「やはり……この二人は化け物ね」
真っ直ぐにヴィヴィオの待つ“玉座の間”へと向かってくるD.S.となのはの活躍を見て、クアットロは額に冷や汗を滲ませながら、そんなことを口にする。
かなりの数のガジェットを足止めに配置していたはずだが、それをまったく物ともしない二人の力にクアットロは脅威を感じていた。
D.S.の魔法がいくら強力だとは言っても、まさかゆりかごの外壁を突き破るほどとは、さすがのクアットロも予想していなかった。
ゆりかごの外壁には、多少の魔法程度なら弾き返してしまうほどの特殊なコートが施されている。しかも、艦内すべてはAMF環境下に置かれており、並の魔導師魔なら魔法の使用も困難と言う中で、この威力だ。
やはり、この二人は別格だとクアットロは思う。
スカリエッティの計画において、もっとも危惧すべき危険対象。
D.S.はもちろんだが、その四天王、そして高町なのはとフェイト・テスタロッサの二人も、クアットロは特に危険な要注意人物と捉えていた。
分かりきっていたことだが、戦闘機人や人造魔導師では彼らには勝てない。それは先日の戦闘からも明らかな事実だ。
姉妹たちの中でも最も戦闘力が高いトーレとセッテ、それにチンクまでもが彼とその関係者に敗れ、捕まったことからも分かるだろう。
管理世界の魔導師の常識が一切通用しない相手。それが彼らだとクアットロは考える。
「でも、そのための“ゆりかご”、そのための“聖王”――ねえ、陛下」
クアットロの見下ろす視線の先、そこには“聖王”となったヴィヴィオの姿があった。
腰にも届こうかと言う金色の髪、左右色の違うオッドアイの瞳は忘れられるはずもない、あの少女――ヴィヴィオの特徴と合致していた。
ただ違うのは、子供から大人へと成長した肉体、背に折りたたまれた白い六枚の翼と、その身にまとう漆黒の衣。
そのことが、彼女が歴史に記されたベルカの“王”であり、ただの“人ではない”ことを証明していた。
「…………」
クアットロの呼びかけにも何も答えないヴィヴィオ。その表情には、まったくと言っていいほど生気が感じられない。
生きているのかも死んでいるのかも分からない、ただ無言で静かに佇むヴィヴィオを見て、満足そうにクアットロは微笑んだ。
器となる素養を持った選ばれた魔導師。そして、触媒となるレリック。その二つが揃って、はじめて可能とした悪魔や天使との融合。
人の身でありながら、人を超えた力を発揮することが出来る究極の生体兵器。
それが彼女たち、『人造天使』や、『人造悪魔』と呼ばれる存在――
ティーダ・ランスターも、そんな実験体の一人だった。ほとんど成功例は残されていないが、人造魔導師に代わる存在として最高評議会の指示の下、これらの研究は続けれられ、そして遂に完成を見た。
上位の天使、それも熾天使との融合を果たしたはじめての固体――それが彼女、ヴィヴィオだ。
「やはり――ディエチちゃんじゃ足止めにもなりませんね」
クアットロがそう言いながら観察するモニタには、なのはの放った砲撃魔法にやられ、地面に倒れるディエチの姿が映し出されていた。
「こいつ……本当に人間か?」
フラフラの体でどうにか上半身を起こし、D.S.となのはの二人を見上げるディエチ。
確実に不意をついたつもりで放った大威力砲撃が、抜き打ちで放ったなのはの砲撃魔法に押し戻されたことには、ディエチもただ驚くしかない。以前にヘリを狙った時とは比較にならないほどの大威力だったにも関わらずだ。
単純な威力だけならSSSクラスはあろうかと言う渾身の砲撃を、こうもあっさりと押し返されるとはディエチも思ってもいなかった。
規格外の存在だとは知っていたつもりでも、実際に戦ってみるのとでは全然違う。
スカリエッティやクアットロが彼女たちのことを「化け物」と言っていた理由が、ディエチにも良く分かった気がした。
