朝見山市の南の方にある市立高校、朝見山南高校、略して朝見南。
その高校に二年生から転入してきた高林郁夫は授業と授業の間の休み時間にクラスメイトに囲まれていた。
高校に入っての転入生は結構珍しいようで、しかも海外からと言うのがクラスメイトの興味をそそらせたのだろう。
「アメリカには治療で行ってたんだよね?」
「うん、大きな手術だったからね」
この質問をしてきたのは男子生徒の杉本誠、色白で少し長髪の黒髪で文化系的な雰囲気。
「心臓が悪いんでしょう?もう、大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。前よりかは体調も良くなったし」
こちらは野々村飛鳥と言う胸元まである茶髪と黒髪の間の髪は少しウエーブがかかっている。
華やかでほっそりとした体形で水色のふちの眼鏡をかけている女子生徒。
「高林君って榊原さん達と中学一緒だったんだって?」
「え、あ、うん。そうだよ」
微笑みながらこの質問をするのはクラス副委員長の常本夏帆という女子生徒。
少し高い位置で黒髪をまとめていて、制服の上着を着ずに長袖の白のニットを羽織っている。
別に制服の上着を着るように、という校則は無いので構わないことだ。
「確かお父さんがこの学校の教頭先生だったよね?」
「うん、まあね」
こちらは体育会系風の少し日焼けした肌でスポーツ刈りの青崎竜輝という男子生徒。
青崎も上着は着ずに青色のジャージを羽織っている。
「そうだ。昼休みに校内を案内してあげようか?この学校、意外と広いし」
そう言い出したのは中学の夜見北の三年三組で一緒だった七瀬理央。
茶髪のショートヘアーで制服のボタンを上から二つ三つ外して上着ではなくジャージを羽織っている。
そんな外見でも不思議と不良っぽい崩れ方はしていない七瀬。
「ありがとう。じゃあ、お願い」
昼休みの腹ごしらえは速攻で済ませてしまった郁夫。
机を寄せて一緒に食事、という男子同士や女子同士は多いが、積極的にその間に入らなかった郁夫。
一人で自分の席に座って父の敏夫の再婚相手の智恵が作ってくれた弁当をたいらげた。
両親が離婚して母親の郁代が他界してから郁夫の弁当はいつも母方の叔母の郁子が作ってくれていた。
正直言うと料理が得意ではないそうな郁子の弁当を吐き気がしながら食べていたのでこれほど美味い弁当は久しぶりだ。
前のアメリカの学校ではカフェテリア(食堂)があったのでそこで食べていた。
向こうの料理はチキンやハンバーガーと高カロリーのものばかりで、郁夫のメニューは限られていた。
病院は病院であまり美味しくない料理ばかりだったので、郁夫は弁当箱に向かって智恵に感謝をする。
ありがとう。智恵さん、ごちそうさま。―――大いなる感謝を込めて手を合わせる。
「高林君」
そう言ってきたのは七瀬、七瀬も食事を終えたのかあの約束≠フ事を果たそうとしている。
後ろには同じく夜見北の八神龍、福島美緒、そして榊原志恵留(シエル)がいる。
「校内案内、今から行こう」
「あ、うん」
七瀬は強引に郁夫の手を引っ張って教室から連れ出す。
七瀬の強引さは不思議と郁夫は嫌な気分にはならなかった。と、言うよりもこれぞ七瀬だ、という気持ちになる。
そんな七瀬の行動に呆れ顔にクラス委員長の八神は黒ぶち眼鏡のブリッジを指で押し上げる。
五人は教室を出て三階建ての鉄筋校舎から外に出て中庭の舗道歩いている。
相変わらず強引な七瀬に苦笑している福島は長い黒髪が特徴的でどちらかと言うと小柄。
福島と同じように笑うのは志恵留、胸元まである髪をハーフアップで結んでいて高校に入ってからコンタクトに変えたそうだ。
「ね、ね、高林君ってさあ、幽霊とか呪いとか、そういうたぐいは信じる方なの?」
突然七瀬は校舎案内のついでに、と言う風にそんな質問をしてきた。
郁夫は突然すぎて反応に困ると「はい?」と首を傾げる。
「たとえば、心霊現象の一種とか?そういうのって、実際どうなの?」
大真面目な感じに聞き出そうとするのは一番そういう話を信じそうにない八神。
「って、聞かれてもなぁ、まず七不思議≠ニかは信じないかも」
「ふうん、そうなんだ……じゃあ、夜見北の三年三組の呪いみたいなのは?」
表情を一切変えずに聞くのは志恵留、あの三年三組のミサキの呪いのことだ。
いるはずのないもう一人≠ェクラスに紛れ込んで、毎月一人以上のクラスの関係者が死に引き込まれる現象。
