夏休みが終わって、九月に入ると朝見南の二年三組のクラス全員が新たな災いに怯えを感じていた。
八月でも、もう二人の関係者が亡くなってこれで死んだのは合計で八人。
これだけの短期間で八人もの死亡者が出て、もう半信半疑≠ナいる者は一人もいなくなった。
そんな中、二年三組の新しく移された3号館の一階の教室ではお馴染みの面々が話し合っている。
その中にはもちろんの事、高林郁夫が加わっている。
その他は、榊原志恵留(シエル)、七瀬理央、八神龍、福島美緒と教室の志恵留の席の周りで話をしている。
「へえぇ、よくこんなの見つけたね、エルちゃん」
茶髪のお調子者の七瀬は志恵留が父の陽平から借りた二十八年前の朝見桜子の写っている集合写真を見て目を丸くする。
時と場所もわきまえず、七瀬は大声をあげて写真をまじまじと見る。
「ふうん、これがアサミ≠チて言う人なんだ」
「フルネームは朝見桜子ね。あ、これは見崎先生から教えてもらった事なんだけど……」
未だに朝見の名前を知らなかったような七瀬と八神と福島にフルネームを告げる郁夫。
七瀬は再び「へえぇ」と感心気なふうで腕組みをする。
そして七瀬の隣にいた八神は七瀬から写真を受け取ると少し眼を細めて見る。
そんな二人の様子を窺いつつ郁夫は少しばかり戸惑いながら問いかけてみる。
「ねぇ、その写真……何だか変に見えない?」
郁夫の問いに七瀬は「変?」と八神の持っている写真を顔を覗かせながらよくよく見る。
八神もその問いには眉をひそめて不思議そうに首を傾げる。
「変、って?」
横から福島が首を傾げながら口を挟むと、郁夫は「ええっと」と繰り返す。
これを言っていいのかどうか、答えあぐねる郁夫は迷った末に言う事にした。
「何だか、ほら。朝見のところだけ何か……不気味って言うか不思議な色に見えたりしない?」
郁夫の問いには四人ともお互いに顔を合わせて首を傾げる。
四人の反応を確かめると郁夫は「やっぱり」と思って自分に苦笑してしまう。
「あぁ、別に気にしないで、最近ちょっと疲れてるのか、色とかそういうのが見えたりするだけだから……」
「大丈夫?いろいろあったからね、ここ最近」
七瀬は郁夫の肩をポンポンと叩くと、教室中を見渡す。
八神も福島も七瀬と同じような言葉をかけたのだが、一人だけ志恵留だけがふに落ちていないような表情をする。
「最近になっちゃ、怯えて学校すら来ない奴も出てきてるしさ」
七瀬は他人事のように言ったのだが、腹の中ではそんなのん気な事は少したりとも思っていない。
確かに、今日も何人かの欠席者がいて、おそらく怯えと恐怖で部屋に閉じこもっている生徒。
「家に閉じこもってても、安全とは限らないんだけどね」
「エルちゃんの意見には私も同意だね、家にいたって火事とか強盗とか。そう言うので死ぬ可能性もあるしね」
「今までだって、そうだったんじゃないのか?」
八神は志恵留と七瀬の意見にそう言うと眼鏡のブリッジを押し上げて軽く頷く。
「あ、美緒。あのMD修理できた?」
「うーん、まだ時間はかかりそう。ひびが入っている部分が思った以上に大きくて……」
美術室で見つけたあのMDの修理中の福島はあっけらかんにそう言うと、他の三人は七瀬の方を睨む。
MDにひびを入れた張本人の七瀬は肩をすぼめて落ち込む。
「……そう言えば、今日は梅原先生も休みだよね」
志恵留は少し意味深な感じに幾段か声のトーンを落としてそう言う。
副担任で音楽教師の梅原香織は、そんなに珍しくもないが休みである。
知的障害者の娘の事で、今までにも結構欠勤だった日はあった。
「いろいろあるんじゃなぁい?娘さんの事もあるんだろうし」
「七瀬、落ち着きすぎだろ。普通なら先生に何かあったんじゃないかって心配するだろう」
「いやいや、私だって心配だけどさぁ、先生だよ?大丈夫でしょ」
どこまでが本気でどこまでが冗談かは分かりづらい七瀬だが、内心は心配で仕方がなかった。
教師だからと言って、油断はもちろんできない。
これまでにも担任、副担任の教師が死んだと言う例は山ほどある。
