メセドナ公国の北西部に位置する特別自治区、その更に北部、ザルトヴァールとの国境線上に位置する山脈。
そこには現在、帝国軍第二軍、黒金騎士団の陣が張られている。
既に進軍再会の時間は過ぎているため、何かのトラブルがあったのだと分かる。
そのトラブルとは、皇帝の娘であるネストリ・アルア・イシュナーン皇女が来ている事についてだ。
一度は彼女は誰かの魔法にかかり眠らされていたのだが、今は復調している。
白銀騎士団も慰安の天幕で寝かされていたが、今は彼女の護衛についている。
黒金騎士団団長バルフォルト・ギーヤ・メイソンは苦り切った顔ながら、皇女と天幕で再び話し合いを持っていた。
「メイソン卿、此度の失態について何か申し開きはありますか?」
「……いえ」
「天幕の中にいた私が襲われたという事はこの軍の防諜体制が整っていないと言う事です」
「はっ、肝に銘じておきます」
バルフォルドはその巨躯といっていい体躯を銀髪の小さな皇女の前で縮こまらせている。
もちろん、顔には出ていないものの、内心バルフォルドは頭を抱えたい思いだった。
誘拐犯の2度の襲撃を許したという事になるからだ、戦争での失態回復の前に目覚めたのは致命的だった。
彼自身襲撃による失態はかなり及び腰だったものの、団長に乗せられてしまったところはあった。
「それで、停戦命令はどうなりましたか?」
「何分、命令書も奪われており、現時点での撤退は難しいかと思われます」
「メイソン卿、貴方は現状を正確に理解していないようですね」
「はて、一体どういう事でしょうかな?」
「イシガミという男を貴方は甘く見過ぎていると言っているのです」
「確か、現ムハーマディラの市長でしたか。
切れ者という噂ですな、しかし、一都市の防衛戦力などたかが知れております。
正面戦力8000の他に、絡め手として3000魔王領側から回し側面を突く予定があります。
今回の戦、負けはないかと」
「貴方はもう少し頭の回る人間だと思っていました……」
あきれた調子の皇女を前にバルフォルドは目をむく。
彼女は天才である、それも全てにおいて。
だからこそ皇帝陛下の信も厚く、娘トいう事もあり目に入れても痛くない可愛がりようである。
皇帝陛下は豪放磊落という言葉が似合うタイプで娘とは全くタイプが違うが、それなりにうまが合っている。
彼女の信を失うと言う事は、帝国においての権威失墜とさほど変わらない。
成算は十分あった、しかし、それはもう半ば崩れ去ろうとしている。
どうにか、証拠は隠滅したものの、騎士団を動かす決め手は少ない。
だが、どちらにしろ国境線を超えて踏み込んでしまったのだ、国際指名手配の犯罪者を捕まえる名目で。
今さら無かった事にはできない、だから皇女も強くは反対できまいと踏んでいたのだが、
バルフォルドの見立ては大きく外れていた。
「敵軍の情報はどうなっています?」
「山を抜けた所に陣を張っております。恐らくそこで迎撃をするのでしょうな」
「兵数は?」
「おおよそ3000ほどではないかと、近隣の町からも招集したのでしょう。
確かに多少多いが、十分撃破できる数です」
「招集できる限界は4000と見積もっていたはずですね。後1000はどこにいますか?」
「ムハーマディラの一角に陣どっているようですな。
都市部の防衛隊とで500づつほどではないでしょうか。
中途半端な布陣は命を縮めるだけかと存じますが」
「こちらの絡め手3000……魔王領から迎撃されることはないのですか?」
「魔王領の軍勢は前回散々叩いてあります故、すぐには動けないでしょう」
実際、前回の魔王領との国境争いは大規模なもので、互いに万単位の軍をぶつけ合っていた。
そして、黒金騎士団は辛くも勝利を収めている。
その際の追撃で全体の半数以上を叩いた事もあり、バルフォルドは安心していた。
「……本気で言っているのですか?」
「何か問題が?」
「魔王領の軍勢として我々が戦ってきたのは、隣接する領主の軍だけなのですよ?