郁夫はその当事者だったうえに、十五年前の六月の死者≠ナ一昨年のもう一人≠セった。
でも、その時にはすでに死者が入れ替わる≠ニ言う現象が起きていたので郁夫は普通の生きている人間となった。
でも、その記憶は断片的にしか覚えていない。
「うーん、そう言うのは当事者としていたし、僕だって死者≠セったから……それは信じる、かも」
郁夫は曖昧気な返し方をすると志恵留は「そう」とふに落ちないような表情をする。
その後、七瀬からの案内で校舎についての説明を聞いた。
この中庭を挟んでうちの教室のある校舎の前に同じような規模の校舎がもう一つ建っている。
それが3号館と言うそうで、三年生の一階には教室と軽音楽部や漫画研究部の部室がある。
郁夫たちが出てきたのは2号館で、一、二年生の教室が並んでいる。
各棟は渡り廊下で1号館、職員室や校長室などの本部棟とつながっている。
その向こうに隣接しているのが特別教室棟@ェしてT棟で、理科室や音楽室などの特別教室が集まっている。
呼ばれ方は夜見北のA号館、B号館、C号館ではなく、同じなのはT棟だけだ。
中庭の中央にはコンクリートで囲われた小さな四角い池があり、ハスが生育していてハス池≠ニ呼ばれている。
「じゃあ、三年三組の呪いみたいな感じなのは信じるんだね?」
「まあ、どっちかって言うとね」
郁夫は最後の志恵留の質問に答えるとハス池の方に目をやる。
コンクリートは少し黒ずんでいていかにも気味の悪い感じがする。
翌日の夕方、郁夫は学校から帰ると入院していた市立由岐井病院を訪れた。
智恵の運転する青色のキュートな小型車で、三歳になる梨恵も一緒について来た。
郁夫は担当の医師から軽い調子で説明を受ける。
「当面、問題はないでしょう。でも、まだ激しい運動は控えてください。来週の土曜日にでもまた来てください」
「はい。ありがとうございます」
やはりまだ体育の授業は無理だと分かると、郁夫は内心ガッカリをしてしまった。
この十七年間の人生で一度も体育の授業に参加したことがなかったので、別に構わないかと郁夫は思う。
診断後、郁夫は智恵と一緒に受付のベンチに並んで座ると智恵が梨恵を連れてトイレの方へ向かう。
郁夫はぼんやりとエレベーターホールの方を見ているとコントロールパネルの「B2」が点滅している。
地下二階からと言うことは病院関係者かと思っていたのだが、エレベーターがどんどん上に上がってくると一階のこの階で扉が開く。
郁夫は出てきた人物に仰天した。たっぷりとした白い長袖のシャツに黒いハーフパンツ姿の志恵留。
郁夫は思わずベンチから立ち上がるとエレベーターから出てきた志恵留に駆け寄る。
「榊原さん、奇遇だね。僕、今日診察だったんだ」
「えっ高林君……」
志恵留は少し動揺したような感じでキョロキョロすると引きつった笑顔をする。
「今日はどうしたの?地下二階って、何か……」
「ええっと……」
郁夫は深く考えてみると、地下二階と言えば倉庫や機械室の他に霊安室があるだけ。
郁夫は霊安室と言う言葉に少し疑問を感じると、嫌な冷や汗をかく。
「霊安室にいたの?誰か……家族で亡くなった人とか……」
「……違うの、ちょっとね。ある人≠ェ死んじゃって……」
「ある人=Hそれって」
「私の、可哀想な私の片割れ……じゃあね、もう行かなきゃ」
志恵留はそう言い残すとそのまま病院を出て行った。
―――可哀想な私の片割れ。
郁夫はその言葉に少々の疑問を感じると呆然と立ち尽くす。
郁夫が一人になると後ろから「久しぶり」と言う声がして、郁夫はビクッとなると声のする方を振り向く。
「今日は診察?」
声をかけてきたのは郁夫が入院していたときに担当だった看護師の清水翔子。
二十代前半で看護師になったばかりらしいが、結構しっかりした方で気さくに話しかけてくれるサバサバした女性。
「はい。体調も良くなってきてるので、入院はしなくても良さそうです」
「あらそう、残念だなぁ私が真心をこめて看病してあげようと思ったのに」
「それは結構です」
低い位置でツインテールをした少しウエーブのかかった黒髪に童顔の顔。
郁夫よりも身長が低くて華奢でどちらかと言うと見た目は子供っぽい。
郁夫は何となく先ほどの志恵留の事が気になって清水に質問をする。
「あの、最近女子高生がこの病院で亡くなりましたか?」
女子高生と言うのは郁夫の勝手な想像にすぎないが、それだけではなさそうだ。
