「さてと……この子も辛いね」
ワイルドタイガーこと鏑木・T・虎徹を育てた母、鏑木安寿は少し大きな溜息を漏らす。
白髪を綺麗に団子にしている初老の女性安寿の前にはベッドに座っている。
ベッドで眠る
黄 宝鈴は薄い金色の髪がより際立つほど頬を赤く染め、短い息で苦しそうに高熱に苦しんで眠っていた。
安寿は黄のデコに置いていた濡れタオルを再び水に浸けて絞り、新たにデコに濡れタオルを載せる。
黄の手に今も強くびしょ濡れに紙袋が握られている。
その紙袋は、黄が鏑木家に拾われてから……カリーナ・ライルの家を出ていってからずっと握られている。
安寿は目の前で苦しむ黄の汗を拭いながら、昨晩の出来事を思い出していた。
…………
……
いつものように虎徹から娘の楓への電話を終えて、楓がもう寝る準備を始めた時だった。
いつもはサイドポニーにしている髪を後ろで結んで、寝巻きに着替えていた。
外は今年一番と思えるほどの豪雨で、窓を強く叩く音が家の中に響いていた。
音が強くて怖いから一緒に寝ようと、楓が安寿に強請っていた時だった。
玄関から何か大きなモノがぶつかった音が安寿と楓の元に届いたのだ。
強盗かと、安寿と楓は抱き合いながら恐る恐る玄関へと足を運ぶ。
強い雨音が絶え間なく鳴り響くガラス戸の下には、何か小さな黄色い物体が寄りかかっていた。
黄色い物体は小さくではあるが少し膨らんで戻ってを繰り返している。
安寿と楓は、ゆっくりと玄関へと近づいていく。
「だ……誰だい? こんな大雨の中に」
「…………ゃん。おばぁ……ちゃん」
雨音にかき消されながら、微かに届く女の子の声。
安寿と楓の問い掛けに応えず、女の子の声は呟き続けている。
女の子の声は小さな声で、何度も何度も『おばあちゃん』と呟き続けている。
2人はその声に聞き覚えがあった。
安寿はたった一度あっただけ、楓にとっては大切な友達にして、スーパーヒーローとして活躍する憧れの人。
――黄 宝鈴である。
「黄ちゃん……かい?」
「お婆ちゃん! 黄さんだよ!」
小さな声を何度も聞いてようやく声の主が黄であるとわかると、2人は慌てて玄関の戸を開ける。
玄関の外には大粒の雨に打たれた黄の髪も、カンフースーツも、靴も、その全てがグッショリと濡れて倒れていた。
雨によって冷やされた体が熱を取り戻そうと、黄の身体は小刻みに震え、黄の顔は蒼白となっている。
安寿は慌てて、黄を抱き上げて楓と協力して家の中へと運ぶ。
急いで黄の服を脱がせると、カンフースーツの中から小さな箱がこぼれ落ちる。
2人は箱の中身を確認するよりも、黄の身体を暖めるのが先だと更に服を脱がしていく。
裸に剥いた安寿はタオルで濡れた肌を拭いていく。
身体を吹き終えると、虎徹が置いていった中学校時代のジャージを持ってきて黄に着せて暖かい布団を被せていく。
すぐにお風呂沸かすからと、安寿は風呂場に走る。
残された楓は、未だ意識がない黄へと必死に呼びかけていた。
数分の呼び掛けの後、黄は朦朧とした意識のまま楓の問いかけに応えた。
「黄さん! 大丈夫ですか?!」
「かえ……で?」
「はい! よかった……黄さん、体が冷たくて冷たくて……もう、いなくなっちゃうんじゃないかって」