魔王領は10人の領主によって分割支配されていると言っていいでしょう。
その一人の軍勢を叩いただけで安全だと?」
「しかし……帝国方面へは魔界軍師ゾーグの軍しか来られますまい。
あのプライドだけは高い男が、援軍を要請するとも思えませぬ」
「ええ、帝国領内で軍を動かすならそうでしょう。
しかし、帝国の南である、このメセドナにおいては違います。
この国が隣接しているのはベルンフォード辺境伯領なのですよ?」
「ですが、それはあくまで特別自治区より南に隣接しているだけでは?」
「いいえ、先の戦争で帝国が勝った事により、ゾーグは軍を増強するためベルンフォード辺境伯に領土を切り売りしました」
「……なんですと」
それはつまり、絡め手は別の領主の領土を横切ることになるということであり……。
バルフォルドが顔面を蒼白にしていると、伝令が飛び込んできた。
皇女は冷静に伝令に応じる、バルフォルドは一瞬視界が真っ白になった。
「伝令!! 魔王領側からの絡め手部隊が魔物の軍勢と交戦中!!
魔物の軍勢の数役1万!! 援軍を乞うとの事!!」
「いっ、1万だと!?」
「絡め手の軍に伝えなさい、急いで帝国に向けて撤退するようにと。
恐らく、相手は追撃してこないはずです」
「そんな事がどうしてわかると!!」
「正面衝突をしても、彼らに特がないからです。
彼らの領主関係は基本的に冷え込んでいると聞きますから。
ですが、いそいでください!」
「はっ!!」
「こっ、こんなことが……」
その言葉を聞いて、皇女は眉をもみほぐすようなしぐさをする。
5歳の少女がする事ではない、しかし、ネストリはまた瞳をバルフォルドに向けると。
「所で、ムハーマディラで最近変わった事件が続いているという話を聞いた事はありませんか?」
「生憎と……何かありましたかね?」
「晴れだった所が急に雨になったり、雪になったりするそうです」
「は……?」
バルフォルドは言われても一体何の事だか分らなかった。
当然だろう、この時代というよりこの世界にはそのような概念自体が存在しないのだから。
気がついたネストリこそ異常と言っていいだろう。
「早急に撤退する事を命じます。8000もの軍勢を無駄死にさせたくないのなら」
「無駄死に……ですと!?」
「はい、このままでは全滅もありえます」
「ははは……殿下は冗談がお上手でいらっしゃる」
「私は冗談等は言いません。貴方は勘違いをしています。
私が戦争を止めに来た理由は、他の何でもない黒金騎士団の名誉失墜を恐れての事です」
「……ッ!!!」
言われた言葉に今までにない怒りを覚えバルフォルドは目をむく。
そもそも失墜の原因は冒険者上がりを青銅騎士団の団長に据えた皇女の我儘ではないかと。
口に出しこそしなかったが、目が如実にその事を追及していた。
だが、ネストリは目をそらすことなく言葉をかえす。
「青銅騎士団の事で、貴方が危機感を感じているのは知っているつもりです。
しかし、あれはあれで必要な事でした。
動員兵力もこれに寄って向上しています。
また、黒金騎士団の戦力増強案として、青銅騎士団の何割かを下部組織として移動する事も考えていました」
「青銅騎士団が黒金騎士団の下について命令を聞きますか?」
「それをするのが、私の仕事だと思っています」
「……」
バルフォルドが考え込む、確かに皇女は帝国の弱体化などは考えていない。
なんらかあったにせよ、これまでネストリが関わった案件は国を強くする事に役立っている。
だから、黒金騎士団を潰すつもりがなかったというのは嘘ではない可能性もある。
しかし、同時にそうでない可能性黒金騎士団そのものを潰して青銅騎士団と一つにする事も国を強くすることには繋がるのだ。
どちらがよいとは言えないが、バルフォルドにとっては最も起こってほしくない未来となる。
「撤退すれば此度の事は全て不問とします。独走も、失態も全てです。早く撤退しなければ……」
「それは……一体何が起こると……ッ!?」
突然、陣内に雷音が鳴り響く。
その音の大きさにネストリもバルフォルドも一瞬動きを止める。
次の瞬間には、焦げ臭い臭いと阿鼻叫喚の声が響き渡っていた。
ネストリは遅かったという事を知り、渋い顔になる……。