戦闘機人である自分たちよりも、遥かに人間離れした戦闘力。人の姿をしてはいるが、ディエチにはとても“コレ”が人間とは思えない。
「ヒ――ッ!!」
「ごめんね。なんだか知らないけど、急にムカッときちゃって」
ドシュン――動けないディエチの横に放たれた直径三十センチ大の小さな砲撃魔法。それが、高密度に圧縮された砲撃魔法だと言うことは、すぐにディエチにも分かった。
なのはの砲撃で空いた底の見えない穴を見て、顔を青褪めるディエチ。こんなものを食らえば、どうなるかなど想像するまでもない。
ヴィータのこともあり、なのはは自分の悪口に関しては特に勘が鋭かった。
反射的に悪口を感知、そして砲撃と言うコンボが成り立っているわけだが――
それが、結果的に相手に逆らえないほどの“恐怖”を与えてしまっていることに、本人は“微塵も”気付いていない。
ヴィータがなのはを恐れる理由も、これを見れば自ずと頷けると言う物だが、まあ今更そのことを言ったところで意味はないだろう。
「じっとしてなさい。突入隊があなたを確保して、安全な場所まで運んでくれる」
一瞬で強力な緊縛……いや捕縛魔法に縛られ、表情を強張らせるディエチ。
静かに、そして冷酷にそう言い放つなのはの言葉は、ディエチの心を恐怖で支配する。
なのはの出す威圧感に震える中、後ろからする視線に悪寒を覚え、思わず振り向くディエチ。
そこには“狼モード”になったD.S.が、身動きの取れないディエチを見て、舌なめずりをして尻尾を振っていた。
「ちょ――お前、何を」
「ル、ルーシェくん!?」
緊縛プレイ、もといフープバインドプレイを強要されたディエチの甘美な鳴き声が、ゆりかごの艦内に響く。
さすがのなのはも、予想だにしなかったD.S.の行動に驚き、レイジングハートを構えた手をプルプルと震わせながら、顔を真っ赤にして、成されるがままのディエチの様子を窺っていた。
いや、動きたくてもこの状況についていけず、放心状態になっていたと言っていいだろう。
その様子をモニタ越しに観察していたクアットロも、余りの惨状に言葉を失ってしまう。
「うし、充電完了! さっさといくぞ」
「あ……うん」
グッタリとしてピクリとも動かなくなったディエチ。なのはは、そんなD.S.の一言にただ頷くことしか出来ない。
まあ確かに、これで身動き一つ取れはしないだろうが、いくら敵だとは言ってもこの惨状は……なのはもディエチに同情を禁じえない。
こんなのをフェイトが見てたら――と考えたが、「……フェイトちゃんなら羨ましがるだけか」と意味のない考えだったことをなのはは改める。
パパと慕ってくれる幼いヴィヴィオには手を出さないとは思うが、それ以外は話が別だ。
相手が犯罪者となれば、D.S.が容赦をするとは、なのはも思えない。
なのはは、まだ奥にいるであろうヴィヴィオを捕らえている敵が、“女性”でないことを祈るばかりだった。
「緊縛プレイ……ちょっと良いかも」
モニタ越しに頬を赤らめながら、何やら如何わしいことを口にしていた者がもう一名。
D.S.――彼の暴走は止まることを知らない。
次元を超えし魔人 第58話『ル・ルシエ』(STS編)
作者 193
「この子……」
危機に瀕したルーテシアの背に現れた黒い翼を見て、キャロは息を呑む。
キャロの放った魔法はルーテシアの体に触れることなく、その周囲に張り巡らされた障壁に弾かれていた。
それはティーダと同じ力――人造悪魔、その実験体に彼女もなっていたと言う証拠に他ならない。
「ああぁ……」
「ルー!!!」
まだ、力は覚醒していなかったのだろう。
だが命の危機に晒され、キャロと言う脅威を前に眠っていたルーテシアの中の悪魔が活動をはじめた。
エリオも様子が急変したルーテシアを心配し、傍に駆け寄る。
「うあ――っ!!」
