時刻は午前六時を回りました。ニュース06のお時間です♪
テレビから軽快な音楽が流れるのを聞きながら、修二は朝のコーヒーを飲んだ。
「――――うん、久々の味だな」
最高級品のブルーマウンテンの香りが、ここが元の世界の自分の部屋だと改めて教えてくれる。
ソドムではコーヒーが無かったわけではないが、ここまで高品質のものは無かった。
召喚される前は毎朝習慣として飲んでいた修二にとってこのコーヒーはある意味現実世界の象徴ともいえる。
「さて、これからどうしたもんかね」
ぐるんと、部屋を見渡す。
畳20畳はある洋風の部屋だが、あるのは無駄に大きいキングサイズのベッドと100インチの薄型テレビ、自分が今座っているオーダーメイドの椅子と机。そして、超高級品のコーヒーカップに大きなトランクとそれを覆うように掛けられた赤いコート。部屋の隅のクローゼットの中のブランド品の服が幾つか。
「・・・・とりあえずシャワーでも浴びるか」
考えてみれば結構汗臭い。
昨日こちらの世界へ帰ってきた時、意外と疲れていたのかすぐにベッドの上で眠ってしまったのだ。
―――――思えばしばらく寝てなかったな。
そんなことを考えつつ、部屋に備え付けてある風呂場のドアを開く。
脱衣所で服を脱ぎ浴室へ突入。
相変わらずでかい浴室の大理石でできた床を歩きながら、シャワーを取り頭から熱いお湯を浴びる。
当然、シャンプーやボディーソープで汚れを落とすのを忘れずに行い、浴室を出た修二は棚に入っていたバスローブを着る。
タオルでぬれた頭を拭きながら元の場所に戻った修二は、おもむろにトランクを掴みダイヤル式と指紋式の二重ロックを外す。
中にあったのは、修二が愛用していた拳銃をはじめとしたソドムから持ち帰った所有物だった。
「――――さすがジャックだな。≪異界の門≫まで騙すとは恐れ入る」
本来異世界に移動する際は一切の持ち物を持っては行けない。
現にソドムへ召喚された時は修二は全裸であった。
しかし、自分の愛用品を手放したくなかった修二はソドム一のメカニックにして情報屋のジャックにどうにかならないか相談していた。
その結果、どんな方法かは知らないが現実世界へ持っていける大きなトランクと修二愛用の服と同じデザインの物を作ってくれたのだ。
――――まあ、相当吹っかけられたがね。
苦笑しながら修二はトランクを閉める。
とりあえずは自分の荷物に異常は無かったので、これで本当にやることが無くなってしまった。
手持無沙汰になった修二は、暇つぶしにテレビへと顔を向ける。
時刻は7時を回りました。目覚まし07のお時間です♪
それを見た瞬間、修二は面白いことを思いついた。
まずはベッドの掛布団を膨らませ人がいるように見せかける。
次に入口のドアの横にへばり付くように身を潜める。
・・・・そろそろだな。
次の瞬間、部屋のドアがゆっくりと開く。
現れたのはメイド服を着た長い黒髪の美少女。
修二よりも一つ二つほど上だろうか。
整った顔立ちは日本人形を思わせ、西洋のメイド服とはミスマッチだが不思議とよく似合っている。
修二は彼女の事をよく知っていた。
四年ぶりに見るが相変わらずの美人だ。
といっても、あちらからすれば一日しか経っていないのだが。
気配と足音を消してベッドへと歩いていくメイド少女の後ろをゆっくりとトレースする。
自分と彼女の間隔は五十pも無い。
にも関わらずばれないのは、修二がソドムで培った技術の一つだったりする。
「修二様、お目覚めの時間ですよ。早く起きてください」
メイド少女はベッドの前まで来て口を開く。
全くの無表情で事務的な感じがひしひしと感じられる。
昔は何も感じなかったが、今となってはここまで優しさの欠片もないのは流石にどうなんだろうと、修二は思った。
メイド少女は何度かモーニングコールを続け、それでもピクリとも動かない掛布団の中身に対し眉を顰め、
「・・・・仕方ありませんね」
掛布団をガシっと掴み、