「一体外はどうなっている!?」
「恐らく……敵が雷を降らせたのでしょう」
「雷を……ですと? サンダーの魔法ではなく……?」
「そう、天候を操る兵器があるという噂を私は聞いた事があります」
「天候……空を操るというのですか!?」
「そうです。今はそんな事よりも負傷者を回収しつつ、急いで撤退を!!」
「はっ、了解いたしました!」
流石にバルフォルドもこれは部が悪いと理解した。
それは、外部の惨状を目撃してすぐだ、雷の被害報告を聞きながら実際に出た死人は100名に満たない事を知る。
しかし、それでも効果は絶大だった、周囲の天候はいつでも次の雷を落とせる事を物語っていたからだ。
だがすぐさまやってきた次の雷によって更なる混乱が起きる。
ほぼ同じポイントだったため死人は少ないものの、救助途中だった者たちも新たな被害者となった。
『聞こえているか、黒金騎士団の諸君、君たちは国境線を超え我が国の領土を侵犯した。
よって、裁きの雷を落す事とした、軍をまとめ、直ぐに撤退したまえ。
今の2度の雷を見てもらえば分かる通り何発でも同じ場所に落す事が出来る。
撤退しないならば、君たち全てを天罰の業火が焼き尽くすだろう。
今回の国境侵犯は後日正式な書面にて抗議、損害賠償を請求する。
返答やいかに?』
拡声の魔法でも使っているのだろう、上空から声が降ってきた。
しかし、バルフォルドに視認出来るのは雲のみ、これでは竜騎士達を放っても迎撃できない。
バルフォルドは城塞攻撃をする際のサポートとしてワイバーンに乗る竜騎士を20騎用意していた。
空からの攻撃を考えていたという点においてバルフォルドも並みの将ではないのだが。
それでも、飛行高度の低いワイバーンでは雲の中まで突っ込ませるのは危険だ。
「貴様何者だ!!」
バルフォルドは怒りと共に誰何した。
それに対して、まるで呆れたかのように声が降ってくる。
『何者だとはご挨拶だね、バルフォルド・ギーヤ・メイスン黒金騎士団団長殿。
貴方がメセドナ共和国において最初の獲物に選んでいた哀れな町長の名前はご存じないのかな?』
「まさか……貴様がイシガミッ!?」
『御名答、私が石神龍言(いしがみ・りゅうげん)だ』
バルフォルドは呆然とすると共に悟った、この状況ではもう勝ち目はない。
黒金騎士団にも存続の道は存在しないのだろうと……。
「準備は出来たかね?」
「はっ、既に魔法使い100人を配置しました」
「そうか、では行くとしよう」
100人の魔法使いというのは、ムハーマドラの比率からしてもかなりのものだ。
石神は既に何度か、領域侵犯と警告を告げる使者を放っている。
もちろん、それで相手が撤退するとは思っていないが、警告もせずに迎撃する訳にはいかないからだ。
石神は戦争をする気はない、しかし、何もせずにはすまされない所までは来ている。
だから、新兵器を使う事を決めた。
兵器とはいっても、実際はラリア公国の首都アッディラーンにある浮遊城と変わらない。
ただ、巨大な飛行石を使う事で小さめである300人乗りの飛行城を高く押し上げる事を目的の一つとしている。
この飛行城に出来る事は4つだけ。
高く浮く事、ゆっくり横移動する事、雨雲を呼ぶ事、避雷針に雷を集める事。
とはいっても、雨雲を呼ぶのは魔法使い達の仕事なので実質3つだけだ。
石神は飛行石があると聞いて、当初はガンシップ等を作る事を検討していたが、
実験してみて分かったのは、エンジンを作らない事には素早い移動は無理だと言う事だ。
石神も基礎知識くらいは持っているものの、専門家でもなんでもない、蒸気機関車くらいなら計画もあるが、
ガンシップ用のエンジンとなると安全性の確保も含め7〜8年はほしい。
という事で、当面これで行くしかない。
もっとも、ゆっくり横移動する浮遊城はこれが初めての制作ではない、移動する城はメセドナに既に一つ存在している。
巨大であるため、人の走る程度の速度しか出ないが、南にあるデルトリオ移動要塞こそ初代だ。
そこは、特別自治区と魔王領からメセドナ本土への主要街道を抑える位置に存在する。
最悪の事態に陥った時、メセドナ政府は特別自治区は切り捨てる腹である事は要塞の位置から丸わかりだ。