「ボク、なんでここに……? カリーナさんの家にいたはずなのに」
黄は顔を伏したまま、泣き始めた楓に構わずに自身の中から浮かぶ問いに押し問答を繰り返していた。
そこに風呂にお湯を入れ終えた安寿が帰ってくる。
泣きじゃくって黄に抱きついている楓と、それに気づいていないようにボウっと呟き続けている黄がいた。
「ほらほら楓、黄ちゃんは少し体が冷えちゃってただけだから大丈夫だよ」
「でも!」
「黄ちゃんはお風呂に入って身体を温めないといけないからね。
心配なら一緒に入ろうかね」
安寿は楓と黄を立ち上がらせると、3人でお風呂場へと向かう。
ゆっくりと湯船に浸けられた黄は、蒼白な顔がドンドンと赤く染まっていく。
そして、茹で上がったように頬を赤く染めて短い息を洩らす。
安寿はやはり風邪を引いたかね……っと湯船から上げて、タオルで水気を拭き取る。
そして、楓も持ってこさせた虎徹の中学ジャージを着せて、暖かい羽毛布団に寝かせる。
そうして眠りについた黄は高熱に苦しみながら、夢の世界へとしばらく居座ることになる。
これが、カリーナ・ライル宅を脱走した黄のその後の話である。
―――――――
TIGER&BUNNY × Darker Than Black
黒の異邦人は龍の保護者
# 11 “god of death burns a flame calmly. ―― 死神は静かに炎を燃やす ―― ”
『死神の涙』編 I
作者;ハナズオウ
―――――――
シュテルンビルトにある黄と楓が通う学校。
その階段の影にて隠れて携帯電話を掛ける体操着を着た鏑木楓の姿があった。
このご時世にあり、珍しく袖には赤いラインと、赤ブルマというなんとも昭和を思い出させてくれる格好である。
「ねぇお婆ちゃん、黄さんは大丈夫?」
「ええ、さっきお粥を一杯食べてまた寝ちゃったよ。
それにしても楓、休み時間ごとに掛けてくるのはよしなさい。
見つかったら怒られるんじゃないかい?」
「だって……黄さんが心配なんだもん」
はいはい。っと安寿は少し嬉しそうな声で応え、電話をきる。
携帯電話を閉じた楓は、手さげ鞄に携帯電話を入れて、校庭へと走り出す。
校庭には楓の学年の全員がワイワイガヤガヤと楽しそうに騒いでいた。
来るべき体育祭に向けて、生徒たちは様々な競技の練習をするために集まっているのだ。
その数300を超えそうな子供が一堂に介していれば、騒ぎを収めるのは一苦労である。
それを表すように騒ぎは収まることはない。
楓も友達を見つけ、楽しそうに会話を始めていた。
楽しそうに騒ぐ生徒たちと、それを収めようと声を大きく張り上げている教師達。
どの学校でも見られる傍から見たら微笑ましい光景である。
そんな微笑ましい校庭に、突如として大きな土煙が上がる。
土煙が上がったのは、楓が友達と話しているすぐ近くである。
騒いでいた生徒とそれを収めようとした教師達一同は、土煙が上がった方向を向く。
そこには、目をギョロッと飛び出そうなほど開き、口はだらしなく開き、ヨダレが垂れている男がフラフラと楓たちに近づいていた。。
茶色の髪に少し小太りで、ランニングシャツと短パンの確実に部屋着だろうという格好で近づいてきている。
