第97管理外世界、現地名『地球』。
その地球にある小さな島国、欧州北西部にあるイギリス。通称『英国』などの名前で知られているその島国は――
ブリテン島とアイルランド島北部および周辺の島々から成り立っている。
国連の常任理事国の一国としても広く認知され、過去には大航海時代を経て世界屈指の海洋国家として成長した経緯がある老大国でもある。
その首都ロンドン――
テムズ川に面する緑豊かな美しい街並みが印象的であり、欧州の金融取引の中心と言われるほど経済盛んな都市としても知られている。
世界四大都市の一角に上げられており、数多くのオフィスビルが立ち並ぶ。
その反面、古き良き街並みを生かそうと言う試みもあり、バッキンガム宮殿や、セント・ポール大聖堂、ロンドン塔など世界的に有名な建造物が数多く立ち並ぶことでも知られていた。
そしてここはグレアムの故郷でもあった。
幼少期をこの地で過ごしたグレアムは、管理局に勤めるようになってからも、このロンドンを古き故郷として籍を置き続けていた。
管理局を辞職に追い込まれたグレアムは、事実上のミッドチルダからの追放処分を受け、故里である英国へと帰って来ていた。
そんなグレアムを故郷で出迎えたのは家族ではなく、デビット、そしてシーンを含むメタ=リカーナの魔導師だった。
「……やはり来たか。差し詰め、わたしは国際犯罪者と言ったところかね?」
「すでに証拠固めは終わっている。容疑は言わずとも分かっているだろう?
管理局では優遇されていたのかも知れないが、ここでは貴様は“ただの犯罪者”だ」
こうなることを予想していたのグレアムは観念したように息を吐く。
いつもよりきつい口調で語るデビットを見て、脇に控えていたシーンも僅かに眉を顰(しか)めた。
英国に残したままの戸籍で、はやてに支援を行っていたグレアムの足跡はすぐに調べがついた。
闇の書の存在を知りながら凡そ十年もの年月の間ひた隠しにし、はやてへの非人道的とも取れる行為並び、今回のような大きな事件になることを考慮せず暗躍を続け、世界全体を危険に晒したことは国際非難を浴びても不思議ではない重要犯罪だ。
しかも、管理局側は地球への公式発表で、アルカンシェルの件に関してもグレアムの独断だったと主張してきていた。
もちろんそのような話をデビットは鵜呑みにしている訳ではない。
だが、それが組織の公式発表である以上、無視する訳にも行かないと言うのが現実だった。
今回、管理局と協力して新組織を発足するに辺り、メタ=リカーナを主軸とした主要各国の連携により、魔導師犯罪対策機関が設立せれることは決定していた。
それ故にこの段階で、管理局との関係を見直すことになるような揉め事は、出来れば各国も避けたいと言う思いがある。
しかしながら、グレアムの件は軽視出来るような軽い事件ではない。
今回のことは日本領土内で起こった事件だと言う見解も一部あるが、アルカンシェルを無許可で地球圏に持ち込むなどの危険行為は、国際非難を浴びても仕方のないほどの重要案件でもあるからだ。
そうしたこともあり、アルカンシェルの件に関しては後々、管理局から正式な謝罪文書が送られることが決定していた。
グレアムの独断だったと主張する管理局の言い分と――
今回ほど大きな案件を、グレアム個人だけに押し付け責任を取らせようとするのはどうか?
