副担任の若い女教師の梅原香織が運転していた車が朝見南付近の電柱にぶつかって車内から梅原と娘の加奈の絞殺遺体が発見された。
加奈は未熟児で生まれて、知的障害者だったというもの。
梅原は未婚の母で父親は加奈を授かった後に結婚を目前に梅原と別れて、梅原はシングルマザーとして加奈を育ててきた。
今回の事件で加奈を殺害したのは、紛れもない梅原本人だったとのこと。
梅原は介護疲れから自宅の電話線で加奈を絞殺した後、遺体をどこかに捨てようとして車で加奈の遺体を乗せて走った。
その途中、朝見南を通ろうとした時に梅原は脳出血で気を失って車が突っ込んだとの事。
死者は梅原親子だけだったのだが、重軽傷者は多数にものぼった。
「梅原先生、最近休んでたのって娘さんの体調とか精神的な事だったらしいよ」
榊原志恵留(シエル)は神妙そうな表情で語る。
この情報は美術教師の見崎鳴から得たもので、この事情は生徒のほとんどが知らなかった。
「じゃあ、先生は自殺とかをするつもりじゃなかったんだね。脳出血は偶然……」
「らしいよ。実際はどうかは分かんないけど……」
高林郁夫は梅原の死については頭を悩ませている。
副担任が死んだと言う事は今は担任の風見智彦しか頼れるような人物はいない。
「風見先生も大変だろうね、梅原先生がいたから頑張ってこれたんだろうけど、今となっては藁にもすがりたいんだろうね」
七瀬理央は自分の顎に人差し指をつけて眉をひそめる。
七瀬の隣にいる八神龍と福島美緒も七瀬と同じように眉をひそめて思いつめたような表情をする。
「そりゃ、そうだろうな。常本が死んだ時、俺どうしたらいいのか分かんなかったし……」
「副委員長、確か野々村さんになったんだったよね?」
クラス委員長としての八神の意見、八神自身も七月にクラス副委員長の常本夏帆が死んだ時、どうしたらいいのか悩んでいた。
福島の言う「野々村さん」とは、常本と仲の良かった野々村飛鳥の事だ。
昨日の六時間目のロングホームルームで新たな副委員長を決める時に野々村が立候補した。
「あーぁ、これじゃあ再来月の修学旅行も心配だよねぇ」
七瀬は頭の後ろで両手を組んでため息をつくように吐き捨てる。
「朝見南って修学旅行は二年生なんだね」
郁夫はその事実を聞いて小首を傾げると七瀬は「あぁ」と頷く。
「何でかは知らないけど二年生の秋って決まってるのよね。もうすぐ風見先生がその話をすると思うよ」
七瀬は両手を下ろして腰に巻いているシャージの袖の部分に手を置く。
八神は自分の眼鏡のブリッジを押し上げると「全くだよ」とため息をつく。
「修学旅行、全員揃うかな?」
「絶対来ない人いるよ。高林くん、分かるでしょ?行ったら死ぬかもって言うやつ」
七瀬は外国人のようなお手上げ状態を表すジェスチャーを大袈裟にする。
八神と福島もコクコクと頷く、郁夫は三人から志恵留に視線を変えると志恵留も同じように頷く。
夜見北でも十五年前まで合宿があって、その時は落雷で火事になって死人が出た。
それと同じで修学旅行も決して安心はできないと言う事だ。
郁夫は事情をある程度把握できたところで、深くため息をつく。
八神は郁夫と同じようにため息をつくと眼鏡を外してズボンのポケットからハンカチを引っ張り出すとレンズを拭く。
「アンタはどうすんの?まさか来ないって言うんじゃ……」
「言うかよ、俺は委員長だから責任あるし……」
「ほほう、頼もしいねぇ、委員長さん」
眼鏡をかけ直した八神に対して七瀬はお馴染みの憎まれ口で少々罵る。
八神は「ああん?」と七瀬を睨むと七瀬はニヤニヤしながら続ける。
「だってさぁ、小学校の時のアンタ、すっごい弱虫でクラスの男子からいじめられてたくせにぃ」
「はぁ?貴様、何言ってんだよ!」
「えぇ!?七瀬さん、今の本当?」
信じられない、と言うふうな表情で郁夫は七瀬に問うと七瀬は必死に笑いを堪える。
「本当、今とは全然違っててさ、いじめっ子から私が守ってたくらいだったじゃん」
「うるさい、そんな昔の事は忘れた……」
少しばかり頬を赤らめて八神は眼鏡のブリッジを押し上げる。
郁夫たちは初めてその真実を知ったので、眼を丸くさせる。
「まぁ、中学に上がってからはこんな愛想のない優等生になっちゃったけどさ、昔のアンタは泣きながら『七瀬は僕が守る』なぁんて言ってたじゃんっ」
「黙れ、それ以上言うんじゃない」
ずっと昔からこんな感じに喧嘩をしていたんじゃないんだなと郁夫は会ったことのない昔の二人を思い浮かべる。
想像しただけだったのだが、郁夫は何だか面白くて笑いを堪える。
