれる受動霊媒と出会った。
それからはそのドールを『チャンプ』と名付け、友達としてどんな事にも共に行動していた。
しかし、黒と出会った事件にて、友達チャンプを失い、拠を失ったパーセルはまたパンドラにて生活していた。
それが、世界崩壊をもたらす存在『イザナミ』により魂を抜かれ、気づいたときにはこの世界に能力と一部の記憶を失って転がっていた。
どこかなにかが抜けた感覚を持ちつつ、パーセルは生き延びてきた。
そして、どういうトリックでかはわからないが、エリック西島はパーセルを発見し保護した。
程なくして契約能力を取り戻し、かつての世界での失っていた記憶を取り戻したパーセルは、契約者らしい合理的な判断でエリック西島についている。
「BK-201か……アイツもこの世界にきてんのか」
どこか懐かしそうにパーセルは空を見上げる。
――『BK-201』、それは李 舜生……黒を表す偽りの星の名前である。
パーセルも自身が作り出した黒い空間へと消えていく。
――――――――
黒との記念日を翌日に控えた夜。
黄家の普段は誰も入らない地下室。
床は石と砂利が敷かれ、所々に粗大ごみや瓶、缶などの室内にはいてほしくないはずのゴミが散乱している。
そんなかなり故意に弄られた地下室で、高速で動く影が2つ。
黒と黄 宝鈴である。
2人はただ高速で動いているわけではなく、戦闘訓練をしているのだ。
黄が高速で蹴りを黒の腹へ向けて放つも、一瞬早く察知した黒は軽く蹴りの射程圏外に留まり、やり過ごす。
勢い余って体を余計に回してしまった黄は、背中を黒に晒してしまう。
その隙を見逃すわけもなく、黒は突きを繰り出そうと距離を縮め、ノーモーションで放つ。
それを受けながらも黄は一瞬だけ早く片足で地面を蹴り、受けた黒の突きの勢いを足して回し打ち落としの蹴りを黒の頭目掛けて放つ。
しかし、それも黒が紙一重で避けてしまい、空中で回っている黄の胸倉を乱暴に掴み、回転の勢いを無視して黄を地面に押し付ける。
地面に落とされた黄は痛みと肺から抜けた空気を求め、無防備になる。
黒はそれで行動を止めずに、黄の片腕を掴むと、黄の体を反転させてアームロックを決める。
「いたいいたい! ギブ! ギブ!」
「……。もう一回だ」
「はい!」
黄のギブアップ宣言とともに黒の拘束は解かれた。
黒は反省点を述べるわけでもなく、すぐに再スタートした。
今度は黒から攻撃を仕掛ける。
速く無駄が少ない蹴りに、黄は受けずに避けようとするも、読んだ以上の軌道を通って黄の体に蹴りはヒットする。
一度離れて仕掛けなければ、攻撃を繰り出せないと黄は、フェイントを入れながら後退する。
しかし、黒がそうそう逃がしてくれるワケもなく、フェイントに騙されず黄を追いかける。
そして、蹴り、突き、など多彩な攻撃を繰り出してくる。
その全てを黄は、軌道を読んで避けようとするも、避ける事は叶わなかった。
「受け止めるな! 最小限の動きで避けろ!」
黒は、黄に自身が持つ戦闘技術『超感覚』を教えている。
超感覚とは、格闘において相手の動きを読む為に、視線、重心の位置、呼吸、体の微かな動きの前兆などを、視覚と聴覚で得る情報全てを使い察知する技術である。
相手の動きを察知するという事は、後の先を取れるということであり、戦闘を有利に進められる。
この技術を持つ者はその錬度を高めることで、生き残る確率をあげるのだ。
黒も、かつていた世界の戦争を生き抜くために学び、錬度を高めて生き残った。
そして、生身の体で能力者を殺せる程の戦闘力を持つまでに至った。
その技術を今、黒は黄に伝授しているのだ。
――ヒーローという危険な仕事で命を落とさせないために。
かつての世界で分かれたはずの蘇芳・パブリチェンコにも伝授していたが、黄に教えているのは蘇芳の数段上のランクである。
ある程度超感覚を身に付けた黄が、先ほどから黒の攻撃を避けれないのは、黒が避けようとする黄の動きを容赦なく読み取り、そこを突いているからである。
詰まるところ、黄が身につけた超感覚の練度を超えた超感覚を持つ者との戦闘ではこうなる。っと黒は暗に示している。
そして、黄の練度を上げるためのトレーニングを黒は組んでいる。
黒の高速で放たれる攻撃を避けれずに、受けている黄は必死に、今よりも一歩深く読む事に力を注いでいる。
攻撃を受けてしまえば、例え防御しようとも攻撃に転じられない。
だからといって大きく避けてしまえば、攻撃に転じるのにワンテンポ遅れる。
ならば……っと黄は黒の蹴りを大きく後退して、つま先を深く石と砂利が敷き詰められた地面に突き刺す。
そして、石と砂利を巻き上げるように、黒の右半身目掛けて放つ。
黒は最小限に左に体をズラし、黄に回し蹴りを放つ。
避けれないと判断した黄は両腕を交差させて蹴りを受け、その衝撃を逃がすために飛ぶ。
ゴロゴロと埃を上げながら床を転がった黄は、地に指をめり込ませながら石を黒に見られないように内に含んで拳を作り、黒へと突っ込む。
黄は射程圏に入るギリギリで、手首のスナップを利かせ、拳の内に忍ばせた石を黒へと投擲する。
黄の石を使った奇襲に、意表を突かれた黒は石を横に跳んで避ける。
視線を黄がいた地点辺りに向けるが、そこに黄の姿はない。
視界の下ギリギリに影を認識する。
視界を落とし、既に攻撃モーションに入っている黄の肘撃ちを、右手1つで受け止める。
連撃に出ようとする黄よりも先に、右手で掴んだ肘とその先の手首関節を左手で決め、そのまま手首を支点に肘を回転させて黄を投げる。
『ビィィィィ!!』
黒は黄に決定打を、黄は逆転の一撃を放とうと、行動を起こそうとした瞬間に、地下室に響きわたるアラーム。
アラームを聞いた黒は、フウっと一息着いて地下室の出口へと歩いていく。
床に転がされた黄は、そのままゴロンっと床に寝転がる。
「ストレッチをしっかりとな……」
「うん! バイト頑張ってね!」
「晩飯はいつもの所にある。いってくる」
バタンっと閉じられた地下室の出口を、黄は笑顔で眺めながら見送る。
少しの間ゴロンっと寝転がっていた黄は、ヨイショっと立ち上がると駆け足で地下室を出ていく。
すぐにまた地下室へと帰ってきた黄の腕にはマネキンが掴まれていた。
慣れた手付きでマネキンを設置すると、息を整え黄は重心を落とし、右手をマネキンに添える。
脱力しきった黄は、真剣な眼差しでマネキンを見る。
それは黒にも、誰にも知られていない黄が隠れてやっている特訓だった。
必殺の一撃の中国拳法の奥義だ。
黒と出会う前に師事を仰いでいた拳法家達から、形だけ伝授された技術で、それを黄は試行錯誤しつつ、完成を目指していた。
地を踏む足の音、マネキンへと撃ち込まれる打撃音。
黄のこの特訓は、一時間に渡って繰り広げられることとなる。
――ねぇ黒。ボクはこの生活がずっと続けばいいなって思ってたんだよ。
『黒がいる』、それだけでよかったんだ。
それってボクの我侭だったのかな?
でもボクは……黒といたかったんだ。
だからいつか、ボクも追いつくからね!
―――――
......TO BE CONTINUED