と言う地球側の見解があったからだ。
だからと言ってグレアムの罪をすべて放免と言う話にはなるはずもなかった。
国連、そして英国との協議の末、グレアムの預かりは一時メタ=リカーナへと移されることが決定し、その采配は事実上、シーラ並びデビットへと委ねられたことになる。
一歩間違えば自分達も国際非難を浴びかねない案件だけに、どの国もグレアムの扱いに困ったと言うのが本音だった。
「それで、わたしはどうなる?」
「一時、日本へ来てもらう。貴様の場合、英国の国籍があるが、今回に置いてはそれも考慮しない方がいい。
この地球に置いても貴様は厄介者扱いだ。居場所など、どこにもないことを覚えておけ」
きつい言葉だがデビットの話は今回の件の的を射ていた。
グレアムのことは管理局だけでなく、地球の国々にとっても毒になりかねない最悪の存在とも言える。
適応できる法律はいくつか存在するが、今回のようなケースの場合、グレアムをただ極刑にすれば済むと言う話ではないからだ。
アルカンシェルで地球が狙われていたなどと言う情報は、もちろん混乱を避けるため外部へと流されないよう徹底した情報規制がしかれてはいるが、それでも各国の首脳陣や官僚たちはそのことを熟知している。
それ故に、グレアムに注目が集まるのは自然だった。
次元を超えし魔人 第28話『次の時代へ』(AS編/終)
作者 193
アリサは大口を開けて呆れ返っていた。それも無理はない。
なのはやフェイトなど、魔導師が人間離れした凄い存在だと言うのは嫌と言うほど見せられてきたが、目の前の戦闘はそうした物とは一線を画すものだった。
事の発端は翠屋にガラを連れ、アリサたちがお茶をしに来たことからはじまる。
たまたまシフトで居合わせていた恭也と学校帰りの美由希、それに士郎と高町家三強の三人が揃ったことが災いした。
士郎が真っ先にガラの腕前を見抜き、その腕前を指摘したことがはじまりだった。
士郎が「全盛期の自分でも恐らく相手にならないだろう」なんてことを弟子の前で言うものだから、剣士としての興味に火がついた恭也がガラに模擬戦を申し込んだのだ。
しかもガラはよりにもよって「やめとけ、オレ様はガン●ムより強えぞ」と挑発するものだから事態は悪化した。
「うあ……ガラさんって強いと思ってたけど」
「うん……桁外れだ」
場所は高町家の剣術道場――
そこで、恭也、美由希の二人を一人で軽くあしらうガラを見て、なのはとフェイトはそんな感想を漏らす。
なのはは兄『恭也』と姉『美由希』の強さをよく知っているので、この光景は悪い夢のようでもあった。
いくら魔法が使えると言っても、近接戦闘能力で鬼神の如き強さを誇り、人間離れした力を発揮する御剣流の剣士に、なのはは勿論、フェイトですら接近戦で勝てる気はしない。
剣でまともに打ち合えるとなったら、魔導師ではカイやシグナムくらいのものだろう。
そんな身内のなのはですら「化け物」と称するほどの超一流の剣士である二人を相手に、ガラはたった一人で応戦していた。
しかもその表情からは、まだ余裕があることが窺える。
「世界は広いな。だが、二人にもよい刺激になっただろう」
ガラの強さを見て士郎はそんな感想を漏らす。しかし、それは本心からでもあった。
怪我をして現役から退いた今では、恭也はおろか、美由希の相手でも苦戦するだろうと言うことは士郎自身がよく分かっている。
しかし今や剣士としての限界を極めようとしている二人にとって、全力を出せる相手がほとんどいないのは悲しい現実だ。
だからこそ、ガラとの戦いは二人にとってもよい刺激になると士郎は思っていた。
「なのはが強い理由が分かった気がする……」
「アリシアちゃん、どういう意味かな?」
呆れた様子でそう言うアリシアの言葉に過剰に反応して、なのはは黒いオーラをまとったまま、その言葉の意味を聞き返す。
不穏な空気を素早く感じ取ったアリシアは、慌てた様子で「な、なんでもないよ」と手を振って否定した。
そうしてる間にも戦いは大詰めを迎えようとしていた。
ほとんどその場から動かないガラと比べて、なんとか一撃を入れようと動き回っている恭也と美由希の二人は、体力をかなり消耗していた。
「……恭ちゃん」
「……ああ」
「む……」
恭也と美由希の表情が変わり、周囲の空気が変わったことにガラは気付く。
そのことから、今までにない最強の一撃が来ることをガラは瞬時に察した。
先程まで余裕を見せていたガラも、さすがにこのままでは受けきれないと判断したのか、愛刀を鞘から抜き、はじめて二人の前で構えを取った。