心配して駆け寄ってくれたエリオも、その力で弾き飛ばすルーテシア。
もはや、そこに彼女の意思はなかった。悪魔の力に取り込まれ、ティーダと同じようにその心を侵食されていく。
彼女の心の叫びに呼応するかのように、次々に召喚に応じ、姿を見せる召喚虫たち。
フリードリヒほどもある巨大な虫から、小さな羽虫タイプの召喚虫まで、数だけでもキャロの精霊を大きく上回るほどの虫たちが、ルーテシアの叫びに呼応し、姿を顕現させていた。
「……このままじゃいけない」
キャロの言葉どおり、このままルーテシアを放置しておける状態ではなかった。
暴走している力。彼女の悲痛な叫びが、今、彼女が置かれている状態を顕著に表している。
彼女の中にある悪魔が、彼女の体を支配しようと活動しているのだろう。
完全に悪魔と融合することが出来ればまだいいが、今のルーテシアは、ちょっとした次元航行艦の魔力駆動炉ほどの魔力を垂れ流している状態だ。このままでいけば、暴走の果てに周囲を巻き込んで“消滅”と言うことも考えられる。
「もうイヤ。寂しいのはイヤ。置いていかれるのはイヤ。誰もいなくなるのはイヤ……」
「……ルー」
両目に涙を浮かべ、寂しげな表情でそう呟き続けるルーテシアを、エリオはただ見ていることしか出来ない。
今、ルーテシアの中では、走馬灯のようにこれまでの記憶が流れだしていた。
――気付けば、ひとりぼっちだった。
白く、なんの飾り気もない無機質な部屋。そんな場所でルーテシアは、長い、長い年月を過ごした。
同じ実験体として時間を共有した戦闘機人の姉妹たち。仲間、家族と呼べる存在は、彼女たちやスカリエッティを除いて、ルーテシアには他に誰もいなかった。
しかし、そんな実験の日々の中、スカリエッティの口から語られた思いがけない真実。
他の眠り続けている実験体と同じように、培養槽の中にいる母親の存在。
ルーテシアはその時、はじめて自分にも肉親と呼べる人がいることを知った。
「彼女が目覚めれば、キミの母親になってくる。そうすれば、ひとりぼっちになることもない。寂しい思いをすることもない」
スカリエッティの言った言葉がルーテシアの胸を突き動かした。
――わたしだけのママ(母親)。彼女が目覚めれば、寂しい思いをすることもない。この胸にぽっかりと穴が開いたような焦燥感も、どこかに消えるのだろうか?
ルーテシアは何日も何日も、目覚めない母親の培養槽の前で、そんなことを考えていた。
そして、はじめて目にした外の世界。母を目覚めさせるため、適合するレリックを求めてルーテシアは外の世界に足を踏み出した。
「そこで、ぼくとルーは出会った」
エリオは傷ついた体を奮い起こし、立ち上がる。
ルーテシアの涙の理由。そして彼女がそこまで必死になる理由を誰よりも知っているからこそ、エリオは黙ってなどいられなかった。
そう、忘れもしない。いつものように、ゼストと一緒に訪れた違法研究所。
彼がなんの目的で動いているのかは分からないが、助けてもらった恩、そしてこの理不尽な世界で生きていく力を手にするためにと、エリオはゼストと共に行動する道を選んだ。
そんな中、目をつけた一つの研究所。そこでアギトを見つけ、そしてルーテシアと出会った。
「キミは誰?」
「……アナタはダレ?」
はじめて出来た、同い年くらいの友達。
互いに実験体と言うこともあり、境遇のよく似た二人は惹かれあい、いつしか行動を共にするようになっていた。
新しく加わった小さな仲間アギトと一緒に、ゼスト、エリオ、それにルーテシア。
確かに子供らしい生活とは程遠い、血生臭い日常だったかも知れない。
それでも今までのことを思えば、その四人で過ごした時間はとても心地よい、幸せな時間だったとエリオは思う。
決して笑顔を見せてくれないルーテシアだったけど、それでもいつか彼女が笑える日がくればいい。