子供たちは見るからに狂気を孕んだ男の登場に恐怖に包まれ、少しでも遠くに逃げようと全員が男とは反対方向に走り出す。
男は逃げる子供達に向けて掌を向ける。
男はギョロッと開いた瞳に赤い光を灯し、ランセルノプト放射光を体から放つ。
そして、子供にかざしていた掌に圧縮された空気が溜まり始める。
男は、だらしなく開いた口の端をグイっと引き上げ、楽しそうに掌の圧縮した空気を逃げ惑う子供達に向けて放つ。
数百の生徒それぞれがそれぞれの方向に逃げている状況、前に撃てば当然当たる。
悲痛な生徒の叫び声と土煙が大きく上がる。
何発もの圧縮空気が子供達へと向けて発射される。
空中に飛び上がる子供や地面に転がり血を流す子供が、男が圧縮空気を撃ち出す度に増えていく。
痛みに泣く声や悲鳴で包まれる校庭に、男は楽しくて楽しくて堪らないと言わんばかりの高らかな笑い声が一際目立っている。
楽しいはずの体育祭の練習が、たった1人の誰とも知らない男の乱入と『能力』を使用しての暴行に校庭は混乱に包まれた。
友達と楽しそうにオシャベリをしていた鏑木楓もその混乱に呑まれていた。
逃げ惑う他の生徒が逃げる流れに乗れず、無様にコケて立てずにいた。
先程までオシャベリをしていた友達はもう既に逃げており、楓はただ一人残されてしまっていた。
どんどんと迫る男はケラケラと高笑いを上げ、左右へと圧縮空気を撃ち出している。
ゆっくりと近づいてくる男に恐怖に包まれた楓は立ち上がることも出来ずに恐怖に震え、涙を流して身を縮こまらせている。
「助けて……助けてっ! 怖いよ……黄さん。李さん……おばあちゃん。
助けてっ! お父さん!!」
楓は何度も何度も助けを求めるように呟き続ける。
男は怯える楓を見つけ、楽しそうに高笑いを上げて圧縮空気を両手に纏わせる。
ゆっくりと近づき、怯えて動けない楓の周りに数発の圧縮空気を撃ち付ける。
周りに立つ土煙にも気づかず、楓は『助けてっ』っと呟き続けている。
男は怯える少女を舐めまわすようにジロジロと眺め、口をダラリと開け、口の両端を限界まで釣り上げて笑っている。
男はゆっくりと両手に圧縮空気を纏わせ、照準を楓へと向ける。
「ボーナスポイント、げっとーっ!!」
男はまるでシューティングゲームでもしているかのように、楽しげに圧縮空気を楓に向けて放つ。
男の両手から放たれた圧縮空気は、楓に届く事はなかった。
男が圧縮空気を発射した瞬間、漆黒に包まれた男が楓と男の間に突入して圧縮空気を楓の代わりに受け止めたのだ。
漆黒に包まれた男は、『黒い死神』
黒である。
黒は黒い髪に白い仮面をつけ、黒いロングコートを着用し、仁王立ちして高笑いを上げる男を睨むように立っていた。
怯える楓は、襲ってくるはずの衝撃が来ないことに気づき、ゆっくりと顔を上げる。
目の前に立つ黒いコートを来た黒髪の男が目に入り、涙をボロボロと流していた楓に薄らと笑顔が戻る。
振り向いてもいない黒の背中を見ただけで、楓はそれが学校帰りにいつもお話していた李 舜生であると確信する。
「李さんっ! 助けに……助けに来てくれたんだ!」
「……動くな」
黒は楓に冷たく一言言い放つと、楓は元気よく『うん!』っと返事してチョコンっと座る。