「来な――」
ガラがそう言葉を発した瞬間、恭也と美由希の姿が視界から消えた。
御剣流奥義之歩法“神速”――
集中力を高め感覚を限界まで研ぎ澄まし、一定の境地にまで達した御剣の剣士のみが成せる究極の移動術。
自身の肉体の限界を超えた速度の中、研ぎ澄まされた感覚がガラの動きをはじめて上回った。
左右から挟みこむようにガラに迫る恭也と美由希。
二人の両手に握られた小太刀が、ガラの身体をはじめて捉え放たれる。
――決まった。
二人は確かに手応えを感じ、ガラにその攻撃が命中したと思っていた。
だが、二人の攻撃はガラが左手に持つ鞘と、右手に持つ刀に阻まれ完全に受け流されていた。
神速の中、確かに二人はガラの動きを上回った。
しかしガラは経験からくる野生的な勘だけで、二人の攻撃を予測し完璧に見切っていたのだ。
――ほんの一瞬のことだった。獲物に狙いを定めたかのように狡猾に微笑みガラ。
次の瞬間、二人は強力な突風に吹き飛ばされ、道場の壁に叩き付けられていた。
「真・魔神人(マジン)剣――まさか、オレにこいつを使わせるとはな」
目を回して気絶する二人を見下ろしながら、ガラは近接戦で奥義まで使わせられたことに心底驚いていた。
経験が乏しいせいか、読み合いなどはまだ甘いところが多いが、単純な剣の実力だけであれば鬼道衆や魔戦将軍をも凌駕しているかもしれないとガラは二人の実力を高く評価する。
もっとも何でもありの殺し合いになれば、今の二人ではカイの足下にも及ばないだろうがと判断するが、それでもガラからして見ればかなりの高評価だった。
「ああ……負けちゃった」
なのはは兄と姉の二人が負けたことで残念そうな顔をするが、もっと非常識な人たちを普段から見ている立場からすれば、これは当然だろうと言う思いもどこかにあった。
魔力を持たない人間が魔導師に勝てないという管理世界の常識も、ガラやメタ=リカーナの武芸者を見ているとかなり信憑性の薄い内容に思えてくる。
正直、恭也や美由希も近接戦闘に持ち込めば、十分高ランク魔導師も落とせるのではないかとその戦いを観戦していた少女たちは思えてならなかった。
「いや、いい勉強になりました」
「あなた――っ!!」
爽やかな笑顔で締めくくろうと、士郎がガラに握手を求めた時だった。
道場の扉を勢いよく開け放ち、そこに立っていたのは、なのはの母であり士郎の妻である“桃子”だった。
その剣幕から桃子が怒っていることは、士郎でなくても誰でも分かった。
実は桃子が買い出しに出掛けている間に出て来たため、今翠屋では取り残された忍とアルバイトの店員の合計二人しか店に居なかった。
しかも時間を見れば、もう夕方の五時。
この時間帯は夕飯の買い物のついで休憩に訪れる奥様方や、部活帰りの女子高生たちなどが集まる時間帯で、五人いても休憩する暇がないほど忙しくなる時間帯だった。
買い出しから帰った桃子が見た光景は、悲鳴を上げながら奥にフロアにと走り回る忍たちの姿だった。
本当は士郎もこんなに遅くなる前に店に戻るつもりだった。
しかし白熱する戦いに夢中になり過ぎてしまい、そのことを忘れていたのだ。
「何か……言い残すことはあるかしら?」
「いや、お手柔らかに頼む……」
桃子に引き摺られていく士郎を見て、少女たちは思う。
高町家最強は士郎でも恭也でも美由希でもなく、桃子ではないかと――
そして高町なのは。彼女もまた、その桃子の血を色濃く受け継いでいた。
メタ=リカーナ王城。
あれから九年――それだけの年月が経っても未だ世界は大きな傷跡を残し続けていた。
メタ=リカーナを中心とする首都部は繁栄を取り戻しつつあるが、すでに王家が断絶しているア=イアン=メイデ、ワイトス・ネイキ、ジューダスの三国は未だ復興の目処が立っていない。
当然、三国の領土は荒れ放題。未だ葬られていない亡骸が野ざらしとなっている土地も少なくないと言うのが、今の中央メタリオン大陸の現状だった。
そうした中、少しでもよい暮らしをと人々はメタ=リカーナへと集まってくる。
それが悪いこととは言わないが、そうした現状が他の地域の復興を遅らせている大きな要因でもあった。
シーラもそのことを思い悩んでいるが、今はメタ=リカーナを支えていくのが精一杯な状態が続いている。
まだ三年、いや十年はかかると思われる問題が、彼女の目の前には山積みとなっていた。
シェラ・イー・リー、かつて魔戦将軍としてカル=スに仕えたその女性は、今はシーラの下、天使と悪魔によって蹂躙された世界の復興作業を手伝っていた。