「そう言うと、八月の西川と蓬生くんも休みね。そっちはいろいろ苦しいんだろうけど。向こうも心配だよね」
八月にいとこの田村康之を事故死で失った西川博人と父親の一郎を急性アルコール中毒で失った蓬生修も欠席。
家の方で忙しいところもあるようで、それに加えて精神的な方もあるのだろうと郁夫は察する。
その話をされた福島は少し不安げな表情で肩を落とす。
「大丈夫大丈夫、あの二人は心配ないって。そりゃあ、私だって家族とか親戚が自分のせいで死んだなんて思ったら……」
「お前の場合はそうじゃなくても、普通に休みたいって思うだろうが」
「なっ!ち、違うもん!」
「その前にお前の家族が死ぬかどうか、分かんないけどな」
「うっ……縁起でもない事言わないでよね、そんなこと言うから、家の事が心配になってきたじゃん」
七瀬と八神の言い争いはしばしば続いたのだが、それを余所に郁夫と志恵留は心配そうな福島を励ます。
志恵留は福島の背中を軽く叩きながらニッコリと笑う。
「福島さんが心配したって疲れるだけだよ、二人とも来週には来るって」
「榊原さん……うん、ありがとう」
「あと、人は弱っている時に入り込むのが必勝法なんだよ」
「榊原さん……なんて事教えてるの……」
郁夫は横目で教室中のクラスの生徒を見渡す。
欠席者は梅原も入れて七人、西川と蓬生、それから神崎千代里、岸本竜太郎、和田理沙、松本蓮。
中でも松本蓮は喘息持ちで、他にも肝臓のほうにも病気を抱えていて今までにも欠席だった事は少なくない。
六月に心臓発作で死んだ雪村理奈も同様に、郁夫もそうだが体育はいつも見学の生徒で、学校も休みがちで今日の欠席も珍しくはない。
その日の夕方、郁夫は学校から帰ると由岐井病院に診察に訪れた。
初老の担当医はいつものように軽い調子で診察結果を告げる。
「状態は安定していますね、前よりかは良くなったでしょう。様態も安定してきてますし、体育の授業もOKでしょう。ですが、あまり激しい運動は禁物です。
少し飛んだり、走ったりと言うくらいなら大丈夫です」
「はい、ありがとうございます」
郁夫はようやく念願の体育の参加を許されて心の中でガッツポーズをする。
自分でも、最近は昔よりは軽い発作も起こらなくなって小走りをしただけでも体が重くなったのに、最近では全くそうは感じない。
これもアメリカでの手術の効果かと思って郁夫は手術に携わってくれた人々に手を合わせる。
担当医から診断結果を聞き終えると、郁夫は恐る恐る眼の事について聞いてみる。
「あのう、最近何だか眼に違和感を感じるんです。あの、痛いとかそういうのじゃなくて、何かこう湧きあがってくるような、そんな感じがするんです。
あと、これも違和感と同じ時になんですけど、見ているもの≠ノ変な色が重なって見えたりとか……」
「眼、ですか……」
担当医は首を傾げながら郁夫の眼をじっくりと見て「うーん」と答えに困ったような表情をする。
「別に問題はないと思いますが……念のために眼科に行ってみては?」
「はい、そうします」
郁夫はふに落ちないふうに診察室から出ると待合ホールまでゆっくりと歩いて行く。
その途中、再び眼の奥の何かが湧き出てくるような違和感を覚えると、その眼で病院内にいる患者たちを見る。
車椅子に座ったまま激しい咳をして看護師に背中をさすられている老人に、辛そうに点滴をつけたまま歩く女性、その他にも諸々。
そういう人たちにあの妙なこの世で見た事のないような色が重なって見える。
しかし、風邪を引いていてマスクをつけている母親と共に歩く幼児や松葉杖をついて歩く男性たちには見えない。
決まって重傷や重病の人たちくらいに重なって見えて、今のところはそれでしかない。
郁夫は自分の視線をリノリウムの床に落として、待合ホールのベンチに腰を下ろす。
今日は妹の梨恵が風邪気味で義母の智恵も心配のようで、郁夫は智恵も一緒にと言うのは断って一人で病院に来た。
そしてベンチに座って落ち着いたところで、再び顔を上げるとやはり色は消えていない。
あぁ、僕の眼はどうしたんだろう?