「なんだよ、お前。隠しボスか? 何ポイントだよ!!」
高笑いを上げていた男は、黒に狂ったような視線を向けている。
その言動は現実を一切見てはいない。
まるでシューティングゲームに熱中して現実とゲームを混同している。
その腕には注射跡がクッキリと残っている。
「“NEXTになれる薬”か」
「へへへ……正式名称は『覚醒物質』だよぉおん。
30分でどれだけ
人を撃墜できるか遊んでるんだから邪魔すんなよ、隠しボスゥウ!!」
男は両手に纏わせた圧縮空気を黒へと向けて連射し始める。
黒は後ろにいる楓に圧縮空気が及ばせない為にも一歩として動かず、左腕で全て受け止める。
男は黒に圧縮空気を撃ちながら高笑いを浮かべ、嬉しそうに狂ったような笑顔を浮かべている。
目の前の与えられた仮初の力に喜んでいる男を見て、黄 宝鈴との記憶が蘇ってくる。
そして、黒の胸の中に憤りが燃え上がる。
――違う。
力は……そんな遊びで奮うものじゃない。
そんな笑顔で、ゲームのように……
暴走する能力で家族を、周りの人達を傷つけた事を悔やいた鈴は、シュテルンビルトに来てずっと夢に見て泣いていた。
シュテルンビルトに来てから、鈴は能力を使役するのを恐れていた。
こんな自分の快楽のためには使おうなんて鈴は考えたことはなかった。
「お前は……違う」
過去の記憶と憤りに仮面の下の表情は変化し始める。
そして圧縮空気を受け続け、痺れて動かなくなった左腕を盾にして、一歩後ろに座っている楓のところまで下がる。
「鏑木楓、少し恐いかもしれないが我慢してくれ」
「大丈夫だよっ! 私、李さん信じてるもん」
「目を瞑っていろ」
「うん!」
黒は懐から閃光手榴弾を取り出し、男へと向けて投げつける。
男は高速で向かってくる先行手榴弾を打ち落とせずに、閃光手榴弾は眩い閃光を放ち、男の目を眩ませる。
黒は閃光がなくなる前に楓を抱き抱え、目が眩んでいる男を中心に円軌道を走って移動する。
目を瞑っている楓を左腕で抱きかかえ、右手でナイフを男の腕に目掛けて容赦なく投擲する。
ナイフは見事に男の左腕に突き刺さり、校庭には男の泣き喚くような叫び声が響いた。
黒は楓を優しく下ろすと、一直線に男へと向かう。
閃光により視界が眩んだ男はナイフが突き刺さった左腕の痛みに、地面に座り痛みに泣いていた。
そのナイフの突き刺さった腕に黒は、容赦なくナイフの柄に蹴りを放つ。
突き刺さったナイフが黒の蹴りの衝撃を受け、ナイフが突き刺さった傷口が更に開き、男は更なる痛みに悶える。
黒は容赦なく突き刺したナイフを乱暴に抜くと、ナイフの柄で勢い良く男の肩を水平に打つ。
カポっと男の右の肩の骨は綺麗に外れて、右腕は動かず、左腕は激痛に動かせなくなる。
「なにするんだよ! 俺はただシューティングゲームしてただけだろう!!
高い金払って買ったんだ。楽しんで何が悪いんだよぉお!」
「……そうか」
黒は男の言葉に表情を険しくさせるも、仮面は表情一つ変えない。
そして前蹴りで男の腹を蹴り、顔を鷲掴みにする。
メリメリと男の顔にめり込む黒の指に、男は更に悲鳴を上げる。
「楽しんでるだけじゃないかっ! それの何が悪いんだよ……
ぎゃあぁああああ! 痛い痛いっ!