シェラはシーラに命を救ってもらった経緯があり、彼女の心労を知ってその手伝いをしたいと、この地に留まることを決意した。
彼女は優秀な自然魔法の使い手で、決して戦闘能力が低いわけではないが、どちらかと言うと補助や回復と言った補助的なところで真価を発揮することもあり、メタ=リカーナに置いての彼女の役目は、医療分野やその魔法を生かした予知能力を使い、兵士達の相談にのったり助言を与えることが主な仕事となっていた。
「――D.S.に会って来た」
マカパインから闇の書事件の話を聞いたシェラは、D.S.のことを聞いて「相変わらずね」とD.S.のことを表現する。
シェラにとって最愛の人であり、主君でもあったカル=ス。そのカルが敬愛し、友と慕った伝説の魔導王。
意識を失っていたが、あの悪魔達から救ってくれたのもD.S.だと、シェラは仲間のマカパインやバ・ソリーから聞かされていた。
「いいのか、シェラ。ずっと会いたかったのだろう?」
マカパインはシェラがD.S.に会いたがっていたのを知っていたので、心配して声を掛けた。
しかしシェラはそんなマカパインの提案を首を振って拒否する。
D.S.に会ってちゃんと礼を言いたい。
そしてカルのこと、この十年溜めてきた思いや、聞いて欲しい話がたくさんあるとシェラは思っていた。
しかしシェラには、シーラがここをなかなか離れられない理由があるように――
目の前で苦しんでいる人、困っている人たちがいるのを放っておいて、D.S.のところに行く気にはなれなかった。
「そのうち、落ち着いたら話してみようと思う。だから、それまでは――」
マカパインはそんなシェラの答えを聞いて、「そうか」とそれ以上は何も言おうとしなかった。
管理局、それにメタ=リカーナ合同の魔導師犯罪対策機関が設立される話は、二人もシーラから聞き及んでいる。
そうなれば、焦らなくても近いうち、D.S.に会える機会もあるだろうとシェラは思う。
その時に、彼に恥じることのないよう、胸を張れる自分でいたい。
シェラはそんなことを考えていた。
闇の書事件解決から三ヵ月――
冬も終わりを告げ、雪解けた地面から姿を見せる新しい芽が、春の訪れを知らせてくれる。
あれから管理局との交渉も無事に終わり、はやても自宅へと帰ることが許された。
この春から、はやてもデビットの計らいにより、アリサたちと同じ聖祥大付属小学校に通うことが決まっている。
闇の書の侵食が止まったとは言え、麻痺した足が戻るにはまだリハビリなどを含めると一年以上は掛かると診断されていたが、「家に引き篭もっているのは身体によくない」とデビットが学校への通学を薦めたのだ。
幸い、聖祥大付属小学校は充実した設備が売りの私立学校だけあって、そうした子供達や来賓する身体障害者やお年寄りのことも考え、全面バリアフリー、エレベーター完備と、そこらの公立学校では見られない設備が整っている。
そうしたことも、デビットが理事を務める聖祥大付属小学校を薦めた理由の一つだった。
――通信教育では学べないものが学校にはたくさんある。
それはデビットだけでなく周囲の大人たち全員の、はやてを大切に思う優しさの顕れだったのだろう。
そのことに感謝しながら、はやてはみんなの思いに応えようとリハビリに勉強と頑張っていた。
最近では少しずつではあるが、シャマルやリインフォースなどに教わりながら魔法の使い方も習っている。
愛してくれる家族と、そして大切な友達との幸せな日々――
はやてが夢見てきた“日常”は春の訪れのように、彼女の心に幸せを運んで来てくれたのかも知れない。
「はやてちゃん、なのはちゃんたちが来てくれましたよ」
玄関からシャマルの呼ぶ声がして、はやては返事をしながら振り返る。
いつものように器用に車椅子を操作しながら、はやてはいそいそと料理に取り組んでいた。
今日は迷惑をかけた友達、お世話になった人々に手料理を振舞うことを約束した日だった。
こうして平穏な日常を表向きは送れているが、そうなるまでにデビットやシーンなどの大人達がどれほど大変な思いをしてきたかを、はやては子供なりに考えていた。
あれだけの事件を引き起こしたと言うのに守護騎士たち課せられたのは、街の治安維持への協力とボランティア活動という軽い罰だけだった。
その上、はやての通学の手配や、守護騎士たちの戸籍の用意、生活の援助と、釣り合いが取れないほどの援助を受けていた。
あれから、闇の書事件の経緯とグレアムのことを、デビットはあえて隠すことをせず、はやてに話した。
