「ねえ、隆也くん、最近なにかあったの?」
「え、まあ、あったといえば、あったかな。よくわかったな、まりもん」
「ふふ、隆也くんのことなら、大概のことはわかるわよ」
茶目っ気たっぷりに笑うまりもん。
「まあ、付き合いが長いからな」
ぶっきらぼうに答えるおれ。
BETAとの初めての実戦を経験した直後の、まりもとの訓練。
どうやらにまりもはおれの様子に気づいたようだ。さすが腐れ縁、というべきか、それとも恐るべし女の勘、と言うべきか。
ちなみにこの間確認したら、女の勘がLV4になっていた。どこまであがるんだよ、一体。
おれ自身も自分の変化はある程度自覚している。なにせ、本物の実戦を経験してきたのだ。
そして、実際にBETAに蹂躙される人々を見てきた。生きたまま食われる人、括り殺される人、吹き飛ばされて全身を強打して死ぬ人、様々な人々の死を見てきた。
今までだって死んでいく人間はある程度見てきた。寿命で死ぬ人、事故で死ぬ人。病院に入り浸っていると、その程度は慣れたものだ。
だが、戦場での死はまた違っていた。不条理に挑んで、不条理に死にゆく人々。死を覚悟しながらも、死を恐れ、そして死んでいく人。
誰が言ったか知らないが、本当に戦場ってのは地獄だ。あの凄惨な悲鳴は、耳にこびりついてなかなか離れない。それでも割と普通に生活できるあたり、我ながらあきれるところか。
おれの中で何かが変わったとしても、それは仕方のないことかもしれない。いや、変わらなければいけないのか。そうでなければ、これから来たるであろう運命に抗うことなど不可能なのか?
「大丈夫よ、隆也くん」
静かなまりもの声がおれを思考の沼から引き戻す。
「隆也くんは大丈夫。隆也くんは、隆也くんなんだから。だからそのままで大丈夫」
まりもの瞳は真剣な色を浮かべていた。真剣ででもどこか安心させるような包み込んでくるようなその瞳を見て、おれは思考は明晰になっていた。
「そうだな、まりもん。その通りだ。おれは、おれのままでいいんだ」
「うん」
「というわけで、まりもん、最近おっぱい大きくなってきたよな?やっぱあれか?自分で揉んでがんばって豊胸に励んだりしているのか?」
瞬間、まりもの瞳の色が変わった。
あれ?なんか失敗した?まりもの雰囲気が一気に豹変したよ?
「あんた、相変わらずバカよね。まあ、アタシも安心したけど」
後ろから夕呼の声が聞こえるが、そんなことはどうでも良い。今は目の前のまりもの怒りの気の方が問題だ。すでにそれは殺気に近しいまでのレベルになっている。
身の危険を感じたとき、その声が響き渡った。
「隆也くんの、すけべー!」
「ぬぼぅ!」
まりもの怒りの一撃に、言葉の通りに宙を舞うおれ。気の強化がなければ、頸椎骨折どころか、首から上が吹っ飛ぶ一撃だ。さすがまりも。おれの一番弟子だけはある。
愛弟子の成長に喜びを覚えれば良いのか、それともその成長の成果を自分の身で試さないといけない不条理さに憤りを感じればいいのかよくわからないまま、おれは重力から解放された浮遊感を感じていた。
正座って辛いよな?