助けてっ! 見逃してよっ! ギブギブ!!」
メリメリめり込んでいる黒の指の痛みに悶えつつ、男は降参の言葉を並べる。
まるでギブアップ宣言すれば許してもらえるとでも思っているのか、この状況をどうかしようなど考えていないのだろう、一切動きがない。
本当に現実を現実と捉えられず、ゲームとしか捉えれていないのだろう。
能力を玩具としか捉えていないで、周りの人間たちはその的としか捉えていない。
“NEXTになれる薬”こと『覚醒物質』で、対価も感情喪失もない目の前の男は、NEXTというよりも契約者に近いのかもしれない。
自分の為に生きる。その生き方の一つなのかもしれない。
だから、敵にもこんな無様な懇願をしてくる。
自分が起こした事の大きさには一切目もくれず、快楽のみに目を向ける。
周りがどれだけ不幸になろうと、知らん顔……。
腹の底から沸き上がるかつて契約者を忌み嫌っていた時のような怒りが全身に回ってくる。
黒の身体に怒りが周り、先程よりも強い力で男を握る。
「お前のような顔を見ていると……反吐が出てきそうだ!」
黒はランセルノプト放射光を纏い、電撃で男の意識を刈る。
ダランっと力が抜けた男を黒はゴミをゴミ箱に放るように地面に捨てる。
黒は、黒の言いつけを守って目を瞑っている楓の元に歩いていく。
「鏑木楓、もういい。それではな」
「李さん! ありがとう!! すっごい怖かったんだよ!」
頭をポンっと撫でた黒に、楓はギュッと抱きつく。
そして黒の左腕に楓が触れたとき、黒から小さく息が漏れる。
圧縮空気を受け続けた黒の左腕は打撲に打ち身、骨にヒビが入っていた。
その激痛に声を殺して、耐えた結果の息である。
それを敏感に感じ取った楓は、黒の左腕のコートをめくる。
痛々しい左腕の惨状を見た楓は、ポケットから手拭いを取り出して丁寧に巻いていく。
「何をしている、鏑木楓」
「だって、李さん私の事庇ってこんな怪我しちゃったんだもん」
「なぜ、俺が
李 舜生だとわかる」
仮面をつけっぱなしにしている黒は、左腕に手拭いを巻かれながら静かに問いかける。
っも楓は、なんでそんな質問するの? っと不思議そうに見上げてくる。
髪型以外で李 舜生と断定する要素がないにも関わらず、楓は見事に言い当てた。
「だって李さんとは仲良しさんだもんっ! ちょっといつもと喋り方違うけど、ちょっとくーるでカッコイイよ!
それにその仮面もちょっとカッコイイよ!
よしっ、出来たよー」
「……礼を言う」
「エヘヘ。っあ!
黄さんね、私のお家にいるんだよ! 何かあったの?」
「そうか……あの娘をよろしく頼む」
黒は、優しく楓の頭を撫でる。
楓は嬉しそうに頬を赤くしながら気持ちよさそうに受ける。
ポンポンっと頭を軽く優しく叩くと、楓を置いて走り去ってしまう。
その数分後、キングオブヒーロー“スカイハイ”が超特急で飛んでやってくる。
犯人はスカイハイにより拘束されて、事件は終わりを告げた。
――――――――
学校から逃走成功を果たした黒は、路地へと入っていき、誰も来ないような薄暗い場所へと入っていく。
地面には無数のガラス片が散らばり、ゴミの集積BOXの横にはいくつもの酒瓶が置いてある。
黒は選ぶまでもなく一本の酒瓶を取ると、地面に崩れるように座る。
黄の血の跡が残る白地に右目に紫の雷模様がある仮面を取ることなく、うなだれるように下を向く。
「どうした? いつものようにさっさと飲めよ」
ゴミの集積BOXの上から声を掛けてきたのは、黒猫の
猫である。
今回、黒が学校へとやってこれたのは、この猫の情報のおかげである。
今はどこにいるとも知れないアンバーより、猫に残された未来の情報により猫は黒に犯罪の発生時間と場所を知ることができる。
そのおかげで、蘇芳のトレーニングセンター襲撃より今日でちょうど一週間が経っている。
黒は猫に視線を向けることなく、声にも応えない。
ただただ下を向き続ける。
「アンバーから貰った情報では、今日はもうないから安心しろよ」
「……アンバーの依頼……か」
「あぁ。お前に犯罪の情報を教えるのと、ハヴォックに一週間だけでも安息を与えてくれってな。
だから、お前の前に現れたハヴォックをお前の家に連れていくように行ったのさ」
「そうか……何もしてやれなかったな」
「そうでもないさ、ハヴォックが言っていたぞ“やはり家族はいいな”ってな。
もうすでにパンドラに捕らえられて記憶を消されて契約者に戻されて駒になってるはずだがな。
――おっと、怒るなよ? 観測霊に監視されて空間転移能力の契約者があっちにいる時点でそう変えれる未来ではないんでな」
「…………」
「それはあの娘との別れも同様だぜ? 俺と出会った日に伝えといたはずだがな、やっぱりキツかったか?」
「…………本当に、全てなくしたんだな」
「そうか? 俺はまだお前には残ってると思ってるぜ。それもこんな状況全て吹っ飛ばすくらいとびっきりのがな」
「そうだな……俺にはまだお前がいたな」
そうじゃねぇだろう……っと猫は呆れながら肩をガックリと堕とす。
猫は背後から聞こえた足音を察知し、少し口元を緩ませる。
そして、背後に気配を感じながら黒に再び声を掛ける。
「しかし、甘ちゃんのお前にはキツイ状況だわな。折角築いてきたヒーロー達との絆は断たれ、この世界でのもどる場所もなくなった。
なぜそんなお前がまだこのシュテルンビルトに残っている?」
「……ジュライが、ドールがあっちにいる時点で俺が逃げ切れない」
「違うな。黄 宝鈴に危険が及ばないように……だろう?