罪の意識に苛まれている彼女にこんなことを話すことは酷と思われるかも知れないが、財産の問題、生活の問題が浮上してくれば何れ分かることだ。隠し通そうとしたところで、賢い子であればあるほどその事実に自ら気付くことだろう。
だからデビットは包み隠さずグレアムのこと、闇の書事件の経緯をはやてと守護騎士たちに告げた。
現在、グレアムの資産はすべて没収され、今回の事件の被害者への補償や見舞金などに充てられ、その一部をはやてたちの生活援助に割り振られていることを話した。
今の彼女達の生活が、グレアムの残した資産によって保たれていることを補足した上で、彼女達の回答をデビットは待ったのだ。
当然、はやてはショックを受け、守護騎士たちは苦虫を噛み締めるようにして怒りを顕にした。
ヴィータに至ってはグラーフアイゼンを取り出し、今にもグレアムの収監されている場所に殴り込もうと憤っていたほどだ。
しかし、はやてはそんなヴィータの行為を止めた。守護騎士たちにも「そんなことしたらあかん」と厳命した。
「どんな理由があっても、こうしてわたしがここまで生きてこられたのは、グレアムおじさんが居てくれたからです。
両親を失って、親族にも頼れる人がおらんで……でも、グレアムおじさんだけはわたしを見捨てんでくれた」
そこにどんな酷い現実や裏があったとしても、グレアムがはやての生活を援助し、そしてずっと一人だった彼女の心の拠り所になっていたのも、また事実だ。
はやてはこのことで「グレアムを恨むようなことはない」とデビットに断言した。
そしてグレアムが罪を償い、戻ってくるその日まで待ち続けるとも言った。
デビットはその答えを聞いて僅かに微笑むと、それ以上何も言うことがなかった。
温かな明かりの灯る家に、子供達の賑やかな声が響き渡る。
そんな八神家を外から見詰める人影があった。
グレアムと、忙しいデビットに変わってその監視役として同行したカイの二人だった。
憑き物が落ちたかのように優しげな表情で、八神家を見るグレアムをカイは無言で見守っていた。
――ギル・グレアムと言う人物は最初からこの世界にいなかった。
それがメタ=リカーナと各国が出した結論だった。
高ランクの魔導師を隔離して置けるような収監所は、まだこの世界にはない。
メタ=リカーナならあるいはそれも可能だろうが、シーラがそれを拒否したことにより、グレアムという毒を受け入れることをどの国も望まなかったのが今回の決定の経緯だった。
世界中がグレアムを否定し、その存在を認めなかったことにより、彼は生きながら死人として余生を過ごすことが決定していた。
「もう、いいのか?」
八神家に背を向けて車に乗り込もうとするグレアムに、カイは声を掛けた。
グレアムのやったことは許せないが、その行動理念までを否定するつもりまではカイにはない。
目的のために観念を捨て去り、心を鬼にしなければいけない場面というのは、多かれ少なかれ背負うものが大きい者ほど行き当たる壁ではある。そうした犠牲と諍いをカイも幾たびもその目と耳で見聞きし、経験してきた。
ただ、グレアムは修羅になり切れるほど、心を鬼にすることが出来なかった。
彼に失策があったとすれば、どうしても捨て切ることが出来なかった、人としての甘さと情が原因なのだろう。
しかしグレアムと言う男を知れば知るほど、カイは彼の行動を許すことが出来なくても、その人間臭さまでを嫌いにはなれなかった。
シーラがかつて言っていた言葉をカイは思い出していた。
「大きな決断が必要なときは必ずあります。ですが、人としての心を忘れてしまったら――
人は迷わなくなってしまう。迷わない王は、果たして“よき王”なのでしょうか?」
シーラは王女としての気風も強さも兼ね備えた稀代きっての指導者だ。そのことはカイも認めている。
しかし彼女は決して切り捨てることをしようとしない。それが彼女の危うさであり、弱点でもあるとカイは考えていた。
悪人であろうと善人であろうと、シーラの前ではすべてが平等だった。
そうでなければ、祖国を滅ぼす原因ともなった男やその仲間を、敵であった自分をこんなに簡単に受け入れはしないだろうとカイは思う。
グレアムの件に関しても、シーラは国連の要請を否定して、グレアムを地球から切り離しメタ=リカーナで収監することを拒否した。
何故、彼女がこんな決断を出したのかまではカイには分からない。
しかし行き場を失ったグレアムは、結果的に厳しい監視下の元、自由のない囚人のような生活を送ることになった。
――シーラは何をグレアムに求めたのだろう?