うん、おれはまりもの説教を小一時間正座で受けていた。ちなみに下は地面なんで、ごつごつと小石が当たって痛いことこの上ない。まあそれは、気による強化でごまかしているんだけど。それでも足のしびれはどうにもならず、おれはひたすら耐えていた。
後ろでは珍しく夕呼が、武と純夏の勉強を見ていた。あの夕呼が年下の勉強の面倒を見るなんて、はっきり言って、明日は槍が降ってもおかしくない。
でもどこか楽しげだな。案外夕呼に教師ってのもあってるのかも。
「隆也くん、どこ見てるの?」
「あ、いや、べつにどこも見ていません」
なぜか敬語で答えるおれ。それほどにまりもの迫力は凄まじいものがあった。はっきり言おう。BETAの圧力なんて目じゃない。
「まあ、いいわ。話はちゃんと聞いているんでしょ?」
「も、もちろんです」
思わずイエス、マム、もしくは、サー、イエッサー、と答えそうになるのを堪えて、普通に答えを返す。
「大体隆也くんには、デリカシーが足りないのよ。それと、女の子に対する気遣いね」
「仰るとおりでございます」
ここはひたすらに平身低頭でやり過ごすに限る。なにせ、非はこちらにあるわけだし。
「もう、ほんとうにわかってるのかしら?」
「いやもう、ほんと、痛いほど身に染みております」
「いつも返事はいいんだから。わかったわ、今回のお説教はこれでお終い。でも、ちゃんと気をつけてよ。女の子は繊細なんだから」
自分で言うなよ、という突っ込みは、もちろん心の中で納めておいた。
なにせこれ以上の説教はおれの足が保たない。今のおれを倒そうと思えば、指先一つで事足りる。すなわち、
「あとこれは、罰のおまけ」
ちょん、とまりもがおれの足をつついた。
「ふんぐるいっ!?」
悶絶するおれを尻目に、まりもは夕呼のところに向かっていく。
くそう、なんたる仕打ち。いつかかならず復讐してやるからな、覚えていろよ。
「なにかいった?」
なぜかおれの悪態に応じるように振り返るまりも。
「い、いえ、なんでもありません」
「そう?なんか呼ばれたような気がしたんだけど」
恐るべし、女の勘。もはやおれは、胸中で悪態をつくことすら許されないというのか。なんという理不尽。
この世の不条理に想いをはせながら、おれはその場で足のしびれがとれるまでうずくまっていた。
「よし、まりもん、今の全力を見せてもらおうか」
「わかったわ」
いつもの修行場で、おれとまりもは対峙していた。
実戦でBETAの能力を測ったおれは、今のまりもとの差を比較するためのデータ取りを行うことにした。
おれたちを遠くから伺うのは、夕呼と武と純夏。夕呼は好奇心、武と純夏は見取り稽古と、自分達が目指すべき姿を認識させるために見学している。
「いくわよ」
まりもの身体に気が収束していく。
次の瞬間、まりもの足下がはじけた。
「初手は真っ向勝負か、面白え!」
まりもの渾身の一撃に、こちらも一撃をあわせる。
拳と拳が打ち合った瞬間、強烈な衝撃波が発生する。
腹に響く衝撃音が辺りにこだまする。木々がザワリ、と震える。
力負けしたまりもが、その反動を利用して後方へと飛び退る。
こちらは動かない。
「次、いくわよ!」
まりもが腰の後ろに差し込んでいた木製小太刀を抜く。それも2本。
小太刀二刀流、まりもが学んだ小太刀の流派から独自に編み出した剣術。その変幻自在の剣筋は、おれの一刀流をもってしても及ばないものだ。
おれもあわせて腰に差した木刀を引き抜く。
ステップを踏みながらおれの隙をうかがうまりも。
わざと隙をみせ、誘いをかけるが、そこは長年の模擬戦相手。簡単には乗ってきてくれない。
しょうがないのでこちらから攻勢をかけて出る。
正眼からの上段。神速の一撃を、まりもはステップで交わし、おれの左手に回り込み小太刀のラッシュを浴びせかけてくる。
別々の生き物のように襲いかかる小太刀を慌てずに刀ではじくが、手数では圧倒的に小太刀が勝る。懐に入られた時点で、普通なら勝負はついている。
すばやく後ろに飛び退り距離を取ろうとするが、それにあわせてまりもも距離を詰めてくる。
らちがあかない。
