帝国の政治情勢は混迷を極めていた。
国産の最新鋭兵器群、最新技術の粋を集めた試作型戦術機の製造、それにより声を大きくし始めた国粋主義者たち。
米国の密命を帯び、その技術の出所を探ることで息を吹き返すことを目論む親米派たち。
同じ日本人同士でありながら同床異夢を体現する愚か者たち。
そんな中にあって、引き裂かれた双子の思いにわずかでもでも応えようとする煌武院家に縁浅からぬ者たちの思惑。
そんな絡み合った構図の中で、今回の物語は始まる。
「了解、作戦を中断し、至急本邸に戻る」
無線に答える声に、少女は絶望が胸を満たすのを感じた。
光と影。
煌武院家に生まれた二つの命は、その伝承により、生まれた瞬間から運命を分かたれた。
ひとつは光を司る名の下に、表の世界から様々な者たちの盛大な祝福を受けながら。
ひとつは影を司る名の下に、裏の世界の事情をしるものたちからささやかな祝福と憐憫を受けながら。
それがまみえるはずだった。
ほんのわずか一時でも、分かたれた二つの宿命が交差するはずだった。
少女は、生まれて未だに一度も見たことのない自分の半身を思って、心躍らせてその時を待っていた。
たった一瞬。わずかな時間。
それだけで十分だった。本来ならば決して交わることのない、二つが、たとえわずかと言え出会うことが出来る。少女は、それが如何なる奇跡の元に可能なのかわかるほどに聡明だった。
その思いが無残にも引き裂かれようとしていた。
ゆえに、普段なら少女は自分が思いもしない行動に出た。
乗っている自動車が停車した一瞬、左右を挟む護衛の間をするりとくぐり抜けて、自動車の扉を開け放ち、外へと飛び出したのだ。
凄腕の護衛たちの脇を抜ける、それがいかに困難なことかを少女は当然知らない。しかし、現実にそれは起きた。
慌てて追いすがろうとする護衛の行く先を、疾走する車の列が阻む。
車列がなくなり、追いすがろうとした護衛達の目に映ったのは、人通りのない路地だけだった。
そこに因果律の干渉があったのか、それは定かではないが、そもそも彼女たちの邂逅は因果律により定められていたものだ。ならば、干渉がないと思う方が不思議だろう。
そう、そこにある要素を持つ人物が絡んでこなければ、誰もがそう思っただろう。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
全力疾走を続けた足はすでに悲鳴を上げている。呼吸においてはもはや真冬の日本海なみの荒さだ。
それでも少女は足を止めない。本来であれば車で悠々と乗り付けれていたであろう邸宅に向かって。
そうなった経緯は至って簡単だった。煌武院家を支えるものたちが善意で取り付けた、分かたれた双子の邂逅、その日に奇しくも「試作型撃震・弐型」のお披露目会が行われた。そのために各国の諜報員がこの帝都にこぞって結集してしまったのだ。
煌武院家はおろか、将軍を筆頭とする組織にとって、対外的に秘事の一つと言える双子の存在。
それを感づかせるわけにはいかず、運命の再会は急遽取りやめとなった。このことにより、二つに分かたれた運命は二度と交わることはなくなったであろう。本来であれば。
だが本来の流れ、すなわちAL支配因果律において、双子の少女の邂逅は絶対であった。行われた因果の介入により、少女は本来厳重であるはずの護衛を難なく交わし、無事に脱出を行うことが出来た。
そこまでは本流通り。因果の支配のうち。
だがしかし、ここに絶対的な違いが起こる。すなわち、
「あっ」
足を躓かせて転ぼうとする少女。それをすばやく抱き留めてすくい上げた者がいる。
「おいおい、大丈夫かよ、お嬢ちゃん。あ、心配するなよ、おれは紳士だからな。幼子に危害を加えるようなことはしないぞ、絶対にな。ん?」
立花隆也、「因果律への反逆」を持つ者の介入である。
しばし少女を見つめたあと、隆也は真剣な顔でつぶやいた。
「そうか、この娘も」
「え?」
訳もわからず少女がつぶやいたときに、背後から慌ただしい足音が迫ってくるのが聞こえた。少女を探していた者が近づいてきたのだ。
思わず身をすくめる少女。だがそれを労るように軽く頭に手をおく隆也。