しかし、その時の八神の眼にはその言葉が今でも宿っているような、そんな感じに郁夫は思えた。
杏里町の郁夫の自宅では、梅原の事件はすでに有名になっていた。
事件の光景を目撃した郁夫はそれとなく教えると義母の智恵は「怖いねぇ」と連発する。
そして悩ましげな眼差しで郁夫を見ながら頬に手を当てる。
そんな話をしている間にも腹違いの妹の梨恵は「トッチャン、なんで?」とか「カーザセンシェー、なんで?」と言う。
未だに謎のこの言葉を連発する梨恵に対して郁夫は何をどう返事したらいいのか分からない。
リビングのソファに座って智恵は珍しくビールを飲んでアルコールがまわって少し紅潮した頬をゆっくりと両手でさする。
「うーん?担任の先生も大変でしょうねぇ、まだ若いのに一人でこの問題を抱えるのは」
「智恵さんも、教師の現役時代にあのクラスを担任に?」
「あぁ、そう。十年以上も前の話だけどね、その年は二年生の秋くらいから始まったの」
「そうなんですか……」
智恵は郁夫の父の敏夫と結婚するまで教師を職としていて、現役時代は理科を担当にしていた。
「あの、梅原って言う先生ね。私の教え子なの、それで教師になってから相談とかに乗ってあげてた……事件の前の夜だって」
「事件?梅原先生が亡くなる前の晩ですか?」
「そう、彼女結構思いつめてたみたいで……きっと娘さんを殺めた後だったんでしょうね」
智恵の話では梅原は智恵の携帯電話に電話をかけてきたと言う。
梅原はとても思いつめたようで震えるような口調で泣いていたのかしゃくりあげるような声も聞こえたとか。
―――もう、疲れました……。
―――梅原さん?一体どう……。
―――もう無理です。私にはあのクラスを守る事はでません。
梅原はそのくらいでしゃくりあげて泣き始め、智恵は不審に思って「どうしたの?」と聞いた。
―――私は教師失格です。だって、私は……。
―――落ち着いて、一体何があったの?
―――どうしたらいいのか分からないんです。
弱々しく訴える梅原は最後にこんな言葉を残した。
―――あなたなら分かってくれますよね?……あとは、よろしくお願いします。
聞き取れるか聞き取れないかくらいの小声で告げると一方的に電話を切った。
「梅原先生が、そんな事を?」
「えぇ、私もかけ直したんだけど電源が切れちゃってて、まさかと思ったんだけどね」
「先生……ここ最近休みがちで、僕らも心配だったんです」
郁夫は足元に視線を投げかけると、足元では梨恵がお気に入りのクマのぬいぐるみで遊んでいる。
いつもなら微笑ましい光景なのだが、今日は微笑みかけられるような気分ではない郁夫。
それを察してか、梨恵は郁夫の方を見上げてあの言葉を言う。
「トッチャン、なんで?カーザセンシェー、なんで?」
郁夫は梨恵に気を取られていると、智恵は眉間に人差し指を当てて悩んでいた。
それを見て郁夫は「大丈夫ですか?」と呼びかける。
「どうしよう、この先うちに何かあったら……」
「智恵さん、そんな……大丈夫ですよ」
「けど、もしも郁夫くんの病気が悪化したら、梨恵や敏夫さんに何かあったら……」
「智恵さん、そんな……」
僕のせいなんですから。―――郁夫はそう言いたかったのだが口から出そうになって慌てて飲み込んだ。
今から何を言っても過ぎてしまった事は元に戻る事はない。
そう郁夫自身も自覚していた。だから口には出さなかったのだ。
きっと智恵なら「そんなこと言わないでよ」と言うだろうと思ったからだ。
だれの責任でもない、事件の発端の二十八年前の三組の生徒でも朝見桜子の責任でもない。
むろん、今の二年三組のクラスの生徒のせいでもない。
朝見桜子の悪意がクラスに留まり続けて起きてしまった現象≠ネのだから。
夜見北のように、自然に起きてしまう「超自然的な、自然現象」としか言いようがない。
誰もがその事を理解して、その現象に怯えている。
「そうだ。十一月に修学旅行よね?」
「あ、はい。十月くらいにロングホームルームで説明もあります」
憂鬱そうに眉をひそめて智恵は相槌を打つ。
「修学旅行の行き先、たぶん隣の夜見山なんじゃないかしら?」
「夜見山、ですか」
「そう、修学旅行ってね二年と三年で二つあるの。二年は災厄≠ノついて止めるすべを考える場みたいなものね。三年は普通」
「へぇ、そうなんですか」
「だからね、実は範囲は朝見山市内だけじゃなくて、夜見山にいても起こるの」
「え、どうして?」
「原因は不明、何か法則があるんじゃないかって言う話」
智恵は眉をひそめたまま話を続ける。
夜見北の災厄≠ヘ市内までと言うのが範囲だったのだが、朝見南では違うのだと郁夫ははっきりとわかった。