左のローキックを放つが、足を上げてガードされてしまう。が、それを反則的な力を利用して強引に蹴り抜く。
まりもの小柄な身体が宙を舞う。
その隙に距離を大きく離す。
まりもは着地を決めると、小太刀を構え直す。
「今のはなかなかよかったぞ、まりもん」
「そんなこと言って、余裕たっぷりじゃない。お師匠さん相手なら、あれで終わっていたのに。さすが隆也くんね」
「さすがもなにも、まりもんも本気じゃないだろう」
「だって、隆也くんも本気出していないじゃない」
「おれが本気出すと地球がやばい」
「もう、そんなこといって。いいわよ、こうなったら力ずくで本気を出させてやるんだから」
先ほどと同様にステップを踏み始める。ただし、そのステップの早さが異常だ。
身体がぶれて見えるほどの高速ステップ。
一瞬にしてかき消えるまりもの姿。横移動に目を慣らさせておいてからの、縦移動か。
だがかえって軌道が読みやすい。近づいてくるまりもが刀の間合いに入った瞬間、音速に迫る剣速でおれの木刀が走る。
一瞬遅かった。おれの木刀が切ったのはまりもの残像。
本人は高々と宙に舞っていた。おれを見上げる格好で宙に浮くまりも。
その身体があり得ない速度でおれめがけて迫ってきた。そう、まりもも飛翔術を取得しているのだ。本来なら不可能な空中での軌道変更など軽いものだ。
「今度こそ!」
十字に交差させた小太刀を、おれは木刀で迎え撃った。さきほど空振りをしたはずの木刀でだ。
「うそっ!」
「ツバメ返しの要領だ、まりもん」
ぶつかり合う小太刀と刀、先ほどの拳同士とは比べものにならない衝撃波が周囲に広がる。
耐えきれなかったのは、おれたちではなく、手にした獲物だった。さすがに気による強化を施したとはいえ、木剣には荷が重かった。
おれとまりもの武器が壊れるのはほぼ同時だった。
まりもが一瞬動揺したのを、おれは見逃さなかった。宙に浮いているまりもに拳を叩きつける。もちろん手心は加えているが、それも必要最小限だ。
派手に吹っ飛んでいくまりも。
本当ならここで勝負ありなんだが、相手はまりも。
ここからが本番だ。
まりもが吹き飛ばされた先から、気の爆発ともいえる現象が見て取れた。
気の持ち主はまりも。先ほどに比べると感じる気の量も増えている。
そう、これこそが『狂犬』の発動だ。
条件は、アドレナリンの過剰分泌による極度の興奮状態。そして自身の生命の危機に対する防衛本能。
それらが揃うことで、まりもは身体能力が従来の1.2倍にまで跳ね上がる。
ちなみに、通常時のまりものステータスは次の通りだ。
基本情報
名前:神宮司 まりも
性別:女
年齢:15歳
身長:152cm
体重:乙女の秘密により検閲されました
身体能力情報
筋力:1931(336+3000)
体力:2011(349+3000)
俊敏:2036(466+3000)
器用:1533(350+3000)
感覚:601(349+300)
知力:299(350)
精神:597(349+300)
気力:2139(352+3000)
これが1.2倍になるのだから普通なら驚異なんだが、いかんせん相手がおれだからな。
ちなみにおれのステータスはこれだ。
基本情報
名前:立花 隆也
性別:男
年齢:15歳
身長:170cm
体重:61kg
身体能力情報
筋力:5733(349+6000)
体力:6014(352+6000)
俊敏:5687(355+6000)
器用:4329(331+6000)
感覚:923(799+600)
知力:1211(1061+300)
精神:1149(1171+300)
気力:6220(372+6000)
まあ、はっきり言って相手にもならない。
とはいえ、人類ではぶっちぎりの一位と二位だから、今のまりもを止めることが出来るのはおれだけだ。
吹っ飛ばされた以上の勢いで、まりもがこちらに迫ってくる。
目には猛烈な殺気が宿っている。残念ながら今のまりもはこの『狂犬』モードを使いこなせていない。
理性により制御された野性。それが『狂犬』モードの本来の姿なんだが、今のまりもは野性の支配の方が強い。