そんなことを願いながら、ここまでルーテシアと共に歩いてきた日々のことをエリオは思い出していた。
「もう、ひとりぼっちはイヤ――」
消えていく仲間、離れていく友達。戦闘機人の姉妹たちも、ゼストとアギトも、スカリエッティも、そしていつしかエリオさえも、自分の前からいなくなってしまうに違いない。ルーテシアはそんなことを考え、悲痛な叫びを上げる。
心に植えつけられた“孤独”という名の感情。溢れ出る負の感情が、徐々にルーテシアの心を闇に染め上げていく。
「ルー!! ぼくが分からないの!?」
何度も呼びかけるが、エリオの言葉にすらすでに反応を示さないルーテシア。
彼女の記憶が光となって、まるで走馬灯のように空を駆け巡る。ルーテシアの境遇、そしてエリオの送ってきた悲惨な過去。
二人が辿ってきた道と、その純粋な思いがキャロにも伝わってくる。次々に映し出される二人の過去を見て、キャロは寂しげな表情を浮かべていた。
なんとかしようとルーテシアに向かい、傷つきながらも必死に呼びかけるエリオを見て、キャロはスッと息を吸い込んだ。
「イヤなの――っ!!!」
そうしてる間にも、最後の切り札とも言える『白天王』を召喚するルーテシア。
管理外世界における“第一種稀少固体”と呼ばれる存在。あらゆる衝撃を弾く硬質な外骨格、それを支える強靭な筋肉、背に昆虫のような四枚の羽根を持つ白い巨人。
ルーテシアの心の痛みに呼応し、その咆哮を轟かせる白天王の叫びは、大気をも揺るがす。
他の召喚虫たちもどうしていいか分からず、暴走をはじめていた。
まったく統率の取れていない動き。ただ、目の前のものを破壊しようとその巨大な力を振るい続ける様は、すでに正気のものとは思えない。
「混乱してるんだよね。ご主人様があんなことになって、あなたちもみんな……」
悲しげにそう呟き、手を大きく振り上げるキャロ。その瞬間、彼女の頭上に巨大な魔法陣が展開され、今までにないほどの強大な魔力が溢れ出す。
キャロの切り札にして、最大最強の召喚魔法。彼女の育った大地、アルザスの地。そこを守護する真竜。
生まれ持ち強大な力を持つ巫女であるキャロは、その竜と心を通わせ、自らを守る守護竜として召喚することが出来る。
黒き火竜にして、大地の守り神、その名も――
「ヴォルテ――――ル!!」
キャロがその名を呼んだ瞬間。白天王と比べても見劣りすることのない巨大な黒い竜が、その身を炎に包みながら姿を現した。
堂々とした威風で大地に立つ真竜ヴォルテール。その鋭い瞳は、キャロの前に立ち塞がる白天王を見据える。
――巨人と巨人の激突。その衝撃だけで、隣接していた建物は崩れ、頭上に広がる雲をも押しのける。
群がっていた召喚獣たちも、その二匹に恐れをなし、慌てて距離を取っていた。
「――――!!」
「――――!!」
咆哮を上げ、激突する二体の巨人。
その力はまさに神話に出てくるような“巨人”や“ドラゴン”と言ったものを彷彿とさせる圧倒的な力だった。
互いに繰り出す攻撃で発生するその爆音と衝撃波は、人間やその他の生き物の介入を一切許さない。
どんな力も、どんな能力も、この二匹の力の前では無意味に等しかった。
圧倒的な力の激突を前に、ただ、体を支えるだけで精一杯のエリオ。
しかし、そんななかでも、ルーテシアとキャロの二人だけは変わることなく、その場に静かに佇んでいた。
「あなたの寂しいって気持ち、ひとりぼっちはイヤだって言う想い。わたしにもよく分かる」
強過ぎる力は災いを呼ぶ――そう言われ、村をたった一人で追い出されたキャロ。
理由は違えど、その境遇はルーテシアとエリオ、この二人とよく似ている。ただ、キャロには救いがあった。
守ってくれる人がいた。大切なことを教えてくれる、大切な想いを与えてくれる、そんな人たちが傍にいてくれた。
ならば、ルーテシアやエリオには、そんな人がいなかったのだろうか?
