目的地に向かって疾走する車の広い後部座席は、沈黙が支配していた。もっとも搭乗しているのが一人だけなので当然と言えば当然ではあるのだが。
日本帝国の大使館に配備されている公用車ではなく、相手から手配された車での移動。当然と言えば当然の処置。
今の日本帝国へのCIAの監視は他の国に比べると一ランク高いものなっている。在米日本帝国大使館についてもその例にもれない。従って極秘の会談を行うために移動するのに真正面から堂々と出るわけにはいかなかった。
要人脱出用のルートを使っての外出に加え、尾行をまくための数々の手段を駆使し、ようやく目的であるハイヤーに乗り込めたときは、安堵のため息と途轍もない疲労感に襲われたものだ。これから本当の仕事である交渉が行われるというのにだ。少々情けなくもあるが、元々このような裏方仕事を行うのは初めてなのだ。今この瞬間だけは勘弁してもらいたい、と内心で言い訳をする小塚一郎外交官であった。
小塚は、手にしたトランクをしっかりと抱え直し、改めて車中を見渡す。広い後部座席には、小塚が座った席の正面にも席があり、対面での交渉が出来るようになっている。配置されている調度品の数々も、決して豪華ではないが重厚な雰囲気を漂わせる高級品の数々だった。
運転席とは完全に切り離されており、こちらから運転席の様子をうかがい知ることは出来ない。
これから交渉するのは、反G弾派とつながりの深いマクダエル・ドグラム社の幹部である。
今回の小塚の任務は、彼らにとある技術の提供をすることだ。当然提供するだけではなく、できれば第三世代にまつわる技術の幾つかを入手するための交渉も必要になってくるのだが、言ってみればそちらはおまけだ。
真の目的は、彼ら反G弾派とつながりを持つこと、そして反G弾派の勢力を増すための新技術の提供、それが目的だ。
耀光計画と呼ばれる日本帝国の純国産第三世代の開発が滞っているのは確かだが、それもどうやらある程度目処が立ったらしく、今は遅れを取り戻すかのように猛烈な勢いで開発が続けられているらしい。
つらつらと小塚が今回の会談にまつわる背景に思いをはせていると、徐々に車の速度が落ちてきた。どうやら、会談相手のご登場らしい。
「失礼、お待たせしてしまったかな?」
完全に停止した車のドアが開き、対談相手が車内に入ってきた。
「初めまして、トマス・ウォーカーだ。マクダエル・ドグラムで特別技術顧問を行っている」
50代半ばくらいの金髪碧眼、技術職というよりは戦闘職といったほうがいいほどの体つきをしている男は、そう名乗るとそのまま小塚の真正面に腰を下ろした。
「始めまして、日本帝国在米大使館一級外交官小塚一郎です」
「ほう、小塚?」
小塚の名前に敏感に反応するトマス。兵器産業に従事しているものにとって、その名前は特別なものだ。
「ええ、ご存じかもしれませんが、帝国軍技術廠の小塚三郎技術大尉は、私の弟です。不出来な弟ではありますが」
「はは、日本人というのは本当に謙遜というのが好きだな。彼が不出来であれば、自慢できる弟などこの世のどこにもいなくなってしまう」
「そう言って頂けると恐縮の限りですね」
小塚が今回の特使として派遣されたのは、ひとえにその弟の存在故であるのだが、もちろんそんなことは言わなくてもトマスにも分かった。
車がゆっくりと発進するのを感じながら、弟に感謝すればよいのか恨み言を言えばいいのか微妙なところだな、などと小塚が考えていると、トマスは備え付けのクーラーボックスを開けると中からシャンパンを取り出すと手慣れた仕草でふたを開け、いつの間にか用意していたグラスへと注ぎ始めた。
「極秘会談とはいえ、折角の出会いだ。祝いのシャンパンくらいいいだろう?」
「それではありがたく」
グラスとグラスがふれあう音が車内に響く。トマスがグラスを空けるのを見てから、小塚もグラスを空けた。
「さて、早速だが本題に入らせてもらおう。本当は君の弟である小塚技術大尉の話などを聞きたいのだが。生憎とラングレーの連中がうるさくてね」
「お気になさらずに、こうやって会談の場を設けていただけでも充分に有り難いことですので」
小塚は抱えていたトランクを開き、中から一つの資料を取り出した。
「G弾の運用によるハイヴの攻略。確かにそれは一つの戦略としてはありでしょう。ですが、G弾は我々の手に余る兵器です。そんな兵器を乱用するようなG弾戦略は果たして我々人類のためになるのか、日本帝国いや人類の一人としてそれには疑問を呈さざるをえません」
「小塚外交官の言いたいことはわかっているつもりだ。私としてもその流れを何とかしようと手を尽くしてはいる。だが決まって尋ねられるのだよ、ならどうやってBETAどもを駆逐するのかと」
