七月下旬、高林郁夫は十二年前の卒業生の朝見南の三組だった身近な≠る人に事情を聞き終えて、情報を一斉送信で四人にメールを送った。
この間アドレスを交換した、榊原志恵留(シエル)、七瀬理央、八神龍、福島美緒に先ほどの話を出来るだけ細かくメール文に綴る。
―――やっぱり、覚えてないんだ。けど何か≠ェあったのには間違いない。
美術教師の見崎鳴(今は榊原鳴)が言っていたのと同じような発言。
―――そうだ。高三の夏休みに……何か≠ェあったのには間違いないんだ。そう、その後災厄≠ェ止まって……。
―――高三の四月にも、クラス全体でじゃないんだが、あれは四、五人程度の人数で行動を起こして。それで死者≠ェ消えたって。
そんな事を言われて、何かの手がかりになればと思い四人にメールを送った。
メールを送って郁夫は杏里町の自宅の二階に設けられた勉強部屋兼寝室の勉強机の椅子に座って夏休みの宿題をしている。
理系の得意な郁夫は理科の宿題をスラスラとしながら思う。
「朝見も理系が得意って言われてたな」
化学記号を書きながら、朝見南の災厄≠フ引き金となった朝見桜子がどんな人物だったかを思い浮かべる。
噂の一部では、とにかくネクラで地味でとっつきにくい生徒で、いじめを受けていたものの、成績優秀で特に理系が得意。
「って、僕みたいだな」と、郁夫は本当に思ってしまった。
郁夫は自分でもとりあえず地味な感じでとっつきにくいと言うのは目に見えている。
こう考えると、郁夫は自分が夜見北の死者≠ノ選ばれた理由が分かるような気もする。
地味で一番疑われなさそうな、そんな生徒だからこそ死者≠ノなって、それでいて今は第二の人生を送れている。
「あぁ、何考えてるんだろう……」
温暖化の影響で今年の夏は特に暑くて、夏の灼熱に頭がやられそうだった。
お昼時になり始めて郁夫は休憩の一環も込めて部屋を出る。
階段を下りて一階のリビングに入ると、今日は義母の智恵と腹違いの妹の梨恵は出かけている。
二人は朝見山を出て、東京方面のほうに主婦の息抜きで買い物をすると昨夜言っていた。
郁夫はいつもお世話になっている智恵にはたまの休日を過ごしてほしいし、朝見南の災厄≠フ範囲内にいる二人には出来るだけ朝見山を離れてほしかった。
そうすれば、とりあえずある程度の死≠ゥらは逃れる事が出来る。
家事の方は郁夫はこれでも手慣れているので、炊事洗濯くらいならお手の物。
郁夫は智恵がいない事を確認するとダイニングの冷蔵庫から冷たく冷えたウーロン茶を取り出してコップに注ぐ。
コップ一杯のウーロン茶を飲み干すと、隣のリビングの白い革張りのソファにくったりと身を沈める。
夏休みに入って、何のやる気もしない郁夫はとりあえずソファの前にあるテレビをつける。
チャンネルを回しても、この時間は朝の情報番組が多く、郁夫は気分の問題で選んだチャンネルの情報番組を見る。
最近この近辺で多発している「通り魔事件」これは郁夫の入院していた時の担当看護師の清水翔子が殺された事件と同じ。
二週間前にも、この近辺で事件が発生して未だに犯人は捕まっていない。
郁夫たち朝見南の三組にとっては、この事件はやっかいなもので、早く捕まってほしいと思う。
その次に流れたのは、朝見南で起きた三組のクラス副委員長の常本夏帆の惨い自殺だった。
この時のコメンテーターの発言は「この歳だと、いろいろ悩み事が多いんでしょうね」と言う皮肉なもの。
クラスメイト全員の前でカッターナイフで心臓を一突き、そして自分の血をクラス全員に浴びせた。
そんな凄まじさが滲み出るような事件、それを顔の見知ったキャスターなどが解説する。