「起きなさい修二様」
勢いよく引っ張る。
当然、そこには誰もいない。
「え―――――?」
驚いたような声。
長い間一緒にいた修二でさえめったに聞いたことがない。
それだけでもイタズラ成功と言えるが、もうひと押しと言わんばかりに、
「―――――よっ」
メイド少女の胸を後ろから鷲掴みにした。
「――――――ひゃうっ!」
今度聞こえてきた声は随分と女性らしい、というか女の子らしい声だった。
・・・・これは、なかなかのサイズだな。
普段はメイド服に隠れて分からなかったが、着やせするタイプだったらしい。
ものすごくナチュラルに胸の感触を楽しむ修二。
しかし、やられる方はたまったものではない。
「く、曲者!」
顔を真っ赤にしながら、メイド少女は修二の襟を掴みそのまま前へ投げる。
いわゆる裏投げである。
修二は受け身を取り、そのまま軽快にダンスを踊るように距離を取る。
「いや、相変わらず見事な腕だね
瑞樹」
瑞樹、と呼ばれたメイド少女は修二の言葉を無視し腰の部分に両手を伸ばす。
シャキン、という音と共に肉厚のナイフが両手に握られていた。
「誰ですか貴方は!? 修二様の姿をしてこ、こんな破廉恥な真似を!」
殺気を放ちながら瑞樹は声を張り上げる。
だが、顔が真っ赤になっているため怖さは半減している。
「おいおい、ガキの頃からの付き合いだってのに本物と偽物の区別さえつかないのか? オレは正真正銘100%本物の佐渡修二だよ」
「偽物は皆そう言うんです! 本物の修二様は常に無表情で無口で何考えてるのかさっぱり分からない、と思ったらいきなり変な事やりだすわでさんざんこっちに苦労を掛けるキ〇ガイな最低男で貴方のように笑わないしこんなに会話が成り立たないしそんなに筋肉質じゃないし、なによりセクハラなんてするほど性欲もありません!」
さりげなく自分がどう思われていたか知って落ち込む修二だが、かつての自分を知る人間からはっきりと違うと言われたことに思わず笑みが浮かぶ。
―――――オレはもう“人形”じゃない。
生まれつきの体質と環境のせいで心という物が無く、ゆえに人形同然だった佐渡修二という存在はもういない。
今ここにいるのは佐渡修二と言うれっきとした“人間”であると改めて認識する。
「変わったんだよ。ほら、男子三日会わざれば刮目して見よと言うじゃないか」
「変わりすぎです! それに三日どころか半日も経っていません!」
瑞樹はそうツッコムやいなや修二に向かって突っ込む。
「貴方を適度に半殺しにした後、ゆっくりと本物の修二様の居場所を吐いて貰います!」
「やれやれ、そういう過激な所も相変わらずだな」
修二はナイフによる斬撃を紙一重で避け続ける。
本気を出せば一瞬で終わるが、流石に怪我をさせるわけにはいかない。
よって修二は迫りくる二本のナイフをそれぞれ両手の人差し指と中指で挟んで受け止める。
「な―――――っ」
「真剣白刃取り、・・・・なんてね」
そのまま手首を捻る。
どのような理屈か、それだけでナイフが半ば程から折れた。
「っく、なら!」
瑞樹は折れたナイフを投げ捨て、メイド服の両袖から棒状の物体を取り出す。
その正体は大型の金属製トンファー。
瑞樹が最も得意とする武器であり、修二が召喚される前、彼の奇行でブチギレした時のみ使っていたものである。
当時感情が無かった修二でさえ、あのトンファーを見るたびに足が勝手に動いていた。
後にそれが恐怖という感情であると知ったのは良くも悪くもいい思い出になっている。
「はああああ!」
トンファーを用いた強烈な突き。
それは派手な音をさせて修二の鳩尾に突き刺さる。
しかし、下手をすれば内蔵を破裂させかねない一撃は、
「――――残念だね」
通用しなかった。
修二は突き出されたままの腕を取りそのまま床へと組み伏せる。
腕を取られ地面に押さえつけられる形となった瑞樹はそれでも首だけを動かし“偽物”を睨みつける。