郁夫は自分に対して呆れたふうにため息をついて顔にかかった前髪を掻き上げようと左手で髪と共に左目が左手の掌で隠れる。
あれ?―――と、郁夫は首を傾げて左手を外す。
「あ、れ?」
もう一度掌を当てると、やはり郁夫が思った通りに色が消える
外せばまた見えて、これを右目でもやってみると左目の同じような結果になる。
両目が同時に開いている時に見えて、片目でも隠れていれば見えなくなる。
「一体、何が……」
郁夫がホール内を見渡すと、見知った同年代の男子が目につく。
斜め後ろのベンチに一人でポツンと座っている松本だった。
今日は郁夫同様に診察日だったのか、それとも様態が悪化して急遽やってきたのかは定かではない。
郁夫は見知った顔を見つけて、ベンチから立ち上がると松本の方に歩み寄る。
「松本くん」
郁夫は少し堅苦しい口調で言うと松本は郁夫の方を見上げて同じように挨拶をする。
「高林くんか、今日は診察なんだね」
「う、うん、松本くんは……今日は学校に来てなかったけど」
「ちょっと、体調が悪くて……けど、大丈夫だから」
少し眼を泳がせた松本はスッとベンチから立ち上がると診察室の方に歩いて行く。
郁夫に声を掛けられて慌てて移動したのか、それとも単に自分の順番だったからかは郁夫には分からない。
ただ、郁夫の脳裡を揺るがすのは六月の死者の一人の雪村の死の様子だった。
幼い頃からの持病の発作で死んだ雪村と同じような事にならないようにと郁夫は気をつけているつもりである。
クラスに持病持ちの生徒は思った以上にいて、三組に集中しているような部分もある。
これも、もしかしたら災厄≠フ影響か、単なる偶然か。
『二〇十三年九月十二日』
平日の朝は慌ただしくて、郁夫も夏休みの気が抜けずに寝起きが悪かった。
昨夜は智恵に付き合わされてリビングのテレビで「吸血鬼ドラキュラ」のビデオを観されられた。
イギリスはハマー・フィルム・プロダクションの名作なのだが、郁夫の生まれるずっと前に撮られたものだったので全く知らなかった。
どうも智恵にはこの手のビデオを集める習性があって、郁夫はそのおかげで昨夜は午前零時まで起きているはめに。
郁夫にはラストの記憶が曖昧で、もはやそんなのどうでも良かった。
ただ、覚えている事は、郁夫が二階の勉強部屋兼寝室に戻ろうとした時の智恵の一言。
「今度の休みにでも闇の教室≠フ映画を一緒に観に行こうか」
そんな甘い誘いに郁夫はもちろんOKしたというわけだ。
今度の休みと言えば、三日後の十六日の日曜日になる。
智恵は土曜日は忙しいようで、休みと言われれば日曜日になってしまう。
上映されてからひと月余りになるのだが、テレビではかなりの人気っぷりだ。
その事を作者の荒川ルキアこと志恵留に尋ねてみると本人はそっけないふうに「そうかな?」と言っていた。
郁夫はこの時、昨夜の眠気と共に映画を観に行くワクワク感もあった。
「おはようっ」
そう言ってドンと郁夫の背中を叩いたのは七瀬だった。
周りには志恵留と八神もいて、それと栗山典子と杉本誠もいる。
「おはよう、栗山さんたちも一緒だったんだ」
「さっき偶然三人に会ってね、杉本くんとは家が近所だから」
長身の栗山は郁夫とさほど身長が変わらないので、郁夫としては話しやすい。
杉本は肩にカバンをかけて制服は真面目に着こなしている男子生徒。
「あれ?福島さんは?」
「向こうで青春に浸ってる」
杉本は素っ気ないふうに自分の斜め後ろを指差すと、福島が欠席をしていた声の出ない蓬生と肩を並べて歩いている。
あぁ、そう言う意味ね。
郁夫が納得すると、杉本の方に視線を戻す。
すると、杉本は七瀬の隣で肩を並べて歩いている志恵留の方をチラチラと見ながら歩いている。
君もか……。―――と、思ったのだが、少しばかりの不安も感じていた。
一年ほど志恵留とは会っていなかったので、そう言う不安と言うものはあったのは事実。
それ以前に、郁夫は日本を発つときに志恵留と何かを約束したような気もする。
生憎、夜見北にいた頃の少なくとも災厄≠ェ続いていた期間の記憶はほとんどない。
断片的にあるのと、卒業式目前の記憶ならあるにはある。
「……八神くん、今日は梅原先生来るかな?」