郁夫はあまりあの時の事を思い出したくなく、テレビ画面を呆然と眺めているとコメンテーターの口から妙な言葉が飛び出す。
「これって、十五年前に起きた夜見山北中学校の教師の自殺事件と重なりますね」
「十五年前」「夜見山北中学校」「教師」「自殺事件」その言葉を聞いて郁夫は何の事を言っているかは察する事は出来た。
郁夫が六月六日で病死した後、起きた事なので見てはいないが、郁夫には覚えがあった。
七月に脳梗塞で寝たきりだった母親を殺害後、ホームルームで自殺した担任の久保寺の事だった。
よくよく考えてみれば、自殺状況が似ているような気もする。
「介護疲れ」「母親殺害」「朝のホームルーム」「生徒の目の前で自殺」この四つがどうも当てはまる。
久保寺の自殺起こったのは十五年前、当時の常本は二歳だった。
そんな幼い子供がテレビか新聞で見たとしても、覚えているのか。
そして郁夫の脳裡で、常本に関するある事≠ふと思い出す。
常本の母親の昔の職業は雑誌記者で、当時もまだ雑誌記者の仕事をしていたようだった。
もしかしたら、その母親が常本に軽い気持ちで数年前に教えておいたとしてもおかしくない。
郁夫はそう思ったが、仮説の一つとして胸にしまっておこうと決意した。
「あ、いたのか」
郁夫が考え事をしてる間に、リビングに父の敏夫がいた事にやっと気が付く。
敏夫は郁夫リビングで休憩していた事に目を丸くしてそう言うと、先ほどの郁夫と同じようにダイニングの冷蔵庫のウーロン茶を飲む。
敏夫は自宅の寝室の他に、自宅の裏にあるこぢんまりとした離れを仕事場兼寝室に使っている。
敏夫は教頭でもあるが、三年の英語担当教師で美術部の副顧問を受け持っている。
教師としての仕事を離れでそれなりに行って、趣味の絵画も行っている。
なので、家でも敏夫は自宅の寝室で寝る事は少なく、ほとんどが離れで寝ているので、まず一家団欒のような光景はない。
郁夫は改めて敏夫と二人きりになると、どことなく緊張してしまう。
「父さん、今日は休みなんだね」
「あぁ、うん。明日も一応……明後日は出勤」
「そっか……ねぇ、来週の火曜日。母さんの命日だけど、父さんはどうする?」
「どうって、別れた嫁の命日をどうこうなんて」
敏夫はリビングに戻ると少々苛立ちの見えるふうに頭を掻きまわす。
来週の火曜日は亡くなった郁夫の母の郁代の命日で、郁夫は夜見山の墓に参りに行こうかどうか迷っていた。
しかし、郁夫にはどうしても朝見山からの脱出を拒む理由がある。
一つはやはり災厄≠フ事が気になるから、今脱出すればそれなりの情報を逃すかもしれない。
もう一つは志恵留を放っておいて自分だけ逃げるのはしのびかなかったからだ。
夏休みにもしも志恵留が何らかの事故、もしくは気胸の事で死んだりしたら、どうしようと思ってしまうから。
「ねぇ、父さん。父さんって二十八年前の朝見南の三組の担任だったんでしょう?」
「あぁ、そうだけど」
「その、何か知らない?災厄≠ノ関する……情報とか」
郁夫が何らかの事情を知っているかもしれないと言う思いで質問を投げかけてみる。
「やめろ!」
すると、敏夫ははっとするような厳しい語気で言った。
敏夫は息切れをすると、自分の髪を両手で掻きむしり始める。
「やめろよ……災厄≠ニか、そう言う話。アイツと離婚する決断になったのは、お前が死んだから……」
敏夫は唸るそうにそう言うと、自分の言葉にはっとして思わず口を塞いだ。
何やら自分の言った言葉に怯えているような、驚いているような表情で視線をキョロキョロさせる。