嫌、違うと――キャロは首を振る。
ルーテシアの記憶の中にあった、ゼスト、アギトの存在。それに戦闘機人たちも――
例え、それがどんな出会いであっても、二人にとって掛け替えのない仲間だったはずだ。
ただ、二人はそのことに気付くことが出来なかっただけ――
隣を見れば、少し後ろを振り返れば、自分たちのことを大切に想ってくれている。そんな人たちがいたことに二人は気付くことが出来なかった。
少なくとも、ゼストとアギトが二人に向けていた優しさ。そこに偽りはなかったはずだ。
「でも、あなたは間違ってる。そんな結果で得られる幸せなんて、きっと悲しいだけ――
本当に大事に想ってくれる、大切に想ってくれている人たちの想いに気付かないで、あなたは本当は何が欲しいの?」
「わたしは……わたしはただ――母さんが欲しいだけ!!
わたしだけを見てくれる、優しくしてくれる人が欲しいだけなのに!?」
ルーテシアの魔力が、また大きく膨れ上がる。
まるで台風のように吹き荒れるルーテシアの魔力を見て、キャロは残念そうに小さく溜め息を吐いた。
こんな時、ネイならなんて言うか? そんなこと、本人に聞くまでもなく答えは分かっている。
キャロはそんなネイの言葉を思い出し、フッと微笑んでいた。
「少し痛いと思うけど、我慢してね」
そう言うキャロの魔力が大きく膨れ上がる。
底なしにも思える強大な魔力。ヴォルテールを呼びだした時よりも遥かに巨大な力が、キャロの両手に集められていた。
それはキャロが扱うことが出来る最大最強の魔法。“召喚”を得意とするキャロが、ネイやカルと出会い、その世界の魔法を教わり、四年の月日をかけて習得した最大最強の秘儀。
――決して使うことはない。
そうまでして頑なに封印してきた力だ。
しかし、その封が解かれようとしていた。
まるで、この周囲だけが世界から切り取られたかのような、不思議な錯覚をエリオは感じとる。
キャロの魔力に呼応し、世界が凍りつく。精霊たちも召喚獣たちも、すべて彼女を恐れて動きを止めているかのように見えた。
あの二匹の巨人よりも、もっと恐ろしい何かが――キャロの中で小さく脈動するのがエリオにも分かる。
「バータ・フォー・テイルズ」
ドクン――
ルーテシアが危ない。そう思ってはいても、身動き一つとれず、心臓をまるで鷲掴みにでもされているかのような衝撃をエリオは体に覚える。
キャロの詠唱に呼応するかのように増大する周囲の魔力素。
普段は目に見えることなど決してありえない大気中の魔力が、キャロの周囲にだけポワポワと、まるで蛍のように色濃く舞って見えた。
「囲え死の荊棘(いばら)――」
キャロの言葉の一つ一つが、すべてを終焉へと誘う鎮魂歌のように聞こえる。
ネイやカルに畏怖を抱かせ、あの二人に「天才」とまで呼ばせた少女の真の力――
それがカタチとなって、その片鱗を見せる。
「――ブラインド・ガーディアン!!」
キャロがその名を口にした瞬間――
ルーテシア目掛けて、召喚された無数の荊棘(いばら)が襲い掛かった。
「――――!!!」
声にならない悲痛な叫びを上げるルーテシア。
すでにその姿を確認することが出来なくなるほどの大量の荊棘が、彼女の体を取り囲んでいた。
キャロの魔力によって生み出されたその荊棘は、ありとあえらゆる苦痛を対象に与え、その体を完全に覆いきった時、その者を永遠の眠りへと誘う。
通常であれば、この魔法を食らった者は確実に絶命に至るほどの、恐ろしく危険な魔法だ。
しかし、完全ではないとは言え、呪圏によって身を護られているルーテシアの体にはその荊棘も届かない。だが、ダメージは確実に通っていた。