お前を失ったあの娘が自棄にならないように、中途半端に事件に関わり傷つかないように、犯罪を未然に潰してきた……だろう?」
「…………」
「それに、お前がパンドラに攻め込まないのも同じ理由。
それに加えて、今お前がパンドラを攻めるとオマケでついてくるヒーロー達の誰かが必ず死ぬからな。
お前を取り返したいヒーロー達はそれが出来ない状況を作り出したパンドラを『黒の死神』から守らないといけないからな。
そして、パンドラはヒーローを喰えるだけの戦力を保持してるし、ヒーローを使い捨てにするつもりだからな。
――お前はどれだけ契約者ぶってても、やっぱり人間だな。優しすぎるんだよ。
そうは思わないか? 鏑木・T・虎徹さんよ」
猫は、自身の後ろにある建物によって形成された曲がり角に顔を向ける。
その曲がり角からは、バツが悪そうに出てきたのはヒーロースーツを着た鏑木・T・虎徹が出てきた。
白とクリアグリーンに彩られた鎧のようなスーツに、クリアグリーンの角刈り風なパーツと能面のようなヘルメットを手にもっている。
顔にはアイパッチを着けている。
黒が先程潰してきた学校での犯罪に出動したままので追ってきたのだろう。
黒を刺激して逃がさないためか、虎徹はゆっくりと近づいてくる。
地べたに座り、仮面を付けている黒は、顔を伏せて虎徹からは顔を反らす。
黒は静かに仮面を取ると手で目元を拭い、手で目を覆い立ち上がる。
目を伏せたまま黒はゴミの集積BOXの前に出て、グっと顔に力を入れてゆっくりと手を目から離し顔を上げる。
ゆっくりと閉じられた瞳が開かれ、虎徹に感情が乗っていない瞳が冷たい視線を注ぐ。
そこにはかつて李 舜生が虎徹達に向けていたあの優しい視線はそこにはなく、黒の冷たい視線がそこにはあった。
目の下には深い隈があり、この一週間まともに寝れていないことが聞かなくても虎徹にはわかった。
そして、いつもは綺麗に剃られている髭も剃られておらず、無精髭が口元にはあった。
その全てが、『李 舜生』は既に消え、『黒の死神』と呼ばれていた黒になってしまった事を虎徹に知らしめる。
「やっぱ……そっちが本当なのか? 李君」
「……」
「そうだな。こいつのコードネームは『黒』。本名は俺も知らない。
『李 舜生』っていうのは俺とこの世界ではない世界でチームを組んでるときに使っていた偽名だ。あの性格も偽物だ。
俺と黒は『契約者』と言われる存在で、能力と共に対価を支払うお前達『NEXT』とは似てるが違う存在だ」
「は?」
「最も俺と黒は対価を免除された特例だがな。トレーニングセンターを襲った4人もそうだ。
この世界になぜか別の世界にいたはずの俺達が来た。それも俺達はほぼ全員死んでからな……。
それがなぜか徒党を組んで、なぜか黒を狙ってきた」
「なら……そいつらを捕まえれば李君も戻ってこれるんじゃ……」
「もう、戻るつもりはない」
「なんでだよ! あのドラゴンキッドへのプレゼントはあいつを想ってだろう! 李君!?