郁夫は敏夫の発言に対し、何を言ったらいいのか。呆然としている。
「何それ……僕が死んだって。父さん」
敏夫は郁夫と目を合わせないように俯いて、眉をひそめて唇を引き締める。
郁夫は今起きた事にわが耳を疑い、手が小刻みに震え始める。
「知ってたの=H僕が、昔死んだって事。覚えてたの?」
郁夫が震えるような口調で問うと、敏夫は観念したように肩を落として頷く。
「何で……覚えて……」
「忘れるわけがないだろう。私が朝見南で働いて家を開けている間に持病の発作で知らないうちに死んだなんて……忘れるはずがない。
それから母さんは理性を崩して、別居状態が続いて止む終えず離婚だ。私はこれでも、一瞬たりとも忘れた事はない」
酷く青ざめた敏夫の顔を見て、郁夫は今にも崩れ落ちそうな状態だった。
「僕が、死んでるって。ずっと、覚えてたわけ?」
「あぁ、だから一昨年に久々にお前の姉の志乃と電話をした時、驚いたんだよ。志乃がお前の話をしだすから。私は冗談だと思って『お前、大丈夫か?』って言ったんだ。
そしたら志乃『何言ってるの?冗談はやめてよ』なんて、言いだすから。私は休日に夜見山に行って、お前が本当にいるか確かめたんだ。
私はあの時は気が変になるかと思った。目の前に死んだお前がいる≠チて思って……確かに死んだはずのお前が十五歳の姿でいる。おかしな話だ。
それで私はいろいろ調べたら、夜見山北って言う中学の呪いを知って。そこで死者≠ェ生き返るって言うのを知って。ようやく理解できたよ」
「じゃあ、父さんは今まで一度も記憶の改竄≠ヘなかったんだね。僕を生きている者≠ニ認めたわけ?」
「あぁ、それにお前が生きている事には正直ホッとしたけれど、気味が悪かったよ。死んだ息子が元気良く生きてるなんてね。けど、今は違う。
今は嬉しい、と言う気持ちが強いね。けれど、志乃があんな事になって……複雑な気持ちだ。出来れば、志乃も生きていたらと思うよ」
郁夫は何だか全身の力が抜けてしまったかのようにソファの背もたれにもたれかかる。
敏夫もようやく郁夫を直視して、複雑だった気持ちをすっきりさせたような和やかな表情になる。
「すまない郁夫……アイツが死んだのは私の責任だ。理性を失って、体調を崩して亡くなった。全部私の責任だ」
「そんな……もう、いいよ。僕は大丈夫だから……」
「すまない。二十八年前も朝見さんを救えなかった。教師として失格だ」
敏夫は「すまない」と繰り返し郁夫が何度「大丈夫だよ」と言おうとも、頭を下げ続けた。
何かを悔やむような、自分の責任を郁夫に告白して、頭を下げ続けた。
郁夫はそんな敏夫の姿を見て、不思議と何だか悲しさや寂しさが一気に身体かぁ噴き出してくるような気がした。
郁夫は敏夫から話を聞き出すと、家から出てふらふら杏里町を彷徨い始める。
自宅前の向かいのマンションの一室に妻子と共に住まうトモさんがよくひょこっと顔を出す塀の辺り。
郁夫がトモさんを真似て塀から顔を出すと、丁度一階の縁側の辺りが見える位置。
庭のひまわりの花や庭の端に水連鉢があり、そこに水連と鯉が育成している。
満足に手入れもされていないようで、水は暗緑色に澱みきっている。
こんな光景をトモさんは自分の家を除く時に見ているのだと、郁夫はなぜか感心してしまった。
「あれ?郁夫くん?」
郁夫の背後から、あまり聞きなれのない女性の声がして郁夫は振り返る。
そこには梨恵と同じくらいの歳の女の子を抱えた、肩のあたりまでのセミロングヘアーの上品そうな若い女性。
「あぁ、由梨さん」
トモさんの妻の由梨、抱えられている女の子は桃香と言う。