そんなことを思いながら、カイはグレアムに「最後の別れがこれでいいのか?」と尋ねた。
だが、グレアムはそんなカイの気遣いに何も言わず黙って頷いて返した。
しかし、そこに悲壮感や絶望は感じられなかった。
まるで生まれ変わったかのように清々しい表情をするグレアムを見て、カイはそれ以上何も言うことはなかった。
ギル・グレアムと言う男は死んだ。
それが長きに渡り、管理局と言う妄執に取り付かれていた彼の心を解き放ったのかもしれない。
グレアムが二度と、はやての前に姿を現すことはないだろう。
はやてのグレアムを待ちたいと言う願いは叶うことがないのかも知れない。
だが、グレアムと言う男の生きた唯一の証は、八神はやてと言う少女の記憶の中に確かに残っていた。
バニングス家の屋敷。月明かりで照らされるテラスに、上等のワインを片手に月見を楽しむD.S.の姿があった。
その酒は星の光の下、一杯やろうとD.S.が屋敷の酒蔵庫から拝借してきたものだ。
普段は燃費を抑えるため子供の姿でいるにも関わらず、今日は珍しく愛機であるルシファーを起動させ、かつての大人の姿を取り戻していた。
「二度目ですね。その姿を拝見するのは――」
リインフォースに声を掛けられ、D.S.は酒を口に含みながら微笑み返す。
今日のD.S.はいつになく上機嫌なことを、リインフォースもその雰囲気から察していた。
そのことから今日ならば、いつか聞いたあの返答がもらえるかも知れない。
そう考え、D.S.に思い切って聞いて見る。あの事件の真相を――防御プログラムをどうしたのかを――
「……ま、ちょうどそっちも片付いたとこだしな」
そう言ってD.S.は愛機であるルシファーをリインフォースの方へと向けた。
そこから聞こえる見知らぬ声。以前まで意思を持たない凡庸ストレージデバイスであったはずのルシファーが、明らかな意思を見せ言葉を交わしていた。
そのことからリインフォースはすべてを察する。
D.S.が何をしたのか。プレシアとずっと研究室に篭っていたのが何故なのかを――
「姉妹なんだろ? なら、片方だけってわけにもいかねーしな」
そう言って笑うD.S.を見て、リインフォースは涙した。
救うことが出来ないと思っていた半身。はやてにとっても唯一心残りだった存在。
それが生きていたことに、誰も救えないと思っていた姉妹が戻ってきたことに歓喜していた。
「まだ素体は用意してねーからこの状態だが、そっちはミッドの方の技術じゃどーにもならなくてな。
ユニゾンデバイスだったか? おそらくそれがこいつに適合した形なんだろうが……」
仮の姿ではあるがプログラムを安定させ、ルシファーの内部に定着させるだけでも――
資料も余りなく慣れないベルカ式の術式であったため、D.S.とプレシアの二人掛かりでも苦労をさせられていた。
ユニゾンデバイスを作成しようにも、現在保有する資料だけでは難しいことを二人は察していた。
そのため応急的な処置ではあるが、ルシファーの管制人格として使用していたのだ。
しかしこれはあくまで応急処置なので、いつかはユニゾンデバイスを完成させたいとD.S.は考えていた。
そのため、何かの役に立ちたいと、無限書庫の司書をはじめたユーノの力を借り、研究は継続されていた。
D.S.にしてもユニゾンデバイスの存在は、自分の魔力不足を解決する意味でも興味深い研究だったので、今回の件は自分の利にも適っていると考えていた。
だが、そんな理屈や理由を抜きにしても、リインフォースは純粋に嬉しかった。
だからだろう。自然と涙が出ていたのは――
「たくっ……せっかくの満月が、そんな時化(しけ)た顔(ツラ)してたら引っ込んじまうだろ」
「あ……」
涙をぼろぼろと流すリインフォースをその胸に抱き寄せ、D.S.は目元に唇を這わせてその涙を拭い取った。
慣れない感触に甘い声を上げるリインフォースだったが、嫌な気はまったくなく、D.S.に抱きかかえられ胸が熱くなるのを感じていた。
力を奪われその身を預けてくるリインフォースに、D.S.は酒瓶を手渡すとグラスに注ぐように指示する。
そのD.S.の言葉に黙って従うリインフォース。そんなリインフォースを見て、D.S.は視線を上げ夜空を見上げた。
「D.S.……ありがとう」