とはいえ今回言いたいのはそこではない。
目新しい技術は殆ど使われていないという事だ。
それでも、たったこれだけの事が強大な兵器を生み出す事になる事を石神は知っている。
設計図を手に入れたアルバンも或る程度は予想が出来るかもしれない。
「どちらにしろ、お披露目になってしまう以上、失敗は許されないな」
「はッ!」
「書記官、ここからは私と護衛だけで行く、町の事は頼んだぞ」
「わかりました。ご無事で!」
「何、よほどの事がなければ大丈夫だろう。では行ってくる」
石神は庁舎を離れ、馬車に乗りムハーマディラの外れにある飛行城に向かう。
石神はふと思い出す、城の名前をまだ決めていない事を忘れていた。
分かりやすく、雷雲城とでもするかと少しセンスのない考えていると、馬車が城に到着している事にきづく。
「出迎え御苦労」
「はっ、既に準備整っております!」
出迎えた護衛に挨拶し、眼鏡を食いっと持ち上げながら城を確認する。
これが飛ぶとは信じられないような構造体だ。
まあそれも当然、単体では飛ぶはずもない代物だからだが。
石神は一息つくと、城に向かって歩き出す。
しかし、その白い背広を思いっきり掴んで引きとめるものがいた。
「ちょっと待て!」
「ん?」
蝙蝠の羽根を持つ少女が石神を引っ張って自分に視線を向けさせる。
少しだけ青みがかった銀髪、そして燃えるような赤い瞳、簡易鎧を着込み、背中には槍と丸盾を背負っている。
騎士の装備といっていい、少女がするには少々重そうでもあるが。
それを見た石神は、少しだけ表情を緩める。
「どうしたカルネ?」
「お前がが言ったんだろ!
従順で話が通じて意図的に雷を放つ事の出来る魔物を用意しろって」
「いたのか?」
「ああ、アルウラネ様のつてでな、サンダードラゴンを貸してもらった」
「サンダードラゴン……大物だな」
「んー、カテゴリは大物だけど、まだ若いからな……」
「若い?」
「30年目、人間でいうなら1歳程度かな」
「それで話は通じるのか?」
「大丈夫、1歳っていうのは肉体の成長具合だから、知能は人間くらいはあるよ」
そういって、カルネが示したのは2mほどの金色の子竜だ。
2mほどといっても横幅もあり体格はかなり大きい、体重も軽く300kgや400kgくらいはあるだろう。
何と言っても、鱗が重そうである。
「サンダードラゴンのサンよ」
「よろしく、サン」
石神はありえないくらいに動揺を見せず、すっと頬笑みながら挨拶をする。
サンダードラゴンも頷く様に首肯した。
「では、乗り込もう。今ここを落される訳にはいかないからな」
そう言って石神は飛行城に乗り込む。
後から、サンダードラゴン、カルネ、100人の魔法使い達が乗り込み、
最初から乗っていた乗組員を含め200人近い人数となった。
そして、特殊なタンクにため込んでいた魔力を飛行石に供給し、飛行を開始する。
城の大きさに比して強力な城塞級の飛行石は供給された魔力を糧に飛行城をまっすぐ浮き上がらせる。
そして、上空に行くと同時に、巨大な帆が張り巡らされた。
これによって、ゆっくりとではあるが飛行城は移動を始める。
方向転換のたびに張り直す必要があるため、出し入れは一応飛行城内部から操作可能となっている。
また飛行城内部には外部から風が入り込まないようになっている。
そうでなければ、凍死する可能性がある事を石神が知っていたからだ。
何せ、この世界の住人が今まで飛行石で飛んだ事のある高さはせいぜい数百メートルくらいだからだ。
しかし、今回飛行する必要があるのは、気圧配置等で表示される高さよりも上つまり1000メートル以上。
温度は激しく違ってくる、その事をこの世界の人間はまだ理解していないだろう、そう石神は考えている。
こういう細かい考え方の違いが案外大きい事を石神は理解していた。
「帝国軍の上空に向けて進行開始」
「侵攻開始!」
帆が操作され、移動を開始する飛行城、魔法で発生させた雲を纏っているため外部からは視認しづらい。
それに、上空1000mに敵がいるなどと考える相手は今の所ほとんどいない。
それゆえ時速20kmくらいの、のろのろ運転でもほんの2〜3時間ほどで上空までやってきていた。