その答えを待っていたかのように、小塚は満面の笑みを浮かべた。まあ実際に待っていたのだが。
「そのための答えの一つがこの資料に書かれてあります」
トマスは差し出された資料を受け取ると、中身の確認を始めた。
「S11の数十倍の威力をもつ高性能爆薬だと!?しかも軽量化して弾頭に搭載も可能、戦術機の通常兵装への搭載も可能。必要コストも申し分ない、素晴らしい」
トマスの顔に驚きと歓喜が浮かぶ、だがそれは一瞬にして消えてしまう。
「確かにこの性能は魅力的だ。汚染のない通常兵器としては申し分がない。だがそれだけだ。これでは駄目なのだよ。小塚外交官、G弾があれだけ優位性を持っているのはなぜかわかるかね?」
「レーザー属種ですね」
「そうだ。レーザー属種の迎撃を受け付けない、それがG弾が持つ最大の優位点だ」
G弾は暴走状態に陥るとラザフォード場により絶対的な防御力を得る。それは当然レーザー属種による撃墜を不可能とするということでもある。
代わりに提示された爆薬は確かに核兵器をも凌駕する威力を持っているが、所詮は通常弾頭に搭載しての攻撃に使用されるものである。レーザー属種はそれを容赦なく打ち落とすだろう。
「それについての腹案は当然あります。こちらの資料を」
手にしたトランクから別の資料取りだし、トマスに渡す小塚。その顔にはいたずらを仕掛ける子供のような表情が浮かんでいる。
「これは?」
「読んでいただければおわかりになるかと」
「ふむ」
ざっと資料に目を通すこと数分。トマスの目が驚きに見開かれる。
「このミサイル兵器の概略、そしてその命中率は本当なのか?」
「はい、あなたが興味を持っている私の弟、小塚技術大尉のお墨付きです」
今度こそトマスの顔が驚愕に染まる。
「そうか、彼が関係しているのだ、これくらいは確かにやってくれるだろう。ではこの技術を提供してくれると?」
「はい、ですがそれはライセンス提供という形になります。こちらが無償で提供するのは高性能爆薬の生成技術まで。ミサイル関連の技術については、日本帝国に帰属します」
「なるほど。さすがにそこまでお人好しではない、ということか。見返りはG弾推進派の勢力の抑制と、反G弾派の勢力拡大、それでいいのかね?ああ、そういえば第三世代戦術機についての技術協力もあったな。だがそれは建前だろう?」
「はい、いつ前線国家となるか分からない我が国にとっては、G弾という環境汚染兵器の運用は看過できない問題です。最大の懸念事項の一つと言っていいでしょう。それを防ぐことができるのならば、高性能爆薬の生成技術までなら提供は構わないというのが上の判断です」
確信しているかのように問うトマスに、小塚は正直に答えを返した。トマスという男が、くだらない駆け引きを好むタイプではないと思ったからだ。
「わかった。では第三世代戦術機の技術資料については別途精査してそちらの手に入るように手配しておこう」
「よろしいのですか?本音で言えば、第三世代戦術機の技術についてはあったほうがいい、程度なのですが」
「はは、小塚外交官はわかっていないようだな。技術屋にとっての技術が、どれほど価値があり、意味があるものなのだということを。これはいわば信頼の証だよ。それだけ日本帝国を信頼している、ということだ」
小塚一郎はバカではない。だが、同時に技術者でもない。技術屋にとって自らの血と汗の結晶である技術を相手に提供するというその意味を正しくは理解できなかった。ただ、それが彼、トマスなりの誠意ある対応だと言うことは分かった。
この場に小塚三郎技術大尉がいれば、彼の信頼に対して感謝の言葉を雨あられと浴びせかけていただろう。
「わかりました。それであれば拒む理由はなにもありません、よろしくお願いいたします」
「ふふ、久しぶりに面白い会談だった。しかしこの爆薬についてもそうだが、日本帝国の技術革新には目を見張るものがあるな。やはり小塚技術大尉のおかげなのかね?」
「まさか。一人で出来ることなどたかが知れています。全ては日本帝国が誇る技術陣の不断の努力の結果です」
「そうか、兄である小塚外交官がそういうのであれば、そうなのだろうな。まあいい、ただ今度あうときは是非小塚技術大尉とも会いたいものだな」
「機会があれば是非」
こうして、小塚三郎技術大尉と隆也が思い描いた策の一つは実を結んだ。
むろん、一人に出来ることなどたかが知れていますという台詞を小塚三郎技術大尉が聞いたら、苦笑いするとはつゆ知らずに。
ハイヴ攻略用決戦兵器の一つ、M01搭載型ミサイル兵器の誕生は今、この時をもってなった。
因果はゆがんでいく。『因果律への反逆』を持つ者の意志の元に。