徐々にとは言え、荊棘によって侵食されていくルーテシアの体。キャロはそんなルーテシアの様子を額に汗を滲ませながらも、静かに観察していた。
そう、キャロは待っていたのだ。
完全に融合を果たしていないルーテシアのなかの悪魔が、その痛みに耐えかね、姿を現すその瞬間を――
「――見つけた」
すぐさま、ルーテシアから浮き出たコア目掛けて、飛び出すキャロ。その手に残された魔力のすべてを込める。
ブラインド・ガーディアンは、キャロでも完全に制御し切れていない、未だ未完成と言える極大魔法。
そのため、大量の魔力を消費することもあり、これを使えばキャロも後がない。
先程まで姿を見せていた精霊たちも、キャロの消耗具合を表すかのように、その姿を徐々に減らしていた。
僅かに残された魔力。しかし、それでも――
「ヴァーテックス!!」
無数の紋様がキャロの左手に浮き上がる。
ルーテシアの胸から浮き上がってきた悪魔を封じこめた触媒、『黒いレリック』をその手で掴むキャロ。
暴れ狂う巨大な邪気を、その左手で押さえ込んでいく。
「くっ――」
左手だけでなく全身に強い痛みを覚えたキャロは悲痛な呻き声を漏らす。
万全な状態なら、このくらいの邪気は封じ込められたのかも知れないが、精霊を使った魔導師たちのサポートをしながらルーテシアたちを押さえ込み、更にはフリードリヒやヴォルテールの召喚まで行ったあと、切り札とも言えるブラインド・ガーディアンを使い、すでに限界と言っていいほどの魔力を消耗していた。
魔力が足りず抑え切れなくなったレリックが、強大な邪気を放ち、キャロの体を逆に蝕みはじめる。
キャロの顔にも焦りが見え始めていた。
このままじゃ――
そう思い始めた矢先、思いも寄らぬ人物の応援にキャロは目を見開いて驚く。
「ルーを守るって、ルーの笑顔を取り戻すって誓ったんだ。だから、ぼくだって――」
そんなエリオの後ろにはガリュー、それにルーテシアが呼び出した召喚虫たちの姿もあった。
気付けばキャロの精霊や竜たちも争いを止め、キャロとルーテシアを取り囲むように勢ぞろいしていた。
彼らの魔力を受け、先程まで暴れ狂っていた邪気が、徐々に治まってきているのが分かる。
キャロの胸にも広がってくる温かな想いと、強い力。そこにいる全員の想いと魔力が、キャロへと流れ込んでいた。
――ルーテシアを救いたい。
そこにいる誰もが同じ想いを抱き、力を貸してくれている。
そのことがキャロには嬉しかった。先程まで感じていた痛みも絶望も、今では嘘のように感じない。
「ここにも、こんなにあなたのことを想ってくれる仲間がいる。
だから、戻ってきて――ルーちゃん!!」
キャロがはじめてルーテシアの名前を呼んだ瞬間――
先程まで辺りを覆っていた黒い邪気が掻き消え、ルーテシアを中心に白い光が広がっていった。
すべて、終わった。
ルーテシアの背に広がっていた黒い翼がパラパラと消えていき、キャロの手にしていたレリックが黒から灰色へと色を変え、ただの石の塊へと姿を変貌させる。
「ルー!!」
「エリオ……」
力なく倒れ込もうとしていたルーテシアを、すかさずその手で支えるエリオ。
エリオの両手に抱かれながら、ルーテシアは、ぼーっとした頭でそんなエリオの姿を見る。
そして、その後ろに広がる青い空、自分に差し掛かる影に気付き、ルーテシアは周囲を振り返った。
そこには、心配して寄ってきたルーテシアの召喚虫たちや、キャロの精霊たちの姿があった。
ルーテシアの身を案じ、その場に寄り添う召喚虫たちは、かつてないほどに穏やかな空気を漂わせている。
「まだ、寂しい? ルーちゃん」