その後、砲撃準備を整えるまでに何度か失敗を繰り返し一時間近くかかってしまったが、その間敵陣は動かなかった。
石神は少し不思議に思ったが、敵軍がいるのは事実だと、作戦を開始した。
「目標に向け、雷撃投下用意、サン、頼む」
「キピュー!」
ドラゴンにしてはどこか気の抜ける咆哮と共に、サンはサンダーブレスを下に向けて撃つ。
すると、それは飛行城下部にある雨雲に吸い込まれ、中央部の避雷針に向けて殺到する。
そして、殺到した電荷が一定を超えると、地面の逆電荷の部分と引き合い、巨大な雷撃が発生する。
飛行城下部が真っ白な光に覆われた……。
「うっ、く……確認急げ! 雨雲はどうなっている!?」
「はっ、雨雲には未だ電荷が集中して……」
その言葉が終らないうちに、轟音と共にもう一度凄まじい光の奔流が起こった。
電荷が完全に元に戻っておらず雷がもう一発発射されたのだ。
結果として、この兵器はまだ不完全である事を吐露する事となった。
だが、その後の状況確認で石神は取りあえず効果は十分である事を確認した。
この兵器の本当の目的は脅しであるため、実質この砲撃が連射の効かない物である事を悟らせなければ効果は絶大だろう。
攻撃範囲は敵が密集していて百人前後、発射後は光の速さで着弾するため回避はほぼ不可能だが、
本来の発射プロセスでは雨雲を呼ぶ、雷を発生させる、電荷を上げる、発射、雨雲拡散という4プロセスからなる。
そのため一発の発射に10分以上を要し、移動が遅いため、一度見つかると大打撃は望めない。
半ば相手の城塞破壊に特化しているといっていい仕様だ。
だが、そんな事は使用者にしかわからない。
ワイバーンも届かない高空から雷撃を落される相手としては混乱するしかないだろう。
暫くの間は無敵の移動要塞としてムハーマドラを守る事が出来るだろう。
石神内心ほっと一息ついた。
ただ同時に、大量の人殺しをした事について葛藤も存在していたが……。
どちらの感情も表に出す事はなく、
「拡声魔法を頼む」
「了解しました」
拡声魔法の発動には、それなりに準備がいる。
声を大きくするのではなく、声の振動と同じ振動を特定または広範囲に発生させるという手法だからだ。
相手の声を拾うのは相手の位置がはっきりとわかっていればさほど難しくないが、その辺多少めんどくさい。
石神は準備がが出来たのを見届けると息をすぅっと吸い込み声をあげる。
「聞こえているか、黒金騎士団の諸君、君たちは国境線を超え我が国の領土を侵犯した。
よって、裁きの雷を落す事とした、軍をまとめ、直ぐに撤退したまえ。
今の2度の雷を見てもらえば分かる通り何発でも同じ場所に落す事が出来る。
撤退しないならば、君たち全てを天罰の業火が焼き尽くすだろう。
今回の国境侵犯は後日正式な書面にて抗議、損害賠償を請求する。
返答やいかに?」
多分に嘘や誇大広告を含んでいる事を石神は自覚しながら、脅しとしての効果を優先した。
雷は本来連発できないし、魔力供給の問題で高空にいられる時間にも限界がある以上ずっと追い続ける事も出来ない。
魔力が低下して低空飛行になろうものなら、竜騎士や敵の魔法使い部隊に蹂躙されるのが落ちだ。
だが、石神はそんな現実の不安はおくびにも出さず冷静に相手を追い詰めていく。
『貴様何者だ!!』
下から声が拾われてきた、その声が騎士団長の者だろう事は前後の状況から判断できる。
とはいえ、実は面識がある訳でもない、姿や性格は諜報によって知っていたが、あくまであてずっぽうだ。
石神はしかし、さも知っていたかのようにふるまう。
「何者だとはご挨拶だね、黒金騎士団団長バルフォルド・ギーヤ・メイスン殿。
貴方がメセドナ共和国において最初の獲物に選んでいた哀れな町長の名前はご存じないのかな?」
『まさか……貴様がイシガミッ!?』
「御名答、私が石神龍言(いしがみ・りゅうげん)だ」
この問答によって、確実にバルフォルドは追いつめられた。
石神は確信を持っている、今の会話によって1万の軍勢の士気は地の底を這っているだろう。
彼は石神の行動を読めず、また、飛行城に対する対策もないという事なのだから。