いろいろと試して、徐々に制御が効くようになっているのだが、あともう一歩足りない。
なにかきっかけがあればな、とは思うがなかなかに難しい。
「あぁぁぁああ!」
普段とはかけ離れた咆吼と共に、まりものラッシュが始まる。さきほど言ったように、理性により制御された野性、に偽りはない。
持てる技能と経験、そして野性の感性とも言える勘、それらが混じり合ったその攻撃は、先ほどのものとは比較にならない。
とはいえ、防げないほどのものではないんだが。
「自分を強く持て、まりもん!」
言いながらまりもに向けて一撃をたたき込む。先ほどまでなら完全に食らっていたそれを、今のまりもは防御することに成功する。
「支配されるんじゃない、支配するんだ。自分を律しろ」
後ろ回し蹴り。これもまりもは防御する。が、先ほどよりも少し力を加えている一撃なため、ガードごと吹っ飛ばしてしまう。
あ、しまった。
飛んでいった先は、先ほどからこちらを観戦している夕呼と武と純夏が居る方向だ。
やべぇ、今のまりもは殺気全開の状態だ。夕呼達を敵として認識する可能性がないわけじゃない。
慌てて後を追うおれの目に、その光景が飛び込んできた。
「まりも、正気に戻りなさい!」
「うぅぅぅ」
荒れ狂うまりもの前に立ちはだかる夕呼。
その後ろには武と純夏がいる。
へえ、これは意外。
まさか夕呼がこんな行動に出るとは。
これはあれか、夕呼の身を挺した行動にまりもが我を取り戻し、『狂犬』を物にすると言う王道的展開か?
「ゆぅうぅこぉ」
「まりも、アタシがわかるの?」
「ゆぅこ、わたしがたのしみにとっていた、けーきをたべたあ」
「え?」
「わたしがたいせつにしていたかみどめをこわしたあ」
「あれ、もしかして根にもってるの?」
うん、なんか思ってたのとは違う展開っぽい。
「わたし、おまえゆるさない、おまえまるかじり」
だめだこりゃ。
「正気に戻れ、まりもん」
言いながらドロップキックをまりもにぶち込む。
再び派手に吹っ飛んでいくまりも。
ちゅどーんという音とともに、派手に土煙が上がるの確認して、夕呼に向き直った。
「無茶するなあ、ゆうこりん」
「ふん、うるさいわね」
「ま、かっこよかったけどな。最後は締まらなかったけど」
「ほっときなさいよ」
顔が真っ赤になっている。恥ずかしいんだろうな。まあ、らしくない行動だったといえばらしくない行動だったな。
いや、夕呼の本来の性格はあれなのかもしれないな。普段は隠しているだけで。
「それにしても、なんというか人外ね、あなたたち」
気を取り直したのか、夕呼があきれたような声で言ってきた。
「まりもんとのやりとりは見えたのか?」
「ええ、あなたのおかげでね。思考速度が速くなった影響かしらね?動体視力もすごくよくなったのよ。もっとも見えるだけで反応はできないけどね」
「へえ、なるほどな」
「それにしてもますます興味深いわね。さっきのまりも、空で軌道を変えていたわよね?例の飛翔術っていうやつ?」
「ああ、ちなみにまりもはまだ空中での姿勢制御や、軌道変更程度しかできないけどな」
「それじゃ、あんたはそれ以上のことを出来るってわけ?」
「それについては秘密だ」
おれは答えを濁しておいた。だって、夕呼のあの目を見てみろよ。完全に獲物を狙う狩人の目だぜ?下手なこと言ったら、また質問攻めにあうに決まってる。
「すげえ、師匠、すげえよ。おれもいつかあんなことできるようになれるのか?」
「ほんとすごいねえ、武ちゃん。あたしもがんばって強くなってBETAをやっつけるよ!」
武と純夏の元気な声が聞こえてきた。まあ、こんな異次元バトルを見せられたらはしゃぎたくもなるわな。
「そうだ、おれが保証する。お前達は強くなる。そう、下らん因果なんてものを退けるだけの力を持たせてやる。だからおれについてこい」
「「はい、師匠」」
良い返事だ。お前達がおれを信じてくれる限り、おれもおれのできる最善を果たそう。
「うう…だれもわたしを気遣ってくれないのね」
吹っ飛ばされた先で、まりもが落ち込んでいたが気にしない。