「さあ、どうだろう?昨日も……ここ最近は来てないしね」
梅原は二学期が始まって、始業式から姿を見せていない。
心配するなと言う方が難しい状況になって、いよいよ郁夫は梅原がどうにも心配でならない。
「娘さんの具合が悪いとか?」
栗山が小首を傾げながら言うと郁夫は「うーん」と考え込む。
「それはそれで心配かも、娘さんも危ないし、先生の精神的にって言うのがあるだろうから」
郁夫がそう言うと八神と栗山はますます顔が青ざめて行き、八神は眼鏡を外してズボンのポケットのハンカチで拭く。
栗山は長いストレートの髪の横髪を手で撫でると大きなため息をつく。
「あれ?あれって、梅原先生の車じゃない?」
郁夫の前を歩いていた七瀬が後ろの方を指差して言う。
向こうの道から走ってくる白の車、蒼倉町から出勤してくる梅原の車に間違いなかった。
郁夫たちからだと、距離はかなりあって確かめようはないが誰でも分かった。
「ようやく来れる事になったんだね」
志恵留が安心したように言った次の瞬間、車が妙な動きを始めた。
ここからならまっすぐに進めばいいのに、何だかぐにゃぐにゃと曲線を描くように走ってくる。
しかも、先ほどから車のスピードが徐々に上がってきていて、このままだと交通違反になってしまうスピード。
なのに車のスピードは一向に落ちる気配もなく、そのまま妙な動きをしながら進む。
「何だろう?何か変じゃないか……」
杉本が悪夢を予感するような一言を発すると、郁夫は歩いていた足を止めて立ち尽くす。
それは、志恵留たちにも見れて、周りにいた登校中の朝見南や近くの中学の生徒たちも同じ。
すると、車は付近の住宅のコンクリートの塀にぶつかって、それでもまだこちらにやってくる。
未だにスピードが上がる中、志恵留が慌ててこう言う。
「暴走車が来るからっ、逃げて!」
志恵留の声に反応した人々は慌てて走って学校まで行く。
まだこの先の中学校の生徒は、ひとまずまだ近い朝見南に避難させてもらう人もしばしば。
郁夫はここにいる志恵留たちと共に避難しようと足を動かす。
夏服の朝見南の制服姿の男女や中学校の制服を着た男女、他にも小学生や成人男女が次々と郁夫たちを追い越して走る。
その中に二年三組の生徒もいて、そちらの方が誰よりも慌てていて福島もその中にいた。
ほとんどの人たちが走って逃げた後、郁夫たちも避難しようと思った時だった。
暴走車が郁夫たちに向かってやってきて、郁夫の目の前に走ってきた。
八神は七瀬の手を引いて、杉本は栗山と共に道の脇に逃げる。
引かれそうになった郁夫はその場に立ち尽くすも、志恵留が郁夫の体を引っ張って道の脇に転がる。
二人は付近の住宅の塀に体を打ちつけるだけで、二人とも軽傷で他の人たちも一緒だった。
誰も死人が出ていなかったのだが、次の瞬間、暴走車は付近の電柱にぶつかって停止。
その時の音はガシャンとすさまじく、郁夫は心が割れるような音にも聞こえた。
車はほぼ大破していて、フロントガラスも割れている。
車からはしゅうしゅうと言う音がしていて、周りでは悲鳴や啜り泣きの声がしていた。
「おい!誰か警察と救急車!」
そんな声もして、慌ただしくなる中、郁夫は恐る恐る怪我をした左腕を庇いながら車に歩み寄る。
そんな……。
郁夫は絶望を感じて拳が小刻みに震え始めた。
郁夫はフロントガラスの割れた運転席を覗くと、再びあの眼の違和感を感じる。
頭から血を流してハンドルを握ったまま、身体を前折りにして顔を伏せてハンドルに額を当てている運転手。
その運転手に重なって、あの不気味な色が見える。
そう、その運転手は紛れもない副担任の梅原だった。
「そんな……どうして……」
郁夫は思わずそう声を漏らして、左胸の苦しさを感じる。
「梅原先生だけじゃないみたいだね」
すぐ隣でそう言う志恵留の声がすると「え?」と郁夫は首を傾げる。
志恵留は黙って後ろの席を指差すと、郁夫はそちらを覗く。
後ろの席に身をかがめて横たわっている肩までのセミロングくらいの薄ピンクのシャツにシャツよりも濃い色のピンクのスカートを穿いた少女。
少女も梅原と同じようにピクリとも動かず、おそらく死んでいるようだ。
「この子、先生の例の娘さん……」
志恵留は青ざめた表情でボソッとそう呟いた。