こちらが、山岳部の出口に配した兵力は3000、質も量も普通ならば負けているだろう。
しかし、疲労がたまり、士気が低下し、いつ雷にさらされるかわからない状況での突撃は心理的限界を直ぐに引き出す。
このまま撤退しても、無謀な突撃をしても、どちらにしろ彼らに勝ち目はなくなった。
『あー、ヴィリちゃんちょっと遅かったみたいじゃの』
「!?」
『ヴィリナ・ラトゥーリア様、お帰りなさいませ、その肩に担いでおられるのは?』
『皇女ちゃんを攫おうとした女じゃ』
『ありがとうございます!』
石神は下での会話の内容が分からず一瞬混乱した。
ヴィリナ・ラトゥーリアといえば、魔王を倒した”明けの明星”のパーティメンバーのはずだ。
石神の情報網では、シンヤと共に帝国に渡ったという所までしかない。
それに、皇女が国境侵犯したという話も聞いていない。
もちろん、黒金騎士団が陣を張り、諜報の妨害をしていたのだろうが……。
僅か2日の間に何があったのか……。
『ミスターイシガミ、私の部下が大変迷惑をかけました。
しかし、それもこれもこの女、私を誘拐しようとした者を追うための事。
決してメセドナの領土に二心あっての事ではないのです』
「そのようないい訳をされてもな、事実として軍はムハーマドラに侵攻するそぶりをみせていた。
我々が国際指名手配犯を庇っているという名目でな」
『はい、部下がそのように勘違いしてしまったのも私の不徳の致す所です。
しかし、被害が出たのは我々のみ、ですので痛み分けという事で許しては頂けないでしょうか?』
「それは違うな、私の出していた偵察兵の被害はかなりに上る。
近隣の領主への呼びかけや援軍要請などにも当然ながら金を使った。
その上、この秘密兵器は開発費がバカ高くてね。
とてもではないが、手打ちにする事は出来ない」
交渉相手が変わってしまった事に、内心いらだつ石神。
満5歳だという、ネストリ皇女は本当の天才らしく、この状況で譲歩を引き出しにかかっている。
しかし、石神とてこの飛行城の開発費の事を考えれば回収しないわけにもいかない。
それ次第で次に打てる手が変わってくるからだ。
『ならば、こう言うのはどうでしょう?
ザルトヴァール帝国が販売予定の鉄製農機具の販売独占権というのは』
「農機具……今までザルトヴァールは自国の金属を他国に輸出していなかったはずだが」
『はい、ですが今の現状では国民を富ませる事こそ国策の第一と考えまして』
「ふむ……数量は?」
『年間に荷馬車で1000台分ほどを予定しています』
石神はざっと試算する、農機具の質次第なところもあるが、一台につき金貨1枚(約10万円)程度の利益加算は可能だろう。
ならば、年間金貨1000枚(約1億円)の儲けが出る計算となる。
定期収入としては悪くない試算だが、出費は金貨50万枚(約500億円)という途方もないものである。
もちろん、飛行城は今後も役に立つはずだし、今回の宣伝効果も大きいだろうからそれほど問題はない。
しかし、せめて、即金で金貨1万枚(約10億円)ほどは欲しい所だ。
石神としては手元の金が尽きているため、政治に回す金が欲しい所であった。
「ふむ、ならばこういうのはどうだろう。
独占販売は1年のみでいい、しかし、1年間は純利益の2割をこちらに抽出してもらう」
『2割……ですか……、それでは製造を行った者たちへの利益が回りません。
せめて1割になりませんか?』
「ならば間をとって1割5分としよう。これ以上は下がらんぞ」
『……分かりました』
「では、正式な書面を作るために、私がそちらに向かうとしよう」
『……はい、お待ちしております』
この状況で石神が帝国の陣に行った所でさほど問題はない。
石神は所詮町長である、国王でも大統領でもないのだから、死んだところで国にとって大差ない。
その上、雷を落す兵器はまだ狙っているのだ、未だに帝国軍は戦々恐々としているはずである。
絶対に安全とはいかないが、危険度はさほど高くないだろう。
石神は、小型の飛行艇(上下にしか動かない)に書記官と護衛十数人と共に乗り込みゆっくりと降下していく。
戦争に関する結果は、おおむね石神の思い通りになったと言ってよかったのかもしれない。