「なに、気にするな。荒事はじいさん相手に慣れてるんでな。理由はわからないが、逃げてるってことは、それなりの理由があるんだろう?さっきもいったが、おれは紳士なんでな。幼女の意志を無視して無理矢理従わせるような無粋は、はっきり言って嫌いだ」
現れる二つの人影。
彼らの強さは少女がよく知っている。武芸に秀でた者の中でも特に優秀な者。煌武院家の姫君を守護するに値するだけの腕を持つ猛者。
無理だ。
少女の理性が叫ぶ。
少女を守るように前に立ちはだかる少年はせいぜい13〜4くらいか。迎え撃つ相手は武人としての脂がのりきった30代前半の近衛兵2人。あまりにも無謀すぎる。
少女の感性ではそうだった。
「わりいな、この娘にはなにやらしたいことがあるみたいだ。おまえさんらにも事情があるだろうが、ここは紳士の情けで見過ごしてくれないか?」
隆也に敵対の意志ありと判断した瞬間、躊躇なく隆也に向けて突貫をかける二人。
正しい。
敵対する者に対しの問答など不要。沈黙させて改めて尋問すればことは足りる。
「剣術、体術、共に一流か。なんか、やっかいなことに首つっこんじまったかな?あとで、小塚さんにお願いしてもみ消してもらうかな?最近、見違えるほど元気になったって聞いたし」
焦ることすらなく、二人の突貫を迎え撃つ隆也。
少女の目にはそれが、荒波に飲み込まれる小さな木の葉に見えた。敵はあまりに強大。そう信じて疑わない少女の常識を、しかし眼前の光景は覆す。
「まあ、所詮は700前後の未熟者ってことか」
「え?」
声が漏れたのはしょうがない。彼らは、精鋭中の精鋭のはずだ。間違ってもまだ身体ができあがっていない少年に引けをとるなどあってはならない。
それが、無様に地面に横たわっていた。しかも一瞬の交差で。
「さて、余計な援軍がこないうちに行こうか、小さな姫君。どこか目的地があるんだろう?」
「は、はい」
つぶやく声は、どこか遠くに聞こえた。
「というわけで連れきました」
「連れてきました、じゃないわよ、アンタばか?」
「隆也くん、誘拐はいけいないと思うわ」
隆也の前に二人の少女が立っていた。
一人は紫のロングがよく似合う、年の割には色気を感じさせる少女。
一人は栗色の髪がふわふわと長く伸び、どこかほんわかとさせる雰囲気を纏った少女。
「いや、だって、いろいろとあるんだよ、いろいろと」
慌てる隆也に、紫ロングの女は追求を止めない。
「わかってるの!この娘、煌武院家のご令嬢なのよ!」
小声で怒鳴る、なかなかに小器用なことをする少女の叱責にたいして堪えた様子もなく、隆也は答えた。
「こまけえこたあ、いんだよ」
「こまかくないわよ!」
打てば響くような突っ込みに、隆也は軽く首をすくめる。
少女は自分の置かれた状況を軽く鑑みる。
立花隆也と名乗る少年に助けられ、護衛の追っ手から無事逃げ出せたまではよかったのだが、この少年、残念ながら帝都の地理に明るくなかった。
目的である御剣邸の場所など知るはずもなく、彼は知り合いの手を借りるといって、少女をこの場につれてきたのだった。
「だいじょうぶよ、お嬢ちゃん。隆也くんも、夕呼も、なんだかんだ言って頼りになるんだから」
「はい、ご助力有り難くお受けいたします。このご恩は、一生わすれません」
「いいわよ、そんなにかしこまらなくて。二人もわたしも、感謝されたいからじゃなくて、自分たちがやりたいからやってるだけなんだから」
少女は自分を神宮司まりもと名乗った人物に目を向けた。
少年、隆也と同年代だろうが、自分が知っている13〜4の年代の者たちとは纏っている雰囲気が大人びている。
「でっ、どうするつもりよ?」
「この娘が言っている御剣邸に送り届ける。そんでもって、目的を果たさせる、以上」
「簡単に言ってくれるわね。御剣っていうのも、結構有力な武家よ。それをなんの見返りもなくアタシに手伝わせようってわけ?」
「いいや、御剣邸の場所さえ教えてもらえればそれでいいさ」
「それでも、アタシ達が目をつけられるのに十分な理由なんだけど」
「まあぶっちゃけると、こうやっておれと接触した時点でアウトなんだけどな!」
「この性悪が!」
「ぶげらぁ!?」
華麗な一撃を受けて宙を舞う隆也を見ながら、少女は、ああ、人は空を飛べるんだな、などとわけのわからないことを思っていた。