郁夫は二人とは何度か顔を合わせているので、顔見知りの関係ではある。
「久しぶりね。四月にこっちに来たんだってね」
「はい、おかげさまで。あの、トモさんは?」
「あぁ、あの人なら勤め先よ。仕事熱心なんだから、何かいろいろ大変な事になってるみたいでね」
「あ、そうなんですか」
郁夫は他人事のような口ぶりで言ったのだが、郁夫としては少々不甲斐ない気持ちにもなる。
「由梨さん、トモさんに何か変わったところとかありますか?ええっと、体調が悪いとか」
「ないと思うわよ。けど、一昨年くらいに大変な事≠ェあってね」
「大変な事?」
「何だったかは忘れたけど、うん。あの人家では口数が少ないからね、職場でもそうかしら?」
「さあ?どうでしょう」
郁夫は小首を傾げて曖昧な言い方をすると、由梨も同じように小首を傾げ始める。
郁夫の反応に何か戸惑ったのか、もしくは違和感を感じたのかは定かではないが妙に感じたのは確か。
「まあ、あんな人だけど、よろしくね」
「そんな、僕の方がお世話になってますよ」
「そう、けど、たまに変な気を起こすかもね。その時は一発、ね」
「殴るんですか?」
「私はこう見えて鬼嫁よ。大抵の家はそうなんじゃないかしら?」
確かに、鬼嫁に苦しむ夫はそう少なくはない。
それよりも、鬼嫁じゃない妻なんているのかと郁夫は疑問を感じてしまう。
「じゃあ、郁夫くんも身体に気をつけてね」
郁夫は由梨たちと別れた後、一人で杏里町を散策していると、見知った風貌の人物と会った。
蛍光色の目立つシャツにショートパンツ姿で、茶髪のショートヘアーにキャップを被った七瀬。
何かの帰りなのか、背中には小ぶりのリュックを背負っている。
七瀬は郁夫に気付くと「おーい」と大きく手を振って郁夫の方に駆け寄る。
「七瀬さん、どうしたの?」
「田沼さんに聞き込みしてた。そのついでに杏里町の方までふらふらって感じだね」
「へぇ、僕も散策かな?」
七瀬の言う「田沼さん」とは、十二年前の卒業生らしき人物の七瀬のご近所さんの田沼望。
七瀬は何か手掛かりがないかと聞き込みをしていたようだ。
「で、何か成果はあった?」
「田沼さん、やっぱり三組で災厄≠フ事は知ってた。けど、やっぱり覚えてないって」
「ふうん。難しいだろうね、僕の方もそんな感じだったし」
「あ、メール見たよ。けど、なんか進歩はあったんじゃない?この調子だ」
七瀬はいつも通りのからりとした笑みを見せて、郁夫は何だか内心ほっとしたような気もある。
そんな七瀬のポジティブな性格が郁夫の心の闇を消してくれるような気がして、安心感を抱くのだ。
郁夫があまりにも七瀬の事を感心して見つめていると、七瀬が首を傾げて目を細める。
「何よぅ、私のことじっと見ちゃってさぁ、エルちゃんに告げ口するよ!」
「いや……何なの、それ」
「大丈夫大丈夫、私はそんなに口の軽い女じゃないからさ」
「いや、だから……何なの、それ」
「あ、さっきエルちゃんからメール来たの。知ってる?」
郁夫は七瀬に「え?」と首を傾げていると、ジーンズのポケットから携帯電話を取り出してみる。
「新着1件」とあり、郁夫はメールを見ると七瀬の言った通りメールは志恵留からであった。
「鳴さんからの情報。三年生の夏休みに合宿的な事があったみたいなの。けど、よく覚えてないみたい」
志恵留のメールで、夏休みの何か≠ヘ合宿の事だった事を知る。
夜見北でも、十五年前までは合宿があった事を思い出す。
それと同じ経緯なのか、それとも違うのか。
郁夫が志恵留のメールの文面を何度も読み返した。
「やっぱり……合宿で何か≠ェ起きたのか」