硬質な軍靴の音が廊下に響く。
一定のリズムでしかしどこかせわしない印象与える音は、ある扉を前にしてぴたりと止む。
「小塚技術中尉、入るぞ」
引き扉を開けて部屋の中に入ってきたのは、まだ見た目の20代後半の男だった。
身にまとうのは征夷大将軍の元に組織された帝国陸軍の軍服。襟元を飾るのは技術廠の中尉であることを証明する階級章。
技術廠の若き俊英と噂される小塚三郎技術中尉だった。
「はっ、このたびは貴重なお時間をさいていただき、誠にありがとうございます」
部屋の中で資料とにらめっこしていた男たちがあわてて立ち上がり敬礼を行う。
それに軽く答礼で返した小塚は、空いている席にさっさと腰を下ろした。
「いつもいっているとおり、諸君ら技術者が軍隊の慣習にならう必要はない。最低限の礼儀さえ守ればいい。敬礼なぞ不要だよ」
小塚は不敵な笑みを浮かべて、なお起立して動かない技術者たちを見上げる。
「あ、申し訳ありません」
とたんに、先ほどまでまとっていた緊張感を弛緩させ、男たちがめいめい自分の席に座る。
「で、私が来たのはこちらに上がってきた報告書についてだ。詳しい説明を口頭でお願いできるか?」
「はっ、少々お待ちを」
小塚は慌てて資料をあさる技術者たちを見ながら、自身の手元に回ってきた報告書について思いをはせる。
要約すると内容はこうだ。
特定のロットを使用した撃震の性能が、部分的にはであるが従来のロットを使用した物に比べて3%前後の能力向上が見られたこと。
特定のロットを生産した工場が、とある地域に存在すること。
そのとある地域から納品された部品のみで整備された撃震の能力が平均値に比べて3%前後の能力向上が見られたこと。
これは由々しきざる事態といえた。
たかだか部品と馬鹿にするつもりはない。部品一つとっても精度というものがある。つまりこれらの部品はずば抜けて精度がよいことになるのだ。
「これが問題の部品を納品してきた工場のリスト、そして、その地域から納品される部品をすべて撃震の製造に使用した際に得られるであろう性能概算です」
まずは資料をと、手渡されたリストに小塚が視線を落とすと、そこには見事なまでに同じ地名が並んでいた。
柊町、横浜に存在する一地方土地にしかすぎないそこが、今この技術廠の一部で熱い視線をあびていた。
「こちらに納品された部品の精度、状態から、仮に撃震の部品を全て作成したと仮定した結果、撃震の能力は従来のものと比べて5%前後向上するとの試算が出ました」
ぴくり、と小塚の眉がけいれんする。
5%。言葉にするとやけに小さく聞こえるが、軍事産業に関わる物にとっては看過できない数字だ。
命のやりとりに使用する兵器の性能が5%向上する。すなわち生還率の上昇に直結するといっても過言ではない。
「このことは部署外には?」
「はっ、厳重なる箝口令をしいていおります。万が一にも外に漏れることはありえません」
「そうか」
小塚の視線にさらされて冷や汗を流した技術者が、ほっと安堵のため息をつきながら体から力を抜く。
それを目の端に捉えながら小塚の思考は報告された内容に飛んでいた。
すばらしいまでの精度と品質を誇る部品を製造する柊町。
何がその町で起こって、何が原因でその町での製造部品の精度があがったのか?
疑念は尽きないが、事実は一つだ。
「報告は分かった。まずは柊町の全ての町工場との専属契約を結べ。あといたずらに量産指示はかけるな。量が増えました、品質がさがりました、では話にならない」
「あの全て、とはどいうこですか?」
戸惑い顔の技術者に納得のいったような顔で小塚が頷く。
「ああ、説明が足りなかったな。軍需物質に関わる全ての工場と専属契約を結ぶようにしてくれ。根回しと段取りはこちらで整えておく。そして将来的には民間向けの製品を作成している工場との契約も視野に入れる」
「民間向けの製品の製造工場もですか?」
「少し考えれば分かるだろう?柊町全体の工業能力が上がっているのだ。民間向けの工場とて例外ではないだろう。将来的に軍用物資の生産ラインに回すことを考量しても無駄ではないはずだ」
おお、という声が技術者たちの間から漏れる。
それに少し小塚はいらだちを覚える。
技術者たちは与えられた任務、すなわち技術開発については忠実で優秀だ。だが、そこから一歩離れると途端に思考停止に陥る。
技術力は認めるが、人間的な能力は今ひとつ、それが小塚が彼らに下した判断だった。
「以上だ。詳細な指示は追って出す。諸君らのいっそうの邁進を期待しているぞ」
「はっ」
心地よい返答を背後に受けながら、小塚は部屋を後にした。
その足が、ぴたり、ととまる。
「鎧衣主任、盗み聞きとは感心しませんね」
鋭い視線の先に、トレンチコートを着込んだ30前後の男が浮かび上がる。
つい先ほどまでなにも存在しなかったようにしか思えなかった場所にだ。
「おやおや、人聞きの悪い。たまたまですよ、たまたま。自動販売機を探し歩いていたら、たまたまそこの部屋の前を通りがかり、たまたまわずかに空いていた隙間から会話が漏れ聞こえてきた。それだけです」
小塚の視線が先ほどまでいた部屋の扉へと向けられる。
距離が遠くて確認できないが、この鎧衣という男がなんらかの細工を施し、本来なら密封される扉に隙間を作り出したのだ。
「鎧衣主任、あなたはいつから内部の督戦部所属になったのかな?」
「おお怖い、私はあんな物騒な部署の所属になった覚えはありませんな」
「ではなぜ、内部の動きを探るようまねをする?」
「いえいえ、べつにそんなつもりはありません。ただ、柊町についてなにか知りたくないかと、そんなお節介なことを思いついたものでして」
小塚は漏れ出る緊張を必死に押し隠した。こいつ、我々に先んじて柊町で工作を行うつもりか?
そんな内心の声が聞こえたように鎧衣の声が続く。
「実は近いうちに、件の町に出張することになりまして。なんでもやんごとないお家の子供が一時的に身を寄せるとか。その事前調査ですよ。そのついでに、町工場の見学をしたところで、別におかしなところはないでしょう?」
狙いが読めない、が、こちらに対してあからさまに不利な話でもないようだ。
小塚がはじき出した答えをこれまた見透かしたように鎧衣の声が響く。
「ご心配なく。町工場に裏がないかの調査結果はそちらだけにお送りします。見返りは、帝国技術廠とのパイプ。それだけで、値千金のしろものですので」
数瞬の思考の後、小塚は頭を縦に振った。
歴史は静かにきしみ始めていた。しかしその音を聞くものは誰もいない…