清水は郁夫の質問に目を丸くして首を傾げると「あったかも」と呟く。
「私はよく知らないけど、一昨日くらいに若い女性が事故で亡くなったって聞いた」
「その人、榊原って名前でしたか?」
「うーん、どうだろう?あ、じゃあ先輩に聞いてみようか?先輩なら知ってるかも」
「いいんですか?じゃあ、お願いします」
軽い気持ちで清水にお願いした郁夫だったが、何となく嫌な予感がしたような気がした。
この感覚は初めてではない、一昨年の夜見北の三年三組だった頃に感じたような感覚だった。
その翌日、郁夫が朝見南の2号館の校舎を歩いていると二年三組のクラスメイトとすれ違わなかった。
早い時間だったのだが、郁夫が教室に入ると教室にはクラスメイト全員が座っていた。
教壇には担任の風見智彦が立っていて、その隣には副担任の梅原香織が立って話している。
郁夫は何らかの違和感を感じながら席に座ると自分の左隣をチラッと見ると隣の志恵留がいない。
まだ来ていないのか、あるいは欠席をしているのか。
次に郁夫は窓側の一番後ろの席に目をやると、その席にはやはり誰も座っていない。
志恵留はその席にはアサミ≠ニ呼ばれる生徒がいるようだが、今まで一度も会ったことがない。
風見はひたすらクラスメイトに何かを説明しているが、郁夫にはその意味がさっぱり分からない。
「では、そう言うことで……くれぐれもあの決まり≠破らないように……」
そう言い残すと風見と梅原は教室を出て残されたクラスメイト達はため息をついたり伸びをしたりしている。
すると七瀬は郁夫の方に歩み寄って「おはよう」と爽やかに挨拶をする。
「あーもう、くたびれた……」
「今朝、何かあったの?」
「ん?ちょっとね……一年の頃にいろいろあって……」
七瀬はなんだかタジタジした感じで引きつった笑顔をしている。
郁夫は七瀬の反応に疑問を抱いて次に志恵留とアサミ≠ノ関する質問をする。
「そう言えば、榊原さんは?今日は休み?」
「え……」
七瀬はそう言って首を傾げ、郁夫は意外すぎる七瀬の反応に「えっ」と言ってしまう。
「榊原さん、昨日会ったんだけど……」
七瀬は「え?」「え?」と小声で繰り返しながら、首を傾げ続ける。
なんだか困惑したような表情だが、昨日まで志恵留とは結構仲良くしていたと思う。
郁夫は変な空気になってしまって慌ててアサミ≠フ事を聞く。
「じゃあ、アサミって人は?一昨日から来てないよね?」
「アサミ……高林君、何言ってんの?アサミならそこにいるじゃない=v
七瀬は窓際の一番後ろのアサミ≠フ席を指差してそう言う。
だけど、その席には誰も座っていない、しかもなぜかその席の周りに女子三人が囲んで喋っている。
郁夫は「は?」と言葉を漏らしてしまうと頭の中が困惑しだす。
「しっかりしなよ。一時間目は体育だから、私、更衣室に行ってくる」
七瀬は郁夫から逃げるように指定のトレーニングウェアの入った袋を持って教室を出る。
―――アサミならそこにいるじゃない。
あの七瀬の言葉は一体何だったのか、そしてアサミ≠フ机の周りで話している女子たちは。
それに志恵留の事を聞いた時、どうして七瀬はあんな場が悪そうな表情をしたのだろうか。
昨日の志恵留と会った時、志恵留は霊安室に行っていたと言っていた。
―――可哀想な私の片割れ。
あの言葉の意味は一体何なのか、志恵留が今日学校を休んでいるのと何か関連があるのか。
郁夫はクラスメイト達が全員教室を出て行ってしまうまでそのことを考え込んでいた。
もやもやした気持ちのまま郁夫はグラウンドの北側にある木陰のベンチに座っている。
男女別の体育なのだが、男女ともにグラウンドに出て別々の種目をしている。
男子は五百メートルトラックを走り、女子は西側の隅で二十メートル走のタイムを計っている。
みんなお揃いの白いトレーニングウェアを着ている。
こういう男女別授業は普通は隣のクラスと合同なのに三組だけが授業をしている。
それにしても郁夫は先ほどの七瀬のアサミ≠ヘ学校に来ている、というような発言が気になって仕方がない。
もしかして先ほどアサミ≠フ席に集まっていた女子生徒の中に?と言う解釈も考えられるがそれは違う。
女子生徒の名前は知っていて、副委員長の常本に野々村そして高橋直子。
どれもアサミ≠ニ言う名前は当てはまらない、だとすれば七瀬は一体何を言っていたのか。
郁夫は西側の女子の方で一人だけ制服姿でぽつんと立っている―――あれが?
