「ここでいいかな?」
「あ、あの、どこでもいいので、早く下ろしていただけると有り難いのですが」
「わたしもそう思います。いいかげん、この格好ははずかしいので」
「よし、それじゃ下ろすぞ」
武家の人間が見たら怒り狂いそうな姿がそこにあった。
右肩に悠陽を担ぎ、左肩に冥夜を担ぐその姿は、まるきり荷物を運ぶ人夫そのものである。そう、恐れ多くも煌武院の姫君を荷物扱いしているのである。おまけに御剣家も武家の格で言えばかなりの上位に位置する。
武家社会に生きる者たちにとっては噴飯ものの光景だった。
「よし、それじゃ、この公園で遊ぶとしようか」
「公園ですか?」
「公園?」
「あら、おまえ達、公園で遊んだことないのか?」
不思議そうな顔で目の前に広がる空間を見つめる双子に、隆也が怪訝な顔で問いかける。
「はい、遊具を配置した広場、というのは知っていますが、実際に遊んだことはありません」
「わたしも悠陽さまと同じで、かような場所で遊ぶのは初めてです」
冥夜の口から何の気なしにこぼれた「悠陽さま」の一言で、悠陽の表情に一瞬の影が落ちる。
当然、そんなことを見逃す自称紳士の隆也ではなかった。
「めーやよ、おまえ、まだそんことを言っているのか?」
「え?」
責めるような口調で言われた冥夜は、なぜそんなことを言われるのか訳がわからないと、隆也を見上げる。
「めーやよ、お前ににとって、ゆーひとはなんだ?」
「は?悠陽さまですか。当然、我らが武家一同がうやまい、もり立てていくべき血筋の」
「ちげーよ、ばか」
ひどく冷淡な声が隆也の口からこぼれた。その表情は、口調とは裏腹にどこか悲しげだった。
「そんな上っ面な話をしているんじゃねえ。御剣なんてつまらん武家の名前に縛られたお前に聞いているわけじゃねえ。冥夜という名前を持つ一人の人間に聞いているんだ。本当に、お前にとって、この悠陽という人間は、そんな対象なのか?」
「立花さま、冥夜さんを責めるのは」
「ゆーひよ、お前もだ」
「え?」
「お前にとっても、この冥夜という人間は、自分が従えるべき武家の一門の中の一人なのか?」
「いえ、それは」
言葉を濁す悠陽。古き因習に囚われた少女には、そう簡単に本心を明かすことは出来ない。
隆也にもそれは当然わかっていた。それでもなお、聞かなければならないと思った。この二人のために、というよりは隆也の自己満足の側面が強いことは否めない。だが、隆也は自分をそういう人間だと割り切っていた。
己のエゴを貫く、それがたとえ世界の未来を不安定にさせるとしてもだ。
「めーやよ、おれは全てを知っている。その上で聞いていいるんだ。君の本心が聞きたい。冥夜という一人の人間が、悠陽という一人の人間をどう思っているのかを」
「わたしは、わたしは…」
「冥夜さん…」
うつむく冥夜を労るように悠陽が見つめる。
「わたしは、悠陽さまのことをお慕いしています。煌武院家に連なるお方としてではなく、一人の人間として」
冥夜のできうる最大限の表現だったろう。現に悠陽の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。悲しみではない、一人の人間として慕ってくれるという冥夜の言葉に感激してだ。
だがしかし、隆也という人間はそれで満足するような甘い人間ではなかった。
「それだけか?」
「それ以上になにがあると!」
「本来交わるはずのない光と影、それが奇跡的に交わったこの時をもって、なお、くだらん因習に囚われるのか?そんなことで、お前は守れるのか?大切な物を、守りたい物を」
有無を言わせない口調だった。一切の反論を許さない目だった。幼い冥夜にとって、そんなことを言われるのは初めてだった。
沈黙が訪れる。心地よい沈黙ではない。一人の少女の、まだ幼い心の葛藤を表す沈黙。