あのプレゼント見たらどれだけドラゴンキッドの事を大事に想ってるかはわかるよ!」
銀行強盗発生時に黒から奪った黄へのプレゼントを返そうとスーツの収納スペースを触るもそこに目的のものはなく、体中をオカシイな……っと言いながら触りまくる。
虎徹はスーツに入れたと思っていた黒から奪ったプレゼントを返そうと持ってきたはずなのだ。
だが、急いで出てきたので、トレーラーに置きっぱなしだったのだ。
シリアスに進んでいたはずの場が何時の間にか、どこか間抜けな雰囲気に包まれる。
「あれ……? おっかしいな。持ってきたはずなんだけど……ハハハ」
「好きに処理すればいい。俺は正体がバレた時点で消えると黄 宝鈴にも伝えていた。
――それを実行するだけだ」
冷たい視線と共に答えた黒の瞳は静かに悲しみに染まっている。
冷たかった黒の視線が、悲しみに染まったのを虎徹は敏感に嗅ぎとる。
その言葉が黒にとってどれだけの覚悟を伴ったものであるのか、どれだけ大切なモノを失うものだったのかを示していた。
虎徹は『李 舜生』にどこか歳の離れた兄弟のような感覚を持っていた。
その『李 舜生』がこうまでなってしまった事に、自身の無力さを思い知らされ、胸が締め付けられた。
「なんでそんなになっちゃったんだよ……李君。
なんで人を殺したんだよ……なにがあったんだよ」
虎徹の泣きそうな声で問われた問いにも、黒は黙秘を通すように口を開けない。
「契約者ってのはな、感情を著しく喪失して合理的な思考で動く存在だ。契約者が生まれてから世界は契約者を兵器として扱った。
なぁ? 黒」
「……」
黒は“話せよ、お前の過去を”っと言いたげに話を振ってくる猫を睨む。
「俺は……俺と妹はどこにでもいる平凡な兄妹だった。星を見れたらそれでいい。
平凡な人生を送るはずだった。
妹が契約者になって全てが変わった」
黒はそれから静かに自身の過去について語り始めた。
契約者となった妹は“組織”に連れていかれ、『天国戦争』と呼ばれる南米で起きている戦争に兵器として投入されることになった。
両親は既に妹の存在をなかったかのように日常を過ごそうとしていた。
黒は妹を助けるため、“組織”の門を叩いた。
契約者でもない黒は軍に入隊し、『黒』のコードネームと殺人術を伝授された。
特に特出した身体能力もない黒は毎日血反吐を吐くような訓練に耐え抜き、妹が投入されている『天国戦争』へと送られた。
黒を引き取ったのは契約者だけで編成され妹がいる部隊、アンバーが率いる部隊であった。
そこで黒は契約者を殺す人間として、感情を著しく喪失した契約者よりも誰よりも冷酷な存在として『黒の死神』として恐れられた。
対価で眠ってしまう妹の為に、自分が生き残るために、黒はいくつもの屍を作ってきた。
黒が人を殺してきたのは、妹を護るため。
殺さなければ殺される戦争という地獄に迷いこんでしまったためである。
「じゃぁ、人を殺してきたのを否定しないのは」
「妹を守ってきたのを否定したくはない。もう俺には何もないから」
「ええ……あなたにはもう何も残されてはいない。
唯一我々が必要だったその能力も既に不必要になりました」
突如男の嬉しさを殺しきれていない声が黒と虎徹、猫に空から聞こえてくる。
見上げると、建物の屋上の縁に人影が見える。
そこには、
魏 志軍という男が口元を釣り上げて笑っていた。
短髪の黒髪を逆立て、顔の左半分が灼けている。
白のチャイナ服に、黒のゆったりとしたズボンを履いている。
「魏 ……志軍?」
「ええ、あなたに殺されて再び舞い戻ってきましたよっ!