「修学旅行でも、人は死にますか?」
「えぇ、私が担任を務めた年も……そうだったから」
「何人か……死んだんですね」
「そう、確か二人が二日で立て続けに亡くなって。みんなそれで怯えてたの」
智恵は話し終えると「ふぅ」と息を吐いてソファの背もたれに身を沈める。
そしてゆっくりと眼を閉じると、アルコールが回ったせいかすぐに眠りにつく。
「修学旅行、か」
十月に入り、ようやく秋らしい肌寒さが目立ち始めた頃。
「みなさんにお知らせがあります。十一月十日から二泊三日で修学旅行があります。ですが、二年生は修学旅行とは言っても現象を止めるすべを探るためです。
三年生には本格的な修学旅行があります。今回の行き先は災厄≠フ範囲内の夜見山市です」
郁夫の予想通り、ロングホームルームで風見の口からそう告げられた。
修学旅行の事はクラスのほとんどの生徒が事情を知っていたため、さほどのざわつき感は生まれなかった。
しかし、囁き交わされる生徒たちの声は少々ある。
「これは大切な行事です。しかし、強制はしませんが、都合のつく人はできるだけ参加してほしいと思います」
囁きの声を静めようともせず、風見は話を続ける。
「詳細については近日中に、プリントを配ります。申込書を同封しますので、参加希望者は今月末までに返送してください」
風見は詳しい成り行きを説明することなく、そう告げると黙り込んでしまった。
そして七瀬が手を挙げて「あのう」と質問をしようとする。
「あのう、先生?」
七瀬の声が聞こえているはずなのに風見は俯いたまま黙り込んでいる。
その反応にはさすがにクラス中がざわめき始め、お互いの顔を見合わせてる。
志恵留は風見の反応に不審を持ち、何度も「先生」と呼びかける。
「先生?……風見先生!」
風見は志恵留の言葉にハッとして気づくと「あぁ、はい」と慌てたような表情になる。
クラスの生徒たちの中からは苦笑の声も聞こえて、風見も自分で苦笑してしまう。
「あぁ、すみません。では、今回のホームルームは終わりにします」
そう言うと風見はとっとと教室を出て行ってしまった。
しかし、郁夫が黒板の上に掛けられている時計を見るとまだ六時間目の終わりの時間ではない。
風見は呆然として誤ってしまったのか、それとも本当にこれで終わってもいいのか。
クラスの生徒全員が困惑する中、結局は終わりのチャイムが鳴った後に帰宅する事になった。
郁夫はカバンに教材を詰めて帰ろうとした時、志恵留たちがこちらにやって来た。
「修学旅行、どうする?」
七瀬が聞くと、八神以外の郁夫たち三人は顔を見合わせる。
「私は行こうと思うよ」
そう言ったのは一番参加しような志恵留。
「私も……」
福島は少し不安そうな声で言う。
「んん?僕も、一応」
郁夫は「一応」と言ったのだが、初めから参加はするつもりでいた。
「そうだよねぇ、もちろん私もだよ」
七瀬はからりとした笑顔でそう言うと、堂々とした立ち振る舞いで腕組をする。
無言の八神はもちろん、前にも言った通りに参加はするつもりでいる。
七瀬は腕組みをしたまま、先ほどの風見の不審な点を疑問に感じているようだ。
そして福島は今ふと思い出したようにこう切り出す。
「あの、この間のMD……修理できたんだ」
「お、マジか美緒。でかしたぞ!」
「今度、みんなで聞こう。私もまだ聞いてないし」
修学旅行のプリント、貰ったけど、どうする?
参加かぁ、ちょっと抵抗あるかも。
だよねぇ、何でわざわざこんな時にするんだろう?責めて範囲外の町にしてほしいよね。
けど、それには決まり≠ェあるらしいよ。
え!どんな?
さあ?風見先生も大切な行事≠ネんて言ってたけど……。
……。
けど、どんなふうに止めるんだろう?榊原さんたちは知ってるみたいだけど。
ふうん、けど、それって夜見北でしょ?あってるのかなぁ?
災厄≠ヘほとんど一緒だし、同じじゃないか、って言ってたよ。
うーん?どうなんだろう?
……そう言えば、西川くんが榊原さんたちが災厄≠止める手がかりを見つけた、って言ってたよ。
えぇ!?本当かなぁ?
そうなんじゃない?あの人たちが一番頼りだよね。
本当、先生たちも当てにならないしね。
そうそう、早く止まってほしいよね。
自分の家族とか親戚が死ぬのって嫌だし、私達が、って言うのもね。
だれだってそうだよ。私だって……。
だから、修学旅行も……。
けど、なんか意味がある≠轤オいよ。
嘘!え、どんな?
さあ?七瀬さんが言ってたんだけどね、これ。あと、高林くんも。
ふうん、だったら行ってみようかな?
私も行こうと思うよ。