悠陽が声をかけようとしたが、冥夜の浮かべる表情を見て口から出ることなく沈黙に飲み込まれていく。
「姉上、そう呼びたいです。だれはばかることなく、姉上と。ですが、それは許されないことなのです。決して、決して…」
こぼれ落ちる言葉。あふれる思い。高ぶった想いが、涙となり瞳からこぼれ落ちる。
「いいんだよ、今日は。正確に言えば、今日この日に二人がともにいる時間だけ、だがな」
隆也の手が冥夜の頭にそっと乗せられた。その温かさに、冥夜の目からさらに涙がこぼれ落ちる。
「悠陽さま、わたしが姉上と呼ぶのはおこがましいでしょうか?」
「いいえ、冥夜。わたしもずっとあたなと会いたかった。あなたにそう呼ばれたかった。今のわたくしたちは、たんなる悠陽と冥夜。誰にもえんりょすることはないのです。あなたは、わたくしのたった一人の妹なのだから」
「あねうえぇ!」
「めいやぁ!」
ひしっ、と抱き合う幼女2人。
実に百合百合しいな、などと不埒な思いで見つめる隆也であった。
「よし、あとは楽しい思い出作りだな」
明るい声で宣言した隆也に、悠陽と冥夜が目を向けた。
「おいおい、それぐらいでいい思い出ができました、なんて甘いこと考えているんじゃないだろうな。まだまだ日は高いんだ。せいぜい遊び倒そうぜ」
「はい、立花さま」
「わたしも依存はありません。立花どの、よろしくおねがいします」
「ああ、まかせとけ。まずは何をするかだが、2人きりだと少々寂しいな。公園にいる子供達も巻き込んでやるか」
きょろきょろと公園を見渡し、手近なベンチに座って本を読んでいる少女をロックオンする。
「お、いたいた、さっそくあの女の子でも…!?」
隆也の表情が凍り付いた。
隆也が目星をつけた少女はなんの変哲もない子供のはずだった。栗色の長い髪を左右共に三つ編みにして、眼鏡をかけているのが特徴と言えば特徴ではあったが。
「あ、えと、そうだ、べつにあの女の子でも…!?」
またもや隆也の表情が凍り付いた。
視線の先には滑り台の上に座り、ぼーと空を見つめる少女がいた。黒髪でちょっとつり目気味、そしてどこか不思議な印象があるのが特徴と言えば特徴ではあったが。
「いやいや、そうだ、あの女の子を誘お…!?」
三度隆也の表情が凍り付いた。
そこには砂場で山をせっせと作っている少女がいた。ピンク色の髪で独特の髪型をしている、なんとなくねこっぽいのが特徴と言えば特徴ではあったが。
「まだだ、まだ他にもいるはず」
なにかを吹っ切るように頭を振った隆也が、他の子供を捜すべく目を走らた。
「お、あそこにって…!?」
四度隆也の表情が凍り付いた。というか、なんかすごいあんぐりとした顔になっている。
木が生い茂って林のようになっているところに、なにやら作業をしている少女がいた。濃い水色の髪をした、一見少年とも思える中性的な容貌が特徴と言えば特徴ではあったが。
「あ、あははははは」
「立花さま?」
「立花どの?」
急に笑い出した隆也を心配そうに見上げる双子の姉妹。
だが隆也は笑いを止めようとしない、それどころかさらに声が大きくなっていく。
その声に気づいたのか、先ほど隆也が目をやったいた4人の少女の視線が隆也に集まっていく。
「あの、立花さま、大丈夫ですか?」
「くっくっくっ、いや、わりいわりい、大丈夫だ。べつに変になった訳じゃない。ただこれが笑わずにいられるかってんだ。なんだここは?因果の特異点とでもいいたいのか?いや、そんなことは、どうでもいい。いいだろう。おまえがその気だっていうんなら、こっちもとことんまであがかせてもらおうじゃないか」
心配する悠陽に返事を返した後、隆也はこちらに視線を送っている4人の少女に順に目をやった。
その顔つきは、初めて冥夜に対面したときと同じ、抜き身の真剣のごとき凄みを帯びていた。