ここ帝国軍技術廠で一番忙しい人物は誰が、と問われると、10人中10人は彼の名前を挙げることだろう。
それほどまでに彼は多忙だった。八十六式シリーズの正式採用と共に、その功績を買われ技術大尉へと昇進。
それだけならまだしも、八十六式に関わる全ての事後処理を押しつけられた。本来なら技術廠の範疇は、正式採用されるまで、それ以降の特許の交渉だとか、ライセンスの話だとか、そんなのはそれぞれの専門的役割を持った省庁の仕事のはずだ。
それがなぜ?
答えは、一つ。帝国内にはびこる親米派の勢力故だ。
どの省庁に権利を委譲しても、結局は米国のいいように利用されることを恐れた上層部が、間違いのない彼へとその調整役を任せたのだ。
彼にとっては、正直ありがた迷惑な話だった。
米国憎し、という上層部の考えはわからないでもないが、現在のところBETA戦線の最前線を支えているのは米国の海外派兵部隊であり、戦術機などの技術供与だと考えている。
無駄にこびる必要はないが、今人類が置かれている状況を考えれば、互いに利用し合いうまく人類の戦力の底上げを図れるのではないか、とすら考えている。
もちろん、そんな考えなど表には出さない。そんなことをすれば、国粋主義者たちに目の敵にされてしまうことは目に見えている。
「頭の痛いはなしだ、帝国の中ですら一枚岩ではない。ましてや人類をや、か」
小塚三郎技術大尉のつぶやきが執務室にこぼれるが、それに答える者はいないかった。
いや、いないはずだった。
「まったくですな。私も頭のお堅い人たちにはよく苦労させられます」
「またあなたですか、鎧衣主任、いえ、今は係長でしたか?」
「これこれは、今をときめく小塚技術大尉が、わたくしめごときの昇進を知っていようとは。感激の至りですな」
「あなたの前置きは長くて困ります。本題をどうぞ」
小塚の声はもはや達観の域に達していた。こいつは深く詮索するだけ無駄な人間なのだと。そういう人間だと割り切らねば付き合い切れない人物なのだと。
「せっかく時間がとれたというのに、せっかちですな。適度な会話は人間関係をより円滑にするための潤滑油となるそうですよ?」
「鎧衣係長!」
若干語尾が荒くなったのは、しかたがない。ここ最近の激務のせいでイライラが募っているからだ。
もっとも、そんなことで堪えるような鎧衣ではないのだが。
「実はかの人物から、撃震の上半身が送り返されてくるようなのですよ」
「なっ!?」
小塚は思わず絶句した。今でさえ死にそうなほど忙しいのだ、それに加えてまたもや規格外の改修が施された戦術機のパーツが搬入されてくるとは。
小塚の脳裏に、過労死、の三文字がよぎったのは決して大げさではない。
「それは、いつ頃ですか?」
「ああ、ちょうどいま搬入されている最中ですよ」
「っ!それを早くいっていただきたい!」
「いやいや、失敬。ですが、会話は人間関係を良好に保つのに必須だと思いましてね」
「わかりました、ですが今は仕事の話です。結論から先に述べていただきたい」
「おやおや、ずいぶんと余裕がないですな。余裕がない人生というのは、実に味気ないものですよ」
小塚は思わず忘れていたのだ。この人物とはまっとうな会話なぞかみ合わないことを。
それを思い出すまで、しばし不毛な会話は続くのだった。
「小塚技術大尉、ようこそおいでくださいました」
小塚が帝国軍技術廠13特殊実証実験部隊のハンガーについたのは、実に鎧衣と会話を始めてから30分を経過してからだった。
迎えた整備班長に対して軽い答礼を返してから、小塚はハンガーにつるされている撃震の上半身に目を向けた。
前回の撃震の下半身は、徹底的に改造されていた。装甲材により軽量化が可能になったのをいいことに、高機動化を主眼に置いた各種モジュール群の改修。
間接部に使われている素材も全く新しい素材に交換されていた。
現在の国内技術者が思いもよらないアプローチで改修された撃震の下半身を一目見た瞬間、小塚はめまいを感じたものだ。
おまけに止めとばかりに突きつけられた予想されるであろう実戦での検証数値。
たかだが町工場がなぜこのようなデータを出すことが可能なのか?とっくの昔に思慮の外に追いやった常識が、再び自分の中に芽生えるがそれを強引にねじ伏せた。
めまいを感じたどころではない、雷に打たれたあげくに横殴の暴風にされされた心境になったのは、いまでは懐かしい思い出だ。
まあ、立ち直るのに1週間ほどの時間を要したのだが。
それに比べると今回はずいぶんとおとなしいように感じた。
だが、小塚の中の何かが警戒を呼びかけている。
見た目にだまされるな、こいつの本性はおまえが思っているよりも遙かに凶暴だ、と。
「一見したところ、前回に比べて改修された部分が少ないように見受けられるが?」
「はい。ですが問題は、一見したところは、ということろです」
「と言うことは内部機構が?」
「はい。まずは一緒に送られてきた資料をお渡しします」
おずおずと差し出されたそれを小塚は無言で受け取る。
前回はその1ページ目から度肝をぬかれたものである。
心の準備はしておくに越したことはないだろう。
大きく深呼吸をして、小塚は資料をめくった。
そう、それが、さしずめ人外の知識が書かれた魔道書であることを知らずに。
「耐Gスーツ機構、常人の耐G適正を200%以上底上げする!?」
「耐Gコクピット機構、通常かかるであろうGを従来の機構に比べて300%以上軽減する!?」
悲鳴じみた声が整備ハンガー内に響き渡る。
実に十数分前に整備班長が同じ叫びを上げていたので、周りで作業をしている整備員たちはびくっとする程度済んでいた。
だが、肝心な小塚はそうはいかない。
衝撃的な内容にもはやこれ以上言葉もでない様子になっていた。
連日の激務のせいもあっただろう。
運び込まれた撃震の衝撃的な性能もあるだろう。
もはや小塚の精神は崖っぷちのぎりぎり状態だった。
そこにさらに止めの一撃が走る。
「次のページに、戦術機の制御ユニットに関する考察がかかれています。それによると、アビオニクス、および戦術機機構の制御OSに手を加えたと書かれています。報告書の値を信用すると、従来機に比べて遙かに機体制御の安定性が期待される上に、若干の処理速度の向上も見られます」
「ぶふっ!」
そしてついに、限界はやってきた。
小塚の常識人としての理性が限界を超えたのだ。
口から泡を吹きながら、小塚は思った。
「こんなことを考えつく人物と果たして会っていいのだろうか。そんな人物と会って自分は正気を保てるのだろうか?」
薄れゆく意識の中、小塚は含み笑いをする少年の姿を見たような気がした。
そんな小塚の様子を気遣わしげそうな、そうでないような様子で鎧衣は見ていたが、慌てて周りの人間が小塚に群がるのを見届けてから、その場から姿を消した。
試作型撃震・弐型が誕生する1年前の話である。
ちなみに試作型撃震・弐型に使われている様々な技術は、一国家が独占するべきではないと、国連からの強い要望により限定的ではあるが、先行して世界に公開されることになった。
当然、それには各国の思惑がまじっているのだが、一部の人たちは知っている。
小塚が、自分と同様に泡を吹いて倒れる技術者がでることを予測し、内心でほくそ笑んでいたことを。