D.S.だけに聞こえるよう小さくか細い声で、その大きな胸に肌をすり合わせながら礼を言うリインフォース。
その瞳には、誰よりも強く勇ましく、そして狡猾で好色家――
しかし正邪関係なく誰でも救おうとする無類の愛を抱く、そんな優しさに満ちた男の姿が映っていた。
時空管理局本局――無機質なその廊下にカツカツと早足で歩く少年の足音が響く。
クロノ・ハラオウン執務官。リンディが解雇処分を受け、アースラが部隊を解体されてからも彼は管理局に残り続けていた。
母親があんな処分を受け、恩師であったグレアムや、師匠のリーゼ姉妹まで地球で罪を受けることになった事実は、彼にとってもショックな出来事ではあった。
しかし、それでもクロノは管理局に残り続けることを自ら選んだ。
闇の書事件、それにジュエルシード事件にしても、確かに管理局が責められる点は仕方がないとクロノも自覚している。
だが、このような事件の結果ばかりが管理局のすべてではない――とクロノは信じていた。
組織としての腐敗は、地球側の言うようにあるのだろうとクロノは思う。
グレアムのことにしても、リンディの件にしても、本局の襲撃をひた隠しにしようとする管理局の対応からも、そうしたことが現実としてあるのは事実だ。
それを認めないと言うほどに、クロノは盲目ではない。
しかし管理局が腐敗していると言うのなら、クロノは諦めず内からそれを変えたいと考えていた。
この広い次元世界、管理局がなければ増え続ける次元犯罪や、それによって苦しむ多くの人々を救うこと守ることは出来ない。
確かに組織として巨大になりすぎたことによる弊害、腐敗は存在しているのだろうが、そこで働く局員たち全員がそうした汚職や犯罪に加担しているわけではない。
大半の局員たちは自分達の仕事に誇りを持って、管理世界のためにと、自分達の家族を守りたいと言う思いから頑張っている人々がほとんどだ。
クロノはそうした人たちの行為までを否定して、管理局を見捨てる気にはなれなかった。
死んでいった父親も、またそうした管理局の誇りある魔導師の一人だったのだからとクロノは思う。
「クロノくん、第61管理世界の調査資料届いたよ」
「ああ、ありがとう。エイミィ」
あれから執務官として単独任務の多い仕事に戻ったクロノだったが、執務官補佐を続けるエイミィと共に、管理世界の平和を守るために今まで以上に管理局の仕事に従事していた。
何をするにも権力が必要だと言うことを、今回のことでクロノは嫌というほど自覚させられた。
そして、自分の目的のためには発言力を得るため、その権力が何よりも必要であると言うことを考え、その意志の強さが今のクロノの仕事振りからも窺えた。
エイミィもそんなクロノを支えようと、忙しい日々を送っている。
エイミィから渡された調査資料に目をやりながら、クロノはある頁で目を留め、眉を顰(しか)めた。
「自然保護区か……」
「うん。そこで氷漬けにされた正体不明の女性が発見されたとかで……」
写真に写っている女性の姿。それはどこかアムラエルに雰囲気が似ていた。
両翼三枚二対の天使のような羽を持ち、氷の中で眠るその少女は、あどけない表情ながらも神秘的な雰囲気を醸(かも)し出している。
その写真を見て、クロノはその少女がどこか普通ではないことを察していた。
エイミィもクロノと同じ意見だったのか、不安そうな表情を浮かべている。
「それで……彼女は?」
「本局の研究チームが連れていっちゃったらしくて、それが……上の指示みたいなの」
不満そうにそう言うエイミィの話を聞いて、クロノは顔を顰める。
クロノは自然保護区の局員からの報告を受け、今回の事件を請け負うことになっていた。
――にも関わらず、任務を請け負った途端、突然上層部から横槍が入ったことにクロノは不信感を募らせた。
重要な参考人とも言える少女を抑えられたのでは、調査を続行させようがない。
そのことで、誰の指示なのかとエイミィに詰め寄ったクロノだったが、返ってきた答えは言いにくそうにするエイミィの思いがけない一言だった。
「評議会……これ以上はごめん、分からない」
管理局最高評議会――
管理局の事実上のトップであり、その行く末を決める立場にある最高意思決定機関である彼らが何故?