フリードリヒに支えられながら、そんなルーテシアに近づくキャロ。
「……ルーちゃん?」
「名前、ルーテシアだよね? だからルーちゃん。
わたしはキャロ・ル・ルシエ、そしてこっちの子はフリードリヒ」
そう言い、ルーテシアに手を差し出すキャロ。
そんなキャロの行動に、ルーテシアはどう答えていいのか分からず困惑した表情を浮かべる。
エリオも、キャロの思わぬ行動に驚きはしたが、そんな二人の様子をただ黙って見ていた。
もう、キャロと争う気は失せてしまっていたからだ。
敵だったはずの少女を、危険を冒してまで助けてくれたキャロに、剣を向けることなどエリオには出来ない。
それが騎士としての誇りであり、ルーテシアの命の恩人へのエリオなりの誠意の示し方でもあった。
「まずは名前を呼び合うところから、そして次は触れ合うこと――」
「キャロ……」
「うん。わたしはあなたの母親にはなれない。でも、きっと友達にはなれる。それに――」
そう言って、周りを見渡すキャロ。同じようにルーテシアもその視線を追いかけていた。
「こんなにも、ルーちゃんには友達がいるじゃない」
エリオや召喚虫たち、それに自分の精霊や竜たちまで指差して、手を広げ笑顔でそう言うキャロに、ルーテシアは驚いた。
先程まで争っていた相手。闘っていた相手に言う言葉とはとても思えない。
でも、不思議と嫌な気がしないことにルーテシアは気付く。
まだ、よくは分からない。だけど、こんなに穏やかな召喚虫たちの姿を、ルーテシアは今までに一度も見たことがなかった。
だからなのかも知れない。自然と、その手を取っていたのは――
「よろしくね。ルーちゃん」
「うっ……ううっ」
――温かかった。そのキャロの手の温もりは、ルーテシアの冷え切った心を、温かく照らし出していた。
溢れてくる涙を抑えきれず、キャロの手を握り締めながら、ポロポロと涙を流すルーテシア。
はじめて心から流した涙は、ほんの少ししょっぱくて、あたたかくて、そして嬉しい涙だった。
ずっと一人だと思っていたルーテシア。でも、それは違っていた。
たくさんの友達や仲間に囲まれていたことを知り、想ってくれている、心配してくれる大切な人たちがいることを知った。
そして、そのことに気付かせてくれた目の前の少女――キャロ・ル・ルシエ。
寂しさを覚え、喜びを知り、そして涙を流した。そんなルーテシアの表情に自然と浮かび上がってくる笑顔。
「ありがとう……キャロ、エリオ、それにみんな」
そう言いながら皆に向けるルーテシアの笑顔は、今までの彼女からは想像も出来ないほど、晴れ晴れとした素敵な笑顔だった。
それは、エリオがずっと願い、求めていた――そんな笑顔だったに違いない。
「これは……」
「……まさか、こんなものをここで目にすることになるとはな」
ゆりかごの魔力駆動炉へと到着したシグナムとカルの二人を驚かせた風景。それは二人の想像を絶するものだった。
動力炉を中心にズラッと扇状に並べられた無数の生命維持装置。その中には、生きた人間の姿が見受けられる。
ざっと見ただけでも、数千、いや一万は下らないと思われるほどのおびただしい数の装置を前に、シグナムは冷たい汗を滲ませる。
死んではいないようだが、なんのためにこんなことを――それだけが不可解でならなかった。
「全員、普通の人間ではないな。魔法資質を持つ者――魔導師のようだ」
「では、ここにいるのは!?」
「行方不明になっていた魔導師たちだろう。おそらくこの中を捜せば、先日、姿を消した魔導師たちも見つかるはずだ」