パンドラによって能力と記憶を取り戻してからずっとこの時を待ちわびていましたよ。
亡霊がついにあなたの『代用』をつい先程見つけ出してくれたので、ついに念願が叶います。
あなたを殺すという念願がね!!」
魏は嬉しそうにナイフで自身の手首をザックリと切る。
その手首にはいくつもの切り傷が残されており、手馴れた手付きで手首を切り、ボタボタと血を流す。
魏はボタボタと落ちる血を黒達がいる付近の壁へと向けて飛ばす。
黒は魏の能力を知らず、血が飛んでくるのをボケっと見ている虎徹を右蹴りで後方へと飛ばすと、自身も身体を回転させて虎徹から離れる。
「逃げろ! 鏑木・T・虎徹、こいつの血に触れるな、死ぬぞ」
「安心してください、あなた以外に狙うつもりはありませんよ! 生温い正義のヒーローごっこに酔いしれているような輩なんてね!」
魏は虎徹を見下すような視線を一瞬向けると、ゴミでも見るかのように蔑みの視線を送り、黒を追って走り出す。
「お膳立てはしましたよ、パーセル。最後のターゲットですよ」
「わかってるよ、俺に喋りかけんな」
魏がいた屋上に座っていたパーセルは駆けて去っていく魏を睨みつける。
ゴーグルを黒髪の頭につけ、カチューシャの猫耳を着けたキリっとした顔立ちのパーセルは、膝まである大きなボタンがついた白いジャケットを着ている。
パーセルは、契約能力である、黒い球体を発生させる。
黒い球体はいわば出入口である。
黒い球体を自身の近くと目的地に発生させることで空間転移している。
パーセルは黒い球体を虎徹の目の前にも発生させている。
パーセルは黒い球体へと入ると、建物の屋上から虎徹の目の前へと転移する。
そして、虎徹の後ろに気配を殺して経っているヒョロリとした白人の男が立っているのを確認してパーセルはヒーロー達の記憶を消す最後のターゲットに狙いを定める。。
「お前……トレーニングセンターを襲ったやつだよな」
「そーだよ。俺は送り迎えしかしてねーけどな。
まっ、ダラダラ話しててもいいけど、俺の最後の仕事だしさっさと終わらしたいんだよ。
はーい、後ろ向いてー」
「嫌だよ! なんでだよ!?」
「はぁー!? 後ろから襲撃するからだよ!」
「なら報せねーだろう! 訳わかんないな、お前」
「後ろ向けよぉぉぉおおお! それだけしてくれたらいいんだからさ! おっさぁぁぁああんっ!!」
「それよりもなんでトレーニングセンター襲ったんだよ!? てかおっさんって言うなよっ!」
「後ろ向けよぉおおお!!」
「嫌だって言ってんだろ!」
「このおっさん、めんどくせーーーーーーー!!! あぁぁあああああ!!」
こいつら……なにしてんだ? っとゴミ集積BOXの上で寝転がった猫は呆れながら虎徹とパーセルの押し問答を黙って眺める。
虎徹とパーセルの押し問答は乱入してきた白人の男が虎徹の五感を奪うことにより収まった。
そして、路地裏には猫以外誰もいなくなった。
「そういえば、ワイルドタイガーの奴……俺喋ったのにノーリアクションじゃねぇか……」
猫は少し寂しそうに溜息を着いて、ゴミの集積BOXから飛び降りて去っていく。
――――――――
......TO BE CONTINUED