クロノは大きな動揺を見せ、困惑の表情を浮かべる。
だが、最高評議会が動いている以上、執務官風情が一人動いたところで、どうにもならないことは明白だった。
今、彼らに睨まれる様なことがあれば、出世の道はおろか、管理局にこのまま居続けることすら出来なくなるだろう。
エイミィもそのことが分かっているのか、これ以上何も語ろうとしなかった。
クロノも唇を噛み締めながら、悔しそうな表情を浮かべる。
しかしこれ以上、彼に出来ることは何もなかった。
謎を残したまま、真相ごと闇に埋もれていく事件。彼女が何者なのか分からないまま、時は過ぎていった。
「アリア……そっちは何人いけそう?」
「ダメね。小粒どころか才能の欠片もないヤツばかり……」
――魔導師犯罪対策機関。
まだ正式名称は決まっていないが、管理局、メタ=リカーナ合同で組織されるこの新組織はまだ登用される人材や、どこに本拠地を置くかなど決めていく問題は山積みで残っていた。
書類上は組織の発足は決定しているので、そうした準備もそろそろはじめないといけないのだが、そこで働く人材確保などが思いのほか難航していた。
メタ=リカーナの魔導師で埋めようにも、少数精鋭ならともかく余りに数が少なすぎる。
ましてや、全部をその組織の部隊に充てるなどと言ったことが出来るはずもなく、人材は現地調達や管理局に所属していないフリーの魔導師などから募集するしかなかった。
補充要員として管理局から武装局員が派遣されてくる予定ではあるが、それに頼りきりではせっかく新組織を発足させる意味がない。
管理局に主導権を握られないようにするためにも、そうした根回しや準備は必要不可欠だった。
そして使える人材に遊ばせている余裕などないと言わんばかりに、アリア、ロッテの二人も駆り出されていた。
主な役目は人材発掘だ。――とは言っても、自称魔導師や腕に自身があると言った身の程知らずを相手に暴れているだけなのだが、力のない者を振るい落とすには確かに効果的な方法ではあった。
だが、ここまでの収穫は文字通りゼロ。こんなことがリニスに知れればとロッテは気が気ではない。
しかし、そんな怒りと焦りがロッテの力を強くし、更に試験を厳しくしていることに彼女は気付いていなかった。
「やっぱり、そう簡単になのはさんみたいな人材は見つからないわね」
溜め息を吐きながら現れたリンディは、そこらに転がっているリーゼ姉妹に伸された男たちを見下ろす。
そして、また大きく溜め息を吐いた。全体的な魔導師の質で言えば、地球のそれはかなり酷い。
そもそもほとんどの人間が、魔導師として大成できるだけの魔力資質を持っていないのだから仕方ない。
なのはや、はやてのような人材こそがむしろ異常だとも言えた。
稀に強い魔法資質を持ったものが現れるとは言え、そんな少女が二人も海鳴市なんて狭い区間に住んでいたのだから驚くなと言う方が無理がある。
そのことから意外と早く見つかるのではないかと思っていたリンディだったが、今のやり方では効果は期待できそうにないと思い始めていた。
無理に徴収するつもりなど元からないので、自分から魔導師になりたいと言う意思のあるものだけを募集している。
そのため、訪れるものはオカルトマニアか、勘違い野郎が多いのが現状だった。
それほどに魔導師と言う職業は、まだこの地球では浸透していないと言うことだろう。
メタ=リカーナとの交流も盛んで魔法に馴染みの深い日本でさえ、このような状況だ。
それが範囲を広げて世界にでたところで、結果は同じことだろうとリンディは思う。
「とりあえず、根本的に考え直さないとダメね」
まだまだ考えるべき問題は多そうだ。リンディはそう思いながら手を広げた。
ようやく動き始めた新しい時代――次世代に待ち受けるのは、希望か、絶望か。
それは、まだ誰にも分からない。
だが、確実に未来に向かって時は動きはじめていた。
……TO BE CONTINUED