「何をする気ですか? 言っておきますが私は佐渡家に関する機密情報など知らないし、知っていたとしても拷問されても口を割りませんよ」
「だ・か・ら、オレは本物だと何度言えば・・・・・そうだ、ならオレが知ってるキミの秘密を語ってみせるよ。そうすれば信じてもらえるだろ?」
と、悪辣な笑みを浮かべる修二。
「ふん、私に秘密なんてものは―――――」
「一二歳の夏だったか。オレに付き合ってホラー映画見た次の日に漏らしたんだよな。ただ、気づいたのが早かったからすぐに証拠隠滅してたけど」
「―――――ッ!」
途端に顔を真っ赤にする瑞樹。
「ばれてないと思ってたかい? 実は一生懸命布団を乾かしてるキミを目撃しててね。他にも、そうだな。十三歳の秋くらいに廊下に飾ってあった時価五百万はする花瓶が割れる事件があっただろ。丁度その時地震があったからそのせいで落ちたと思われているけど、実際は地震でバランスを崩したキミが咄嗟に花瓶を掴んだせいで落ちたんだ」
今度は顔を真っ青にして口をパクパクとさせる。
彼女の無表情がここまで崩れるのは本当に久しぶりだと思いながら、修二はさらに暴露を続ける。
「十四歳の冬には厨房でボヤを起こしかけたのもキミだし、十五歳の春には―――――――」
「も、もうやめてぇえええええええ!!」
流石に限界がきたのか。
修二の言葉を遮って、丁寧な言葉遣いを殴り捨てた瑞樹の絶叫が屋敷中に響き渡った。
―〇●〇―
「つ、つまり修二様は異世界に召喚されて、そんな風になったという訳ですか?」
「その通り。理解してくれたかい?」
ようやく本物だと信じてもらえた修二は、とりあえず互いに椅子に座って机挟んだ状態で何が起きたかを説明することにした。
ちなみに、瑞樹はいつもの無表情スタイルに戻っている。
「確かにそれなら納得できるのですが、それにしても―――――」
チラリ、と視線が修二の顔を向く。
瑞樹とて異世界の存在は知っている。
三十年ほど前から十代の少年少女たちが異世界に召喚されるようになったのは一般常識だ。
ならその基準を満たしている修二が召喚されてもおかしくはない。
しかし、
「幾らなんでも変わり過ぎ、だろ?」
瑞樹の疑問を察したのか、修二は先読みして答える。
「ま、オレも色々あったのさ。色々とね・・・・」
一瞬、どこか懐かしいような、そして悲しそうな表情を浮かべる。
が、それは淹れ直したコーヒーと共にすぐに呑み込まれた。
「ま、それは置いといて、これからの話をしようか」
修二はコーヒーカップを机に置き、本題に入る。
「この世界に帰ってきたことでオレは“帰還者”って扱いになる。この意味が分かるよな」
「・・・・バベルですか」
バベル。簡単に言ってしまえば異世界からの帰還者達を管理・保護し、そして戦争の道具とする機関。
彼らは決して帰還者を見逃さない。
おそらくすでにこの屋敷宛に東京の特別自治区にあるバベルへの入学要請書が届いている筈である。
もし一週間以内に登校しなければバベルから職員が派遣され取り押さえられるはめになる。
「別に行きたくない訳じゃない。むしろ行きたいくらいだ」
修二は真剣な表情で言う。
行かないという選択肢は最初から存在しない。そうでなくては
この世界でやると決めたことをやれないからである。
今はまだ誰にも語る気は無いが、いつか必ず成し遂げる。
己が心に誓った事を修二は決して忘れない。
「その前に、当主様や
真一様に説明の必要があると思いますが」
瑞樹の口から出た名前に、修二は顔をしかめた。
「兄貴はともかく、親父は何も言わないさ。あの人にとってオレは欠陥品だからね」
だからこそ、こんな実家から百km以上離れたこの屋敷に住んでいるのだから、と修二。
「ああ、でもあの人に頼めば自治区域内でもいい所に住めるかもしれないし、一応話はするけど――――」
修二は先ほどよりも悪辣な笑みを浮かべ、
「まあ見てなよ。オレがもう人形じゃないって教えるのと一緒に度肝抜いてやるさ」
そう断言した。