カルの一言で一筋の希望を見出すシグナム。しかし、行方不明になっていた魔導師たちが生きていてくれたことは嬉しかったが、生きてはいるとは言っても、これだけの人数だ。二人だけでは運び出すことも難しい。
しかも、動力炉を破壊すれば、彼らにどんな影響があるか分からない以上、迂闊に手を出すことも出来ない。
どういった目的でこの装置があるのかは分からないが、少なくとも人質を取ると言う意味では効果的な手段のようにシグナムには思えた。
そんなシグナムの心情を知ってか知らずか? 中央の機械を見て、何かを考え込むように調べまわるカル。
「分かるのですか?」
「いや、アビゲイルなら扱い方が分かるかも知れないが……この機械、おそらくは霊子動力炉だ」
「霊子動力炉?」
聞きなれない言葉に疑問符を浮かべるシグナム。彼女が知らないのも無理はない。
それはカルたちの世界にあったもの――いや、彼らの世界にしか存在するはずがないものだった。
彼らの世界ではKCG(キング・クリムゾン・グローリー)と呼ばれるエルフたちの楽園、通称『方舟』の動力炉として使われていた物。
生きたエルフたちの持つ霊子力を動力源とし、臨界運転まで達すれば宇宙開闢(かいびゃく)に匹敵するエネルギーを発することも出来ると言う、とんでもない代物だった。
確かにエルフたちに代わる動力源として、この世界の魔導師たちを使うのは理に叶っているとカルも思う。
しかし、問題はそのことではない。何故、これがここにあるのか? と言うことだった。
よく見れば、この動力部の施設だけ妙に真新しいことが分かる。古代の戦艦にしては不釣合いなものが揃いすぎている状況を、カルは疑問に感じていた。
悪魔や天使のこともある。何故、彼らが人間と行動を共にしているのか?
それに、悪魔と融合したと言うティアナの兄の件にしてもだ。
そんなことが可能な超科学力を、魔法に頼り切ったこの世界の住人が持っているとは、とてもカルには思えなかった。
「まさか――」
そう考えれば、すべてが納得できる。その結論に達し、カルは思わず口元に手を当て息を呑んだ。
スカリエッティが、そもそもの黒幕だと管理局は思い込んでいる。しかし、彼が考え、すべてを製作したにしては、戦闘機人や人造魔導師、そしてガジェットと、この霊子動力炉ではあまりに技術がかけ離れ過ぎている。
まるで数世代も先の技術を、一晩で手に入れたかのような進歩と違和感。だとすれば、考えられることは一つしかない。
「……生きているのか? あの“老人”たちが」
「……老人?」
旧暦の時代から、世界を裏側から操ってきた十人の老人たち――エウロペアの十賢者。
KCGや竜戦士を造った彼らならば、霊子動力炉も、悪魔や天使との融合技術も、すべて納得ができる。
だとすれば、彼らの目的はただ一つしかない。そのためにスカリエッティは利用されたのだとしたら――
カルの脳裏に最悪の未来が映し出されていた。
二度とあってはならない、そう心に誓っていたあの悪夢が、再び訪れようとしている。
「さっきから何を言っているのです? 詳しく説明を――」
カルの様子が変なことを訝しんだシグナムが説明を求めるが、カルは顔を青褪めたまま何も答えようとしない。
これが事実だったとすれば、スカリエッティやゆりかごどころの話ではない。
次にカルの脳裏に浮かんだのは、まっさきにD.S.のことだった。スカリエッティの後ろに十賢者がついている。
そう考えれば、当然D.S.やその仲間たちのことも、完全に知られていると思って間違いない。
「まずいぞ――D.S.」
突入する前に気付くべきだった。カルはそのことを後悔する。
この“ゆりかご”こそ、方舟の再来だったと言うことに――
……TO BE CONTINUED