距離があるのでそれが誰なのかは分からない、あまり女子の方を見ているわけにも言わず郁夫は視線を逸らす。
郁夫は「あーあ」と声を漏らして大きく伸びをしながらぎゅうっと目を閉じると、なぜか腹違いの妹の梨恵の「なんで?」と耳の奥で問いかけられた。
この日の見学は男子では郁夫一人で、女子にも一人だけ見学者がいた。
「高林君も見学ですか?」
郁夫の隣に立ってそう問いかけるのはクラスメイトの雪村理奈と言う女子生徒。
黒髪の低い位置でのツインテールで真面目そうな黒ぶち眼鏡をかけている。
色白で小柄でほっそりしていて、紺のブレザーの制服は眼鏡同様にきちんと着こなしている。
胸元のリボンとスカートのチェック柄が少しだけ雪村だと浮いて見える。
先ほど見たあの制服姿の生徒はどうやら雪村だったようだ。
「うん。まあ、生まれてからずっとそうなんだけどね」
郁夫は雪村に返事をすると、自分の答えになぜか苦笑してしまう。
雪村は静かに郁夫の隣に腰を下ろすと「へえ」と言う。
「私もなんだ。私も、高林君と同じで心臓が良くなくてね」
雪村は足を揃えてスカートからはみ出た膝の上に手を置くとそう苦笑する。
郁夫は自分と境遇の人物がクラスにいたことに何らかの安心感を抱く。
「あ、そうなんだ」
「うん、だから学校もあんまり行けてないし、入退院の繰り返し」
雪村はどことなく悲しげな表情でそう呟くと、落ち込んだように肩を落とす。
その姿が郁夫の数年前の姿と重なって見える。
「……大丈夫だよ。僕だってそうだったけど、今は良くなってるし、雪村さんだって、いつか」
「……うん。いつか、ね」
重苦しい空気になってしまい郁夫はこの空気をどうにかしようと話題を変える。
「そう言えばさ、体育の授業って二クラス合同じゃないの?」
「あ、一組と二組、四組と五組は合同なんです」
一学年のクラスの数が奇数だからと言う理由はわかったが、だからなんで三組が?と言う疑問を抱く。
普通なら五組が単独で、一組と二組、三組と四組が合同になるはず。
まるで今はもう廃校となった夜見北と同じだな、と郁夫はこの時思う。
夜見北は他のクラスが巻き込まれないように三年生だけ、三組が単独だった。
でも、聞けばこの学校はどこ学年も三組だけが単独だと言う。
郁夫はそんな疑問を雪村に聞けずに、思い切ってあの事を聞いてみる事にする。
「あの、雪村さん」
「はい?」
「えっと、榊原さんって今日は休み?」
七瀬に聞いた質問と同じことを聞くと雪村は「えっ」と七瀬と同じような反応をする。
顔は見る見るうちに青ざめていって、口をパクパクさせている。
すると頭上のどこか遠くから、ごおおぉぉぉ……という重々しい響きが伝わってくる。
春の遠雷が轟く音はそれから二回ほど続いて、そして止む。
郁夫は上空から雪村に視線を落とすと雪村は尋常じゃないほど顔が青ざめている。
「あの、大丈夫……」
雪村は左胸あたりの制服の上着を右手で強く握りしめると苦しそうな表情をする。
郁夫はこの様子に思い当たる点がある、心臓が締め付けられるようなあの痛み。
軽い発作が起きるときによくある行動で郁夫は何度もそれを経験しているのでわかる。
「大丈夫?」
「……ゴメンなさい。ほ、保健室に行ってくるね」
雪村はそう言い残すと1号館の玄関へ歩いて行く。
保健室は確か本部棟の1号館にあるらしく、郁夫はまだ発作が起きていないので行った事はない。
そのうちに行く事があるかと郁夫は思うとベンチに座り直す。
すると、今度は制服のズボンのポケットから振動が伝わってきて郁夫はポケットの携帯電話を取り出す。
マナーモードにしていたのだが、本当は電源を切っておかないといけない。
しかも、電話の相手は登録されていない番号。
郁夫は少しためらうとベンチから立ち上がって気分が悪いふりをして1号館の玄関付近で電話に出る。
「あ、高林君?ごめんね、授業中だった?」
電話の相手は清水で、ずっと前に番号を教えていた。
「いえ、体育だったので大丈夫です。それで、何か?」
「昨日頼まれたやつ、女子高生だった、って。今年から高校二年生だったらしいよ」
郁夫は清水の二年生の女子高生≠ニいう言葉に深く深呼吸をする。
「名前は……名前はなんて言うんですか?」
「んんとね……」
清水は電話越しに深く考え込んでいるのが郁夫にも伝わってくる。
少しだけ、沈黙の空気が流れると清水がこう返す。
「確か、シエルかノエル……そんな変わった名前だったって」